思い出に残る食事 2

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331もぐもぐ名無しさん
そろそろ帰省されてるかたも多いのでしょうか。
私の家は田舎育ちではありませんでしたが1月2日にはかならず親戚一同
市内にある祖母の家に集まり叔父叔母や従兄弟たちと顔を合わせ
それぞれ持ち寄った料理で宴会をするのが新年会でした。

十数年も前のことになりますが、
その祖母が年末に本当に急に倒れて入院してしまいました。
病状は重く集中治療室で孫の私たちはガラス越しの面会でした。
母や叔父たちは病室で祖母と少し話すことができたようで
祖母が「蜜柑が欲しい」と言っているとのこと。
私たちは一番美味しい蜜柑を手に入れるべく
お店をはしごして、いろいろな蜜柑を何キロも買いました。
それをもって病院へ行くと、すでに叔父叔母や従兄弟たちも
同じように蜜柑の袋を手に提げて来ていました。
みんなで買ってきた蜜柑を 年末で人の居ない病院の待合い室の
ベンチの上に広げて 大きくてツヤのある一番美味しそうなものを選び
祖母の病室へ持っていってもらいました。
ほとんど何も口にできない状態になっていたはずの祖母でしたが
母が袋を剥いた蜜柑を1房、すするように食べていました。
大量に買い込んだ蜜柑を待合い室で従兄弟たちと食べて夜を明かしました。
私の母は祖母を心配して食事は全くとれない状態だったのですが
叔父が「お袋も食べてるんだから お前もちゃんと食え」と叱って
母は泣きながら蜜柑を食べていました。

祖母は結局年が明けた1月2日に亡くなってしまいました。
親族は葬式の準備で祖母の家に集まったけれど
例年と違い何の料理の支度もしてありません。
大人達は準備に忙しかったので 私は従兄弟たちと乾きものや余っていた蜜柑を食べていました。
そのうち従兄弟のひとりが「おじいちゃんにも蜜柑のお裾分けをあげよう」と言って
仏壇に蜜柑をお供えしようとしたら祖父の位牌の横に封筒が。
中をあけてみると祖母から私たち孫へのお年玉が入っていました。
お年玉袋にはそれぞれの名前が書かれており
例年通り裏にはカタカナ混じりの祖母からの一言が書いてありました。
まめだった祖母は12月のうちから用意してくれていたのでしょう。

それから毎年1月2日の命日には祖母のお墓参りに
母と蜜柑を持って行きます。
蜜柑をお墓にお供えする時はいつも 親を亡くすということの重さを考えさせられます。
待合い室で半泣きになりながら蜜柑を食べていた母の姿と
母の手から 剥いた蜜柑をすすっていた祖母の姿が忘れられません。

母には長生きして欲しいと心から思っています。