1 :
ナナーシ:
旧大日本帝国海軍『連合艦隊』旗艦の集中防御について語るスレです。
抗弾力の参考です。
弾頭部分225kgは弾体強度として3インチ鋼鈑の貫徹能力を持った遅動信管式の剛構造で、これが
最上甲板(35-50mm)を貫通、下部区画内床面、上甲板上で爆発。
炸薬量は97.6kg、弾頭重量の43.4%に達している。(BOEING社サイトによる)
この室内は破壊。最大5区画が損傷。
弾体後部は最上甲板上で損壊、この時残燃料が最上甲板上で飛散、発火。
消火活動としては露天床面・側壁が中心である為、有毒ガス・煙などの影響が少なく容易である。
上甲板は居住区であり戦訓対策として極端な可燃物の撤去('45.4最終時)が実施されており、
航空母艦格納庫と違い各区画は細分化され容積はあらかじめ限定されている。
「大和」型は毒ガス防御の観点から区画ごとの気密性が徹底されており、隣接区画同士の気密
性は24時間以上維持できる水準に達している。その他空気濾過・循環通風・酸素放出・二酸化
炭素吸収装置を備えており、これらは熱風等による隣接区画への延焼を防ぎ、消火活動を妨げ
る最大の元凶である有毒ガス・煙から助ける役目を果たす事になる。
火災が危険とされるのは、燃焼による艦内の温度上昇より先に有毒ガス・煙などの発生により消火
活動そのものが困難になる為に隣接区画への延焼が発生し、被害がさらに拡大する為。
艦内深奥部での火災が発生し得ない上、破口は直接露天甲板である。熱は艦内にこもる事は無く、
通風(排煙)にも難は無く被害区画は限定され、残燃料のみが燃焼、早期の消火は最も容易である。
その他上部構造物への命中についてもこれに順ずる。
結論として、艦内区画深奥部に達する被害は無く、ほぼ外皮から1層目迄で損傷・火災は食い止
める事ができる為、深刻な状況にはなり得ない。
この点は「武蔵」に対する450kg徹甲・半徹甲爆弾多数(日本側17発)の命中でも裏付けられる。
弾頭:225kg×5=1,125kg
うち炸薬:60kg×5=300kg
燃料:150kg(?)×6=900kg(数値仮定)
2 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 00:17
あ、、、、
申し訳ない。。。板間違えた(^-^;
ごめんなさいです。
3 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 00:57
なんでー?
4 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 01:30
しかし当時の人って大根食ってたんだろ?
スゲェーミニマムじゃが芋と。
米も無いのによくこんなモンつくったなぁ
5 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 02:15
大和つくってる時は米くらい幾らでも食えたと思われ。
大和が出来たのって、昭和の一桁でしょ?
なら、飯ならいくらでも食えたでしょう。
7 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 06:21
僕が小学校のころ、歴史の授業で、
「日本はこんなものを2隻も作りましたが、国民は米を食えず貧困にあえいでました」
習ったが?
8 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 09:03
でも明治維新では活動家と言われる人の多くは
食生活がかなり悲惨を極めたらしい
案外、食生活が貧しい方が頑張れるのかな・・・・
せっかくだから大和煮について語ろう。
10 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 09:50
最近の厨房は日本史を全く知らないってのは本当なんだなぁ。
大和が完成したのは昭和16年12月16日、太平洋戦争開戦の一週間後だ。
僚艦の武蔵は大戦最中の昭和16年8月8日、空母に改造された信濃など
敗北間近の昭和19年11月19日だ。
食うや食わずの飢餓生活の中でこれだけの物を造った日本人は偉大と言うか
アホと言うか・・・
信濃なんか作って10日後の29日には撃沈されてるし。
19.11.29
11 :
10:2001/07/15(日) 09:53
間違えた、武蔵の就役は昭和17年8月8日。
>>10 戦艦が完成した年月なんて普通の厨房は知らんて(w
13 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 11:25
>>12 厨房じゃなくても、歴史ヲタ以外は知らないと思われ。
さらに知っている必要もないと思われ。
15 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 11:53
でも昭和一桁っていうのはあまりに酷いぞ。
なぜ、こんな煽りスレにレスをつけるんだ?
これ、誤爆じゃないぜ。
軍事板には、こんなスレ立ってないもの。
放置しろよ。ヴォケ。
17 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 12:06
ヲタは自分の知ってることは一般常識だと思う性質があります。
18 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 12:07
19 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 12:33
日本には昔から軍隊なんていなかったんだろ?
なぜ料理版でこんな議論をする?
軍司版へ逝きたまえ。
21 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 13:11
どうせなら旧日本軍の料理ネタにすればいいのに。
22 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 13:12
帝国海軍、横須賀カレー
23 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 13:17
>>21 日本軍より、日本郵船の料理のほうが興味ある。
24 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 13:20
旧日本軍の料理ネタってとてつもなく悲惨な話になりそうだな。
特に戦争末期は・・・
25 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 13:21
「海軍さんのコーヒー」は美味い。
知ってる人います?
26 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 13:26
>10
大和がいつできたかなんて、日本史じゃないよ。
軍事マニアの範疇だとおもわれ。
27 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 13:27
旨いか?俺にはちょっと薄い。>25
28 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 13:29
>>22 肉じゃがも海軍の糧食が発祥だ。
舞鶴と呉が元祖争いをしているぞ!
29 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 13:31
( ´∀`)<東郷ビール飲んでマターリしようよ
30 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 14:16
旧軍の食事からは少し離れるけど。
とある尋常小学校の配属将校は生徒が毎日うなぎをざる一杯に持ってくるので、
冷蔵庫(氷で冷やすのか?)からうなぎが逃げて大変だったそうだ。地元の人
はもとから食べあきてるので引き取り手がなく、しかたなく家庭菜園の肥料に
してたそうだ。呑気な話だ。昭和十年ごろの話だそうです。
31 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 14:17
32 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 14:45
>>31 豪華客船の高級料理だったんじゃない?
(イメージだけでものを言っている)
33 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 15:11
「海軍さんのカレー」ってうまいの?
34 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 15:13
少なくとも帝国海軍のメシは陸軍よりはマシだった。
船旅で栄養失調で病人でたら船が運行できんからね。
陸軍は、物資調達管理の概念が希薄で、現地調達
で済むと思っていたから、悲惨なこと。
35 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 16:10
『横須賀〜海軍カレー〜』はうまいYO!一度お試しアレ
ちなみに海自では旧連合艦隊の頃の伝統で、金曜は必ずカレーが出るとか。
しかも相当ウマイらしい。
36 :
振り向けばもぐもぐさん:2001/07/15(日) 16:12
ん?大和って一隻だけじゃないの???
37 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 16:17
>34
さらに陸軍の飯はすざましい不味さだったとか。
「帝国陸軍の飯は敵兵よりも多く兵を殺す」
と言ったとか。。。
38 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 17:12
横須賀の海軍カレーってレトルトあるよな。
高いぞ。でも旨いぞ。
39 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 17:24
山奥の農家が実家のうちの母親は、戦時中でも生卵で髪の毛を
洗っていたそうだ。全国的な食糧難でも、ど田舎は例外だった
ようだ。裏山に登れば、袋一杯に松茸が取れたというし。
40 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 17:51
米兵のrationってどんな中身なの?
41 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 21:36
知らん。
陸自の缶詰はカーキ色だが、中身は旨かったYO
ソウデスネ!アッタマイイデスネ!
43 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 21:38
44 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 21:41
混ぜご飯でした。
>39
戦中戦後の食糧難は主に都市部だけだよ。
じゃ無きゃ「買出し」なんて出来ん。
46 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 22:53
>40
アメリカの戦闘携帯食は激マズです!!ミリタリーショップにたまに売ってますよ。
ちなみにうまいので評判なのは、やはりと言うか、イタリア、フランス。
陸自のは世界でも1、2位を争うほど良い出来だとか。
開発者が戦中の霊が乗り移ったかのように開発に熱心らしい。
47 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 23:05
板違いの糞スレが、良いスレに育っている…(^_^;)
日本海軍の食事がよかったのは、けっこう有名な話だよね。
あと、戦闘機乗りもいいもの食べてたみたい。
巻き寿司なんかも食べたって、本で読んだよ。
神風の人たちが、良いものを食べたのも当然でしょう。
48 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 23:09
自衛隊の缶詰やレトルトは、一般にも買えるの???
49 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/15(日) 23:17
非売品でしょう。食べたのはとある学園祭の自衛隊ブース
にて。
50 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/16(月) 05:29
近くの商店街で、何故か緑の服を着た自衛隊員さんが缶詰め配ってました。
たくあんと、ドライカレーを食べましたが凄い美味しかったです♪
職に困ったら自衛隊に入ろうかな〜(笑)
51 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/16(月) 05:47
52 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/16(月) 13:37
うちの父ちゃん、海軍・特攻隊くずれ(つまり、九州で出番待ち
をしているときに終戦)。どんなものを食べていたか、聞いてみ
よう。
53 :
名無しさんに接続中…:2001/07/16(月) 16:17
大正昭和の海軍士官の食事はすごいものだったらしいですが
明治時代の海軍は粗食で酷いものだったらしい、陸軍のは海軍以下で
脚気だらけだったようですね。
脚気対策で食事を官給とし肉や乳製品を取り入れていったようです
この辺りの話は 吉村昭の 「白い航跡(上・下)」講談社文庫刊に詳しいです
海軍の食事についてはたっぷり書かれています。
一読してみてはいかがでしょうか。
しかしこのスレをきっかけに軍事板見てみたけどちょっと彼処は異様な
世界だね。男だから多少は兵器とか興味があるけど、まったく内容が理解できない
初心者つーか部外者はとても、参加できる雰囲気じゃないね。
55 :
もぐもぐ名無しさん:2001/07/16(月) 23:45
いつの間にか板違いなのに立派な食べ物関係のスレになっている(爆)
阿川弘之の「雲の墓標」によると、航空隊のパイロットは終戦までかなり
いいものを食べていたようだね。
>>8 終戦直後の食べ物の無い時代には胃癌が減少した
と聞いた事がある。
>>54 いや、あれはあれでなかなか楽しい世界なんだよ。(w
まあ、基本的には「俺はこんなことを知ってるぜ」という自慢をする場所だから。
でも、軍事関係でわからないことがあればあそこで訊くといい。
礼儀さえきちんとしていれば、丁寧に教えてくれる。