1 :
名無しさん :
2000/06/19(月) 09:15
上記過去ログは 別スレから持ってこさせていただきました。 「だけは保存しています」さん(?) ありがとう!!! tabemo07は 圧力鍋のログでした。 思い出に残る食事のログは tabemo08の方です。
3 :
名無しさん@1周年 :2000/06/19(月) 12:53
いーかげんネタも切れたろうに・・・ またホラ話スレ作るんかね(- -;(ウンザリ
4 :
>3 :2000/06/19(月) 13:12
読まなきゃいいのに・・・ あとは、去年のロビーネタだけど、 年末の明石家サンタに使えそうなネタをピックアップしといて 年末に参加するとか。
5 :
名無しさん@1周年 :2000/06/19(月) 13:23
>3 うんざり・・・ ってことは 結局は読むつもりなんでしょ くす。
6 :
>5 :2000/06/19(月) 14:11
おまえ「ちょっとだけ」やなヤツだな(笑)
>6 光栄です えへへ。
旧スレッド800超えていたから、丁度いいタイミングじゃない? 泣ける話&長文ばかりで食傷ぎみの上、笑える話が 書き込める雰囲気じゃなっかたので、盛り上がったまま きれいに終わらせるのもいいかも。 ちなみに自分は、レス1HN「もの食うひと」のエピソードが一番だね
9 :
名無しさん@1周年 :2000/06/20(火) 21:39
このスレッド好き。 もっと食え。
10 :
名無しさん@1周年 :2000/07/15(土) 17:24
あご
11 :
名無しさん @一周年:2000/07/18(火) 03:23
浮浪者も並と玉子を食べていた。 白身が口からダラリ出ている。・・・何度も、白身を口から出してはごはんに掛けて・・・。 と思っていたが・・・いや、待て、玉子の器が無いではないか!! しかも、浮浪者からは時折、「カーッ」と聞こえる・・・。 そう、あれは紛れも無く、"痰"をメシに掛けながら食べていたのだった。 それを見て以来、吉野家には行けなくなった。
12 :
彼女の手料理 :2000/07/18(火) 04:42
僕は以前、遠距離恋愛をしていました。 会えるのは良くて1ヶ月に1回。だいたいは2ヶ月に1度ぐらいでした。 そのため、会った時はほとんど外食をしていました。外食のほうが美味しい物を 食べられるし、リッチな気分も味わえるからです。 僕の家で食べることもあったのですが、僕は料理が得意だし、彼女がわざわざ はるばる来てくれたので、作るときはいつも僕でした。 彼女は僕の作った料理を、いつも「おいしいよ」って言いながら食べていました。 しかし彼女は、僕の手料理を食べるたびに自分自身は料理が作れないのを 気にしているようでした。僕はそんなことにも気づかずに、「女の子だし料理ぐらい 作れなくちゃね」とか言ってしまいました。彼女は笑いながら「これから 一生懸命勉強するよ」とか言っていましたが、僕は言葉だけだなと思って 期待は全然していませんでした。 ある時僕が彼女の家に行くときがあって、そのとき彼女が料理を作ると 自分で言いだしたのです。びっくりしたものの、待つことにしました。 しかしいつになっても料理は出てきません。心配になって台所を見ると 僕の10倍以上の遅さでタマネギをみじん切りしていました。 「見ないで」と言われたので更に1時間以上待っていました。 何が出てくるのか楽しみにしていたら、出てきたのは白いご飯にみそ汁、 それにケチャップのかかった卵焼きだけでした。見た目も・・・って感じの。 味も予想通りでした。みそ汁は薄いしご飯は堅い。卵焼きは中身のタマネギとかが 生っぽい。でも、「おいしいよ」って言って食べました。いつも彼女がしていて くれたように・・・。それを聞いた彼女の満足そうな笑顔と、自分では 「おいしくないよー」って言っていたのが今でも忘れられません。 結局彼女とは色々とあって振られてしまいましたが、あの時の彼女の手料理が 最初で最後でした。今こうして振り返ってみると、上手じゃなかった料理 だということと、もう1つだけはっきりと分かることがあります。 彼女が僕のことを心から想って、一生懸命に作ってくれたことです。
13 :
名無しさん@1周年 :2000/07/18(火) 05:41
大学入った最初の年。最初のころはマジメに自炊してたんだよ。 でもだんだん、面倒になって自炊しなくなったんだな。 年の暮れも、バイトやサークルで実家には帰らずだったんだ。 スキーの代金で、大晦日だっつーのに金がなくて、久しぶりに 飯を炊いて食べたんだ。 ちょっとべとべとした感じのご飯が炊き上がったんだけど、 よく見るとなんか、黒い粒粒が点々とあるんだ。 よーく見ると、足が6本生えててねえ。ショックだったね。 米びつの中の米をゴミ箱に捨てる時に、なんか申し訳なくて 涙がでちゃったよ。なんでだろうね。
14 :
名無しさん@1周年 :2000/07/18(火) 05:43
思い出にのこる食事? 京都で出されたお茶漬けかな
15 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/07/18(火) 06:40
病院で正月に出た、肝臓食のおせち料理。
16 :
名無しさん@1周年 :2000/07/18(火) 11:33
>14 わらた!!
17 :
名無しさん@1周年 :2000/07/18(火) 11:49
13> もだえ苦しみながら… 脱糞を失禁を繰り返し… 最後は苦しみの意識を自ら否定する絶叫のなか… 痙攣をしながら絶命したのだ。
18 :
名無しさん@1周年 :2000/07/18(火) 12:24
>13 文学板にあなたにぴったりのスレッドがあります。
19 :
名無しさん@1周年 :2000/07/18(火) 12:44
高校卒業祝に親と焼き肉屋に行きました。そこで、 舌でとけるような肉を食べました。おいしかった。
20 :
名無しさん@1周年 :2000/07/18(火) 12:50
小学校の頃、少し仲の良かった子の家に遊びにいきました。 おやつにメロンが出たんだけど、凍りつきました その子はメロンの上にのってる種を退けずに (普通は出すときに退けてあるよね)種から食べてました 家では食べないのが常識だったので、すごく衝撃的でした たぶんその家では食べるのが普通なんでしょうが・・・ 私も食べないといけないって思い、無理をして頑張って食べました メロンを見ると今も思い出します
21 :
>20 :2000/07/18(火) 12:57
>無理をして頑張って食べました >メロンを見ると今も思い出します ウザっ!おじょーひんブッてんじゃねーよ!!
22 :
名無しさん@1周年 :2000/07/18(火) 13:25
メロンに塩かけて食べる人もいるみたい、、 スイカじゃねーだろ、、
23 :
名無しさん@1周年 :2000/07/18(火) 22:50
>21 そんなに言わなくってもいいじゃん、べつにお上品ぶってないけど、 思い出したから書いただけです
24 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/07/19(水) 02:27
>21 普通種は食わねーだろ。
25 :
名無しさん@1周年 :2000/07/20(木) 01:31
age
26 :
名無しさん@1周年 :2000/07/20(木) 18:33
こっちこっち
27 :
名無しさん@1周年 :2000/07/22(土) 01:22
1が続いているのであげ。
28 :
名無しさん@1周年 :2000/07/22(土) 18:46
高一のときから付き合ってた彼女が大学受験のストレスで いわゆる引きこもりになってしまった(親や先生と結構もめて)。 それで帰りに毎日彼女の家に寄っていろいろくだらないことしゃべったりとかしてた。 彼女の親の話だと普段は無口でほとんど笑いもしないらしいのだけど、 2人でしゃべってるときはホントに楽しそうで、オレも明るい彼女がみれて嬉しかった。 少しして結構外にも出られるようになったんで、元気だそうと思って休みはいつもいろんなトコ 連れて回っんだけど、彼女は近くのケーキ屋がお気に入りだったらしく、 甘い物食えないオレも無理矢理連れてかれてた。
29 :
名無しさん@1周年 :2000/07/22(土) 18:47
そんな感じで3ヶ月くらい過ぎていって、ある日、彼女が自殺したって電話が向こうの親からあった。 遺書とかはなかったらしくて何がなんだかわかんなかった。 その夜少し泣いたけど遺体と対面して火葬も終わっても全然夢みてるみたいで、 足が地に着かない感じで、ほとんど実感がわかなかった(ドラマみたいだーとか思ってた)。 焼き場の帰り何気なくいつものケーキ屋に立ち寄って、店員にいつも飲んでたコーヒーを注文したとたん、 (あれ、何であいついないんだろ?トイレか?)と思って勝手に彼女が好きで よく食べてたモンブランを注文した。すぐに自分の間違いに気付いたけど。 運ばれてきたモンブラン食べてる途中彼女の笑った顔とか付き合うようになったきっかけとか いろいろ勝手に思い出してきて鼻水テーブルに垂らすくらい泣いた。 迷惑な客だったろうな。
30 :
>28 :2000/07/23(日) 10:30
なぜヒッキ―だった彼女に健康人を連れ回すほどの パワーや行きつけのお店があるのでしょうか? ネタであることがミエミエです。痛すぎ。 創りで人を泣かせたいのならもっと努力しましょう。 15点(藁
31 :
名無しさん@1周年 :2000/07/25(火) 19:57
小学生のころ(20年前)、「バーベキューやるからうちにおいでよ」 と誘われ、のこのこ出掛けていったが、お肉がお肉が・・ 魚肉ソーセージを輪切りにしたやつだった。 みな、”バーベキュー”の実態をよく分かってなかったんで、もくもく 普通に食べた。 ま、楽しかったけどさ。
32 :
名無しさん@1周年 :2000/07/25(火) 20:56
自分で望んでいった大学なのに途中から行く気がなくなり、 バイト以外は家から出ない、半ヒッキー状態だった私。 ついに大学中退したいと、母親と単身赴任から一時帰宅してた父親に言った。 母親は泣いて思いとどまるように言い、父親はただ黙っていた。 赴任先に戻る日、街中に家族で出かけるなんてことなんて 10年以上なかった父に誘われて池袋まで一緒に行った。 そして駅を降りてすぐの喫茶店に入りケーキとコーヒーを頼んだが、 たのんだチーズケーキはすっごくまずくて味もくそもないようなもので かといって食べてでもいないと父と向き合って話をしなければならなくて、 でも話をするのは怖くて食べつづけてた。 とてもとても長く気まずい沈黙のあと、父が 「・・・・やめたければやめればいい。お前の人生だ、お父さんが決めることはできない。 お前の好きにしなさい。」 ぼろぼろぼろぼろ涙が出てきて、 こんな自分でも尊重してくれてる父に申し訳なくって、 結局甘えて逃げてるだけの自分と付き合わされたようで、 だんだん自分でも何のために泣いてるのかが分からなくって、 情けなくって余計に涙が止まらなくなってさらにぼろぼろと泣いた。 その間、父親は何も言わないで黙っていてくれた。 はたから見たら、中年サラリーマンと泣いてる女子大生の 明らかに変な組み合わせだったのに(笑) 結局大学は辞めました。今から7年前の話です。 大学を辞めたことは後悔していないけど、 両親を悲しませたことは今でも思い出すだけでダッシュで親孝行しに行きたい気分にさせますね。 あのチーズケーキはもう2度と味わいたくない味です。
33 :
名無しさん@1周年 :2000/07/26(水) 00:09
私にはまだ コレという思い出の食べ物が無い これから出会うのだろうか・・・
思い出にのこる経験、をしている場での食べ物=思い出の食べ物 あなたにもきっとあるはず。
35 :
名無しさん@1周年 :2000/07/26(水) 16:59
思い出に残る食べ物というか…。 母はとても料理が上手で、とりたてて豪華なものとか、 そんなんじゃないけど、いつもおいしくて、バランスがとれてて、 本当に暖かい食卓でした。 今、一人暮しをしていて、思い出す料理の数々…。 “こんなのも食べた、あんなのも食べた…”と母に話すと、 “あれはね、お給料日前の特別メニューだったのよ”という返事が 必ず返ってくる。 貧しいというわけではなかったけれど、 豊かとはいえない我が家の家計の中から、 母は、少しでも豊かで、たのしい食卓にしようと、 すごく考えてくれてたんだなぁと、しみじみと思う。 そんな母の思いを、遠く離れたところから妹も私もかみしめている。
36 :
名無しさん@1周年 :2000/07/26(水) 17:08
先日、妹と電話で話していたときに思ったこと。 それは、“また、6人(祖父母、両親、妹、私)で、すき焼き食べたいね” ということだった。 あの頃は、本当に幸せだった。暖かくて、優しくて、楽しかった。 でも、もう叶わない。祖母も父もいなくなってしまったし、 残った4人は、それぞれの理由で、別々に暮らしているから。 だけど、あの時の思い出があるから、今もそれを糧にして、 それぞれの世界で頑張っていける…。 食べ物って、その時に食べるだけじゃないんだね。
37 :
名無しさん@1周年 :2000/07/26(水) 18:27
また貧乏自慢?聞き飽きたよ それに昔は良かったばっかし そんなに昔の家庭に戻りたいんなら一家心中でもしたら?
38 :
名無しさん@1周年 :2000/07/26(水) 18:41
39 :
名無しさん@1周年 :2000/07/26(水) 19:10
37はいいすぎだと思うけど、たしかにちょっと食傷気味だな… というかもっと具体的な小話を書いてくれると読んでるほうも わかるんだけど、ただ豊かじゃないけどあったかい家庭、昔は よかった…とか言われても、たんなる自己満足に終わってしまう…
40 :
名無しさん@1周年 :2000/07/26(水) 19:19
>37 そう言いたくなる気持ちもわからんではないが、 思い出そうとすると、どうしてもそういうのになりがちだよね。 単に美味い食い物じゃなくて、「思い出」の食い物からね…。 俺が思いつくのも、何年かしたら食えなくなるんだろうなあっていう ばあちゃんの料理だったりするからなあ…。
41 :
名無しさん@1周年 :2000/07/26(水) 21:31
だって、思いでのスレやん。 いいやん、何を語っても。
42 :
名無しさん@1周年 :2000/07/26(水) 22:19
人の思い出を踏みにじるような発言は、控えるべき。 他の人にとって、なんでもない思い出でも、 本人にとっては、大事な思い出なのだから。
43 :
名無しさん@1周年 :2000/07/26(水) 23:06
まあ、昔話でもよいでしょ。 でも、身内や友人への呼びかけで話を閉めるのはやめよう(笑)
44 :
名無しさん@1周年 :2000/07/26(水) 23:48
夏休みに入ったから厨房が喧嘩売りに来ているのでしょう。 そんな奴は無視するのが一番です。
45 :
名無しさん@1周年 :2000/07/27(木) 01:25
短期間だったが付き合ってた女の手料理が忘れられない。 当時は俺自身かなり荒れていて寝るだけの女が何人もいたし 全員に対して暇潰しの付き合いというつもりだった。 その彼女には特に酷い事をした。 一途に想われれば想われるだけ苛めてやりたい衝動にかられていた。 俺もガンコだし彼女より12才も年上だったから 彼女に対して笑わないという、一度とった態度は崩せなかった。 それでも彼女は翌朝になると朝食の用意をしてたり、さりげなく夜食を作っていた。 切り干し大根の煮物がすごく美味くて、深夜一人で仕事しながら 鍋かかえて食べきったり、起き抜けに用意してくれてたおかずが けっこう大量だったので朝っぱらからこんなに食えないよとブツクサ 文句言いながらも一口食べると美味しくて残さず食べたり、 美味しいよ、って一言いえない自分が実はもどかしかったりした。 その後、彼女がいったん俺から離れた時期があってなんとなく急に 物足りなくなった俺はまた連絡をとったら付き合いは再開した。 だが、またしても俺のだらしなさから彼女を傷つけてしまう。 この時点で実は俺が彼女に惚れていたのを改めて確認。バカな奴。 彼女が最後に訪れた日、最後に作ってくれたスパゲティは 材料のパスタの量が少なくて俺に多く盛り付け、彼女自身の皿には ほんの少ししかなかった。 本気でやり直したいと思ってTELした時には 彼女はもう別の男と結婚が決まっていて、俺はフラれた。 気まずい後でも作ってくれた美味い料理、ついつい想い出す。
46 :
名無しさん@1周年 :2000/07/27(木) 02:12
彼女が作ってくれたみそ汁を、帰った後にこっそり捨てました。 激マズ。衝撃的なマズさだった。 それだけマズいみそ汁を作った彼女に、捨てちまった俺。 つらくはないが、ため息のでる想い出だ…。
47 :
名無しさん@1周年 :2000/07/28(金) 01:46
なぜあげぬか
48 :
名無しさん@1周年 :2000/07/28(金) 01:57
心なしか男の書き込みが多いので読んでいて面白い
49 :
いとつと :2000/07/28(金) 02:13
パート1、オフラインで途中まで読んだけど 涙止まりませーん。 保育所に行ってたとき、給食で八宝菜のようなものが出た。 片栗粉でとろみがつけてあり、パイナップルが入ってたんです。 そのへんてこな食べ物がどうしても食べられなくて いつもの私らしくなく、下を向いてじっとしてた。目に涙をためて。 (残しちゃいけない、でも食べられない・・・) そこへ、普段は怖い先生が 「調子悪いの?残してもいいよ」と優しいお言葉をかけてくださった。 残したくなかったけど・・・まずかったのよー。 皆さんのようないいお話ではないですが。あげついでに。
50 :
46 :2000/07/28(金) 02:18
付け足し。 次の日、彼女に「不味すぎだよ。捨てちゃった」と言ってしまった。 聞かれてもいないのに…。 何で、わざわざそんなこと言ったんだろうか。 どうしようもない人間だな…。 今は少しマシになったかな…。
51 :
名無しさん@1周年 :2000/07/28(金) 02:33
>46 残念ですが・・・胸にしまうことなくこんなとこに書き込むあたり 少しもマシになってないと思われます。
52 :
>46 :2000/07/28(金) 03:00
>どうしようもない人間だな…。 >今は少しマシになったかな…。 「・・・。」に貴方が表われてると思うぞ。 マシになったんだよ。 ちなみに、中身の具は何だったんだい?
53 :
>38 :2000/07/28(金) 04:37
54 :
46 :2000/07/28(金) 12:52
中身は覚えていません。 たまねぎだったような気もするけど。味の記憶しかなくて。 他にも、母親や友人など周りの人を傷つけるようなこと いっぱいしたなあ。そんなことばっかりだ。 鬱だ氏のう。
もの食うひとへ。アンタのおかげで、何気ない生活の中に何らかの素晴らし さを見出した人は本当に多いと思う。 ありがとうという言葉が、これほど素直に言えるスレが他にあるだろうか? 心から「ありがとう」。
56 :
名無しさん@1周年 :2000/07/28(金) 14:51
57 :
↑ :2000/07/28(金) 16:06
貧乏自慢ランキングか?
58 :
戸碌斎 :2000/07/28(金) 17:21
前スレの最後の書き込み、今はじめて知ったよ。 何度目なのか、もうとうに判らなくなっているけど、また泣いたよ。
59 :
名無しさん@1周年 :2000/07/28(金) 18:12
子供の時分、母は良く私におやつを作ってくれた。 マドレーヌ、ケーキ、プリン、クッキー、夏になるとトウモロコシを茹でたもの、etc... うらやましいと思うだろう? たしかにおやつは美味しかった。ただ、問題はオヤツしか作ってくれないのだ。どう言う意味かって? 母は凝り性でオヤツに全力投球してしまうので、完成が夜になることもしばしば。その上、晩飯を作るのを忘れてしまうのだ。 オヤツが豪華だった日は、妙に晩飯がショボい日が多かった。 その上、凝り性なので同じものが数日続くこともしばしば。今日は火加減がイマイチだったから、明日もう一度チャレンジ!とか言って・・・ 嬉しい反面ちょっと困った思い出です。 そうそう、最近は手打ち蕎麦とか手作り豆腐にも凝ってます。(^^;)
60 :
名無しさん@1周年 :2000/07/28(金) 23:22
ごめんねー、食傷気味かもしれないけど、私の大事な思い出の食事。 一時期入院して、ベッドから一歩も降りられない状態だった。病院食は単調で ゲロまずで、うんざりしていたな。 唯一楽しみだったのが、仕事で忙しかった母が、毎日必ず顔を出してくれたこと。 そして、イチゴかりんごを差し入れてくれた。イチゴはちゃんと蔕を取って、 りんごはウサギにして、変色せぬよう塩水につけて。これだって単調なはずなのに、 ちっとも飽きなかったのが不思議。『はい、どうぞ』と笑顔で楊枝に差して持たせてくれた母。 母はもう亡くなっていて、いない。イチゴや、塩水に漬けたりんごを食べるたび、 彼女を思い出す。他にもここに書ききれぬほど、たくさんの家族、恋人との思い出の 食事がある。10代の人にもいつかきっと、わかるよ。 思い出を食べながら、生きてることに気づく日がくるだろうからね。
61 :
名無しさん@1周年 :2000/07/29(土) 08:04
誰かさんの歌じゃないけどホントに15歳で原付パクろうとして捕まった。 (ダチ3〜4人も) ひととおり取り調べ終わったんでいったん解放されて親に引き取りに来てもらった。 警察署で一日なんにも食べさせてもらえなかったので、帰りに親とデニーズ行って 食事したが・・・あのプレッシャーは今でも忘れられん。
62 :
名無しさん :2000/07/29(土) 08:52
私が大学1年の頃の話。大学の演劇サークルでぎりぎりまで 裏方の仕事をしていたら何時のまにか雪が降り出した。たいしたことないと 高をくくっていたけど、地元駅についたとき すでに自宅の車が出せないくらいひどい状態になっていた。 時はすでに12時をまわっていて、タクシーはつかまらないし、バスも走ってない。 自業自得と思いながら豪雪の中、徒歩ですべりそうな道を帰ることに。 当然人っ子一人いず、みじめで、本当にこわかった。 すると最後の坂にさしかかりそうなあたりで誰かがよろよろ歩いてくるのがみえた。 父だった。 そのとき父はひざをいためていて、ふつうに歩くのも困難だったにもかかわらず 私のためになぜか広げたかさ2本とバスタオルをもってひざをかばうようにゆっくりと 歩いてきた。 「こんなことしなくてよかったのに」 と涙声で言ったら、 「あたりまえだから、心配してるんだから」 といって、いらないといったのに「とりあえず体をあっためなきゃ」 といってコンビニで私にだけ肉まんをかってくれた。 自分は足が痛くて食べる気も起きなかったんだろうに。 それから2年を経た今は、出来事の記憶とともに、湯気のたったふかふかの肉まんの イメージしか残ってなくて、味なんてまったく覚えていないんだけど、このことを考えるたびに 両親にはかなわないな、と思う。 今は離れて暮らしているけど帰ったら一番に父に会いたい。
61<尾崎信者氏ね!! 「思い出」より「前科」が残る食事だな(嘲笑
どうしてドキュンは群れるのだろうか?
65 :
名無しさん@1周年 :2000/07/30(日) 22:31
泣ける話じゃないけどさあ、思い出って事で。 高校生の夏休み、一泊2日の土方のバイトに友達と行った。 現場は伊豆の方の中学校。屋上のゴムの舗装を全部はがす仕事だった。 そのまあ暑いこと暑いこと、休憩の時に飲んだこおり水は最高うまかった。 で、その日の夜安い旅館(そういう仕事の人ばっかりの)に泊まった時の朝食がうまかった。 たいしたおかずはないのに(ハム2枚と生卵、みそ汁)ご飯はお変わり自由で 生卵1個でどんぶりご飯を2杯食った。それまでは卵かけご飯でどんぶり2杯はなかったんだけど 腹が減っていたせいか2杯食べた。 晩飯はあんまり思い出せないんだけど、あの朝飯だけはなぜか妙にうまくて記憶に残っている。
66 :
名無しさん@1周年 :2000/07/30(日) 23:35
静岡に住んでいた頃、お茶畑の中で でーーっかいおにぎりを食べたこと。
67 :
名無しさん@1周年 :2000/07/31(月) 01:06
母は食べ物に神経質で、子供のころ、おやつは手作りばかりだった。 だから、よそのおうちでご馳走になるシャービックやゼリエースやポットのお湯だけでつくるハウスプリンとか にあこがれてた。すっっごくおいしいと思って。 でも親は添加物や着色料が入ってるからダメ! とぜったい食べさせてくれない。 大学ではじめてしたバイト帰り、スーパーでゼリエースやプリンを買った。 さっそく作ったけど…あんまりおいしくなかった。うそっぽい味がした こんなことなら、これすっっっごいおいしい! と思った子供時代にいっぱい 食べておきたかった、と後悔してます。 だけど、いま主婦になると、どーしても、添加物が気になってお手軽デザートの素が 使えないよ。杏仁豆腐もココナツ煮て作ってしまうし。 あーもしかして我が子も私と同じ後悔をするのかー、だけどー、と ジレンマに陥ってます。 でもそんな母も高齢となり、いまはスーパーで買うお総菜でごはんにする 毎日だそう。父も母ももう体に気を使わなくていいからって。 そんなこと言わないでよ…ママ…(;_;)
68 :
名無しさん@1周年 :2000/07/31(月) 01:16
>67 >父も母ももう体に気を使わなくていいからって。 もう涙でディスプレイがまともに見れない…
69 :
ぴぴん@まあく :2000/07/31(月) 06:12
今つき合っている人がえらい年上なんだけど、全然会え なくってチョロと浮気なんぞをしてしまったのさ。んでそ の浮気ってた娘とずるずるとしていた頃にね彼女が家にき たのさ。 2年つき合っているけど(そろそろ3年目に突入)初め て彼女がバレンタインデーにチョコをくれて、えらい感動 しちゃったのよ、何せ小、中、高ともらったことがなかっ たから。んで、彼女がきたのがホワイトデーで、前日の夜 に「明日いくよ〜」って電話があった。えらいびびちゃっ てねぇ(笑)だって、電話をもらう直前まで、違う女とや ってたわけだから。当然なんにも用意してなかったし。で 、何とかお返ししなきゃなぁと思って彼女の好きな豚でせ めておいしい物を作ろうと思ったんよ。そしてなにを思っ たか作ったのが豚の角煮(笑)そしたらめちゃめちゃ喜ん でくれてねぇ・・・ こっちは罪悪感ばりばりだし、なんか向こうも薄々感ずい ているみたいだったし。 何とか誤魔化そうと必死になってしゃべったしゃべった (笑)だって本気で好きだしねぇ、ならなんで浮気なんぞ をしたのか・・・ 気の迷いにしてはずいぶん本気だったけど、やっぱり寂し かったんだなぁ。 自分で料理を作ることは苦痛じゃないし、楽しくもある。 でもたまには作ってもらう立場になってみたいじゃない? 彼女は年上で、仕事があるから料理作るのはたいてい俺だ から。たまにはって思っちゃったんだねぇ・・・ 今は浮気相手と壮絶な別れ方をして(血を見ないだけで壮 絶だった・・・)彼女一本です。でも相変わらず会えてま せん(笑) ??あれれ書いてたらなんだか料理の話じゃなくなってる なぁ(笑) まあいいか、今度は浮気相手と別れたときの壮絶な料理の 話でも書き込みます
70 :
名無しさん@1周年 :2000/08/01(火) 18:10
さがっちゃいやーん
71 :
名無しさん@1周年 :2000/08/03(木) 18:27
昔母親の所属する人形劇サークルの人々と共に、県民の森のコテージに泊まり に行きました。 で、お昼は定番のバーベキュー。 しかし待つ子供達を後目に、親たちは何だかばたばたせわしないのです。 聞けば「肉を野犬にとられた」。 いやぁ、慌ててた慌ててた。犬探しあてたとしても、そんな肉食べられないのにね。 その時私は「野犬」が見たくて一緒にうろうろしてました。肉はどうでも良かった。 結局イカやソーセージや野菜だけのバーベキュー。 とりあえず、この話はたまに持ち出してあげてます。一生言ってやろ。
72 :
名無しさん@1周年 :2000/08/04(金) 10:40
>71 ヘルシーでいいですね(笑) それにそういう思い出ならほほえましくっていいと思います。 去年キャンプに行った時、火を起こしている間にお酒が一本なくなって かなり騒ぎになりました。回りでキャンプしている人たちに疑いの目を向けた りして、ちょっとヤな気分になっちゃった。
73 :
>72 :2000/08/04(金) 22:00
帰ってきた母にその話を蒸し返してみました。 犬を追いかけた理由は「復讐したいじゃん!」というものでした。アホですね。 当時の私は大人がパニックになっている様が面白かった様子。しかも肉で!
74 :
名無しさん@1周年 :2000/08/04(金) 22:08
野犬に復讐って・・・ まさかその時、バーベキューに出された肉はっっ!!
75 :
ラウンジから来ました :2000/08/04(金) 23:44
思い出に残る食事って普段は忘れてるのに、食べた瞬間に思い出したりしますよね? 大学入ってしばらくして初めて女の子の家に泊まった。 二人とも朝方まで寝れなかったけど、俺の方はウトウトしてたみたい。 しばらくして、その子が台所で何かつくってくれてるのに気づいて目が覚めた。 六畳一間のアパートだから、枕元で行ったり来たりして、 もう、はきっり目が覚めてたけど、照れくさくてそのまま寝た振りしてた。 味噌汁のいい匂いがした頃「ご飯出来たよ。」って起こしてくれた。 布団を片づけて、小さいテーブルを出してその上にご飯と味噌汁、 で、ほうれん草のお浸しがあった。 今まで母親がつくってくれたほうれん草のお浸しは 醤油に鰹節をまぶしたやつだったけど、 それはすりゴマをまぶした甘めの味付けだった。 昨日の夜のことがお互いなんか照れくさくて、口数少なく伏し目がちに食べた。 でも、今まで食べたことのない味付けのうほうれん草のお浸しが、 新鮮でおいしくて、でも、照れくさくて、嬉しくて、なんか、複雑でした。 結局、その子とは七年付き合った後、別れた。 たまに、あの甘い味付けのほうれん草のお浸しを食べると、六畳一間の アパートで小さいテーブルを囲んで食べた朝食を思い出す。 このこと、今付き合ってる彼女には内緒ですけど。
76 :
>75 :2000/08/05(土) 00:00
それ、「ほうれん草のごまよごし」と言いませんか?普通は。 それだけの質問。
77 :
名無しさん@1周年 :2000/08/05(土) 00:10
>76 ああ、そう言うんですか。勉強になりました。
78 :
恋はメキメキ :2000/08/06(日) 15:34
高校3年の頃、オレの小遣いは月5000円だった。 夏を迎えようとした頃、とても好きな女の子が出来た。 今までだったら遠くから眺めるだけだったのに、 なぜか変な勇気が出てきて、告白した。 初めてのデートは映画館だった。 (今日はおごらなけりゃな。) そう思い込んだオレは、映画の券に、コーラ&ハンバーガー、 そのあとのゲーセンまで全部おごった。 彼女とサヨナラした後、サイフの中は100円玉がひとつだけ。 緊張から開放された帰り道、自動販売機で缶コーヒーを 買って飲んだ。 美味かった。 情けなかったけど、やっぱり美味かった。
79 :
名無しさん@1周年 :2000/08/06(日) 16:40
私が中学2年の時。 悪性リンパ腫で入院してた母は私が近くのうどん屋から買ってくる 鍋焼きうどんをとても楽しみにしていました。 もちろん病院には内緒だからケーキの箱に鍋焼きうどんを 入れてこっそりと持ちこんでたんです。 その日も母は鍋焼きうどんを私に頼みましたが友達と約束が あったかなんだかで私はさっさと帰ってしまいました。 最初は余命数ヶ月と宣言されたんだけどその頃は自宅療養も期待できるとか 医者に言われるほど良くなってたので気が緩んでたのかもしれません。 結局生きてる母を見たのはその時が最後になってしまいました。 亡くなった母を自宅に連れて帰る事になって途中で何故か 親族一同うどん屋に寄りました。 皆朝から何も食べてなかったし家まで車で3時間はかかるし..これから 通夜だ葬儀だで忙しいぞっと腹ごしらえをする事になったのです。 子供心にお母さんが死んだのになんで皆食欲があるんだろうと 怒ってました。 姉にちゃんと食べるように言われてそばを注文しました。 うどんは母に買ってあげなかった事を思い出して頼めなかった。 外は梅雨時だったいうのに嘘みたいに晴れていて 悲しいはずなのに皆ちゃんとご飯が食べられて。 あの時複雑な思いのまま食べた昼食は忘れられない。 あれから18年間うどんは一口も食べていません。 死ぬまで食べないと思います。 今でも自分の薄情さを後悔してる。
80 :
名無しさん@1周年 :2000/08/06(日) 17:57
>79 うどん喰ってみたら。 つらいんだろうけど、喰ってみた方がいい気がする…。
あげとく
82 :
名無しさん@1周年 :2000/08/07(月) 21:22
>78 短編映画を見せてもらったような感じです。 缶コーヒー・・目に浮かぶようです。私も思い出したことを1つ。 昔ちょっとしたきっかけで、仲良くなりかけた男の人と初めて映画 を一緒に見た。その後お茶ぐらい飲むものと思ってたのに彼は何にも 誘ってくれず、(私も緊張していたので何も言えず)そのまま別れた。 お茶も誘ってくれない魅力のない女の子なんだ・・と何だか悲しくて 疲れも出てお腹も空いちゃって一人で入って食べたのが京風らーめん。 味は覚えてないけど、その時のことは今も思い出せる。 その後一度、電話があって彼も緊張してエスコートできなかったこと詫びてた。 私は陽気にハイテンションで応対し、それきりになりました。
83 :
名無しさん@1周年 :2000/08/07(月) 22:03
>79さま 初めてここに来て、読ませていただき、涙が止まりません。 普段私達がなにげなく食べているおうどんに、そんな思い出があるなんて・・・。
「おうどん」って… プッ
85 :
名無しさん@1周年 :2000/08/07(月) 22:36
>84 別におかしな言い方じゃないと思うけどな。普通だよ。
書き言葉だとね…
87 :
名無しさん@1周年 :2000/08/08(火) 12:46
当時わたしの勤めている会社は、1階に銀行があるビルの6階にありました。 その日は、彼氏と外でランチをする予定でした。 お昼休みになり、各階で停まるエレベーターがイヤで、階段を駆け下りていたら、 とても寒いその階段で、銀行の警備員のおじいさんが、お弁当を食べていました。 なんで、こんな寒いところでお弁当食べなきゃならないの?お昼くらい、あたたかい ところで食事ができるようにしてあげてよ!と、銀行が恨めしく思いました。 とてもブルーな気持ちになったのですが、ちゃんとお弁当を作ってくれる家族がいるから このおじいさんはしあわせだと思うようにしました。 でも、それ以来、どんなに急いでいてもエレベーターで降りるようになりました。 なんとなく、書きたくなったので書いてしまいました。 ズレててごめんなさい。
88 :
名無しさん@1周年 :2000/08/08(火) 14:36
むかーし、ウチのじーさんがたまに買ってきてくれたアイスキャンディ。 仕事の帰りに買ってきてくれていたらしい。 とにかく甘くって美味くって、4本食って腹を壊した覚えがある。 そんなじーさんももうすぐ90歳。 どこにあのアイスが売ってたのかボケるまえに問い詰めよう(笑) ・・・もう店自体ないかもしれないけど(^^;)
89 :
名無しさん@1周年 :2000/08/08(火) 20:54
>79 うどんかぁ・・・ 前にも書いたけど、お盆とかに親戚連中が集まると俺たち子供は いっつもうどんと天ぷらと五目ご飯だった。 向こうのコタツで晩酌しつつ美味しそうにお刺身とかつついている おじさん達がちょっと羨ましかった。 お酒を飲みたいとは思わなかったけど。まずそうだったし。 その後、俺も子供たちもみんな大きくなって独立して、いつしかお盆に集まる こともなくなった。けど、この間おじさんがガンで死んだので 集まった。 今度は、俺らがコタツに座ってお酒を飲んだ。お刺身も食べた。 でも、向こうを見てもこっちを羨ましそうに見ながらうどん食べてる 子供は居なかった。 ちょっと悲しかったね
90 :
親戚が集まると・・・ :2000/08/08(火) 22:54
ちょっと裏口に顔を出しただけでも引きずり込まれるんですよ。 「まー元気!? うどん食べていきんさい!(広島弁)」 「いや、今ラーメン食べてきたんで」 「まあまあ、ホラ!」 「はあ……(席につく)」 「はい、もぶり(散らし寿司)も!!」 「いやっ、これ多……」 もういなくなっているおばちゃん。仕方なくうどん完食。 「まあまあ来とったんね! はいソーメン!」 「あ、いやさっきうどん食べ……」 ――もういないよおばあちゃん。 一食で炭水化物を4つも摂るなんて。 でもだし色に染まった玉ねぎののった煮ソーメン、 魚のアラののったうどん(包丁切り)、冷えて固くなったもぶり……。 忘れられません。そして被害は次世代に。
91 :
名無しさん@1周年 :2000/08/09(水) 01:36
>90 自分達の世代が子供作ったらそうなるかも? いい話をありがとう。自分も親戚多いので共感するよ。
92 :
名無しさん@1周年 :2000/08/13(日) 08:49
お盆あげ。
93 :
>76 :2000/08/17(木) 03:46
「ごまよごし」なんて初めて聞いたぞ。 うちの地方は「ごま和え」。
94 :
名無しさん@1周年 :2000/08/19(土) 21:06
age
95 :
落語ファン :2000/08/19(土) 21:24
>76さん ウチは東京だけど「ごま和え」だなぁ。 落語「夏の医者」に、「チシャのごまよごし」ってのが出てくるので初めて知った けど、この落語の舞台は田舎です。
96 :
モトイタ :2000/08/22(火) 18:10
ボーイスカウトのキャンプに行った時に、近くの宿舎に泊まっている カブスカウト(ボーイスカウトの小学生達)を晩御飯に招待するってんで、 米8合位のピラフを炊いたら、蓋が盛りあがってビックリした。 あんなに膨らむとは...
97 :
名無しさん@1周年 :2000/08/22(火) 18:21
>93 うちの田舎は(北陸)ごま汚しがなまって「ごまえごし」 になっている。
98 :
名無しさん@元割烹従業員 :2000/08/22(火) 18:56
割烹で働いていた頃に「ごまよごし」と「胡麻和え」の違いって?と 板長に聞いたところ「ゴマの量」って返事が返って来ました。 胡麻和えは、大量に使って、胡麻よごしは風味付け程度だって
99 :
名無しさん :2000/08/23(水) 15:25
今から18年前、祖母の告別式で親戚のうちで食べた 塩だけのおにぎりが忘れられない。 妙においしかったのと悲しいのとで、今でも覚えている。
100 :
ハンバーグ事件 :2000/08/23(水) 23:37
高校一年の時大好きだった片思いの大学生と食事に行くことになった。 二人ではなくて5、6人だったと思うけど、 その頃の私はとても恥ずかしがり屋で 好きな人の前で食事するなんて死にそうなくらいの大事件だった。 ハンバーグ屋に入って注文をしたんだけど、 美味しいのに緊張して上手く食べられないし 言葉もでてこなくて黙々とお肉を口に運んでいたら、 そんな私の気持ちをしらない大学生の1人に 『不味いなら食うなよ』と言われた。 その時はもう死んでしまいたいくらいショックだったけど、 それから数年たった今、 私は誰の前でも「美味しそうに食べるね」と言われるようになれた。 あの時の彼に感謝・・・かな。 ちょっと苦笑いしてしまうけれど、 恋に恋していた時の淡い思い出です。
101 :
名無しさん@1周年 :2000/08/28(月) 01:08
ゲイアー
102 :
合宿の思い出その1 :2000/08/28(月) 17:56
中学の時の美術部合宿で、来てた部員全員で交代で食事を作ることになった。 最終日の昼に私と他3人でカレーを作ることになったが、水加減を間違えたのか ご飯はべちゃべちゃだし、肝心のカレールーは、具を炒める手間を惜しんで 水から煮立てた上に固形ルーが足りなかったので、やけに水っぽいカレースープ もどきになった。全員で渋い顔をしてカレーを食べた。
103 :
合宿の思い出その2 :2000/08/28(月) 18:12
帰りに駅の自販でつぶつぶオレンジジュースを買って水筒に中身を入れ、 鈍行列車の中で喉が渇いたので、飲もうとして栓をゆるめて水筒を 傾けたけど出ない。何でだと思って栓をゆるめにしてまた傾けると… 出なかったのはみかんのつぶつぶが詰まっていたからで、水筒から 大量のジュースと詰まっていたつぶつぶが決壊した堤防のようにふきだし、 私の服はジュースと粒まみれになった。
104 :
名無しさん@1周年 :2000/09/01(金) 03:49
20の時、蕎麦屋を経営していた叔父さんが自ら生命を経ってしまった。 その日会社で仕事してて、母親づてに上司から連絡を受けてビックリしてしまった。 どうして、なんで…?先週お父さんと2人で昼食を食べにいった時は、 ニコニコ笑いながら「また食べにおいでよ」と言ってたのに…。 その時叔父さんは家庭が上手くいってなかったらしい。遺書は残ってなくて、発作的に 衝動的に逝ってしまったみたい。 葬式が終わった後、親族は皆叔父さんの店に集まった。 厨房はそのまま開店出来る状態になってて、冷蔵庫には仕込みの終わった 蕎麦や海老がそのまま残ってたって。 叔父さんの一家は全員蕎麦屋を経営してて、当たり前だけど顔の作りも皆似ているのね。 叔父さんは兄弟の末っ子で、お兄さん達が叔父さんが最期にうった蕎麦を皆にふるまおうって事になって…。 なんだかもうこの世にいない人がうったお蕎麦を食べるっていうのが不思議な感覚だった。 皆で食べたお蕎麦、美味しかった。その席で叔父さんのお兄さんがポツリと 「この蕎麦茹でてる時、なんだかオレは泣けてきてたまらなかった。」と言ってた。 あの時食べた叔父さんの最期のお蕎麦の味、忘れられない。
105 :
もぐもぐ名無しさん :2000/09/03(日) 20:51
感動話じゃないけど、 小学3年生のころ、怪獣大辞典という本が好きで好きで毎日のように読んでいた。 その本には「視肉」という、人をとりこにするほど美味しい肉の話があって、 怖いけどいつかは食べたい、と思っていた。 ある夕飯の時、どういう風の吹き回しか両親にサンデーサンにつれていってもらった。 そこで、頼んだジャーマンハンバーグセット(ハンバーグにベーコンを巻いた料理)を 食べたおいしさ。記憶は美化されてるだろうけど、ジューシィで焦げ目も適度についていて、 きっと「視肉」ってこんな味なんだろうな、と感動したんだ。 これが生まれて初めてのファミレス体験だった。 そんな自分も今では毎週のようにファミレスに行っている。 あんなに高級におもえた場所だったのに。
106 :
もび :2000/09/29(金) 14:33
part1のほうに書き込んじゃいました。こっちもあげときましょう。 俺の食べ物に関する最も古い記憶は、5歳の頃おばあちゃんが作ってくれたオレンジジュース。 みかんを布に包んで手でギュッと絞るだけの、単純な生ジュースだったが、 相当気に入ってたらしく、毎日のようにおねだりしていた。 しかし、味は全く覚えていない。
107 :
もぐもぐ名無しさん :2000/09/29(金) 17:38
高校の時、部活の3年送別会でディズニーランドに行ったんだけど、 同学年の男女の仲が悪くて、男女別で行動する羽目に。 野郎8人ぞろぞろと、何を思ったかちょっとお洒落なレストランに入っちゃって、 丸いテーブルの中央に、ランプで薄明かり。 その周りに学生服の男が8人。 飯に味が無い!と言って、ローストビーフのたれをかけたり、 金が無いからと一人だけケーキセットだったりと、灰色の高校ライフ。 今となってはあれも青春。
108 :
美香 :2000/09/29(金) 23:01
忘れもしない、93年の一月。 お正月も過ぎて、仕事も始まり、疲れて家に帰ってきたら 家族がみんな出かけてて誰もいなかった。 食卓の上には夕食として焼肉が。1人でじゅうじゅう焼いて食べたよ。 しいたけを焼いてたら・・・虫が這い出してきた。 私は虫が大嫌い!!!勇気をだしてまた違うしいたけを焼いたら また虫が!!! ・・・もうそれ以来、焼いたしいたけは食べられない・・
109 :
周脱税店 :2000/09/30(土) 02:03
以前、横浜馬車道の生香園で酷い目に遭った。 いつもは麺類だったのだがその日は何故か炒飯を注文した。 一番テーブルで本を読んでいたのだが中々来ないので 時計を見ると35分も経っていた。その内、厨房の方から一番はどうこうと 云う声がし、店の婆さんが来てこうほざいた。 「いま、作っているのですが注文は何でしたかね」 作っているならそれを早く持って来いと思ったが素直に答えてやった。 その後、五分もしない内に品が出てきた。 それは炒飯というより油飯というものでした。 昼休み時間も残り少なく仕方なく食ったが、最後まで店の連中の詫びの言葉は 無かった。テレビに出るより店員教育を確りしろ、三男。
110 :
けいさ :2000/10/01(日) 18:00
7年前、私が小5だった秋。 1週間ほど音信不通だったお父さんが突然帰ってきて、私に「パパとお母さんは別れるからな」っていいました。 お父さんはその年の夏休みに帰った田舎で昔の彼女と再会し、浮気したんです。 その彼女は他の男の人と結婚するかしないかっていう時だったんですが、お父さんはその彼女が結婚してもしなくても、今の職も捨て、私たちも捨て、彼女を見守りたいといったんです。 私はお父さんっこで、お父さんが大好きで、だからショックで泣いて泣いて、ご飯も食べられず、泣きながら寝ていました。 でもその後、お父さんはその彼女と話し合い、結局私たちを選びました。 それから、「ごめんな」っていって私とお母さんを抱きしめながら、一緒に泣きました。 お父さんが泣いたのは後にも先にもこの時だけです。 その後、なにも食べていなかった私たち家族はみんなでご飯としょうが焼きを食べました。 これが私の思い出に残る食事。
111 :
もぐもぐ名無しさん :2000/10/03(火) 02:37
感動的じゃなくて申し訳無いけど、110さんの書きこみ見て思い出したので書く。 小3だった頃の、ある日曜の夜、家族でいつものように夕食を食べた。 シチューだった。シチューが大好きな私は当然喜んでいた。 しかし、半分くらい食べた頃、突然母が「お父さんとお母さん、離婚するから」と 言った。その後、私達には知らせてなかったが、父にはギャンブル癖があり、 家族に隠れて多額の借金をしていて、止めるように約束させても何度も裏切られ、 もうこれ以上一緒に生活していけない、という事を母が言った。 父は黙ってうつむいたまま聞いていた。そして最後に「お父さん、出ていくから」と 言って、そそくさと車に乗って家を出て行ってしまった。 出ていく父の背中を呆然と見送った直後、強烈な吐き気におそわれて、 食べたシチューを思わず戻してしまった。 母は黙って掃除してくれた。私は泣きながら「ごめんなさい」と謝り続けた。
112 :
もぐもぐ名無しさん :2000/10/03(火) 02:37
感動的じゃなくて申し訳無いけど、110さんの書きこみ見て思い出したので書く。 小3だった頃の、ある日曜の夜、家族でいつものように夕食を食べた。 シチューだった。シチューが大好きな私は当然喜んでいた。 しかし、半分くらい食べた頃、突然母が「お父さんとお母さん、離婚するから」と 言った。その後、私達には知らせてなかったが、父にはギャンブル癖があり、 家族に隠れて多額の借金をしていて、止めるように約束させても何度も裏切られ、 もうこれ以上一緒に生活していけない、という事を母が言った。 父は黙ってうつむいたまま聞いていた。そして最後に「お父さん、出ていくから」と 言って、そそくさと車に乗って家を出て行ってしまった。 出ていく父の背中を呆然と見送った直後、強烈な吐き気におそわれて、 食べたシチューを思わず戻してしまった。 母は黙って掃除してくれた。私は泣きながら「ごめんなさい」と謝り続けた。
スマソ...
114 :
もぐもぐ名無しさん :2000/10/04(水) 02:05
去年初めて「クリスマスのケーキ屋さん」を体験しました。 いま働いてるケーキ屋は、デパ地下のテナントなので 1日の平均売り上げが大体15〜20万くらい。 クリスマスの売り上げとなるとその10倍以上になります。 スタッフ8人全員が、早朝の支度から夜10時の翌日の準備に至るまでフル回転。 すさまじい忙しさで、槙原の歌みたいに感傷にひたってる余裕なんてありません(笑) たしかクリスマス3日間、1日の平均シフトは13.5Hくらいだったと思います。 デパートが閉まって明日の準備を皆でするの。ケーキつくったりリボンかけたり。 終わったあとは足は棒みたいどころか、痛くてひきずって歩くくらいでした。 従業員用の自動販売機でお茶を買って、クリスマスケーキを2、3ホール 休憩室に持っていって皆でフォークでつついて食べました。 …美味しかった!! 皆クタクタだけど、なんだか晴れ晴れしたような心地よさみたいなのもあって …一応いい思い出かな? でももうあと2ヶ月でクリスマス…。
115 :
もぐもぐ名無しさん :2000/10/04(水) 02:09
去年初めて「クリスマスのケーキ屋さん」を体験しました。 いま働いてるケーキ屋は、デパ地下のテナントなので 1日の平均売り上げが大体15〜20万くらい。 クリスマスの売り上げとなるとその10倍以上になります。 スタッフ8人全員が、早朝の支度から夜10時の翌日の準備に至るまでフル回転。 すさまじい忙しさで、槙原の歌みたいに感傷にひたってる余裕なんてありません(笑) たしかクリスマス3日間、1日の平均シフトは13.5Hくらいだったと思います。 デパートが閉まって明日の準備を皆でするの。ケーキつくったりリボンかけたり。 終わったあとは足は棒みたいどころか、痛くてひきずって歩くくらいでした。 従業員用の自動販売機でお茶を買って、クリスマスケーキを2、3ホール 休憩室に持っていって皆でフォークでつついて食べました。 …美味しかった!! 皆クタクタだけど、なんだか晴れ晴れしたような心地よさみたいなのもあって …一応いい思い出かな? でももうあと2ヶ月でクリスマス…。
116 :
もび :2000/10/07(土) 13:19
今帰省中です。 母が仕事終えてもうすぐ帰ってくるので、 得意のマーボ豆腐を作る準備をして待ってます。 おいしいって言ってくれるかなー? 思い出じゃなくてごめんですが。。
117 :
もぐもぐ名無しさん :2000/10/09(月) 00:40
大学に入って念願の一人暮らしを始めた。 引っ越したばかりの頃は部屋に何もなく、恋人もいなくて6畳1間なのに妙に寂しかった。 この頃はなぜか粉末のコーンスープばかり飲んでいた。 一人でテレビを見ながら寂しい気分になる。 粉末のコーンスープを飲むとそのときの寂しさを思い出す。 でも今は彼女もできて部屋も散らかっている。 もうすぐ卒業だから部屋を片付けようと思う。 そのときにまたコーンスープでも飲もうかな。
118 :
ハッカーじゃないほうの山田 :2000/10/12(木) 01:49
age
119 :
もぐもぐ名無しさん :2000/10/12(木) 10:37
進学で上京して、初めての一人暮らし。ついでに自炊も初めてで、 新しいフライパンを使う前に「空焼き」しなきゃいけないの知らず、 毎日毎日ご飯をチキンライスの素で炒めて、「鉄くさい」まずーーい チキンライス食べてた・・今もチキンライスの素を見ると、反射的に 口の中に鉄の味がよみがえる。6畳一間の窓から、青い空を見てたときの 頼りない心細い気持ちとかも。
いい話ばかりの中恐縮ですが、オレも一つ オレの母親は料理が嫌いだった。ただ親父がうるさいので作業的に作るだけだった。 食うときも皆一言も喋らず黙って食った。適当に作ってるんで味も良くない。 母親は感極まってくると食後の洗い物をしながら『なんでこんなことしないといけないのか』 と泣き出す始末。その度に親父が適当になだめるといった風だ。 毎日食事が嫌でしょうがなかった。 小学生の時に先生にその話をしたら家まで来て話し合ってくれたが、母親は理解できなかったようだ。 社会人になり速攻家を出て一人で気兼ねなしに食事をしたときのうれしさったらなかった。 親も年をとり寂しくなったのか家に戻って来いと言うが、元気な頃はうざそうにしていて テメエが寂しくなった時だけ戻って来いなどとは身勝手にも程がある。 オレは母親、父親ともこれから一生一緒に食事なんかしてやらねえ。 その理由も教えてやらねえ。バカだから理由なんて気づかないんだろうな。 まあ、こんな話もあるってことだ。すまない。
121 :
もぐもぐ名無しさん :2000/10/25(水) 22:51
age
122 :
もぐもぐ名無しさん :2000/10/26(木) 03:05
うちは3人兄弟。兄私弟で女は私1人だけ。 子供時代躾は普通にうけたけど、たまにどうにも納得いかなかったのが 「食事の支度」かな。 親の教育方針が「男子厨房に入るべからず」的なところがあって、 台所関係はすべて女まかせなところが気にくわなくて。 祖母はいわゆるお嬢様育ちで家事は一切出来ない(しない)し、 母も父も共稼ぎで、必然小学6年くらいから夕食担当は私の仕事に。 学校の帰りにスーパーに寄って食材を買う途中、ネギの入った袋を指さして からかう同級生がいたっけ。「あんな子の言うこと気にしちゃダメよ」と なぐさめてくれるスーパーのおばちゃんの言葉だけが嬉しかったな。 家族は「やって当然」みたいな態度ばっかりで私が食事の支度してる隣の部屋で ゴロゴロころがってテレビ見てる兄弟見てると殺意おぼえた事もあったもん。 小学生のつくる夕食だから、手際も良くなかったしあんまり美味しくも出来なかった。 ある日いつものように食卓にカレー出したら、兄が 「カレーばっかで飽きた。焼き魚つくってくれ」と言い出して、 ぶちきれて泣いたことあったな。 「なんで私ばっかりこんな事しなきゃならないの!」って。 そのまま押し入れに飛び込んでしばらく泣きつづけた。押し入れの向こうからは 「こんな事くらいで泣くなんて、バッカじゃねえの」と兄の声。 『家事は女がやって当然』思考の家庭じゃ私の言うことはただのワガママ。 誉めてくれなくても、せめてお皿一枚でも出してくれる心使いが家族にあれば あんなに荒む気持ちで食事を作ることもなかったのかな…なんて思ったり…。 いまは皆バラバラに住んでるんだけど、たまに家族全員そろったりすると 兄弟がせがむ食事のメニューは『私のつくるカレー』。 母のカレーじゃ満足出来ないんだって(笑)
123 :
もぐもぐ名無しさん :2000/10/26(木) 03:46
>>122 最後の3行で救われたような気もするけど、ヒドイ話だ。
122さんのお家ほどではないけど、やっぱり食事の支度や皿の
上げ下げは弟はしないな。彼が一人の時は自分で作るけどね。
でも皿はシンクにつけっぱなし。一人分だったら洗えよ!って
感じ。ついでにいうと洗濯を取り込むこともしないな。
早く結婚でもして、嫁に鍛えてもらえよ!と思う。
124 :
名無しさん :2000/10/26(木) 04:43
いろんな人がいるのですね… 私(女)はひとりっこで、大学で家出るまで皿も洗ったことが なかった。お嬢様とかじゃないけど。 一人暮ししてからは、初めてゴハン炊いたり卵焼きつくったり、 けっこう楽しくて、毎日料理するようになったのでそれなりに 上手になった。電子レンジやオーブンもそこそこ使いこなせる。 久し振りに帰省したとき、家でとれたイモをふかそうとしてた んだけど、私が電子レンジのほうが早くできるよ、と言ってやって みせると家族全員しきりに感心している。なんか偉くなったような 気がする一方、哀しくなってしまった。祖父母は(うちは共働き なので、母親は料理しない)ずっと同じ生活を繰り返してるんだなあと。 ちなみに、イモはやっぱりちゃんとふかしたほうが美味しいように 感じた。それから、5人用のフライパンを私は持ち上げることが できなくて、結局料理の腕を披露することはできませんでした。
125 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/10/26(木) 07:10
うちは一人っ子だけど両親共稼ぎ核家族だったので、 子供の頃から食事は子供も作って当たり前だった。 しかし母親と父親と私で皆こだわるところが違って、 よく言い合いになったな。(笑) おとんの理想は会席みたいに少ない量で沢山の皿数。 おかんの主義は安くて早くて作るの簡単、とにかくボリューム。 私の目指す所はせめて下地だけでも本格志向。
126 :
もぐもぐ名無しさん :2000/10/26(木) 08:44
もちろんage
127 :
名無しさんよん :2000/10/26(木) 09:23
俺は男だけど、小学生から台所を手伝ったよ。 手伝えば、おやつとかおかずの量が増える実益もあったけどね。 姉さんの食事当番のときに手伝うと特によかった(笑) 今じゃコックだもんな、俺。 今日は定休日なので、2ちゃんにのめり込み。
128 :
素敵な話ばっかりだ・・・ :2000/10/26(木) 12:34
私もそれじゃ少しだけ・・・ それは今年のバレンタインの時の話。 遠恋の彼女と前日までの三連休を利用して、ちょうど間ぐらいの 大阪で逢う予定でいた。でもそのころ彼女の仕事がとても忙しくて 毎日朝方まで・・とかしてるような時で1日休みを取ることも不可能に なってしまった。それでも仕事が終わってからと次の日の午前中まで 時間がとれたということで急遽彼女のとこまで行くことにした。 逢いに行く前日彼女の仕事が終わったのは朝4時だった。 当日、仕事が終わる彼女を待ち・・幸せデート♪ そのとき手をつないだら彼女の指にカットバンが。 聞いても「平気、大丈夫だよ♪」としか言わなかった。 夜ごはんも食べ彼女の部屋に帰りゆっくりしていたとき 彼女が冷蔵庫からチョコレートを出した。 「1日早いけど、どおぞ♪包装する時間はさすがになかった(笑) じつは昨日これ作るときに指切っちゃった。」 って、、お世辞にも器用とは言えない彼女が・・眠る時間をなくしてまで 一生懸命作ってくれた。私が苦手なレーズンも入ってたけどそんなの ぜんぜん関係なくとてもおいしくて、なにより彼女の気持ちがすごい嬉しかった。 忙しい中プレゼントまで買ってくれてたし・・・。 次の日、彼女に空港まで見送ってもらい 「じゃ次は3週間後♪」と言って彼女は仕事へ そのときは彼女を連れて一緒に帰りたくてしょうがなかったな。 結局その彼女とはそのあと親とか距離、仕事とかで 逢うこともなく別れてしまいました。 まだ引きずってるってのが本音ですけど・・ あのチョコレートの味は一生忘れないと思います。
129 :
もぐもぐ名無しさん :2000/10/26(木) 18:00
下がってる!大変!!
119から120の間約2週間あいてるんだから、 書くこともないのに無理に上げなくてもいいよ。
131 :
もぐもぐ名無しさん :2000/10/26(木) 22:14
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑ あ〜あ、やっちゃったね。 せっかく盛り上がってたスレッドなのに、あんたのレスで台無しだよ。 なんでここで、そんなレスしかできないわけ? 空気読めないの? だから君は駄目な奴だって言われてるんだよ。 わかってるの? それにしても、もったいないなあ、せっかくここまで育ったスレッドなのに。 ここまででおしまいかよ。 まあ、しかしやっちゃったものをしょがない。 これからはもうちょっとマシなレスするように心がけろよ。
132 :
>131 :2000/10/26(木) 23:09
オマエガナ
133 :
>132 :2000/10/26(木) 23:25
コピペにいちいち反応しない!
134 :
>133 :2000/10/26(木) 23:43
お前もな。
過去ログ見れないぞ。少しづつ読んでたのに。
>>135 geocitiesが調子悪い。しばし待つべし。
137 :
もぐもぐ名無しさん :2000/10/27(金) 12:29
ageないと・・・。
138 :
名無しさん@1周年 :2000/10/27(金) 13:01
あげあげ
139 :
もぐもぐ名無しさん :2000/10/30(月) 10:22
age
140 :
もぐもぐ名無しさん :2000/10/30(月) 11:07
hage
141 :
もぐもぐ名無しさん :2000/10/31(火) 00:41
彼女と付き合い出して間もない頃。 俺の母親が一人暮らしの俺ん家に遊びに来たついでに、台所用品一式揃えてくれた。 彼女の手料理食べたくてずっと頼んでたんだけど、彼女ずっと実家で料理は全くダメ。 ある休みの日、俺のバイトが昼で終わるんで、その後彼女と逢う約束してた。 バイト先で彼女の車に拾ってもらって、お昼どきだから彼女が「ご飯食べた?」って聞いた。 本当はその日も彼女に料理作ってって頼んでたんだけど、なんかはぐらかされちゃってて ちょっとムカついてたんで、「もうバイト先で食べたよ。お前全然作る気ねーんだもん。 女だったら料理くらいできねーとさー。」とかなんとか色々嫌味っぽく言っちゃったんだよ。 そしたら、いつもは気が強くてあーだこーだ言ってくるくせにその日は「食べたんだ。」で 終わっちゃって。でもまぁ気にしなかったんだ。 で一通り遊んで俺んちまで送ってもらって別れ際(次の日彼女早かったから帰るつって)、 俺んちにあったいらない本棚みたいな小さいボックスを彼女にあげる約束してたんで、 車の後ろに積もうとおもったら、高部座席に藤(?)で出来た籠があった。 本棚入れるためにどけようとしたら、彼女が「あ!それ横にしちゃダメ・・・!」って。 「あーごめんごめん。あれこれ、昔(まだ友達の頃)みんなでピクニック行った時に持ってきた やつじゃん?」 その時、ふと、あの弁当の独特の臭いが鼻をかすめた。 「・・・ん?・・・・これって」って籠を触ろうとした。 「ちょ、ちょっと、何でもないって!」つってカゴを押さえつける彼女をどかして開けてみると、 そこにはいくつかのタッパーと彼女の好きなミッフィーの弁当箱とラップに包まれたおにぎり。 「これ・・・?」「や、なんでもないって!」 「だけど、これオマエが・・」「違う!もう帰るから!じゃね!」 車に乗ろうとする彼女引きとめて、んで興奮する自分押さえて優しく 「これ、お前が作ってくれたんだろ?」 その瞬間、彼女の顔がふにゃってなって、多分ずっとこらえてた涙がもう、ブワっと。 俺が結構質のいいレストランでバイトしてたこともあって、どうしても比べられるのが イヤだったんだそうだ。しかも俺その日に限って色々嫌味言っちまって。 言い出せなかったんだろうな。まぁベタな話しかもしんないけど。 確かにすごく美味いとは言えない弁当だったが、これ以上幸せなメニューはどこにもない と思った。
↑ごめん、なんかかゆい…この話。
143 :
もぐもぐ名無しさん :2000/10/31(火) 09:15
ドラマのようなほんとのはなし?
>>141 なんか、変な鳥肌立っちゃった。
結構今までこのスレで感動してきたのになんでだろ。
俺にはクサすぎるんだな、きっと。
>>144 文体見て気付けよ、このスレに自慢タラタラ長文かいてるのは4人だけ。
いくらお涙頂戴の臭い妄想話が得意でも、これだけ続けれればネタも無くなるって。
前スレの盛り上がりと感動が懐かしいね。
147 :
128 :2000/10/31(火) 12:40
>>145 え!ほんとに4人だけなんですか?最近ここ見つけたもので。。。
でもうそみたいなホントの話ってありますよね。
作り話でも共感できるものがあればいいじゃないですか。
148 :
104=122 :2000/10/31(火) 22:59
え?4人だけ?てことはあと3人だけで回ってたんですか? 自慢タラタラ…そうか長文で書くということは 自慢めかしてるように見えるのですね…。ちょっと勉強になりました。 反省します。不快な思いさせてすみませんでした…。 でも私のは本当の話で、妄想でも何でもないんですけど…。
149 :
もぐもぐ名無しさん :2000/10/31(火) 23:56
>>145 お前は人が悪すぎるよ。
たとえほんとうに4人でまわってたとしてもね。
4人ってことはなくても、最近書き込みしてる人達ってほとんど固定しちゃったみたいだね。 ずっと同じ文体で書いてる人何人もいる、前スレの終わりのほうからは人が 減ってきちゃってたからすぐ判るよ。 同じ人が何度も書いちゃだめだとは言わないけれど、でも似たような話を何度も 繰り返えされるのは、感動の押し売りみたいでなんだかちょっと嫌。
151 :
名無しさん@1周年 :2000/11/01(水) 04:21
昔の彼氏と同棲めいたことをしていたとき。 二人とも貧乏で、良く作ってたのが安くて簡単にできる 「マーボー豆腐」だった。 生活がだんだん苦しくなってきてお互いを罵り合う日が 増えてきたある日、「マーボー豆腐」を作りながら大喧嘩に なってしまった。 その日の当番は彼氏で、怒りに我を忘れた彼氏は作った「マーボー豆腐」を ゴハンにかけて全部食べてしまいました。 朝から何も食べていなかった私は号泣。しばらく泣いていると彼氏が家から 出ていってしまいました。 『もう彼とは終わりかな・・・。』そう思っていると彼氏が帰ってきました。 手には絹豆腐。そして黙ってもう一度「マーボー豆腐」を作り、ボウルに入れて 渡してくれました。 仲直りできた安心からか泣きながら食べました。 あの味はちょっと忘れられない。おいしかった。 ・・・でも今思うと、なんて貧乏でせっぱつまってたんだろう。 恥ずかしい^^; 当時高3。一週間まえ20歳になりました。
152 :
Eye :2000/11/01(水) 05:30
人間関係も最悪で毎日遅くまで残業が続いた会社をついに辞める ことになった日。最後の仕事を終え彼氏の家に直行。そしたら 彼氏が「お疲れ様」と言って夕食を作って待っていてくれた。 スーパーで買ってきた恐竜のカタチをしたナゲットを暖めただけ のおかずだったけどなんかかわいくてすごくほっとした思い出が ありました。。。
まだ懲りてないな自作自演厨房 ちょっとは文体変えろよ、バレバレだぜ
154 :
128 :2000/11/01(水) 19:13
>>153 ほんとにそうなんですか?
文体が似てるだけってことはないんですか?
私にははっきりわからないから強くは言えないけど
なんか自分の想い出もけなされてるようで感じわるい・・
書かなければ良かったとも少し思った。
書き込んだのは自己満足だったのかもしれない。
でもなんか悔しかった・・・。
たとえ作り話でも私はもっとたくさんの話聞きたいです。
>>151 >・・・でも今思うと、なんて貧乏でせっぱつまってたんだろう。
ドキュンだから。
156 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/01(水) 22:50
小さい頃、お母さんが誕生日に買ってくれたケンタッキーフライドチキンが すごくおいしかった。今食べてもそんなにおいしくないのに。なんでだろ?
157 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/02(木) 00:22
昔の思い出を懐かしむ、っていう事になると 誰でも多少は似た感じになるんじゃないの? まして、文章にしちゃうとなおさらね。 まあ、同じ人が書いたと思えるものもあるけど、 そんなに目くじら立てるほどじゃないと思うよ。
158 :
かちかち山@名無しさん :2000/11/02(木) 00:37
ごめん、俺麦の方が好み。
159 :
151 :2000/11/02(木) 04:59
>155 うん、私もドキュンだったとおもうよ(ワラ 私は書いたの初めてだよ。ずっとROM専門だった。
160 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/02(木) 19:14
ちょっと違うかもしれんけど、お菓子の話しです。 僕 は母親を早く亡くした鍵っ子でした。親父はいつも帰りが遅かったので、 家で淋しく留守番していました。毎日小学校から帰ったワタシは家の勝手口に 座り込んでぼーっとしてると、いつの日からか足の悪い汚い野良犬がすりよっ てきました。ヒマだったので毎日カリントウを2〜3個やっていました。その うちその犬は足を引きずりながら毎日来るようになりました。僕は当時淋しか ったので、そいつが来るのを毎日楽しみにしていました。ところがある日、親 父が早く帰宅したとき見つかってしまい、野良犬にエサをやるな!とこっぴど く怒られてしまいました。それでも犬は次の日からも毎日毎日やってきたので、 僕は泣きながら「もう来るな!もう来るな!」と犬を蹴飛ばしたので、そのう ちこなくなってしまいました。数日後、となりのおばちゃんがその犬にエサを やっているのを見ました。犬もすごく喜んでいたので、少し淋しい気持ちにな って、ちょっとだけ泣きました。
161 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/03(金) 05:25
本当にいいお話ばかりですね。感動しました。私も一つだけ。 遠距離恋愛を続けて半年後、やっと会える日が来ました。 (私だけかもしれないけれど)ずっと会いたくて会いたくて仕方なくて、やっと 会えたというのに、その瞬間には泣きそうで何も言えませんでした。 おなかがすいていたので私が前から食べたいと言っていた焼肉に行くことになり、二人で 歩いてお店にむかったのですが、やっぱりその間も何も話せないままで。 二人人気のないあまりはやっていない焼肉やさんに入って、コンロを真中にはさんで、 ビールで乾杯して、塩タンを焼き始めてやっと彼が、「会いたかったよ。」とぽつりと 呟きました。私もただ「うん。私も。」と言いました。 ずっとつきあってきたつもりなのに、やっぱり離れていたから彼が塩タンを食べられない ことも知らなかった。だけど彼は私が塩タンを好きって言っていたから頼んでくれた みたいでした。 その後ホテルの部屋に入って焼肉のにおい消しのガムを口に入れたままキスしたのですが、 その味のなくなったガムと、塩タンのことが今でも忘れられません。 色々あって別れてしまったのですが、今でも焼肉やさんへ行くとその時のことを 思い出します。情けないことに私はまだ彼のことが好きで、私ももう塩タンは食べられなくなって しまいました。思い出してしまうので。私が塩タンを見て彼のことを思い出すように、たまには彼も 塩タンで私のことを思い出したりするんでしょうか。そんなわけないか…。 以上長々とすみませんでした。
DollHouse NoahのNさんと2人で食事をした。 人形を受け取るのが目的だったが、 その時は、デートしているみたいで良かった。 始めて飲んだ紹興酒にハマッてしまった。
163 :
名無しさん@一周年 :2000/11/03(金) 22:43
実家の父は板前をしています。 料理をする人が他にいるので、大学に行く為にいえを離れるまで ごはんをつき売った事がありませんでした。 その上結婚も早く決まって、実家の父は私の手料理なんて食べた事がありませんでした。 時々実家に帰るけど、やっぱり父が包丁を振るうし 私の作ったものなんてまずいだろうなって思っていて 実家でも相変わらず料理をしていませんでした。 でも子供がせがむので、ケーキとかつくってお茶にしようとすると 甘い物なんて大嫌いなはずの父が 「やっぱりケーキには紅茶だ」なんて言ったりして、必ず一切れは食べてしまうんです。 そんな言葉を父から聞いた事のない私とは母はびっくりです。 普段離れている分、父のケーキを食べている姿が印象に残っています。
164 :
n :2000/11/04(土) 22:38
私の3歳上の従兄は約一年半前に癌になってしまった。 あまりのことに、私はしばらく病名を教えてもらえなかったほど。 でも手術の成功、必死の努力、周りの看病のおかげで 再発を恐れながらも、普通の生活ができるようになった。 (仕事などはまだだけど…) 実家に帰省した際に、その従兄の家に家族で遊びに行った。 従兄が突然「酒が飲みたいので買いに行こう」というので ふたりで近くの酒屋へ。ずらっと並ぶ酒の列。 「あーこれがいいよリザーブとかこのへん」と言う私に 「いや、待て。もっと高い酒にしよう」 と逡巡する従兄。 15秒後「おお、これにするかー」と彼が手に取った酒は ナポレオン。 「高えぇーよやめとけよホラ他にも酒なんかたくさんあるしっ」 とおろおろしまくる私を尻目に、 従兄はカゴの中にその重厚な雰囲気の箱を放り込んだ。 ひさしぶりに顔を合わせた親戚たちと酒を飲み、 他愛もない話でみんながいい気分になった。 つまみはベビースターラーメンだったりするんだけど… しかし・・・なぜ従兄は他にもたくさんお酒がある中で、 わざわざナポレオンを買ったのだろう?と思ったので聞いてみた。 「そりゃあ、ちょっとくらい無理してバカやったほうが、 思い出に残るだろ」 私はほろ酔いながらも、一瞬にしてその言葉の重さにつぶれそうになった。 「あーそかそかー残るわなーというわけでもっと飲めー」 「バカやろう俺は病み上がりなんだぞもう一杯くれー」 どうしようもなくてそのまま酔ったふりをしていた。 病気の再発を恐れている人間が、少し高い金額を出して酒を買って飲む。 それは端から見れば突拍子もないことに見えるかもしれない。 無理してバカなことを、と思われるかもしれない。 だけど。 従兄はみんなが笑いながら美味しい酒を飲み、 それがいい思い出になるということにお金を使ったのだ。 それからは、ナポレオン自体はご縁がなくてあまりお目にかからないが ベビースターラーメンを見ると従兄の体調がすごく気になって、 なんとなく電話してみたりする。 元気かな。
165 :
n :2000/11/04(土) 22:39
長くなってしまいました。 ホントごめんなさい。
166 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/06(月) 23:06
age
167 :
R :2000/11/07(火) 15:42
みなさんのお話を読んでいて、初恋の人を思い出したなぁ・・。 初恋は高校生の時で、相手は一番の親友の男の子。 彼も私のことを一番の親友に思ってくれていた。 でもだからこそ、恋愛対象には見られなくて。 私の気持ちを知らない彼は、毎日私に好きな女の子の話をしていたの。 そんな話を毎日聞いてるのは辛くて、振られるってわかってたけど告白しました。 結果はやっぱり振られて。 その頃、ちょうどクリスマス前で、気を使ってくれたのか彼はクリスマスの日に 私を家に呼んでくれました。 彼の家はしょっちゅう遊びに行ってたんだけど、クリスマスに来た私を 彼のお母さんは彼女だと思ったんでしょうか、わざわざアイスケーキを買ってきてくれたんです。 初めて知るアイスケーキの存在。 そして、丸いアイスケーキを私のために切ってくれて、一番大きいところをくれて。 彼はお菓子の飾りもつけてくれて。 私は振られたのに彼のお母さんは私を彼女と思っているとか、 彼がクリスマスに呼んでくれた事とか、飾りをくれたこととか、 冷たいアイスケーキの感覚とか(味は覚えてないんです)、 色々ごっちゃになって、でも泣くわけにもいかず黙々と食べていました。 その後、結局3回告白して全部ダメで、今は音信不通ですが、元気なのかな。 アイスケーキはあのときしか食べていません。
168 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/07(火) 16:33
もうすぐクリスマスだね...
169 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/07(火) 16:42
小さい頃よく母親が作ってくれるカニクリームコロッケが大好きで よく食べていました。しかし、作るのに手間がかかるのとカニ缶が高 いという理由で小学3年生になったぐらいの頃には作ってくれなくな ってしまいました(笑) まだ実家にいる頃から「カニクリームコロッケ食べたい!」って言っ ても時間がないと言われてしまい、結局10年以上食べれないまま私 は家を出てしまいました。。 それからすぐ法事(だったと思う)で親戚と集まった時に母親とイトコ と私で話をしている時にイトコが「おばさんの作るカニクリームコロ ッケ美味しかったよね」「あれ、結構得意料理だったでしょ!」なん て言ってたので、私が「10年以上作ってくれてないんだよね」「凄 く食べたいんだけど」と言ってたら、母親の旦那さん(再婚して1ヶ 月ぐらいの頃)が「俺も食べたことないなぁ」と言ってました。。 数ヶ月して実家に帰って朝寝坊したら、家に母親も弟もいなくて(旦那 さんとはこの頃別居結婚だった)テーブルの上にコロッケ4コとメモに 「朝ゴハンこれです。食べてね」の文字。。電子レンジで暖めてゴハン と味噌汁を用意して、コロッケを口に入れたら、クリームソースが! 「やったぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜カニクリームコロッケだ!!!」と心の中で 感動していたのですが・・・・ん・・なんか違う。。ライスコロッケだったの です。それもまずい・・凄くまずい。。。悪いなぁと思いつつ2つは残して しまいました。 家に帰ってきた母に「ゴメンネ、あんまり美味しくなくて全部食べれなか った」と謝ったら「あれ・・失敗よね。私も不味いと思ったもん、全部食べ れなかったし・・普通にカニクリームコロッケ作ればよかった」笑いながら 言ってました。。 一生懸命時間かけて作ってくれたのに。。ごめんなさい(でも不味かった) あれから3年。。20回ぐらい実家に帰っているけどカニクリームコロッケは 食べてません(笑) 長文になってしまった(T▽T)
170 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/07(火) 17:04
>>167 -169
自作自演はもっと時間の間隔を開けた方がいいぞ。
いくら長文ネタ幾つも用意して書き込むチャンス待ってたからって
一時間に二連投だとミエミエだ。
171 :
R :2000/11/07(火) 17:37
>>170 本当に最低だね、アンタ。
何が自作自演だよ、そんなのやってないよ。
はぁ、こういう人がいるからせっかくの名スレが汚れるんだね。
わかった気になってカッコ悪いったらありゃしない。
172 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/07(火) 17:45
>R うんうん、リーダーが・・で全部一緒でも 文末が。と。。に代えてあれば別人なんだよね(藁
173 :
R :2000/11/07(火) 18:07
>>172 だっさ。推理とも言えないな。
そっかサミシイんだね...
(これで満足? ワラ)
くだらん煽りに付き合ったんでsage
みなさんすみません。
晒しage
175 :
ロムさん :2000/11/08(水) 01:18
>>170 なんでそんなに得意げなの?
なんの根拠もないこと言うもんじゃないと思うよ。
さらにage
oi
tako
uni
ikura
なんか、初めて書き込んだのに自作自演とか言われちゃっ てるんですが。。う〜〜ん。。 私の家族って夕飯だけは家族揃ってから食べる家だったんで 他にも印象に残ってる事が多いんですが(^^; 機会があったらまた書き込みます。。 関係ないんでsage
>170,172がクズsage 早く氏んだら
182 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/08(水) 14:52
学生で一人暮しをしていたころ、付き合っていた彼女がうちではじめて作ってくれたのが、俺が好きだといっていた回鍋肉。 料理する彼女の姿を見て、「こーいうのも良いもんだなー」とか思っていたが、出来あがった回鍋肉のマズカッタ事マズカッタ事。 俺もあんまりお世辞とかいえるタイプじゃなかったので、はっきり「不味っ!」っといってしまった。 彼女は号泣。俺はオロオロ。 おとなしいタイプの子でしたが、意外と負けん気が強かったらしく、その後、家でひそかに料理を特訓したそうです。 それから2〜3ヶ月後に作ってくれた回鍋肉はとても上手かったです。 その後大学を卒業し彼女と結婚。先日長男も生まれました。 今でも回鍋肉が夕飯で出るとその時のことを思い出して談笑しています。
183 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/08(水) 15:35
>>182 ほのぼのいいですね〜。
ご長男も生まれてなんだかあったかいですね。
184 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/09(木) 01:00
10年前、オレの就職が内定したとほとんど同時に 母が癌で入院した。 6ヶ月の命。就職先は飛行機とかで行くぐらい遠かったんで、 父親が内定を断れと言ってきた。 3人兄弟の長男だったせいか、もう親から自立出来ていると思っていたオレは、 父親の申し出を断って就職。そのかわり毎月見舞いに帰るという条件を付けた。 帰るごとに母親の容態は悪くなり、体についた管も増えていった。 就職してから3ヶ月ぐらい経ったときは、胃が癌でぼろぼろになっていて、 食事どころか水分も口からはとれなくなっていた。 そんなある日、オレが病室でうとうとしていると、母が呼んだ。 「すいかが食べたい」 「だめだって。治るまで我慢しなきゃ。先生も言ってたろ」 「・・・みんなそう言うんだ。おまえが最後なんだ。一生のお願い」 ・・・一生のお願い。その一言で、急に母親の死を実感したオレは、 一口分だけ、みんなに見つからないようにすいかを手渡した。 母親はむさぼり食った。何カ月ぶりかに口からものを入れたんだ。当然だ。 母親が何かを食べたのは、それで最後だった。 母親は、その3日後のくそ暑い夏の夜に死んだ。 今でも、すいかだけは食べられない。 長くなってすいません。 ネタではありません。念のため。
思い出に残る・・・ 思い出せないなー でもここ結構すきだから age
186 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/10(金) 00:15
アメリカの小学生の弁当ってピーナッツバターとジャムのサンドイッチ。 みんなほとんどこれ持ってくる。 たったひとりの日本人だったから弁当の時間はヒーローだった。 先生たちまで見にきて、嬉しいような恥ずかしいような。 毎日心をこめて作ってくれた母さんに感謝してる。
187 :
名無しさん@1周年 :2000/11/10(金) 01:04
高校柔道やってた時に減量した。 諸事情で8kg減量しなきゃいけなかったが、普段からそんなに 体脂肪が付いてる訳ではないので当然減量は脱水中心。 食事は当然ながら練習後に水が飲めないのは辛かった。 走ってサウナ通って、サウナの中で意識失いかけた事もあった。 そして計量を見事パスした後に飲んだ水とおにぎりが………。 「はじめの一歩」の鷹村さんの気分がありありとわかった。 生涯あれよりうまいものを味わう事は無いと思う。
188 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/10(金) 02:56
母親が、くも膜下出血で倒れました。 生死の境をさまよって、1ヶ月のあいだに2度手術。 その間、ワケのわからないことを言いつつ、眠ったり起きたりする母を 父と弟と私で看病。 私は、毎週末新幹線で病院へ通いました。 病院の食事は、わりと美味しいものだったのですが、 母はほとんど食べなかった。 2度目の手術が成功して、「もう大丈夫」という翌朝の食事。 ほぼ1ヶ月ぶりに母親がベッドに起き上がり 「○○(私の名前)、ありがとね〜」とはっきりというのを聞いた。 窓から太陽がサンサンと降り注いでて、それもうれしかった。 脳関係の病気は、病室を常に暗くして患者に刺激を与えないように しないと、あかんのね。 その日の朝メシは、母は病院食のおかゆとおかず。 私が、実は父親のために都内で購入した梅干を欲しがった。 あれほど食べたがらなかったおかゆを、梅干をおかずにしてペロンと食べた。 私は、病院の売店で買った弁当だったけど、 食べながら、めちゃくちゃ美味しくて、 んで、うれしくて涙が出て仕方なかった。 神様っているんだなぁ、と本気で思った。
母が入院してた時に、幼稚園の弁当として父が作ってくれた。 一応耳を取った食パンに、焼いた塩ジャケとレタスが挟まってた。 骨もそのままだったので食べづらいこと甚だしかった。 バターを塗ってなかったのはちょっと救いだった。 私は忘れられないが、父は忘れていると思う。
age
191 :
がいしゅつかな? :2000/11/12(日) 05:23
ヒトを感動させようと思いながら書く奴の文章って、得てしてダラダラ長いんだよな。 ここで心に残ってるのは全部、短く簡潔だけどいろいろ想像できる文章だ。
母親に何度も作ってもらってたシチュー。 ホワイトソースから時間かけて作ってるのを横で見てるのが好きだった。 外食してもそれより美味しいシチューはないと今でも思ってる。 5年前に母親が倒れて体が不自由になってもう台所には立てません。 教えてもらって同じように作っても、絶対にあの美味しさは作れない。 思い出に残る、とはちょっと違うかもしれないけど。母親の味。
祖母の作ってくれる煮物が大好きだった。 年取ってからの孫だったので、お肉を入れてくれたり お皿に盛る前に野菜を小さく切ってくれたり 祖母なりに気を使ってくれたんだなぁと今になって思う。 今は痴呆が進んで孫だとわかってはもらえないけど 母の作った、祖母のと味が似ている煮物を一緒に食べるときは 胸がキュッと締め付けられます。
195 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/13(月) 04:58
お弁当の話読んでて思い出した。 小学校の運動会の日、「時間がないからあとで持ってくる」という 母の言葉に、『きっといつもとは違うお弁当なんだろうな』とワクワクしてたら お昼になってほか弁を渡された。期待が一気にシオシオとひいて悲しくなった…。 別の意味で忘れられないお弁当の味になったよ。
幼稚園の頃、ある医者の家に遊びに行った。 確か、正月頃だったと思う。 初めてみる豪華なおせち、 でも、みーんな糸引いてた・・・。 悲しかった。
197 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/13(月) 11:36
進学して一人暮らしをするようになりました。 母がときどき食料品を持ってきてくれるんですが 一度「あんまりこういうもの買えんやろ」とスーパーのケーキを持ってきてくれました。 子供の頃はケーキ=贅沢品、特別な日に食べるものという感じがしてたし 母もそう思って持ってきてくれたんやと思いますが そのころ私はすでにおいしいケーキ屋さんをいくつか知っていたし、 何日か前にそこで友達とケーキを食べたばっかりだったのでちょっとせつなかったです。 何か急に親が小さく見えてしまって。
198 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/13(月) 14:48
魚屋だったじいちゃんがまだ生きてるとき、いつも田舎に帰ると出して貰ったのは ボラの刺身とサラダボウルいっぱいの蝦蛄エビ。 ボラの刺身は身が甘くて、蝦蛄エビは卵がぎっしり詰まってて、都会育ちの 自分だったけど、「なんて美味しいんだろう」って思った。 お腹いっぱい、胸焼けするまで食べてた。 そのあと爺ちゃんは膝に乗れといつも言って、 ほろ酔い加減で「金の孫じゃ〜金の孫じゃ〜」って歌ってくれた。 成人になったらじいちゃんと一緒にお酒を飲もうっていったら、 しわしわの顔をくちゃくちゃにして喜んでた。 自分が中二の時に爺ちゃんは亡くなったけど、 いまでも田舎に帰省したときはかならず仏前でじいちゃんの好きだった焼酎を置いて、 俺もそれをちびちびやりながら、ボラの刺身と蝦蛄エビを食べてる。
199 :
名無しさん@ちょっと出張 :2000/11/13(月) 15:41
他板で紹介されて来てみました。 食事というか、お菓子な話なんだが。 小学校低学年の頃は両親が共働きだったんで、 学校から帰ったら祖父母の家で両親の帰りを待っていた。 祖父母は毎日お菓子を沢山出してくれた。 特にビール好きな祖父がよく食べていたビーフジャーキーが好きで、 毎日横から貰ってはちびちび齧っていた。 私が大学生になってから、祖父は痴呆症になってしまい、 丁度大学生で暇を持て余していた私が祖父の病院の送り迎えをした。 いつ祖父に「あんた誰だ?」と言われるか、怖がりながらの送迎だった。 そんな祖父は、たまたま私が大学の期末試験で学校を休めない日に、 あっという間に亡くなってしまった。死に際には会えなかった。 数日後、祖父の部屋の片付けをしていたら、幼い頃によく食べた ビーフジャーキーが入っていた箱(中身は祖父の趣味の釣具だったが)が出て来た。 「どっかの安っぽいドラマじゃあるまいし!」と思いつつも、涙が滲んだ。 形見分けに、その箱と祖父のマフラーを貰った。 私はビールが飲めないけれど、ビーフジャーキーを酒のつまみにしていると、 ふと昔を思い出すこともある。 病院の送迎の時、もっと優しくしてあげればよかったな…。
200 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/13(月) 17:35
母が亡くなったときに遠方から親戚の人がうちにとまってました。 味噌汁が飲みたいというので、なぜかわたしが作ることに。 具は豆腐とわかめ。ろくに料理したこともないんですが、味見しつつ何とか完成。 おばさんが飲んで一言、「○○(母の名前)と同じ味だねー。おいしいよ」って。 もう少し料理とか教えてもらえばよかったな。
201 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/13(月) 18:08
高校の時、ちょっとした病気で入院して手術した。命に関わるような 大病じゃなかったけど、腹をかなり大きく切ったので、当然、術後は しばらく点滴だけ。ようやく固形物が食べられるようになったころ、 クラスメイトがお見舞いに来てくれた。「何か食べたいもんある?」と 聞かれて真っ先に脳裏に浮かんだのが「甘いもの」。 売店で買ってきてくれた板チョコ一枚を一度に全部食べてしまった。 あのときの甘さは忘れられない。 #包み紙からばれて看護婦さんに叱られたのも、今となってはいい思い出。
202 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/13(月) 18:33
親父の作るシーフードカレー。 材料を全部細かく切って、中華鍋で炒めて作るカレーは どんなに記憶を絞っても再現できない。 毎朝毎晩仕事の合間においしいご飯作ってくれていた。 進学して家を出たら、そのまま永久に親父のご飯が 食べられなくなった。 5年以上たった今でも、時々弟と「あのカレー食べたいね」と 話すことがある。 あの頃は分からなかったけど、祖母と分裂症の母と子供を抱えて 勤めと家業を果たしながら食事作るのは大変だったんだな。 同じ立場になってやっと少し分かった気がする。 親父の作ったカレーも食べたいけど、自分の料理をもっと 食べさせてあげたかった。カレー以外は親父に匹敵するくらい 料理上手くなったんだよ、私。
203 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/13(月) 22:46
父方のおばあちゃんが作る白和え。 ぜんまいとこんにゃくとごまの白和えだった。 美味しくて大好きだった。でも、おばあちゃんが突然倒れ、 半身不随で今は治療も兼ねた老人ホームに入っている。 もう一年くらいお見舞いに行っていなかった。 白和えはもう作ってもらえないけど、来週お見舞いに行くよ、 おばあちゃん・・・。 母方のおばあちゃんはいわしの梅煮と梅酒が最高だった。 梅酒なんて5年漬けなきゃ飲ませてくれなかったから、 とろりとしていて綺麗な金色で、甘いお酒が苦手な私にもいくらでも飲めた。 そんな祖母も今年、アルツハイマーで施設に入ってしまった。 こっちも、再来週会いに行くよ。私の事覚えてないけど・・。 このスレ読んで、なんだか凄く会いたくなったよ・・。
204 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/13(月) 23:30
数年前、20歳を目前にして両親が離婚しました。 今は父と暮らしていて、母とも結構会っています。 でも・・・時折兄が帰ってきた時、 一緒にご飯を食べながら、もう一度でいい、 家族全員揃ってご飯が食べたい、と思います・・。 父と、母と、兄と、私と、それから最近兄と一緒に帰ってくる 兄の恋人。5人でご飯が食べたいよ・・。 ここ見てて余計そう思って・・涙が止まりません・・。
205 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/14(火) 01:03
他板で紹介されて来ました。昨日から泣きっぱなしです。 今年の年末はたくさんあるイベント全てうっちゃって実家に帰ろうと思います。 では私の小話など。 私は中2の頃、とても好きな人がいました。初恋の人でした。 同じ町内に住んでいて同じクラスでもあったその人は、明るくて気さくで誰にでも好かれる人でした。 内向的でクラスでも部活でもどこか浮いた所のある私にも普通に接してくれました。 当時私は運動部に所属していたので、放課後、部活が終わったらお腹はペコペコです。 お気に入りのパン屋があったので、そこでよくパンを2個とか買っていました。 いつもは鞄とか手提げ袋などに入れて持ち帰っているのですが、 ある日、自転車の前かごに放り込んだまま帰ったことがありました。 電話をする用事を思い出した私は、自転車を止め、公衆電話を使用しました。 用件も終わり、さぁ帰ろうかと思った瞬間、後ろからその彼が自転車で近寄ってきたのです。 同じ町内だから帰る方向も当然同じなワケで。 「よぉ」と声をかけてくれた彼の目が、前かごに行きました。 そこには明らかに2つ以上のパンが入っていると解るパン屋の包み紙。 驚いたように私を見る彼の目が、いまでも忘れられませんね。 そのパン屋、実家の近所に移転してきてしまって複雑な気分です。 その頃すごく気に入っていたパンを見る度に、あの居たたまれない切ない気分を思い出します。 長々とすみませんでした。
206 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/14(火) 01:18
>>205 ごめん、あんま意味がわからない。
なんで、「2つ以上のパンが入っていると解るパン屋の包み紙」を
持ってると彼が驚くの?
説明きぼーん。
207 :
205 :2000/11/14(火) 01:30
>>206 ああ、言葉が足りませんでしたね。すみません。
私にはその時の彼の表情が「女のくせにそんなに食うのか」と
言っているように見えたもので。
それだけなんですけど…。
208 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/14(火) 01:39
>>202 を読んでおじいちゃんのカレーを思い出した。
明治生まれなのに、台所に立つのが好きでほとんどのおかずを
仕事の合間に作っていた。(自営業)
その中でもカレーとチャーハンはおいしかった。
特にカレーは中華なべでササッと作るだけなのに、すごーくおいしかった。
ただ市販のカレー粉をそのまま使ったカレーではないので
味を再現できない・・・・・・・・・
だからおじいちゃんがなくなった今では、もう幻の味。
遊びに行くと「ちょっと待ってろ」と言っていろいろ作ってくれた。
従兄弟たちとお葬式のとき、カレーをはじめ作ってくれたものの話をずっとしていた。
もう一度食べたいな。
ところで202さんのお父さんはお亡くなりになったのでしょうか。
209 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/14(火) 02:13
父も母もなくなって弟と私とおばあちゃんとで暮らしてた。 おばあちゃんがNHKの「きょうの料理」を見て一生懸命洋食作ってくれた。 田舎の農家育ちで洋食なんか作ったことないのに・・・ ダマになったホワイトソースでも、グラタン美味しかったよ。 私ずっと忘れないよ。
210 :
もぐもぐ名無し :2000/11/14(火) 02:42
つ、疲れた。昨日の夜ここ見つけて、泣きながらやっとのことで全部読み終わりました。 まさか2ちゃんねるでこんなに大泣きするとは思わなかったよ。 なんとなく思い出した話ですが、今年の1月、私は年明け早々風邪を引き、会社を休んで 寝込んでいました。我が家は両親・姉は働いているし、弟は学生なんで皆夜にならないと 帰ってきません。熱で食欲も起き上がる気力も無く、私はその日一日中寝ていました。 夕方くらいになり、流石に眠れなくなり空腹を感じてきましたが、まだ体がだるくて 起き上がるのも辛い状態。そこに弟が学校から帰ってきました。そして寝てる私に「おい、 お前メシ食ったのか?」と聞いてきたのです。「食べてねーよ、腹へった!」と私が言うと、 彼は無言で雑炊を作って持ってきてくれました。普段からは想像もつかないような彼の 行動に驚きつつも感動し「・・・お前、いい奴だな」とその雑炊を食べてみると、 ・・・・・・・・・・不味い!ってゆーかなんで雑炊がこんな変な味になるんだ!? しかし何も気づかない弟はぶっきらぼうな態度をとりながらも「う、うまいか?」と 少し不安そうに聞いてくる。流石にここで残しては申し訳ないと思って「うん、 おいしいよ」と答えながら全部食べました。 今でも弟は時々「見た目は美味しそうに見えるのになぜか変な味」という料理を 作ってくれます。う〜ん、もっと頑張れよ、でも姉ちゃんはお前のそういう不器用な ところ好きだからな。
211 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/14(火) 03:11
初めて、今の旦那に手料理食わせたのは、高校の調理実習だった。 あの時は、すごく喜んでくれたのに、10年たった今では、ただ流し込んでるだけ。 おいしいともまずいとも言わず、私の作った料理を食べてる。 今は身体に気をつかって、野菜とか多く取るようにメニューにも気を使ってるけど。 このままずっと、ただ食事を作る機械になりたくないよ。 数年後、料理の塩加減が以上に増えても、多分彼は気づかない。 ここのスレ読んでて、料理って良い事ばかりじゃないなと思った。 んで、別の意味で少し泣けた。
212 :
若葉名無しさん :2000/11/14(火) 04:21
今日(もう昨日ですが)父の命日でした。 昔にありがちな大家族を下半身付随の祖父に代わり、自分の働きで食べさせていた父。 一家の文字通りの大黒柱を15歳から務めていた父は、万事に厳しく、 また家事が一切できない人でした。 そんな父が、母が癌で入院した日、初めておにぎりと卵焼きを作ってくれました。 きっとこれからの母がいない生活を自分なりに考えていたのだと思います。 いつでも一家の柱であろうとしたのかもしれません。 長くないかもしれない、といわれつつ助かった母とは逆に、 父は心筋梗塞であっさりと亡くなってしまいました。 そんな父の命日にこのスレを知り、今はただ泣けます。 焦げた卵焼きと、いびつなおにぎり。 私にとっての一番の思いでです。
213 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/14(火) 04:31
食事じゃないので関係なさげなんですが ジュースを見る度に思い出すことを。 高校生の時に友人を亡くしました。 保育園から小中と同じところに通い、毎日一緒に登校し下校し、 残念ながら高校は別々になってしまいましたが、家は近所のため よく会っていました。遊びから悪さまでずっと一緒にして来た仲です。 彼は実家の農業を継ぐために農業高校へ行き、休日には 農機具を駆り家の畑仕事を喜んでやるという、同姓の私からみても たくましく魅力的で、誇れる友人でした。 それがある日、彼の母親から電話が。 彼が死んだという一報でした。 そんな馬鹿なと思い慌ててバイクで彼の家へ行こうと思ったところが、 相当私の状態が異常だったらしく祖母に制止させられ、家人と一緒に 車で彼の家へ。自分で確かめるまでは嘘だと信じつつ。そして。 病院から帰ってきた彼は白い布団の上でもう動かないのにまだ暖かくて それから自分がいつまで泣きつづけたか覚えていません。 人前で声を出して泣いたのは最初で最後です。 死因は、彼が農作業後に乾いた喉を潤すために大量に飲んだ ジュースが原因の「ペットボトル症候群」(血糖値が急激に 上がるために起きる急性の糖尿病)でした。 その日から私はジュースの類を見るたびに彼のことを思い出します。 甘いはずのジュースは、今でも私には苦いです。
食事でもない上に支離滅裂で失礼いたしました。
215 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/14(火) 05:31
わたしも食事ではないんですが……。 私の弟は小さい頃よく体が弱くて熱を出していました。 食も細く、丈夫でよく食べる私とは対照的でした。 食欲なく寝たままの弟にすこしでも何かを食べさせようと 共働きで忙しかった母は、よくすりおろした林檎に蜂蜜を一 たらしして弟に出してやっていました。 わたしはそれがうらやましくてしょうがなく、でも熱のある 弟のものを欲しがるなんていけないことだと思い、ずっと言い 出せずにいました。 めずらしく風邪を引き込んで熱をだした時、辛かったけど 少しだけ嬉しくて、母に何を食べたいものがあるかと聞かれ、 私は迷わずに「すった林檎!」と答えました。 朝のあわただしい時間、ばたばたと仕事に出て行く母の気 配を耳にしたあと、用意された台所の食事の皿にかけてあった 布巾を、どきどきしながらとると……。 すった林檎ではなく、普通に4分の1に切って皮を剥いた 林檎がでんと置いてありました。 何だか悔しくて、母に見捨てられたような気がして、弟が うらやましくて、つまんないことなのに誰もいない家で声を あげて泣きました。 それから20年近く経ってますが、まだ母のすり林檎は食べ たことがなく、自分では林檎を買うことはめったにありません。 今でも林檎を口にすると、そのときの気持ちがほんのりと 浮かびます。 つまんないトラウマだなあとは思うんですが。 ……今度実家に帰ったら、すり林檎をねだってみようかな。
216 :
慶商君 :2000/11/14(火) 08:10
ロシアのシベリア鉄道の田舎駅にて食べたピロシキが良かったな〜。 ハエ集ってて少々不衛生だけど1個10円くらいだった。
217 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/11/14(火) 11:57
ちと、体を壊して入院していた頃。 妹が家からの差し入れを持って見舞いに来た。 ちょうど昼時、早速おかゆに差し入れの「大人ふりかけ」 をかけて食おうとする俺。 昼飯がまだの妹は、ふりかけを食いたそうだったので、 近くの牛丼屋でライス(あと味噌汁と漬物)をテイク アウトしてこいと小遣いを渡した。 そのあと病室で一緒に昼飯。 ふりかけを美味そうに食う妹。 ほのぼのした思い出。
218 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/14(火) 12:15
私も食事じゃないんですが…。 小学校1年の時に生まれて初めて母と長距離フェリーに乗りました。 団体で3等船室。 すっかり船酔いした私はもう胃液しか出ない状態なのに吐き気が治まらず、 (それでもトイレの方が船の中心部分にあって揺れが少なかったのもあって) トイレで吐きながら一夜を過ごしました。 翌朝、見も知らぬご夫婦が、私と母を自分達の部屋で休むよう声をかけてくれました。 自分たちは船内でゆっくり過ごすからといって、一等の個室を使わせてくださるというのです。 母は申し訳ないと思いつつも、優しい言葉に甘えることにしました。 揺れのないベッドに横になると、やっと吐き気も治まって、楽になりました。 その時、母が飲ませてくれたみかんの絞り汁が忘れられないです。 どなたかが水分補給にとくださったみかんだそうです。 ガーゼなんか無いから、手で絞ったなま暖かいみかんの汁ですけど、 その時は本当に、美味しかったんです。
219 :
よくない話…です :2000/11/14(火) 13:59
小学校低学年のクリスマス。 母が知り合いにケーキの配達の人がいるから、といってケーキを注文しました。 そしてケーキが届いて、私はうれしくて中を見ようとして… 手が滑って箱を床に落としてしまいました。 もちろんケーキはつぶれてしまってます。 母が帰ってきて、つぶれたケーキを見て「どうしたの?」と質問。 私はパニックになっていて、「落としたなんて言ったら怒られる…」と思い… 「来たときからこうなってたの」 と嘘をついてしまった。 母が業者に連絡し、しばらくして、新しいケーキが来た。 そして家族でパーティを開いて… 私は嘘の罪悪感と、配達のおばさんが怒られてることを考えると ケーキが美味しくなくて… 嘘をついたことがばれるのが怖くて、結局正直に話せなかった。 いまでもクリスマスになるとそのことを思い出して、楽しめません… タイムマシンがあったらなぁ…
220 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/14(火) 16:41
中学生の時、こっそり友人と大きな高級喫茶店に入った。 普通のコーヒーなんて注文しなかった。 難しい横文字で書いたメニューをみて「あ、これね。これにしてください」。 出てきたコーヒーには、なにやら葉っぱを巻いたような棒が乗ってた。 しばらく考えてから棒をかじるとやたらとすっぱい。とても食えたモンじゃない。 同じモノを注文した友人は、それに一生懸命ライターで火をつけていた。 これって葉巻だったのか? ふと横をみると別の客がその棒をカップに突っ込んでかき回していた・・・ 俺は歯型のついた短いヤツ、友人は片方コゲコゲになったヤツで同じようにコーヒーをかき混ぜた。 後でその棒は「シナモンスティック」と呼ばれていることが判明した。
221 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/14(火) 17:15
新潟で食べたトキのカラアゲは美味しかった
222 :
202 :2000/11/14(火) 18:45
>>208 遅レスすいません。
そうです。親父は5年程前に亡くなりました。
今は私が代わりに家族の面倒を見ています。
昨日、書き込んだ後「今夜はカレーだ!」と言ったら
弟は黙って手伝って、「やっぱりちょっと違う」
といいながら食べていました。
…冷蔵庫にカニ買っておいたのなら、言えよ…。
思い出に残る食事…自分じゃないですが。 父が入院したとき、普段贅沢なものばかり食べる父が まずい病院食を文句いいながら食べてた。ほんとはいけない けれど私に命令して色々スーパーで買ってこさせてた。 …もうそのときにはどうしようもないのがわかってたので 看護婦さんの了承のもと色々リクエストに応えてたけれど もう少しで季節になるある海草だけは届けられなかった。 父が死んだ後その海草をみる度に一人で食べている。 おいしくともなんともないけれど。
224 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/14(火) 22:15
祖母が入院して、祖父は毎日世話をしに行ってた。 だから、祖父と一緒に食事する事は少なかった。 ある日めずらしく家族そろって夕食を食べた。 食べながら父が「明日は検査があるから病院行かなくてもいいよ」 と祖父に言ったその夜、祖父は亡くなった。 老衰だった。 その日の夕食がトンカツだったことは今でも忘れられない。
225 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/15(水) 00:39
これから先の文を読む人間は覚悟を決めるように! 警告だ、心臓の弱い奴は読んではいけない!
226 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/15(水) 00:39
大学時代、サークルに入って間もない頃、T先輩に連れられて一軒の居酒屋に行った。 一見して判る怪しげな雰囲気、壁に貼りだしてあるメニューの数々、 な、何だこの店は・・・ テーブルに座って、まず初っ鼻に出されてきたのがヘビの生き血! 先輩はそれを飲めと言う。 カウンターでは、マスターが新しいヘビの首を撥ね、生き血を絞り出して 皮をはいでいる・・・ ま、まさかアレを喰うのか? と、思ってい俺達の前に、突き出しとして何かポッキーのようなモノが・・・ ムカデのカラアゲだ! ヘビのタレ焼きが出来るまで、それを食って待てという。 T先輩はニヤニヤ笑いながら俺達を見ている、先輩には逆らえない、 一緒に行った俺とSとKは半泣きになった。
227 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/15(水) 00:40
覚悟を決め、生き血を飲むことにする。 飲みやすいようにジュースで割ってあるそうだが・・・ 息を止め、臭いを嗅がないようにすすり込む! ・・・・・・・・・・生臭い・・・・・・・・・・ そうとしか表現できない味だ、一口目で鳥肌が立つ。 先輩は既に生き血を飲み干し、ムカデのカラアゲをボリボリ食いながら ビールを飲んでいる。 笑っている先輩の目が半分鋭くなる。泣きたい気持ちで二口目・・・ 全身の血が逆流するような悪寒が走る。 Sもグラスを口にしたまま固まっていて、Kはただただ俯いている。 次のツマミが来た、サソリのカラアゲだ・・・
228 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/15(水) 00:40
生き血を飲むのはギブアップし、ムカデに手を伸ばす、 サソリを食わされるよりはまだマシだ。 店の人は、棒状のムカデは見た目通りポッキーのような味だという。 一口・・・ 囓る・・・・ 香ばしいような、苦いような甘いような、それでいて何とも 形容できないような、そんな味がした。ただ一言いえるのは・・・ ・・・・・・・・・・不味い・・・・・・・・・・ 砕けたムカデが口の中に、喉の奥に張り付く。 み、水が飲みたい! しかし俺達の手の中にあるのはヘビの生き血だ・・・
229 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/15(水) 00:43
勘弁してくれと、マジ泣き寸前で先輩に懇願した。 しょうがないと口直しにビールにありつけた。 水も貰った。 こんなに、一杯の水がありがたかったことは無かった。 結局ムカデもサソリも先輩が一人で食べた。メインのヘビもだ。 最初からこうなるのを見越して一人分しか頼んでなかったらしい。 俺とSは自分の飲んだビールの代金を、結局何も食べられなかった KはT先輩の食ったヘビやサソリの代金まで払わされた。 Kは財布が傷んだだろうが、俺とSは腹が、胸が、喉が痛んだ。 飲んだ生き血と、食ったムカデの味が口の中で反芻され、 まるで今食ったそいつらが、喉の奥から、胃袋の奥から、ザワザワと、 今にも口元まで這い上がって来るような恐怖と錯覚に捕らわれた。 二日寝込んだ。 一〜二週間、マジで胃の調子が悪かった・・・
230 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/15(水) 00:45
その後T先輩にやはり何人か犠牲になった。 俺達の話を聞いて、面白がってついてった奴もいたらしいが やっぱり撃退されたらしい。 翌年も新入生が犠牲となった。卒業してOBになってもやっていた。 うちのサークルではT先輩以降、ゲテモノに免疫のある部員がいなくなったため 廃れたようだが、他のサークルでもこの店を利用してる奴らもいた。 俺も何度かカモが引っかかるのを見物にしにいった。 思い返してみると、随分馬鹿なことをやってた学生時代・・・ 楽しいこともあり、苦しいこともあり・・・ 今となっては、みんな楽しい思い出・・・・・ にゃならねーよ!! おいT!俺はあの後マジで気分悪くなって半分寝込んでたんだ! それなのに人が苦しがってるの見てゲラゲラ笑いやがって・・・ このことは俺が生きてる限り絶対忘れん! 忘れたくても忘れられない、嫌でも生涯思い出に残る食事、 一生心の奥に、恨みに残る食事だ!!!!!
>225-230 やたら長すぎるよ。面白かったのはキミだけだね。よってsage はい、次のかたどうぞ!
233 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/15(水) 12:21
うちの父親は料理が上手な人でした。 学生時代の弁当も、母が作るとご飯の上にめざしが3匹などという、非常に 大胆なものだったのに対して、たまに彼が作ってくれるそれは、ご丁寧に ご飯の上にのりで顔が書いてあるような手の込みようでした。 大学からは私が家を出てこともあり、たまに帰ると私の好物だからと鍋に 沢山の肉じゃがを作って待っていてくれました。 自分が幼いころに食べるものがなくて苦労した彼は、自分の子供に食べ物 のことで苦労させるのがいやだったようで、家にある米袋が減ってくると 悲しそうな表情をしていたそうです。 仕事が忙しく、なかなか家に帰れない状態が続いていたら、昨年急に 逝ってしまいました。 こんなことなら、無理にでも時間を作って帰っておけばよかったと悔やみます。
234 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/15(水) 14:22
もう20年以上前だが、修学旅行は往復フェリーだった。 結構いい食事が出たが、帰りの時は台風が近づいていてかなり揺れた。 気分が悪くなる人や吐く人が続出。私も吐いてぐったりしてた。 その時出てきた食事がカレー。どうせみんな食事ができないこと見越してるんだな〜、と思っていたら、 実はコックさんが酔って食事が作れなかったらしい。 いつもフェリーに乗ってるのにそういう事も有るのかと、妙に感心した。
235 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/15(水) 14:29
以下の文を読んだ人間の、 食い物を粗末にすんじゃねえ という苦情は一切受け付けない。
236 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/15(水) 14:29
このカキコのネタに、今日カレー勝負をやってきた。 今のところ俺は4勝6敗、今日こそ勝って次はタイに持ち込んでやる。 カレー勝負、方法は簡単だ。 まずジャンケンで二人一組になり、その二人で勝ち負けを決める。 で、カレーや二敗って注文をする。 この店はココイチ方式のカレーの辛さやトッピングを自由に選べるスタイルを 取っている。ココイチよりは値段も安く、この勝負には売ってつけだ。 で、勝った方が自分の好きな組み合わせのトッピングを食わせられるということだ。 トッピングの組み合わせは無数だ、その気になればとんでもないものができる。 しかしあんまり凝ると完食されたときにこっちの懐が痛む。間食されれば負けだ、 相手のカレー代まで払わされる。 幾つかのトッピングを選べばすぐに千円は超える。頃合いが勝負だ。 ココイチでやってもいいが、勝とうと思えばかなり気合いが入る。
237 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/15(水) 14:30
部署をまたいでこういうイカれた遊びが好きな連中を3人集める、いつもの顔ぶれだ。ジャンケンで俺はAと当たった。こいつには以前の キムチ+餃子+チーズ+ハヤシライス という韓国+中華+洋+和を食らった借りがある。 あのキムチの唐辛子の刺激とハヤシの甘ったるさ、それにプラスしてチーズの乳臭さと 餃子のニンニク臭さ、それにキムチとチーズの発酵した臭いと餃子のニラとゴマ油の 強烈な突き上げという凄まじいパンチを食らった恨みは忘れない。 あのときは俺が完食して勝った。今日は俺がお前に食らわせてやる! ジャンケンには勝った。 さあ覚悟しろ・・・
238 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/15(水) 14:30
店の前のジャンケン勝負の後、店内に入る。満席だ、しばらく待って席に案内される。 オーダーを取りに来た。勝った方は気楽だ、自分の好きな物を頼める。 俺はジャーマンソーセージカレーを、勝ち組のBはチキンカツカレーを頼んだ。 お楽しみはこれからだ・・・ 俺はBに食わせるメニューを考える。 こいつには和洋中華、それに韓国まで加えたミックス攻撃を食らった。 甘い物と辛い物、臭いの強い発酵食品の組み合わせというオマケ付きだ。 俺もそれで攻めてやる。これは意趣返しだ! メニューを見る隣のBの目も笑っている・・・
239 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/15(水) 14:31
今日、俺が選んだメニューはこうだ。 餃子+バナナ+チーズの二色カレー、 お子さま向けミルクカレーとハヤシライスの組み合わせ チーズと餃子の組み合わせ攻撃の強烈さは前に俺が身を持って教えられた。 バナナとチーズはピザで食ったときゲロ不味かった。 それにバナナは甘い。ミルクカレーとハヤシも甘い。この組み合わせプラス餃子だ、 敢えてキムチを加えるまでもないだろう。味のバランスは完璧だ。 Aの顔が引きつる。でも一つ残念なのは、ここがココイチじゃないことだ。 究極の最終兵器、納豆が使えない。
240 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/15(水) 14:31
カレーが運ばれてきた。 思った通りだ、餃子とチーズの臭いが温まった甘ったるいバナナの臭いと渾然となり、 カレースパイスとハヤシルーの臭いを加えて形容しがたい臭気を放つ。 その物体を前に逡巡するAへの俺からの手向けだ、この特別メニューをかき混ぜてやる。 ミルクカレーとハヤシのルーとチーズが混ざる、トッピングのバナナと餃子も。 もはやこれは・・・ まさにカオスだ! 臭気はますますその混沌の度合いを深め、見た目のそれももはや食物というより 手を付けるのも憚られる廃棄物だ・・・
241 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/15(水) 14:32
俺は自分のカレーを食い始める。 Aの隣ではやはりジャンケンに負けたCが キムチ+バナナ+生卵の大辛カレー を前に固まっている。こいつのカレーもかき混ぜてやる。 玉子がいい具合に混ざった。なかなかグロテスクだ。 意を決したAが食い始める。顔が引きつっている。水を飲む、ソースをかける。 トッピングを全部脇に寄せ、カレー+ハヤシの本体から片付けていく。 うぇ〜、なんだ〜と唸っている。店の中だ、さすがに不味いとは言えない。 俺とBが自分のカレーを食い終わる頃、それでも半分以上は片づけていた。 そしてすぐに意に反してCがそれほど苦労もなく完食した。 大辛ルー+キムチだったので、辛ぇ〜、辛ぇ〜を連発していたが・・・
242 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/15(水) 14:33
やべぇよおい、食えねぇよ・・・ Aの皿の上はソースの大量投入でなんとかルーとライスは無くなっていた。 しかしそれが災いして、そこにはカレールー+ハヤシルー、それにチーズとソースで 汚れた餃子とバナナが転がっていた。 なんとも不気味だ、食い物というより異様なオブジェだ。 勝った・・・ 俺は勝利を確信した。しかし・・・ どんな覚悟を決めたのか、Aはバナナをまとめて口に運ぶ! そして、残った餃子に醤油をかけた!! カレールー+ハヤシルー+チーズ+ソース+醤油で味付けされた餃子・・・ 想像すら付かない。 一口食べるごとにAの顔が歪む。水で流し込む。お前はもう何杯水を飲んでるんだ? そうまでして勝ちたいのか・・・ 引きつった笑い顔で、Aは4つある餃子を食べ進む。
243 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/15(水) 14:33
結果は・・・ AとCは完食した。俺とBの負けだ。奴らのカレー代はこっち持ちだ。 代金2310円を払いながら、俺は敗北感に包まれた。 4勝7敗、また負けが嵩んでしまった。 帰り道、食えたもんじゃねーよなー、人間の食いもんじゃねーよと連発するBに、 俺は本当にお前は人間じゃねーと思った。 相手が悪かった。しかし・・・ 今日は負けたが、またいつか絶対にリベンジしてやる! 今日の負けを心に刻んで、次こそは絶対に勝ってやる!!
244 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/15(水) 14:36
新婚ほやほやの頃、大学生活(自炊生活)7年の夫が俺はカレーなら一週間続いても大丈夫だ と言いだし、実際に一週間カレーにしろと命令された。 ホントに一週間カレーでいいのね!絶対いいのね!と何度も念押しをし、大勢が来ても大丈夫用の 大鍋でS&Bゴールデンカレーの大箱を3箱ぐらい使って大量のカレーを作った。 が、ヤツはそれから3回目の食事で「またカレー?」とのたまった。ちょっとキレた。 結局朝晩カレーを食べて無くなるまで5日かかった。 それからまる1年は我が家でカレーはしなかった。 いつも何種類かのルーを混ぜてカレーを作るのだが、S&Bゴールデンカレーのルーを 買う気になるまでに、さらに5年必要だった。
245 :
ロリコン :2000/11/15(水) 15:08
長えよ。
246 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/15(水) 18:18
食べ物に関する思い出といえば、モロゾフのチーズケーキを食ったとき、 世の中にこんなうまいものがあるのかと目から鱗だった。 もちろん母親はそんなものを一気に食べさせたりしないし、妹と分けなければ ならなかったので、いつかホール丸ごと食べるのが私の夢となっていた。 大学に入って親元を離れ、バイトをしたお金でホール丸ごと買って食べてみた。 妹と奪いあって食っていたときほどには美味しくなかった。 そういう話を妹にこないだしたら、妹も親元を離れたときに同じことを 試したらしい。 ホールケーキは分け合ってこそうまいのだな、と思いつつ。同じことをやるとは さすが兄弟であると思ったり。 そんな妹も一時の母になっている。私もモロゾフのチーズケーキよりもおいしい ケーキが世の中に沢山あることを知ったが、今でもかのチーズケーキを見ると ちょっと頭をかきつつ、初めて食べたときの感動を思い出す。
247 :
Mrs.名無しさん :2000/11/16(木) 01:33
揚げ
248 :
スリムななし(仮)さん :2000/11/16(木) 03:11
叔父の骨董品屋が、コンビニになっていた。 母は叔父が嫌いだった。顔を見るのも嫌だったらしい。理由もなんとなくだけど分かった。 当時小学生だったので、こっそり通っていた。オレは叔父が好きだった。 そこへ行くと必ずシェークを作ってくれた。 ヤマ●キデイリーストアだったのだが、むかいに7ができたおかげで あっという間につぶれた。 1年後くらいに、たまたま父がいた時に叔父が来て、話がある、と家の中に入っていった。 買い物から帰ってきた母が叔父の顔を見ると、いままで見たこともないような怖い顔をして 今すぐ出てけ、とだけ言った。叔父は何も言わずに出て行った。父も何も言わなかった。 葬式の帰りに思い出し。シェークなんてもう飲まないトシになっちゃったんだけどね。
249 :
芋粥 :2000/11/16(木) 15:53
皆さんも一度は経験があるとは思いますが、 ちょっとあほくさいお話を。 社会人になってから、大学時代の鍋仲間で集まり、 鍋を食べることになりました。せっかく社会人になったのだからと がんばって、肉:野菜=8:2という肉だらけの豪勢なすき焼きを 大量に作りました。 いつもなら取り合いになるはずの肉で埋め尽くされた その鍋が美味しく感じたのは、最初の2,3口だけでした。 鍋の季節になり、仲間同士で鍋をつつく時には、 しょっちゅう話題に上がります。
250 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/16(木) 18:31
思い出に残っていない食事の話を。 数年前、地元の祭りがあるので親戚がやってきました。 その中に、私になついていた女の子がいました。 まだ小学生で、家では全然手伝わないらしいんですが 私の作るハンバーグが好きで、私が料理する時は いつもくっついて来ます。それで、手伝ってもらいました。 その日のメニューもハンバーグだったんですが、 一緒にサラダを作りました。 そのサラダのレシピは、その日見た雑誌のやつでした。 彼女は、それがいたく気に入ったようで 家に帰ってからもよくお母さんに 「お姉ちゃんの作ったサラダが食べたい」とねだったそうです。 「でも、作り方が分からないのよね〜教えてくれる?」 とそのお母さんに後日、聞かれました。 …しかし、私にはその時作ったサラダも、 何の雑誌のレシピだったかも、一切記憶がないのです…。 あの子には思い出に残ったんだろうなあと思いますが 再現する手段がないのが、ちょっと申し訳ないです。 何だっけ…。
251 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/17(金) 21:34
スレ違いな感もあるけども うちの母親は睡眠時間を削って毎日仕事をしている。土日も関係なし。 でも、食卓に並ぶおかずはどれもこれもおいしかった。 あまりに忙しくスーパーのお惣菜が食卓に並ぶことも月に2〜3回はあったけど 作ってくれる時には今思い起こせば手のかかるものが妙に多かった。 仕事が忙しく、母親は自分の身を削って仕事をしているので 子育てに手が回らなかったことも多々あったと母は後悔もしてる。 それでもあの食事メニューを思い起こせば、愛情を感じずにはいられない。 私が中学に上がった頃からか、食事はすべて私が作るようになったのと 更に今は実家を離れて1人暮しをしているのとで ここ何年も母の作った晩御飯を食べてはいないけど、 酢豚やグラタン、おでんやロール白菜など、 どれもこれも味は忘れちゃってるけど忘れ難いものがきちんと心に刻まれてるな。
252 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/17(金) 21:39
お母さんが昔よく、手作りのお菓子作ってくれた。 パンプリン、ミルクプリン(ト、ユウナノゼリ−)、カップケーキ、、 家、貧乏だったし(今より)よく、手作りしてもらった。 パンも作ってくれた。ハイジの白パン系の形で歯ごたえは有り。 塩とマーガリンがきいてたなぁ〜
253 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/17(金) 22:08
大学時代、料理好きの俺は、よく友人に ご飯を作ってあげていました。 その日も、知人から電話が有り、 夕ご飯を作って欲しいとのこと。 19時くらいに遊びに来るということで、 食材を揃え、丁度来た時にご飯が出来る ように準備してました。 彼は、時間通りには現れず、 その後いつまで経っても、来る気配が無い。 おかしいと思い、彼の部屋を訪ねてみると (共に、寮住まいだった)、在宅中の上 コンビニ弁当をほおばっている最中。 彼は、夕飯を頼んでいたのを忘れてたんです。 俺の顔を見て、「あっ!」って気付いて すぐ謝ってきたんだけど、やっぱりどうしても 我慢ならなくって、言いたい事言って帰ってきた。 一人、部屋で冷めた二人分のご飯を やけになってかっ込みながら、情けないような 悔しいような、なんとも言えぬ気持ちになったものです。 平気で夕食をすっぽかす旦那を持った 奥様方の気持ちが、少し理解できた気がしました(^^;
254 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/17(金) 22:16
私が小学6年のとき母が過労で入院しました。 父は食事なんて作れず、家族5人が困惑しました。 長女だった私が家族を喜ばせようと夕食作りにチャレンジ。 「味噌汁とご飯と焼き魚」というシンプルなメニューでしたが・・・ しかし私は味噌汁のだしを忘れてしまい、ただの「みそ湯」になっていました・・・。 弟と妹は無言で残していましたが、父だけはうれしそうに「うまいうまい」といって残らず食べてました。 翌日、病院の母にもおいしい夕食のことを話していたそうです。 最近、外国のホテルの朝食バイキングで「みそ湯」を飲んでたら、 その当時の恥ずかしかった事や父の事思い出してすごくなつかしーくなってしまいました。
255 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/18(土) 06:37
小学校1年の担任の先生(女)は厳しい人で、給食を残すことを絶対許さな かった。食べれるまで帰らせてくれなかった。一年生だと午後の授業が無い 日が多いので、それこそ2時でも3時でも、食べれるまで給食と向かい合い。 自分だけが残されるならまだしも、自分と席が同じ列の人は連帯責任で全員 残されるため、みんなに「早く食べてよー」と見つめられながら、食べれなくて 泣く毎日。みんなもいい迷惑だったでしょうに・・・。 申し訳ない気持ちで一杯なんだけど、どうしても食べられなくて・・・特にやきそ ばに入ってるキャベツの芯が天敵だった。 他にも縄跳びを20回飛べるまで教室に入れてくれなかったこととか、宿題を 忘れたら廊下で正座してやらされたことも忘れられないけど、好き嫌いの多い 私にとって一番辛かったのは給食だった。 「切干大根」の日は、大泣きして学校を休んだこととか、今思い出すと笑える けど、あの時は生きるか死ぬかの瀬戸際って感じでした。 そのクラスには登校拒否の子が2人いたんだけど、理由は「給食が食べられ ないから」。結局一人は転校していったけど、「一年生にそこまで厳しくするのは どうか」っていうのが問題になって、翌年その先生は6年生の担任に変わった。 大人になった今、最高の贅沢は「高級なものを食べる」じゃなくて「自分の好き なものだけを食べる」ことだとしみじみ思います。
256 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/18(土) 21:07
俺にはかけがえのない人がいる。 借りのある人に頼まれて知り合った子だけど、付き合う内に俺にとって本当にかけ がえのない人間になった。俺にとってはまだ子供だけれど、時間がその子を大人 にしてくれるはずだから。 でも大人になったら、大人になれたらが口癖のその子はもうそれだけの時間がな かった。 忘れられないのは、まだ少しは食べられた時のこと。 本当は食欲なんかなかっただろうに、誕生日になにが食べたい?と聞くと、今まで 雑誌で見るしかできなかったからと色々な飯をリクエストしてきた。わいわい言い ながら作って、テーブルにならんだ料理を眺めて、それからその子は行儀よくいた だきますを言って、一口づつ食べた。それからぽろぽろ涙を落として笑って言って くれた言葉は、たった一言「おいしい」だった。 今その子は点滴だけで生きている。あれがあの子にとっての最後の食事になるの かな。せめてあと一度だけでいいから、お腹いっぱいに好きなものを食べさせて やりたい。
257 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/18(土) 23:11
私の父親は、亭主関白と言えば聞こえもそれなりだが、単なる我儘乱暴親父だった。 とにかく機嫌が悪くなると家族に当る当る。家族が集まる食事時は、親父の鬱憤晴らしの 恰好の場だった。怒鳴り散らし、物を投げ、場合によっては張り倒される恐怖と戦いながら 食う飯の、なんと不味かったことか。文字通り砂を噛むような思いだった。 ある年のクリスマスシーズン。2〜3日前から親父の機嫌が悪かった。 母は父の機嫌を取るために、一生懸命クリスマスディナーを作った。 テーブルの中央にケーキを飾って、鶏の腿肉を焼いて…。 我々子供たちも手伝って、テーブルセッティングを終え、父の帰宅を待った。 いつもなら7時には帰ってくる父が、その日に限って帰って来ない。 8時になっても、9時を過ぎても帰って来ない。 先に食ったりすれば、それでなくともこの数日機嫌の悪い父のこと。どれほど暴れるか 想像もつかない。母は子供らをなだめながら、黙々と待った。 父が帰ってきたのは、午前零時。酒が入っていたのだろう、妙にご機嫌だった。 食堂で家族全員がじっと待っているのを見た父は、バカにしたような顔つきで 「おや、皆さん、どうかしたんですか?」と日頃は家族に絶対使わない丁寧語で 言い放ち、振り返りもせず寝室へ直行した。 母は黙って食卓を片付けた。食欲など皆失せはてていた。
あのー横レスすみません。 思い出に残る食事1を最後のもの食う人さんのレスまで保存した人いませんか? ううぅ最後まで読みたかった。履歴にも残ってないし、、、ショック
259 :
名無し1 :2000/11/19(日) 21:46
ついこないだ2CHのどっかで読んだけど? どこだったかな。
260 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/20(月) 01:35
>259 >260 レスありがとうございます。>260さんのやはり見れなかったんですけど、 気持ちがすごくうれしかったです。いいスレにはいい人がいますね。(^_^)
262 :
名前無し :2000/11/20(月) 18:23
小さい頃、私はとても食欲旺盛で、肉が大好きでした。 お肉の類いはいつも2人分食してました。 母親は、家族一人に付き1人前を用意してるだけなのですが、 「これも食べなさい」って、いつも母親は、 自分の分を私にくれるんです。 母親は魚好きで、肉はそれほど食べないというのもあると思うのですが、 お肉のおかずが無くなると、 ご飯とお味噌汁と付け合わせ位になってしまう。 ある日、聞いてみたんです。 「なんで、いつもお姉ちゃん(私です(^^;)にくれるの?」と。 「自分で食べるよりも、子供が食べて 喜んでいるのをみるほうが嬉しいんだよ。」 その時は、そんなもんかなって思っただけですが、 今思い出すと母の愛情が嬉しく心温まります。
263 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/20(月) 20:13
よし、もうちょっとで仕事おしまい。 さあ今夜の晩ご飯が楽しみだぁ。 妻と子供がおいらを待ってるのさ。 こんな毎日の晩御飯がたまらなく幸せです。
264 :
名無しは無慈悲な夜の女王 :2000/11/20(月) 20:46
すさむ話ですが。 家が貧乏だなんて気付かなかった頃のこと(つーか、下には下がいるのを見ていたから)。 私は弟と一緒に具だくさんのラーメンを食べていました。 母は父の晩酌のつまみをこしらえていました。 そこにいきなり父の弟が乗り込んできて「ぶっ殺してやる!」と叫び、 母に「包丁出せ!」と怒鳴ったり、父に殴りかかったり。 私と弟は母に促され、ラーメンを放って子供部屋に避難しました。 事情はお金絡みのこととしか言えないけれど、父に落ち度などないのは確かでした。 父の下の弟が止めに入ってくれて大事には至らなかったけれど、 それからずっと、家で食べるラーメンには悲しみが付きまといます。
265 :
Mrs.名無しさん :2000/11/20(月) 20:53
266 :
Mrs.名無しさん :2000/11/20(月) 20:57
35 名前: 林 投稿日: 2000/11/22(水) 03:04 俺はそんなに言われなかったが当時小学生の妹が本当に可哀想だった。 給食でカレーのある日に学校に行きたくないと泣きながら訴えていた。 休んだらなおさら言われるよと諭されて行ったものの、その日の給食 ではイジメ小僧どもに危険だからと、当番を外され、掃除用具入れに 閉じ込められた。と家に帰ってくるなり母に話して泣き崩れた。夜に母から この話を聞いたときは俺も親父も悲しくて涙が止まらなかった。 親父はその晩のうちに担任の家に行って担任を引っ張り出して、妹を 閉じ込めたガキの家に乗り込んだ。親父が荒いことをしないようにと 俺もついていったけど、「子供の喧嘩でこんな夜中に来るのは非常識 じゃないですか?」と言った相手の親に、俺の方が掴みかかってしま った。親父はそんな俺をビンタして先に帰らせた。 その後、妹を苛めていた他の子供の親たちも呼んで話し合ったらしい。 親父が家に帰ってきたのは朝の7時過ぎだった。それ以来、妹は学校で 苛められることはなくなったそうだけど、中学生となった今でもカレー だけは食べることができない。うちの食卓にカレーが出なくなってから もう2年以上が経つ。俺自身は外で食べればいいだけの話だから構わない。 (母の作ったものを食べたい時もあるが)ただ、いつか妹が自分の 子供をもつまでには、なんとかこのトラウマがなくなって欲しいと思う。
268 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/22(水) 19:00
5年近く付き合った、大好きな人がいました。 彼は一人暮しだったので、家に来た時には少しでも 美味しくて栄養のある物を食べて欲しくて、よくご飯を作ってあげてました。 ある時彼が『この間実家でおふくろのカレー食ったけど、 お前の作るカレーの方が美味いと思った』 と、言ってくれた事がありました。 『俺、洗脳されてる?』って、笑ってたけど、私はすごく嬉しかった。 ずいぶんひどい振られ方で別れてしまったけど、 私の作った食事が、彼の中の『思い出に残る食事』に なってるといいなあ、と思います。
5年前、渋谷のマックで退学届を書いた。 様々な事情が絡んでいるので背景説明は省くが、 俺は絵で飯を食っていくんだと自分に言い聞かせながら おそらく一生に一度しか書かないだろう書面を汚い字で綴った。 書いた後に口にした冷めたポテトの舌触りだけは忘れられず、 そのときから食べたくない食い物の一つになった。 今は駆け出しながら、なんとか絵で食えるようになった事が せめてもの救いかもしれない。 誇れるような職に就きたかった訳じゃない。 世の中の端を歩く事になっても、自由になりたかった。 あの時の自分をわずかながら肯定できるようになった、 今の自分がありがたい。 ・・・青臭いな。オザキ風味でお恥ずかしい事です。
270 :
名無しさん@1周年 :2000/11/23(木) 02:23
うちの野球部では先輩の痰の入ったコーラを新入生が飲む儀式があった。 拒否するとボコボコニ殴られるか、退部のどちらかになる。 俺は普通に飲み干した。すると、先輩達の要求はだんだんエスカレート していった。今、俺が人のウンコを食うことに夢中なのはあのころの 思い出の食事がきっかけみたいだ。今度はいぬのにも挑戦する。
俺がまだ小学一年ぐらいのこと。 スパゲティを食べようと箸で一生懸命自分の茶碗に移そうとしてたとき、 妹が皿ごと横取りしようとした。 「待てよ!」って言ったら、突然隣にいた父に殴られた。 拍子に茶碗も床に落ちて、何故殴られたのかも分からず、俺は涙ぐんで床にこぼれ落ちた飯を手で拾ってた。 家族の中で俺に慰めの言葉とか、俺に味方する人はいなかった。 ・・・ひょっとしたら、これって本当に俺が悪いのか? 今までの人生、嫌な想い出しかないよ・・・sage。
272 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/23(木) 10:42
暴力お父さんが怖くて誰も言い出せなかったのでは。
273 :
名無しさん@1周年 :2000/11/23(木) 10:53
>>270 私もそうですよ〜!もしかして、そういうのって自分だけで
変態じゃないのかと思って不安だったのですが、ちょっと
安心しました。
274 :
名無しさん@1周年 :2000/11/24(金) 06:40
うんこってとんこつの味だから、おいしい人とそうでない人との差が激しいよね
275 :
電猫 :2000/11/26(日) 04:32
生前弟はガム中毒っていえるくらいチューインガムが大好きでした。 その消費量たるや、歯が解けるんじゃないかと思えたくらい(笑。 母も虫歯を気遣って、ほどほどに買ってくるよう調節してました。 弟はまだ高校入りたてでお金も無かったから自分で買ってくるような こともしてなかったし。 ある朝、突然、弟は冷たくなってました。前日の夜「早く寝なよー」って 喋ったばっかりだったのに。若い人でも、時々、なんの原因も無くても いきなり心臓が止まってる、ということがあるんだそうです。 スーパーにいって、置いてあるだけの種類のガムを買ってきてお棺に 入れました。山盛りになってました。どうせ燃やしてしまうんですけどね。 僕はあまりガムを食べないほうですがコンビニで弟が好きだったガム とか見るとあの山盛り思い出します。もうあんな一気にガム買うこと なんてないだろうなあ。 このスレのことは知ってたんですけど、昨日が命日だったんで、 ちょっと書き込んでみました。
276 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/26(日) 14:53
趣旨がずれそうですが・・・ 幼稚園のころのある朝起こしにきたのが母ではなく 父だった、母はお産のため入院した為だ。 そのときの朝ごはんのじゃがいもとたまねぎの味噌汁 が忘れられないなー 後、食が細かった自分に作ってくれた、ごはんですよをのっけた 冷奴も忘れられないなー 実家からちゃんとご飯たべてる?電話があったので こんなことを思い出した。
277 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/28(火) 15:11
ずっとファンだった人がいます。 某プロスポーツ選手で最近結構有名になっている人。 学生の頃から好きだったのですが彼はプロ入りと同時に地元を離れて 彼の試合を見に行けるのは年に数回。 当時は顔見知りくらいにはなれていたと思いますがもう数年前の話。 私なんてすっかり忘れられていると思っていました。 ところが先日地元のお寿司屋で彼の試合や調子について話しているときに 知らない中年の女性の方に声を掛けられました。 「もしかして、@@さんよね?(私の名前)」 なんとその方は彼のお母様。 彼は私のことを覚えてくれていてたまに試合見に行ったのも気づいてくれていたそうです。 そしてお母様に名前や昔から見ていたことを話していたらしいのです。 「@@さんは俺が最初にサインあげた人だよって何度も言うのよ、あの子」 ・・・感涙。 そのあとお母様は「この店で一番おいしいのはこれよ」と鯛の握りを奢って下さいました。 握り、サビ抜きじゃなかったのに(わさびダメなんです)世界で一番おいしいと思いました。
278 :
偽グルメ :2000/11/28(火) 15:23
このスレ、どれが真実で、どれがネタかって考えると面白い。
279 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/28(火) 16:02
自分が感じて信じたままに・・全部ネタとは思わないし。
280 :
偽グルメ :2000/11/28(火) 16:20
281 :
もぐもぐ名無しさん :2000/11/30(木) 13:03
あげさせていただきます
282 :
やの字 :2000/11/30(木) 13:31
やっぱり恋愛がらみになってしまう(笑)。 去年の6月によいな、と思っていた女の子に告って見事にふられた。 ちょうど転勤が決まって、多分二度とあえないだろうということが 分かっていたから勇気を振り絞った。場所は家の近くの喫茶店。 話の内容は覚えていない。が「ごめんなさい」と彼女が小さくなって言った のだけは覚えている。 引越しの準備も終わって家には食い物なかったから、彼女が帰った後、一人で その喫茶店で飯を食った。ボソボソのハンバーグ切りながら「なにやってる んだろう」とぼんやりしていた。 別にその日はどうということもなかったのだが、大阪に転勤して一週間ぐらい して彼女から手紙が来た。もう一度考えましたが、やっぱり恋愛の対象とは おもえない…という内容。それから3回も手紙が来た。季節のあいさつと 健康を気遣っている内容。 別に放っておいてくれてもいいのに。優しいこだったな、いいこだったな …振られたけど(笑)。 いい女を好きになったことは一生の宝かもしれんね。ハンバーグとセット になった思い出です。振られたけど(あー、ひつこい)。
283 :
まぐまぐ :2000/12/01(金) 14:46
このスレいいですね。 じゃ、僕もひとつ 実家にいるときは好き嫌いばかりで母が作る料理に文句ばかり言ってました。 それで、母がおこって「あんただけ明日から自分で弁当買ってきな!」 といいました。で、おれもむかついたから「じゃあ、晩飯代500円」 みたいな話をしました。 次の日、部活帰りにセブンイレブンでびっくりチキンカツ弁当 [たしか500円のはず]をかって家に帰ったら、母がすぐドアをあけて 「今日すきやきだよー」っていいました。俺は無意識に弁当を見せて 自分の部屋で温めてもいない弁当を一人で食べました。 ごめんなさい。 大学から一人暮しして、好き嫌いはほとんど無くなりいまでは実家に帰るの楽しみです。
284 :
名無しチェケラッチョ♪ :2000/12/03(日) 01:34
すばらしいage
285 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/04(月) 13:32
いつも楽しみにこちらを読ませていただいてます。食べ物って記憶に結び付きやす いんでしょうか。 自分の事ではないのですが、母がアイスを見ると思い出して語る小話なんぞを一つ。 中国地方の山奥に住んでいた母が子どもの頃は、家はちっちゃな農家で、家族総出 で朝から晩まで働いてたという状態。 そんなある夏の日、村にアイスキャンディー屋さんがやってきました。山奥の田舎、 ということで例えそれが戦後であってもまだアイスは珍しく、滅多に食べられるも のではなかったとのこと。周囲に店もほとんどなく、月に1度くらいの割合でこん な物売りさんがやってくるのがとても楽しみだったそうです。 折りしもカンカン照りの真夏日。昼の支度をしていた母の母(つまり私から見てば ーちゃん)は、「たまには冷たいものも食べさせてあげたい」と思い、思い切って 家族分のアイスを買いました。ちょうど母を含めた子どもたちがお昼御飯を食べに 学校から帰ってきて、初めて手にするアイスキャンディーに大歓声。 あとは、畑に出たままのじぃちゃんの分が一本…… しかし、アイスはどんどん溶けていきます。(当然冷蔵庫などはありません)。 そこで、ばーちゃんの考えたこと。 「冷たいところで冷やしておけば大丈夫」。 子どもたちに畑にいるじぃちゃんを呼びにやらせている間、ばーちゃんは野菜を冷 やしたりする井戸の中に入れてしまいました。井戸水の中に。 「アイスがある」ということで浮き浮きしながら帰ってきたじぃちゃんが手にした ものは、棒一本になってしまったアイスキャンディーのなれの果て……。 今でも、親戚一同が暑い日に集まったりすると話題に上がるそうです。 泣ける話ではありませんが、母の楽しかった子供時代の思い出ということで。長文 失礼致しました。
286 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/04(月) 18:56
ほのぼのage
287 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/06(水) 12:08
このスレ好きなのでage
数年前の今日、当時片想いで好きだった人の子供を中絶した。 手術後、つきそってくれた友人と、友人の知り合いの家に行き、 友人と夕食を作った。 手術当日は絶対安静なんて百も承知だったけど、 何かをしておかなければ、壊れていく自分がいて、必死で作った。 友人が私を心配しすぎて泣くのではないかと、そちらの方が心配で、 努めて何も考えないようにした。 つわり続きで、そのころほとんど食べられていなかったのに、 お腹の赤ちゃんがいなくなった途端に戻ってきた食欲に、 自分が一番驚いた。ひどく嫌悪した。 美味しいと思うたびに、死にたくなった。 「なんで?なんで美味しい?」 泣けるほどの余裕もなかった。ただ、ずっとその疑問符だけが ぐるぐると廻っていた。 美味しいことが哀しかったお話。 暗い話でごめんなさい。面白く無いので、sage.
このスレ読んでたら、記憶がよみがえってきました。 小学校低学年だった頃、父親が外に愛人を作って 何ヶ月も帰らない時があった。 残されたのは母と2つ上の姉とわたし。父親は真面目に会社に 行ってはいたようなだけど、お給料は一切家には入れず。 最初は貯金を食いつぶしながら親子三人暮らしてたけど、 さすがに何ヶ月後かにはお金もなくなってきてだんだんと食事情が貧しくなってた。 母はお米にはこだわる人で、いつも一番高いお米を買っていたようだけど、 一番安いお米になったり。おかずの数も減ったり。 そんな日々が続き、さすがに幼い私も「なんかうちはへんだ」と 感づいてきたんだけど、「どうしてお父さんは帰って来ないの?」と 母親に聞いても「お父さんは遠くにお仕事なのよ」と言われ、「そーなんだー」と納得してた。 するとある日、学校から帰ったら、父親がひょっこり戻ってきている! 母親が説得したのか親戚に諭されたのか。しかしその時私はすっかり父親がいない 環境にも慣れた頃で、父親の姿を見ても格段喜ぶわけでもなかった。 そんな娘の態度が気に食わない父親は(勝手だ…)夕食前までにはすっかり不機嫌に。 そしてそんな不機嫌な父親が怖く、ますます寄り付かない私。 そんな状況をわかっているのかわかっていないのか、母親は何事もなかったかのように、 夕飯の仕度をしてたなぁ。 そして、親子4人久しぶりに食卓を囲んだ。 すると、テーブルに運ばれてきた食事はここ何ヶ月か姿を見せて いなかった豪華な食事。多分、メインはトンカツか何かだったと思うんだけど、 その他色々なおかずがあった。 何ヶ月かご飯+おかず一品続きだったので、その食事を見て開口一番、 「わぁ!今日は豪華だね!なんでなんで!?」とはしゃぐ私。 久しぶりの父親の姿には喜ばず、今日の晩ご飯に喜ぶ娘の姿を見て父親はますます不機嫌に。(顔が怖かった…) すると、今まで黙って座っていた姉が「○○(私の名)、黙って食べり。」(一部方言)とぴしゃり。 まだその場の雰囲気が読めない私は「??」と思いながらも黙って食べることに…。 父親はどんどん不機嫌になっていき、久しぶりの食卓は沈黙ばかり落ちて行く。 幼いながらもなんとなく「はしゃいじゃいけないんだ…。しゃべっちゃいけないんだ…。ちゃんと食べないといけない…。」 と考え、緊張しながらお箸を進めてた。 その緊張のせいか、私はトンカツソースをスカートにこぼしてしまい、「あっ!またお父さんが怖くなる!」 とすごくあせった。そしたら、黙ってふきんでスカートを拭いてくれたのは姉。 そんな娘達を見て何も言わず、黙って箸を進める両親。 「ごめんなさい…。」と姉に謝るわたし。 その後、結局父親は再び家を出ていき両親は離婚したのだけれど。 もう、15年以上前の記憶だけど、あれ以上重苦しい雰囲気だった食事にはまだ出会っていない。 今思えば、あの時姉はあれ以上父親が不機嫌にならないよう必死だったのだろうか。 それとも父親がいなくても親子三人でちゃんと食べていけるんだ!あんたがいないからって 今まで貧しい食事じゃなかったんだ!と父親にアピールしていたんだろうか。 姉はあの時のことを憶えているだろうか。今度年末に実家に帰った時にでも聞いてみようかな。 けど、「思い出に残る食事」じゃなくて、「思い出したくない食事」だなー。 記憶って触発されてよみがえるものなんですね。 長い話でスミマセン。
ageage
291 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/15(金) 17:35
test
292 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/15(金) 17:42
父はすごくせっかちで、ご飯を食べるのもとても 早く、お店に食べに行っても私たちをせかすので 食事に行くのがとてもいやでした。有名なうなぎ屋 でもせかされて、そのあと胃の調子が悪くなった ほどで、家族から責められてもせっかちは直りません。 そして、人生もせっかちに駆け抜けて64で亡くなり 私は、何故か早食いの人と結婚してしまいました。
293 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/16(土) 23:25
唐揚げ。
294 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/17(日) 01:31
ageage
295 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/17(日) 13:01
私が小学生の頃、突然田舎の祖母がうちに遊びに来ました。 その人は父方の祖母なので、母にとっては姑です。 しかし、「遊びに来た」と言いつつも、1週間経っても、2週間経っても 帰る気配がなく、挙げ句の果てには「長男の嫁とうまくいかないから、 帰りたくない」と言い出しました。 うちの父は、若い頃親に苦労をかけたんだけど、兄弟の中でひとりだけ 遠くに住んでいるので、親孝行できない自分が辛かったと言い、 ひとりで祖母の同居を決めてしまいました。 もちろん母はおもしろくありません。急に母は祖母に対して意地悪に なりました。ある日、祖母が父の大好物の「きびなご」という小さな 魚を遠くの卸売市場まで行って買ってきました。父はきびなごのお刺し身 が、子供の頃の一番の大好物だったそうです。しかし、私が住んでいる 地域ではあまり見る魚ではないし、母は魚をさばくのが苦手だったので 「きびなごの刺し身」など父に食べさせたことがありませんでした。 祖母がそのきびなごを持って台所に入ろうとしたら、母は、 「うちの台所は狭いので、一緒に流し台に立たれると困ります」と言って、 祖母が台所を使うのを拒否しました。すると祖母は、2月の寒い中 庭の水道に行って、凍えるほどの水を使いながらきびなごのお腹を指で さいてみごとにお刺し身を作ったんです。 仕事から帰ってきた父が、そのお刺し身を 「母さん俺これ食べたかったんだ!」とおいしそうに食べているのを見て 母の怒りは爆発したようです。食後、祖母が自分の部屋に入った後、 今まで見たことのない夫婦喧嘩が始まりました。 父をののしる母の声は、隣の部屋でTVを見ていた私たちにも聞こえていて、 「このままじゃ、大変なことになる」と思い、私と弟があわてて居間に 駆けつけようとした途端、父が何ともいえない切ない声で 「あの人は、俺にとってたった一人のおふくろで、君とは別れられても 俺を産んでくれたあの人とは別れられない」と言いました。 その途端、私と弟は廊下で泣きました。そしてふと近くを見ると、 祖母がその場に泣き崩れていました。 母はその父の言葉に、自分の母親を重ねあわせたらしく、父に何度も 「ごめんなさい」を言って、祖母を受け入れるようになりました。 しかし、見ず知らずの土地で暮らすのは体に合わなかったのか、 祖母は父の一番下の弟が住む、住み慣れた土地に3年で帰ってしまいました。 そしてその10年後、祖母は痴呆症の為、老人施設に入りました。 叔父や叔母が尋ねていっても、「あんた誰だったかね」と言って 自分の子供が誰か全く分からなかったようですが、父が行くと、 5割の確立で「遠くから良く来たね」と、父だとはっきり分かって いたようです。 しかし一番の驚きが、何度行ってもうちの母のことははっきり覚えて いたこと。いつ行っても「あんたにはつらい思いをさせて悪かったね」 「あの時はごめんね、本当にごめんね」と声をかけてくれたそうな。 その祖母が先月亡くなりました。 祖母のお通やの席で、父の姉がきびなごの刺し身を持ってきてくれたとき、 それを見た私たち家族は、号泣しました。叔母は 「おばあさんはきびなごをさばく時、いつもxxx(父の名前)にも 食べさせてやりたいね、あの子が近くにいたら、いつでもさばいて やったのに。ってうるさいほど言ってたんだよ。」と言いました。 そして昨日、初めてうちの食卓に、母がさばいたきびなごが登場しました。 見てくれは悪かったけど、父が無言で食べて、すぐトイレに駆け込んだ 姿は一生忘れないと思う。トイレで泣いてた父のために、今度は私が さばいてみよう。
296 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/17(日) 17:01
>>295 どうしよう…涙が止まらない、この話…。
途中までしか読んでない方、最後まで読んであげたってや。
5歳くらいだったかな。祖父母が私を遊園地に連れていってくれました。 当時ひよわだった私は楽しいよりも、暑いことやひとごみで すっかりばててしまい、ぐずってばかり。 祖父は私をおんぶして、ソフトクリームを買ってくれました。 けれど、私はいらないいらないと言い張って一口も食べなかった。 ほんとは好きだったのに・・・つまんない意地をはってばかだったなぁ。 今でも、暑かったのになんでかぺったりくっついていたかったおじいちゃんの 背中と、困った顔で私をのぞきこむおばあちゃんの優しい手を覚えています。 ときどきソフトクリームを口にすると思い出してせつないです。 おじいちゃんが生きてるあいだに、1回謝りたかった。 食事じゃなくてごめんなさい。さげておきます。
298 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/18(月) 08:55
会社員のみなさんのためにage
299 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/18(月) 09:59
ま、いろいろあるよね。
仕事中なのに、涙でディスプレイが見えないよぅ。
301 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/18(月) 17:18
>295 なかなか素敵な泣き虫オヤジじゃ。
302 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/18(月) 18:24
オレも、号泣。
303 :
さばおどり :2000/12/18(月) 18:45
お前らもっと泣ける話書けよ。ネタ作りは風呂に入ってる時が 一番思い付くぞ。なんなら、俺の新ネタでも見るか? 涙で前見えんくなっても知らんぞ。
304 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/18(月) 20:03
>295 ばーちゃん・・・ばーちゃん可哀相だよう。 とうちゃん良いとうちゃんだなあ。こんな 家族いるのかなあ。
305 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/18(月) 20:16
>303 泣かせてくれよぉーー。(号泣)
306 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/19(火) 10:25
昨日も泣いたのに、今日もつい読んでしまって涙を堪えている。 今後「きびなごのおさしみ」は地雷です。
307 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/19(火) 17:30
料理じゃないけど。 日本酒の匂いを嗅ぐと、子供の頃によく喧嘩していた両親を思い出す。今思えば別に仲が悪かった訳でもないのだが子供にとっては地獄なのであって。なるべく喧嘩が起こらないように父親の機嫌を取ったりしてたな。日本酒の匂いを嗅ぐとあの頃の情景が思い出される。 僕は22歳で両親は今も健在なんだけど。 つまんない話ですいませんでした。
308 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2000/12/19(火) 18:26
>>295 旦那さんの心のつっかえ棒を取った奥さんに泣けた。
309 :
ぐもぐも名無しさん :2000/12/19(火) 22:30
もう13年前の話。 祖父が春ごろガンで入院をし、秋になって退院許可が やっと下り、家に帰っていました。 当時高校2年生だった私は、お見舞いに祖父の家へ行く途中 渋谷の東横のれん街でアイスキャンディーを大量に買ったんです。 そして祖父と2人で黙々と食べました。 「ああ、きっとこれがこの家で見る最後の祖父の姿だろうな」と 思いながら。 それと祖父はおそばが大好きな人でした。家に行くと必ずそばを茹でて よく食べていたっけ。あとカップヌードルも好物みたいでした。 だからアイスキャンディーやそばを食べる時は亡くなった祖父と一緒に 食べているような気がします。
310 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/20(水) 00:59
うちのばあちゃん、元気な頃はすげー勝気な人で母親を 結構アゴでこきつかってた。 で、62歳の時に階段から転げ落ちて、入院したら癌が 見つかってその後1ヶ月後くらいで死んじゃった。 最初階段から落ちた時、しばらくは家で寝てたんだけど、 そのときにばあちゃんが「お水が飲みたいから取って きて」って言ったのに、当時中学生でナマイキなガキ だったわたしは「そんなの自分で取りに行きなよ」と 言って遊びに行ってしまった。元気な頃は人にものを 頼むことなんてしなかった人なのに。 自分が病気になったこともなかったから人の痛みが 分からなかったんだろうけど、今思うとなんて残酷な ことしちゃったんだろうと後悔してる。 その後ババ孝行する間もなく死んじゃったから。 ただ水を取りに行くだけのことが何でできなかったん だろうかと思う。食べることも好きな人だったけど、 最後は本当に弱ってしまっていたから、今でも姿を 思い出すとちょっと泣ける。
311 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/20(水) 22:09
>295さんのお話、とても沁みます。 きびなごのお刺身…食べてみよう(ミーハー?でごめんなさい)。
312 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/20(水) 23:48
俺は映画館の館主の息子として生まれた。 東宝は毎年、12月13日に東京會舘で「年忘れパーティー」を 開いているが、そのお土産がこれまた毎年同じく、カステラ2本。 俺は親父が持って帰るそのカステラが大好きだった。 数年前、親父は死んだ。 俺は親父の後を継ぎ、映画館の館主になった。 今年の年忘れパーティーに参加したら、 いろんな人から「お父さんにそっくりだなあ。」と声をかけられた。 お土産はやっぱりカステラだった。 仏壇に供えて、そのお下がりを食べた。 昔と同じ味だった。
このスレを読んでいてオフクロに会いたくなった。 でもニューヨークで自営をやっているんで帰るチャンスが取れない。 なんだか妙なホームシックにかかってしまった。
314 :
Ped. 3th :2000/12/21(木) 16:01
子供の頃の話。 私は子供の頃は毛蟹がとても好きでした。 その為、私を可愛がってくれていた私の祖母は、田舎に帰ったときは、 よく毛蟹を買ってきてくれました。 ところが、どういうわけか、祖父は私にだけ厳しく、私自身も祖父が あまり好きではありませんでした。4人の孫の中で、特に私は嫌われて いたようでした。 また、姉や従兄弟にはおもちゃなどを買ってあげるのに、私だけには何 も買ってくれないので、不平等感を感じていました。 しかし、祖父がはじめて毛蟹を買って帰ってきてくれたことだけは鮮明 に覚えています。当時、祖父に嫌われていたと思っていた時分にとって は、とてもうれしく思いました。夕飯時、酔っていた祖父は、突然、 「XX(私の名前)、医者になれ、医者はいいぞー。好きなものを何でも 食べれるから。」と言いました。 その時は、将来は官僚になりたいと思っていたし、医者という職業に いいイメージがなく、第一、血を見るのが嫌だったから、私は、「嫌。」 と答えただけで、また、祖父はそれ以上何もいいませんでした。 祖父は酔う度に「医者になれ」と言いましたが、私は適当に「うん。」 といって流していました。 その後、私は、中学受験に失敗。祖母が慰めてくれる中で、祖父は私を 詰りました。それがきっかけで、より一層祖父が嫌いになりました。 高校受験の時は、3年間まじめに勉強した成果もあって、有名大学付属高校 に合格しました。祖母は、非常に喜んでくれましたが、祖父は何も言って くれませんでした。 高校合格後、はじめて田舎に帰った晩、祖母は私が好きになった タラバ蟹 をたくさん用意してくれていました。 ところが、タラバ蟹と一緒になぜか毛蟹が2杯置いてありました。 祖母に聞くところによると、祖父は私が毛蟹に飽きていたことを知らずに 買ってきてしまったようです。私は、そんな祖父に多少の憤りを感じました。 (蟹は腐りやすいからその日のうちに食べなければいけないので)毛蟹と タラバ蟹が山ほどあるなか、私は毛蟹は味噌をつまんだだけで殆んど手を 着けませんでした。今考えてみると、祖父が私のためだけに買ってきて くれたのは、私の記憶する限りではこの時の毛蟹2杯だけでした。 その後、祖父は急に元気がなくなりました。パーキンソン氏病でした。 高3の修学旅行の時、近くまで来たので、祖父と叔母に会いました。 祖父はだいぶ病気が進んでいたらしく、私自身、これで祖父に会うのも 最後かな、と思っていました。進路のことを聴かれ、私は当時はもう官僚 になりたいとか考えておらず、普通に就職すればいいやと思っていたので、 文系の学部に行くと思う、と答えました。 祖父は、「そうか」と言ったまま、何も言いませんでした。 大学3年の春、祖父は他界しました。私が海外旅行から帰ってくる2日前の ことでした。 教会での葬儀だったので、身内だけで祖父の話をしているとき、田舎にいる 叔母が私に祖父のことを教えてくれました。 祖父は、4人の孫の中で私が一番できると思っていたため、将来は医者に したいと言っていたそうです。なぜ、祖父が私を医者にしたかったかは もう知ることはできませんが、子供が2人とも女だったので孫に期待を していたとのことです。 しかし、私が医学部に行く気がないことを知ったとき、祖父は非常に ショックを受け、その時からどんどん体調を崩していった、とのこと でした。 当時、生物系の研究室に所属していた私は、大学院に行こうと考えて いましたが、医学部を再受験することにしました。両親を説得し、浪人 してでも国立の医大に行こうと思っていました。 しかし、母に相談したとき、祖父が私立医大にもいけるようにお金を 遺していたことを教えてくれました。「XXが医学の道を志したとき、苦労 しないように。」と。その時、なぜ子供の頃、祖父は私にだけ厳しく、 何も買ってくれなかったか、始めて理解することができました。 そのお陰で卒業してすぐに医学部に入り直し、今は小児科医(まだ認定医 じゃないけど)になりました。 去年、2年間の研修期間が終わり、やっと好きなものを食べられる身分に なりましたが、祖父に申し訳なく、未だに毛蟹を食べることができません。
315 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/21(木) 17:30
なんか、泣けます。このスレ。
316 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/21(木) 20:45
317 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/23(土) 17:56
学生の頃、同級にひょうきんな男の子がいた。 丁度この時期、学校の給食に小さなクリスマスケーキが出てきた時なんか ケーキにさしてある紙製のサンタ人形を他の人からもたくさん集めて 全部自分のコッペパンにつきさし、「見て見て。ほら、サンタクロースの合唱隊。」 そんな事をして皆を笑わせる事が得意な子だった。とてもいいヤツだった。 まさかそれから十数日後、不慮の事故で亡くなってしまうなんて、誰も思わなかったろう。 今でも、ふっと思い出したりする話です。
318 :
名無しさん@1周年 :2000/12/23(土) 19:33
今の子供たちは「お誕生会」というものをやっているのだろうか? オレが小学校の4年生ごろは、自分の誕生日には みんなこれをやっていた。 仲のいい友達を家に呼んで、プレゼントをもらって、ケーキを 食べて、まあ、その後はゲームやドッジボールをするのだ。 オレも誕生日には、クラスの仲間を7人ばかり家に呼んだ。 母にカレーを作ってもらい、それを食べた。 みんなはそのあとのケーキが楽しみだから、おかわりをしなかったのだ が、沢田という友達だけは「うまい、うまい」を連発して なんと大皿3杯も食べた。 彼、そのあとのケーキはさすがに食べられなかったが、 とても満足して帰っていった。 後日、話を聞いたら、家庭の事情かなにかで あまり両親の手作りの料理は食べられず、インスタントや出前ばかり の夕食だと話してくれた。 こいつとは未だに交流があるが、 「あの時のカレーほど美味かった料理はないよ。」 となにかにつけて言ってくれる。 母が死んだとき、葬儀のあれこれを助けてくれてくれたのも 彼だった。
沢田さん、よっぽどあなたのお母さんのカレーに感激したんでしょうね。 いつまでも良い友情が続きますように。
320 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/23(土) 23:48
.中学生の頃、夕食にうなたまがでました。 (鰻を卵でとじたヤツ) 2日前の夕食にも鰻がでたから兄弟でブーブー文句を。 そうしたら母がキレて夕食の物を全部床にブチまけました。 今、結婚してご飯を作る立場になって分かりました。 自分の作ったもののケチをつけられる気持ちが。 お母さんごめんなさい。 あれから食卓にうまたまはでない。
321 :
名無しさん@1周年 :2000/12/24(日) 04:03
322 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/24(日) 05:26
>>258 さんほか、みなさんへ。
遅レスかつ横レス申し訳ありません。が、たくさんのひとの利益になるかと思って。
PART1をホントに最後のレスまで読める方法を知ったので、書き込ませてください。
>>260 さんの指定してくださった場所には現在、datファイルが残ってます。
これを右クリックで「対象をファイルに保存」して、
http://members.tripod.co.jp/tatsu01/ に置かれているツールによってHTMLにコンバートしてください。
これで最後までPART1を読むことができます!
最後のもの食うひとさんのレス、私も読んだことなかったからなんかうれしかったです。
でもこの方法、2ちゃんじゃ常識なのかな・・・?だったらごめんなさい。
横レス、失礼しました。んじゃ、次の食事へどーぞ!
324 :
春 :2000/12/25(月) 17:59
(こらえていたのですが295で泣)僕も思い出に残る食事をひとつ。 10年以上たってもいまだに「うま煮」を食べるとあの時のことを思い出します。 短大生の時に付き合っていた彼女は時々手料理をご馳走してくれました。 彼女はいつも「今日のは何点?」って聞いてきました。 素直じゃない僕は「チョットしょっぱいから70点だ」と毎度辛口の採点でした。 1年ほど付き合って、彼女に好きな男が出来たことを察した僕は 別れを覚悟していました。そして悩んでいた彼女からいつもの様に 「今夜は何が食べたいの」と聞かれたときも、 「うま煮が食べたいな〜」と僕は気付かない振りをしていました。 バイトを終えて彼女の家に行くと「あまり上手に出来なかった」といわれました。 確かにゴボウなどは生煮えで、噛みしめる度に「ゴリ、ゴリ」とものすごい音が しましたが「食べないで残して」と言う彼女をよそに、お代わりして平らげました。 自分「今日の、100点だったよ。」 彼女「えっ! どうして。」 自分「100点は、100点としか言えないよ。」 彼女「生煮えなのに・・・」 自分「まっ、そんなに悩むなよ。もうサヨナラするからさ。」 突然あっさり言いきる自分。 ビックリした彼女の顔はそのウチくしゃくしゃになり泣き出しました。 彼女「ゴメンね、ゴメンね・・・わたしは酷い女だ〜(号泣)」 その後、彼女を落ちつかせ、彼女が辛く無い様に笑顔で振舞っていたのですが、 彼女の家のドアを閉めたとたんに涙があふれて止まらなくなりました。 今思うと振ったのか、振られたのかよく分かりませんが 当時は(振る方が辛いなぁ)と想って泣きました。 本当はいつも100点満点だったんだよ。 ○○ちゃん、ごちそうさまでした。
325 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/25(月) 19:40
>>324 うわあ、自分の最初の男を思い出しちゃったよ、、、。
もう、気持ちが別のところに逝っちゃうと、
女ってすぐ料理に出るからね。私も別れる前、
そいつにはまずいものばかり食べさせてたな。
別にまずいもの作る気なくったって、自然と手抜きになっちゃう。
ただ、貴方は偉かったよ。
彼女に恥をかかせなかった。
本当にいい男だ。
女として、彼女は最後にとても幸せだったと思う。
く、くそう、泣けてきてしまったよ、、、。
326 :
吾輩は名無しである :2000/12/25(月) 21:19
どっちかっていうと笑える話だけど… あたしが4歳、姉が6歳のときのこと。 夕方におなかが空いたあたし達姉妹は、卓上にある6本のバナナの房を見つけ 「ねえ、バナナ食べていい?」と母に聞きました。 「晩ご飯食べられないとイケナイから半分こね」母は言いました。 それを聞いた姉はぱっと眼を輝かせ、「半分も!食べていいの!」と大喜び。 母は「一本をふたりで半分こ」のつもりで言ったのに、姉は6本÷2つまりふたりで 3本づつ食べて良いのだ!と理解してしまったのです。 そのあとなんとも嬉しそうな姉を見ながら、内心「いいのかなあ」と思いながらも バナナを3本食べてしまった4歳のあたし。 事実を知った母が呆然としてしまったのも当然でした。 今でもバナナを見るとあのときを想い出します。バナナなんていつでも食べられるのに あのときはバナナ3本食べられるってすごい興奮だった(笑) ちなみに今は姉はバナナがキライだそうで食べません。
327 :
車&チクリ&洋楽板住人 :2000/12/27(水) 22:22
今日、このスレ、パート1から読んだんだけど、2chでこんなに良い気持ちになったのは初めてだった。 こういうスレは、本当に新鮮に感じた。2chでこんな世界があったんだ。(w 僕がいつも居る板は最近煽りが酷くって、まさに言葉の格闘場みたいになってんだけど、いつもそういう 所でカキコしてると、いつのまにかコッチもケンカ口調になってしまうんだよね。 昔からの2chねらーが「ここの雰囲気も昔とえらく変わったな・・・」と嘆いていたの良く 見かけたんだけど、このスレ見て判った。
328 :
三十路記念 :2000/12/28(木) 21:42
父子家庭で育った俺は祖母が母親代わりでした。ガキだった俺は遠慮もなく祖母 にワガママを言っては、よく困らせたものでした。手作りのケーキや自家製クッ キーなんて食べたことがなかったので、ある時祖母に「今度作ってよ」と言って みました。でも大正生まれの祖母にできる訳もなく、差し出されたのは大きさや 形がバラバラなクッキーでした。味もパサパサで、やたら粉っぽい。それからは 得意気にクッキー作ってくれるんだけど、やっぱり美味しくないんです。 正直に「マズい」って言えばいいのに・・・30を越えた今でも言えません。 やっぱり婆ちゃんが好きだし、照れくさいけど母親だって思ってるし。 嫁さんには食べさせたくないな。(笑) 俺だけが知ってる「味」として、残して おきたいです。
329 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/28(木) 23:05
>>328 おばあさまキュートです。大事にしてあげてくださいね。
330 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/29(金) 11:26
えっと、いまこのスレッドみつけました。 前スレから読み始めてるところなんですけど、もうね、あかんですよ。 泣いてしまって仕事にならんですよ。 さっき同期のヤツにも教えてやったところです。 ちょっと便所に行って泣いてこよう。
331 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/29(金) 14:15
そろそろ帰省されてるかたも多いのでしょうか。 私の家は田舎育ちではありませんでしたが1月2日にはかならず親戚一同 市内にある祖母の家に集まり叔父叔母や従兄弟たちと顔を合わせ それぞれ持ち寄った料理で宴会をするのが新年会でした。 十数年も前のことになりますが、 その祖母が年末に本当に急に倒れて入院してしまいました。 病状は重く集中治療室で孫の私たちはガラス越しの面会でした。 母や叔父たちは病室で祖母と少し話すことができたようで 祖母が「蜜柑が欲しい」と言っているとのこと。 私たちは一番美味しい蜜柑を手に入れるべく お店をはしごして、いろいろな蜜柑を何キロも買いました。 それをもって病院へ行くと、すでに叔父叔母や従兄弟たちも 同じように蜜柑の袋を手に提げて来ていました。 みんなで買ってきた蜜柑を 年末で人の居ない病院の待合い室の ベンチの上に広げて 大きくてツヤのある一番美味しそうなものを選び 祖母の病室へ持っていってもらいました。 ほとんど何も口にできない状態になっていたはずの祖母でしたが 母が袋を剥いた蜜柑を1房、すするように食べていました。 大量に買い込んだ蜜柑を待合い室で従兄弟たちと食べて夜を明かしました。 私の母は祖母を心配して食事は全くとれない状態だったのですが 叔父が「お袋も食べてるんだから お前もちゃんと食え」と叱って 母は泣きながら蜜柑を食べていました。 祖母は結局年が明けた1月2日に亡くなってしまいました。 親族は葬式の準備で祖母の家に集まったけれど 例年と違い何の料理の支度もしてありません。 大人達は準備に忙しかったので 私は従兄弟たちと乾きものや余っていた蜜柑を食べていました。 そのうち従兄弟のひとりが「おじいちゃんにも蜜柑のお裾分けをあげよう」と言って 仏壇に蜜柑をお供えしようとしたら祖父の位牌の横に封筒が。 中をあけてみると祖母から私たち孫へのお年玉が入っていました。 お年玉袋にはそれぞれの名前が書かれており 例年通り裏にはカタカナ混じりの祖母からの一言が書いてありました。 まめだった祖母は12月のうちから用意してくれていたのでしょう。 それから毎年1月2日の命日には祖母のお墓参りに 母と蜜柑を持って行きます。 蜜柑をお墓にお供えする時はいつも 親を亡くすということの重さを考えさせられます。 待合い室で半泣きになりながら蜜柑を食べていた母の姿と 母の手から 剥いた蜜柑をすすっていた祖母の姿が忘れられません。 。 母には長生きして欲しいと心から思っています。
332 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/29(金) 17:02
お年玉の所ですごくもう……せつないです。 秋頃から入院していたうちの祖父は 私達孫にお年玉を渡すのをとても楽しみにしていたそうです。 なのにお正月の朝急に容態が悪化し、手も動かせなくなって。 枕元で祖母からお年玉を受け取る私達を じっと見つめていた祖父の優しい目、忘れられません。 食べ物話じゃないのでsageます。ごめんなさい
sage忘れた… おじいちゃんにもよくおっちょこちょいと言われたなあ
334 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/31(日) 00:13
>>331 いい話ですね。俺も自分のおじいちゃんのことを思い出しました
俺の祖父は12才の慰安婦に中出しして、
朝鮮人の頭を叩き割ってそこにションベンかけて
笑っていた偉い人でした。
親父も韓国人女子留学生をレイプしては、
殺して山林に埋めてそこに野糞をするような人でした
335 :
おじいちゃんの口癖です :2000/12/31(日) 00:17
我々日本を愛する国士は戦後から現在までに激変してしまった在日の行動様式を問題にしているのであって、かつてのように同胞民族として天皇に忠義を尽くすということであれば在日を攻撃することはない。 戦後、それも高度成長期以降、平成になってから朝鮮右翼が 日の丸を振り、天皇陛下万歳といいながら、かつての一視同仁、八紘一宇 の大御心を否定する私利私欲の行動様式を取るようになったため、日本人 でない者による日本民族精神高揚運動は実際には日本民族精神破壊運動に なってしまっている。特に統一教会の別働部隊である国際勝共連合などは、 あらゆる右翼民族派団体に侵入し、その情報を統一教会や右翼民族派陣営 と対立している組織に流している。朝鮮右翼は竹島問題で韓国に抗議行動 したりはしないように、その正体は反日であり、日本精神のホメ殺し をしているのだ。 神の国日本万歳!! 在日を神の国から追い出せ!! 朝鮮人はみなごろしだ!
336 :
名無しさん :2000/12/31(日) 00:23
オレは韓国女に欲情し興奮するイケナイ男だ。たまにテレビでも見かける在日韓国 人3世の辛・淑玉(しん・すご)は、細い目と頬骨が特徴的な朝鮮キムチ顔だが、 ハキハキと物言う姿に、オレの卑猥な妄想がかきたてられ、テレビに映る辛の顔に ボッキしてしまう。”人材育成研究所・所長”とかカタガキぬかして、生意気な女 だ。 石原都知事の「三国人」発言に真っ先に反応したのもコイツ、辛淑玉様だ。 テレビを録画して辛の醜い顔に、何度もオレの臭いザーメンをぶっかけてやった。 辛・淑玉にチマチョゴリを着せて臭いキムチまんこに日本人の種付けしてやるのが オレのもっとも興奮するオナニーだ。「キムチのクサさをお許しください・・・」 「辛・淑玉は、日本人様専用の韓国メス奴隷です。どうか、日本人様の子供をたく さん産ませてください・・・」。涙をながして懇願する哀れな辛・淑玉・・・ オレの”奴隷リスト”には、ケイ・ウンスクや、スージー・カン、SESなどの、 ジャパンマネーに醜くしがみつき、日本人にこびながら生きる韓国女が含まれる。 日本のテレビに露出すればする程、そのペコペコ頭をさげる情けない姿に、 何にもかえがたい征服感をおぼえるのである。 今日も明日もオレに犯され続ける隣国のキムチまんこたち・・・・
337 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/31(日) 00:25
ロッテホテル横の屋台でボラレマシタ。 注文した品より多いものを出し、「注文してない。」と言っても目の前で伝票を書き直してとぼけていました。ラチがあかないのでホテルの従業員とガイドと警察を呼んだのですが一切受け付ずしまいには逆切れです。奴等が言うには「おでん・チヂミをサービスしているのに間違えたかからといって文句いうな俺らが持ってきたものの金を払わないとは侮辱も甚だしい。」だとよガイドが注文オーバー分を立てかえると言ったからあきらめて払ったけど、注文ミスも警察呼ぶまで一切認めず。認めた後でも余分な注文ミス分の料金を払えと2時間以上喚きまくり。民度が低くて呆れました。 PS.ホテルの従業員は2:30-5:00迄交渉してくれたんですがね。(トラブル耐えないから余り行かない方がいいと言っていました。)ソウル行く人は気をつけて。
338 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/31(日) 00:26
この前、韓国旅行行ったけど、337の人みたいに 飯食ってると2回に1回はボラれた。 それもボル必要のなさそうな吉野家みたいな普通の店とかでも、 他の国でもボッタクリは有るって言う人も居るけど、 貧乏でお金が欲しいからボラれるっていうのと感じが全く違う・・・ 日本人だから嫌がらせしろ、って感じだった。 嫌な上司のお茶にいたずらしてやれ、みたいな。 でも、最後まで店員とかボリつつ親切そうなフリするからもうあきれて物も言えなかった。 親切な人多いって言うけど、親切な時は不自然過ぎる教育TVみたい。 でも悪い事する時は豹変する、裏表有りすぎ。 ビールとチヂミだけで3000円位取られたりとか 恥知らずすぎ、いいかげんにしてほしい
339 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/31(日) 00:27
あーあー韓国人は日本で連続婦女暴行をしているのと同じく、ぼったくり魔でも あることは有名です。 以前日本大使館員が地方で秀吉が攻めた後の遺跡を調査していた所、 それを見ていた強姦民国人に店に入って食事することを強要され、値段もふっかけ られたらしい。その後詳細は忘れたが、大使館員が「戦争の傷跡を調査して〜なん たら」といかにもチョンコが喜びそうなことをいった所、値段がぼったくり価格か らさがったそうだ(笑
340 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/31(日) 00:27
韓国では日本人からぼったくるのは良い事(正義)と されているんじゃないかな? 日帝支配への復讐だと思ってるんだよきっと だからテレビの前であろうとなんであろうとぼったくる 復讐に名を借りた金儲けならまだかわいげがあるが 本気で復讐するためだけにやってそうで怖いよ
341 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/31(日) 00:27
あの〜、数年前にソウルに行ったとき、町中のケーキやさんで購入した ショートケーキが日本では30年前ぐらいにとっくになくなったバタークリームケーキ(しかも無塩バター 使ってないので塩辛い)だったんですが、これがそのソウル唯一のケーキ屋 さんなんですってね!!キレイな所だったので、味との落差にひっくりかえった ものです。 不二家並っつーか昔の結婚式の披露宴でもらうようなケーキだったよ。 韓国人ってかわいそう、とつくづく思いました(きょうび東南アジアのほうが よっぽど旨いケーキがある)。
342 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/31(日) 00:28
韓国料理って見た目が汚ねぇんだよな。 あと、器も最悪。 食べ方も嫌だ。 箸とスプーンを一緒に持って、立て膝で、ほおばって食べる。 辛い料理が多いので、味覚が育たない。
343 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/31(日) 00:28
おぉ、チョン公ども、金髪レイプ王織原もやっぱりチョン公だってなぁ。 こらぁ、えぇ、日本国内の凶悪犯罪やチンピラヤクザも殆どがチョン公 なんだってなぁ、おぉ。 日韓併合で日本は朝鮮のインフラにどれだけ投資したかわかってるのかぁ、 こらぁ。今も金やら米やらどれだけ恵んでやってるのか分かってるのかぁ〜、 おぉチョン公ども!!。おまけに特別に永住権まで与えてやってる奴が何人 いると思ってるんだぁ、あぁ。その上、選挙権までよこせだとぉ〜、おぉ。 つけ上がるのもいい加減にしろ、チョン公!!!!!!!!!!。 今までの大恩を忘れ、口を開けば誹謗中傷と責任転換。これぞ正に 犬にも劣る恩知らずだなぁ、おぉ、チョン公ども。 お前ら所詮はアジアのゴミ、人類の恥部、地球のウンコなんだよぉ、 おぅ、 分かってるのかぁ、こらぁ!!。 このクズ、ボケ、カス、ゴミ、ウンコ、バカ、タコ、オタク、ヘンタイども、 こらぁ、己の分を弁えてるのか、えぇ。 エラ張ったでかい面みせるんじゃねぇ!!!!!!!!!!!!!
おいおい慰安婦の腐れマンコから生まれ落ちたチョン公を あんまりいじめるなよ。ただでさえチョンに生まれてしまった っていう障害背負ってるのに。この間まで日本人に殴られなが ら炭鉱掘ってた奴らにしちゃよく頑張ってる方だよ。誉めてあ げなきゃ。いじらしくてけなげじゃないチョンって。美味そう にキムチ喰ってる奴らの顔って結構かわいいぜ、カニみたいな 顔しててさ。チョンを馬鹿にする奴は俺が許さないぞお!
345 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/31(日) 10:40
最近、
>>344 他(うっとうしいから他略)のコリアン話題で
モニターを見る人々を煽るヒッキーが
食事系の板各所に出没しています。
こういった低脳なあおりに騙されぬように、
次のお食事話をお願い致します。
346 :
もぐもぐ名無しさん :2000/12/31(日) 16:04
大学生の時、おれが初めてセックスをした彼女は かなりの人数を経験しているようだった。 おれは彼女が本当に満足しているのか不安だった。 ある日突然、彼女がセックスをする前に 栄養ドリンクを飲み始めるようになった。 おれは少し自信がついた。
347 :
名無しのオプ :2001/01/01(月) 04:28
腹が立つ話。 ウチの一家は全員甘いものを好む。 そのせいか母親はよく暇な時にさつまいもを使ったお菓子とか、 ケーキを作っていたもんだ。 幸い、一家全員横幅が大幅にオーバーすることはなかったけど(笑) それで三年位前。俺が大学生で妹が高校生くらいだったかな。 どうやら妹に同級生の彼氏ができたらしい。 で、今度の日曜日はその彼氏の誕生日だと。 妹と母親は大張り切りでクレープを何段重ねにもした(ミルクレープって 言うんだっけ?)誕生日ケーキを作っていたんだよ。 で、ケーキ完成。余ったら俺にくれることになった。 そんで日曜日の夕方に自宅に戻ってくると 誕生日パーティはお開きになったらしい。妹は楽しそうだった。 まだケーキが余っていたんで貰った。 とても美味しかった、以上。 え? どこが腹立つ話かって? ……腹が立つんだよ(笑)
348 :
もぐもぐ名無しさん :2001/01/02(火) 10:40
初詣あげ
349 :
もぐもぐ名無しさん :2001/01/02(火) 12:23
350 :
もぐもぐ名無しさん :2001/01/03(水) 14:36
僕の会社の先輩が話してくれたことなんですが その先輩は小さい頃に家族が交通事故に遭い、母と祖父、妹をなくしたらしいんです。(父は離婚したそうです。)残ったのは祖父だけだったんですが、その祖父も高齢だったんで親戚がその先輩を引き取ろうという話になったらしいんです。しかし祖父は先輩を親戚に預けず、自分で育てることを選んだそうです。先輩の家は小さな酒屋で、祖父はその酒屋の経営で先輩を育ててくれたらしいんです。 先輩が大学を出て(国立です!!)会社に入社した頃、親戚の宴会に祖父と一緒に参加したらしいんです。先輩はお酒を飲んだせいか感傷的になり、祖父に泣きながら育ててくれた事への感謝などをしたそうなんです。そうしたらその祖父は、「おまえも家族を持つことになればわかること。家族を背負うのは大変なことだがそんなに辛い事ではない。おまえを育てることになって生き甲斐が出来きた。」みたいなことを言ったらしいんです。 宴会でお酒を飲むとその時の事を思い出すそうです。その祖父も10年位前に亡くなったそうです。その時は家族が死んだとき以上に悲しかったそうです。 料理とは関係なかったんですがいい話だったので書きました。
351 :
もぐもぐ名無しさん :2001/01/03(水) 16:39
子供は里芋のにっころがしや大根の煮付けなど、 好んで食べるものじゃない。だけど、祖母と同居していた頃は そういうお惣菜がいつも食卓にあった。 子供ながらに「ばあちゃんがせっかく作ってくれたから」なんて 思いながら口にすると決って、ばあちゃん 「里芋、腐りかけてたんだけど、どう?」とかって言う。 言わなきゃいいのに・・・。こちらも食べる気無くしてしまう一言。 でも今、自分で料理して家族に食べさせるときに、同じ事してるんだ。 「ちょっと賞味期限切れちゃったんだけど・・」 「ちょっと色が悪くなってたんだけど・・」 食材がちょっとなんだけど、食べられるように作ったよって 言いたいのか、自分が料理してる姿を思って欲しい、って感じなのか。 なんとなく、おばあちゃんの気持ちがわかる。 里芋見るたびに、おばあちゃんに見つめられながら食べた 煮っころがしを思い出す。
352 :
もぐもぐ名無しさん :2001/01/07(日) 18:40
sagaってる・・・
353 :
名無しさん@公演中 :2001/01/08(月) 04:46
つわりがひどかったとき、季節はずれの桃が食べたくなって、 旦那に言ったら、買ってきてくれました。 かなりぐすぐすになってたけど、探し回ってくれたことがわかってたので、 食べました。 ただし、出産後も、育児中のいまも、果物と言えば桃を買ってきます。 (缶詰やけど)。 ほんとはあんまり桃は好きじゃないので、困るけど、 「ありがと」と言って食べてます。 おっちゃん(←私は旦那をこう呼ぶ)、私、ほんとはバナナの 方がすきなんです……。
354 :
もぐもぐ名無しさん :2001/01/08(月) 08:18
うちのばあちゃんは洋服屋をやっていた関係上、 台所に立つことがほとんどなく、料理はほとんど出来なかったらしい。 だから、帰省して食べるばあちゃんの料理は、あまり美味しいもの ではなかった。 ところが、一度だけ、心の底から「美味しい」と感じたものがあった。 有る時たまたま作ってくれた、筍の煮しめである。 あまりの美味しさに、鍋いっぱいの筍を全部一人で平らげてしまったのだ。 それを見たばあちゃんは、大層喜んだ。恐らく、ばあちゃん自身も 自分の料理にコンプレックスを持っていたのだろう。 それからは、俺が帰省する時には、ばあちゃんは 必ず筍の煮しめを作るようになったとさ。
355 :
もぐもぐ名無しさん :2001/01/08(月) 09:24
>350 >母と祖父、妹をなくしたらしいんです。( >父は離婚したそうです。)残ったのは祖父だけだったんですが、 ん?祖父って生きてるの?死んじゃったの? たぶん祖母の間違いなんだろうけど、 こういう間違いがあると どうしてもネタに読めてしまう・・・・
356 :
もぐもぐ名無しさん :2001/01/08(月) 14:12
>>355 多分祖母の間違いでしょう、文脈からいうと。
ネタも実話も笑いながら、そして泣きながら読んでます。
つうか、どっちでもいいじゃない?いちいち区別しなくても。
スマソ 2ちゃんではネタ?という感じの書き込みが ゴロゴロあるんで、つい・・・・・・
358 :
もぐもぐ名無しさん :2001/01/08(月) 18:54
作る(と言うほど大げさではないです)話ですが。 小学校低学年の頃、始めてハウスの牛乳を温めて作るプリンを作りました。 カップ氷水の上に並べて、牛乳を軽量カップで測ってお鍋に入れてと、 手順通りに進めてプリンを冷蔵庫に入れて冷やしました。 あとは、固まるのを待つだけ・・ってところで3才年上の姉が カラメルソースを作ってしまったのです!! 怒りながら激しく泣きました。全部自力で作る気でいたのに・・。 その後は怒りが収まらず、意固地になってプリンは食べなかった気がします。 30を超えた今でも、ちょっと恨めしかったりします。
359 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2001/01/09(火) 11:31
360 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう :2001/01/09(火) 12:00
正月で実家に帰ったときに、男友達から飯に誘われ(俺も男だが)、 ハンバーガー持って、町の名所にいって、海を見ながらもぐもぐ食べてました。 特に、美味しくも感動的でもなかったのだけど、 なんだか、このスレッドが思い出されました。 海を見つつ、「これも思い出の食事になるんだろうか?」と、 必要以上に神妙な気分になってしまいましたよ…。
361 :
もぐもぐ名無しさん :2001/01/10(水) 04:18
このスレ大好きです。
362 :
350 :2001/01/10(水) 12:48
すいません・・・。亡くなったのは祖父ではなく祖母の間違いでした。 やっぱりネタだと間違うんですかねぇ?というのは冗談ですが。実話です。間違えてしまって本当に申し訳なかったです。
363 :
355 :2001/01/10(水) 16:31
>350 ごめん。このスレのパート1のほうで、 間違いを指摘して「ネタだろ!」と書き込むのを よく見かけたので・・つい・・ マジごめん
364 :
もぐもぐ名無しさん :2001/01/11(木) 02:02
思い出に残る食事とは少し違いますが・・・。 母の話によると、私は母乳で育ったそうです。 生後6ヶ月も過ぎた頃、いつものように母乳を あたえていた時に、思わぬ激痛が。 なんと、私は生え始めた乳歯でおもいきり乳首 を噛んでいたそうです。 母はすぐさま病院に行ったとのことです。
365 :
サンドイッチ :2001/01/11(木) 02:41
店は小さかったけどうまいサンドイッチを売ってる店が会社のそばにあった。 店のおじさんとは特に親しく話をしたわけじゃないけど、顔を覚えてもらえるくら いにはなっていた。 でも自分が会社を休んで旅行に行ってる間にまさかおじさんが不幸な出来事で亡く なってしまった。 今でも時々そのおじさんのメンチカツの挟まったサンドイッチの味を思い出す。 思い出した後、もう二度と食べられないんだな、と残念になる。
366 :
名も無きマテリアルさん :2001/01/11(木) 16:20
367 :
もぐもぐ名無しさん :2001/01/15(月) 13:00
age
>>366 どうやって入れ替えるの?
スレを立て直せと?
このネタこれ以上伸びそうにないんだよね
もう最盛期は過ぎてしまったし・・・
そろそろ終了かな?
369 :
366 :2001/01/15(月) 22:05
>>368 1のリンク先のファイルを入れ替えれば良いのではないかと思います。
スレを立てなおす必要は無いですよね。
面倒なら結構なんですけど。
次スレが立つまでここが持つかどーかが問題ってことだろ?>366 立つとしてもその時まで366のURL覚えてる人いないだろう、きっと。 いや過去ログアップは助かるんだけどね…
366 既出だったみたいですね。見落としてました。
372 :
もぐもぐ名無しさん :2001/01/16(火) 22:21
実父は金持ちだった。 でも、自分の所得をいつも人の為、人がよろこぶことに使っていた。 その父が癌になった。 最後に一緒に食事したのが大学病院の地下の食堂だった。 世界中を回って、世界中の食べ物をたべてきた父と とてもシンプルなうどんを食べた。 そう言えば、育ててくれたばあや(イヤミでしたら、ごめん)と 最後に食べたのも、麺類で、近くのラーメン屋でだったな。 思いださせてくれて、ありがとう。
373 :
もぐもぐ名無しさん :2001/01/17(水) 11:28
お年よりの思い出、みなさん多いですね・・・ 読んでたら、79歳になる姑を、今までちょっと敬遠してました (いろいろ傷ついたことがあって)が、今度家に泊まりにきてもらおう、 と考え直しました。夫のお母さんだしね。(一緒に思い出を作る時間も残り少ないし) でも歯がほとんど無い人なんだけど、どんな料理作ったらいいんだろう・・
374 :
もぐもぐ名無しさん :2001/01/19(金) 22:00
私の祖母は92の長寿でしたが、最後は老衰で入院して 病
375 :
374 :2001/01/19(金) 22:10
続き 叔母達や従姉妹達と交代で病院に食事をさせに 通いました。無理矢理まずい病院食を口に運び、 「食べないと退院できなくなるから」などと 言って・・・。そして食べ物が喉を通らなくなる時 がくると、前にそんなことを言ったことをとても 後悔しました。 こんなことを書き込むのは止めようと思って、 消していたところ、あやまって送信してしまいました。 ごめんなさい。 でも祖母を看病できたことは とてもよかったと思っています。
376 :
ゆんぼくん :2001/01/23(火) 02:17
私は駅弁を食べると必ず思い出す事がある。 あれは・・18の時だったかな〜〜。 私が九州に住む男性と恋をして、その人の家に遊びに行くって話になったの。 新幹線の切符も手に入り、あとは父親の了解を得て、 荷物をまとめて出発するだけって感じでとんとんびょうし! 出発前夜、私は心の準備をして、両親に九州に遊びに行く事を告げたの・・。 したら父親が半ば反狂乱状態になっちゃって・・・。 大声出して「二度と帰って来るな!!一生そっちで暮らせ!!」って言うから 私はすごく恐かったけど、18でめいっぱいの意地張って、 「わかった・・もうここには帰って来ないから・・」って言ったの。 私は淋しくて、悲しくて、いっぱい恐くて、その晩、布団被って ずーっと泣いたよ・・・。 次の日、母親には新幹線の出発時刻だけ教えて、私は朝早く家を出た。 東京駅に着き、新幹線ホームまで辿り着いた私は、乗ろうとして思わずハっとした! ホームの向こうから、キオスクで買ったお茶と幕の内弁当を持って父が笑ってた!! 私は目を疑ったけど、ほんまもんの私の父だった。 私は溢れ出る涙を堪えられなかった。 出発するまで、父親は何にも話さないで私に買ってきたお茶をガブガブ飲んでた。 私は泣いて泣いていっぱい泣いて、息が出来なかったのを鮮明に憶えている。 それで強く強く思った・・「あ〜〜別れてこよう」って。 それから十数年たった今も駅弁を食べると思い出す、あの時の事を・・・。
377 :
もぐもぐななし :2001/01/23(火) 03:36
よくわからない・・・。 何でお父さんがけんかしてるのにくるの? なんでそれでわかれようって思うの? うーん、何かいいことが隠されてるんでしょうが、 ちょっと理解できない。 詳しい解説きぼん。
(父の思い)一時の感情でかっとなって怒り狂ったが、 やっぱり自分の娘は可愛いくて、心配だ。 だから、駅まで行った。 (娘の思い)何もしゃべらなくても、娘には父親の思いが 伝わり、娘は自分が親からとても愛されていることを実感した。 その親と、つき合っていた彼のどちらが好きか? と考えると、 当時の自分には親の方が大事に思えた。だから、彼とは別れる ことにした。 ってことじゃないの。素敵な親子関係が感じられる良い話だ。
>>378 さん
私の気持ちを、また父の気持ちも理解してくれどうもありがとう。
とっても嬉しかった・・。
380 :
眠れない7743 :2001/01/24(水) 04:58
漏れが厨房の時の話だ。 当時いろいろ教育の実験、という言い方が正しいのかはわからないが、をやっている 中学校に通っていた。林間学校ではマッチ・ライター類持参禁止、火は自分で 木を擦り付けて起こすというルールだった。食器類も持ち込み禁止だったかな。竹で代用。 火を起こす練習も出発前に散々やった。今思うと教師の確信犯だったのだが 林間学校の日程は7月半ば。そんな時期の長野県なんて雨に決まっている。 豪雨の森に放り出され、なんとかテントを設営して雨をよけながら火を起こすが 当然木が湿気てしまって火は起きない。 仕方なく初日は、「支給」のトマト1個をかじって寝た。 生で食べられそうなものはそれだけだったので、翌日からは必死だった。 クラス中が結束して火を起こそうとした。2日目の午後遅く、ようやく火が付いた。 それからも、引率教師たちが放った魚を麻紐を編んだ網ですくって丸焼きにしたり、 鶏を絞めて食べたり、いろいろあったが あの日無念の思いでトマトを食べたことは忘れられない。 そんな自分らが泥まみれのキャンプをした白樺の茂る森も、今は開発されて ゴルフ場になってしまったらしい。 今でもたまに思い出すんだな。
良いね〜
382 :
大黒屋の天丼 :2001/01/26(金) 01:38
母がすごく厳しい教育ママで、幼稚園の頃からお受験をさせられた。 小学校受験の時に、面接試験でドモって上手く喋れなかった俺は不合格となった。 その合格発表の帰りに大黒屋(浅草の有名な店)に寄って、母と天丼を食べた。 一緒に受験した友達らが全員受かって、俺だけ落ちたことに母は異常に腹を立てていた。 「アンタは何をやってもできない子だ」「私はすごく恥ずかしい」と食べてる間中、 責められ続けた。俺は泣きながら「ごめんなさい」と謝って、天丼を食べていた。 6歳だったが、この光景はハッキリ覚えている。 結局俺はそれからもたいしていい学校にも入れず、母にゴチャゴチャ言われ続けた。 あんまり嫌になってので、大学は遠く離れた地方の国立に行って何年かは帰省しなかった。 「帰ってきて」と電話する母に、「もう嫌なんだよ。アンタに馬鹿だとか罵られるのは」 と言い、傷つけたまま帰らなかった。しばらくして実家にいる姉から「お母さんが病気に なってる」と電話があり、初めて帰った。母はものすごくやつれていたが、俺の顔を見ると すごく喜んだ。そして二人で昔よく行った浅草に行き、大黒屋に入った。俺が6歳の時の 受験の帰りの話をすると、母は「ごめんね。アンタを傷つけ続けてたんだね」と泣いた。 その涙を見て俺も、なんてヒドイことをしたんだろうと思った。2回目の天丼もなんか しょっぱかった。 今では母親とすごく仲が良くなった。母に「また大黒屋に天丼食べに行こうね」と言われている。
383 :
大黒屋の天丼 :2001/01/26(金) 01:40
母がすごく厳しい教育ママで、幼稚園の頃からお受験をさせられた。 小学校受験の時に、面接試験でドモって上手く喋れなかった俺は不合格となった。 その合格発表の帰りに大黒屋(浅草の有名な店)に寄って、母と天丼を食べた。 一緒に受験した友達らが全員受かって、俺だけ落ちたことに母は異常に腹を立てていた。 「アンタは何をやってもできない子だ」「私はすごく恥ずかしい」と食べてる間中、 責められ続けた。俺は泣きながら「ごめんなさい」と謝って、天丼を食べていた。 6歳だったが、この光景はハッキリ覚えている。 結局俺はそれからもたいしていい学校にも入れず、母にゴチャゴチャ言われ続けた。 あんまり嫌になってので、大学は遠く離れた地方の国立に行って何年かは帰省しなかった。 「帰ってきて」と電話する母に、「もう嫌なんだよ。アンタに馬鹿だとか罵られるのは」 と言い、傷つけたまま帰らなかった。しばらくして実家にいる姉から「お母さんが病気に なってる」と電話があり、初めて帰った。母はものすごくやつれていたが、俺の顔を見ると すごく喜んだ。そして二人で昔よく行った浅草に行き、大黒屋に入った。俺が6歳の時の 受験の帰りの話をすると、母は「ごめんね。アンタを傷つけ続けてたんだね」と泣いた。 その涙を見て俺も、なんてヒドイことをしたんだろうと思った。2回目の天丼もなんか しょっぱかった。 今では母親とすごく仲が良くなった。母に「また大黒屋に天丼食べに行こうね」と言われている。
二重投稿スイマセン。
385 :
もぐもぐ名無しさん :2001/01/26(金) 18:40
age
386 :
mogumogu :2001/01/26(金) 21:35
>382 私はまだ母が許せないなー。今年22になるんだけれど 382のお母さんのように すごくいいとこある人間なんだけど、 そういう子供を傷つけるような暴言を吐きつづけてしまう女って、 まともに社会で仕事した経験とかが無い女に多いのかなって思う。 いい人だとはほんとに思うけれど いつか大人になれないものかな。 小6で眼鏡を始めて作った時に(今はコンタクト)眼鏡屋さんの 帰り道、車の中で 「これでもうお嫁に行けなくなったわね」 といわれたことに始まり(後部座席で涙ぐんだ。お嫁に云々という ことよりも、そんなことを言う実の母親の存在に対して) ネタはいっくらでもありまっせ。 いつか仲良くなれたらいいと思うけれど 家を出てからかなぁ。 距離ができないとなぁ。一生一緒に住むべきではないと思う。 あ、ちなみに普通程度にはもてております。 18の時にはプロポーズされたし 普通程度っていうか、最低限程度か。 固い優等生タイプで、ものいいのキツイ女で のんびりした優しさが なくて 私の親しい好きな友人には絶対いないタイプ 同い年でも友達にはならなかったと思うけれど そんなことふと思いました。 大黒屋の天丼って、すごく美味しいんですか?
387 :
もぐもぐ名無しさん :2001/01/29(月) 04:03
age
389 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/02(金) 08:49
age
390 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/02(金) 08:52
√ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ _______ / ̄ | / \ / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| |/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ | | / | | \ | | / ` | | ´ | | ` ´ | | | / _ _ | | _ _ 6) (6 つ. | | /(_)\ | | ___ | | ___ ゜ | | /__/ | | \ \ | |_ ___/ \  ̄ ̄ / | / | / ̄ ̄ | \ / / . \ \ / ./ \ \_________/ / . \ / \ / | | ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄| | | | | | | | | | (__)(__) (__)(__)
391 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/02(金) 09:40
大学の時同棲していた彼女の作ってくれたご飯。 始めは、全然料理してなかったみたいで食べら れたものではなかったが、徐々に美味くなって いった。今でもそうだが、年に数回しか実家に 帰らない。たま〜に実家に帰ったとき母の料理 を食す時があったが、塩辛すぎて病気になるよ ーな気がした。味の基準が彼女のそれになって いたようだ。アパートに戻り彼女にそのことを 話すと、とっても嬉しそうでした。大学を卒業 して12年立つが今でも思い出す。 その彼女は去年結婚したと電話があった。幸せ になって欲しい。
392 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/02(金) 14:53
おおう、切ないage
393 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/03(土) 01:00
中学受験の時。合格発表を両親と見に行った。 その日は風邪ひいてて熱が高かったんだけど。 見事合格してて自分も嬉しかったけど両親がすごく喜んでた。 帰りにお祝いをしよう!とレストランに行った。 熱高くてふらふらだというのに両親に「今日はデザート2つ 頼んでいいよ」と言われ、けっこう無理してケーキ2つ食べた。 あれほど苦しくてでも幸せだったデザートは他にない。 今じゃ母親が身体が不自由になって揃って外食というのは もうできないけど、あれは両親から一つずつの祝いの つもりだったんだろうな多分、と思う。 子供の頃の幸せな思い出の一つです。
394 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/03(土) 09:23
あげます
395 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/04(日) 07:43
定期あげ
396 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/04(日) 13:02
ちょうど20年前の話。 あの有名な進学塾「四谷大塚」に入るために試験を受けに行った。 会場は茗荷谷にあった(今はない?)某大学校舎だった。 そして帰り道、駅前にあったハンバーガー屋で迎えに来た父親と 食事をして帰った。 毎日勉強勉強でそうとう疲れていた私は、ハンバーガー片手に 寝てたらしい。受かってよかったけど。
397 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/05(月) 00:56
あげねば
398 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/06(火) 16:41
私が通ってた女子高では、年1回春先に全校生徒40キロ強歩大会があった。 (いまでもあると思うけど)ちなみに競歩じゃなくて強歩なの。 順位づけが目的じゃなくて、身体と精神の強化目的(?)みたいな行事だから 1日かけてただひたすら40キロ河川沿いを歩いて学校まで帰るというもの。 グループで歩いても独りもくもく歩いても、もちろんさっさと走って 終えてもよし、とにかく歩いて帰ればなんでも自由なの。 (ただし途中関門が6、7箇所くらいあって、制限時間内に通って 判もらわないとその場で失格になる。) 私は何を目標に歩いてたっていうと、各関門に用意されてる野菜や果物。 第1関門にはキュウリ!キュウリをボリボリかじりながら 「次の関門はトマト!トマトかじるんだー!!」て皆でワイワイ言いながら歩く。 トマトは特に美味しいから皆2、3コビニールに突っ込んでかじりながら 歩いたなあ。他にレモンやダイコンの浅漬けとか、あんなに生の野菜が美味しく 感じたことってなかったかも知れない。 でも30?H地点過ぎた頃になると疲労で口も聞かずにただ足を前に進めてくのみ。 ゴールにたどりつくと皆ヘトヘトで足もイタクて座りこんじゃう。 足はマメだらけ、身体中筋肉痛でホコリと汗にまみれてドロドロ、 ボウシかぶらない子は頭皮が日焼けでむけてボロボロ状態。 グッタリしながら、それでもゴールした子は皆一様にPTAのオバチャン達が つくってくれた豚汁と配給される50円のソーダアイスを求めていくのだ。 いま考えてみると頭の先にニンジンぶらさげられてる馬の心境が わかるような学校行事だった。でもメチャメチャ美味しかったんだよ〜! ちなみに男子校だと50?H強歩大会になるので、 「ああ、男じゃなくてよかったな〜」としみじみ思ったもの。 (次の日は学校休み。皆筋肉痛がひどくて起きられなくなるから:笑)
399 :
梅干 :2001/02/10(土) 03:54
「これ、母が作ったんだけど、良かったら食べて。 全然今風じゃないから、美味しくなかったらごめんね」と、 ある日友人がジップロックいっぱいの梅干をくれました。 目がしみるほどすっぱくて、堅くて、しょっぱい。 それから3年の間、友人経由で珍しいお醤油や食材を頂いたり、 うちで趣味で作ってる野菜を貰って頂いたり、 何かとちょこちょこと食べ物は行き交ってましたが、 そのお母さんとは、結局一度も会う事はありませんでした。 何年も徐々に進行していた病気で、先日お亡くなりになりました。 お通夜の写真で初めてお顔も拝見しました。 心の中で「初めまして」と言ったあとは、 うちの冷蔵庫の中に入ってるあの梅干や、暮に紅白なます用に いただいた自家製干し柿やらが頭の中をぐるぐるして、お作法どおりに お香をあげるだけでいっぱいいっぱいでした。 食べ物だけの縁なんて、人によれば縁とも言えないかも知れない。 でも、私にはどうしても「面識も無い友達のお母さん」とは思えませんでした。 数日前まで、煮物におかゆにと、気軽にその梅干を使っていたけど、 今は、私にとっては唯一の、あの人の生きた証になってしまってるんですよね。 これからは、大事に、大事に、一日でも長くいただくつもりです。
400 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/12(月) 00:41
母の料理で思い出に残るものなんてない 今考えると、母は料理が下手だったのかもしれない ご飯はべちゃべちゃだったし、うどんはベタベタでつゆも出汁なし 味噌汁も出汁なし野菜の味噌煮でしかも薄い 料理があるだけいいほうで、無いときもあった しかたなく、兄と二人でよく食事を作った 兄はから揚げが得意でたくさん作ってくれた 白いごはんとから揚げの夕飯の日が多かった 案外、毎日続いても飽きなかった それに、私はカレーもシチューも作れた 全然だいじょうぶだった 腎臓病で減塩食を強いられていた母の作る食事がまずかったのは やはり仕方の無い事だったのだろうか? 結局、早過ぎる母の死で私はこの過去をいい思い出にもできないでいるのです。 残念ながら落ちもまとまりもありません。 勝手に死ぬなよ、無責任だよ・・・思い出もないよ
401 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/12(月) 01:37
小学校低学年のころにフォンデュをはじめて体験 普段こんなしゃれた食事をしなかったので 5人家族わいわい大はしゃぎで肉を金串に刺して、揚げて、食った。 私には母が肉を金串から皿に取ってくれてたんだけど 父は金串に刺さったまま肉をくわえて引き抜いて食べてた。 その食べ方がめちゃくちゃワイルドでおいしそうで、 私も真似して、金串に刺さったままくわえて引き抜いた。 その瞬間、「じゅぅ」とほっぺたが鳴った… アツーーーーイ!! 油で熱くなった金串を、後ろっ側に引いてしまい、頬に当ててしまったのです 姉兄には「あほやー」と大爆笑 「熱いから気ぃつけや」といわれた直後のことだったので 大丈夫、痛くないとやせ我慢してしまい 冷やすのもそこそこに大爆笑のまままた食事に戻り 今でも右のほっぺには1センチほどの金串の跡がついております。 1年に2回はこのほっぺの話題で笑います。 ウツダシーノ
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/02/12(月) 02:11
とある事情で、30時間かけて100キロ歩いた事がありました。 へろへろのどろどろになって帰宅したら、ボールに氷と水と マスカットをバラバラにしたものをいれて出してくれた。 光の反射ともあいまって、この世のものとは思えないほどの 美しさでした。もちろんものすごくおいしかった。 水分、甘味はからだが本当に必要としてたから。 空腹は最高の調味料って言うのは本当です。
403 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/12(月) 02:17
独立したての頃。 金が無くて、めしのおかずもままならなかった時期があった。 そんな夏のある日、「夏季限定 LEEカレー30倍」が売っていた。 これを購入して2回に分けて食べた。超辛いので、半分でも充分に ご飯が食べられるだろうと思ったためだった。たしかに食えた。 でも、まずかった。カレーとしてのコクが無かった。 リーカレーを見るとそんな苦い笑いの思い出がよみがえる。 当時は「じゃがいもを買って来てレンジでチン」とか 「キャベツを刻んだものを生で食べる」など、時間と金をかけず、 とりあえず腹が満たされればよしとしてた。
404 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/12(月) 02:20
学生の頃、貧乏だった。 「喫茶店でコーヒーを飲んで、本を読む」 「昼食事をする」 「古本を購入する」 これの3者択一だった。 昼飯にしても 学食で「250円セット」「300円セット」「350円セット」のどれにするかで 30分も迷ってた事がある。 微妙におかずが似てたりするので、どのセットが割安かを考えるのに 方程式を解くような感じで一生懸命考えていた。 社会人になって、「昼外食をする」「そのあと喫茶店に行く」 しかも小銭が残る。この生活に凄く感謝したものでした。
405 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/12(月) 02:25
食事というよりは食事のしそこねの話です。 学生時代、寮に入ってました。 夏休み、金が無いので田舎に帰れず、がらんとした寮にいました。 とおいっても似た境遇の人が何人かのこってるんですが。 当時奨学金で生活してたんですが、チョットした弾みで入金予定日の 1週間前に残金が無くなってしまった。 金を借りて返しておろそうとしたら残金が無かった。 入金日を1週間勘違いして金を返してしまったのが敗因でした。 しかも、寮で食料を持ってる奴は帰省してしまっている。 しょうがなく、砂糖を水に溶かしてベッドでじっとしてる事にしました。 四角い大きな窓から青い空がやけに目にしみました。 寮にのっこってる仲間にその話しをしたら、友人は、いいアドバイスを くれました。「水よりも、お湯で溶かしたほうがカロリー消費が少なくてすむよ」 でも、この貧乏体験が、後の生活をささえる財産になったりしています。
406 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/12(月) 19:48
幼稚園の頃 おばあちゃん(母の母)の田舎に行ったとき。 おばあちゃんはぼくたちを食べさす料理を作るために おばあちゃんは鯵か鰯(良く覚えてない)をまないたにおいて とんとんとたたき出した。 ちょうどそのタイミングで自分は母親と散歩に行く事になった。 30分か1時間くらいして家に戻ったら、おばあちゃんはまだ とんとんと魚をたたいていた。 つみれ汁にするための準備だった。 ぼくはそのおつゆをおいしいおいしいって、飲んだ。 おいしいだけじゃなくて愛情と時間が練りこめられたその魚団子が いとしくてうれしくてもったいなくて、表現する言葉も表現のし方も知らなくて おいしいおいしいって言ってたのを覚えてます。 子ども心に衝撃的だったみたいです。 自分が「遊んで」いるあいだにも一心に魚を刻みつづけていたという その事実に感動したようでした。 そのばあちゃんも、いまはぼけちゃって、実の娘が遊びに行っても 顔がわからなくなっています。ちょっとさみしいです。
407 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/12(月) 19:50
にらたま。 親戚のおばさんがあそびにきたときに作ってくれた。 これがたれが絶妙で、うまいうまいといったら、翌日も作ってくれた。 うまいのでうまいといったらその日の夜も出てきた。 その人は料理のうまい人だったんで、他の料理も食べたかった。 ほめるつもりはなかったんだけれど褒めすぎたなと、あとで少し後悔した。
408 :
ななしさん :2001/02/13(火) 00:39
食事とは食べる事。 食べることは生きること。 食事を作ることは愛情。 イイスレになるわけだ。
409 :
名無レさん :2001/02/13(火) 10:04
食事というか、食べ物だけど。 昔、うちの近くに猫が住みついてた。 捨て猫らしく、近所の道端でいつも箱座り。 冬の寒い日にがたがた震えていたので、家にあげた。 近所の子供たちが「むく」と呼んでいたので、そのままむくという名前にした。 いたずらばかりで手間のかかる猫で、 たまに嫌になって鳴いても抱っこせずに無視したこともあった。 けど可愛かった。 むくはかにかまぼこが大好きだったから、 毎日駅のコンビニで買って帰るのが日課になっていた。 でも歯周病が悪化してきて、 プリンや茶碗蒸等の軟らかいものしか食べられなくなってきた。 だからかにかまもほぐして潰して軟らかくしてからあげるようにした。 次第に体重は減り、うちに来た頃の半分ほどになった。 ある朝、むくは目を閉じて動かなくなっていた。 頭では何が起こったか分かっていたが、触れなかった。触れば実感することになる。 俺はむくをそのままにして走ってかにかまを買いに行った。 鼻先に置いて食べてくれるのを待った。 俺が見ていると食べないのでは?と思い、別の部屋に移動したりもした。 かにかまは減らなかった。 食べるのがおっくうなのでは?と思い口の中に入れようとして、 むくの体が冷たく、硬くなっているのを肌で感じた。 そこで泣いた。 大変でもなんでもいい、もう一度だけでいい、怒らないから、 いたずらでもなんでもして欲しい、 一声でいいから鳴いてくれ、と心から思った。 むくの代わりに・・と食べたかにかまは味も何も分からなかった。 それ以来、かにかまは食べてない。
410 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/15(木) 13:09
私から20万程借りたまま、突然彼氏がドロン。元々定職についてない人で、日払い で稼いで新宿のサウナに泊まる…そんな生活をしてた男だから、「あ、やられたな」 とは思った。でも、別れ話も何も無かったし「事故にあったかな」と心配して程新 宿を探し回った。当然見つかる筈も無く、1年近く過ぎた。 ある日、新宿のゲームセンターで偶然見かけたので、捕まえて近くのファーストキッ チンに入った。ベーコンエッグバーガーのセットを2つ、もちろん私が金を出した。 食べながら、私はこの1年どんなに心配したか、悔しい思いをしたか、延々と語った。 ふと見ると、俯いている元彼の鼻から白く濁ったゼリー状の液体が2本、タラーっ と。そしてコーヒーの中にポチャン。 本人は気づいてなかったようで、それを飲み干していた。 それを見ながら、「おお、物理的にしょっぱいコーヒーだ」と思った記憶がある。
411 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/15(木) 16:28
エクトプラズム?
412 :
食べたいけど食べられない :2001/02/15(木) 16:56
実際食べたものじゃなく 子供のころから憧れていた食べ物。 「はじめ人間ギャートルズ」の 食いちぎろうとすると異様に伸びる骨付きの マンモスの肉。 「まんが日本昔話」に出てくる 食べるとしゃりしゃり(?)と音のする おにぎり。 今でも食いたい。
413 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/21(水) 03:11
あげ
414 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/22(木) 04:17
忘れたくても忘れられない10年前の23才の誕生日の2日前。 酔った同じサークルの上級生にレイプされた。情けない悔しい初体験だった。 あちこちぶつけながら泣いて叫んで逃げては両足をひきずり戻されの連続で、本当に身体を引き裂かれ たと感じたものすごい痛みで叫んだ。そして気付いた時には自分の腰の周り に真っ赤な血が差布団のように丸く広がっていた。 朝のルノアールで私の前に生のトマトジュース、相手はカステラセットが 並んでた。 カステラは抹茶とふつうのが一切れずつで「一口食べる?」と聞かれたのを 覚えている。トマトジュースは一口かふた口、口に入れてなかなか飲み込めな かった。何があったのか訳が分からなくなっていて、とにかく身体じゅうが 痛くて吐きそうだった。なんでこいつはばくばく食べられるんだと思った。 その後誰にも言えず、病気になり、10年後の今も何度も思い出しては眠れない 日々を過ごしています。ルノアールはなんだか入れません。
おそわれそうになって手に噛み付いたことがある。 というか、噛み千切った。吐き出したけど、 人肉を咀嚼した。鉄の味がいっぱいにひろがった。 愚かな男はそのまま逃走。 こんどそんな痴漢にあったらフェラするふりして チンコ噛み千切ってやるんだ。 関係ないのでsage
416 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/23(金) 05:04
417 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/25(日) 16:43
私が小六で弟が小二の時、母が入院したので、私が一人で 掃除、洗濯、食事をやってました。でも、あまりの忙しさに私も相当 ストレスが溜まり、とても怒りっぽくなっていました。ある日の夕方、 私が夕食の準備をしようとしているときに、弟がこたつ布団にジュースを こぼしてしまいました。私はそれにぶちぎれて、泣きながら 「もう、なんであんたは世話ばっかりかけるの! もうイヤや! 私ばっかりしんどい思いして。もうご飯なんか作れへん!」とわめき、 自分の部屋に閉じこもってしまいました。弟は必死で私を追いかけながら 「ごめんね、ごめんね」と謝っていたのに、私はまる無視してしまった... 弱った弟は、とにかく私の機嫌を直そうと、自分で夕食を作り出しました。 卵とごはんと塩だけのチャーハンと、お湯に味噌を溶かして、味の素を まぜただけの味噌汁... ガスレンジとそんなに背が違わないので、背伸びをしてつくったそうです。 そして階下から大きな声で、「お姉ちゃん、僕がご飯作ったから 降りてきてぇ」と必死に呼ぶんです。最初は無視してたけど、だんだん 泣き声になってきたので降りていくと、弟は鼻を垂らしながら笑顔で 「これから毎日作ったるから、泣いたらあかんで」と言って、私に スプーンを手渡し、自分で自分の作った物を食べながら「まずいなぁ」 とゲラゲラ笑っていました。それを見て、本当にすごくまずかったけど、 弟が一生懸命作ってくれたものを残すことは出来ませんでした。 ああ、あの頃のあの子、かわいかったなぁ...今は憎たらしいけど。
初めて高級焼肉店にいきました、ロースやタンの 柔らかいこと涙がでました。二人で8万こえました、、、 驕ってもらいました。そのあとわたしが、たべられちゃった(*^^*)
419 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/26(月) 17:31
>417 良い話だ。なんだか涙もろくなったようだ( ´Д`)
420 :
もぐもぐ名無しさん :2001/02/28(水) 05:38
私の家は両親共働きで、祖母は既に亡く、家には祖父だけでした。 祖父は子供が苦手だったようで、私は祖父のお妾さん(70才くらい) の家で育ちました。(夕方母が迎えに来るまで) 母が漬け物嫌いで家にはそういう類の物が一切無かったけど、お妾さん 家の冷蔵庫には陶器の二段の入れ物に「刻み奈良漬け」と「刻み胡瓜の 漬け物」が入っていて、私はしょっちゅうそれをおやつにしていました。 でも、よく考えたらその二種類の漬け物は貧しくてきちんとパックされ た漬け物買えなかったばーちゃん(…って呼んでたんです)のおかずだ ったんですね…。 糊も手作りするくらいきゅうきゅうなのにたまに来る祖父の好きな鉄線 育ててたばーちゃん。孫でもない私に高い千代紙買ってくれたばーちゃ ん。生意気な私をいっつも優しく扱ってくれたばーちゃん…。 身寄りがなくって最期は薄暗い病室で夜中になくなったばーちゃん。 恩返しできないないやん。せめて中学進学まで、と思いました。 両親は物質的には育ててくれたかも知れないけど、私がぐれなかったの はばーちゃんのお陰だと思ってます。 今でも奈良漬け食べる度に酒粕だらけのばーちゃんの刻み奈良漬け思い 出します。ごめんね、ばーちゃん。わがままばっかで。
421 :
もぐもぐ名無しさん :2001/03/03(土) 03:15
あげる
422 :
もぐもぐ名無しさん :2001/03/03(土) 05:44
>417 泣いちゃった・・・ 良い話をありがとう。
423 :
もぐもぐ名無しさん :2001/03/04(日) 01:01
あげておく
最初のスレから1年経ちました。当時から読んでる人いますか?
425 :
もぐもぐ名無しさん :2001/03/05(月) 03:08
あげー
426 :
もぐもぐ名無しさん :2001/03/06(火) 05:20
最初のログ読み終えました。
427 :
もぐもぐ名無しさん :2001/03/06(火) 05:39
>>417 ひさびさにこの板に来てこれ見ていきなり泣いたよ・・・
>>420 んで次にこれ読んで「いー話だなー」って癒されて
>>418 「ん?ここにもあるな」ってこれ読んだら
∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′ ̄ ̄( ゚Д゚)< 逝ってよし!
UU ̄ ̄U U \______
って感じだね。(´ー`)y-=┛〜~~
428 :
もぐもぐ名無しさん :2001/03/06(火) 08:20
429 :
もぐもぐ名無しさん :2001/03/08(木) 05:08
俺のばあちゃんは、幸いなことにまだ生きています。 ネギ焼きが絶品です。 ばあちゃんが育てたネギが入ってて、にゅるにゅるやわらかくて、甘くて。 なぜか母親やおばちゃんが作るものとは味が違う。 いつも帰省したときに作ってとせがんでるけど、 最近はばあちゃんも目に見えて年老いてきました。 いつか別れがくるのでしょうが、そんなことは想像したくもありません。 でも頭をよぎらないわけでもなく、 このスレを見るたびに幸福な気持ちと、別れの恐怖で複雑な気持ちになります。
430 :
もぐもぐ名無しさん :2001/03/08(木) 19:59
一人暮らしを始めて5年程たったころ、 母が癌になったことを母からの手紙で知らされました。 幸いなことに早期発見で命に別状は無く、 手術すれば大丈夫とのことでしたが、とてもショックでした。 当時、つまらない意地をはって母としばらく連絡をとっていなかったので、 馬鹿な自分に腹が立ちました。 母の手術は、実家から遠く離れた神奈川の病院で行われるため、 父と私と妹がホテル泊まって、母に付き添いました。 当時弟はまだ小学生で、幼い弟には母が癌だということを知らせない方がよい ということで、祖母に頼んで実家においてきました。 手術は無事成功し、麻酔で眠っている母を見ると、安心すると同時に なんだか切ない気持ちになりました。 手術の翌日、父は私と妹を中華街のレストランに連れて行ってくれました。 母が手術前に、私たちのために予約をしてくれていたのです。 その日は私の誕生日でした。 私は、母と弟の事が気がかりで胸がいっぱいでしたが、 しんみりした雰囲気になるのが嫌で、できるだけ明るく振る舞いました。 父と、普段私とは仲の悪い妹も、その時は饒舌で、 楽しい誕生日になるようにと気遣ってくれました。 母と弟がいなかったのがとても寂しく残念でしたが、 久しぶりに家族に誕生日を祝ってもらえて、幸せな気持ちになりました。 涙を堪えるのに必死で、何を食べたのかはよく覚えていないのですが、 最後に飲んだジャスミンティーの香りと、 亭主関白な父の、母への感謝の言葉はよく覚えています。
431 :
430 :2001/03/08(木) 20:49
長すぎました。ごめんなさい。
>>414 まだ苦しんでいるのね。(涙
安っぽい言葉で申し訳ないけれど、安らぎが訪れる日を祈ってるね。
433 :
もぐもぐ名無しさん :2001/03/15(木) 03:18
ここ読むといつも、実家に帰りたくなります。 私が久し振りに帰ると、「じゃあ外食でも」と皆言うんですが、 いちばん食べたいのはお母さんの料理なんだよね。
今月末の私の大学の卒業式に母親が来ると言っていたが、私は断った。 それでも母親は来ると言って聞かず、結局、迎え(空港)に行かないし、 ホテルや式場も自分で行ってくれ、ということで話は付いた。 私が小学生だったころ、母親が何度となく入退院を繰りかえし、 2〜3度切開手術を受けた。その間は食事が弁当や店屋物になり 私の食生活も限界に来ていたのだと思う。母親にカレーを作って 欲しいと言ったら、医者の反対を押し切り退院時期を早め、 カレーを作ってくれた。 今、このスレを久々に読んで、ふと昔のことを思い出した。 空港まで迎えに行こうかな。 あまり食べ物と関係ないからさげておきます。
435 :
かえる :2001/03/17(土) 18:32
昔母が入院してうちにいないとき、子供(私と弟)のめんどうを見るために 田舎から祖母がきてくれた。なにが食べたいかって聞くから、カレーって いったら、そんなもの作ったことないっていいながら作ってくれた。 でもね、いざ食べようと思ったらタマネギのかわりに長ネギがはいってた。 今にして思えばカレールーの箱に書いてある材料を見間違えたんだね。 僕は長ネギが苦手だったから、長ネギのカレーなんておかしいよ!とかいってそのカレーをほとんど残しちゃった。悪いことしたなあ。
436 :
弟よ・・・ :2001/03/22(木) 03:01
お正月に帰省していた弟と私は、バスで自分の家に帰ることにしていました。 私より一日早く帰途についた弟に、 母はおにぎりを作って持たせようとしたらしいのですが(私は寝てた)、 めんどくさかったのか持っていかなかったそうです。 ところが、弟が出発してからまもなく、あれよあれよという間にドカ雪が・・・。 除雪作業等のため、バスは一向にすすまず、 5時間ほどでつくところを10時間くらいかかったらしいのです。 バスが進まないためにSAにもはいれないので食べ物を買うこともできず、 もともとじっとしているのが得意でないほうなので散々な状態だったとか。 次の日に家路に向かった私は当然おにぎりもって行きました。 私が帰る日は雪+地震だった・・・ おかあさんに感謝♪
437 :
もぐもぐ名無しさん :2001/03/22(木) 21:09
デ○ズニーランドで遊んだ後新浦安駅前のホテルに宿泊。 晩ご飯は9:30からレストランがデ○ズニー帰りの人のために 開くのだが、満員で30分待ちだった。で諦めた。 諦めてホテル内にあるローソンから肉まんあんまんとカップヌードルを 買ってきて部屋の中でスマスマ見ながら食べた。むなしかった。
438 :
もぐもぐ名無しさん :2001/03/22(木) 23:56
大学生になってはじめての夏休み、実家に帰っていたときのこと。 両親は仕事に出ていたので、私と弟のお昼ご飯をつくりました。 できあがったものを見て、弟が一言。 「一人暮らしの大学生ってなんでも食うんだな・・・」 作ったものは、冷やし中華。 具にシーチキンとコーン(缶詰)をのっけたやつだったんだけど、変? 当の弟も現在一人暮らしの大学生やってるけど、 どんなの食べてるか今度報告してもらおう。
439 :
もぐもぐ名無しさん :2001/03/23(金) 02:09
学生時代ツーリングで北海道に行った時、雨に降り込められた 山ン中で雨漏りするテントの中で食べた缶詰。 アルミホイルみたいな非常用防寒シートにくるまって (夏でも北海道は寒い)口を切らないように気をつけながら 十徳ナイフの先を使って喰った秋刀魚蒲焼のこれがまた旨いこと! 非常用にってバッグの奥に放り込んでおいたやつなんだけど、 暗いし土砂降りだし疲れてるしで、まだ旅慣れない身には どうにも煮炊きをする気にはなれなかった。 腹減らして薄汚れててずぶ濡れで金もなく行くあてもなくて 友人たちとも離れて一人っきりでいるのに、なんだか楽しかった。 一缶では喰い足りなかったんで 『マッドマックス2』を見て以来いつかやろうと 買い込んでおいたドッグフードの缶詰を開けてはみたものの 臭いでギブ(笑) 修行が足らんかったようです。
440 :
もぐもぐ名無しさん :2001/03/23(金) 21:32
昔板前をやってた彼氏が、彼氏の母親のやってる居酒屋を手伝ってた。 私がまだそこに食べにいったこと無かった頃、私の友だちと彼氏の友だちが つきあってて、私より一足先に彼氏の作った料理を食べにいったらしい。 それを聞いた私はそのときに出てきた料理と同じ物が食べたくて、 後日友達と一緒に食べにいったんだけど、なんか料理してるところを 見られるのが照れくさかったらしくて、店についた時点で結構酔ってた。 んで、私たちに料理を一通り出したとこで姿が消えたから、 どうしたのかと思って電話かけてみたらすぐ近くでなってるし、 なんだ??とおもってたら厨房の中で酔っ払ってねてた。 あのころはかわいかったなぁ・・・ 今ではあんまり作ってくれない。ちぇっ
441 :
もぐもぐ名無しさん :2001/03/24(土) 02:52
母が小学生か中学生のときの話。 給食はなく、お弁当を持って学校に行ってたらしい。 ある日、学校でお弁当を落として中身をひっくり返しちゃったんだって。 その中身って言うのが、ご飯ときんぴらゴボウだけで、 それが恥ずかしくてマント(コートではないらしい)ですぐ隠したことがある って話をきいたことがあるなぁ。 なんでそういう話になったのかは覚えてないんだけど。 そんな母が作ってくれてたお弁当、そのとき振り返ったんだけど (今振り返ってもそうなんだけど)結構彩り考えられてたなぁ、なんて。
442 :
もぐもぐ名無しさん :2001/03/24(土) 02:57
あっ
443 :
くらら :2001/03/25(日) 02:30
冬休み、母の実家にいたときおばあちゃんが昼ご飯にラーメン を作ってくれた。 正月用についたモチを焼いてのっけて食べた。 が、すっぱい。 「おばあちゃんこれすっぱい」 「やっぱり塩味と味噌味を一緒にしたからだなあ」 「ふうん、混ぜるとすっぱいんだね」 5・6さいのころの話。 それから十数年後、我が家の夕飯にカレイの煮つけがあがった。 なんとなく煮汁が白っぽい。 一口たべたらなんか変。 「お母さん、これ、なにいれたの」 「ココナッツミルク。あまったから」 「…これ食べたくない。」 2代にわたるこのチャレンジ精神は立派だが、 3代目には伝わらないぞ。 たぶん。
444 :
くらら :2001/03/25(日) 02:52
こんどはじいちゃん。 このひとはとんでもない人だった。 あまりに孫が可愛いので幼かった私達姉弟をあちこちつれまわり、 すし屋やら蕎麦屋やら中華料理屋やらいっては、 「これ、マゴ」 と自慢した。幼心にもその様子が嬉しそうだったので いい子にしていたが、問題は1日で上記三軒まわったことだ。 かっぱ巻に酒饅頭・とどめに鍋焼うどん。小学校にもあがってない こどもだぞ。そんなに食えるかっつーの。 「おじーちゃん、くるしー」 「もーたべられないよぅ」 幼い子等は苦労したのだ。 でも、かっぱ巻はおいしかったな。 じーちゃんはこれが一番うまいのだ、といばっていた。 お茶会に紛れ込み、恐ろしく苦いお茶を飲んだのも このころ。作法を教えたかったんだろう。 そんなじーちゃんも13回忌がとうに過ぎた。
445 :
明るい田中麗奈 :2001/03/25(日) 20:44
ある大学の学食で焼きそばを注文したときの話。 焼きそばの麺に黒く長い髪の毛が1本混じってた。引っ張り出してみると、先に毛根もついていてそこから1cm程の部分だけがなぜか白い。厨房のほうを見るとおばさんが4人いたが、私にはわかった。これはあのおばさんの髪だ。その人は数日前に白髪染めを使っていたらしく、髪の毛が額から1cmだけ白かったのだ。それ以来、その学食には逝っていない。
446 :
10月の空 :2001/03/26(月) 01:17
1年ほど前のこと。彼女と10日間の「ナイル河下り旅行」に出かけた。 すっかり彼女のことは知っているつもりだったのだが、 「時間にルーズ」「現地の人をバカにする」「世間話ひとつまともに出来ない」 というマイナスの部分が徐々に見えてきて、うんざりしてきた。 旅行も中盤を過ぎた日の夕方、彼女を部屋に残して 俺はデッキにあがった。 ひとりで紅茶を飲みながらぼんやりと夕陽を見ていたら、 同じツアーの、母とその娘さんの二人連れが話しかけてきた。 1時間ほどお互いのことや、観光地のことを話しているうちに、 俺は娘さんとすっかり意気投合してしまった。 日本に帰ってきて、また彼女との日々が始まったが、 俺はもう、彼女のことが好きではなくなっていた。 ある日、デートの待ち合わせの喫茶店で紅茶を飲んでいるとき、 どうしても我慢できなくなった。 成田空港で別れるとき交換した電話番号に電話した。 で、今は新しい彼女とつきあっている。
447 :
もぐもぐ名無しさん :2001/03/26(月) 18:03
俺が小学校4年生くらいの頃、漁師やってたじいちゃんが 魚好きの俺のために4〜5時間もかけて山奥で釣ってきて くれた岩魚の味が忘れられません。 頑固で人付き合いが悪くて周りの人に嫌われてたんだけど 俺にはすご〜くやさしいじいちゃんだった。 そのじいちゃんが亡くなってからもう、7年ほど経ちます。 夏休みにじいちゃんの所に遊びにいくと(毎年2週間くらい 行ってた)”太って帰ってくる”って近所の人に言われたっけ あぁ、岩魚美味かったなー。
448 :
もぐもぐ名無しさん :2001/03/26(月) 18:36
16の時両親の離婚が決まり最後に散々話し会った後でみんな放心状態になり おなかがすいたので最後に家族でご飯を食べに行くことになり、 父がカーニバルプラザなるお店につれて行ってくれた、 子供のころここにくるのを楽しみにしていた私たちでしたが、 もう別に楽しいことはありませんでした、 でも昔楽しかったことを思い出し精一杯楽しいお店へと 考えてそこへ連れていた父のことを考えるといまでも胸が痛いです・・ いまはその父も無くなりもっと親孝行してやれば良かったと後悔しています・・ そのお店では無駄に陽気な店員や、周りの騒がしさがとてもむなしく、 それ依頼16年間足を運んだことはありませんが、 今度閉店するそうです・・・ 大人になった今最後に一度足を運んでみようかと思います。
449 :
もぐもぐ名無しさん :2001/03/31(土) 21:36
彼氏は家事全般なーんにもできない人。 でも、前の彼女が風邪で寝込んだとき お粥作ってあげたことがあるんだって。 私は彼の手料理食べたことないんだ。 ちょっとせつない。
450 :
森ビル(0日目) :2001/04/01(日) 17:02
早稲田にあるトムヤムラーメンが食える店にもう何年もはまっている。 もう7年ほど通っているのだが、彼女が出来たら必ず連れて行くことにしている。 もう何人連れて行ったことか。 店長はまた女変えたのかといった目でこっちを見てくるが、 それでもこの店だけは止められない。 今までの女それぞれつれてきたときの反応が違うので それを思い出しながらラーメンを食う。 最近新しく彼女が出来たので、また連れて行かなきゃ。 ティヌーンまんせい
451 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/01(日) 17:29
452 :
:2001/04/01(日) 23:08
5年前婚約者がアメリカで21歳の若さでで交通事故死した。 インドネシア人 なので、彼の国に葬儀に参列した。 飛行機から降ろされる時は当然カーゴスペース から。 鉄製の棚とフォークリフトがぶつかり「ガツーン、ガツーン」とコダマして いた。 その生命の息吹を感じさせない、冷たい音が頭の中で半鐘し倒れそうだった。 自分にとって良心を体現したような心美しい娘を亡くし途方にくれていた。 インドネシアは熱い国です。 想像以上に体力が消耗されていて眠気、食欲は無くな らなかった。 死んだ人間がいても日常生活の延長で食事を取り、睡眠を取れる自分が が無性に悲しかった。 あの時泣きながら食べたカニ、エビはおいしかった。本当に 人は産まれて、死んでいくんだな、と思った。
453 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/02(月) 00:45
短大の頃、付き合ってたっぽい人がいて、よくうちにも泊まりにきてたんだけど、 自分と自分の親が作ったもの、あと人に売ることを前提としているお店のものしか食べない人 でした。 なのでうちにきてもコンビニ食ばかりで、ひそかに料理を作るのが好きだった私的に少し さみしかったです。 打ち解けていくうちに彼が食事を作ったりするようになって、「私もみかけほど料理下手 じゃないんだよ」とアピールしてたら「じゃー作って」といってくれました。 それで遊びにくる日がんばって2時間たまねぎ炒めたりしてハヤシライスを作りました。 しかし、その日に限って彼は体調悪くて、うちにはきたもののぐったり。 「じゃー冷凍して食べるか」とがっかりして、彼には消化のよいもの食べてもらって、自分だけ 食べてたら「ひとくちだけ食べる」といってくれてよそいました。 そしたら「うまいっ」っていってくれて2杯も食べてくれました。 無理させたっぽいけどすごくうれしかったです。 いろいろあって彼との関係が終わったあと、実はハヤシライスが好きじゃなかったこと をしって、よくわかんないけど感動しました。 それ以来なにか作ってとうちとかでいわれるとハヤシライスを作ってしまいます。
454 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/02(月) 10:13
うちの近所に製麺屋があり、そこで手作り餃子も売っていた。 店は中国人(奥さんは日本人)が経営していた。 母は餃子は作るの面倒だからいつもその店で買っていた。なので我が家では 餃子といえばそこの店の餃子で、子供の頃からずっと食べていたせいで、 餃子というのはそういうものだと思って大人になった。 そこの店の餃子は中国の家庭風の餃子とのこと。皮が普通の餃子よりも厚く、 もちもちした食感で、具はほとんど野菜で肉はあまり入っていなく、具に 味がついている。スーパーなどに売っているものや中華料理屋などにある 具は肉が主流、皮は薄くパリパリ…というのとはだいぶ違う。 なので他の餃子を食べても「何かが違う…」という感じで美味しいと思えなかった。 バブル崩壊後、その店は突然夜逃げ同然に店をたたんでなくなってしまった。 もうあの餃子は食べられないと思うと無性にその餃子が食べたくて仕方ない。 餃子が美味しいとされる店にいくつか足を運んでみたがなかなかあの餃子を 越える味に出会えない。
私が高校卒業した直後、母親がノイローゼになった。 父親が病院へ連れて周り、暫くの間は私が家事や弟妹の世話をした。 私は就職も決まってなかったので助かったが妹はまだ小学生だった。 その間両親は家に帰ってくることなく、時々父親が電話をしてきた。 生活費は父親側の親戚が貸してくれ(もう返済済)精神的にも 辛かったが「ここで私が弱気になってはいかん」と、いつか母親が 治る事を願って頑張っていた。その頃、父親側の親戚が集まり 母親を病院に入れさせようとしてたらしい。しかし父親が激しく反対。 そして2ヵ月が過ぎた頃、母親の症状も落ち着き、久しぶりに家族全員で 御飯を食べようという事になりデニーズへ(何故かは不明) 何を話したら良いのかわからず弟妹は黙って食べていた。 私と父親は母親に話し掛けたり場の雰囲気を和ませるよう勤めた。 その時私は何を食べたのか覚えてないが(多分味なんかしなかった) 父親が「いつかきっと皆で笑って『あの時は大変だったね』と言える時が 必ず来るから!」と言った。それまで私は正直半分希望を捨てていたが その言葉で家族の心が一つになった気がした。父親もそうかもしれなかった。 今では母親は元気に暮らしてるが、もう二度とあんな思い出食事を取りたくない 複雑な思い出。父親には心から感謝。これからも両親は大事にしていきたい。 まとまりなくて、スマソ
あんな思い出食事 → あんな思いで食事
(その1) 地元テレビ局の主催でオーストラリア旅行に行った。 夕方出発して8時間後にはオーストラリア到着予定。 途中ブリスベンで給油して の予定だったが燃料が残っていたらしく 着陸せずにオーストラリアに着いたため機内食はなし。 その代わり現地空港のマックでチーズバーガーとオレンジジュースを飲んだ。 オレンジジュースは濃かった。オーストラリアに来てまでマックか。
(その2) いいともを見に行った。生放送中おなかぺこぺこで腹の虫が鳴ってしまった。 3時まで何も食べずにもうへとへと。 竹下通りのマックに入った。 またマック。 地元に帰ってから1週間後 またマックで遅い昼食を摂った。 人生にマックは切っても切れない円である。
459 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/10(火) 20:42
癒されたくて泣きたいのであげ
460 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/12(木) 14:47
461 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/13(金) 01:56
実は父が自殺している、理由は老人性の鬱病だが未だに不明 その後、あれ程よかった家族がばらばら 春のお彼岸、本当に実家に帰りたかった 小学生の頃、春といえばお雛様が家に飾られている 菜の花のお浸し、タケノコの煮付け、タラの天ぷら、 そして田舎の味付けで妙に甘くて酢がきいたちらしずし・・・ 春特有のおぼろ月夜の下、小学生の僕がサッカーから帰ってきたら 父、母、姉達が待って僕を迎えてくれる 「○○、おかえりー、みんな待ってたよ、早く手洗って」と言う母 「○○ねー、今日も学校でケンカしてたよ」告げ口する下の姉 「○○、もうやめなよ、ところで今日ね〜・・・・・」と話を盛り上げる上の姉 そして父はいつもにこにこしながら、皆の話を聞いている あぁー、父さんなんで自殺したんだ 辛かったなら、なんで俺に相談してくれなかったんだよ 父さん、生きていたら俺と沢山晩酌できたのにな 文章乱れてごめん
462 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/13(金) 04:15
家って、兄弟多くてさ、(4人)一時期すごい貧乏だったんだー。 父の会社が倒産して、父は出稼ぎへ。母も必死で働いてた。 私はその頃、小学生で、小学校はお弁当だった。 でも、おかずが買えなくて、いっつも、おにぎり2個。 毎日、毎日、おにぎり2個。 母も仕事にお弁当を持って行ってたんだけど、同じく、おにぎり2個。 中身はないよ。海苔も小さく切ってさ。 私、いまだにおにぎりは塩をいっぱい付けたのが好きなのね。 だって、塩気のない、海苔の少ない、具の無いおにぎりなんて、おいしくないじゃない? 唯一の贅沢が塩たっぷりだったんだー。 毎日おにぎり食べてるとさ、胸焼けするの(笑) 友達に「00ちゃんて、おにぎり好きなんだね〜」って言われた時は、 「うん」って言っちゃった。 友達もわかってたと思うんだー。いきなり、小さな狭い家に引っ越したし。 (一戸建てから、たった2間のお風呂も無い部屋へ。そこで5人で暮らしたんだ。) 嫌だったなー。贅沢してた時の記憶があるから、余計、嫌だった。 今は、みんな成人してそれぞれ独立してる。 私と弟は自分で会社を経営してるし、他の二人も平凡に、幸せに暮らしている。 でも、今でもおにぎりには塩いっぱいつけちゃうし(笑) 海苔だってたくさん(ご飯が見えない位!)巻いちゃう。
463 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/13(金) 10:23
タイへ一人旅したとき、 屋台でいろいろ買い込んでホテルで食事していた。 焼き飯とかうまい麺とか南国のくだものとか。 外国でひとりで居ると、気持ちいい孤独と自由を感じる。
464 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/13(金) 16:08
今週末は、大切な人に逢いに行こう・・・。
465 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/14(土) 08:29
思い出の食事は暴力奮われた朝 こんな記憶しか残って無い自分がいい加減嫌になった
466 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/14(土) 09:32
>465 きっとこの先、いい思い出が出来るよ。頑張りな!
467 :
初めまして名無しさん :2001/04/14(土) 16:58
>>380 A大附属中出身ですね。
あのキャンプ…懐かしいです。
468 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/15(日) 03:59
初めてすごく好きになった人と付き合えた短大の頃の話。 家族より大事な人だと思ったのはその人が初めてだったんだ。 お互い一人暮しでいつもどっちかの家に泊まって 半同棲みたいな感じ。毎日すごく楽しかった。 だけど、その時の私は若くて思い上がってて「絶対この人は私の事 振れない」などと、根拠のない自信を持ってた。浮気とかしてそれを その人の気持ち考えずに、自分の後ろめたい気持ちから逃れたいだけで、 「浮気した、ごめん」って言ってた。その人はつらいって言ってた。 私は家事が一切苦手で、その人は私の部屋の汚さに見かねていつも 掃除手伝ってくれたりお茶碗洗ってくれたりしてた。 それでも私は相変わらず家事はやろうとしなくて。 ある日突然、 「少し距離を置きたい。本当に好きなのかわからなくなってきた。」 って言われた。もう何がなんだかわからなくて、泣いた。 1年半付き合ってたから情もあったみたいで、結局その日も 泊まってった。目が覚めてから買い物に出かけた。 ああ、やり直せるんだ。って思ってたんだけど、 お昼に入ったドンキーでハンバーグ食べてる途中に、 「昨日話したとおり、やっぱり別れるよ」って言われた。 びっくりして、涙出てきて、ハンバーグがボヤーってなって 食べられなくなった。ドンキーのハンバーグがすごい好きだったのに。 でもその人は普通にパクパク全部食べて、私に「食べないの?じゃあ帰ろう」って。 その時、本当にもうだめなんだな、って思った。 その後も私はその人にかなりしつこくつきまとってたけど・・・。 あの時の自分には注意してやりたい事いっぱいある。 今はもう私は26歳で、あれから何人かの人と付き合ったけど、 この人以上に好きになれる人はまだいないまま。
469 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/15(日) 08:58
>>468 うーん、辛いなあ。……というか、昔のオイラの恋愛と
かなり似てるよー。そうなんだよねえ。
まさかって思うときに男の人って別れ話を持ち出すんだよねえ。
まあ、オイラの場合は電話口で
(大事な話なのにそんな具合で頭来たから日を改めて
直接呼びつけたけどね)だったから、
あなたの元カレの方が男らしかったよね。はるかに。
たしかにいい男だったと思うよ。
ただ、その後のアドバイスをちょっとしておくと、
恋愛はご縁だけど、別の自分を開拓したほうが良いなと思う。
人間の「心」というものは目に見えないけれど本当はその肉体より
はるかに巨大なもので、本来本人が完全に理解できることなど
出来ないのだと、オイラは思っている。
だから、あなたの知らない部分のあなたの「心」に気付いて、
そこを頑張って伸ばしてやれば、それに見合うような
過去の彼とはまた別の良さを持ったいい男に
出会えるのではないかと思うね。
今のあなたはその素晴らしかった元カレに
その後おつきあいした男性を当てはめているだけだから、
「それ以上」が見つかんないんだろうと思う。
やどかりって、自分のはさみに合わせて貝を決めるでしょ?
自分のはさみをとっかえてやればいいわけだ。
長レスになったね。ごめん。
あの、ここは恋愛板と違うんですけど・・・。
>>469 ありがとう。
>>470 ごめんね。
ハンバーグ、途中で食べられなくなったのも店で泣いたのも
あの時1回だけで、だけどその人は全部食べてたなって、
すごく印象に残ってたんだ。
472 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/16(月) 13:47
きんきです
473 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/17(火) 05:12
part1を4時間かけてイッキ読みした。 むしょうに喉が乾いた… わたしにも、思い出に残る食事がいくつかある。 私の通っていた大学は、寒い地方にあって、 冬になると冷たい雪が舞い、空は暗く重く垂れ込めていた。 込み入った事情もあり、彼と離れ離れになってしまうことの不安感もあり、 私はとてもナーバスになっていたと思う。 「何が一番食べたい?」と、彼に聞かれたとき、私は、ふと、と思ったんだね。 「ピクニックに行って、いっしょに、お弁当を食べたい」 外は連日の零下で、かなり突拍子もないのはわかっていたんだけど… 結局ピクニックすることに決定して、その当日。 わたしは、持っていた中で一番大きなタッパーに何種類もおかずを詰め込んだ。 ポテトサラダもマヨネーズから手作りした。おにぎりもつめた。 二人とも車を持っていなかったので、バスに乗って1時間くらいのところにある温泉場に行った。 寒さで冷え切ったお弁当を、吹きさらしの公園で、二人で食べたことを、今でも思い出す。 粉雪が舞っていたあの日のこと。 彼が黙ってニコニコしながら、冷えたおにぎりをほおばっていたこと。
474 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/17(火) 10:19
一人暮らししている頃、 これ又遠くにすむ兄が出張でやってきて、 ウチに泊まることになり、 晩飯はソトの居酒屋で。 へべれけになって酔っぱらって帰ってきて、 小さいワンドアの冷蔵庫に茄子があることを思い出し、 「ソウダ、アニキ、焼き茄子を作ろう」 と慣れない料理をする。 焦げた茄子をつつきながら飲みサシのバーボンで語り合う。 健在だか病弱な母の話になり、泣く。 あれから9年、俺のところと兄のところに孫が出来、 母は入退院を繰り返しながらも健在で、 この子たちが嫁に行くまで元気でいなきゃと、 自分に言い聞かせている。
475 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/17(火) 21:31
皆さん文章上手ですね。 あまり上手く書けないけど、私も一つ。 当時、彼女と東京ー名古屋で遠距離恋愛。 会いたさは募るが、時間と金銭的 問題で月一会えればいい方だった。 勤めている会社の本社が大阪だった関係で 出張の時、名古屋で待ち合わせして30分会う。 その時なぜか毎回マックを差し入れ してくれた。 名古屋駅まで出るのに小1時間かかるのに、彼女は嬉しそうに 来てくれたものです。 結婚した今も一度も一緒に住むことなく、遠距離を 続けていますが、本当に幸せです
476 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/18(水) 19:22
477 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/18(水) 19:37
>>475 いえいえ、ここは文章の上手下手を競う所ではなく、
思い出に残った食事をとつとつと語るスレですので大丈夫です(^-^)
ああ、遠距離恋愛が遠距離結婚になったパターンですね?
大変羨ましいお話で、
「ごちそうさま」です。奥様となかよくねー。
478 :
475 :2001/04/18(水) 20:48
>>477 あ、ありがとうございます。 そう言ってもらうと嬉しいです。
このエピソードの影響でしょうか、マックのストーリー仕立てのCM
の中で芝居する子役達の嬉しそうな顔にも、結構ウンウンと同意して
しまいます。
479 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/18(水) 22:59
小学校3年生くらいの頃、毎年長期の休みは母の実家に妹と二人で入り浸る のが恒例だった。祖父母は比較的若い方だったし、祖父は教師だったので、 宿題を免除してくれる人でもないので、母も安心して預けていたようだった。 そうは言っても祖父母は概して孫の私たちには甘かった。孫は揃って女ばか り、しかも母の産んだ私たち以外は遠方に住んでいるせいもあったかもしれ ない。冷蔵庫にはいつも私の大好物だった西瓜があった。 ある年の夏休み、私は急に具合が悪くなった。滅多に病気などしない私が急 にだるくなり、寝てしまったので、祖母はひどくあわてた。あわてたせいな のか、熱を計るわけでも風邪薬を出すわけでも医者に見せるわけでもなく、 目が覚めた私になぜかアイスを食べさせた。 水分が欲しかったし暑かったので、そのフロートは美味しかった。すぐに食 べてしまった私を見て祖母は何を考えたのか西瓜を、しかもまっぷたつに切っ たどでかいものを持ってきた。私も熱があったせいかあまり深く考えずにそ れをそのまま食べた。しかも水をもらえなかったので、ほとんど全て食い尽 くした。 翌日、そのまま遠方にでかけ、ついでに医者にかかったところ、私は熱が38 度以上もあることが判明し、医者と母にこっぴどく叱られた。 ……しかし祖母も祖母だが全部食べた私も私だ。血は争えない……
480 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/19(木) 00:23
新幹線で売っているコーヒーについて まだ日も昇らない早朝、電話が鳴った。親戚の叔母さんからだった。 「○○くん、今日悪いけれど実家にすぐ帰ってきて、お願いだから。あなたのお父さんが昨日の晩から帰ってきていないの」 電話の後ろでは滅多に泣かない気丈な母が大声あげて泣いている。 何が起こったのか具体的に聞こうと思ったが、叔母さんの口調は質問を許さない程、切迫したものだった。 様々に不吉なことが頭に浮かんできたが、「今すぐ帰る」とただ一言いって身支度を整えて、実家に向かった。 その間、様々に父を心配し最悪な状況も想像したが、母さんとケンカでもして年甲斐もなく外泊でもしたのかなぁと楽天的に思いこむ努力していた。 ただ、今後自分がしっかりしなけばならない状況になるのは必至だから、とりあえずハムサンドとコーヒーを買って新幹線の中で食べた。 その時、車窓をぼんやり眺めながら食べたのだが、もの凄い非現実的な状況で食べているような気がした。あまり良い例えではないが、映画の中に迷い込んでしまって自分が役者にでもなっているような、そんな奇妙な気持ちだった。 食べたハムサンドはまるで味がせず、ただ喉につっかかり、同じように味の無いコーヒーでなんとか流し込んだ感じだった。ただコーヒーの香りは、胃に収めた後も鼻に残っていた。 実家に到着すると、家には近所の人々が大勢集まっていた。何が起きたんだ!!当惑しながら家に上がるとそこには父が横たわっている。しかも生きていないことが明らかな状態だった。またその死に方も普通ではないことも・・・ 全部の状態が理解できたとき、激しい目眩を感じ、気づいたときには倒れて口から胃の中の物を畳に戻していた。やけにコーヒーの匂いがした それからしばらくコーヒーは飲めなかった。今は出されたら飲むが、未だに新幹線のコーヒーは飲めない。新幹線に乗っている時にコーヒーの香りがすると、頭が痛くなる。
481 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/19(木) 01:33
去年のこと、大学時代の後輩から、緊急メールが届いた。 新店舗立ち上げのため、本社から大阪に送り込まれている。 途中は台風で新幹線に閉じ込められ、大変だった。 1ヶ月半の予定で、現在4日が過ぎた。大阪は非常に怖い。 定宿のMホテルは、何を食べても本当にまずい。 毎日、ホテルと、歩いて2分のデパートの往復しかしていない。 ホテル周辺は地元の人も「治安が悪い」というので、外食もできない。 店舗の入っているデパートの、地下にてお惣菜を買って食べている。 などなど…。(大阪の人、申し訳ない。代わりに謝ります) 彼女はめったに弱音を吐かないし、他の地域を悪く言うのも初めてだ。 昔sho-nan girlだった彼女にしてみれば、大阪は異文化。 どうやら、ふだんのバイタリティも、どこかに行ってしまったらしい。 新婚なのに、ダンナと離れ離れってのも、辛いんだろうしナ。 私は、すぐにメールで返事した。 「一週間、しのいで。一緒に美味しいものを食べに行くよっ!」 ネットで同じホテルの部屋を取り。急遽、大阪に乗り込む。 コテコテのたこ焼き食べて、お茶して(しばいて)、 地鶏屋さんでたらふく食べて、ほろ酔いで街を大笑いしながら歩いて、 二軒目の牛タン屋でもたらふく食べて飲んで、 ホテル近くのバーでも飲んで飲んで。(よって、プールで泳ぐのは断念) 部屋でも懲りずにいっぱい話をした。昔話。ジャスミンティ飲みながら。 次の日も、一緒にランチ食べて。(食べてばっかし)だったけど。 奴の顔つきは、すっかり生き生きしてた。 メニューを食い入るように検討する、いつもの顔には、 ちゃーんと好奇心が帰ってきてた。 その後届いたメール…「ねーさん、オオサカは、最高ですネ☆」 あたしも過密スケジュールを無理していった甲斐があるってもんだ。 「おなかぽっこり」がしばらく治らなかったけど。 以上。長文、スマンです。
482 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/19(木) 05:41
食事、というか、ただのトーストなんですが。 母は朝、昼はもちろん夕食にもパンを食べる程のパン好き。 子供の頃そんな母が焼いてバターを塗ってくれたトーストが大好きでした。 同じ食パンを同じトースターで焼いても、自分でバターを塗るとイマイチ 美味しくない。だからちっちゃい頃はいつも母にバターを塗ってもらってたけど 少し大きくなっても「私が塗るより美味しいから、バター塗って♪」と ねだってました。 そんな私も結婚し、たまたまダンナのパンに私がバターを塗ってあげたら (いつもは自分でやらせてた)ちょっと食べて「自分で塗るのよりおいしい!」 その一言で、子供の頃のすっかり忘れてた母のトーストを思い出したんです。 果たして、 1)他人がバターを塗れば美味しく感じる、のか 2)バター塗布技術が単に 母>私>ダンナ だったのか 3)私のバター塗布技術レベルが母の域に昇華した のか 調べようにも母はもう天国なので、聞くに聞けません。 母とバター塗り比べをしてみたかったなぁ・・・。
483 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/19(木) 22:57
その昔、ちょっと家出して(とはいっても日帰りだけど)腹減って、 家に帰って食べた塩鯖とみそ汁。 あんまり美味くて泣けてきた。
484 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/20(金) 00:35
>483 やっぱり、食事=家族だよね いろんな結婚観があるけど、僕は結婚するならやっぱり 食事を重視する女の子と結婚したいな
485 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/20(金) 21:58
皆さんのように感銘を受けるような話ではないのですが 実家に子供としばらく滞在していた時 両親とも料理が上手なので、私は専ら皿洗い専門。 あるときにちょっと品数が足りないので 簡単なポテトサラダを作ったの。 ジャガイモや人参をゆでたのにきゅうりやハムなんかをマヨネーズであえただけのもの。 そうしたら子供が私の作ったサラダを食べてほっとした顔したの。 「おかあさんの味だね。」と言って。 料理上手でなくて悪い母親だけど、あの時の嬉しそうな子供の顔が忘れられないです。
486 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/20(金) 22:29
>>485 うーん 親子の絆っての考えるレスですね
487 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/21(土) 21:00
厨房の頃、時は映画「フットルース」が大流行しているころです かなりカッコつけて、アメリカンポップが流れている「カッコイイ」喫茶店に彼女と二人で行った そこで、コーラとボンゴレのセットを食べたのだが、割れたアサリの殻が パスタと共に口の中に入り、強くかんだら前歯の裏の歯茎に深く突き刺さった 血がドバドバ出てきたが、痛いともなんとも言えず、また彼女の前だから 口に指を入れることも恥ずかしくてできなかった 舌でなんどか取ろうと思ったが取れず、結局トイレに行くふりをしてそこでやっと抜き取った 血の味がすると、うれしはずかしのデートを思い出すのはなんか複雑だ
488 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/22(日) 09:56
>>482 めちゃめちゃ同意!!
なんかお母さんがバター塗るのと自分で塗るのじゃ、
パンのサクサク感が違うと言うか・・・。
なんでだろう?
そんな私の思い出の食事は、
高校受験の合格発表の日の帰りに泣きながら食べた
ハヤシライスかなぁ・・・。
不合格の結果に落ち込んでる私に黙って付き合ってくれて、
お母さんも静かにもくもくと食べてたなぁ。
あぁ、切なく懐かしい思い出・・・。
489 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/25(水) 22:35
490 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/26(木) 20:46
幼稚園のお弁当の時間。皆、それぞれの机の上にお弁当を置いて、 「いただきます」と皆で言ったら食べられるという状態だったんだけど。 先生が「静かにしなさい」と注意しているにもかかわらず騒ぎまくっていた私達。 とうとう先生は怒り出し、「自分達で勝手に食べなさい!」と出ていってしまった。 吃驚して固まる私達。どうしようどうしよう、と囁き合っていたけど先生は戻ってこない。 自分の目の前にお弁当はある、お腹も空いている。食べたいなあ……と皆、思っていたと思う。 でもいつも「いただきます」と先生が言って、私達がそれに続いて「いただきます」と言ってから 食べ始めていたから、どうしたらいいか皆分からなかった。 その時、クラスでも目立って元気のいい人気のあるA君が、 大きな声で「先生が食べろって言ったんだから皆で食べようよ!」と言って、 自分のお弁当箱を開き、ぱくっとおかずを口に放り込んだ。 ああ、A君が食べてるんだから食べていいんだ、と皆がほっとした瞬間。 先生が教室に戻ってきた。そしてA君を見て一言。 「皆は食べてないのに、どうして一人で食べてるの!」 A君は大声で泣き出してしまった。口を開けて、さっき放り込んだおかずをぽろぽろ零しながら。 A君が自分の勝手ではなく、優しさでそうしてくれたことは分かっていた。 でも、幼稚園児の私達には先生にそれを説明することは出来なかった。 その後、いつも通り「いただきます」と言って皆で食べ始めたけど、 いつもおいしいはずのお弁当は味なんて分からなかった。 レストランで食事をしている時、騒いだりして親に怒られている子供を見ると、 あの時のことを思い出す。そしてその時の食事はとてもとても味気ない。
491 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/26(木) 22:26
>490 そうなんだよね、子供なりに色々気を使ったり、考えているんだよね。 半分は動物だけどさ。 食事は藁って食べたい!!
492 :
明るい田中麗奈 :2001/04/28(土) 21:31
私たち日本人はそろそろ「いただきます」なんて習慣を捨てるべきだと思う。
493 :
もぐもぐ名無しさん :2001/04/30(月) 04:09
>>492 本質的な意味はいいんだけど習慣はもういいってこと?
それはそうと、習慣になってしまって本質を見失うことが多い近頃。
スレ汚しスマソ
495 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/01(火) 00:28
うちの親はおばあちゃんを看ているので滅多に外出しないが、孫会たさに車で 一時間以上かけてうちの近所まで来てくれた。 みんなでお昼を食べに行く事になったけど、そのとき私はご飯がのどを通らない 状態だった。 実は前の日に私は離婚すること、娘を手放して旦那に預けることを決意していたのだ。 もしも離婚しても子供と一緒に実家に戻ってくるものだと信じ切っていた両親。 いろいろ考えた結果自分で納得して決めた事だけど、親を裏切ってしまったような 気がして今でもつらい。 私一番思い出に残る食事と言っても何を注文したか、どんな味だったか全く覚えてない。 親の手前、無理矢理食べたこと。つらくてつらくて仕方なかった気持ちだけを はっきり覚えてる。 離婚の際に、私は子供に一生会わなくてもいいからうちの親にだけは 会わせてやってくれと頼んでいたのだが。。。 約束は果たされないまま一年以上たってしまった。 ちなみに食事したのは「王将」。もう二度と行かないと思う。
496 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/01(火) 12:32
>495 文体がかたいので、男かと思った。 でも、キツイ言い方だと思いますが、自分の子供の気持ちを もうちょっと考えてあげて。 親思いなのは立派ですが、子供の今後の心細さを考えたら いたたまれません・・・・
497 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/01(火) 20:57
>>496 さん
そりゃ読み違えてるんじゃないのかな。
495さんだってお子さんに会いたいんだよ。
けど、元ダンナとの諍いの結果、どうも子供をこちらとは縁を切らせて育てる
つもりらしいって悟ったからこそ、せめて親にだけは。と思われたんではないのかな。
第一、実の祖父母にも一年もあわさない様な男、母親が望んだって面会なんて
させないかもしれんよ。
498 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/02(水) 17:42
子供の頃、泳げない僕は隣町の水泳教室に通ってました。 水泳教室に行くのはとてもイヤだったけど、 練習でお腹を空かせたボクに、母親が商店街の角にあるマクドナルドや、 イトーヨーカ堂の駐車場にでてた、屋台のオデンを食べさせてくれるのが、楽しみでした。 兄貴が迎えに来た時は、金が無いのでヨーカ堂の屋上の自販機で、 ハンバーガーを買ってくれました。 結局、水泳教室は止めちゃったし、25になった今でも泳げないけど。 今じゃ、マックもオデンも何と言うことの無い食べ物だけど、あの頃は本当に美味しいご馳走でした。
499 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/03(木) 13:12
おあげさ〜ん!
500 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/04(金) 03:32
7イレブンの「銀しゃりおにぎり」食べたら子供のときのお弁当と同じ味 がしてコンビニなのに素朴で懐かしい味(貧しいななんか)
501 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/04(金) 05:06
小学生の頃、母親が毎週土曜日に病院に通院していた時期があって、その時だけお昼はコンビニ弁当買って一人で食べた時期がありました。 好きなものを選んで買って来て、テレビの音だけの中で一人で食べるコンビニ弁当が、子供の自分にとてもカッコ良く映って大人になったような気分になった思い出があります。 あの時のコンビニ弁当はとーってもオイシかったのになぁ。
502 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/04(金) 07:24
今では寝たきりの祖母が まだ動ける頃によく作ってくれた ぺちゃんこのホットケーキ。今ならきっと自分でも作れるんだけど、 祖母が作ってくれた・・・ていうのが特別で、自分で作る気がしない。 でも祖母にはもう作ってもらう事はないんだろうな・・・。
503 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/04(金) 07:30
父がたまに夜食で作ってくれたお好み焼きやホットケーキ、バナナジュース。 子どもの頃は おいしいだろ?って何度も聞く父がうざくて、 兄弟達と適当にながしてた。(本当はかなりおいしいと思ってる) 今は家族と離れて住んでるけど、次に実家に帰った時は(毎回つくってくれる) ちゃんとおいしいね、って言うんだ。
504 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/04(金) 10:15
>>503 私もそうするよ。次に実家帰えれるのは1年以上先だけど。
なんだか、涙目になってしまった・・
505 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/04(金) 13:36
子どもの頃めったに風邪を引かなかった私が40度を超える熱をだし、完全にダウンした。 食べ物も受け付けられずとにかくやせていった。 でもどうしても何か食べさせ(飲ませ)なければ・・・と、母が心配して作ってくれたのは 生オレンジを絞ったオレンジジュース。 いまでもあれよりおいしいオレンジジュースにはお目にかかった事がない。
506 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/04(金) 14:07
あれは私と兄が小学生だったある日、祖父母の家へ遊びにいきました。 そこの台所で見つけたカップヌードル。 家の父親がそういう物を嫌いな人だったから、私たち兄弟には未知の存在。 祖父母の了解を得て 食べた。まずかった。 さらになぜか食後に公園にいって ぐるぐるまわる遊具で遊んだ。 吐いた。 そんな私も今では立派に(?)インスタント物をおいしく食しています。
507 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/04(金) 14:13
今の彼の目玉焼きかなー。 料理を全く知らない彼がつくれる唯一の料理。 お腹減ったな・・・というと、せっせと作ってにっこり笑って出してくれる。 ベーコンと目玉焼き。 いつも同じだけど、すごくうれしいよ。 明日は私がおいしいもの食べさせてやる!!
508 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/04(金) 21:59
>507 明日の彼氏がうらやましいな お幸せにね
>>507 >明日は私がおいしいもの食べさせてやる
「おいしいのは、あ・た・し」なんつってな。
なんかオヤジくせー。逝ってこようっと。
510 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/05(土) 16:20
ずいぶんと、人と食事ってしたことないなあ・・・
511 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/05(土) 16:24
512 :
507 :2001/05/05(土) 17:25
>>508 ありがとう。彼は幸せだったのでしょうかね?そうだといいな。
>>509 言ってみたいもんだけど、い、言えない・・・。
513 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/06(日) 00:07
ゴムの容器に入った丸いアイスと、メロンの形をした容器に入った シャーベットを見る度に何か心に引っかかるものがあった。 最近では、両方とも姿を見かけることがない(発売中止?)為に、 すっかり忘れていた。 小学6年(5年だったかも)の時、同級生が夏休みに一人で 校庭で遊んでいて、事故で亡くなった。 親友というわけでもないが、2、3回遊びに行ったりとか ごく普通の友人だった。 死というものを漠然としか感じていなかった頃だったし、 悲しいというよりびっくりしたという気持ちの方が強かった。 クラブが一緒だったこともあり、葬式が終わった数日後、顧問の先生と 同級生だったメンバーで焼香に行った。 夏の暑い盛りで、みんなで焼香を終え帰ろうとすると、 そこの母親がアイスを出してくれた。 「暑い中、ありがとうね。皆さんで食べて下さい」 みんな、静かに黙々と食べた。 「・・・・あの子が好きだったんです・・・・これ」 その時食べたアイスが、あのアイスだった。 このスレを読んで思い出した。 なんとなく心につっかえていたものが取れたような気がする。 でも、これ食事じゃないな・・・。
514 :
チェキナ名無しさん :2001/05/06(日) 01:08
>ゴムの容器に入った丸いアイス 「恐竜のたまご」という名前で、生協でも売ってます >メロンの形をした容器に入ったシャーベット 「メロンシャーベット」という名前で、近所の駄菓子屋でも売ってます
>>513 悲しいね・・・
おやつも食事のうちさ。
>>514 「恐竜のたまご」ですか。
うちの方では「ミルクボール」か「アイスボール」とか
呼んでいたような気がします。
近所に駄菓子屋があったそこに置いてあったけど閉店してしまい、
コンビニでは見かけなかったので、もう発売されてないのかと思ってました。
>>515 友達がいつ死んだか(5年なのか6年なのか)は、はっきり覚えていないのに、
アイスのことは覚えてるんですよ。
食べ物と関連した記憶って強く残るんだな。
俺が食いしん坊なだけかもしれないけど(藁。
517 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/07(月) 07:20
誰かとご飯を食べるのって、ホントに贅沢ですね。 一人暮らししてると特にそう思います。 なのに、先日、近所の後輩が、就職のため実家に帰ってしまいました。 (同性ですが、ほぼ毎日、一緒に食事とか飲んだりしてたのに…) 仕方ないことですけど、さみしいですね。 レトルト食品が増えました…。 恥ずかしいんですが、私は昔から意地汚い子でして、 おいしいものとかがあると、独り占めしたくてこっそり食べたり、 分け合うときにも、自分ばっかりに多くよそったりしてました。 でも、今は一人でたくさんたべるよりも、 誰かと分け合って食べたいと思います。 分け合える人がいるのは、素晴らしいことなのだと、つくづく思います。
518 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/07(月) 22:10
中学生の頃だったかなぁ。 西部劇の映画を見て、カウボーイたちが夜、焚き火のそばで、食べているものが おいしそうだったんです。 で、図書館で調べたら、「缶詰の豆を煮て、ベーコンなどを入れたもの」みたいな 記述があって、(正確な作り方とか、名称は忘れたけど)さっそく、母に説明して 作ってもらったんですね。 ところが、これが激マズだったんです。 まぁ、こちらの言った通りに作ってくれたんだから、母に責任はないんですけどね。 あまりのまずさに、残してしまったんです。(ごめん!) それから、2〜3週間ぐらいした頃に、「○○(わたしの名前)、あれから作り直してみたから、食べてみて」と いうことで、出されたものを食べてみたら、これが激ウマ。なんですよ。 ケチャップ使ったり、トマトピューレ使ったり、いろいろ試してみたそうです。 それからは、そのスープというか、シチューがすごい楽しみになりましたね。 ごはんのおかずにもなるし、もうエンエンとあるかぎり食べ続けてしまう。 といった感じでした。 友達が遊びに来る時などは、母にリクエストして作っておいてもらって 「これが、オレンチスープ」とか言って、自慢していました。 ところが、母は、レシピとかを全然書いておかないものだから、 ある程度、期間をおいてから再度つくると、全然、違ったものができたりするんです。 だから、けっこうはずれの時もあったかなぁ。 あぁ、なんか、また食べたくなってきたなぁ。 母も70すぎになったけど、幸いまだまだ元気なので、今度は、ちゃんと レシピを書いてもらおうかな?「マボロシの味?」を継承しなくっちゃね。
519 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/08(火) 01:53
>518 ポーク&ビーンズですね。 ベーコンと白インゲン(これはうろ覚え。煮崩れる感じの 食感であればまぁなんでもいいんですがね) 完成済みの缶詰でもあるはず。 ベーコンとタマネギ炒めて豆投入後煮込む。 (もしくは最初から煮込み済みの豆を入れる) 塩コショウ。 んな感じでしょうか。 いいお母さんですね。 そんな人が母親だったら僕ももう少しマシな人間に……
520 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/08(火) 02:38
4年前、母親が退院したというので帰省して家族で近くの料理屋へいった。 母親がうまそうにもの食ってるの見たのはそれが最初で最後。
521 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/08(火) 15:40
学生だったとき付き合っていた彼のこと。 周囲にコンビニも食堂もスーパーもないような川原で球技大会がありました。 昼食は現地で調達できないから用意してこいと言われていたので、 お弁当を持参することに。 当日の朝、ちょっと多く持って行けば彼と一緒に食べられるかもなー、 と思ったので1.5人分くらいのお弁当を作っていきました。 昼になって「お弁当作ってきたから食べない?」と彼に声をかけると、 「俺、温かい物はさめると駄目だし、冷たい物がぬるくなってるのも 駄目なんだよね…だから弁当って食えないんだわ」 と言われ、そういう好き嫌いもあることをはじめて知りました。 二人で土手に座って、彼が申し訳程度にお箸をつけてくれているのを見ていて、 悪い事をしたような残念なような、少し複雑な気持ちでした。 その後、機会があって彼の家で作ったご飯は「おいしい」と言って 残さず食べてもらえましたが…。 もうその彼とは別れてしまいましたが、今でも自分で作ったお弁当を見ると 思い出してしまいます。
522 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/08(火) 18:11
>>518 なにか、しみじみしてしまった。
>母も70すぎになったけど、幸いまだまだ元気なので、今度は、ちゃんと
>レシピを書いてもらおうかな?「マボロシの味?」を継承しなくっちゃね。
私事だけど、私の母親が4年前に急死したときに、母親の料理のほとんどが
幻の料理になってしまった。
味と母親が料理していたときの記憶をもとに、少しずつ再現に挑戦しているが
わからないものがほとんど。
思い出の食事が多すぎる。
お母さんを大事にしてあげてね。
523 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/09(水) 00:49
大学受験に失敗して一浪して地元の北海道でコンビニでバイトしながら 予備校通って廃棄の弁当で食い繋いで秋口受験勉強もヤマって時に 同じ志望校に現役合格してた彼女からオトコが出来たからもう会えない 電話もしない方がいいと思う、とかって。 笑うよな。 いまだにコンビニのホットドッグは嫌い。 行き場の無い焦燥と歪んだ性欲とコワレかけた自分を持て余しながら、 深夜の川原で俺が齧ってるから。
524 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/09(水) 02:40
マカロニ茹でただけのものが弁当箱に詰まってた。 母親の嫌がらせだと感じた。 小学生の私(笑
525 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/09(水) 04:24
米に滞在しており、去年の暮れに日本に帰省したときです。 私は酔いやすい体質で、飛行機が大の苦手です。 そのとき乗った飛行機は、ファックユナイテッドでした。 酔い止めを飲みながら、なんとか空の旅を楽しんでおりました。 もう少しで成田に着くときに、最後の機内食が出されました。 それはきのこご飯で、正直言ってまずかったですが、全部食べました。 その後すぐに着陸態勢に入り、そのGのために胃がムカムカして 気分が悪くなり、顔面蒼白で瀕死状態のまま成田に着きました。 気分はまだすぐれませんでしたが、夜なので早く帰ろうとしました。 成田からは電車で群馬の実家に向かいました。 が今度は電車に酔ってしまい、視界がぼやけ冷や汗だらだらになり、 もう耐えられず越谷あたりで降りました。降りたとたん駅のプラットホームで、 直立したまま胃の中にある一切のものをコアダンプしてしまいました。 それはゴジラが火を噴いたような有様でした。 電車からこれを見ていた人たちは、一瞬固まり、うへーなどと言っておりました。 寒風吹きすさぶ駅のホームで私は、日本もなかなか厳しいものだなとそのとき思いました。 と同時に、ファックユナイテッドにはもう二度と乗らないぞと涙目になりながら、 心に誓いました。 去年の12月16日土曜日の夜に、越谷あたりの駅で嘔吐ショーを催したのは、 この私でございます。ごめんちょ。
526 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/10(木) 14:26
>523 その気持ちよくわかる・・・・ あの頃って、焦燥感とか性欲持て余しながらメシ食ってたな 大学受験に失敗して、浪人生活になった。 予備校に通っていたが、昼飯は予備校の食堂の焼きそば、 安かったし、かけそばに比べて栄養が有りそうだったから。 その焼きそばは、ただソースの味しかしなくて、歯ごたえも ゴムのよう、マズイ、マズイ、マズイ・・・・・ 冷えるとさらに、マズイ、マズイ、マズイ・・・・ 食事を楽しむなんて余裕は全くなく、怒りを込めてかき込んでいた。 湿度が高くなるこの頃になると、なんでか必ず思い出す。 ストレートに受かった友人達が、GWで遊んでいるのがうらやましく 自分の境遇が本当にイヤだったからな。 精神的に辛かったのも、5、6月だったよ。 さて、今日は絶対美味いものたべるぞー
527 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/10(木) 14:45
>>526 月並みな事しか言えないけど、「がんばれよ」
528 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/12(土) 04:14
大学1年の頃、彼に食事をはじめて作りました。肉じゃがを作りました。 失敗したらまずいとめちゃくちゃ緊張して作ったのを今でも覚えています。 自分では普段実家で食べる肉じゃがと同じくらいに作れたつもりでいました。 しかし彼は私の作った肉じゃがを食べた瞬間「まずぅっ、油濃すぎ」と・・・ 彼の実家は薄味油控えめの味付け。一方私の実家は濃い味油多めの味付け。 家庭の味の違いをひしひしと感じました。 結局ほとんど食べてもらえなくてショックでした。 あれから5年くらい経って彼と今年結婚しましたが、肉じゃがを作るたびに そのときいかに私の肉じゃががまずかったか力説されます。 だから肉じゃがを作る時は他の料理より今でも緊張してしまいます。
529 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/14(月) 16:20
さっき彼女と別れた。 こんな状態でも腹は減る。飯食ってきます。
530 :
しらちゃん :2001/05/15(火) 22:21
食事とはいえないが、忘れられない思い出。 私が小学生の頃、二つ上の同じく小学生の姉と、初めて母の日にプレゼント をすることにした。 しかし、しがない貧乏一家のこれまた貧乏小学生の兄弟にプレゼント が買えるほどの蓄えなど持ち合わせていない。 二人で街に買い物に出たが幾ばくかの予算でいろいろ見たが、とても 手が届かない物ばかり。 まずは一本のカーネーションを買い求め、それだけで予算は半分を 超え、帰途悩みながら歩いていると、ケーキ屋さんがあった。 二人で綺麗なデコレーションケーキを見て「これがプレゼントできた らなあ」といいあっていたが、 ふと姉が、「ケーキにしよう、ショートケーキ!!」 普段はショートケーキすらめったに食べたことのない私には この小さなプレゼントが物凄く豪華なもののように見えた。 店に入って「イチゴのショートケーキ一つ下さい」 と姉がいうと、店の人は最初は普通の包み紙にくるもうとしたが 私の持っているカーネーションに気がついたのだろう、箱を綺麗な 赤いデザインの紙でラッピングし、鮮やかなリボンで包んでくれた。 その夜、母に二人で手製の手紙とプレゼントを差し出すと、 大喜びの母は、ケーキはみんなで食べようといい、小さなショートケーキを イチゴも含めて三等分し、皆で食べた。 一口で無くなったケーキだが、未だに忘れられない味である。 母の日の最初で最後のプレゼント。 病気も殆どせず、元気だった母も 今では・・・・まだ健在である。
531 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/16(水) 08:09
感動あげ
優良スレあげ。
533 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/17(木) 15:20
社会人になりたての頃、仕事のストレスでやせてしまった私に母がお弁当を作ってくれた。 朝起きて、食欲がなく「いらない」と持って出なかった。 社食で昼食を取りながら「母さん今ごろあれたべてるだろな」このときほど時間を戻したかった。 罰があたり、今では子供のおのこしの処理でデブママの私。
534 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/17(木) 23:01
数年前、元旦早々に激しく風邪ひいて寝込んでしまった。 薬屋は開いて無いしコンビニも遠い。 当時の彼氏は半遠恋で車を持っていないので助けを呼ぼうにもまず無理。 な、もんで思わずちょっと遠い所に住む男友達に助けを求めてしまった… 千葉−川崎間を2時間で駆け付けてくれた友人は 薬の他にレトルトの鍋焼うどんも持って来てくれたのだ。 そして届ける物を届けて友人は帰っていったのだが 後で思い出したことがあった …彼は大晦日は半分徹夜で仕事していたはずだった、と。 熱で判断能力が無かったからといって そんなに近くに住んでるわけでも彼女でもない自分がすごく申し訳なくなった。 薬が効いてすこし食欲が出てその鍋焼うどんを食べた。 ……美味しかった、美味しくて泣きそうになったのなんて初めてのことだった。 食べながら、もう少し人の気持ちを考えられる人間になりたいと 本当に心の底から思った。
535 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/18(金) 12:52
>>534 いい食事したね。うるっときてしまった。
母親が入退院をくりかえしてた頃のこと。
退院してくると必ずホットケーキを焼いてくれた。
フツーにパンケーキミックスで作るだけなんだけどむちゃむちゃ美味かった。
母が死んだあとも度々夢に見る。
帰ってくると、台所に母がいてホットケーキを焼いてるの。
あー お母さん帰ってきたんだ 死んでなかったぁ〜〜っ!って
喜んで「お母さん〜ホットケーキ食べたかったよ〜」って叫んだ。
台所の母が振りかえるとこで目が覚める。
いつもそう。食べられないの。せめて一口でも食べてから起きろ、自分。
こないだはあまりに悔しくて
「お母さんの〜ホットケーキーィ〜〜〜うえーーーん」
と泣いてしまった(恥)。
夫が「焼いてやるから泣くな」というのだがそれではダメなのだよ。
お母さんのじゃないと。
留学時代、ちょっと天邪鬼な男の料理のことを。 ある日、留学生の持ちよりパーティーがあった。 こういうときは、やはり日本の料理をさしいれたいよね。 「私大根煮る。Sさんは?」 「面倒くせ。酒でも買ってもってくよ」 「お料理できないの?」 「俺はおまえより自炊歴長いんだよ」 「卵焼き作れる?」 「んなもん簡単じゃんか」 「作ってきてよ」 「なんで俺が?」 卵焼きって中国や韓国にさえないんです。日本独特。うけるはず。 簡単なら作ってくれてもいいじゃない。卵しか要らないしさ。 私は寮暮しで炊事環境わるくて、煮物くらいしかできないんだけど、 彼はマンションから通ってて、システムキッチンあったんですよね。 てなわけで、私はちょっとがっかりしてた。 でも当日になったら、彼はちゃーんと作ってきたのだ。卵焼きを。 のみならず、ポテトサラダ、更にはおむすびまで!(酒も持参) 参加者の中で、実は一番しっかり作ってきたのが彼だった・・・ あの「どうだ!」といわんばかりの得意そうな笑顔は、 思い出すたびに微笑んでしまいます。Lovely! 私は帰国したけど、卵焼きはあれ以来たべる気おきません。 この卵焼きの記憶をずっととっときたい気がしてます。
537 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/18(金) 21:15
寿司屋でバイトしていたころ、店員は私とだんなさんだけ(個人経営なので)という事が、ほぼ毎日でした。 正月の2日。おお忙しの私達は、夜も仕込みに追われていましたが、だんなさんが『もう、あとマグロだけだから、帰れ』と 言ってきました。どうしようか悩みましたが、マグロを捌くのは だんなさんしか出来ないので、上がらせてもらいました。 それがだんなさんと会った最後でした。その日の夜 帰ってこないだんなさんの奥さんが 心配して店にくると、トイレの中で倒れていたそうです。脳内出血だったそうです。 今でも、あのとき自分が残っていたら だんなさん
538 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/18(金) 21:19
は、死なずにすんだのではないか、と悔やんでいます。 もう一度あの ぶっきらぼうな口の悪い旦那さんの お寿司食べたいです。 なんだか、ワケわかんなくてすいません。
age
540 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/21(月) 17:01
大昔、通っていた幼稚園の隣に孤児院があって どのクラスにも1人〜2人くらい、孤児院から通っている子がいました。 カトリックの幼稚園だったので、お弁当の前にお祈りをするのですが お弁当のふたを開けてお祈りをするので、隣の子のおかずが見えるのです。 孤児院から通っているその女の子のお弁当は いつも、ごはんの隅に塩昆布がひとつまみ、のってるだけでした。 あとみかんがひとつ。毎回それっきりです。 その話を母にすると、その子に分けてあげなさいって言うので 一度おかずをあげたことがありますが、下を向いて黙っている彼女をみて いけないことをしてしまったと、子供心に思いました。 それからは、その子のお弁当はなるべく見ないようにしました。 えみちゃんの声を聞いたことはほとんどありません。 体も小さかったし、肌がいつもかさかさしていて、伏し目がちの目をしていました。 でもまつげが長くてとても可愛かったような気がします。 ごはんに塩昆布の組み合わせを見ると、ときどき思い出します。 昭和47年頃の話です。
541 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/21(月) 17:58
542 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/22(火) 14:25
子供2人が小学生になったある日。 その日は私の誕生日でした。 2人でお小遣いをだしてスポンジケーキと生クリームを買ってきました。 2人で必至に生クリームを泡立ててるんだけど、時は7月。 冷やしながらすればちゃんと角が立つんだけど 「2人だけでするからね!」といって必至で泡立てていました。 見るに見かねて「ホイップだけするから、後はあんた達でしなさい」といいました。 しばらくしていびつな生クリームがたくさんかかったケーキができあがりました。 得意そうな子供達の顔。 「お誕生日おめでとう、お母さん!」の声。 いままで食べたどんなケーキよりも美味しかった。 まだまだ新米ママの話でした。
543 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/22(火) 18:50
数年前の母の日、朝から母親と大ゲンカした。 母はそのまま仕事に行ってしまい、高校生だった自分は 一人で買い物に行って、夕食の材料と花を買って帰った。 夕食の支度をして、食卓に花を飾って、母親を家族3人で待っていた。 母親は夜中になってから外で食事をすませて帰って来た。すこし酔っているようだった。 他の家族はみんな黙って自分の部屋に入っていった。 食卓の花と料理に気付いた母は、それから真夜中まで、 顔を真っ赤にして一人で料理を食べていた。 私は明け方まで部屋で泣いた。
544 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/23(水) 00:05
いいなあ。 一人暮らしは気楽だし 友達との食事も楽しいけれど たまには家族と一緒に 愛情に満ちた食事をしたい・・・
545 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/23(水) 01:35
いいスレだ。
>>535 亡くなった自分の母親のことを思いだした。
いい年した男だけど、涙がこぼれた。
546 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/23(水) 01:38
ニュージーランドの農家で働いていた時に、そこのおやじが鶏を つかまえてロープでつるして首チョンパして毛をむしり色んな内臓を 出してさばいて作ってくれたチキンココナッツカレー。 一部始終、見ていた私だがスゲーワイルドな男だ!と思った そして食べて、ビツクリ激ウマ!!肉は固めなのだが良い味してた。
547 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/23(水) 09:59
10歳くらいのころ、父親は妹ばかりを「かわいいかわいい」 と言っていた。私には 「お前は不細工だから、男が見つからなくても大丈夫なように 一生働ける仕事に就け」と言っていた。 あるとき、妹が風邪を引き、病み上がりの状態で家族みんなで 夕飯を食べていた。食事の後、大皿に盛ったサクランボが出た。 サクランボは大好きだ。 いつものように、わーいと食べようとすると、 父親に手をはたかれた。 甘くて大きいものばかりを より分けて妹のために寄せておいたのに、 それに気づかず私が真っ先に手をのばしたからだった。 不細工なうえに「卑しい」「意地汚い」「思いやりが無い」 散々な言われようだった。 私は心底自分が嫌になった。間抜けだと思った。惨めでしかたなかった。 それから3年後、私は摂食障害になった。 10年後には成長に伴い面変わりして、 周囲から「お姉さんは美人ね」と言われるようになった。 15年後の現在。 私はいつも、サクランボを見ると悲しい。 そして、私の摂食障害は未だ治ることが無い。
548 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/23(水) 12:33
>547 つらいですね。 同じ姉妹なのに親から差別されるのって・・・。 あなたの摂食障害が早くよくなって、楽しくて美味しいお食事ができることを祈ってます。
549 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/23(水) 12:37
そんなに料理ができるわけではないのですが、当時付き合って いた彼がかなりよく食べるほうだったので、本を見ながら凝っ た料理に挑戦してみたりして、一所懸命いろいろ作りました。 ある日「今まで作った料理の中で、どれが一番美味しいと思った?」 って訊ねたら「かき揚げうどん!」と即答…。 作り手にとっては簡単なものでも、食べ手にとっては印象に残ったり、 その逆もあったり。料理って奥が深いです。
かき揚げ。
551 :
もぐもぐ@名無しさん :2001/05/24(木) 08:36
食べ物ではないが、 5年ほどつきあっていた彼女が、ある時 別れ際にいきなりキスしてきて、舌をほんの少し入れられた。 あんなに旨い物食ったこと無かった。 ずっと何もしないオレに業を煮やしたって所かな。
552 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/24(木) 10:28
>551 これがほんとの、「ごちそうさま」(笑)
サイキンココ ネタスレ ジサクジエン カコワルイ
554 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/29(火) 13:31
age
555 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/30(水) 14:05
>>551 ネタ?
じゃないとしたら相当人生の時間を無駄してるな。
5年も何もしないって、アホか。
556 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/30(水) 16:20
>>551 小学生高学年から付き合ったとしても
初キッスが高校生?
小学生で付き合うようなマセガキとしてもおかしい。
Harry Met Sarryのような関係とでもいいたいのか?
それもあり得ない。
551逝ってよし
557 :
もぐもぐ名無しさん :2001/05/30(水) 16:41
こじろうさま
558 :
122 :2001/05/30(水) 21:06
ずっと前に書き込みした者です。 今年の元旦、年明け早々アメリカ留学している弟から電話がきました。 わざわざ時差を計算して電話をくれたらしいのね。(向こうはまだ大晦日) 「せっかくだからそっちで年越しソバ食べなよー」と言ったら 「そういやそんなのもあったな、ソバかあ。旨いカレーが食いたいよー」と笑ってたな。 そんな弟がさ来月帰国します。その日は実家に帰ってカレーつくってやろう…。
559 :
あ :2001/06/01(金) 21:06
あげときます。
>>555 ,556
ネタだと思いたければ、そう思っておけ。
発想が貧困な奴らだ。
561 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/04(月) 06:13
うっせぼけ
562 :
¼ :2001/06/05(火) 01:18
あげ
564 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/12(火) 01:58
age
565 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/12(火) 10:10
本当に、1ヵ月前に祖母が亡くなった。昨日でちょうど1ヵ月。 91歳で老衰だったけど、祖母の食事は、最後は本当にまずそうな病院食。固いものが食べられないから、魚や野菜をすりつぶしている。母が口へ運んでも、祖母は3分の1も食べられない。ただ、スーパーで買ってきた好きなあんだけ、嬉しそうに食べた。 亡くなったと聞いて、祖母の為に、美味しい和菓子を買って帰省した。生きている間に、もっといっぱい美味しいものを食べさせてあげたかったな。スーパーの和菓子なんかじゃなくて・・。 その悔いが未だに胸にあります・・。
もう終わった?次。
567 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/12(火) 13:13
切ない気持ちで読んでいても、
>>566 みたいなのの存在のために、折角の気分が害されてしまう。
名スレなのに、久しぶりに来てみたらなんでこんなに荒らされてるんだろう‥。哀しい。ネタがどうので騒ぐ人たちは、創作文芸板に逝ってほしい。あっちは100%ネタだから。
568 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/13(水) 00:18
>>565 の話で思い出したよ。消防の頃、癌で亡くなった叔母さんの事。
化粧品の販売の仕事をやってて、子供の自分に目にはおしゃれで
すごく格好いい女性に映ってた。
ある日見舞に行ったら叔母さんが一人で泣いていてさ。
食事が全然喉を通らなくてもう駄目かもって。
母がなだめてる間とにかく何か食べれそうな物でも、と
父と妹とアイスクリームを買いに行ったんだけど、誰も言葉を発する事ができなかった。
泣き腫らした顔でアイスクリームを舐める叔母さんを見て、何とも言えない気持ちになったよ。
その一ヵ月位後に叔母さんは亡くなったんだけど、
何よりもあのお洒落で颯爽とした叔母さんが一人病院のベッドで泣いてたのがショックだった。
子供の自分が生まれて初めて感じたリアルな“死”の予感でした。
569 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/13(水) 01:45
小さい頃、食卓に自分の嫌いなものばかり並んでいたときがあった。 食べたくなかった私は冗談半分で「ひもじいよー!」と言ってしまった。 すると普段は怒らない父が「ひもじい思いをさせたことは一度もない!!」と怒りました。 その時は何故父が怒ったのかわかりませんでした。でも、今はわかります。 もうすぐ父の日ですね。 「おとうさん、わがままばかり言っていてごめんなさい。いつもありがとう。」 ってちゃんと言いたいです。
570 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/14(木) 14:05
旨いカレーが食いたいよー
571 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/14(木) 20:22
2年前、父が病気で入院した。 ふだんは父と母の二人暮しの実家に、電車で2時間ぐらいのところに住む 弟が戻ってきた。私も休みを利用して遠い街から実家に行った。母と一緒に 父を見舞ったあと、母と弟と私は家で夕食を食べ、TVを見てお茶を飲んだ。 思えばいつも父がいる食卓は、いつ狂ったように怒りだし暴力を振るうか わからない父の顔色を伺いながらみんな黙りこくって、父が嬉しそうに母の 親族をバカにしたり、私や弟や妹を「バカ、不細工、性格が歪んでる」と 罵ったりするのをただ聞いているだけの時間で、母が作ってくれる食事も 砂を噛むように味気なくて、ただ早く食べ終わって自分の部屋に戻りたかった。 父がいないその日の食卓は暖かかった。いつもは食べ終わったらすぐ部屋に こもってしまう弟も私も、居間でお茶を飲みながら静かに母といろんな話を した。いつもはいたたまれない場所が、普通の家族の団欒の場所ってやつに なった気がした。 父は元気になり、相変わらずの暴君ぶりで、たぶん私はもう父が生きている 間は実家には帰らないと思うけど、あの日母が作ってくれたじゃがいもの 煮物がもう一度食べたい。あの日のように、父がいない食卓で。
572 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/14(木) 23:38
>>571 辛いね・・・・・・
私が言うことではないけど、弟さんと一緒に
お母さん大切にしてね
573 :
orphan :2001/06/15(金) 06:33
じんわり。ほろり。ぽろぽろ。
いろんな涙を流しながら、最初からゆっくりと読ませてもらいました。
>>569 まで読んで、コーヒーを煎れるために台所に行った。
蛇口をひねった途端、号泣した。文字どおりの号泣。
「ひもじい思いをさせたことは一度もない!!」の重さ・・・
お父上を大切になさって下さいね。
574 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/15(金) 10:29
片思いだった女の子と二人で話しながら空き教室で食べたサンドイッチ。 ぜんぜんのど通らなかった。味もしなかった。ただ下品な食い方にならんよう 気をつけてたっけな・・・ああ。。。
小4のマラソン大会の朝、母が作ってくれたオムライス。 ケチャップで上に「ファイト」って書いてあった。 あの頃はマラソンが得意でみんなに期待されていたから、私にはかなりのプレッシャー。それを察してか、あえて「がんばれ」と口では言わない母の優しさが嬉しかった。 帰ってきたら、玄関ですぐ母に叫んだ。 「お母さん!わたし、何位だったと思う?」「その声は一位だね。おめでとう」 母は何でも私のことが分かるんだなあ・・と思った、小学時代の忘れられない思い出。
576 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/16(土) 16:56
あげときます。
577 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/16(土) 20:08
先週、田舎から段ボール箱で夏みかんが送られてきた。 送ってもらったから、とりあえずお礼の電話ぐらいはした。 親子とはいえ、本当は電話もあまりしたくないくらい、冷え切った 関係だった。 今日、その夏みかんを子供たちと一緒に食べた。 下の子はまだ幼稚園なんだが、自力で一生懸命夏みかんの皮を剥こうとするが とてもあの手ではむける物ではない。 その姿をほほえましく見ながら、最後は僕がむいて食べさせてあげた。 子供達がニコニコしながら食べているのを見て、ふっと思い出した。 これは、全く僕が子供の頃と同じ風景ではないか。 極めて厳しく、他の人の意見など耳にかさないほど強情な 親だったが、この様な慈愛に満ちた事も沢山あった。 自分が子供の頃、愛されていたことを思いだし、鼻の奥がつーんと 痛くなった。 今は複雑すぎる事が重なりすぎて、お互いに難しいけれども、 あのとき親から注いでもらった愛情をこれからすこしづつでも かえしていきたいと思う。
578 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/17(日) 15:36
16のとき、初めて好きな男の子とつきあうことになった。 最初のデートでハンバーグを食べたんだけど、もう 緊張して緊張して「きれいに食べなきゃ」「マナーもきちんとしなきゃ」 とかそんなんばっかり気になって、全然食べられなかった。 つきあって半年くらいして、一緒にドーナツを食べた。 ミスドのエンゼルフレンチ。かぶりついたらクリームが はみ出して「こぼれるー」とか言ってる私を見て 彼が笑いながら「お前ようやく慣れたな」と言った。 「早くお前とこうやって、バカみたいにふざけながらメシ食ったり はしゃいだりしたいなぁと思ってた」と言われた。 緊張してるのバレてたんだ!と思ったら恥ずかしくて こそばゆくて「へへ」って笑ってごまかした。 今じゃ彼は1児のパパ。 私も旦那とおいしく楽しくご飯を食べてるよ。
579 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/17(日) 15:41
昔よく、まいのうちの近所とかに売りに来てたきびだんご。 まい、よくおばぁちゃんと食べたな。もう二度と食べられないのだろうか!♪
580 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/18(月) 08:56
私は5年もの間、摂食障害だった。 低カロリーの自分が認めた食品以外、吐かずにはいられない。食べる=太るという図式が頭にあり、いつも苦しめられていた。 一人暮らしで自活していたものの、給料の殆どが食品に消えていく。がりがりに痩せた体。激しい欝状態。歯も胃も痛め、生理は止まった。通院し、薬を服用してもなかなか治らない。 もう耐えられない。泣きながら田舎の母へ論文のような手紙を書いた。 昔、父の暴力に怯えて暮らしたこと。相反する祖父母の過剰な期待。心の根底にある傷、トラウマを全てさらけだした。
581 :
続き :2001/06/18(月) 08:57
手紙を読み、田舎から飛んで駆け付けた母は、「気付いてあげられなくてごめんね。一緒に直していこう」と泣いた。 それから私は会社も辞め、田舎で療養した。 簡単には治らない。母の作ってくれたものは吐けない。だから食べられない。 更に痩せてしまった私の背中を、母は毎晩泣きながらさすってくれた。 そうして、生きるために、やっと口にできたのは、芋粥。甘さが口の中に広がる。母の料理は、こんなに美味しかったのかと思った。 私も母も泣きながら食べた、あの朝の芋粥。母の味。母の温もり。私は一生忘れないと思う。
582 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/18(月) 10:06
夏の日の暑い午後だった。某和風ファミレスでの出来事。 幼い息子が「クリームソーダ」を欲しがった。 はじめての炭酸体験、 私も主人も(どんな顔するかな?)とワクワク。 そして一口、息子は満面の笑顔で「おいしい〜〜〜」 隣席の老婦人もおもわずニッコリ(^^) ほんとうにおいしそうに、息もつかず飲んでいました。 ふいに、彼は顔をあげた。何かいいたそうな・・・口が・・・ 「がほっ」「ぼえっ」「おげっ〜〜げ〜」 そう。炭酸に慣れていない彼のノドはその気泡に耐えられなかったのだろう。 ・・・・やってしまった。 テーブルの上の料理は 彼の口からあふれ出た うすグリーンの液体と白い泡となったソフトクリームと さっき食べたざるソバ(細切れ)で覆われた。 私は半分意識を失いながらも、そのエメラルドグリーンの海に ジャケットを掛けて視界から消し去った・・・
583 :
582続き :2001/06/18(月) 10:07
その1年後。もう大丈夫か、と再びクリームソーダを飲ませた。 よもや同じ運命が待っているとも知らず・・・ 嗚呼、クリームソーダよ。もう2度と彼に近寄るな。
585 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/18(月) 18:44
あげておく
586 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/19(火) 15:45
クリームソーダ
587 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/19(火) 19:08
やめてくれー 気持ち悪い。
588 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/22(金) 09:55
小学2年の頃だったかな。 給食の時間は班ごとに机を寄せ合ってみんなで食べる事になっていた。 俺の後ろの席に好きだった女の子がいて、机を寄せると隣になる。 好きな異性には強がったりイタズラ(変な意味じゃないぞ)をする年頃。 当然俺もちょっかい出して、自分をアピールしていた。 ある日、給食を食べていると俺とその女の子の間をふわふわと綿毛が舞っていた。 互いにふぅ〜ふぅ〜と綿毛を吹いて相手の方に追いやっていた。 二人とも調子に乗って吹き合っている内に、軽く唇と唇が触れた。 急に気まずくなって、もくもくと給食を食べる俺。 ちらりと隣を見ると顔を真っ赤にしながらも、平静を装ってパックの牛乳を ストローで飲んでいる彼女の姿が見えた。 いつもは大嫌いで残すんだけどさっきの事で興奮していて喉が乾いた俺は、 彼女と同じように牛乳を飲んだ。 それから給食の牛乳を残す事は無くなった。
589 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/22(金) 13:28
590 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/22(金) 14:45
小学一年のとき 風邪で学校を休んだ私に酔っ払った 父が卵焼きを作ってくれました 油の所在がわからなかった父は 当時出たばかりの中性洗剤(ママレモン) で焼いてしまいました、強烈な洗剤の匂いと 泡だらけの卵焼き鍋・・・ それ以来、私は卵は自分で焼くようになり 今では、料理人として生きています 今は亡き父の思い出の一つです
591 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/24(日) 22:27
皆で集まってご飯を作った時、当時好きだった人が お好み焼きを焼いてくれました。広島出身らしく 私は初めて生で広島焼を作るのをみました。 最後に卵を鉄板に落とし、ぎーっと丸くのばして そこに本体をひっくり返す手つき! もらった1/8は大事に食べました。
592 :
広島 :2001/06/25(月) 13:09
卵焼きを
594 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/26(火) 15:11
家族全員、もういい歳なので、ここ数年各自の誕生日って特に何もしてなかった。 今年の私の誕生日、夕飯の食卓がいつもよりちょっぴりゴージャスだった。 「お兄ちゃんが、『今年昇進してお給料がアップしたから これで●●子(私のことね)の誕生日にご馳走作ってやってくれ』って 1万円くれたのよ」ってお母さんがあとでこっそり教えてくれた。 歳が離れてるし性別も違うしで、いつもあんまり話したりしないけど あたしの誕生日おぼえててくれたんだね。お兄ちゃんありがと。
595 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/26(火) 15:18
昔超大好きな人とデートの時に 食べたマックのwチーズバーガーの味。 マックでしか食事した事なかたけど、あの頃は本当に それでよかた。マックしかごちそうしてくれなかった。 でも彼が大好きだったからあの頃は本当にそれだけで、 幸福だったんです。
597 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/26(火) 15:22
598 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/26(火) 15:24
age
600 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/28(木) 01:39
601 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/28(木) 02:49
俺は会社の寮、2歳年上の彼女は実家。 デートはいつも外食だった。 ある日、仕事がいつもより早く終わってこれから会える?と 電話したところ彼女は家の食事を作っているという。 でもすぐ行けるから寮の部屋で待っててと言って電話は切れた。 一時間後、寮まで迎えに来た彼女が車で持ってきたのは まだ温かいタッパーに入った麻婆豆腐とご飯。 「あとで夜食にでも食べて」と言われたがその場で食べてしまった。 今までに食べたことのない深い味の麻婆豆腐。 辛くて、ちょっと甘くて、コクのある味。美味かった。 一気に食べる自分を見て彼女が汗を拭いてくれた。 車の中で食べるといった変な場面だったけど麻婆豆腐の美味さもさること ながら彼女の視線が優しくて幸せで、初めて結婚したいと思った。 顔が美人でという理由で付き合い始めた彼女だったけどその後 いい意味で想像を裏切られっぱなし。 治らない病気を持ってる彼女だけど一生付き合う決心をさせてくれる 価値のある麻婆豆腐でした。
600は気持ち悪い写真です。
604 :
¼ :2001/06/29(金) 05:00
600はみちゃなんねー・・・
いろんなとこに貼り付けてるから注意。
>>601 美人で料理上手、家事の手伝いをする病弱ってとこで妄想が…
ウラヤマシイ。
606 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/29(金) 20:11
607 :
?? :2001/06/29(金) 20:51
??
608 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/29(金) 21:47
知り合いの小学校教師から聞いた話。 給食がない学校に赴任した時にお昼の時間、クラスの皆が お弁当を食べている中、一人だけ500円玉を握りしめてたコがいたんだって。 買って食べろって事だろうけど、買いそびれちゃったんだろうね。 しかも、学校の近くにコンビニはないらしい。 その知り合いが気付いて自分のお弁当を分けてあげたそうだけど・・・ この話を聞いた時、ここのこと思い出した。 そのコにとって嫌な思い出に残る食事だろうけど。
609 :
もぐもぐ名無しさん :2001/06/29(金) 23:15
>>608 でも、先生の優しさが、いい思い出にしてくれるかもしれないよ。
610 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/03(火) 00:41
>>601 その麻婆豆腐食べてみたいッス。
治らない病気って大変だろうけど支えてあげてください
611 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/03(火) 04:43
昔、まだ歯が全部生え変わってない頃、ちょっと離れたおばあちゃんの家で 夕食にカレーを食べていたとき、少しぐらついてた歯が急にもげはじめて大出血。 いて〜って言いながらもんどりうって、でもまだ全然食べてなくてお腹すいてて 痛さと空腹の間におかれた自分がつらかった。 で、少し時間を置いてから丈夫な方の片側で冷めた食いかけのカレーを食べた。 あれは苦しかったよ。
612 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/04(水) 10:37
まだ私が小学校低学年だったころ。 おじいちゃんの家に父と弟と遊びに行ったところなぜか私と おじいちゃんを残して父・弟・おばあちゃんが買い物に行く という状況になりました。 普段から無口で偏屈で有名なじーさんだったので私は話すこともなく 所在無くテレビをみているしかありませんでした。 しばらくそんなでテレビを見ていたらおじいちゃんが 「おい、コーヒーいれてくれるかい?」と話し掛けてきたのです。 母にコーヒーをいれてもらったことはあっても自分でインスタントとは いえコーヒーなどいれたことのない当時の私。 「作ったことないよ。」 「いいよ、なんでも。粉がそこにあるだろ」 おそるおそる作ったインスタントコーヒーは今思うと濃かったのでは ないかと思います。しかもミルクも砂糖も入れてなかった。 でもそれをおじいちゃんは飲んでくれて。 ただそれだけですがケチで性格が悪くて。。。といつも母から聞かされて いただけになんだかビックリした記憶があります。
613 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/04(水) 10:37
その後10年ほど経ち、おじいちゃんは骨折が元で寝たきりになったのを きっかけにだんだんとボケてきてしまいました。 おばあちゃんがわかるくらいで子供もわかったりわからなかったり。 私は10人いる孫の中で一番暇でその頃車にも乗り始めたのでちょくちょく おじいちゃんの様子を見に大学の帰りによるようになりました。 おみやげというほどでもないのですがいつも私がおじいちゃんに持っていくのは チョコレート。今思ってもなんでだろう?と感じるのですがそれくらい毎回 チョコレートを一枚持っておじいちゃんに手渡すというのがいつものパターンでした。 ある朝おばあちゃんが介護ベッドで寝ているおじいちゃんのパジャマを 着替えさせようと思ったらシーツとパジャマの胸の部分に茶色いシミが べったりとくっついていて。吐血かと思い(血は乾くと茶色くなりますから) ひどく驚き慌てたそうなのですが、それはよーく見たらなんと私が持っていった チョコレートが溶けてくっついたものだったんです。 おじいちゃんはチョコレートを食べずに大事に胸ポケットに入れたまま寝ちゃった のでした。 おじいちゃんは4年ほど闘病のあと2年前に亡くなったのですがその話を おばあちゃんから聞かされて 「おじいちゃんは○○がチョコレートくれるのすごく楽しみにしててね。 他の人はわからなくなってもおまえが来て『○○がきたよー』と言うと 『おー、そうかそうか○○来たか』ってわかってたんだよ。」 と聞かされて涙涙・・・ 小学生の時は怖くて近寄りがたいおじいちゃんだったのに寝たきりになってから いつもニコニコ笑ってる姿になっちゃったのがうれしいような寂しいような そんな気分でした。
614 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/06(金) 13:44
揚げ玉。
615 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/06(金) 21:19
>613 涙の秘孔を直撃!。 ちょっと仕事で落ち込んでいるせいか、身内もののネタはだめ・・ 涙。だけど、年寄りとくいものの話には哀しい話が多い中、これは 突出しているね(いい方にだけど)
616 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/06(金) 21:33
母が、入院中のおじいさんにお見舞いのスイカを持っていって 食べさせた後、痰が詰りその日の内に死去。
617 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/07(土) 11:05
あげ〜〜〜
618 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/07(土) 12:59
2年前、節食障害で生理も止まり、安定剤を常用してた時、 今の彼氏が親子丼を作ってくれた。久しぶりのちゃんとした栄養のある食事。 「他人が自分の為に作ってくれたものだから」と、その時は 無理して吐くのを堪えたんだけど、今ふと気付くと最後に食べ物を 吐いたのはいつだったか思い出せない。 それが彼の作れる唯一の料理らしい料理だったんだけど、自分が作ったものなら 私が吐かないように努力するのに気付いた彼は、それから私のスキな物を 作れるようになっていった。 そんなわけで彼の現在のレパートリーは 親子丼、ペペロンチーノ、肉じゃが、レモンパイ という、脈絡のないものになっている。
>>618 (・∀・)イイ!彼氏でヨカタネ。
レパートリーは脈絡無いけど色々応用ききそうだね。
幸せにね〜
うちのおじいさん、少しアル中で、酒ばっか飲んでてさ。なくなると「もっと 出せ」って言って、家族が出さないようにしてると私のところに来るの。 「酒持って来い」って。 私は嫌で嫌でずっとおじいさんのこと避けてた。無視もした。 同じ部屋に来ると、逃げたり、「来ないでよ!」って言ったり。 その後ガンになってボケて寝たきりになったんだけど、私は入院先にもほとん ど行かなかったし、行ってもすぐ病室から出た。ごはん食べさせてあげてって家族に 言われても嫌がって、水も飲ませてあげなかったし、声すらかけなかった。 結局1年ぐらいで死んじゃったんだけど。死んでホッとしてた、はっきり言って。 でも、お葬式の後、家族とか親戚が集まって話してたんだけど、「おじいさん は○○(私)のこと、ほんっとによく可愛がっててね、だめだって言うのに、 毎日お菓子をたくさん買い込んできては○○にあげてたんだよ。」とか、 「厳しい人だったけど、○○にだけは甘かったねぇ。」とか、さんざん言われた。 その時はただ聞き流してたんだけど。 その後ひとりになって、思い出した。 お母さんにはダメって言われたのに、こっそりチョコとか飴とかくれたこと。 お菓子を買いに、スクーターの前に乗せてお店に連れて行ってくれたこと。 ごはん食べる時は、いつもおじいさんの膝の上で食べてたこと。そんで、その おじいさんの膝の上にいるが大好きだったこと。 今まで忘れてたこと、全部思い出した。 私のこと、いちばん可愛がってくれたのはおじいさんだったのに。 大好きだったのに。 水だけでも飲ませてあげればよかった。一言でも声をかけてあげればよかった。 ほんとにごめんね。 いっぱい泣いた。お葬式の時は出さなかった涙を、いっぱい流した。 食事じゃないのでサゲ・・
621 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/07(土) 22:46
622 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/07(土) 22:52
クイーンアリス(石鍋裕のお店)で食べた料理。 きれいで、うまくて、量もあって感動した。 ちなみに石鍋が鉄人に出た翌日に行った。(相手は クラブミストラルのKさん。もちろん石鍋が勝った)
623 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/09(月) 08:33
朝から見ろあげ。
624 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/09(月) 18:25
だいたい15年前、僕がまだ小学校くらいのころの話。 父が突然、生きたスッポンをもってきた。 僕はペットにするものとばかり思いこんで、父に「やった!これ飼うん でしょ?」と聞くと「いや、たべるんだよ」と。 さすがにびびった。 半ば無理矢理、親戚に「食べてみろ」ともらってきたものらしい。 父は料理は得意だが、さすがにスッポンをしめたことはない。 なにやら四苦八苦しながら、一生懸命やっていたようだ。 さすがにしめる瞬間は、僕は遠ざけられたが、台所のまな板は真っ赤に なっていた。 やがて食事の用意が整った。 食卓の真ん中には土鍋で何かが煮えてる。 僕は「亀をたべるんだ」と、期待と緊張でドキドキしていた。 いよいよ、取り分けてもらったスッポンの肉を食べた瞬間。 ものすごく生臭い! 今考えてみれば、素人がスッポンを料理すること自体間違いだったのでは ないか?とにかくまずい。 おもわず「まずいよ、これー」と言ってしまった。 「だったらもう食べなくていい!」と、やや強い口調で父は言った。 僕の一言のせいで、それまでスッポンのことで盛り上がっていた家族の食卓 はきまずいものとなってしまった。 子供ながらに「まずいことを言った…」と思った。 いたたまれなくなり、別のおかずでご飯をたべ、さっさと部屋に引きこもり 「なんでスッポンなんかもらってくるんだよ…」と考えていた。 あとから母に言われたのだが、父は僕ら子供たちににたべさせたくて慣れない ながら一生懸命につくったものだったらしい。 それを聞いていながら、なんであのあと謝りにいけなかったか悔やまれる。 いまだに思い出すと切なくなるお話でした。 たいした話じゃなくてスマソ。
>>622 せっかく感動したのに申し訳ないけど、石鍋さんは料理してないよ。
それに、見た目はキレイだけど、味はどうでしょうかね。
ミストラルのK氏は、ちゃんと厨房に入ってるし、
コストパフォーマンスがとても高い料理を提供してるよ。
鉄人での評価は、あくまでも「TV上の産物」です。
関係ない話なので、sage。
626 :
↑ :2001/07/09(月) 19:39
ここで使ってる「厨房」って、本当の意味の「厨房(キッチン)」だから。
627 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/09(月) 19:48
初めて彼女の家に呼ばれて、彼女の両親と食べたテンプラ。 めちゃくちゃ緊張して、味覚えてません。 その彼女とは別れてしまったけど、今思い出すと、とても温かい 家族だったな・・・。
628 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/09(月) 21:33
>>625 石鍋氏が自分で料理してなくても、任された愛弟子が
ちゃんとやってるからいいのではないかな。
でも目黒のKさんの料理も旨いよね。
629 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/11(水) 04:55
ウチの母親は自他ともに認める、掃除・料理嫌いです。 (そのお蔭で、ツレには何も求めない男になった…) 中学から弁当が始まると、それでも母は頑張ってくれました。 フタを開けると、ご飯だけで一面真っ白! (肉が間に挟んであった) やけに軽いなと開けてみると、500円玉が張りつけてあった。 別バージョンで、 菓子パンが入っていたり、カップラーメンが入っていたこともアリ。 朝ご飯に作ってくれた、「うどん」、「チャーハン」が美味い、と言うと ヤメテおくれよおっ母さん、というまで同じ「うどん」や「チャーハン」が続く 僕の彼女はなぜか、濡れたコップを濡れたママ、出す人でした。 醤油やみりん、酢などの大瓶を、そのまま鍋に傾ける人でした。
630 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/15(日) 12:07
あげ
ソウデスネ!アッタマイイデスネ!
632 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/16(月) 09:12
>>629 そういうズボラさんに一生縁のある人なのかもね(笑)
アナタがいいと思ってるならそれでよし。
子供さんは恥をかく可能性高いけど。
633 :
真鍋 :2001/07/16(月) 18:31
今日このスレに辿り着いて2000年からのものを一通り読ませて貰いました。 はあ、心があったまって里帰りしたい気分。 わたしの祖母は家庭菜園でありとあらゆる野菜を育てて 滋味あふれる郷土料理をいつもつくってくれます。 けれど祖母はこの冬に足を骨折したのでしばらくはリハビリで 畑仕事は休業です。 わたしはカナダに住んでいるのですが、祖母を見舞たいので 畑手伝いもかねてこのお盆に実家に帰る予定です。さいわい畑は 両親が手入れをしているようで荒れてはいないようですが 今年の夏は祖母の野菜自慢を聞けません。 太陽を一杯しみこませたまだあったかいトマトを冷たい井戸水で さっと洗ってガブリ。 もぎたての茄子を手早くぬか漬けにしては毎朝白飯と一緒に。 菜っ葉と車麩をあっさりと炊いて冷やしたもの。 それらを平らげていくわたしを祖母はにこっーっと赤いホッペで わらいながら見ているのです。 その笑みを見て、いつまで祖母の料理を食べられるのだろうと この頃思って悲しくなります。 今年の夏は鍬を握って麦藁帽子、祖母の指導のもと畑作りの ノウハウと、そして料理を学ぶつもりです。
634 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/18(水) 16:39
揚げとこ。
635 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/18(水) 21:51
祖父がぼけて、もう三年になります。一年ほど前、介護している母が過労のため倒れました。父や私も介護をしていたのですが、母の負担が重すぎたのです。 その結果「祖父を老人ホームへ入れる」事が決まりました。ホームは環境の良いところで、私でも引っ越したくなるような場所でした。 ホームに入って一ヶ月ほどして、家族で祖父に会いに行きました。祖父は元気そうにしていましたが、ぼけは進行していました。私たちを「家族」だとは思っているようですが、誰なのかはっきりわかりません。 そんな中で祖父の一言。「俺は幸せだよ。飯はうまいし、大好きな植物もたくさんあるし」。 確かに、そこの食事のメニューは豪華です。栄養バランスのとれた和食中心の三度の食事に間食。ですが「家庭の味」とは何か違います。 ぼけてしまって自分がどこにいるのかもわからない。知らない人に出される食事を何の疑問も抱かずに美味しそうに食べてしまう祖父。本人が「幸せだ」といっているならそれで良いのかも知れませんが、私は無性に悲しくなりました。 食べ物とあまり関係のない話しですみません…。
636 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/18(水) 23:14
すごく好きだった人と付き合って、 でも一度もしゃべったこともなく、私の一方的な憧れから始まったから、 興味あることや価値観なども結構ずれてて、 私と付き合い始めたことで別れた元彼女の自殺未遂も重なって、 1ヶ月もたたないうちに会話もなくなった。 一緒にカプリチョーザ行ったけど、無言で時間がたったな。 その後連絡が取れなくなったりいろいろあったけど、3ヶ月目の日、 付き合ってすぐに行ったことのある喫茶店に入った。 あー、別れ話だなってすぐに気づいた。 覚悟してたし。 でも相手はなかなか言い出さない。 やっとのことで言われた「別れてほしいんだけど」 その時コーヒーカップ持ってる彼の手がすごく震えていて、 口調はそっけなかったけど、心は痛みを持っているんだって、 ぼーっと、震える彼の手首のROLEXを見つめてた。
637 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/19(木) 02:59
私が小学生の時に、夕食を父と母と一緒に食べていた時の話です。 何故か父と母が口論となって、父が私に 「なぁ、おまえはパパとママ、どっちが正しいと思う?」 と聞かれて、話の内容を聞いていなかったので(パパもママも正しい)と言おう として「パパも・・」と言い出したら、父が突然 「ほれみろ!!ワシの方が正しいんや!」 と勝ち誇ったように嬉しそうに言った。 母はむっとして、怒っていた。で、突然私の足を思いっきりバシーーーッ! と叩いたのです。 「あんた、たてひざでご飯たべたらあかん!!!!」 あの一発には、私に言葉に対する怒りも混じっていたに違いない! そのあと、(ちゃうねん、ママも正しいって言おうとしたのに) とやり場のない悲しみがこみ上げて、自分の部屋で少し泣いてしまいました。 しょうもない話ですいません。
旦那と喧嘩して(2世帯同居の姑が原因)お互いすごい険悪でした。 意地もあって私は謝る事はできませんでした。 夕飯はご機嫌取りも少しあって旦那の好物ハンバーグを作りました。 3歳の娘に「おとうさん喜んでくれるかなぁ」といいながら少しは これで仲直りができるといいな、と思い一生懸命作りました。 仕事から帰って来て家族3人で夕飯、旦那はまだ一言も喋らずむっとしている。 ハンバーグも押し込むように食べているのが良くわかる。 なんだか少し悲しい気持ちになりました。 重い空気って子供って敏感ですよね。 「おとうさん、きょうのはんばーぐおいしいね。おかあさんのはんばーぐが せかいでいちばんおいしいよね。●●おかあさんのはんばーぐだぁいすき!! おとうさん、にこにこしてたべるとすっごくおいしいんだよ。あ〜ん。 ●●がたべさせてあげる!!」 って、なんだか必死になって空気を和らげようとしているように思えて 涙が出そうになりました。 旦那もその娘の気持ちを察したらしく 「ああ、お母さんのはんばーぐはおいしいね。世界一だよ。なっ」 って、笑ってくれました。 お店で食べるようなおいしいハンバーグではありませんがその日のハンバーグは 自分でもおいしく感じました。 子供が悲しい思いをするような食卓、極力させたくないですよね。 自分が経験した分・・・。 おいしいご飯は楽しい雰囲気でもっともっとおいしくていい想い出に なるんですものね・・・。 つまらない話でごめんなさい。 このスレッドとっても良かったです。
639 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/22(日) 09:25
640 :
もぐもぐ名無しさん :2001/07/22(日) 09:48
>>638 ホントホント。このまま優しい子で育って欲しいね〜。
642 :
638 :2001/07/23(月) 08:04
どうもありがとう。 自分ももちろん、子供にも旦那にも 素敵な思い出に残る食事を作りつづけて いきたいと思います。
643 :
もぐもぐ名無しさん :2001/08/01(水) 17:28
age
644 :
もぐもぐ名無しさん :2001/08/06(月) 00:26
今から十年くらい前の事。 当時、学生だった俺が、友人宅から帰ろうとしていた時の事。 その時、ちょうど昼時だったので、俺は腹が減っていた。 近くに祖父が入院していた病院があったので、見舞いに行った。 当時、母が付き添っていたので、昼飯代をたかりに行く意味もあった。 病室に行くと、祖父と母が居た。 昼飯代をくれ言うと、母は売店に何かを買いに行った。 俺は、祖父と二人きりになったのだが、その時、祖父がぽつりと、 「○○(俺の名前)、ありがとう。お前はよく横道に逸れなかったな。 感謝している」 おそらく俺が母子家庭だけど真面目に生きてきた事を言っているのだろうと は理解できたが、何をしんみりしてんだ! と俺は思ったね。 その後、母がちらし寿司を買ってきて、祖父や母と適当な事を喋りながら 食ったのを覚えている。 祖父が癌で死んだのは、それから五日後の事だった。 あの時、祖父は自分の命が長くない事を自覚していたのだろうか。 ちらし寿司を食べるとき、つい、そんな事を考えてしまう。
645 :
もぐもぐ名無しさん :2001/08/13(月) 04:20
思い出と言えるほどの食事の思い出はない。 まだ両親が健在だからかな。 今の内に孝行しておかないとなあ、とこのスレを読んで思ったです。
646 :
もぐもぐ名無しさん :2001/08/13(月) 04:31
泣ける話じゃないのですが、想い出の食事ということで・・ 母は、料理があまり上手ではありません。 私が18か19くらいの頃(15年ほど前)だったと思います。 「今晩のおかずは何がいい?」ときかれ、 「かき揚げが食べたい」。 察しのよい方は気づいたかもしれませんが、 その日の晩ごはんは「カキフライ」でした。 あまりおいしくありませんでした。 私は文句を言い、母は反論しました。 憮然としながら食べたのですが、なんとなく 母のことが可愛らしくも思えました。 料理のレパートリーは狭い(もっぱら和食)のに、 たぶん初めてであろうカキフライに挑戦してくれた ことを思うと、一言「おいしい」と言えばよかったな、 と思います。 母は今も健在です。 ただ、糖尿病を患っており、気がねなく一緒に同じ物を 食べることができなくなったのは残念です。 でも、カロリー低くてもおいしいものは、いっぱいあるからね!
647 :
もぐもぐ名無しさん :2001/08/15(水) 09:02
>>644 おじいさま、天国であなたとお母様の事優しく見守っている事でしょうね。
>>645 そのとおりですね。私もそう思います。
>>646 かわいいお母様ですね。
低カロリーでおいしいものたくさん食べてこれからも優しい想い出を作っていってくださいね。
648 :
もぐもぐ名無しさん :2001/08/15(水) 17:53
あげ〜
いつしかだったか覚えていないが、 小さい頃、祖母祖父の家での正月の宴会 が非常に好きだった。 俺が好きだったのは鳥のから揚げ(w 物凄く真っ黒なから揚げは、醤油砂糖酒生姜ニンニク の漬け汁に3日鳥肉をつけておくらしい。 それを親戚一同が集まっている中一人で 30個ほどたべた。そうすると祖母がえらく喜んで くれて、毎年死ぬほどタラフクに唐揚を作ってくれるようになった。 それから毎年の正月に祖母が作ってくれる唐揚が 正月になったなぁという気にさせてくれた。 しかし、祖母が死んだ今では、もう2度食べれない。 母が似せて作ってくれたのは、なぜか不味かった・・ 今日、祖母のお墓参りをするということで 今から行ってきます。
650 :
もぐもぐ名無しさん :2001/08/16(木) 12:16
age
651 :
もぐもぐ名無しさん :2001/08/16(木) 14:14
中学の3泊4日の修学旅行に行った時の2日間泊まった旅館の飯がめちゃくちゃまずかった。ご飯は冷えてるし、おかずも何もかも冷えてて最悪だった。女将の人もやる気の無い声でスピーチするし、なんでうちの学校こんな宿選んだんだろうと本気で思った。 でも宿自体も激ボロだったから女子風呂余裕でのぞけたのはよかったな。
652 :
もぐもぐ名無しさん :2001/08/16(木) 15:05
思い出に残る味… 今おつきあいしている男性とはじめて食事に逝ったときの事。 ふたりともこわいものみたさで本場インド人が作るカレーを注文した。 思いっきり辛かった…涙が出た、相手はなんだかんだ言いながら食べていた。 未だに思い出してはしびれが出る味だった…辛い。
653 :
もぐもぐ名無しさん :2001/08/16(木) 15:53
20年ほど前、私が9歳の時の話です。父親はトラックの運ちゃんで酒乱。 家計が苦しいから母はスナック勤めだったのですが、父は母の勤めるスナックへ 通い詰め、酔って帰ったあげく、たいてい母に暴力を振るっていました。 ある日、兄(3歳上)と帰宅すると、美容院経由で出勤らしく母は既にいません。 テーブルには店屋物のチャーハン。 父も帰ってこないので、「お父さん、また行ってるんだ・・・」と、 暗い気持ちでTVを見ていたら、母から電話。 「お父さん、店で暴れた。お母さん怖いから、今日はどこかホテルにでも泊まる」 電話を切ってまもなく、父が帰ってきました。母が帰ってこないとわかると ふて寝してしまいました。 翌朝、私と兄はお腹がすいていたのですが、 母はまだ帰っていないし、父もまだ眠っています。 冷蔵庫をあさると、もらいものの小さなプティフールが 2、3個箱に入っていました。冷たくて甘くてぼそっとしたそれを食べて学校へ。 朝のHR。先生が、1番前の席の子のほっぺたを指でちょんとつつきました。 「おいしい卵焼き食べてきたのね、ここについてるよ」笑顔のその子と先生。 子供心に、「うちは普通じゃないんだな・・・」と思って、 初めて悲しい気持ちが襲ってきました。いまでもケーキ屋でプティフールを見ると、 ちょっとだけブルーになっちゃうのでした。
654 :
もぐもぐ名無しさん :2001/08/18(土) 01:59
もう20年以上前、小学5年生だったころ、 クラスメートに貧乏なM君がいました。 体操服も制服もピチピチで薄汚れていて、髪の毛もぼさぼさでした。 いつも給食の残りのパンやジャムなんかを持って帰っていました。 そんなM君を俺達はよくからかっていました。 M君はさみしそうに苦笑いをするだけでした。 そんなある日の帰り道、遠くで妹の手を引くM君を見かけました。 低学年の妹の小さな手には、給食の残りのパンがありました。 なにか話しながら妹を見るM君の顔は、教室では見たことのない笑顔でした。 自分のしていたことを初めて恥じました。 それからM君をからかう事はしなくなりました。 給食のパンというと、M君兄妹の笑顔を思い浮かべます。
655 :
もぐもぐ名無しさん :2001/08/18(土) 07:15
すごくおいしいものを食べた時、ぱっと頭に 「ああ、これお母さんに食べさせてあげたいな・・」 とか思いませんか? 食事とは違うけど私は 「母はスイカのはじっこが好き」 「とりもも肉の骨の部分がすき」 「果物の桃は種のまわりがすき」 と思っていました。 それを言ったら母は苦笑して 「うちは、子供(姉と私)とお父さんのぶんを買ったら私(母)のぶんを 買うような余裕はなくてあまったものを食べてたんだよ!!」 いやはや。当時は 「お母さんはここが好きなんだからいいの。いっぱい食べなさい」 って言ってたもので・・・。うっかり。馬鹿ですね、私。 だからかな?小銭を自由に使えるようになった今 自然に「おいしかったから」「すきそうだな」って感じで お土産買ったり食べに連れて行ったりして。 恩返しになってますか? 自分一人で大皿抱えておいしいもの食べてた父にはそんなこと 考えないんですよね。
上等なお料理よりも 田舎から東京に出て来て悲惨な食生活をしていた時のほうが 今でも忘れられません。
657 :
もぐもぐ名無しさん :2001/08/19(日) 05:08
とりあえず、食事じゃないけど 小学生当時お小遣いなんてなかった俺は 田んぼや川に捨ててあるコーラやファンタのビンを拾っていました。 駄菓子屋に持っていき「おばちゃーん、交換してー」と言って返ってくる10円。 (当時小ビン10円、大ビン30円で引き取ってくれた) そのお金で5円10円の駄菓子を買って友達と食べていました。 人口着色料たっぷり添加物いっぱいのお菓子。 それが欲しくて親にしかられるのも気にせず、友達と飛び込んだ田んぼや川の中。 あの甘くて楽しかった思い出。 いまは駄菓子屋はなくなり、田んぼも少なく、 川はメダカもザリガニもいなくなりヘドロだらけ。 裕福なはずの今の子供達がかわいそうに感じた。
658 :
ひげ :2001/08/19(日) 10:46
いや〜、全部一気読みしちまいました。
お礼に、おいちゃんも幾つかご披露。
>>590 さんの話とカブるけど、社員寮からアパートに引っ越した時に、
お袋様が忙しいのに片付けを手伝いに来てくれた。
しかし、予定より2日遅れで来たせいで、あらかた片付けは終わってた。
普段から親が共働きのせいか、料理は自分が作ることが多かったんだけ
ど、この日はめずらしくお袋様が作ってくれた。
確か、メニューは炊き込み御飯と味噌汁とベーコンエッグとピーマンの
ごま和え(よごし?)だった。
けど、食べ始めるとお袋様が「このピーマン変な匂いしない?」と言う。
まだ手を付けてなかったんで、とりあえず口にピーマンを入れる。
口に広がるプラスチックを溶かした様な味。ニオイはプラスチックを溶
かした様な感じ。すぐに吐き出しました。
原因は、ペットボトルに入れていた詰め替え用台所洗剤をみりんと間違
って使った事。お袋様は、「やけに泡立ちが良いと思った」だと。
半日、舌がピリピリしたよ、ママン。
659 :
ひげ :2001/08/19(日) 10:59
ぷち悲話第2段。 親戚の家にお彼岸か何かで行った時の出来事。 昼飯時に来る事が分かっていたらしく、用意して待っていたと言う。 期待して席に着くとソーメンが、ボールで出てきた。 ソーメン好きなので、問題無しと思い食い始めると・・・伸びてる。 どうも来る前から水に付けて冷やしていたみたいだ。 冷や汗かきながら食べたソーメンはあれが最初で最後。 ブラジルに友達(ブラジル人)と行った時の話。 店員さんが、串に刺さった肉をその場で切り分けてくれるシステム。 一度、日本のブラジルレストランで食べた事があるので食べ方を心 得ていたツモリだった。 ・米やパン、飲み物は控えて肉を食うことに専念する。 ・前半飛ばしすぎると後半に出てくる美味しい肉を食いそびれる。 と、念頭において自分のペースで食っていたが全行程の6割でダウン。 友達はもちろんの事、目の前に座っているスレンダーな奥さんまで、 完食後、デザートを食っているのを見てブラジルの方のナイスバディ の秘訣を知った気がした。 ちなみに、お腹を壊しながらも滞在中にもう一度挑戦したが、あの 物量には勝てなかったです。しばらく肉食えなかったし。
660 :
ひげ :2001/08/19(日) 11:06
ウザイと言われるの覚悟で最後。ROMに戻るから許してな。 小学生の頃、親父様からお駄賃として100円もらった。 妹と二人で、近所のスーパーにおやつを買いに行った。 雪見大福が二人とも好きだったし、2個入りだったので それを買う気マンマンで、レジに。 しかし、レジの人に 「消費税含めて103円です」 その日は調度、消費税の施行日。 (今では100円のアイスも、税込みで99円なんですけどね) 結局何も買わず、二人で手を繋いでトボトボ帰りました。 雪見大福見る度に、税金について考える変な思い出。 ツッコまれる前に自分で。食事の話じゃねーよ>自分
>>660 うちも駄菓子や、やっててあの時は色々つらかった
まったくこれと同じ光景が繰り返されたよ
昨日まで出来たことがある日突然ダメになるんだから
自民党よ、そろそろこのトラウマをもった世代が選挙権を持ち始めたな
662 :
もぐもぐ名無しさん :01/08/27 20:03 ID:YEA7w3kk
女房と結婚する前の話。 彼女は誕生日が12/25。 毎年クリスマスケーキと誕生日ケーキがごっちゃだったそうな。 当時、独り暮らししてた俺はクリスマスを彼女と過ごすべく、自 分のアパートに招待。 で、その数日前にアパートの近所の洋菓子屋でケーキを注文。 クリスマスケーキではなく、「○○ちゃん、お誕生日おめでとう」 ってやつを。 喜んでくれたなぁ、彼女(=今の女房) ケーキ以外に用意したのが、鮭のホイル包み焼き。 買ってきた鮭の切り身をタマネギやピーマンをスライスしたのと 一緒に包んでトースターに突っ込んだだけの、まるっきり手が掛 かってないものだったんだけど、これも喜んでくれた。 独り者だから外食ばかりしてたんで、意外に思ったらしいや。 今では俺の誕生日に、女房が鮭のホイル包み焼きを作ってくれま す。
663 :
もぐもぐ名無しさん :01/08/28 12:10 ID:J95Dpd5U
>>662 ハァー、なんかほのぼのしてて、いいなぁ・・・
漏れも、そういう女性とケコーソしがいなぁ・・・
664 :
もぐもぐ名無しさん :01/08/28 17:21 ID:RlxiS/Eo
数年前、義父が癌で入院しました。 俺にはすごくやさしい人で、一緒に晩酌したりゴルフに行った りしていました。 手術は無事終わり、順調に回復すると思っていましたが、序々 に悪化し始め、面会謝絶になってしまいました。 ある日嫁が高熱を出してしまい、俺が一人で面会に行きました。 義父はかなり酷く弱っており、何か口に入れても直ぐに下して しまうのですが、付き添いの義母に「トマトジュースが飲みた い」というのです。 「良いですよ、俺が買ってきますよ。」と下の自販機で野菜ト マトジュースを買ってきて渡しました。 「下にはこれしか売ってなかったんで」と言うと義父は「いい よ、いいよ」と一口飲んだもののやはり直ぐにトイレへ。 あまりに辛そうだったので、その日は自宅へ戻りました。 次の日の朝、義父は亡くなりました。 通夜の晩、義母が「昨日ね、○○君にありがとうって言っといて くれって。いつもあの人、俺には息子が二人いるんだって友達 に言って周ってたのよ。」と泣きながら手帳を手渡されました。 そこには「○○君とゴルフ。筋が良い。」「○○君とラーメンを 食べた。旨かった。」と俺と出掛けた日の短い日記が書かれていました。 本当の息子は義兄しかいないはずなのに、俺の事も息子だって思っ ていてくれたんだ、と思うと涙を止める事ができませんでした。 最後の日、どうしてコンビニまで行ってトマトジュースを買わなかっ たのか、今でも後悔しています。 孫の顔を見せてあげたかった。
>664 >最後の日、どうしてコンビニまで行ってトマトジュースを買わなかっ >たのか、今でも後悔しています。 >孫の顔を見せてあげたかった。 こんな風に思ってくれるあなたを息子と思わないわけないよ〜 こんないい旦那さんが娘についててくれてるんだもん、 義父さんも安心して天国にいけたに違いないね。
666 :
もぐもぐ名無しさん :01/08/29 11:21 ID:F4FBVvm2
このスレ反則だあ〜 仕事中なのに涙が・・・ でもやめれない ウルウル
667 :
:01/08/29 11:37 ID:LpMMSyqM
....6つくらいの時、私が痩せていると近所の人に言われたらしい母親が 急に無理に食わせようとし始めた 普段からあまり懐いてなかった私は、無理に食わせようとすればする程嫌がった 無理やり口に押し込まれたおむすび・・庭に投げ捨てたおむすび。。 あれ以来母親の作ったおむすびは息が詰る。。 12歳くらいから母親の作った食べ物食べない期間が断続的に続き 絶食と妥協と手作りが繰り返され・・ やっぱ自分で作るのが良いやね でもおばーちゃんが作ってくれたおむすびやおばーちゃんが作ってくれた甘酒、鯛の澄し汁は懐かしい・・ 同じもの作りたいけど、同じ味にはならないんだよね。。 聞きたくてももう居ない。。。 他の家族は私を家族だと思ってくれないからおばーちゃんとこ行きたいよう(;Д;
668 :
もぐもぐ名無しさん :01/08/31 02:35 ID:pMrtusnI
>>667 そんなこと言うなよう(;Д;
漏れ悲しいよう(;Д;
669 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/03 16:20 ID:zu.W1DcU
age
670 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/06 15:17 ID:h4.0Przw
聞きたくてももう居ない
671 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/06 16:10 ID:h4Zw9/cY
>664 もう・・・泣いてしまいました。 大丈夫よ。そんな風に思わないで。
672 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/06 17:22 ID:5Apk5Ylg
会社の友達10人ほどと、山あいのヤナ場へ鮎を食べに出かけました。 自然の中で次から次へと出てくる鮎のフルコース。 みんなで舌鼓を打ちながら酔いもだんだんまわってきました。 すると仲間の一人がおもむろに鞄の中からビンを取り出し 「おまえたち飲んだことあるか?これが ド・ン・ぺ・リ・だぞ!!」 と大得意でドンペリのビンを見せびらかし、もったいぶってコルクを 抜きました。 しかしシャンパン特有の音もなくシュルシュルとコルクが抜けました。 あれ?と思ったのはどうやら私一人だったようです。 周りはドンペリ、ドンペリと大喜びしていました。 ドンペリ野郎がグラスに注ぎだしました。 見るとまるでコーラのような色をしているじゃないですか!(こんなの ドンペリじゃねーぞ)と思ったのも私一人もようです。 もう皆さんおおはしゃぎ・・・ その晩ゲーゲーガーガーとみんながトイレに駆けこんでいました。 その場の雰囲気を壊すのもナンだと思って、黙っていた私でしたが、 これを読んだみなさんだったらどうしますか? わたしは、まえに一度だけドンペリを飲んだことがありました。 感動ものじゃなくてスマソ
>672 それ結局何だったの?
674 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/09 19:45
もっと聞きたいのでage
675 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/09 19:49
1杯の欠けそば・・・。
676 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/11 23:16
誰か「思い出に残る食事」(1)の最後の方、保存してる方いらっしゃいませんか?
>>1 の過去ログの、835以降が見られない・・・
677 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/12 15:58
678 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/19 07:44
テレホが終わっちゃうからもうネット切らなきゃ… 徹夜で読んじゃったよ。 次に読む時は私も書き込みするね。 良い話たくさんありがとう。
679 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/19 08:51
私が高校生の時の話なのですが、当時私は剣道部に所属しており、家の 遠かった私は、祖父が学校や駅まで迎えにきてくれていました。 軽トラックでいつも来てくれているのですが、荷台には決まって発砲 スチロールの箱がおいてありました。その中にはおじいちゃんの作って くれたおにぎりやたこ焼きや私の好きな好物が沢山入っているのです。 わざわざ発砲スチロールに入れてるのは冷めない為だったのだと思います。 厳しい部活の後で腹ぺこの私は「ただいま」と言い車に乗り込んで、次に 「いただきます」と言ってその特大おにぎりをほおばっていました。 そのおにぎりにはおじいちゃんお手製の酢味噌がぬってあって、とても とても美味しかったのです。ガツガツと食べる私の横で、おじいちゃんは 愛車の軽トラを運転して家まで送ってくれました。たまに「うまいか」 と聞き、私が「うん!」と答えると「そうか」と言ってまた黙って運転 してました。毎日軽トラで聞いてたラジオのNHKがとても記憶に残っています。 そんな大好きなおじいちゃんは、ある日突然私の前からいなくなって しまいました。私の事をいつものように車で迎えに来てくれた次の日の 事でした。聞けば、おじいちゃんは末期の癌だったのです。元軍医だった おじいちゃんは、自分の先が長くない事を知っていたのかもしれません。 私達だけに知らされていない事実でした。あまりの事にその時私は涙さえ出ません でした。その後母や祖母から聞いた話では、私を迎えに行くのをおじいちゃん は楽しみにしていてくれて、出発の1時間以上前からおにぎりを作り、お茶 をわかして水筒に入れて、夏は暑くないようにクーラーを、冬は寒くない ように暖房を、愛車の軽トラに入れて毎日来てくれていたのです。それを聞いた 時、私は涙があふれてどうしようもありませんでした。 その後高校を卒業し、大学に進学した私はある時、祖父の軽トラに乗る機会が ありました。運転していたのは母ですが、ラジオのスイッチを入れたら NHKにあわせたままになっていました。とたんに私は高校時代のおじいちゃん との思い出が蘇り、母に「おじいちゃんと乗ってるみたいだ」と言いました。 母は「そうでしょ」と言いました。二人とも泣いていました。 もうあのおにぎりは食べられない事を実感した瞬間でもありました。 あれからもう7年たったけど、あの味には未だに巡り会えないでいます。
今読み返したらかなり長くて読みづらい文章かもしれません…。 皆さんの話を読んでいて、思い出して泣きながら書いたので カンベンして下さい。おじいちゃんは体調悪いのに私達の為に いろんな事をしてくれました。そんなおじいちゃんの事が 大好きだったのは言うまでもありません。本当に感謝しています。 駄文でごめんなさい。
681 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/19 10:31
>>679 -680
そんなの気にせんでよろしい。印象にのこるいい話ほど長くなってしまうものだと思うよ。
素敵なおじいちゃんですね、うう、涙が…(TДT)
うちのじいちゃんは遠い所に住んでるのでなかなか会えない、こんど母が実家に帰省するから
好物のお菓子をことづけようと思った、、、昼休み買いに逝ってこよう。
682 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/19 10:47
683 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/20 14:29
>679 いいおじいちゃんだし、いいお孫さんだね。 毎日最高のおじいちゃん孝行してたんじゃん。 おじいちゃんすっごく679の事可愛く思ってたろうねえ。 夢中でおにぎり頬張る679を 優しい目で見てるおじいちゃんが目に浮かぶようだ。泣けた〜
684 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/20 14:48
きのうフォアグラ食った
681さん、682さん、683さん、ありがとうございます。 私はおじいちゃんに孝行していたのでしょうか。 もしそうならこんなに嬉しい事はありません。 先日はおじいちゃんの命日でした。おじいちゃんの 大好きだったお酒を墓前に供えました。 幸いな事におばあちゃんは健在です。私達がおじいちゃん の作った料理が大好きだったのを知っていて、一生懸命 その味に似せようとしてくれています。おばあちゃんも もちろん大好きです。でも私達孫が全員上京してしまって 寂しいみたいです。また帰郷した時にはおじいちゃんに教わった お料理をみんなに振る舞いたいです。おじいちゃんの思い出と共に。 スレッドに関係無い発言で申し訳ありませんでした。
離婚することになり私が部屋を出ていく前の夜、夫が作った『芋のロンド』という創作料理をふたりで食べた。『ああ!もうこれが最後なのね』と夫は感慨深げだった。私は『センチな野郎だ』と思ったが言わなかった。
687 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/21 03:38
ここはイイスレッドだねぇ。
688 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/21 12:54
age
689 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/21 23:45
あげとけやー!!
690 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/22 07:59
2chの良心なんだからageとけ ゴルァ!
691 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/23 00:43
5年前、仕事で赴任していた地方都市にいたときに胃腸の病気で長期入院した。 一人暮ししてるだけに、身の回りのこと、それ以上に精神的につらかった。 (「一生治らない」・・・って入院した病院で言われた) 実家のある東京からは、羽田から1時間、そこの空港から市内までまた1時間。 距離にして700`を、母は週1回で見舞に来てくれた。食事が制限されていて、 食欲はある程度あるのに、食べたくないものばかりの病院の食事で、 またつらさが倍増した。 タッパウエアに、消化がよくって、俺が好きそうなものを作って持ってきてくれた。 あまりこく味付けをしていないジャガイモとか、魚の白身を煮つけたりとか、 病院の食事と傾向的には似てるんだけど、味は全然違うんだよ。 いい年をしてなんだが、そのタッパウエアで母親の愛情を改めて思った。 しかし、病状はなかなか快方には向かわず、結局実家のある東京の病院で診察をうけることになった。 検査の結果、前の病院の診断は誤診であることが発覚。で、その場で即入院だったんだけど、 医者の「2週間言うこと聞いてれば絶対治るから」って言葉で精神的に持ちなおした。 実はその後絶食3日するということがわかり、ちょっとだけへこんだが・・・。 絶食期間過ぎて、おかゆで過ごしてる期間は、もう毎日見舞にくる母に、 「腹減った腹減った」の繰り返し(その時は差し入れは一切だめだった)。 元気になっていく過程で、ようやくテレビも見られるようになって、 でもそんなときに限って、テレビのグルメ番組とか見ちゃうんだよね。 結局、当初の予定通り、2週間で退院。体調もすっかり戻った。 退院してすぐに母親と一緒にいったのは、デパートのハンバーグ屋さんだった。 病気のときは、食欲がそもそもなくって、全然食べなかったのが、 まあ、ハンバーグ、あっというまにぺロりだよ。そんな俺を見ている母親は、 嬉しそうというか、ホッとしてた表情だったな。 なのに母よ。 翌年自分が病気で倒れて、入院したとき、親父に 「あの子には絶対言うな」って言ったんだってな〜。 「言ったらあの子は心配してすぐ来ちゃうから」って 親父にも妹も口止めしてたんだってな。 俺がさんざん迷惑かけたんだから、 あんたが俺に迷惑かけてもいいんだよ、母ちゃん。
ちなみに今は俺も母親も元気でやっています。
693 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/23 00:51
694 :
某12使徒 :01/09/23 00:54
最後の晩餐はあんましうまくはなかったYO!
695 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/23 01:33
くだらない話で恐縮ですが、まだ幼稚園にあがる前の話。 当時、私の大好物だったのがチョコレート。 でも小さい子供にチョコレートは刺激が強くていけなかったのでしょうか、 映画を観にいく時くらいしか買ってもらえませんでした。 ある日、祖母とパン屋さんにいって「好きなパンを選んでいいよ」と言われ 意気揚々と私が選んだのはチョココロネ!家に帰ってお庭で食べました。 貝ガラパンの中にチョコクリームがたっぷり詰まっているそのパンは、 普段チョコレートが食べたくても食べれない子供の自分にはたまらないものでした。 すぐチョコクリームを食べちゃうのが勿体無くて、ネジネジの下の方からチビチビ 食べていた私。さあ、チョコクリームいっぱいのところにかぶりつくぞ〜!と ドキドキしながら口を近付けたその瞬間……ボトッ。 手からすべり落ちたチョココロネは、クリームの面を下に砂の上に…。 あわてて『砂を落とさなきゃ!砂を落とさなきゃ!』とチョココロネを拾いあげて 台所の水道の蛇口をひねり、チョココロネを洗い始めてしまった私。 みるみるうちにパンがふやけ、チョコは水に流れていきました…。 ああ、もしタイムマシンがあるのならあの頃の自分にツッコミを入れてあげたいです。 「お前は猿か!!!」と。
696 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/23 02:48
実家から電話があった。 お前が出て行ってから、全然米が減らないと。 今実家にいるのは老いた両親だけだから そら減らんだろう。 稲作の盛んな地域だから、当時食べていた米を 今でも食べている。 ……ママン、一食に三合も食べてると、 米ってけっこうするのね。
697 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/23 06:02
http://members.tripod.co.jp/esashib/bbs.htm 世界貿易センタービル107階のレストラン「Windows on the World」には何度行ったか
分からない、思い出の場所だ。
入り口のチェックは飛行機に乗るより厳しかったが、広いエントランス
から、ジェット機のように駆けあがるエレベーターに乗ると、
その日のデイナーとワインとあの奇蹟のような夜景を思い,胸が躍った。
あのビルはもうない。
698 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/23 08:04
あの大きな世界的なビルに思い出を持つ人も多い事でしょう。 沢山の命と共にその思い出まで奪ったテロリストはホントに 許せませんね。亡くなられた方に心からのご冥福をお祈り 申し上げます。
699 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/24 21:17
彼とのデートのときのお昼ご飯はいつも私の手作りのお弁当だった。 ラップで包んだおにぎり、から揚げ、ポテトサラダ。 毎回毎回同じメニューだったけど、彼はいつも「美味しい」って喜んで 食べてくれてた。 料理は小5のときからやってたけど、料理に対する愛情が殆ど無かった せいか、家族には「あんたの料理はマズイ」って言われてた。 でも彼のお弁当は一生懸命作った。から揚げだって、最初は油分が多くて 美味しくなかったのに、どんどん上達していった。 そんな彼とは4年前に結婚。 私は専業主婦として、朝、昼、晩と彼の食事を作ってます。 愛情って料理の味をも変えるんですね。
700 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/25 03:56
揚げ
701 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/25 04:08
小学校の頃、夏が近づくと何時も鬱に襲われた・・・。 何故かと言えば、家ではトマトを作っており、 3食のご飯が、「白米+トマトの醤油がけ+麦茶」と言う取り合わせを食わされたからだ。 どうやったら、トマトで米が食えるのだ? 忘れたくても忘れられない思い出の食事です・・・。
702 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/25 04:16
生まれて初めてのデートのとき 彼女の分のラーメンまで食っちまったな。 冬だった。
703 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/26 17:59
小学校のころのある土曜日。 その日両親がいなくて妹と二人きり、当然のごとく姉である私が昼食を作ることになった。 私と妹はそのときよく中華料理屋で出てくるような 「おわん型に盛られた」チャーハンが食べたくなり、炒飯を作ることに決めた。 その当時、料理なんてたいしたものが出来るわけでなく 見よう見まねでつくったので味がいまいちだった。 しかもその時炊飯器に入ってた御飯を全部使ったので2人で食べきれない量になった。 出来上がって2人でお皿におわん型に盛り付けて食べたのだが 妹はお世辞かどうかはしらないが「おいしい」といってくれた。 そのあと両親が帰ってきて大量にあまった炒飯を目の前に唖然、怒られた。 その後度々妹と2人で昼食を作って食べることがあったが その妹も既に3年前に他界してしまっている。 もう味わうことの出来ない思い出の食事です。
704 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/26 18:06
私の姉に作ってもらったラーメンには トマトがはいっていた・・。
705 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/26 19:02
家業で忙しかった両親の変わりに様々な学校行事にきてくれた伯母 特に料理を得意とするほうではなかったけど、練ったサツマイモに ゴマをまぶして揚げたゴマ団子…おいしかったよぅ もうすぐ伯母のムカワリ、これからでも何かできないかな
706 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/27 00:34
高校生の頃、いじめにあったことがある。その頃は本当に悩みまくって、母が作ってくれたお弁当はもちろん、家での食事もほとんど喉を通らなかった。母の作る料理が大好きだったのに
毎日、まるまる残しても文句も言わずに私の好物ばかり作ってくれたっけ。今はもう、すっかり立ち直って、モリモリ食べてますが…お母さんありがとう!って気分です。スレ違いでごめんなさい
708 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/27 01:59
雪の積もるカッパドキアの夜、ホテルの主人が作ってくれたメネメン。 忘れられません。
市民プール前の食堂で売ってた、アメリカンドッグ。 1っ本50円。マジで美味かった。かなり人気があった。
710 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/27 05:30
妹と二人暮しを始めたばっかりの頃、しばらくは私が炊事係になってた んだけどある日どうしても帰りが遅くなってしまった。帰ると、妹が夕飯 を作ってくれていた。しかし…あの料理は一体何だったんだろう?作り方 を聞いたら『インスタントカレーに茹でたジャガイモをこしたモノをまぜて、 しかもニンニクをすってさらにまぜた物体』だった…。当然美味しい筈は無い。 そういえば妹は料理が苦手だった…。って言うか苦手以前の問題じゃ…。 そしていつしかそんな妹にも彼氏が出来た。そしたら料理の腕がぐんと上がってた。 愛は偉大なり…(笑)
ここのスレにははじめての書き込みです。 中学生の頃、クラスで一番仲の良かった子とけんかしました。けんかというか、なんとなく 無視されてたの。その子はクラスの女子の中心人物で、人の悪口を「誰にも言わないで」と みんなに言うような子でした。でも、面白いから人気があって、私がその子に無視のような 扱いになっても、女子はみんな彼女の味方してました。 なんで私が無視されるようになったかというと、今でもよくわからないけど、私がわりと男子 と普通に仲良くとかできるタイプだったので、それが気に入らなかったんだと思う。 私も意地っ張りだったので、気にしてない風に装ってました。 でもある日、体育から戻って、その子とお弁当を食べようと待っていても一向に戻って来ず、 (昼は無言で二人で食べてた。。。)待ちきれず、仲の良かった男子ともとへ行き、半泣きで お弁当食べようとしてました。
その日のお弁当は、私の一番好きな「オムライス」。普段だったら残さず食べるのに その日はどうしても、涙がでて、食べれなかった。 結局、ほとんど手をつけず、持って帰ったら、母の「何で残すの?」の言葉にまだ動揺 していた私は「食べたくなかったから!」と冷たく言ってしまいました。 でも、その後、「時間がなかったから・・・」と言いました。 今もあの時のかなしそうな母の顔、忘れられない。せっかく私の好きなオムライスつくって くれたのにね。自分のつくったもの、食べずに持ってこられたら私もへこむなあ。 今は実家からはなれて暮らしてるので、母の料理は食べれません。たまに電話しても なぜか冷たくしちゃったりします。でも来月、久々に帰るので、その時はやさしく接したい。 いつまでたっても、反抗期のような娘でごめんなさい。 でも今、一人でこっちでがんばってるからね。
713 :
よっこらせ :01/09/27 12:53
あげます。
714 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/28 02:19
ほろほろあげ
715 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/28 04:41
うちは父母弟、そして私の4人家族だった。 でも20年前、両親は離婚。 先日離婚以来一度も会うことがなかった父が亡くなったと聞いた。 最後に家族4人で囲んだ食卓はいつだったんだろう? いったいどんなものを食べたのだろうか。 今となってはもう思い出せない。
716 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/28 07:57
えりんぎさんのかきこだー。密かにえりんぎファンです・・・。ほろほろ
717 :
もぐもぐ名無しさん :01/09/28 08:14
>708にさりげなくうけた。
718 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/07 17:19
運動会のシーズン。みんなが運動場で家族に囲まれてお弁当をひろげている時間。 両親が離婚しておばあちゃんがつくってくれたお弁当をひとりで体育館の裏で食べていました。 すごく長い時間だった。
719 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/07 18:05
俺が高校生の頃、両親と中学生の妹の4人でいつものように 食卓を囲んでいた。べつに記念日でもなんでもないその日 だったのだが、妹が何気なく、『お父さんが毎日働いてくれる から、ご飯が食べれる!』と、言った。それを聞いた親父は 『そんなこと言われたら涙が出てくる』と言い、本当に うっすら涙を浮かべていた。 忘れられない、ある日の食卓の風景です。
720 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/07 18:13
中学生の頃、剣道部の試合の為に電車に乗って部の皆で隣町まで でかけた。当時うちはそんなに裕福じゃなかったようで、親からは 昼飯の弁当と、電車賃だけを貰っていた。 試合も終わり、電車で最寄駅に降り立ったら自然とみんなの足は 『なにか食べて帰ろう』と、お好み焼き屋に向かった。しかし 自分にはもう手持ちの金がなく、かと言って『金が無い』という のは恥ずかしく、『お腹すいてないから、(店の中狭いから) みんなの持ち物店の前に置いてなよ。俺見てるから』そういって 皆が食事を済ませるのを、惨めな思いで待っていた。すると なかから友達が出てきて、『ソフトクリーム食べな、荷物は 俺が見ててやるから』と言って俺を店の中に押し込んでくれた。 自分に金がないと言うことに気づいてくれた優しい友人、金を 持っていなかった惨めさ、筋違いだが、信頼していた先輩が そのことに気づかず、友達がそういう行動をとってくれたという 悔しさで、嬉しいやら悲しいやら悔しいやらで、あんなに味気 ないソフトクリームは後にも先にも初めてだった。 家に帰って、惨めだったと母親に話したら、次の試合からは 『帰りのおやつ代ね』、と言って少し多めに金を俺に持たせ てくれた。素直に嬉しかった。
721 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/07 18:15
大学のときに彼女が『肉ジャガ』を作ってくれた。 すごく嬉しかった。でもそれは『肉ムラサキ』だった。 ジャガイモじゃなくて、ムラサキ芋だったのだ。(笑)
722 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/07 18:19
大学に進学して初めての一人暮らし。 初めての自炊のときにカレーを作ろうと思って 材料を買い込んできた。ニンジンの皮をむき出したら いきなり、包丁で指をザックリ切ってしまった。 カットバンで応急処置をして、痛さでこれ以上料理が 続けられないと思い、すぐ近所の地味な酒屋になにか ないか見に行った。クリームパンを見つけてそれを 買って帰ったが、賞味期限が昨日切れていた。 その瞬間に無性に、孤独感にさいなまれてホームシックに かかって、泣きそうになった。
723 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/07 18:22
719.720.721.722はすべて私の書き込みです。 先ほどやっと過去レスを読み終えて、自分でも書いてみました。 書き込みの前に、なんだか急に実家の母の手料理が食べたくなり、 電話して『なんか御飯作ってクール便で送って』とねだったところ 母はとても嬉しそうに、『うん、いいよ。なにが食べたいね?』 と、『母ちゃんの作ってくれたもんならなんでもいい』と。 明後日にはうちに宅急便が届く。今から楽しみだ。 皆さん、涙を沢山ありがとう。
724 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/08 01:50
725 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/08 02:01
>>723 久々に食べたお母さんのお料理は
いかがでした?
また感想教えて下さい。
726 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/09 03:04
俺はいま学生で一人暮ししているんだけど、 それでたまに実家から宅急便で食材やらが送られてくる。 其の中にビックリマンが入っていた事があった。それも10個ほど。 昔、3人兄弟だった俺達兄弟が毎日のようにねだってたのを思い出して、 このごろ復でだしたから懐かしくて買ったそうだ。 なんか其れ食べたら異様に懐かしさがこみ上げてきた。 食事じゃなかったけど…・。
727 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/10 14:19
肝臓を患って入院した二十歳の夏 実家に住んでたけど,大学もさぼってばかりでバイトしたり好き勝手やってた私 2週間の絶食期間を経て,最初に食べた病院食が五分粥と刺身 なんで絶食明けに刺身なわけ?肝臓だって原因不明のウイルス,なまものかも? って病気の時に................ それで,病院食拒絶症になったわたし 病気自体は快方に向っているのに,体重は減る一方 150cmで,30kg切りそうだった しじみが肝臓にいいと聞いた母がしじみのおみそ汁を作って持ってきてくれた おいしかった これなら食べられる じゃあ 茄子のおみそ汁は?これも食べられ 母が作ってきてくれたものは食べられるようになった 毎朝,毎晩,インスタントコーヒーの瓶におみそ汁熱々にして急いで持ってきて くれた 徐々に病院食にも手をつけるようになり無事退院 10ん年後里帰り出産で子供産んだ翌朝,インスタントコーヒーの瓶を抱えて 病院に来た母 具は里芋だった
>>725 サバの味噌煮、筑前煮、ハンバーグ、山菜の煮付け、
キンピラゴボウ、切干大根の煮付け。一つ一つジップ
がついた袋に入れてくれてました。とりあえず夕べ
筑前煮食べました。美味かった。汁まで飲みほした。
のこりは冷凍庫に保管しています。毎晩早く帰って
ご飯を炊く日が続くでしょう。
729 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/10 19:11
>>728 愛情のこもったお料理
を美味しく食べたんですね。
きっとお母様も喜んで
いるでしょうね。
730 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/14 23:15
定期age
731 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/20 01:44
久々に読んだけどまた涙・・
732 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/20 23:12
:
733 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/20 23:33
じゃあオレがしみじみしない話を一つ。 去年痔で入院して傷がふさがるまで10日断食。 水みたいなおかゆと梅干が出たんだが、いやあ 梅干(というか塩分)と米があんなに合うもんだとは。 梅干とご飯サイコウ。
734 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/22 03:49
これといったエピソードはないんだけど…… 母方の祖母が、お正月に作る納豆汁が大好きでした。 祖父の故郷秋田県のきのことか山菜、じゃがいも、豆腐などが 角切りでたっぷり入っていて、とても濃厚な味。 おせちも食べず、こればかり3杯飲んだりしていたっけ。 年末には「○○ちゃん(=私)のために、今年も納豆汁を用意 しなきゃね」と、都内では手に入りにくい材料を調達してくれてた。 そんな祖母は一昨年の夏の夜遅く、急逝しました。 2日前まで元気だったのに……仕事が超忙しくてお見舞いにも行けず。 亡くなる30分ほど前、両親が病室を出る時に祖母は、 「○○ちゃん、今頃まだお仕事してるのよね〜。 大変そうだけどがんばってるのかしら」と言っていたそうです。 あまりにも突然すぎて、お通夜やお葬式で泣きもせず、 ただただぼんやりとしていました。夢の中の話みたいで。 その半年後のお正月、無人になってしまった母の実家に行った時。 ふと、ああ、あの納豆汁はもう二度と食べることができないんだ、 と思った途端、祖母の死を急に実感して、涙が止まらなくなりました。 こんなに早くいなくなっちゃうなら、作り方を教わっておくんだった。 母や私が再現しようとしても、絶対同じ味にならないんだもん。 もう一度、祖母が作ってくれた納豆汁を飲みたいよ〜〜〜。
735 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/22 09:14
ここ読んでいて、うちは娘一人だけれど、 男の子もほしかったな〜って思ってしまいました。
食事じゃないんですけど。 中3の12月、いわゆる難関校というものを目指して受験勉強をしていました。 そんな時祖父が急死したのね。 お葬式は隣組の人たちが全部準備とかしてくれて、 私は喪服じゃなくて制服着ながら、お通夜やお葬式の合間にずっと勉強してた。 実際子供が手伝えることって何も無くて。 全部が終わったときはクリスマスイブの夜でした。 何を思ったか、ずっと休んでいた塾に行こうと思って自転車を走らせました。 多分休みだったから、塾生もいなくて、先生も塾長一人だった。 でも「大変だったな」って言ってくれて、自習させてくれました。 で、しばらくいなくなったと思ったら、チキンを買って来てくれたのね。 そんでもって私にお金渡して、隣のコンビニでケーキ買ってこいよって。 2人で一緒に食べました。 おじさんと女子中学生っていうヘンな図だったんだけど。 そこで初めて、ボロボロ泣きました。 思い出に残るって言うか、 そういうことがあって、今塾講師やってるです。
その後の夜はハァハァ
>737 コラ!
739 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/26 19:05
大学生で吉祥寺(東京武蔵野市)に住んでた頃、友達の多くもだいたい吉祥寺にいた。 夜中の12時頃、井の頭公園の横に住んでいる友達のとこに行くことになり、 途中で吉●屋の牛丼を3つ、買ってきてくれと頼まれました。 ふふふ〜ん、とマイちゃりんこにまたがり、ご注文の品をゲットして店を出たところ、 もの欲しそうな雰囲気ぷんぷんのおまわりが、マイちゃりんこをチェック中! その頃、吉祥寺界隈ではちゃりんこ泥が流行っていて、夜、ちゃりに乗っていると、 必ず職務質問を受けたので、「またかよ! めんどせっ…」と思ってマイちゃりんこに 近づいていったら、案の定、「これは、おたくさんのですか?」 ときた。 めんどくさいことになるのはイヤだから素直に答えていたら、なんだか話しが違うほうへ… 「実は、先ほどこの界隈で強盗事件がありまして…」 「はい?」 「で、手配の人相が、年の頃、22〜23歳。赤いトレーナーに白いズボンと…」 (えっ!? もしかして、俺が疑われてるの? 確かに、白いGパンに赤いトレーナーだけど…) 「ちょっと、そこのポリBOXまでご同行願えませんか?」 (う〜ん… 「任意でしょ?」なんて言葉も知ってるけど、めんどくださいなぁ…) 「いいですけど、僕、これから友達のとこに行くので、手短にお願いしますね」 「ええ、一応、確認すべきことを確認するだけですから。ご協力を…」 な〜んて言葉に騙されて、結局、最寄りのポリBOXに引き留められること2時間。 あげくの果てに「面通し」とかいう専門用語に基づき、 僕はパトにのせられ(両脇おまわり、というテレビでお馴染みの構図)、 被害者の方の家へ。 なんでも、被害者の方に僕の顔を見せるらしい… (おいおい、待ってくれよ! 俺にはアリバイが…) パトカーはしずしずと被害者の方の家の周りに近づいた。 止まるでもない、進でもなし、のろのろとパトは行く…。 しばらくすると、 「はい、ご協力、ありがとうございました。確認とれました。」 だって…。 僕にはどの人が被害者か分からないうちに、向こうは僕の顔を確認していたらしい。。 (こ、こわい〜。もし被害者の方が、「そうよ、この男よ!」って言ったら、俺はどうなるんだ?) なんとも言えない恐怖の体験をしたのち、例の最寄りのポリBOXで解放された僕は、 とにかくこの場から遠くへいきたい一心で、マイちゃりを走らせました。 友達の家について、一気に事の顛末を話し終えた時、友達がひとこと言った。 「その冷めた牛丼、弁償してもらえば良かったのに」 う〜ん… そこまで気が回らなくて、スマソ。
740 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/26 20:28
>>734 いつも一緒にいない人は、そこに行くと会える気がして
本当にもういないことに気づくまで、時間がかかったりするもんだね。
納豆汁作る時、おばあちゃんの味を思い出しながら作ってみてね。
いつか、ふと食べた事のある味に出会える時があるかも?
そんな時は、すごく嬉しいよ。
そのかわり、すご〜く淋しくなったりもするけど・・・
おばあちゃんは、どこかできっと喜んでくれるよ。きっと・・・
741 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/27 05:52
感動あげ
742 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/28 10:20
高校1年の或る日、父親に渡された弁当箱、 昼飯時に「さあ、食うべかっ。」と蓋を開けてみたら、 てろてろのカップヤキソバが・・・ 静かに蓋を閉めて、購買にパンを求めに走りました。 「いくらなんでも、それは、無いでしょう。おとっつぁん」と思いましたよ。 あんな弁当は後にも先にもあの一度・・・
743 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/28 11:56
小学生の頃の話を一つ。 或る日、正月の残りの乾いてひび割れた餅を砕いて、油で揚げたオカキを 父親が作ってくれた。 なぜかワクワクしながら、その作業を見ていた記憶がある。 揚げたてに軽く醤油をかけた、それはサクサクしていて香ばしい味がした。 父親と一緒にニコニコしながら食べたなぁ〜 懐かしい春先(だったと思う)の思い出・・・ 今は買ってきた物だけど、お供えしてる。
744 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/29 00:56
age
745 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/30 02:00
さがっちゃイヤん
746 :
もぐもぐ名無しさん :01/11/06 12:32
小学校三年生の時ぐらいだったか、朝おきてから、朝飯の時間までのわずかな間に、母親から怒られて、 「もう、ご飯つくってあげません!自分でやりなさい!」と言われた事があった。 怒られた理由は全く覚えていない。でも、ご飯を作ってくれないなんて事はその日が初めてだった。 今でも料理は全くできないが、10歳ぐらいだった俺は、当然食べられるような朝飯は作れない。 俺は困って困って、なんとか「たまごかけご飯」というアイデアを思いついた。 たまに時間の無いときに母親が作っていたのを見ていたからだ。あれならなんとかできそうだ、と思った。 卵を割るのも一大事だったが、なんとか殻まみれになりながらも割れた。(普段は白身が入っているだけで 文句言うのだが、自分で作ると白身を取るのは非常に面倒だったので止めた) ごはんの真中に穴をあけておくなんていう機転も利かずにポタポタと卵の黄身をこぼしながらかき混ぜた。 ガチャガチャとうるさく作業をしていたのだが、母は様子を見にきたりしなかった。 (多分相当気になっていたとは思うが) なんとか形は卵かけごはんのようなものができあがった。 でも……、そう、味がしないのだ。俺は、母が、卵かけご飯に醤油を入れているところを見た事が無かったのだ。 「あれ、味がしないなあ」 なんだか、無力感と孤独感で泣きそうになりながらも、おれはそんな事を言いながら食べていた。 すると、父がいつのまにか起きてきて 「醤油をたらせ」 と一言。「醤油なんて入れてるの見た事無いよ」と俺が言うと「いいからやってみろ」と父。 半信半疑で入れてみると、確かにいつものたまごかけご飯の味だった。「本当だ」 父は(夜遅くまでしている仕事だったので)、そのまままた寝る為に戻っていった。 うちの父親は、家族とも全くと言って良いほど会話をしない人だった。多分合計しても数十語ぐらいしか 会話していないと思う。 うるさかったのかもしれないが、起きてきてくれた父がなんだか嬉しかった。 父は、他に女ができたわけでもないが、突然家に戻らなくなった。今でも戻っていない。 父親との思い出は殆どない。何を話したのかも殆ど覚えていない。 でも、この「醤油をたらせ」だけは何故か覚えている。 もう少し格好良い台詞だったら良かったのにと思う。 でも、なんとなく格好良いような気もする。
747 :
もぐもぐ名無しさん :01/11/07 01:48
醤油をたらせ。 冗談抜きで、それは涙が出るほど 沁みるセリフじゃないですか。 生温い母親の庇護の下から脱却し、初めて自力で立つ息子に対して、 それは“自分の力で生きろ”と言っているのですよ。 巧く伝わりにくいのですが。 言ってやるには
748 :
もぐもぐ名無しさん :01/11/07 01:49
3を読んだら一気に冷めた・・・・ これネタなの・・・・・? 本気で涙でそうだったのに・・・・・
749 :
26歳・女 :01/11/07 04:37
5歳の時に離婚するまで、某○僧寿司を営んでいた両親。 その頃、父の作ってくれたシーチキン巻きが大好物で、 いつもねだっていた。店で型押しの寿司や、巻物を作るトコロを 見ているのが楽しかった。それを見ながら食べるシーチキン巻きが たまらなく美味しかった。そして、両親の離婚。 父と母のどちらを選ぶか…というようなコトを聞かれて、 お父さんっ子だった私だったのに、なぜか父に付いていくコトに 不安があり、母を選んだ。母は、某ド○ールの喫茶店を始めた。 鍵っ子小学生になった私が、夕食に母の店へ行き、 イギリスパンで作ったチーズトーストを食べるのが定番になっていた。 その頃は、母も必死で働いていて、ひとりっこの私は淋しい思いもした。 最近、回転寿司の店で酢の匂いを嗅いだり、ド○ールのコーヒー豆の匂いを嗅ぐと 不意にその頃のコトを思い出して、心がキリキリとなる。 思い出に残る食事…の匂いというのは、途端に色んなコトを思い出させて 一緒にいる人たちとの会話も忘れて、ちょっとブルーになってしまいます。
750 :
もぐもぐ名無しさん :01/11/08 08:59
>>749 ふーん。朝から心にしむる話をありがとうございます。
醤油をたらせオヤジ、洋画に出てくる父親みたいで泣けるage
752 :
もぐもぐ名無しさん :01/11/08 17:35
先日ついに親父が倒れて入院。やばいなもう10年も顔合わせてないもんだから 会いづらくてしょうがない。でもそんな事いってる場合じゃなし、 先週の日曜、覚悟決めて帰省、そして見舞いに。 「よぉ、オマエ元気だったか‥なにやってるんだ?今は」 病人の親父に溢れんばかりの笑顔で出迎えられたオレは戸惑うばかり。 間が持つか心配だったが、いざ会ってみれば今までの時間を埋めるように 色々な話題になっていった。なんでもっと早く会わなかったんだろう。 「食事制限で色々停められてなぁ。K、ちょっと付き合わないか?」 ガウン羽織って軽快に病院を抜け出す親父を引き止められもせず、 付いていった先はすぐそばの大衆食堂だった。 親父は自営業で、日曜も当たり前のように仕事の人だった。 小学生の頃は、よく手伝いと称して親父の仕事現場に付いていったものだった。 未来の跡取り息子に嬉しそうな親父の顔は忘れていない。 「こういうのがやっぱり旨いんだよなぁ。ずっと我慢させられてたよ」 適当に出されたラーメンと餃子を本当に美味しそうに食う病人の親父。 自分で作った方が絶対旨そうなそれらを食いながら、オレは子供の頃を 思い出して、なんだか気持ちが高ぶってしょうがなかった。 「Kちゃん今日もお手伝いしてくれてありがとうね。ラーメン食べてく?」 親父が死んでしまうまで、あと何回連れ出して食わしてやれるだろうか。
753 :
もぐもぐ名無しさん :01/11/09 02:10
ここのスレ初めて読みました。 すごく感動しました。皆さん、いい話をありがとうございます。 自分も、なんだか両親に会いたくなってきました・・・(涙)
754 :
もぐもぐ名無しさん :01/11/09 09:05
じいちゃんがさー。正月くるとき、死ぬほどケーキかってくるねん。 それも、一番安いケーキやで。 タカラブネやったかな。でも、おいしーねん。 お前らに原いっぱいくわしたろーおもてな。と、大きな包み。 2日で兄弟でほとんどくいました。 どれにしようかなー、と選ぶ喜びをくて、じいちゃんに感謝。 毎年正月はこれが楽しみやったなー。今から考えたら、安い土産やけど、 ガキにはうれしかたtでー。じいさん。
755 :
もぐもぐ名無しさん :01/11/14 03:08
age
今日の話なんですけど、最近あたしはバンドをはじめて、 今日はベースのBの家で練習してたんです。 で、練習してたらBの母さんとばーちゃんとねーちゃんが買い物から帰ってきて、 「いらっしゃい、今日は何時ぐらいまでいるの?」 って聞かれたんで、7時過ぎぐらいです。って答えたら、 「じゃあ今から食事の準備するから食べていきなさいね」 って笑顔で言ってくれて、Bも、Bの母さんもばーちゃんもねーちゃんも、ヤンキー系なんですけど、 本当はすんごくやさしい人達なんでって気付いて、今まで外見だけにとらわれてビビってた自分が、なんだか情けなくて、Bの母さん達に申し訳ない気分だったです。 その日は鍋をご馳走になりました。あたしの家は母子家庭で、最近離婚したんですけど、離婚する前もみんな父と仲がよくなくて、一緒に食事をすることはほとんどなかったし、 一緒に食事をしても楽しい会話など1つもありませんでした。 離婚後も母は働きに出て夜中に帰ってくるのでいつも食事はコンビニの弁当や友達との外食でした。 それが、Bの家の人たちは、まだ3回ぐらいしか顔を見た事もないようなあたしを、 まるで家族のように受け入れてくれて、楽しい会話もいっぱいして、本当に今日の食事は幸せで、すっごく美味しかったです。 Bの家族の方々には、これからもいろいろお世話になると思うけど、本当に感謝しています。
757 :
かりんとう :01/11/15 05:29
ばあちゃんもヤンキー系なの?
759 :
もぐもぐ名無しさん :01/11/16 00:59
>>756 家族平均的に年齢若そうだね・・・
人は見かけによらあいもんねー!
>>759 訂正
>人は見かけによらあいもんねー! ・・・・×
人は見かけによらないもんねー! ・・・・・○
n入れ忘れたらしい・・・鬱
761 :
もぐもぐ名無しさん :01/11/16 01:40
文章を書くのが苦手なので判りにくかったらごめんなさい。 私の父は、私が小さい頃から仕事の都合で会う機会があまり ない人でした。二年に一度2週間ほどしか会えなかったので 当然私と父の間には絆と呼べるものがなく、当時思春期だっ た私はせっかく会えた父とも会話する事がありませんでした。 男ではないので、べつに父と遊びたいとも思いませんでした し、父のいない生活を寂しいと思ったことなど一度もありま せんでした。マグロ漁船の船頭の父を見送る時にも、哀しい なんてただの一度も思わなかったのです。 あれは確か私が14歳くらいの時でした。 仕事を終え帰ってきた父に私は料理を作りました。父は宴会 がとても好きで、帰ってくると必ず毎晩友人を家に呼んで宴 会を開く人なのです。それに私は母親の手伝いとして、たま たまいたにすぎませんでした。 …すみません、長くなりそうなので一度切ります。
私が作った料理は、お好み焼きともお焼きとも言えない 変な料理でした。味も正直美味いとは言えず、当時の私 はあまり料理が上手ではなかったので、当然といえば当 然の結果でした。 けれど作ってしまったものは仕方がないと、山盛りのお 好み焼きのようなものがテーブルに出されました。 父の友人も最初の一口は気を使って食べてくれましたが 次の一口を食べてくれる人はいませんでした。私だって あまりのまずさに食べなかったくらいなんです。 けれど、父だけがこう言ってくれました。 「美味いじゃないか。もっと作りなさい」 父は他の料理には一切手をつけず、私の料理だけを食べ てくれました。何度も何度も、「美味い」と言ってくれ ました。 まずいのが判りきっているのに食べる父に嬉しいやら恥 ずかしいやらで、私は始めて「お父さんってこんな人な んだな」と思ったんです。 それ以来、私と父は色んな話しをするようになりました。 そんな父も、来月久し振りに日本に帰ってきます。 このスレを読んで、今度こそ美味しいものを作ってやろうか なと思いました。 待っててね、パパ。 一人暮らし始めて、随分料理も上達したんだから。
763 :
もぐもぐ名無しさん :01/11/17 18:13
いやな思い出。 学生時代、付き合い始めたばかりの彼氏と地元の小さい動物園でデートした。 私はその朝から張り切って弁当を作って出かけた。 園内の公園で弁当を広げていると、わらわらと野良猫たちが集まり始めた。 皆痩せていて、こちらを見上げてにゃーん、にゃーんと鳴いている。 動物はどちらかというと嫌いな方だが、その猫たちを哀れに思った私は 弁当の中からおにぎりのかけらやら鶏の唐揚げなどを与えてやった。 すると彼は心底イヤそうな顔をして言った。「やめろよ。こいつら汚いだろ」 食べる気がしなくなった、とも言い、食べるのをやめてしまった。 私はこの人とは長く続かないなと思いながら残った弁当をみんな猫たちにあげた。 動物だけに限らず、恵まれていない人に対してもそういう態度を取る男だった。 ものをまずそうに食べる人で、外食してもいつも3分の1は残していた。 私は出されたものはよほどの理由がない限り最後まで食べることにしているのだけれど そういうのが彼にとっては「下品」なのだそうで、数ヶ月後 私の下品さをあれこれとあげつらわれた末に振られた。 当時は男性から下品と言われたことがショックで随分泣いたり悩んだりした。 10年以上経った今ようやく、彼はもしかしたら愛情というものを知らない人 だったのかもしれないと思えるようになった。 彼からほとんど親兄弟の話を聞いたことがないことも思い出した。 今私には息子がいるが、愛情いっぱいに育てて 人の痛みが分かる人間になってもらいたいと思っている。多少下品でもいい。
764 :
もぐもぐ名無しさん :01/11/18 14:15
私の父はカレーが嫌いです。 魚が大好きで、刺身や、特に味噌・醤油で味付けされたものが好きです。 なので、夕食にカレーが出ることはほとんどありませんでした。 19才の時、料理を覚えたかった私は毎週土曜日の夕食は 私に作らせてほしいと、母に頼み、夕方からいろいろと母に教わりながら つくっていました。 わたしは、料理の本にのっていた骨付きチキンのカレーが とてもおいしそうだったので、作ってみたくなりました。 チキンの骨が柔らかくなるほど煮込んでとても美味しそうにできました。 しかし、父がカレーが嫌いなので、母が魚の煮込みも 別に作っておいてくれました。 帰ってきた父は、「作ったカレーを出してくれ」と言ったので、 出すと、父は無言のまま食べていましたが、 半分ぐらい食べて、「おいしいカレーだね」と言いました。 嬉しくて泣きました。 それ以来、私の得意料理です。
>763 もちろん下品なんかじゃないですとも 私もあなたとまったく同じ考えですよ(^^) 世の中にはいろんな人がいるもんだ。
766 :
もぐもぐ名無しさん :01/11/26 16:52
まだここあったのね。 クリームソーダのゲロ話を書き込みした582です。 先日また同じ事がありました。 クリームソーダじゃないけど気分悪くなってオゲー。 つい先日、横浜市内のすか○らーくにて。 あの時のお客様、お店のかたがた、すみませんでした。 もう小4にもなるのに。いいかげんまいった。 我が家はレストラン立ち入り禁止だ。
767 :
nanasi :01/12/03 14:09
定期age
768 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/03 15:02
>>763 その男、よっぽど下品かよっぽど高貴かのどっちかだね。
日本じゃ食べ物を残すのはモラル的にも非難されやすい。
高貴な人間になると食べ物を残すなんてもっての外。
多分海外の血を引くハーフか、○落かのどっちかかもね。
○落ってのは間違った高貴を認識しやすい。
物を残す、不味いと言う事によって自分を棚上げしてるだけの存在だ。
よくモラルから逸脱している人物に当てはまる傾向だ。
彼の家見てみた?もし、豪邸にすんでたのなら、
君の方が彼から見て下品だっただろうね。
けど、一般住宅かそれ以下なら、
彼はそんな事を他人に言う資格は無いし、そんな高貴でもない。
テーブルマナーも知らない人間が多いんだし、屈折した「下品」の認識は、
何処にでも有る。気にするな。
769 :
ももんがももちゃん :01/12/03 18:45
昨日、結婚記念日だった。 こんな日くらい外食に誘ってもらえるかと思っていたが 一向に話がない。悔しかった。 納豆(葱チャーシュー:賞味期限ギリで30%OFF+キムチ入り) ししゃも、マグロの刺身とめかぶの和え物(めかぶ賞味期限ギリで半額) 大根・にんじん・椎茸の味噌汁、ご飯 という献立を食卓に並べてやった。 結婚してこの方、何かにつけて惨めな思いをする事が多かったが 昨日ほど、惨めな気分の夕食はなかった。 ごめんなさい、ぐちっちゃった・・・。
>>769 けっこう好きだな、その献立。(w
まあ、愛しあって結婚したんだから、もっとよく話をしてごらんよ。
>>769 うん、俺もうまそうと思ってしまった(w
その献立が、後々楽しく思い出せるようになるといいね。
>>766 そりゃ、なくなるはずあらせんがな。
こんな名スレをdat逝きさせるのはもったいなさすぎるわい。
お子さん、小学4年生ですかー。いつまでも笑い事じゃすまされんね(w
772 :
ももんがももちゃん :01/12/03 20:06
>>770-771 励ましてくれてありがとうございます。
普段のおかず、としてだったら申し分ない献立だったんだけど・・・。
私にとって、妻が作る料理が一番のご馳走なんです。 だから、結婚記念日だからこそ、妻が作った料理を食べたかったん です。料理を手伝わなかったことは悪かったかなとは思ってますが。 今度、どうでもいい日に外食に誘おうと思います。
774 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/03 23:02
こないだのしし座流星群の夜。 付き合いだして2週間の彼氏と一緒に、街から少し離れた公園に見に行きました。 ベンチに座って空を見上げてると、「お腹空いた?」と彼がリュックから出してくれたのは 肉まんと缶のカフェオレ。冷めないようにちゃんと保温バッグに入れて。 私は何の準備もしていかなかったのに…と申し訳ない気持ちと嬉しい気持ち。 晩御飯が遅くてはっきりいってお腹は空いてなかったし、コーヒーも苦手だったんだけど 彼にもらったってだけで嬉しくて、ありがたく両方いただきました。 結局星のことより肉まんとカフェオレのことのほうが心に残ってる私(w 嫌いだったコーヒーも、あのときから飲めるようになったなあ(カフェオレ限定)。 この恋続きますよーに☆
775 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/04 12:22
↑あらあら羨ましいこと。 幼稚園ぐらいの頃、祖父母に連れられて新幹線で旅行した時、 気付いたら祖父だけ居なく、車両全部を歩いて探したところ、 祖父が食堂車で一人チーズサンドを食べていて、 それを食べさせてもらった事。 別に旨いものじゃないんだが…(ワラ 私の中で、新幹線=チーズサンドの方式が成り立ってしまっている。
776 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/09 21:37
age
777 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/12 02:08
我が家(実家)の晩御飯は早い。午後6時にはもう準備ができている。 「食うことしか楽しみが無いもんなぁ。」なんて笑いながら親父が晩酌をはじめ、 それに少し遅れて家族5人の夕食が始まる。 夜の11時ともなると、夕食が早いだけにお腹がすいてくる。 「そばがあっただろ。」親父の声で、お袋が乾麺のそばをゆで始める。 家族で囲んだ夜中のザルそば。 少し甘めに作ったつゆの香りが、今でも口の中で鮮明によみがえる。 美味しいそばは、たくさん食べたけど。あの味には勝てない。 家族団らんの味なんだろうな。正月は実家に帰ろう。
幼き日 両親夫婦共働きだったために 父の料理も たまにある日常として違和感なく受け入れていた。 チャーハンとかカレーとか。 が ある日父の作ったシチューっぽい「なにか」=野菜の牛乳煮。 おそらくコンソメだのブイヨンだのの概念すらなく ただ煮て 作ったであろうそれを 子供ながらに不味いとも言えず 黙々と食べた(ホットミルクに温野菜が浮いている異様な 代物を想像してみてくれたまえ)ところを見ると やはり不馴れな父への多少の遠慮があったのかも知れぬ。 後に一人暮らしをはじめ 料理に手を染めてみてはじめて 「ああ あの時父は 母の味を元に想像した慣れない洋風料理を 子供に食べさせようと工夫してみたのだなあ」と納得した。 その父ももはや自力で歩くことさえかなわぬ身。 そんな身体にも美味しいものはないか と帰省の度に考えては みるが 孝行のチャンスはもうあまり残っていないようだ。
779 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/15 02:33
優良スレage
780 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/15 02:45
前彼とお別れのお食事に行ったとき目の前でクレープをフランベしてもらった。 お店の人が「何かのお祝いですか?」と聞いてきた。 「今日で私たち別れるんです」と答えた。 お店の人はしんみりとやや気まずそうにクレープにアルコールをそそいでフランベしてくれた。 悲しいかったけどいいお別れができました。
781 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/16 23:00
そういやさ、アニメの映画監督の押井守が 立ち食い蕎麦が大好きで、その原体験が ふだん晩酌してて食事を供にした印象の無い親父と 出先で食べた玉子(月見)蕎麦だったって、 それ聞いて思い出したんだけど、 子供の頃札幌に住んでて、網走の祖父母宅へ 汽車(北海道弁で電車のこと)で向かう途中 停車駅で買い込んで食べた蕎麦。 紛う方なき駄蕎麦で、スチロールの器に入って 化学調味料と生醤油の匂いが立って。 でも、旨かった。 都民になった今でも、駅の立ち食い蕎麦屋を見るたび 雪の降りしきるホームに立って啜ってる光景だけが何度も浮かぶ。 いつも車内で食べてたんで、そんな状況はあるはずもないのに。 不思議。
782 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/16 23:08
なぜか号泣・・・!
783 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/16 23:30
age
784 :
力石@実話 :01/12/17 01:30
一人暮しを始めたばかりの頃のお話。 今みたいに携帯電話もなければ貧乏で電話もひいてなかった。 そんな時に風邪をひいてしまった。 連絡もとれないし、かといって体はいうことをきかず病院にもいけない。 空腹で眠りからさめて冷蔵庫の中を見るとマーガリンだけ。 部屋の中を見渡してあるのは御裾分けで貰ったリンゴが一つ。 美味しいとかは覚えていないんだけど、生きる為に必死で食べたのを思い出す。 感動とか涙が出る話ではないけどね。
小学五年生の運動会 午前中のプログラムが終了し待ちに待ったお弁当タイム。 僕は母親の居る場所を見つけて呆然としました。 ビニールシートには母親一人しか居ないのです。 周りを見ると両親と兄弟が一緒とか、近所の仲良しさんが一緒に食べていたり とてもにぎやかで楽しそうでした。 僕はなんだかとっても悲しくなってしまいました。 父親は居ない訳じゃありません。兄弟も居ない訳じゃありません。 ただ来てくれなかったのです。 僕は母親と二人っきりと言う絵面に耐え切れなくなり、その場から何も言わずに 去ってしまいました。校庭を意味のなくぶらぶらしてました。 そしてヘコんだ気分で家に帰ると泣きじゃくっている母がいました。 僕は何度も謝りました。居なくなって御免なさい。居なくなって御免なさい。 今、考えると母親も僕と同様に恥ずかしかったんだと思います。 本当に忘れられない食事です。
786 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/17 03:02
泣いちゃいそうだよ。楽しい筈の運動会が悲しい思い出になっちゃって。うぅ切なひ。
>785 切ないよぅ…(涙 あなたの気持ちもわかるし お母さんの気持ちもわかるし…
おまけ話 ブルーな気分で校庭をうろうろしていた時に前校長が目の前居ました。 僕は前校長が結構好きだった(朝礼の時にすぐ座らしてくれるから)ので 「こんにちわ」と挨拶しました。前校長先生も笑顔で「こんにちわ」と 返してくれました。前校長はビシッとしたツヤのあるグレーのスーツを 着て、以前より若々しく見えました。前校長は建物の方へ行き、職員室に入って いきました。午後のプログラムが終了して帰りのホームルームの時間になりました。 ぼんやり先生の話を聞いていると先生は変な事を言い出しました。 ちょうどお昼休み頃、前の校長先生が危篤状態になり、そのまま亡くなったとの こです。そして生徒の何人かが危篤状態であるはずの前校長を見たらしいと 言うのです。僕や他の生徒が見たものはおそらく前校長の幽霊だったんだと 思います。そして家に帰ったら母親が泣きじゃくっている・・・。 そりゃあやさぐれるさ!!
名すれアゲ
790 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/22 18:23
パンとぶどう酒 裏切り者のユダのせいで。。。(以下自粛
791 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/22 19:46
>788を読んでいる時に、 この時間はいつも静かなはずの電話が突然1回だけ鳴って、切れた。 ううう、リングを思い出してしまった。うつ・・・。 こんな私は今、 先日実家の父から「カルシウムとるなら牛乳よりシラスの佃煮だ!」 と言われたのにならって、 スーパーで買ってきた佃煮と納豆をおかずにご飯かきこんでます。 美味いです。これも父の味という気がする。感謝。
792 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/24 16:59
当時同棲していた彼女は料理があまりできなかった、 でもお金あまり無かったし、自炊しようと決めた。 平日はオレの帰りが遅いので彼女が当番 休日はオレが作った。 オレは焼き魚が好きだったから、彼女に作ってくれとお願いし 焼くだけで簡単なこともあり、 かなりの頻度で焼き魚がおかずとして出てきた。 しかし彼女は骨を取るのが苦手で、 いつもオレが始めに魚の骨を取ってあげていた。 それを待っている時の彼女の表情や仕草、 「(取れたから)もういいよー」 って言った後の笑顔とか、 がっついて食べてるとこ可愛かったなぁ・・・。 焼き魚定食とか頼むと、 ふっ、って彼女が左手に茶碗右手で箸を持って オアズケ状態の場面が過ぎります。
クリスマスイーヴに焼き魚の話し・・・ 撃つ出汁脳・・・
794 :
思い出に残らない食事。 :01/12/25 00:54
自分の祖母は母の作る食事がいやだったのか、 いつしかひとりで台所に立って鍋一つに 子供心にもまずそうな匂いのするものをこしらえて自室に戻って食べていました。 中学生の頃まで一緒に住んでいたのに同じテーブルで食事を囲んだ記憶がありません。 祖母が母を昔から言葉でいじめていたことだけは覚えていて、 当時はそんな食事風景をなんとも思わずにいました。 でも、よく考えてみるとお正月だけはご馳走のテーブルのはじっこに、 祖母がちんまりと申し訳なさそうに座っていたような気もする。 友達の家のように、いつも3世代そろって 仲良くお話しながら食卓を囲んでみたかったな。
795 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/26 05:29
実家にいるころ普通の目玉焼きが毎日朝食のおかずにあった。 そういう変化の無いメニューに俺は母親に対し文句を言った。 東京に出てきて13年、最近は逆に母親の作る何の変哲も無い 目玉焼きが食べたいと思うことがある。 年末は帰省するので食べてこようと思っている。 (いつ食べることが出来なくなるかわからんからね。) 「思い出」じゃなくてスマソ
796 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/29 16:41
二十歳の頃同棲していた彼女の誕生日が12月26日だった、 昔からクリスマスと兼ねて誕生日のプレゼントやケーキが用意されたと 付き合い始めに聞いていた。だから当時 「今年の12月の24日と26日はどっちもプレゼントとケーキを用意する」 と決めていた。 12月に成った、もちろんクリスマスと誕生日をそれぞれ祝おうと ケーキ屋に丸いの(クリスマス用がチョコレート風味、誕生日用が普通の白いやつ)を 予約した、しかし仕事の関係で24日も25日も帰りが遅くなり プレゼントだけは渡したが予約していたケーキは取りに行けず クリスマスは祝えなかった。 仕方なく26日に誕生日用のケーキを受け取り、 24日用のケーキの代金だけを払い家路を急いだ。 26日はどんな事が有っても定時で上がると決めていたので、 家にけっこう早く着きビーフシチューを3時間かけて煮込み彼女の帰りを待った。 もちろん24日から彼女の機嫌は最悪、 どうにか宥めすかしテーブルに着いてもらった。 ケーキに彼女の年の数だけローソクを立てた。 吹き消した後、ケーキを食べる前に夕食をとビーフシチューとパンをテーブルに並べた、 彼女はビーフシチューを口に運びながら笑顔で 「美味しい」 と言ってくれた。 笑顔が戻ったと思ったのも束の間、彼女は24日のことを話し出した。 「あーあぁ24日は寂しかったなぁ、これじゃ実家に居たときと一緒だなぁ」 少しむっとして私は 「ケーキは予約してたんだよ、プレゼントは渡したろ?、仕事で仕方なかったんだよ」 と言ってしまった。そこから喧嘩が始まり、彼女は泣き出し 「プレゼントやケーキが有っても一緒に祝ってくれる人がいなければだめなの」 とケーキをホークで何度も突き刺し一口も食べることなく寝室に行ってしまった。 私はビーフシチューは食べたがケーキは食べようとは思えずそのまま捨てた。 凄く悲しかった。 ヤマアラシのジレンマ・・・若くてお互いの気持ちをお互いが分からなかった・・・。 来年は絶対24日と26日一緒に祝おうと誓った、 だけどそれは叶わず、これまたひどい別れ方をした。 まーるい白いケーキを見るとめちゃくちゃに破壊された無残なケーキと 彼女を思い出します。 今ならもっと巧くやれるのに・・・と思うけど、 もう、遅すぎますね、9年前の話しです(笑)。
797 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/29 16:47
そんな我ままな女わかれろや。イライラするわ。 わたしやったら、感謝するけどな。 いっしょに藁って、気持ちはちゃんと祝ってくれたって 仲良くケーキ食べるけどな。糞甘えた女は師ね。
798 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/29 17:47
>796 こんな彼氏が欲すぃー
799 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/29 22:01
>797 言いたいことはわかるし、796の彼女が甘えすぎだと思う。 でも、そんなに口汚く罵るほどのことでもないぞ。 だから、自分が醜くなるような言いぐさはやめときや。
800 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/29 22:52
我侭だ馬鹿だと切り捨てるのも分かりますが、 ちょっと解説(?)しますと、 我侭な人間には自分の価値を必要以上に 過大評価している場合と、 自分の価値に不安を感じている場合があるんです。 どこまで受け入れられるかでそれを計ろうとするんですね。 そして、大抵相手の我慢の限度を超えて見捨てられる。 場合によっては、そういうのも可愛いと思いますけど。
801 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/29 22:59
>797 昔の話です、とっくの昔に別れてますよ。 >798 光栄です。でも私もかなり彼女ばりに我侭でしたよ。 >797 彼女と同じくらい当事の私も甘えてました。 私のとりとめのない話にレスいただきありがとうございます。 今日の夕食は水餃子とつけ麺でした。 思い出にはならんな・・・失礼。
802 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/29 23:02
後者は共依存の恐れがあります。
>797 彼女と同じくらい当事の私も甘えてました。 間違い>799さんへですね そして私は796 重ね重ねすいません。
804 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/30 01:36
805 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/30 03:20
>>785 まだまし
私の旦那は保育園の遠足(父母同行)や
小学校の運動会も1度も家族が来てくれなかったらしい
それを聞いた時、私は言葉に詰まったよ
私は親がイベント好きで、父母だけじゃなくて祖父母も来てくれてたから・・・
旦那は周りが家族幸せそうに食べてる間
泣きながらお弁当を1人で食べたのが
一生忘れられないって言ってた
私は旦那と一緒になってから
塩分控えめ(と言うより実家が塩分摂り過ぎの食事)になって体調が改善された
これも旦那のおかげ・・・
旦那には寂しい思いを2度とさせまい・・・と思います
自分が行ってた小学校では やっぱ事情があって親御さんが来ない子もいるから、 自分が3年になった年から生徒は全員弁当を教室で食べるきまりができたよ。 だからか、運動会の記憶って1、2年生の頃の方が鮮明だったりする…
実家は店をやっていて、母親は「母」というよりは「店員」という感じで、 家事などしていられないほど忙しかった。食事は夕食こそ手料理が出るが、 朝昼はスーパーのパックの寿司やパンが多かった。そのせいか母親の味と いわれてももう、「石狩鍋がおいしかった」と感じたことがあったなぁ、 という記憶だけしかない。小さい頃の家は貧乏で、冬は朝起きたら、部屋 の隅に雪が吹き込んでいた。 高校は寮に入った。寮の食事は今考えれば大味で、同級生を含めた寮生の 大半は、「まずくて食えるか」といって残すことが多かったが、おいしい 食事というものがよく分からなかった自分は、何も考えず食っていた。朝 昼夕、トレイに乗った形で色々な食事ができることが、なんかうれしかっ た。もちのように固まったご飯も、ご愛嬌だった。 週末、実家に帰ったときの夕食、同じく高校生の姉貴が「こんな食事いや!」 といって食べなかったことがあった。俺は寮で3食(1食300円)とり あえず食わせてもらっていたので、家族の皆に申し訳ない気持ちで沈黙し ていた。 家の状況を考えずに、大学に行きたいというと「東大に合格すれば、毎日 おかゆばかりでもいいよ」と言われ、複雑な思いになった。多分、本当に おかゆばかりでも、仕送りをしてくれそうな母親だった。約束どおり東大 に合格したが、入学はやめた。母親は無言だった。 「仕事での無理がたたって」かは不明だが、母はガンで倒れた。東京に出 ていた俺は早めに帰省して、テレビを病室に持ち込み、紅白歌合戦を母と 一緒にみた。そのころはもう、食事のニオイだけで吐き気が襲い、何日も 点滴だけ。固形物も口に入らず、うんこも出ない状況だった。 死ぬ1週間くらい前だろうか、病院食の付け合せに「たこ・わかめ・野菜 などの酢の和え物」が出た。最初は嫌がった母も食べてみると「これ、 おいしい」といった。最後の食事だ。味見と称して俺も少し食べた。 いまの俺の大好物「酢の和え物」
age
なんかくだらない話が多くなったな 名スレだったのに
810 :
もぐもぐ名無しさん :01/12/31 15:53
ソナコトナイヨ♪>809 なみは海にも世間にも2Chにも牛丼屋にもあるしぃ〜。
811 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/05 07:41
age
812 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/06 00:20
もっと聞きたいですage
813 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/07 13:09
age
814 :
ももんがももちゃん :02/01/11 23:37
結婚記念日を忘れられた上、今度は誕生日を忘れられました。 人生の節目の(自分にとっては)大事な誕生日だったのにな。 おめでとうの一言も、当然、ケーキもなし。 「惨めな誕生日」のメニューはカレーライスでした。
幼稚園のお弁当に、ほぼ毎日、菓子パンを持ってきてた子が居て 子供だから羨ましかったので、母に頼んだら、お弁当の方が良いでしょと叱られたよ。 いまなら、菓子パンを持ってきていた子の悲しさが解るよ・・・ 菓子パンより、毎日お弁当を作ってくれるお母ちゃんが居るありがたさ
816 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/12 00:26
小学生の頃、従姉妹が3ケ月程家に居候してた事があった。 先方の両親が離婚するしないでゴタゴタしてた時期だった。 小学校にも一緒に通ったし、帰り道にゲームセンターへ連れて いったり菓子屋で何か食ったり。いつも一緒だった。 休みの日は、釣りに行ったり、野球したりもした。 今思えば女の子に相応しくない場所ばっかり連れていった気がするが いつも嬉しそうについてきた。 (後日)両親が不仲になってからどこにも連れていって貰えなかったと聞いた。 両親の離婚問題がまとまり、母親に引き取られる事が決まった時 その娘が夕食作ってくれることになった。 手を包丁で切ったりしながら、一生懸命作ってくれた。 中が半分生のトンカツと固いメシと辛い味噌汁だったが、 もうここからいなくなるんだなぁなどと思うと泣けそうになり 何も言わずに全部食べてから「今度、また作ってくれ」と言った。 その時の笑顔はいまだに覚えています。 その後、その娘成人しては結婚して今では正月になると子供連れてお年玉 せびりに来るんだよなぁ。頼むからあの時の笑顔、もう一回見せてよ(涙
>>814 他スレでのレスの付け方を見ると、自分自身に問題があると考えた方がいいね。
818 :
ももんがももちゃん :02/01/12 14:00
>>817 他スレって、具体的にはどこでしょう?
自分自身を見直すきっかけにしたいので、
教えて下さい。お願いします。
819 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/12 16:13
あいかわらずいいスレッドだなあ。
幼稚園のお弁当に毎日弁当箱にワッフルが入っているやつが居た。 その当時はかなり羨ましかったけど、今は頭にイパーイの?マークが浮かびます。 しかも当時ワッフルなんてかなりマイナーな食べ物だったのに・・・。
821 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/16 07:01
自分はおはぎがあまり好きではないのですが、 伯母の作ってくれたおはぎだけは別でした。 荒めにもち米をついてあって、大きめのご飯の粒が残っていたけど、 柔らかくて甘ったるくなくて美味しかった。 伯母もガンで亡くなって10年以上になる。 最後にお見舞いに行った日、小さくなってしまった伯母を見るのが忍びなくて 逃げるように帰ってしまった高校生の頃の自分に激しく後悔。 時折おはぎを買って食っては見るのですが、伯母さんのおはぎ以上のものにはまだめぐり合えません。
822 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/16 12:01
>>820 母君がハイカラさんだったかベルギー人のどちらかだったと思われ(w
823 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/16 13:52
友人と温泉に行って、帰りに寄ったとあるソバ屋での出来事です。 ガラガラガラ〜 戸が開いて客(おっちゃん二人組)が入ってきた 店員が出て来ない。 客は待ちつづける : 5分程経った後 やっと店員A(おばちゃん)が出てきた 店員A「あら、すみませんねえ、気がつかなくて… 今、お茶お出ししますね」 店員Aが茶を出す。 店員A「今、お新香持ってきますね」 ※この店ではお茶受けのおしんこを出す習慣があった。 店員Aが引っ込む。 しばらく後、店員B(婆さん)が出てきた。 手にはお茶と、お新香を乗せたお盆が… 客のところに茶を出そうとして、 店員B「お茶を…あら?」 客A「お茶はもう貰ったんだけど…」 店員Bはお新香だけ出して、奥に引っ込もうとする。 客B「注文は取らなくていいの?」 店員B「あら、じゃあ注文を…」 客A「山菜そばを…」 店員B「はい、山菜そばですね」 客B「てんぷらそばをよろしく」 ※店員Bは一旦奥に引っ込むが、実はこの時既にてんぷらそばが無く 店員Bはその旨伝えに戻ってきた 店員B「てんぷらそばはもう無くなっちゃったんです」 客B「じゃあ、とろろそばの暖かいのはあるの?」 ※この時店の外では雪が降っていた。 店員B「とろろは冷たいのが、おいしいんですよ」 客B「そうじゃなくて、とろろの暖かいのはあるの?」 店員B「だから、とろろは冷たい方が…」 客B「あの、だからの暖かいのはないのか?」 店員B「冷たいとろろの方がおいしいですよ」 客B「ヽ( ´ー`)丿」 客B「山菜そばでいいです…」 店員B「はい、じゃあ山菜二つですね…」 客B「はい…ヽ( ´ー`)丿」 店員Bが奥に引っ込んで行く… その後客Bがしみじみとつぶやいた… 客B「失敗したなあ…」 どこのそば屋かはもう忘れてしまったが、今でもこの融通の利かない 婆さん店員の事は忘れられない…
自分ではなくて娘の話で恐縮なのですが・・・。 当時娘の通ってた幼稚園は週二回お弁当でした。 やっぱりお弁当の日は小さいからこそ娘も楽しみにしてたようです。 娘は好物は一番最後に取っておいて食べるタイプで その日も大好物の甘い卵焼きを取ってたんですね。 ところがそれを同じグループで机を引っ付けて食べてた女の子に取られてしまったのでした。 ここまで聞いた時は「はよ食べへんからやで」なんて笑っていたのですが お弁当の日になるとその女の子はやはり娘が最後に食べようと取ってたものを さっと横から掠め取ってしまってたのです。 とりの空揚げやトンカツだったり、卵焼きだったり・・。 小さいけど「食い物の恨み」はちゃんとありますから担任の先生に訴えてみても 「だめだよ、そんなことしたら〜」くらいのお小言で終わってしまうし 何より先生が見ていない時におかずをとられているわけなので 娘もどうしてよいのかわからなかったようでした。 「なんでそんな事するのかな?」と不思議に思って 「その@@ちゃん(おかずを取る子)だってお弁当持ってきてるんでしょう? 足りひんのかな?」と言うと 「@@ちゃんねえ、お店で売ってるパン持ってくるんやで、 お母さんお仕事忙しいんやって」と娘の答え。 それを聞いた時は胸が詰まりました・・。 週二回のお弁当も作れない程しんどいのかな?大変なんだなあ・・。 でも周りのお友達はみんなお母さんが作った、好きな物ばっかり入ってるお弁当を持ってきて (そこの園では『好き嫌いは家で躾をして、園では楽しくお食事させたいので好物を入れてくれ』と通達されてのです。) ことにうちの娘はのんびりタイプで脳天気に食べてるように見えたはずなので ムカついたのかもしれません。 その女の子のことを思い出すとちょっと辛い気持ちになってしまいます。 なのでお弁当を作るのがしんどい時でも、なるべく頑張ろうと思っています。
私の話じゃなくて妹の話です。母子家庭で二人姉妹の私たちです。 姉である私の成人式のとき、私よりも一生懸命に着物の柄選びしていた妹。 数年後に自分も着るのだから当然といえば当然。 着物など興味など示さず学校へ通う私を尻目に、 暇さえあれば着物から着付け場所、美容院まで母と準備を整えていました。 そして当日は、当事バブル後の影響もあってか羽振りがまぁ良かった母は ちょっと奮発し、(安くしてもらえる)知り合いの料亭で 親戚も呼び私の成人のお披露目をしてくれました。 本人としてはちょっと照れくさく恥ずかしかっただけですけど、 妹にとってはそれがすごく羨ましかったみたいでした。 子供の頃から貧乏生活していたので、料亭でご飯!しかも自分が主役! という事がゆめのようだったようです。 数年後の自分の成人式も、こうしてもらえると密かに思っていたようでした。 (続きます)
そして運命の自分の成人式の日。 すでに同棲していた彼氏にも、久々に会おうという友人にも すべての約束を断りいそいそと自慢の着物を着て実家に帰ると そこにはこれから仕事の支度を整えた母が一人いるだけでした。 すでにバブルも終わり、不景気をまともに喰らっていた水商売だった母。 成人式の日は、浮かれたハタチ連中がこぞって飲みに来る絶好の稼ぎ時でした。 あっけにとられる晴れ着姿の妹に 「てっきり表で食べてくると思ってた…何も用意してないわ。」 とのたまう母。 慌てて準備した夕飯はご飯にいわしが三匹という哀れこの上ないものでした。 一人で晴れ着を脱ぎ、襦袢姿で寂しく夕飯を食べている妹を、 遊びに行った先から帰ってきた私は、あっけにとられつつ笑ってしまいました。 「だっておねぇちゃんやってもらってたやん! 私も料亭でご飯食べれる思って断ったんやもん! 今更みんなのとこに行けへんもん! 」 化粧も落とさずぼろぼろ泣きながら食べる妹に、 私はお土産に駅で買ってきた「神戸のアンパン」をあげました。 その後妹は憤慨しつつも 「まー、これも忘れられ変へん思いでやなー。」 と言いつつ彼氏の待つアパートへと帰ってゆきました。 仕事から帰った母にそのことを話、散々笑った後 『可哀想だし今度彼氏と一緒に皆であの料亭に食べに行こう』 となりました。 (すいませんあとひとつ続きます)
そしてそれから二日後。 運命の1月17日。 結局その後彼らと食事はとることは出来なくなりました。 料亭もなくなってしまいました。 実家の最後の食事は、本当の意味で 彼女にとっても私にとっても、 特に母にとって思い出の食事になってしまいました。 修学旅行先の北海道から新巻鮭土産に買って帰るくらい魚が好きやった妹、 にぎやかな事が大好きやった妹いつも喧嘩ばかりしていた妹、 背が高く、ちょっとおとんに似ていた弟になるはずやった人… 妹、あんた若いくせに「へしこ」がすきやったね。よく取り合いしてたな。 アンタの好きやった黄味あんぱん、今でもあの駅の下で売ってるで。 ときどき母と二人、4つ買ってきては食べてます。 書いてて頭がこんがらがってきました。 下手な文章ですみません。
825-827 あまりに曖昧すぎて妹さんがどうなったかさっぱりわからないです。 他人様の実体験を不幸な方向に想像して諮るべしな文章て別の意味でツライんですけど。 家出したのか駆け落ちしたのか、それとも何か事故に遭ったか??
「阪神大震災」でお亡くなりになられたのですね。 「義弟」となられるはずの彼氏といっしょに・・・。(涙) もう7年経ちましたけど、やはり身内を亡くされた衝撃というのはなかなか癒えない事と思います。 妹さんと彼はきっと825さんやお母さんに笑顔で居て欲しいと思いますよ。 どうか妹さんの分も充実した人生をお送りください。合掌。
830 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/16 23:26
>828 禿同 長すぎるし、訳わかんねえYO! …それとも自爆テロでも敢行して、ビルにでも突っ込んだか? 長すぎるのも問題ありだな、感動が薄れて最早何もねえ
>828さん。 関西人にとっては思い出すのも、文字にするのも辛い日です。 明日、1月17日は阪神大震災のあった日です。 文中に「神戸」とあるからなんとなくそんな予感がしました。 ひょっとして825-827さんの妹さんもフィアンセの方も… あの日、その二日前の成人式のために たまたま遠方から実家に帰っててなくなったって人も多かったのですよね…。 私の知り合いも亡くなりました。神戸から遠く離れた宝○だったのに。 子供の頃から通ってた好きだったお好み焼き屋も無くなりました。 おばあさんとおじいさんのお店。 優しいお店で、子供が一人で食べてたら時々ジュースおごってくれました。 あんただけにやで、ひみつやで…って、あったかい笑顔で。 先日聞いたんだけど、近所の子供(友人)みんな秘密のジュースもらってた。 今となっては懐かしく悲しい思い出。
832 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/16 23:35
8年ほど前の話。職場の後輩に漁師の息子が居て、飲みながら冗談半分で「カニぐらい 送らせろよ」と言った。数日後、「来ましたよ〜」と後輩が持って来たのが、見事な 浜茹での花咲蟹6杯。 確かに旨かったのですが、冷蔵庫が単身用の小型のものだったので、保存手段がなく、 3日ほどカニばかり食べてました。さすがに飽きました。未だにカニはあまり食べたいと 思いません・・・
私も関西人です。 1月17日は忘れられない日です。 なので読んでて涙を禁じえなかったです。 明日もきっと泣いてばかりになるでしょう。 改めて亡くなられた方のご冥福を祈ります。
あ。なんて事を書いてしまったのでしょう、軽率な自分に鬱。 829さん教えて下さってありがとうございます。 そして825さん本当にごめんなさい。
そうか! 俺も>825-827の妹がどうなったのか?だったが・・・ 7年前の1月17日だったのか・・・。 明日なんだね。
825-827です。 書いたあとひとしきり泣いておりました。(そして母に怒られました。) 今見返したら確かに皆様に言われるとおり、特に三つ目が変な文章です。 全体でみても誤字も多いですし、お目汚し本当にすみませんでした。 この時期にあの日の事思い出すと、どうしても感情が昂ぶって…。 自分でも情けないくらい支離滅裂な文章になってしまいました。 特に828さん、829さん、ごめんなさい。 それにしても1月17日の話は関西人限定になってしまったのでしょうか。 全国的には、もう昔の話なんですね。悲しいです。 でも私は忘れないで逝きたいです。
837 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/17 00:15
なんかなんだろうと思って読んだらなんか泣けてきました。 あの大震災からもう7年もたつんですね。 忘れていました。亡くなった人の分も 生きている人ががんばらないとね!!
838 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/17 00:20
貰い泣きしてしまいました。 お姉ちゃん妹の分も頑張らないとね。 忘れてはいけない日を忘れる所でした。 どうか妹さんの分もお幸せに・・・。
>たまたま遠方から実家に帰っててなくなったって人 それとは逆の話。大学の授業をサボりすぎて、必修授業の単位を落とした俺が 再履修クラスに入ったとき、同じように単位を落としてクラスに顔を出した同期の 奴がいました。成人式の時には実家に帰っていたのに「授業があるから戻るよ」 って言ったそうで、16日にこっちに帰ってきて。 授業の時にそいつが作ったレジュメが形見になってしまいました。そんなもの 形見にしたくなかったのに。
いいスレ・・・ 私が料理作ると必ず「家で食べた〜がうまかった」とか「本当にあの時の〜はおいしかった」 だの過去に食べた同じ料理を褒める彼。 それが嫌で嫌で彼にここ3ヶ月くらい料理作ってあげてませんでした。 私の料理も褒めてくれるんだけど・・・ けど、プロの料理人や何年も家事やってはるお母さんと比べられても どうしようもないよ。 こんな風に思い出に残る料理作ってあげれるのかな・・・私も・・・。 あ、悲しくなってきた。
842 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/18 03:51
いつかは伝わりますよ。あなたが愛情かけて作ったものなら、 でも手を抜いてはいけません。日々努力です。 がんばれ!!
7年前、当時の彼氏が私の家に遊びに来ました。 張り切って作った夜ごはん、他のおかずは「おいしい」って言って くれたのですが、お味噌汁だけは「オカンの味と違う〜」。 「そら違うに決まってるやん!!」とケンカになり、私は泣きながら お味噌汁を全部流しに捨てました。 なんだか気まずくなり、本当は泊まる予定だった彼に私は「今日は帰って」 と言ってしまい、結局彼は帰りました。当時、私は大阪市内に、彼は神戸に 一人暮らしをしてました。 翌朝、あの震災で彼のマンションは倒壊して、仲直りさえできないまま・・・。 どうしてあの時「今日は帰って」なんて言ってしまったのか。 泊まっていれば、彼は生きていたのに、死ななかったのに。 私にとっての思い出に残る食事、それは彼との最後の食事です。 小さなコタツで、2人で食べた夜ごはんです。 >>836 関西人限定になってしまったのかも知れませんね。 でも、私も絶対に忘れません。
844 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/19 03:25
あげ(T_T)
In article
>>843 , もぐもぐ名無しさん/sage/843 wrote:
> 7年前、当時の彼氏が私の家に遊びに来ました。
> 張り切って作った夜ごはん、他のおかずは「おいしい」って言って
> くれたのですが、お味噌汁だけは「オカンの味と違う〜」。
> 「そら違うに決まってるやん!!」とケンカになり、私は泣きながら
> お味噌汁を全部流しに捨てました。
ずいぶんまぬけな男ですね。
まあ別れて正解でしょう。
846 :
さぁ住人の皆さん!祭です!! :02/01/19 04:26
◆◆◆◆◆◆◆◆お願い◆◆◆◆◆◆◆◆
>>845 ノ クサカベはサイッテー ダケド、ミンナがハンノウすると
折角のこの良スレガ アレテシマウので、お願いダカラ
反応シナイデネ!! アイテ シナイデネ!!
848 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/19 07:07
今日ここのスレを初めて知りました。いい話しをありがとう。 大切な人の作ってくれた食事おいしそうに食べておいしいって いくことくらいしかできない今の私ですが、感謝の気持ちで いっぱいです。 なお、kusakabeはサイッテーのドキュソなので、 無視するのが一番です。文句言われるしか相手に されない哀れきわまりがないアフォは徹底的に 無視します。どうせいつも言うのはこわがりすぎー とかいう幼稚な発言。馬鹿を覗いて他のみんなで このスレを盛り上げようね。
よく関西に遊びに行ってた自分は 地元にお金を落とすことが観光客にできる最大のボランティアだ! と思ってその春にも遊びに行った。 でも、昔よく通った宝塚の明石焼きのお店のあとを見て泣きたくなった。 お金落とそうにもお店が再建されないことには…。
In article
>>848 , もぐもぐ名無しさん/848 wrote:
> なお、kusakabeはサイッテーのドキュソなので、
> 無視するのが一番
こわがりすぎー :)
>>848 >なお、kusakabeはサイッテーのドキュソなので、
それは「ドキュソ」に失礼ではないか!
>>848 アナタノ ソノ言葉ガ クサカベヲ ヨビコンデルンダヨ。
無視ッテノハ無視。 クサカベニ 「ヨメル」ヨウニ書クナヨ。
ナニアノクソカベノハツゲン!!バカニモホドガアル。テメーハマヌケイカダロッテカンジ。 クソカベハホンットシンデホシイ。シヌベキダ!シナナケレバナラナイ! 「コワガリスギー」ッテナンダヨ・・・ コワガッテネーヨ。イヤガッテンダヨ。
ありがちだろうけど貧乏話 高校卒業するまで貧乏で、朝晩おにぎりのみって事が良くあった 具は梅干しかおかか 新聞奨学生で大学進学、学費負担食事付ってトコだけで選んだ道だったが悲惨 ま、簡単に言うと騙されたわけだが(w ギリギリの気分ではあったけどつらい新聞配達とか勧誘も何とかできた 今はプログラマで食えてる 母も今は苦労しないで済む用になった ココ読んであのおにぎり食いたくなっちまった
幼稚園のころだったかな。母は専業主婦だったのでいつも私が幼稚園から帰ると 夕ご飯をつくってくれてた。それが当たり前だった。 ある日、母が用事で出かけた。はじめてのお留守番だった。夕方には帰ると 聞いていたのに夜になっても全然戻らないので、おやつのミニドーナツを 20個くらい全部平らげてしまった。そのうち本当に不安になってきて吐いた。 姉は必死に看病してくれたが、姉もつられて吐いた。二人ともパニックになって いたところにやっと母が戻ってきて、泣きながら「おかあさ〜ん!」と抱きついた。 今は私も一人暮らしであまり実家に電話もしないし、姉はこんな家イヤだといって 両親と喧嘩中。父はリストラ。あれから20年間ずっと家族の絆は下降線。 田舎で育ってすぐ結婚した母にとってあの頃は幸せだったんだろうと思う。 私の家族はその幸せを忘れてしまった。 ミニドーナツはこの前思い切って食べてみた。悪くなかった。
856 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/21 22:37
857 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/22 04:06
私が小さい頃、近所の川では鰻が捕れた。じいちゃんが手製の仕掛け で捕ってきて裏庭でさばくのを見るのが、毎年の夏休みの楽しみだった。 でも、夏の間ほぼ毎日の夕飯に鰻が出てくるので「飽きた」だの「気持 ち悪い」だの文句言ってあんまり食べなかったなぁ。今思うと、すごく 贅沢なんだけど。天然物だし。 その他にも実家の庭には、柿だのナツメだのグミ(お菓子じゃない)だの 実のなる木が沢山あったな。祖父母も亡くなって、母一人になったから 近々、家も処分する予定なんだけど、もう一度そういう天然物のおやつ とか食べたいなぁと思う。もう無理なんだけどね。
小学生の頃。 うちの母親はちょっと家庭内事情から精神を病んでいたらしく 育児放棄ってーか家事をしなかった。 私ら姉妹に罵倒や暴力ふるうなんてこともした。 でもたまにふっと思い出したようにまともになってご飯を作ってくれることがあった。 鳥のからあげとまぜご飯。それか鶏ガラ出汁の手作り醤油ラーメン。 決まってこの二つの献立のどっちか。 その日だけは母親すごく優しくてご飯もすごくすごく美味しくて なんか嬉しくてたまらなくて泣きながらご飯食べた。 そして食べ過ぎて腹壊すの…しかも毎回…。
859 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/22 06:51
まだ家が経済的に苦しかった私が幼稚園の頃 月に一回夕食で出るステーキ。凄く薄っぺらくて固い お肉だったけど嬉しかった。 3時のおやつをせびったら醤油皿に砂糖をスプーン一杯入れて寄こしたバアバ・・・・ 3時のおやつが子持ちしゃしも一本だった事もあったけ・・・。 でも私が小学校低学年に入る頃には家計も安定してきたのか 毎日、肉食べさせてもらってたなぁ・・・いい思い出だ。
860 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/25 18:33
あげ〜
861 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/28 03:09
スレ違いかも知れないけど 運動会やお花見、家族で遠出する時 必ずおばあちゃんの作ってくれたおにぎり持っていったな。 ふわふわに握ったべっとり醤油の付いたおにぎり。 同居していない母方のおばあちゃんだったが よくおじいちゃんも一緒に出かけたな。 お雛様や端午の節句の行事にも良く一緒にお祝いしたな。 でも母が精神を病んで入院し、そのまま別居→離婚。 父が会ってはいけないといい交流が途絶えた。 大きくなってからはこっそり会いに行ったり出来たけど 母は精神を病んだまま入退院をくり返しているし もうみんなで出かける事は無かった。 そしてやっぱり会うのが辛くなり交流が途絶え そのままおじいちゃんもおばあちゃんも亡くなってしまった。 たまにふわふわのおにぎり作ってみるけど 美味しいと思って食べたことはなく悲しくなるだけだ。
862 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/28 03:23
母が忙しかったので子供のころ手料理を食べた記憶がない。 学校から帰ってくると、テーブルにお手伝いさんが作った料理が ラップされて並んでいた。冷たい料理だった。
863 :
◆u0p51cCg :02/01/29 05:53
思い出したくてもまだ物心もついてない、小さい頃の話です。 僕は生まれた時も仮死状態で生まれてきたし、小さい頃に色んな病気をしました。 多分2歳か3歳くらいだったと思うんですが、 色んな病気に同時にかかり、全く何も食べなくなって、 生まれてくるときに4000グラムでブクブク太ってた体も痩せこけて 家族・親戚にものすごい心配させちゃったみたいなんです。 どんなに食べ物を食べさせようとしても食べなくて…。 …と、家族がフッと目を放した隙に僕はテーブルの上に置いてあった 「みよしののギョーザ」をペロッと食べてしまったそうです。 それ以来、ちゃんと色々食べるようになったそうです。 今でも「みよしの」の前を通ると「命の恩人だ…」と思ってしまいます。 つまんない話ですいません。。。
864 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/29 23:48
つまんなくないですよ。あなたが痩せた時は周りの方はものすごく 心配なさったと思いますし。よかったじゃないですか。
うちの父親は機嫌が悪い時にお酒がはいると鬼になった。 ある日会社で嫌なことがあったらしく飲んで帰った父に、私がテストで60点 をとったと母が報告してしまった。 これでぶち切れた父は深夜で眠っていた消防の私をたたき起こして、髪の毛をつかんで 床を引きずりまわし、殴り続けた。「お前のせいで人生めちゃくちゃだ」とまで 言われた。 一通り殴って気がすんだのか父が寝室に戻ると、母が「ごめんねごめんね、私が話した のがいけなかった」と泣きながら紅茶を手渡してくれた。その時の紅茶の妙にぬるかった 事しか思い出せないんだけど。25になった今でも紅茶とアルコールは好きじゃない。 食べ物じゃなくてスマソ。sage
AGE
867 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/31 20:45
からAGE
868 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/31 21:06
思い出・・・・イカ墨のスパゲッティだな。 忘れもしねぇ、バカな弟の失態を。(笑) もう10年以上前だがイタ飯屋で小さなイトコの家族と一緒に 食事に出かけたんだよな。 当時は子供でさ、角川アニメ映画もりんたろうとか結構なSFを やってたんですわ。「時の旅人」とかね・・・・この映画音楽が イカ墨のスパゲティ事件を起こした。 たまたま、その店のBGMにその映画の音楽が流れた。 いきなり弟が何を思ったか「この曲は!!?」とハッとしてスタンダップ! とたん、テーブルに載っていたイカ墨がダーッ!とこぼれ落ちてイトコが 椅子の横に置いていた帽子の中にスッポリおさまり、座っていた 我々の膝は墨だらけになった。・・・・・・弟曰く、「どうして立ったか 今でも自分で謎」との事。バカヤロめ。一口もオイラは食べてない。
869 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/31 21:35
子供の頃の話。 クリスマスに父親がケンタッキーのフライドチキンを買ってきてくれると約束してくれて、 1ヶ月以上前から楽しみにしていたんだ。 母親がジャンクフード嫌いで、そう言う類の食べ物を一切買ってくれたことがなかったんだけど、 私たち姉弟が、テレビのCMを見て「一度でいいから食べてみたい!」と言ったら、父親が「じゃあ、クリスマスに買ってくる」と約束してくれた。 クリスマスイブの日、会社帰りにケンタッキーに寄った父から電話が入った。 「○○(私の名前)、ケンタッキーすごい混んでて買えそうにないよ。他の店で買っていくから勘弁してくれ。」と。 でもどうしてもケンタッキーのが食べたかった私はごねて、 父は「分かった。じゃあお父さんもう少し待ってるみるから、○○も待っててな。」と言って電話を終えた。 二時間くらいして、再び鳴った電話は、父からのものではなかった。 そのさらに数時間後、私たちは変わり果てた父と病院で対面した。 買い物を終えて帰ろうとしていた父の車に、飲酒運転の車が突っ込んで来て、父は即死だったそうです・・・。 私があの時わがままを言わなかったら、父は死ななくて済んだのに・・・。 ・・・ごめんなさい、お父さん。 あれから10年以上経った今でも、ケンタッキーは食べていません・・・食べられません。 CMを見るたび、店の前を通るたび、やるせない気持ちになります。
871 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/31 22:33
>869 人の運命というものは、分からないものだよね。 お父さんは、お父さんの運命だったんだよ。 気持ちを切り替えないとね。 いつの日か、あなたが、ケンタッキーを素直に食べれる日が来ると 他人事ですが、願います。あなたに事故の責任は責任はないのだから・・・。
872 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/31 22:38
入院中の療養食はなんだかんだいって思い出深いな。 自分は油分をとっちゃいけなかったんで。 よく、食べたのが、鳥ささみの梅肉ソースがけ 片栗粉まぶしてゆでた鳥(半透明状)に梅肉ソースがかかった シンプルな料理なんだけど肉が食べれたのはこれだけなんだもん。 あとは、ほとんど精進料理でした。でも、おいしかったよー。 点滴10時間以上毎日して、隣の赤ちゃんが死にかけたり 大変だったけどー。
>869 ごめん、入院ネタで。。。。 871のあなたに事故の責任はない、そのとーりだと思います。
874 :
もぐもぐ名無しさん :02/02/01 08:02
うちの親父は無口で無愛想な職人だった。 そんな親父を母は、日常生活の細かな面まで世話してた。 でも、そんな甲斐甲斐しい母に対して、親父はいつも無愛想に接してて 感謝の言葉を一度だって聞いたことはなかった。 小さかった私から見ても、両親はあまり夫婦仲が良くは見えず、 不安だった。なんでこの人達は結婚したんだろうって。 ある夜、口喧嘩が始まって、親父は怒鳴り続けるし、母はいつまでも 泣いていた。気まずい雰囲気が漂う中、親父は飲みに出かけてしまった。 私も泣き続ける母のいる居間から、いたたまれない思いで出ていった。 それからしばらく経って、泣きやんだ母が風呂に入っている間に 親父が帰ってきた。酒は飲んでいなかったように思う。 手に大きな箱が入った袋をぶら下げていた。 私がその箱を開けるとケーキが十数個入ってた。 「僕も少し食べていい?」私がそう言うと、親父は黙って うなずき、母が風呂から上がる前に、寝室に入ってしまった。 少しと言いつつ、ケーキをあまり食べたことがなかった 私は好きなだけケーキを食べてしまい、箱には2、3個しか残らなかった。 翌朝、親父はそれを見て「あっ」とうめいて、私が今まで見たこともない、 苦り切った、怒りたいけど、でも怒れないというような不思議な表情をしてたのを覚えている。 その時は分からなかったけど、あれが無口な親父なりの謝り方だったんだなーと 今になって思う。 私からみても、お互いがどこかで、バランスを取り合っていたいい夫婦だった。 食事とは少しずれてるけど、掲示板を読んでたら思い出してしまったので カキコしてみました。
875 :
もぐもぐ名無しさん :02/02/02 04:12
同居していた祖母はなんにもできない人だった。女学校を出て、 嫁いだ先でも使用人まかせのお嬢だったので、ほんとになんにもできなかった。 (祖父他界後は、会社を継いだ父が引き取った。 使用人おいておけるほどの余裕は当然ない) 記憶に残る祖母はゆで卵を作ろうとしたものの、作り方がわからずレンジで チーン、卵を暴発させてレンジを壊し心底不思議な顔をしていた姿だった。 16歳のとき、私は風邪かインフルエンザかで熱を出し寝込んでいたが 母が倒れて緊急入院、父が付きっ切りになったため、その祖母が面倒みてくれることになった。 そのとき作ってくれたのは、すごし塩辛いおかゆと、皮ごと摩り下ろしたりんご。 熱で舌が馬鹿になってるにも関わらず、塩からい、と思ったから 相当な塩分だったと思う。当然、食べられずに残した。 「しょっぱくて食べられないよ」 「ごめんね、おぼあちゃんなんにも出来なくて。○○ちゃん、ごめんね、ごめんね」 と誤りながら少しだけ寂しそうにした顔が、 塩辛いおかゆの記憶と一緒に残ってる。 その後、退院してきた母におかゆの作り方を教わっていたらしいが作品を食する ことなく、すぐに他界してしまった。祖父の命日だった。 仲のいい夫婦だったからな、おじいちゃんが連れにきたんだろと父が泣き笑いしていた。 私は何故か、そのおかゆのことを思い出していた。包丁も握れない祖母が 一生懸命作ってくれたんだな、と思うと切ない。 無理してでも食べてあげたかった…。 でも、後日母が「おばあちゃん、塩ひとつまみ、と一掴みの区別がつかなかった 人だからねぇ、多分、おかゆに塩ひとつかみ入れたんじゃないかな」と 言われると、やっぱり無理だったのかもしれない。
876 :
もぐもぐ名無しさん :02/02/03 02:44
夜中に腹が減って 我慢できず コソーリと台所に忍び込み、冷蔵庫からハムを拝借した が!賞味期限が1ヶ月も過ぎていて悪臭を放っていたが 「なんとかなるだろう!」と清水の舞台から飛び降りる気持ちで 加熱調理せず生で食った。その後3日間ゲリに倒れた
877 :
もぐもぐ名無しさん :02/02/03 12:42
北海道の赤飯は、小豆のかわりに甘納豆を使うとご存知だろうか? 食紅いれて炊き上げたもち米に、砂糖をまぶしているれいの甘納豆をまぜるわけ。 知らない地方の人はゲーとか言うんだけど、おはぎっていう食べ物もあるだけに、 普通に美味しいんだよ。 我が家は赤飯が大好きで、特にこれといった理由もなく赤飯を炊いたりするんだよね。 あるとき、甘納豆でこれだけ美味しいんだから、同じ甘いレーズンでもいけるんじゃ ないか?と母が言い出した。 私が必死で止めるのもきかず、母は家族の反対をおしきってレーズン赤飯を作ってしまっ たのである! とりあえず、もられた最初の一杯は食べた。私の人生においても、ベスト5とはいわない が、ベスト10には入る悲しい思い出となった。 ちなみに、家族みんなのブーイングを受けながら、母はそれをおにぎりにしてパート先へ 持っていった。 よもやイジメにあわねえかと心配したものだが、大丈夫だったらしい。合掌。
878 :
もぐもぐ名無しさん :02/02/03 13:11
>877 俺のバーちゃんの作るメニューに「甘納豆おこわ」があったよ。 北陸の人でした。 同じ北陸でも能登半島の西側(福井)から嫁に来た俺の母親にとって、 そいつは当初ゲテメニューだったらしい。 ついでに言うと、ばーちゃんが作ってくれる素麺も不可思議なメニュー だったらしい。つけ汁に刻んだ椎茸やら何やらがたっぷり入っていたんだが。 で、ばーさん死んで13回忌も終わってるんだが、これらメニューに関して おふくろの対応はどうなっかたっつーと: 甘納豆おこわ:もりもり食う俺とオヤジに向かって「好き?」と聞きながらも作る。 素麺いろいろ入:毎回玉砕。味が違うんだなこれが。自覚もあるらしい。 まあ、いっか。
879 :
もぐもぐ名無しさん :02/02/03 13:54
>>877 北海道でも小豆使うところはあるよ。
小豆の赤飯大好き。
でも食紅入れてきれいな色にしていた我が家の赤飯と違って
ある家では小豆の色だけだったのでそこでご馳走になったとき
食欲がなくなってとても困った。
おはぎも北海道限定のものじゃないよ。
ぼた餅は全国的にあるものだし。
880 :
もぐもぐ名無しさん :02/02/03 14:26
>>879 おはぎが北海道限定だなんて言ってませんが……
881 :
もぐもぐ名無しさん :02/02/05 05:01
age
882 :
もぐもぐ名無しさん :02/02/05 21:58
幼稚園児の頃風邪をひいて高熱で何も食べれずそのまま寝させられたことがある。 夜中に母親が様子を見に来てくれたんだけど、その時には熱が下がってて、 無茶苦茶腹減ってたんだよね。 で、「お腹すいた」って母親に言ったら、スパゲティーナポリタン(具なし)を作ってくれたんだよ。 それがすげぇ旨かったんだけど、あとになってから 「あの時のスパゲティ凄く旨かった」って言ったら、 「あれはレトルトのヤツだ。麺炒めて粉かけるだけの」と言われてちょっとショックだった。 つーか、風邪で高熱で何も食えない状態だった子供に、そんなもん、しかも夜中に食わせるなってーの。 でもその思い出のせいか今でもママーのレトルトのナポリタン好きなんだけどね。
母は豪快な人。 弁当に納豆を入れたり、カレーを入れたり、 鰺の開き一枚丸ごと乗っけちゃったり、平気でやっちゃう人。 そんな母の弁当が恥ずかしくて、格好悪くて、いやでいやで、 私は母より早起きして、中・高校と自力で可愛らしい弁当を作っていました。 でも、どうしても寝坊してしまう日もあります。 そんな日は、慌てて起きた私を不敵な笑みをたたえた母が待っています。 「お弁当作っておいたよ。コラ、開けて見ちゃダメ! 昼まで楽しみにしておきな」 ・・・楽しみどころか、マジ恐怖でした。 でも、その後一人暮らしの貧乏苦学生時代を経て実家に戻った私は、 「喰えればなんでもありがたい!」OLへと見事に成長を遂げておりました。 「ようやくお弁当作らせてくれるね」と言いながら、 毎朝私のために嬉しそうに弁当を作ってくれる母を見て、 昔のクソ生意気だった自分をひたすら反省。 母は母なりに寂しい思いをしていたんだろうなぁ、と・・・。 それから結婚するまでの数年間、不細工でも何でも本当にありがたい母の味を堪能しました。 職場で爆笑されながらも、「うちの母、おもろいでしょー?」と開き直りつつ食べた、 でっかいタッパーに汁ごと大量に入ってた残り物のおでん(おかず、それだけ)。 忘れられません。
884 :
ネタじゃ無いです :02/02/07 04:28
食事と言うより、外食に行った時の話です 3年前、私の新しい仕事が安定してきて、そこそこ収入も増えてきたころ 妹が「たまには食事に連れていってよ」と言うので 妹孝行しようと思い、以前から気になってたブラジル料理風な店に連れて行ってあげた 店内は舞台が有り、わりと広かったが平日&金額が少し高いという事もあってか 私達を含め客は全部で5組くらいしか居なかった 舞台ではサンバの演奏と、腰をすごく振ったダンスが披露されていて 目の前で串(棒?)に刺さった長さ1mくらいの大きな肉を切ってくれて、演出も味も最高だった そこへ、それぞれのテーブルにウエイトレスがやって来て用紙を渡してる 勿論、私達のテーブルにも配ってきた。内容は・・ 【本日のご来店まことに有難う御座います。お客様の中で今日がバースディーの方が いらっしゃれば、当店よりステキなプレゼントをお渡し致します。】 この文を読んで、妹の目が輝いた。 妹「お姉ちゃん!何くれるのかな?ケーキかな?私、今日が誕生日と言う事にするからね!」 私「ちょっと待って、ひょっとしたら免許書等を提示して証拠見せろとか言うかも知れないよ」 妹「あっ、そうか…。いや、それなら免許書も何も持って来てないって事にすれば良いんじゃ・・」 私「ナ〜ル、それなら店も文句言えないもんね、ウソついてる証拠無いんだから(笑)」 その時の私と妹の顔は、きっと悪代官の様な顔をしていただろう・・。 で、少し経ってからウエイトレスが誕生日かどうか聞きに来たので 妹は元気よく「ハイ!今日が私の誕生日です。」と答えた ウエイトレスは「では、お客様コチラへどうぞ」とニッコリ、妹を舞台のソデに連れて行った 他の客も見ていると、各テーブルからそれぞれ1人づつ誕生日と名乗りを挙げていた ある親子連れのテーブルなんて2人も今日が誕生日だったみたいで(有り得ないだろ) 舞台のソデに連れていかれていた。 「プレゼント渡すのに何で舞台のソデなんだろう・・」 私は嫌な予感がした。まさかその予感が現実の物になろうとは・・ サンバの演奏が鳴り止み、急に店内は暗くなり、舞台にスプットライトが当たる 演奏者、踊り子さん、ウエイトレスがいきなり「ハッピバースディトゥユ〜」と歌い出した そこへ、妹を含め今日が誕生日と名乗りを挙げた人々が恥ずかしげにうつむき加減で登場した。 「本日の誕生日の方々です。皆さん拍手をお願いします」と 店内にマイクが響き渡った。全ての客が「やられた!」と言う顔をしながら 笑いながら拍手している、舞台に立ってる今日が誕生日であろう人々は ますます下を向いている…。ハッピバースディ〜の演奏が鳴り止むまで 舞台の真中に立たされ、まさにサラシ首状態だった 無論、私はズ〜ット爆笑していた。演奏が終り 「プレゼントとは皆さんの暖かい拍手です!」とマイクが鳴り響いた 妹はテーブルに帰って来てから「こんな店2度と来るか!」と半泣き状態で怒りを露にしていた。
うそつき野郎はどんどん晒せや! ・・・し、失礼。(w
886 :
もぐもぐ名無しさん :02/02/10 17:57
age
887 :
もぐもぐ名無しさん :02/02/11 04:24
感動したage
888 :
もぐもぐ名無しさん :02/02/11 08:26
半島から来た祖母。嫌も応もなく帰化「させられた」そんな時代。 最初から日本人として育った 私の母親の味覚は もちろん日本の現代っ子のそれに近かった。 ハンバーグスパゲティカレーシチュー。 その子供である私も当然のごとく日本人として育ち 普通の現代っ子の食味で育った。 ハンバーグスパゲティカレーシチュー。 たまの両親不在の折 祖母の作ってくれた味はあまりにエキゾチックで 「日本人」である私にはなかなか馴染めるものではなかった。 帰化して数十年を経ても 言語的にちょっとコミュニケーションの とりにくい祖母にいらついたのか つい言ってしまったこころない言葉。 「おばあちゃんの料理 おいしくない」 祖母は眉尻を下げ「ゴーメンねェー」と ちょっと違ったイントネーションで私に謝った。 私は憤慨したまま食事を残した。当然のように。 そんな 誰にも言ったことのない血筋の秘密。自分でさえ忘れたまま いつしか祖母は鬼籍に入り 私は大人になり 社会に出ていた。 いつもの飲み会。誰かが「いつもとは違う本格焼肉」とうたって 本場韓国料理屋を予約した。聞いたこともないメニューの数々を どんな料理かも知らぬまま面白がっていろいろ注文する自分がいた。 驚いた。 祖母の味だった。 「おい なに? どうしたのよ?」 気づかってくれる同僚にさえ話しようもない 「味」の そして「祖母」の記憶。 「別になんでもないよー」と笑いながら 涙を流し続ける私。 ぼろぼろと。しまいにはわんわんと。人目憚らず。 こんなに離れてたのにやっぱり「血」なのかな。 やっぱり私はお祖母ちゃんの孫だったみたい。 今一番食べたいモノは やっぱお祖母ちゃんの「祖国の味」なんだよ。 ハンバーグスパゲティカレーシチュー なんかよりさ。
잘 된네. 할모님도 깊으실거에요.
>>888 またおばあちゃんに会えて良かったね。
味覚の記憶の中に、おばあちゃんは生きているんだね。
891 :
もぐもぐ名無しさん :02/02/13 03:36
>>888 (;´Д`)
↓
( ゚Д゚)
↓
(#゚Д゚)
893 :
もぐもぐ名無しさん :02/02/15 15:39
妻が出産の際に入院した晩に出た病院のご飯。 エビフライが付いてたんだけど、妻は陣痛のため食べられない。 そんで俺が食べた。 美味かった。 妻はにっこり微笑んでいた。 美味しい良かったねと。 その数時間後・・・(涙)
897 :
もぐもぐ名無しさん :02/02/16 05:04
幼稚園のころ、 隣の離れに住んでいたひいおばあちゃんは、 チョコとクリームソーダが好きな明治人だった。 酒屋さんに一月に一ケースの三矢サイダーを配達してもらっていて、 それと業務用の大きなパックのアイスクリームと組み合わせたクリームソーダは、 子供ながらに「王様の飲み物」だと思った。遊びに行くたびに飲ませてもらった。 ひいおばあちゃんの部屋に遊びに行くと、 いつもアルファベットチョコ(知ってる?)を一掴み、 病院で処方されるシップ薬の空き袋に入れてくれた。 チョコはシップ臭かったけども。 ひいおばあちゃんとは夕食を一緒に食べていた。 電話で呼ぶと、隣の家の離れから5分ほどかけて、 フウフウいいながら歩いてやってきた。 僕の母親がつくるご飯を、 「こんなおいしいものは初めて食べた」と毎回毎回感激して食べてくれる 「作り甲斐のある人」だった。幸せそうに食べる人だった。 好物は鯛のにゅうめん。鯛麺っていうやつ。 母親がひいおばあちゃんの誕生日になると作ってあげてて、 それでも毎回「こんなおいしい鯛麺は初めて」といってうれしそうに食べてた。 僕は子供だったから、正直あんまり鯛麺は好きではなかった。 でも、幸せそうに食べるひいおばあちゃんのおかげで、そんなに食事は苦痛ではなかった。 むしろ、楽しみだったかも。 ひいおばあちゃんは90で亡くなる寸前にボケた。 自分の孫である父の事が分からなくなってしまった。 でも、ご飯を作っていたせいか、母のことは覚えてた。 「あんたはウチの嫁や」って、いつも感謝していた。 ときどき母にお小遣いもあげていた。 (そのお小遣いが今、僕の学費になっているのはまた別の話)。 今でも、三矢サイダー(とアイスクリーム)・アルファベットチョコ(とシップ薬の袋)・鯛麺を観るとひいおばあちゃんを思い出す。
898 :
ことなかれ主義。 :02/02/17 19:53
小学校低学年の頃、正月に同じアパートの住人達と餅つきを した記憶は今も鮮明に残っている。 凄く楽しい一日だった。俺の目の前を1匹の大きな蝿が通って、 笑顔で餅つきを続けるオヤジの杵に突進するまでは。 愕然とそれを見つめる幼い俺。周りの大人達は誰一人気付いて いない。餅のうねりに巻きこまれ、一瞬で姿を消す蝿。 こねているおばちゃんは笑顔を絶やしていない。近所のガキも、 弟達もやたらはしゃぎ回っている。笑い声が、何故か遠く感じた。 見ていたのは自分だけだった様だ。そんな中、何だか餅が灰色 がかった様に感じたのは俺の気のせいだったろう。 その後、皆美味しそうにそれを食べているのを黙って見ていた。 「どうして○○は食べないの?」 「…何だか、お腹痛くなってきた」 皆の笑顔を壊したくなかったから言えませんでした。
>>898 何か分かるけど…、自分だったら食べるかな。
消防にもなっていない頃、
(ゴメン、間違って「書き込む」を押しちゃった。スマソ。) いつも大好きなお菓子を菓子盆に取っておいてくれて たまにハエがとまってしまったりすると 割烹着の前のところでゴシゴシ拭いてくれて出してくれた おばあちゃんのこと思い出した。 関係ないので。sage
901 :
もぐもぐ名無しさん :02/02/18 13:37
この頃になると思い出す食事。 小学生の頃に転居して、以前在籍していた音楽教室に片道一時間半かかって通っていた時のこと。 当時私は母につきそわれて教室に通っていました。 転居する前はレッスンが終わると私は母に小言を言われてふて腐れながら家路についていたのですが、 越境通学するようになってから、母はレッスンが終わってから駅で電車が来る迄のわずかな時間に 「レッスン頑張ったね、これ食べなさい」と教室の近くにあるベーカリーで焼きたてのミニあんぱんと フルーツサワーを買ってくれていて、子供心に涙が出そうになりながらあんパン食べました。 その課程を修了する迄半年程この生活は続きましたが、あの頃を思い出しては少しじぃんとします。 あれから20年以上の歳月が流れました。 年をとるたびに周りの人達は「●● をたべた」とか「●●の店の××が美味しい」だのと ちょっとグルメ自慢みたくなっているのが少し淋しいような気がするのは私のヒガミだろうか??? 自分の中で「思い出に残る食事」を少しでも多く作っていきたいなと思いました。
リアル消防の頃の話。 当時、中学受験の予備校に通っていた。 塾へ行く前に、マクドナルドへ寄り、食事を買っていく。 75分勉強し終えて、休み時間になると、食事の時間。 ハンバーガーをほおばりながら無邪気に友達と喋っていた。 バリューセットなんてお得なものは、まだ作られていなかった時代。 ハンバーガーも210円ほどしていたと思う。 塾に週6日通い、その半分の夕食はマック。 (半分はおかんの弁当だったが、俺はマック好きだったのでおかんに懇願してた) 我ながらたくましい小学生だった。よく身体こわさなかったな。 今もマックのハンバーガーを見るたびに、充実した小学5、6年の頃を思い出す。 相変わらず、大好きなんだよ。 マックで「すいません、ハンバーガー五個ください」というのが、今の決まり文句だ。
903 :
もぐもぐ名無しさん :02/02/19 18:53
>>902 5個・・・5個・・・(´д`)おみそれしやした。
904 :
もぐもぐ名無しさん :02/02/22 13:53
ていき揚げ
905 :
もぐもぐ名無しさん :02/02/24 07:03
age
906 :
もぐもぐ名無しさん :02/02/24 11:52
子供の時の話。 おやつが欲しくて戸棚を探したらにミニサラミソーセージの大きな缶が置いてあった。 サラミ大好きだった私は兄弟達に内緒でコッソリ缶を開け「1コだけ…」と食べはじめた。 サラミが美味しくて、もう1コ、もう1コだけ…と思ってるうちいやしくガツガツ全部食べてしまった。 夕方頃になったらなんだか気持ちが悪くなってしまい、先に布団をしいて寝てしまった。 どれぐらい時間がたったのか、気付くともう部屋は真っ暗になっていて隣の部屋から家族の話声が聴こえる。 兄「○子、気持ち悪いって寝てるよ」 母「あらっ!ここにあったサラミ、全部食べちゃったのね!気持ち悪くもなるわよ」 その会話が耳に入り、私は『ヤバイ!ここで起きたら叱られるかも…』と思ってそのまま寝ることにした。 足音が私の寝ている部屋に近付き、フスマの開く音がした。寝たふりしている私はドキドキした。 『お母さんだ…起こされるかな、叱られちゃうかな…』それでもタヌキ寝入りしていた。電灯が灯される音はしない。 そうしたらスッと、おでこに、ちょっと冷たい、柔らかい気持ちいい感触が降りてきた。 お母さんの手だった。 そのまましばらく私のおでこに手をあててた後、お母さんは静かにフスマを閉めて隣の部屋に移っていった。 「熱はないみたい、大丈夫よ」 隣の部屋からお母さんの声が聞こえた。お母さんに触れられるのはなんだかすごく久しぶりだった。 布団にくるまりながら、『心配かけてゴメンナサイ、いやしくてゴメンナサイ』と何度もあやまった。
はじめまして。『思い出の食事』とは意味が違うし、私の直接の 話では無いのですが、食事に対しての思い出を書かせていただきます。 私が幼稚園だった頃、家族で安アパート住まいだったのですが、一件置いた 隣の部屋に、同じ幼稚園に通う女の子が住んでいました。私はその娘の弟の 方が人生最初の友達という事もあり、三人で仲良く遊ぶ事もよくありました。 そんなある日、その姉弟一家は急に引っ越してしまったのです。しかし幼い 私にはお別れの意味も然程は理解していないので、特に気にも留めませんでした。 それから時間は十年近く経て私は小学生になっている、ある日の事です。 居間で新聞を読んでいる母がテレビを見ていた私に話し掛けました。 母が私に三面記事を読み聞かせてくれました。内容は『家の中に放置され餓死した兄弟』 というものです。空腹のため土壁さえ口にしながら餓死した幼い兄弟の悲しい記事 でした。 「ふ〜ん、それなら窓でも割って外に抜け出せばいいのに、馬鹿だね?」と特に 感慨もない私に、母は昔話をし始めました。 「お前、昔、○○に住んでいたときのA子ちゃんと、B君の事、覚えているだろ?」 「懐かしい!、あの姉弟と遊んだあの頃は一番、楽しかったよ」 「実はね、今まで言わなかったんだけど…」 母から聞いた話は意外な話でした。その家族は複雑な家庭でいつも経済的に苦しく食事を 摂る事さえ出来ない日もあった事、引越しは夜逃げだった事、等です。 何かの用事で母がその部屋を訪ねると、その姉弟はひもじさから二人でポツンと膝を抱えて 壁に寄りかかって並んで座っていたそうです。 母は、そんな姉弟を見かねて、しばしばお菓子や、造り過ぎたといっては夕食のおかずを 差し入れしていたそうです。 いつも楽しく仲良く遊んだ思い出のあるあの姉弟が、そんなだったとは当然、私は 知る由もありません。驚くばかりです。
続き 「それでも、とうとうあの子達…あの家族は夜逃げみたく、出ていっちゃったんだよね…」 「そうだったんだ。でもそんな話、初めて聞いたよ。何でそのとき黙ってたのさ?」 子供扱いで事実を隠されていた様な気がして腹立たしくなり文句を言うと、母は言いました 「もしね、もし、私があの時、お前にこの話をしたら、あなたは秘密に出来た?」 「…?」 「お前の事だから、きっと幼稚園で皆に言いふらして、あの娘を泣かせたはずだよ だから…私は、決して言えなかったんだ、お前だけには」 涙を滲ませながら母は私にそう言います。 ショックを受けました。その時は反発をしましたが、母の言う通りかもしれません 私はきっと、得意気になって、皆に『あいつは乞食だ!乞食だ!』と言いふらして いたに違いなかったのです。私はそんな嫌な子供でした。 「私もね、戦争中の幼い頃、食べ物が無くて、いつもいつもひもじかったんだよ。 …毎日、お腹を空かせて、お弁当も無くて、皆に馬鹿にされて…だから、お前たち兄弟 にだけは、そんな様にならないように、食事だけは人並みに食べさせているんだよ」 確かに我が家は決して裕福ではない、どちらかと言うと貧乏でした。でも食事で困った 事は一度もありません。 「…お前には、解らないよな、あの気持ちは…解らないよな…解るわけが無いよな…」 母は、もう涙をポロポロこぼしながら独り言の様につぶやいています。 きっと母は、あの頃、その姉弟に自分の過去を重ねて見ていたのでしょう。 私は、別に何も罪を犯した訳では無いのですが、叱られている気分で母の告白を聞いて いるしかありませんでしたが、つい、貰い泣きしそうになったので、恥ずかしくなり 又、話を聞いているのが辛くなり居間を飛び出してしまいました。 …一件置いた隣の部屋の仲の良かったあの姉弟。私がいつも満腹だったとき、あの姉弟は いつも空腹だった。当時は想像もつかない話です。 今でも母は、昔話になると思い出したかのように 「あの姉弟達は、元気にしているのかねぇ?」とつぶやきます 私も、新聞記事でたまに載っている食事を与えられず餓死や保護された子供の記事を 見かける度に、あの姉弟を思い出し、複雑な気持ちになります。 そんな時は決まって彼らが、寄り添うように膝を抱えて座っているイメージが浮かびます その姿を私は実際、見たことは無いのですが、どうしても楽しかった笑顔の彼らより その姿が浮かんでしまうのです。 …あの姉弟と別れてから、もう30年近く経っていますが、一番幼い思い出なのに、顔や 名前を忘れられません。母の想いがそうさせているのでしょう。 36年間、生きていますが、いまだに私は飢えた経験はありません。
思い出すのは…鰈(カレイ)のあんかけかな 少額生の頃、俺の実家は小さな店をやっていた。 日曜日が休みなんだけど、オヤジは朝から釣りに出かけたらしい。 もともと、関東の人間で婿養子として北陸まで来て釣り好きのオヤジは 北陸の海が好きになったらしい。坊主の日もあったと思うが必ず魚を調達(?) してきた。 その日の食卓にあがったのは「鰈(カレイ)」。 オヤジは器用に調理して、大皿をいつもの白い長テーブルの真ん中に置いた。 「おおきいねぇ!」 「今日は本当におとんが釣ってんぞ」 「ほんとかいやぁ!?またどっかで買ってきたんじゃないがぁ?」 などと4人兄弟とおふくろと猫2匹犬1匹の一家団欒の食卓だったんだ。 おやじの趣味は釣りと少々の麻雀くらいで。♂♂♀♀の4人兄弟を連れて よくドライブにも行った。楽しかったなぁ(懐
=続き おれ(長男)も所帯を持って、一番下の妹にも子供が出来て皆それぞれ それなりに充実した日々を送っていた頃 なんかオヤジの様子がおかしい… 毎日々々金の心配ばかりしている。 家族会議が始まった。関東のオヤジの実家からも伯父さんが来た。 どうもおやじが多額の借金をしているらしい。2〜4千万円… 好きでやっていた麻雀で出来た友達に金を貸したというのだ。しかも手形で… 「それって手形のパクリじゃん!」 おやじはまんまと騙された。証拠もなく弁護士に相談して自己破産という形を取った。 財産すべて精算しなければならない。当然、俺らが住んでいた家も失って更地になった。 想い出なんかお構いなしに埃とともにブルは壊していった。 そのあとおやじとお袋は離婚。婿養子だったおやじは家を追い出されたんだ。 俺はというとオヤジの保証していた分(1000万くらい)代位弁済したり色々あって 自己破産した次の年離婚しちまった… この時オヤジを両親を憎んだ。どれだけ実の息子に迷惑掛ければすむんだ…て気持ちがあったから。 そのあと仕事も変わって全く知らない土地に一人でいる。 60回ったオヤジはいま手取り13万位の警備会社に勤めているらしい。 年に数回ある電話でそういってた。30中程の俺でも一人って無性に寂しくなるときがある。 最近になって、家族を失ったおやじはどうだろうかと思うときがある。 年々許せるようになってきた。たぶんいま自分自身おやじと同じ境遇だからかもしれない。 でもでも…もし戻れるなら、願いが叶うなら… 叱られても殴られてもいい。(俺は顔の形変わるくらい殴られた) 20年前に戻ってあの白いテーブルを囲んで鰈のあんかけ食べたい。 馬鹿を言いながら家族で笑って食事がしたい… バラバラになったおやじとお袋兄妹4人集まって昔のように馬鹿騒ぎしたい… 今まで誰にも言ってないことです。言ったら負けだと思っていたから。 でも誰かに聞いて欲しかった スレ違いな上長文スマソ。sageます
おやじと酒でも飲んでこいよ・・何も言わなくてもいいからさ さっさと行って来い!
>911さん さっそくのレス有り難う御座います。 本音は今まで両親はもちろん友達同僚恋人なんかには 言ったことありませんでした。 だから911さんのような事を、誰も言うはずもありませんよね。 いつもはラウンジとかでアホやってますが、本音を言ったのはこの板が初めてです。 もしかしたら911さんの言葉のように誰かに背中を押してもらいたかった のかもしれません。 今度の休みでも行ってこようと思います。 #家って簡単に壊れるんですね。
>>910 ここで話すことで、少しでも楽になるんだったら
オレはいくらでも付き合うぞ。
>>912 親父さんが元気なウチにいっておいで!!
俺の親父なんか、大好きだった酒をばったりやめちゃった。
糖尿で失明しかけてるんだ。
今、必死で病院通って、食生活も改善して、治そうとしてる。
この前、俺が病院に付き添った。
目を治療するため、病院帰りは目が見えなくなるんだって。
タクシーを降りて、俺の腕をつかんで、家まで歩くんだよ。
親父がありがとう、ありがとう、って言うんだ。
小さい頃はキャッチボールしてもらって遊んでたのに、
いまは、すっかり弱ってきてる。それが、悲しい。
俺も、心の病気のため、家事の負担を減らすことが大事だというので、
実家に行って、毎日親父とお袋とメシを食うことにしたよ。
一人暮らしして6年経つけど、久々で、照れくさいぜ。
生きてるウチに、元気なウチに、会っておいでよ。
915 :
もぐもぐ名無しさん :02/03/02 14:58
agero
916 :
もぐもぐ名無しさん :02/03/05 02:15
祖母の葬式で久しぶりに故郷に帰った。 葬儀も終わり明日川崎に帰ると言う晩、台所には、 コック帽をかぶった父の姿と、テーブルいっぱいに サーターアンダギィーが・・・。 正直あまりサーターアンダギィーは好きではない。 でも、父の気持ちが嬉しくて、もてるだけ手提げ袋に詰めて、 川崎に持ち帰った。まだ、手元に残っているが、それを見るたびに親の気持ちが、 嬉しくて、食べるのを躊躇してしまう。 親にとっては、こどもは、いつまでもこどもなんだね・・・。
917 :
もぐもぐ名無しさん :02/03/06 16:43
すまん!どうしても気になる。 サーターアンダギーって何ですか?
918 :
もぐもぐ名無しさん :02/03/06 18:35
919 :
もぐもぐ名無しさん :02/03/06 19:34
>>910 あって来なよ!私は中2のときにパパが死んじゃって(しかも別居中)
だから、死に目にも会えなかった・・・・。今でもパパのことは大好きだけど
生きてるころはちょうど反抗期で、そんなこといえなかった。
今すごく後悔してる。何も言わなくても一緒にいるだけでいいと思うよ。
そんなパパとの思い出の料理はふぐかな。ほんと好きだったんだよね。
近くの安いお店によくいったなぁ。
920 :
通りがかりの名無し :02/03/07 14:54
いいスレだ・・・
921 :
もぐもぐ名無しさん :02/03/07 17:26
age
久々に感動。
923 :
もぐもぐ名無しさん :02/03/08 00:39
age
age
925 :
もぐもぐ名無しさん :02/03/17 16:09
ええ話や、泣ける話や
927 :
もぐもぐ名無しさん :02/04/05 09:29
思い出の料理はふぐ料理
お腹空いた
929 :
もぐもぐ名無しさん :02/04/14 09:53
ここまだあったんだね。 なんか嬉しい。
930 :
( ´∀`)σ)Д`) :02/04/14 16:02
思い出料理はね・・ ワンダーフォーゲルで山に登ったときにつくった シチュー。 具は白菜とシーチキンは憶えているけど 他に何が入っていたか忘れた。どんなに高い金を出しても 味わえないものだ。
いや。dat落ちさせない、、、、
( ´,_ゝ`)プッ