これ忘れてたw↓
>>805 >くじらさんはにんげんのつぎにあたまがいいかしこいどうぶつなんだ。だからくじらをたべてはいけないよ
ちてき、しょう、がい児である、キミ、より、も、アタマ、が、いい、クジラさんや、イルカさん、を、しょくよう、に、とったり、ころしたり、してもいいりゆう、は、かんたん、だよぅ?した
http://blogs.yahoo.co.jp/toripan1111/18271477.html ・「知能が高いクジラさんイルカさんでも気にせずに食って良い理由」
・「でも、いくらアタマが悪い人間でも、人間を食っては(殺しては)いけない理由」
〜だから、先に書いたように「人間を食っては駄目で、人間に近いほど頭がいいかもしれないイルカや鯨を食っていい理由」は「人間には食われた仲間の仇を討つ為の復讐ができるが、イルカや鯨には不可能だから」という事です。
仮にイルカよりも知能の低い、重度の知的障害を持つ人間が殺されたとしましょう。
法律云々はテーマと違うので、一先ずその殺人を裁く仕組みが世の中に無い、と仮定します。
貴方が障害者の家族なら仲間を殺されたイルカのように健気にイルカショーで飛び跳ねますか?
裁いてくれる法が無いんだから、何とかして犯人を探し出し、或いは犯人を知っていれば復讐しませんか?
たとえイルカより知能の低い重度知的障害者でも、同じ人間であるその障害者の家族は犯人に対し復讐が可能です。
人間の重度障害者より頭が良いであろうクジラさんイルカさんには、人間に対しそれ(復讐)が出来ないから、人間は安心して彼等を食用に殺す事が出来ます。
「この喩えは法が無い、という有り得ない設定だから駄目だ」と言うなかれ。
この『復讐』を個人に代わって所属集団が代行で果たしてくれるようになり、出来る限り安全に、お互いを助け合いながら安心して暮らせるようになったのが原始社会「ムラ」・「クニ」、後の「法治国家」の成り立ちです。
そして「自分が殺したら、自分も(その殺した相手の家族・仲間・帰属集団の復讐代行者に)殺されるよ?だから殺しちゃ駄目だよ?」というのが殺人禁忌の「社会契約説」です。