1 :
もぐもぐ名無しさん:
ということでセルフ2ゲトズザー!
あとはよろしく。料理・菓子・食材・酒など、いろいろ語っていきましょう。
やったぜ!
4 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/19(土) 12:22:27
5 :
1:2007/05/19(土) 12:27:11
いつから食べているかわからないもの
つ わかめ
7 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/19(土) 17:59:58
8 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/20(日) 13:22:25
保守
赤坂虎屋の「和菓子百珍展その2」へいってきました。
展示そのものは物足りない部分がありましたが、
無料配布している小冊子が読み応えあります。
同時に入手した、虎屋発行「和菓子」14号の特集記事
「鎖国時代の異国人への饗応菓子」もいいですね。
菓子中心にまとめてありますが、資料には菓子だけでなく
料理も掲載されています。
10 :
もぐもぐ名無しさん:2007/05/27(日) 23:29:29
保守ってみますか。
精進料理美味しい
12 :
もぐもぐ名無しさん:2007/06/01(金) 21:43:55
知るを楽しむ ですか。渋いところですね
14 :
もぐもぐ名無しさん:2007/06/09(土) 01:11:38
期待上げ
15 :
もぐもぐ名無しさん:2007/06/09(土) 01:54:45
縄文式土器を使ってどんな料理をしていたんでしょうか
雑穀のほかにどんなものを食べていたんでしょうか
味噌、醤油などはいつ頃から有ったんでしょうか
知らないことばかりです
私の説 最初は海草と貝類を主食にしていた どうでしょうか
主食にはなりにくそうだし、山のほうに住んでる人は手に入りにくそう。
どんぐりとか草食べてたよ。
栗とか草の実を、地面に突き刺した縄文式土器で
煮て食ってたらしいね。
海岸ふちなら、貝採ったり。
はまぐりは「浜の栗」だそうで、山の栗の方が先にあったらしい。
「山の芋」に「里の芋」みたいなものか
縄文期に里があったかどうかは知らないけど
20 :
もぐもぐ名無しさん:2007/06/26(火) 16:54:09
縄文式土器って何回か使うと割れそうなんですけど...
割れてもすぐ作れるからいいんじゃない?
土器は生産される地域が限られているとかなんとか
どこの粘土でも作れて地産地消されていたと教科書には書いてあるが
実は限られた地域で集中的に作っていて物々交換で普及させていたらしい
23 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/02(月) 21:21:34
魚介類の場合はそのまま塩が効くけど
山間部にもすでに塩とか有ったのかな?
かつては動物の内臓を食べたり塩を吹く植物からカリウム塩を取っていたのではないかと言われていたが
土器を調べたところ塩化ナトリウムが検出された。つまり海から交易で塩を手に入れていた。
土器を洗っていたので分からなかっただけだった。
結構早い段階から「商品交流」があったというのが最近の学説の主流みたいだね。
まあ保存技術の関係で今のような商品流通は無理だろうけど、製塩ができたら
そりゃ塩と交換で内陸の作物との交換はあり得ただろうね。
26 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/02(月) 22:08:33
>>土器を洗っていたので分からなかっただけだった
これって
考古学者があらってたてこと?
>>26 当時の住民が洗って保存してたので、塩化ナトリウムが残りにくかったということでしょw
で、たまたま洗わずに廃棄されたとか天変地異で洗う間もなく埋没したような土器から
塩化ナトリウムが検出されて、海塩の交易が実証されたということだっしょ。
>>27 そんな上等な話じゃないと読んだ本には書いてあった。
土器は泥まみれで発掘されるけど、それでは汚れがこびりついていて模様とか分からないので、
調べる際に泥を洗い流してしまっていたのだそうな。
似たような話は、泥から発掘した古い漆器をうっかりと乾燥させてしまい、
あっという間に劣化し炭化してしまったということもあるそうです。
>>28 ありゃ、そうなの?ケケケw
まあ確かに昔は泥落としのために水洗いしたりしてたし、仕方がないのかね。
で、最近は食文化や交易ルートの解明という学術分野が確立したので、
無駄に洗わず「当時の環境をできるだけ保存する」ような方向性になった、
というような流れなのかな>考古学界
あ〜、なんか「どんぐりパン」を喰ってみたくなってきた。てか本当に作ってたの?
31 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/02(月) 22:17:18
残飯の遺跡調べれば
海のものかわかりそうなもんだけど
(ミネラルや微量元素から 海からとれた
てわかるでしょ)
てか 昔の考古学者て・・・・・・
捏造が横行するわけだなw
>>31 残飯の遺跡なんて、そんなもん残るのか?有機物は基本的には分解して
化石化しないだろうし、ごく一部に残ってた米粒なんかも異例中の異例でしょ。
33 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/03(火) 23:22:08
縄文時代の製塩技術がそんなに高いとは思えないけど
流通してたなら、山間部間の取引に
ある意味通貨として通用してたんじゃないかな?
無理かな?
>>33 さすがに完全乾燥させる技術はなく、湿り気があって混じりモノも多かったようだから
大量流通は難しかっただろうね。てか当時は内陸部だと岩塩とか無かったのかな?
35 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/03(火) 23:28:26
頑張れ通行人wwwwww
泣くな!w泣くんじゃない!ww
そうだ、お前はぬこ神なんかじゃないwww
叩かれまくっているぬこ神をお人好しで助けに入った只の通りすがりだぁ〜wwwwwwwwwwwwwww
昔読んだ本に
お土産にもらった魚の干物のあまりものしょっぱさに
これは魚というより塩の保存のためにつくられたのでは?
というのがあったな。
魚とか貝とか海藻をそのように保存して交易したのかも。
鍋で煮ちゃえばそのまま具にもなるし。
それはすごい
ってことは梅干も・・・塩のかたまり扱いで?!
つーか、梅煮って、梅干しを塩替わりに使う料理いっぱいあるジャン。
鰯煮るのなんか代表的だろ。
江戸時代、いくら捕れたって刺身に出来るのは漁師くらい。
煮魚にする程度の鮮度での流通も、せいぜい、
今は東京湾岸として埋め立てられちってるあたり。
臭い消しにもなるってことで重宝されてたとさ。
39 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/04(水) 12:59:15
>>38 江戸時代、普通の魚屋が扱うのは干物みたいな加工品がほとんどっていうね。
40 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/04(水) 18:49:39
でも江戸時代以前は今では想像もつかないほど多くの魚が沿岸に寄ってたとはいうけどね
サワラやサバなんていまのディズニーシーのあたりで大量に捕れたというし
41 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/04(水) 18:56:13
>>40 ただし、それを物流に乗せるための保存技術や運搬技術がないので
魚屋の棚に並ぶのは、日持ちが良く運びやすくて供給量が比較的安定する
干物系になってたんだろうな。鮮魚はそれこそ浜で釣った魚を桶に入れて、
その足で市中をかけずる「魚売り」の役目だったんだろうね。
42 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/04(水) 20:30:48
>>31 残飯の遺跡なんて、そんなもん残るのか?有機物は基本的には分解して
化石化しないだろうし、ごく一部に残ってた米粒なんかも異例中の異例でしょ
動物の骨とかのこるでしょ?
その付近の土壌と骨の分析をすればわかるとおもうよ
動物にもNaとかがふくまれてるいけど
精製してない食塩には(いわゆるミネラル)微量元素
があるから 比較分析すればわかるとおもう・・・・。
43 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/04(水) 20:43:38
44 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/04(水) 20:55:30
>>42 水溶性だからなあ・・・・・・・
骨に
(塩分が)しみついてたら いけるかもね
45 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/07(土) 03:23:08
>>41 漁師の奥さんが徒歩で鮮魚を売り歩くことができた範囲は、だいたい4里四方。
まあ、12km圏内ですか。
だからそれ以上、漁村から離れていると、乾物・塩蔵の魚介類しか口にできないというわけ。
46 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/07(土) 15:09:15
>>45 でも江戸って運河とか内陸水運が発達してたよね
ちょっと大きな河川なら帆走で逆行することも出来ただろうし
それに魚って意外と持つものだよ、麻袋で包んで時々水かけてやれば真夏でも1日くらい持つ
今よりやや寒かった時代でもあるし
47 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/07(土) 15:19:46
川魚も食えるよ。
48 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/07(土) 15:55:30
サメは肉の中にアンモニアがふくまれてるから
わりと保存が利き
山地では貴重な”お魚”・・・てきいたぉ
多少痛んでも わからんなあw
運搬以前の話で、昔の漁労技術・道具・漁船では漁獲量が多くはなかった。
江戸時代に魚網の素材に大革命が起こって漁獲量・魚種が飛躍的に増加したらしい。
>42
>動物の骨とかのこるでしょ?
貝塚みたいに、大量にカルシウム源があるようなところでないと、
骨もなかなか残らないらしいよ。
51 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/08(日) 05:15:07
<<46
<時々水かけてやれば真夏でも1日くらい保つ
ハモが有名ですね。夏場、京都まで生きて運べるのはハモだけだったとか。
でも「鯖の生き腐れ」のように、足が速い魚種もある。
マグロも三浦や房総産でも、江戸ではズケで食べるしかなかった。
刺身で食べられるようになったのは、製氷技術が導入された明治中期以降。
>>48 サメが山地では貴重な”お魚
中国山地では、ワニといって、アンモニア臭の刺身がご馳走だった。
現在でも、当地ではスーパーでワニの刺身が普通に売っている。
52 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/08(日) 12:02:18
>>51 >江戸ではズケで食べるしかなかった
ヅケにしたのは、単に好みの部分の方が大きいんじゃないのかな?
油っこい味が敬遠されてた時代だし。
初鰹は食べても、戻り鰹は「ねこまたぎ」だしさ。
油が多いのは腐りやすいんだよ
江戸前寿司は、小鰭の酢じめとか海老のおぼろとか
保存のためにひと仕事してあるんだが…
まぁ、ツナ状態ではなく漬けにするのは確かに好みかも
ひと仕事以前の段階ですでに(ry
56 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/09(月) 09:51:44
>>54 コハダと言えば、春から夏にかけては江戸前のコハダは入荷しないため、
前の年の冬くらいに、酢と塩をして甕に入れて縁の下に寝かせたんだってさ。
「地息を吸わせる」んだそうな。
これを今食べても、美味いかどうかは。
>>56 それって小鰭のフナ寿司バージョン・・・
または江戸版シュールストレミングス・・・
58 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/10(火) 02:07:44
冷蔵庫が在るか無いかで、食生活は全く異なる。
伝統的な食文化の智恵とは、ほとんどが腐敗との格闘の結果。
腐らせないようにするには、干物・塩漬け・発酵・薫製しかない。
保存方法に酢漬けと砂糖漬けもいれて欲しいな。
伝統的な食事は体に合っているから健康になると言っている人が、
舌が曲がりそうなほどしょっぱい漬物を食べたりはしないな。
伝統的な食事のイメージ(江戸)
大量の白米+漬け物+味噌汁→脚気
62 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/14(土) 02:40:49
「なつやせに〜」で有名な鰻。
奈良時代にはどんな食べ方だったのかな?
丸焼き?
紫式部の鰯の食べ方も気になる。
文字通り蒲(がま)の穂焼きとして、筒切りにして焼いてたんだと思う。
>>62 室町以前かあー。どうだったんだろう
>>61 脚気から逆想してる。当時の相場変動無視か
66 :
 ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ :2007/07/14(土) 10:32:56
|/-O-O-ヽ| ブツブツ・・・
| . : )'e'( : . |
` ‐-=-‐
/ \
||\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
||\\. \ ∧_∧
||. .\\ \ ( ;´Д`) (オイ、なんか変なのがいるぞ)
. \\ \ / ヽ.
. \\ / .| | |
. \∧_∧ (⌒\|__./ ./
( ´,_・・`)目合わせるなって ∧_∧
. _/ ヽ \ ( ) うわー、こっち見てるよ
AAはやめてくれる?
鰻とか初めて食った人間は日本人では?
河豚も刺身で食える食文化を鍛えた
日本人だから
いや別に、鰻って日本だけに居るワケじゃないから。
スペインだって、イギリスだって食ってるし。
イギリスじゃ鰻の食い方が上手くなくて下魚扱いだと聞くが。
ぶつ切りにして焼いたりパイに入れたり、美味い魚と思われていないとも。
日本の蒲焼を食べた欧米人はその美味さに驚くという。
>>70 室町まで悲惨な食だったわけではなくて、
それまではいろんな物を沢山の調味料や
調理法で食べていたのが、
平安のころにちょうど仏教が盛んになって
食をどうこうするのかっこわるwみたいなことに
なって、ほとんど乾物wマジwみたいに
なってしまったのさ。
>>72 その方向性と良家のプライドが合わさって、贅沢な材料を使うけど調理はシンプル、量多めという
最悪なパターンに走ってた時期みたいだねん。宗教が絡むと、なかなか大変やね。
都会では昔の食べ物になりつつあるような
ぬかづけ
75 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/16(月) 00:57:32
>>72 番組、見ませんでしたか?
室町以前には、今の日本料理の基本であるダシ(昆布だし)や醤油や砂糖などの
調味料がなかったんだよ。
あったのは、塩と酢、ひしお(味噌醤油の原型)ぐらい。
76 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/16(月) 10:47:18
平安時代にはすでに様々な魚加工品からの煎出汁があって醤油の代わりに使われてたんだが
これはカツオやイワシなどを干した物から出汁をとり煮詰めて強めの塩で保存が利くようにしたもの
まあ相当高価なものだったみたいだけどね
>>76 そういったものがあっても、当時の上流階級は仏教の影響で「快楽(=味)の追求」を
精神的堕落と考えたので食の面では貧相と言うか、地味なものだったってことだしょ。
庶民は日本らしい「おおらかさ」で仏法などテキトーに受け流し、いかに毎日の「飯」を
うまく喰うかを考えていた、ということなんじゃないの?
78 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/16(月) 12:02:54
平安時代でも、茸の乾物なんかはあったと思うなぁ。
ほっとけば、干からびるし、
もったいないから食べてみたら、うめーヽ(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)ノって感じの精進出汁なんかありそうじゃね?
鰹や昆布出汁がなくたって、炊き合わせみたいな感じで野菜の出汁を楽しむとかさ。
まあ、仏教では食は楽しまないけど、そこは貴族だしさ。
>>78 当時は仏教の影響が微妙に歪曲された形で上流階級に取り込まれてたみたいよ。
真剣に仏法に帰依していたのではなく「俺たちってこんなにハイソなんだぜぇ〜♪」
てな感じで「上流階級の証」みたいなノリで、目に付くところだけを強調して取り入れ、
それで食事が「地味に見える・地味な味付け」で作られるようになったらしいよん。
つ芋粥
今昔物語、芥川、
81 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/16(月) 21:18:19
>>77 魚の煎出汁は給料として出てたし種類によって与えられる階級が決まってたりで
例えば鰹煎出汁なんかは五位以上 少納言から貰えるものだったりで
今の感覚からは地味なのかもしれないけど上流階級がより高級な物、
イワシよりもカツオのほうが上で美味いみたいな感覚は普通にあったよ
ただ貴族が庶民に比べて地味だったのは確かだけど宗教的精神的な問題だけでなく物理的な問題
彼らの食事があくまで税として集められるもの
つまり充分にまとまった量がありある程度保存が効く状態になった物に限られ
それを階級に応じて分配するわけで多彩な食材を集めようとしても管理しきれないわけよ
貴族ってのは当時発展しだした市場経済や民間物流とは隔離されたポジションだったわけで単に遅れた存在だったともいえる
芋粥なんかもその典型を表したお話しでしょ
82 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/18(水) 12:23:39
>>81 集めた税を売り払って(物々交換?)食材をゲットとかはなかったの?
どうなんだろ?
当時の常識は貴族と庶民で違う訳で何が美味い物かは
今の常識では定義出来ないのでは無いかな?
これは想像だけど
山間部の村落なんかは、秋は米の代わりに松茸大増量とか
追記
何が美味いか贅沢かかな?
粥の具です
>>82 ソースが思い出せないんだが、あったようだよ。支給量が必要量を上回ったものを
市に持って行って売ってたらしい。
当時の京自体が閉鎖空間で自給生産できなかったらしいから
租税収入といっても一元管理の配給制度なんじゃね
貢ぎ物が貴重だったと思う
87 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/23(月) 08:15:11
>>81 >ある程度保存が効く状態になった物に限られ
この点は重要だと思う。
都の貴族が、全国から食料を調達できるといっても、冷蔵輸送できないのだから、
生鮮食料品はすべてアウト。
乾物・塩蔵・発酵食品などに限られる。
昔、乾物屋という食料品店があったが、あそこに並んでいた商品が、
貴族が貢ぎ物として食べていたものでしょう。
当時の平民なんて牛馬と変わらないモノを食って生き延びていた
89 :
もぐもぐ名無しさん:2007/07/23(月) 19:45:13
90 :
もぐもぐ名無しさん:2007/08/06(月) 23:18:09
あ〜、水菓子喰いたい・・・
>>90 お前さんの言う水菓子は、「果物」のことかい?
それとも「水羊羹」・「水饅頭」・「ゼリー」のような
水分の多い菓子の事かね?
この時期だと桃とか西瓜とかが美味しいな。
>>91 このスレで水菓子と言えば果物、それも和物でしょうよw
やっぱり盛夏は西瓜が食べたくなるけど、夜更けだと
桃の淫靡な甘さが恋しくなったりするな・・・。
桃や西瓜、果物一般だけど。今ほど甘くは無いんだろうな・・・
94 :
もぐもぐ名無しさん:2007/08/07(火) 19:54:54
>>93 たぶん今より酸っぱくて甘みは少ないんだろうけど、他に甘味が少ない時代、
そりゃ貴重な「甘味」だったんじゃない?
梨、梨
清少納言だったけー?
カナマリにあまずら。かき氷。
ご飯はあったの?つか食べてたの平安時代。
今みたいに ご飯 おかず 汁物 お菓子 みたいな食生活できたんかな?
教えてえろい人
99 :
もぐもぐ名無しさん:2007/09/05(水) 05:12:20
ほ
上げてみる
ho
103 :
もぐもぐ名無しさん:2007/10/16(火) 15:37:46
うーむ
「ドングリは渋み(主にタンニン)が非常に強く、一般に人間がそのまま食用
とするには適さないが、スダジイ、マテバシイ、ハシバミ(カバノキ科だが形
はドングリに類似)など一部の種では渋みがなく食べられる。また、
縄文時代においては渋抜きをして食用にしていたと考えられている。
その後も飢饉や太平洋戦争直後の食糧難時代によく利用された(ウイクペデアから)
食べたねェ どんぐり 縄文期は西日本より圧倒的に東日本が人口が多かった
ドングリの生産量が多い故だろう 現在より5度ぐらい暖か(平安期になると
現在と同じ)現在でも韓国にこの製品の菓子アリ
105 :
もぐもぐ名無しさん:2007/10/16(火) 18:38:00
>>104 縄文時代、確か東と西ではドングリの種類が違っていて
どっちかは、あく抜きしなくても生食OKのはずだ。
東だったかな、忘れたが…
西はドングリの貯蔵穴を窪地の湿地みたいなとこに掘って
水浸しにして保存するが、虫除けとあく抜き兼用だろうと言われてる。
西があく抜き必要で、東は不要だったかも。
106 :
もぐもぐ名無しさん:2007/10/16(火) 19:37:32
へー。勉強になるおα(`ー´)。
ウチは伊豆だけど、シイノミを乾煎りして食べるよ。
大して美味くはないけど、気がつくと結構な量を食べてる。
108 :
もぐもぐ名無しさん:2007/10/18(木) 12:38:54
かっぱえびせんみたいだね
109 :
もぐもぐ名無しさん:2007/10/18(木) 21:27:57
年寄りですまん。自分は昭和30年代生まれで、まだ貧しい日本を覚えてる。
食堂でトンカツを頼んだら脂身90%のトンカツだったり、
100%合成の粉末ジュースなんて当たり前の時代だった。
町には「しいの木」もたくさんあって、ドングリなんてゴロゴロ転がってた。
でもドングリを食う人は皆無だったよ。 やはり、よほどマズイのでは。
戦争経験者の爺さんも「当時、腹は減ってたが食った事はねぇ」って言うし。
>>109 まあ、決して美味いものではないみたいだしな。
栗は別格として、精々栃の実が限界で、他のは本当に「非常食」でそ。
雑穀も含めた穀物が安定供給できなかった時代はともかくとして、
米が難しくとも麦や蕎麦が栽培でき、その保存方法も確立してからは
わざわざ渋抜きの手間がかかるくせに不味いドングリ系は、ねぇ・・・。
ドングリは、あくまで穀物栽培が定着するまでの食物でそ。
111 :
もぐもぐ名無しさん:2007/10/18(木) 21:48:06
ドイツじゃどんぐりはブタの餌
で 潰してハム ソーセージ
112 :
もぐもぐ名無しさん:2007/10/18(木) 21:54:40
東南アジアではうん子がブタの餌
うーーーん エコロジ?
ヨーロッパも昔は下水道が発達してなかったから豚に食わしていたそうだ
114 :
もぐもぐ名無しさん:2007/10/19(金) 23:35:06
>>109 貴重な意見が聞けました。
このような先輩の話しは、なかなか勉強になるな。
115 :
もぐもぐ名無しさん:2007/10/20(土) 08:39:25
ウチの田舎にはどんぐり豆腐あるよ。
作れる人はもう数人だけど。
美味しいとかいうより、伝統みたいな感じ。
どんぐり=家畜の餌
イベリ子豚うまー
117 :
もぐもぐ名無しさん:2007/10/20(土) 23:18:11
鈍感栗と栗鼠
118 :
もぐもぐ名無しさん:2007/10/20(土) 23:37:55
何かの本で読んだけど、むかーしのお百姓さんは、
朝起きるとお茶だけ飲んですぐ家からでる。仕事始めて1時間くらいで休憩。
また仕事始めて、太陽が真上に来たら家に戻って昼飯。カマを磨いで煙草を吸って昼寝。
2時間くらいして仕事開始。夕方にまた一休み。そしてゆっくり仕事。
暗くなってきたら家に帰って、釜戸の火を起こし、炊飯。
こんな暮らしだったみたい。
>>118 農繁期じゃなかったら、そんなもんだしょ。
とてつもなく忙しいのは田植え前後と稲刈りの時期だけだし。
他の時期は雑草を抜いたり田の水量を調整したりするくらい。
120 :
もぐもぐ名無しさん:2007/10/22(月) 16:41:55
あげちゃうよ
>>119 農繁期は農作業に集中しないといけないけど、それ以外の時期もやるべきことは山積してるよ。
堆肥を作ったり農地を整備したり、炭作り、藁製品を作ったり。機械化の進んだ現在よりも
ずっと忙しかった。商品作物栽培が発展してからは現金収入が増えて余裕が出たりしたけどさ。
122 :
もぐもぐ名無しさん:2007/10/22(月) 23:53:16
戦に行ったりな
123 :
もぐもぐ名無しさん:2007/10/23(火) 09:33:21
いつの時代もいそがしいな
味噌汁っていつ頃から有るのかな?
初めて出来た頃の味噌汁の具って何だったんだろ?
大根葉とかかな?
>>124 歴史はWikipedia参照のこと。
しかし具は、どんなんだったんだろう?
芋粥と想像してみる
つまり里芋
127 :
もぐもぐ名無しさん:2007/10/31(水) 21:16:18
>>125 wikipediaには室町って書いてあるしぐぐっても同じようなことがでてくるけど
藤原京の頃つまり味噌の伝来とほぼ同時期にはすでにあり具はワカメ、アラメなどの海藻や青菜などらしい
山間部では、キノコかな?
秋には、松茸の味噌汁とか有ったりして
味噌汁の具には合わない気がするけどね
松茸なんて・・当時珍重されてたとは思わないけど
>>129 平安辺りなんかだと、貴族も食べてたみたい。
結構、貴重だったみたいだよ。
品種改良のおかげで天津栗のような和栗がもうすぐ流通しますよ
132 :
もぐもぐ名無しさん:2007/11/03(土) 00:05:50
そーいえば、日本の栗とちがって
天津栗って味付けしたくらい甘いよな。
オレは砂糖汁にでも漬けてるのかと思ってたけど、
天津甘栗の殻をなめてみても甘くないんだわん・・。
品種の違いか、製造法の違いか解る人いる?!
今度新しく品種改良にてできた栗の苗は
天津甘栗の60倍剥きやすいという・・・
栗農家になりたくなったぜ
134 :
もぐもぐ名無しさん:2007/11/07(水) 18:24:10
どんなクリなんだろう
クリがむけやすいなんて・・・いやん
ドングリとか食べてたんでしょ?
灰汁はぬいてたのかなー
>>132 あのクリは元々糖度が高い品種なんだが、1時間近く「石焼」にする事で
デンプンが糖化してさらに甘くなってる。
石焼イモが電子レンジで調理したイモよりはるかに甘いのと同じ原理。
渋皮が剥きやすいのも甘栗の品種特性。
>>136 西日本に多いシイの実は基本的にアク抜きの必要なし。
東日本のブナの実は高度なアク抜きを必要とするが収穫量が桁違いに多い。
どちらも穀類が日本に入ってくるまでは重要な食料。
138 :
132:2007/11/08(木) 23:30:30
>>137 わあ! これはプロのカキコとしか!
2ちゃんねるって、やっぱり凄いわA!
137タソ感謝です。昔から不思議だったんだ。
これで、いつでも安心して死ねます。
>>137 サンクス!!
なんとなくトチ餅から想像してみたんだー
140 :
もぐもぐ名無しさん:2007/11/18(日) 02:25:34
九州出身者の経験。
シイの実は、あく抜きする必要はないが、煎って食べないと、
つまり、ナマで食べると、ドモルようになる。
これ、実体験。
おもしろいスレだなあ。2ちゃんも捨てたモンじゃない。
>>24 地名で「塩」と名がつく場所は、今で言う温泉に塩分が含まれていた場所だよ。
ただし、暖かいとは限らない温泉ね。
>>38 山梨県甲府の「名物」に煮貝があるよ。
正体はアワビのしょうゆ煮。
なんで山奥の邑で魚介類なんだろうね?
>>140 アルカロイド?
昔って、水中メガネとかないですよね?
どうやってアワビとかサザエとってたの?
>>142 水中眼鏡が無くても、眼を開ければ見えるんだけど。
水中眼鏡のほうが長時間でも負担が少ないだけ。
>>141 遅レスすまん
山間部では塩尻とか塩の輸送に関わる地名も多いよ。
煮貝は駿河湾で獲れた鮑をしょうゆ漬けで馬等で運んだとき、
適度な振動と時間が鮑を美味しくしたことから。
144 :
もぐもぐ名無しさん:2007/12/21(金) 20:02:28
水中眼鏡をせずに水の中で目を開けたら
ド近眼状態にならないか?
ガキのころ、よく海に潜ってたけど、
視力低下で獲物の捕獲率がほとんどなかった記憶があるよ。
ばかばかしい
先史の水中眼鏡の話かよ
146 :
もぐもぐ名無しさん:2007/12/21(金) 20:32:32
>>141 >山梨県甲府の「名物」に煮貝があるよ。
>正体はアワビのしょうゆ煮。
>なんで山奥の邑で魚介類なんだろうね?
↑この人本当に知らずに書いてるの?釣り?
解かりやすく言うと、昔の人は水中眼鏡なしで
どうやってアワビなどをつかまえてたのか?という話なんだよ。
148 :
もぐもぐ名無しさん:2007/12/21(金) 20:39:21
どうやっても糞も居場所まで潜れば見えるだろ?見たことないのか?
…中学生か。
解かりやすく言うと、なぜ固執してるのかわからん
体験記?は別にかまわないけどだからなんだって話になってしまうだろ
150 :
もぐもぐ名無しさん:2007/12/21(金) 20:49:07
こいつにかかると、
解かりやすく言うと、昔の人はどうやって食用キノコと毒キノコを見分けたんでしょうか?
とか聞かれそうだな。
まあ、個人的な疑問だったんだろう
オレは答えることができなかったけど
水中眼鏡から先の持論がでてこないとキツい
昔の人は毒キノコも見分けられないアフォとも思えないし。
え?水中メガネなしでアワビ?
見えへん見えへん絶対見えへん。
最近の若い人は海に潜ったこともないのか?
最近のガキは水中メガネが当たり前だからな。
素潜りなんか知らないんだろ。
ひつこい
変なガキが出没して、当たり前の疑問や話題が全部潰れた。
子供が入れないようにできないのかよ。
それ以前にここデタラメばっかりだぞ。
自分の専門分野の板やスレに書き込む奴は、その分野の三、四流。
訳知りげに話す奴ほど、適当で自己解釈が多い。
わかるわかる
ちょっと脱線しただけで
異常に怒り出す奴とかだろ!!
新年です。
節分に太巻きを食べるってのはどこからきた習慣なんだろう
明治以前の海女さんは水中眼鏡なんか有るワケが無いんだが
それでも普通に4〜5尋(6〜8b)潜ってアワビやサザエを取ってたんだよね。
明治時代水中眼鏡が普及して飛躍的に視界が良くなったようだが。
ちなみに海女さんの服装は、手ぬぐいで髪をまとめ上半身はハダカで
下は麻の腰巻かフンドシ1丁で相当危険だた。
NHKの20世紀の特集でも乳ほりだしフンドシTバックの
海女さんが出てたな。昭和初期の映像だったが。
何かの小説で、対馬の海女さんは、腰紐だけでを身にまとっていたっていうのがあったっけ。
手鉤あんかは腰紐にぶら下げてたんだってさ
そりゃ江戸の火消も一番下(臥煙)は素っ裸だったんだから。褌もしてない。
江戸時代の銭湯は男女混浴だったしな。
混浴ってなんで可能だったんだろ
チンチン立って仕方がないと思うんだが
江戸時代の見世物(屋台)には、女性のあそこへ吹き矢を当てる遊びもあったくらいだし
裸自体がめずらしいものではなかったのでしょう。
実際、北欧とか行くと街中にモロダシの写真やポスターが
あふれかえってますし、ビーチへ行けばヌーディスト達がいっぱい
日向ぼっこしてたりするけど、そういうのを見てもなれちゃえば
別に何とも思わなくなりますよ。
京都や大阪じゃ、女の立小便は当然だったしな。
ベルサイユ宮殿でも、女の立小便はあたり前だった。
だけど、立小便にムラムラきてレイプされたっていう話はきかない。
でも、江戸とかで女の一人歩きが雲助とかにかどわかされて
手篭めにあって女郎屋へ売られたっていう話なら聞いたことがある。
ってか、ここ食べ物板だと思ったけど?
170 :
もぐもぐ名無しさん:2008/01/08(火) 12:28:27
>>169 過疎スレだから、雑談もいいんじゃね?
江戸期の銭湯は、混浴といっても、それ程人口密度が高いわけでもなく、
洗い場は湯気がもうもうとして、ちょとしたモザイク状態。
浴槽は構造上、真っ暗と言っても良いくらいだったらしい。
若い娘さんは保護者のガードが固く、視線を移そうもんなら痴漢扱い。
年増なんかは、間違ってでも触れようもんなら、えらい騒ぎになったそうで。
なんせ、女が強い時代だったから(頭数が少ない)。
って、ウチのひい爺ちゃんが言ってたよ。
171 :
もぐもぐ名無しさん:2008/01/09(水) 04:43:33
>>169 > っていう話なら聞いたことがある
はげしくヴァカだろお前。
聞いたことあるじゃなくて、勝手に妄想した「だと思う」だろ?
女の一人歩きで雲助が手篭め?
江戸の町は夜うろうろできない常時戒厳体制だったこと知らねえんだな。
江戸や地方のご城下なら、武家や商家の箱入りは、
昼間だろうと雲助に手篭めにされるような道は通らねえよ。
朱引きの外出ちまえば、同じ村内の若衆組と娘組が、
夜ごとやった・やらせたと乱交状態だったことも知らねえんだろ。
なにがベルサイユ宮殿だタコ。
172 :
もぐもぐ名無しさん:2008/01/09(水) 08:42:59
>>171 ここ馬鹿ばっかりだから。怒るだけ無駄。
>>171 君のほうこそ
「思う」のまちがいじゃないの?
ソースでも出してくるなら信憑性はあったが…
残念だったな。
>>171 169は「っていう話なら聞いたことがある」って言ってるだけで、そういう史実があるとは言ってないよ。
169に話した人の妄想だったか、時代劇か何かのフィクションだったかは置いといてさ。
ももんじ屋が焼肉の発祥みたいだね。
「薬食い」とかいって実際は結構喰ってたようだな
178 :
もぐもぐ名無しさん:2008/01/10(木) 06:36:50
>>173 おい小学生、
「木戸番」って言葉と「お江戸日本橋七つ立ち」ぐらいはわきまえてから物言えな。
ご一新前ってな、元服前のケツの青いのには人権も糞もなかったんだからよ。
ソースなんて寝言は正月休みまでだぞ。
>>175 これ、江戸期に描かれたもんじゃないだろ。
そもそもこんな製本形態は江戸期にないぞ。
市井に流通していたものが海外に渡ったのなら「exported」となるはず。
洋書扱いなところからして、明治期に輸出を目的に作られたダウトな風俗誌だな。
ケチ付ける事で自己を守ろうとするのは醜いですよ。
180 :
もぐもぐ名無しさん:2008/01/10(木) 07:12:54
>>178 だからここは馬鹿ばかりだから無駄だって。
『インターネットの最大の弊害はバカが意見を言うようになったことだ』ってのはまさにこの状態かと。
この板はとりわけレベルが低い感じだ。
…
>>175は寄せ集めじゃないかね。製本が確かにおかしく、明示の浮世絵調のものや
写真の人着のような雰囲気の絵を台紙に貼ったものが混ざっている。
181 :
もぐもぐ名無しさん:2008/01/10(木) 07:24:14
182 :
もぐもぐ名無しさん:2008/01/10(木) 22:47:19
>>162 俺が知る限りでは、
第一次世界大戦期に大量発生した成金どもが
大阪・新地で札びらビラビラ芸者さんに見せつけつつ、
巻き寿司イッキに食ぅたら札束やんでぇ、ほれほれ〜www
と芸者さんに無理強いした、まぁヒヒおやじの下劣な座敷遊びだ。
黒くて太い巻き寿司のディープ・スロートが何の暗喩だか、わかるよな?
【米国】 韓人女性など100人雇用の売春組職摘発(ミネソタ)[12/18]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1198156668/ 何年か前も、8000人の朝鮮人売春婦がアメリカで
逮捕されていましたよね・・・・・。
しかも、オーストラリアの売春婦の9割が韓国人(笑)
オマケに、海外で売春の店を経営するのは
ほとんど韓国人
しかも、日本人女性を名乗り売春・・。酷いね。
韓国では、3000人もの売春婦が売春の規制をするのに
反対で「売春婦デモ」までする始末。
ちなみに、韓国は売春大国で、GDPの5%が売春によるものだそうです。
デモ動画
↓
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=550699 朝鮮人に売春婦が多いのはどうしてですか??
彼女達も、自称慰安婦のカネカネ詐欺の婆さんですか?
それと、何で併合前の朝鮮は原始時代並の
おぞましい生活をしていたんですか?
あんな生活から、併合で人間らしい生活が出来たのに
何で感謝しないんでしょうか?
無能な朝鮮人の先祖が悪いのに、日本に責任転嫁するとは大笑いですよね。
>>184 ケチつけるだけで「正しい資料」出せないヒトはスルーで
とは言うもののNHKで江戸時代の暮らし考証の番組やってた
SF作家の石川エイスケ氏が
江戸時代のモノ調べる時に明治以降の価値判断のバイアスが掛かって
マトモな資料が散逸してるのに苦労してたと言ってたな
西洋人にわかりやすい役者絵は豊富に残ってても
同じくらい刷られたはずの芝居絵や名所絵図がたいして残ってないとか。
形が無い落語なんかはほとんど明治期にリライトされてるらしいし。
186 :
もぐもぐ名無しさん:2008/01/12(土) 22:24:22
ケチつけるだけで「正しい資料」出せない
>>185はスルーで
187 :
もぐもぐ名無しさん:2008/01/12(土) 22:48:57
>>184 180だが、178とは別人だぞ。と言っても検証のしようはないが。
そんなに癖があるかね?少なくとも
>>179とは違うと思うがね。
なにか怒っているらしいところを見ると
>>175か?
>戦国時代後期から江戸時代にかけて(略)
>けっこう肉食をしてたみたいだね。
忠臣蔵の五段目で勘平は何の役だか知ってるか?
能の善知鳥の亡者でもいいぞ。
もう いいって。
自分がどの書き込みしたかを主張したければ鳥でもつけとけ
189 :
もぐもぐ名無しさん:2008/01/13(日) 05:32:10
登校拒否の小学生が垂れ流す
↓
ジジイが鼻で哂う
↓
オヤジが追従
↓
小学生が「自分は中学生だ」と主張
↓
ジジイが大学の資料を哂う
↓
オヤジが追従
↓
小学生が「高校生くらいの知識はあるぞ」と主張
↓
オヤジが失笑
↓
小学生ネタ切れ ←いまここ
190 :
もぐもぐ名無しさん:2008/01/13(日) 22:34:55
>>189 『晒う』って何語でどういう意味?さらう?
「嗤う」のことか?
まともな勉強もできない環境で育ったんだろうな。哀れと思ってやるべきなのか。
たからもういいって。
193 :
192:2008/01/14(月) 10:30:47
江戸時代もうやめない?
どうせなら戦前も含めてほしかったが
違う荒れ方するかも知れんし
というか何故江戸時代までなの?
あ、そもそも江戸時代スレだったのか
失礼
199 :
もぐもぐ名無しさん:2008/01/15(火) 06:51:25
「もういいって」
「もうやめない?」
↑=
>>169
200 :
もぐもぐ名無しさん:2008/01/15(火) 10:53:52
(神・ω・神)ふむふむ、200getやがな!!
ageるよ。
202 :
もぐもぐ名無しさん:2008/02/03(日) 06:54:23
江戸時代以前の味噌汁って、ちゃんと出汁をとってたのかな?
昆布や鰹節って、意外と高級品ってイメージがあるんだけど。
昆布の流通に関しては司馬遼さんの「菜の花の沖」があるね
勿論、小説なんで史実とはいちがいには言えないけど
>>202 意外に高級品ではなくて、納税替わりにも使われてた貴重品。
生産量自体も、そんなに確保できていなかったらしいし。
貴族や富裕階級、あとは海産物に恵まれた地域でもないと、
常食は厳しかったよう。
日頃は、海沿いなら小魚に貝類、山間部ならキノコや山菜などから旨味を得ていたよう。
始末の喧しい江戸近郊の商家あたりでは、商売柄贅沢を戒める傾向だったため、
ときどき具材を兼ねて煮干しを使い、普段は塩汁が多かったとも聞いた。
205 :
もぐもぐ名無しさん:2008/02/03(日) 10:11:40
206 :
もぐもぐ名無しさん:2008/02/03(日) 10:34:19
>>203-205thx
ちょっと想像したみたら、
流通経路の手間を考えただけでも、庶民には鰹節や昆布は高嶺の花だよな。
出汁が無くても、それなりに食せるし。
煮干出汁あたりが、一般的だったのかな。
207 :
もぐもぐ名無しさん:2008/02/03(日) 13:35:03
>>206 捌いた鮮魚の頭、中落ちで煮出す粗ダシが一般的だったな。
208 :
もぐもぐ名無しさん:2008/02/26(火) 23:30:22
関西だと味噌汁は確かに馴染みは薄かったかも。昭和初期までは何だかんだ言いながら
潮汁がよく作られてたみたいだしね。奉公人が多くいた大店なんかだと、いちいち出汁取って
味噌溶いてなんて面倒なことをせずに魚のアラと塩・具材をぶち込むだけでいい潮汁が
手っ取り早くて良かったんでしょうな。庶民も普段の食は安いアラで済ませてた、と。
てか、ウチの御婆なんかは「味噌汁なんか朝だけのもんやさかいにな」と言ってたしな。
昼はまだ許せても、晩飯に味噌汁を出すのはプライドが許さなかったみたいねw
209 :
もぐもぐ名無しさん:2008/02/26(火) 23:51:58
つうか
にごった 汁もの、スープは庶民派・・・
高級になるほど、透き通ったスープになるときいたなあ
210 :
もぐもぐ名無しさん:2008/02/27(水) 00:04:20
江戸の酒を呑んでみたい。今よりかなり濃醇だったそうな。
んで、酒屋で客の好みに応じて「水割り」して売ってたとか。
てか江戸市中では今で言う味醂が飲用に好まれてたとかw
211 :
もぐもぐ名無しさん:2008/02/27(水) 00:25:38
発酵、もしくは蒸留したみりんは飲めない事もないぞ。むしろ結構イケるらしい
お正月の御屠蘇でみりん飲んだりしない?
三河だけかな
214 :
もぐもぐ名無しさん:2008/02/27(水) 08:09:00
味醂に屠蘇散じゃないかな。
215 :
もぐもぐ名無しさん:2008/02/27(水) 08:17:30
>>210 どこかで見たけど
地方で作られた酒を杉の樽に詰めて江戸に運んでたから
江戸の酒はもっぱら杉の香りのする樽酒って書いてたよ
熱燗に杉の割り箸を入れるとナンチャって樽酒になるのでオススメ
216 :
もぐもぐ名無しさん:2008/02/27(水) 10:24:37
>>210 味醂は、長屋のお母さん連中が愛用したって話は、聞いたことがある。
ちゃんと作った味醂は、甘いけど美味いよ。
飲みすぎると、清酒よりも悪酔いするけど。
>>210 濃厚かどうかは知らんがアルコール度数は低かったのでは?
218 :
もぐもぐ名無しさん:2008/02/28(木) 07:10:34
どんどん馬鹿と世間知らずの掃き溜めになっていくが、
面白いので放置だ。
219 :
もぐもぐ名無しさん:2008/02/28(木) 08:12:19
世間知らず(笑)
>>218 すみません、世間のどこにも
先史から江戸の食事をしている人がいないのですが。
世間知らずですみません。
こうですか><
221 :
もぐもぐ名無しさん:2008/02/28(木) 10:25:53
>>217 原酒(18〜20度程度)の水割りだから、割り方次第でどうとでもなったみたい。
味醂の飲用は、一時期流行ったことがあったみたいね。昔は今より甘口が
好まれたみたいだから、より甘く濃醇なものを求めたら味醂に行き着いた、
てな感じなんじゃないの?どうせ水で割るんだから原酒の段階での甘さは
いくらでも調節できるし。
>>221 なるほど、酒が薄かった訳じゃなくて
安い酒は、かなり薄められてた訳か
醸造技術の問題ではないのね
223 :
もぐもぐ名無しさん:2008/02/28(木) 22:42:58
ダシが入ってない味噌汁なんて飲めないよ!カップ味噌ダシ入りあるけど旨くないよ、ダシの素入れるけど明治大正は味噌汁のダシはやっぱ鰹とイリコかな?
224 :
もぐもぐ名無しさん:2008/02/28(木) 22:56:24
>>222 醸造技術は今とさして変わらない。今と違うのは水割りのタイミング。
今はメーカーが原酒に対して水割りして味を調えてから出荷するけど、
江戸時代や明治なんかは原酒のまま桶に詰めて小売店に運んで、
そこで水割りして売ってたって感じ。保存性や輸送コストを考えたら、
水割り前の原酒を運ぶ方が有利だしね。
まあ細かく見たら醸造技術は進歩してるけど、基本的な部分では
原酒を造る段階まではほぼ同じ。もちろん酵母や原料米の違いや
発酵時間・添加アルコールの違いなどで味はかなり違うだろうけど。
225 :
もぐもぐ名無しさん:2008/03/11(火) 12:39:27
保守ってみますかね。
226 :
もぐもぐ名無しさん:2008/03/23(日) 19:48:19
醤油が無かった頃の晩飯って、どんなだったんだろ。
煮物とかは無かったのかな?それとも味噌煮?
塩煮。
または魚醤や塩分の濃い海草や干物、発酵物を調味料替わりに。
奈良時代以前で、しかも山側住まいだと、
塩の入手で権力が誇れたと聞いた。
228 :
もぐもぐ名無しさん:2008/03/23(日) 20:30:52
>>226 煎り酒。
醤油は煎り酒を作る手間さえ惜しむ椰子に普及した調味料だがな。
このスレ、半分ぐらいはデタラメだな。
230 :
もぐもぐ名無しさん:2008/03/23(日) 20:35:24
>>229 2chに半分も本当のことが書いてあるのかよ?
>>229 訂正してあげる気がなけりゃ
はなから書き込まなきゃいいのに
根拠がないと訂正も出来ないからね。
このスレでは特に。
234 :
もぐもぐ名無しさん:2008/04/15(火) 22:52:42
(゚д゚)ウマー
235 :
もぐもぐ名無しさん:2008/04/16(水) 19:19:57
醤舐めてー!
>>236 どこかで見た事あるなあと思ったら地元だったw
239 :
もぐもぐ名無しさん:2008/05/08(木) 04:05:57
城巡りが好きな者ですが。
江戸時代の食生活を示す資料展示、意外とありますよ。
海沿いの藩は殿様たちは刺身を朝に食べていたようです。
殿様といえど鉢に盛られた刺身は数切れほど。
他のおかずも案外質素。
でも殿様専用の膳と器はさすがに豪華。
庶民の食生活はというと、
肉食禁ではあったけど、郊外では野ウサギ・イノシシを隠れて食ってました。
戒律を破って獣を食っても、破門にも死罪にもならなかったので。
漁村は魚・貝・海藻があるので飢饉にも強かったのですが、
大飢饉になると農村から百姓がゾンビの如く押し寄せるので修羅場となった。
あと甘い物ですが、
庶民は確かに砂糖は入手しずらかったが、
糖分自体は生きて行く分には困らないほど摂取できた。
柿・干し柿・水飴・蜂蜜など。
水飴はデンプン糖化させる工程が大量生産できるほどの技術がなかったのですが、
それでも砂糖ゼロで造れる貴重な甘味料であり、
焼き魚の艶出しや和菓子に重用されました。
240 :
もぐもぐ名無しさん:2008/05/30(金) 21:50:52
伊勢詣で御師がもてなしで出してた御馳走食いたいなぁ
伊勢うどんと手こね寿司と赤福は食べたけど昔のファーストフードってやつかな?
>>239 漠然としすぎ。
だいたい、徳川時代の「庶民」っていっても、
同じ人別だとして地域性や時代性で生活内容まちまちだし、
現代の「庶民」って、江戸人別の「町人」なんで、
全国民からしても、地方都市人口からしても、
割合的にかなり少数すぎる。
「江戸病」という言葉があるように、
世界でも稀に見る19世紀の一大都市江戸では、
「庶民」の食生活はかなり高レベルだったけれど、
「江戸病は江戸を出ると治る」ほど、
逆に地方都市はgdgdだったわけで。
242 :
もぐもぐ名無しさん:2008/06/15(日) 00:44:16
NHK出版の「幕末単身赴任 下級武士の食日記」青木直巳著
さすがに幕末ともなると食い物の種類が豊富で読んでて腹が減ってくるw
243 :
もぐもぐ名無しさん:2008/06/15(日) 00:46:57
>>242 幕末は、町人はかなり豊かな食生活をおくれてた時代だったみたいだし、
武士もそこそこ贅沢できてたのかね。獣肉食とか何か書かれてた?
>>243 風邪引きの薬と称して「豚」を買って鍋にしていた下りが
猪ではなく「豚」です。ネギと一緒にタレか味噌で煮て
牛鍋のような食べ方ではないかと…
245 :
もぐもぐ名無しさん:2008/06/29(日) 10:06:42
246 :
もぐもぐ名無しさん:2008/06/29(日) 11:06:41
247 :
もぐもぐ名無しさん:2008/07/05(土) 21:12:10
大江戸グルメ考 第1回視聴
にぎり寿司が昔はサイズが大きかったとは知っていたが…
「2,3倍くらいじゃね?」と思っていたらでかいでかいw
おにぎりサイズじゃないかwww あれなら2,3個くらいで済むなぁ
248 :
もぐもぐ名無しさん:2008/07/08(火) 11:25:49
このスレにぴったりの番組だな
− 大江戸グルメ考 − <全4回>
教育・午後10:25〜10:50
7月3日(木)〜24日(木)教育・午後10:25〜10:50(毎週木曜日)
(再)7月10日(木)〜31日(木)教育・午前5:05〜5:30(翌週木曜日)
江戸時代の食文化って現代に直通で影響を与えてるよね
遡って足利義満さんは、日常どんな食事だったのかな?
位人臣を極め権勢の極みのころ
250 :
もぐもぐ名無しさん:2008/07/19(土) 23:26:58
保守
喪主
捕手
254 :
もぐもぐ名無しさん:2008/09/19(金) 20:38:15
出汁
255 :
もぐもぐ名無しさん:2008/09/20(土) 01:47:44
上等な味醂を売っていたので、買って呑もうかと思ったが思いとどまったw
江戸時代は味醂の原酒を、その場で割って買ってたんだよな。
割り方とか、その辺をしっかり研究しないと江戸の味にならんよな。
256 :
もぐもぐ名無しさん:2008/10/06(月) 22:59:39
誰か味醂の水割り&舐め味噌で酒宴を開いた強者は居らぬのか
257 :
もぐもぐ名無しさん:2008/10/07(火) 05:41:41
藤枝梅安
宴会はしないけど
酢もみりんも幼い頃は水で割って飲んでたな。
親にはしたない!って怒られるからこっそりね。
ちなみに今は原液派。
ちゃんとした味醂は旨いよな。
メインの酒は別に合ったが、三河の本味醂を皆で飲んだことがある。
そのときは舐め味噌は使わなかったな。
>>255 きちんとした割り方のレシピなんか存在しないと思うぞ。
割り方は店や客の個性だろ。
どうせ樽ごとに味・濃さが違うだろうから、自分の好みに割るしかないわけだし。
テーブルに座ると、原液のみりんと水瓶がドン!と置かれるわけですね
261 :
もぐもぐ名無しさん:2008/10/16(木) 20:14:31
>>260 そう、焼酎の水割り作るような感覚で好み・・・ってノればいいのかいw
酒屋で水割りしたのを、小売りしてたんだよね>江戸時代
だから同じ蔵の酒のはずが、買う店によって味が異なってて、
中には「水臭い」酒もあったってことだよね。
味醂は焼酎で割って、本直し。
>>262 柳蔭(やなぎかげ)という言い方の方が一般的だと思う。
googleのヒット件数な。
>>263 >googleのヒット件数な。
1ページ目から、>骨董掛軸がはいってますが・・・・
馬鹿なの?
鬼平で結構イロイロな料理出てくるけど
江戸時代には今に続く料理の原型が出来んじゃないかな
鬼平が江戸時代いつ頃の人か知らないけど
それなりにバラエティーに富んでたと予想
267 :
もぐもぐ名無しさん:2008/11/01(土) 01:28:06
>>266 醤油が庶民に普及したのが江戸後期だったっけ?
それまでは味噌か塩しかなかったから、さほどバリエーション豊かな料理は
味付けの面では展開しにくかったのではないかと・・・。甘味も味醂しかないし、
出汁も鰹節は高級品だったのでは?庶民クラスは出汁なし味噌味ばかり?
それに江戸市中で新鮮な野菜って、どこまで出回ってたんだっけ。
庶民の食卓は一汁一菜、それに精々豆腐が付く程度だったんじゃなかったっけ。
野菜も漬け物が基本とかじゃなかった?
>>266 実在した時代劇の人だと
長七郎 寛永
黄門 元禄
大岡 享保
鬼平 寛政
金さん 天保 となる
269 :
もぐもぐ名無しさん:2008/11/01(土) 20:58:02
>>18 >栗とか草の実を、地面に突き刺した縄文式土器で
>煮て食ってたらしいね。
縄文式土器ってホントやたらとんがってるよね。
あれどうやって使ったの?やっぱ地面にブッ刺したの?
なんで、普通の底が平らなやつにしなかったの??
おしえてえろい人!
>>267 味醂を料理に使うのはだいぶ後になってからだし、高級品だったでしょう。
江戸中期までは、庶民は甘味に縁がなかったのかなぁ。
お酢はあったし、酢味噌に蓼を添えたりとか、工夫はしてたんでしょう。
ダシについては、鰹節が普及する前は干した小魚でとってたって、何かで読んだ。
浅利、蜆なんかは庶民の口にも十分入った筈で、浅利の味噌汁なんか十分おいしいし。
そこは寧ろ羨ましいくらい。
俺、甘い味付けは苦手だけどそういう話を聞くと甘い味がありがたく思えてくる
確かに焼肉なんかもただの醤油につけて食べるよりも
甘味のあるタレにつけた方がうまいからなあ
甘味といえば、甘酒、麦芽糖などは神代の昔から
>>276 違います。
でも調べてくださったんですか?
ありがとうございます!
底がとんがっている縄文土器への興味はつきません。
先が尖ってたのに意味があるのかね
陶器だけど手入れとかあまりせずに使い捨てだったんだろうか
想像力を欠きたてられる
で、卵やゴマが貴重だった頃の食事
とくに高貴な身分の人から民衆に移っていった食文化や材料が知りたいのですが
279 :
もぐもぐ名無しさん:2008/11/10(月) 07:50:06
つか、拙い焼き物技術ゆえの形態なんだろ
逆さにして野焼きするんだろうから、
縦長前提じゃないとわやになるわな
>>278 使い捨てじゃないと思う
使い捨てにしては装飾が豪華すぎるものが多い
>>279 縦長前提というのは今の感覚であって
あの時代の野焼きなんてせいぜい800度だろ?
そんな温度ならたとえナナメにしたって大丈夫なんではないか?
勘違いだったかもしれんけど縄文式の底が尖ってるのは
焚き火の周りに刺して使う為じゃなかったかな。
魚とかを串に刺して並べるのと同じように配置して煮焼きしたような・・・
弥生時代だっけかもう少し後の時代に足つきの土器(調理器具だね)が
使われるようになって直火を当てられるようになって食べ方の
バリエーションも増えただか食べられる食材も増えたんじゃないっけ?
どんぐりとか木の実とか煮て食べるにしても柔らかく煮ることが出来たから
歯の磨り減り方が違うとかだった記憶があるんだけど自信ねーっすわ。(苦笑)
282 :
ぬるぽ:2008/12/07(日) 11:23:19
ぬるぽ
283 :
もぐもぐ名無しさん:2008/12/07(日) 11:35:36
>甘味といえば、甘酒、麦芽糖などは神代の昔から
甘茶はどう??
あんまり人気ないみたいだけど
284 :
もぐもぐ名無しさん:2008/12/07(日) 11:38:27
ガッ
285 :
もぐもぐ名無しさん:2009/01/02(金) 22:04:56
新年明けおめage
287 :
もぐもぐ名無しさん:2009/02/16(月) 18:41:07
江戸時代は何を肴に飲んでたんだろうか?
288 :
もぐもぐ名無しさん:2009/02/16(月) 20:59:44
>>287 江戸初期〜中期までは塩や味噌(今で言うもろみや金山寺味噌のようなもの)を
それこそ舐めながら、今より味の濃い酒を呑んでいたそうな。
江戸末期になれば醤油も普及してたから、佃煮みたいなのはあったかも知れんが。
289 :
もぐもぐ名無しさん:2009/02/17(火) 05:50:11
>>288 たとえばビールみたいな軽くてバンバン飲める酒の場合、
カリウム分ばっか摂るんでバランスで塩辛いものを求めるのはわかる。
江戸時代の、今のものより味が濃かった日本酒で、
いったいどれだけ塩辛いものが欲しくなったのか疑問・・・
・・・と思ったけど、酒盗なんてのもあったみたいだしね。
とは言え流通未発達な時代じゃ、いくら塩辛でも現地の珍味か。
佃煮は濃口醤油が町人にも行き渡った江戸中期以降じゃなかったか。
糠味噌なんかの漬け物は、江戸もけっこう早い時期からポピュラーだったような文献も。
お侍なんかの酒宴だと、干物や煮魚とかかな。
292 :
もぐもぐ名無しさん:2009/03/15(日) 22:06:23
魚を薄味に塩茹でしたら、平安とかの味になるのかな?
293 :
もぐもぐ名無しさん:2009/03/16(月) 07:51:55
魚の味は基本的にかわらないからなぁ
塩はむしろ効いてるような。
藻塩使えばいいんじゃね
294 :
もぐもぐ名無しさん:2009/04/14(火) 16:30:43
貝を煮て喰いますかね。
295 :
もぐもぐ名無しさん:2009/05/30(土) 22:04:14
縄文土器って世界最古級とか
煮炊きに貝はありな気がする
味付けとかは‥‥
。。。
296 :
もぐもぐ名無しさん:2009/06/04(木) 15:15:25
明治の頭の頃にはシナソバがあったらしいが、江戸時代のどのくらいからラーメンが江戸で食えるようになったのだろうか?
物知りの人教えて?
水戸光圀が食ったのが最初とか
トンコツ系かな?
299 :
もぐもぐ名無しさん:2009/06/07(日) 18:19:54
>>297 あの話はマユツバの木が・・。ラーメンが登場したのが大正時代だし、
現在ですら中国ではラーメンに似た物が皆無だし・・。
光圀は中国の学者にレシピを教わったと言うから、中国本土で一般的な
ソーメンやきしめん系のトラディッショナルな麺料理を食ってた木がしてならないよ。
>現在ですら中国ではラーメンに似た物が皆無だし・・。
そういっても、ラーメンの定義とかあるの?
>>300 今の日本で主流になってるラーメンは皆無らしいよ。
大陸の湯麺とは出汁の取り方もい全く違うし、それより何より
かんすいの使用有無による麺の風味の違いとかもあるからな。
中国の「湯麺」と日本の「ラーメン」は、別物と捉えるのが主流みたい。
>>301 日本で一般的なラーメンと
違っても良いんじゃない?
変わった麺料理を初めて食った事を
後世の人間がラーメンと評した
それで良いんでは?
303 :
もぐもぐ名無しさん:2009/07/08(水) 00:47:08
箸で食べるようになったのは
いつなんだろ?
いわゆる庶民含めて
庶民文化については誰も書き残してないので正確には不明
305 :
もぐもぐ名無しさん:2009/07/08(水) 01:48:19
箸は簡単に作れるとは思うが使うかな。
スサノオの時代からあることは確かだが。
木のご飯茶碗から、せともののご飯茶碗に変わったのはいつ?
えらい人と、庶民は時期ちがうの?
>>307 建礼門院右京大夫集で「以前と違い、漆器からかわらけになっていた」っていう記述があるから、
そのあたりじゃないかな?
庶民はどうだろう?
かわらけでご飯食べてたの!?
すぐ割れちゃうよねえ
すぐ割れるけどすぐ作れる
しかしかわらけ10個作るよりは
ちゃんと本焼したの1個作るほうが楽だろうに
耐久性は10倍以上違う
木製も土製も、いまにいたるも共存しているかと
木地もかわらけも使い捨ての美学かと
かわらけったって、割る前提の宗教用とは違った作り方してるっしょw
314 :
もぐもぐ名無しさん:2009/07/16(木) 22:14:04
>>303 わからん。
ただ箸が華南→日本→朝鮮半島というルートで広がった可能性はある。
韓国のエスニックジョークで、
「ウリナラはイルボンに箸は教えてやったが、匙は教えなかった」
ってのがある。
ところで現代韓国語で箸はチョッカラクと云う。
ウロでソースを提示できず申し訳ないんだけど、
中国・華南の古い言葉で箸は「チョク」と言うそうな。
つまり華南から日本に箸と匙がもたらされて
それが朝鮮半島に伝わったけど、
日本じゃ箸だけが残って、匙はすたれた。。。
あくまでも可能性の問題であって、実際どうだかは知らん。
だいいち日本じゃチョクという言葉がすたれてハシになった事情がわからんしな。
>>314 いや大陸から朝鮮までが箸+匙の文化圏で、日本には古代は箸だけ、平安時代に隋・唐から直接貴族階級に
匙が渡ってきたがその後匙は廃れたというのが定説だろ
朝鮮半島には支那から直接だよ
316 :
もぐもぐ名無しさん:2009/07/17(金) 15:49:27
2本箸は聖徳太子の時代に使節が大陸から持ち帰ったと聴いた
それまでは1本箸(串みたいな物・枝)で魚や芋を突き刺して
汁や粥は椀を口まで運んで飲み込んでいたとか
あっ、今と同じだ。
頭が繋がったトング状の箸じゃなかったの
トングというより、ピンセット
箸文化圏は何処までなんだろ?
インドは違うよね?
ビルマは箸文化圏?
箸と匙のウェイトは箸が勝ち気味な気する
日本ほど匙が残念な国は無いだろうけど
322 :
もぐもぐ名無しさん:2009/07/19(日) 17:43:15
箸の起源がどうこう言うとまた例の連中が黙ってないぞ
>>321 >というよりなぜこの程度のことを自分で調べられない?
お前みたいな馬鹿がくだらない事で得意げになるのを見たいからw
そりゃ冷やし中華も始まるわ
>>323「○○はどうですか」
一般人「ググレカス」
>>323「( ;∀;)馬鹿!釣りだ!。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン もうこんなとこ来なねえよこわいよママ」
327 :
もぐもぐ名無しさん:2009/08/11(火) 22:15:38
上げときます
鶏卵っていつごろから食べられはじめたの
親肉もほうも二本足だから、そりゃ食べただろうけど
あと、ヘビの卵もなんかの漫画で読んだ
信長の食事も再現されてたし・・・そういうブームなのかな
331 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 13:36:50
>>330 ああ、昨日の番組だろ?>信長の食事
あれ胡散臭かったな、フナ鮨が好きだなんて記述あったっけ?
米5合+おかずを食って一日の摂取カロリーが4500Kcalだったなんてほんとかな
中学生や高校生じゃあるまいし
>>331 昨日のでもやってたけど、他の番組でもやってたんだ。
で、信長は塩分過多で高血圧になってるから、暗殺されなかったとしても、長生きは出来なかっただろうってさ。
(もし信長が生きていたら世界制服してたんじゃないかっていうTV東京のやつね)
333 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 13:52:47
米5合っていったら、茶碗で軽く10杯か・・
まあ一日分だったらあり得んこともないけど(信長も若いといえば若いしね)
酒肴つきかあ・・
334 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 14:03:59
塩分過多って言うけど
動きもしないひきこもりの公家は汗かかないんだから
そいつらと一緒にされてもね
スマートだったし無駄なものも食わなかったらしいし、織田さんの食生活は健康的だったのでは?
>>334 どこまで本当かわかんないけど
普通塩分濃度0.8%の味噌汁が、信長の場合は2%を超えていたらしいし
おかずの一品に盛り塩がついていたらしい。
1食あたりの塩分摂取量が15gくらいあったんだってさ。
(現代人の健康的な摂取量は1日あたり10g以下)
336 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 14:33:42
どこまで本当かなんて結局わからない
現代で再現する奴って、商品を売りたい奴か
有名になりたいやつしかいないから
>>333 昔「庄内の1升メシ」という言葉があった
でんぷん主体のたんぱく質に乏しい食事だと満腹感を得られず
信じられんドカ食いになってしまう
現代のアフリカでマニオクやキャッサバのノリのような物が主食の人たちは
洗面器一杯の量を食べてやっと満腹感を得られるという
(貧乏でそんなに食べられないが)
昭和30年代まではそんな人たちが日本にも普通に居た
だが昭和20年代半ばに山形県で一升メシを食う人たちを対象に
目刺しを2匹食べてからご飯を食べさせたところ平均5〜6合で満腹になったと
当時の食糧庁の実験結果が出ている
現代のようにたんぱく質を多く摂取する食事は
でんぷんだけより早く満腹になり途端に食う量が半減してしまうらしい
これを知らないと昔の食事量が信じられなくなる
338 :
もぐもぐ名無しさん:2009/10/30(金) 12:06:33
>>337 アメリカのスラム街の子沢山貧乏の人が太ってるのと同じかな?
栄養価の乏しい食事だと太りそうだね
339 :
もぐもぐ名無しさん:2009/10/30(金) 12:12:50
>>335>>332 「現代人の」「健康的な理想的な摂取量は」1日あたり10g以下
ってだけで、理想通りの食生活なんかしてないよ現代人は。たいてい10gを大きくオーバーしてる
しかも多くがデスクワークの現代人と、安土桃山時代の武将を比べるなんて意味が無い。
現代人でも夏場の工事現場現場作業員とデスクワークを比べられないのと同じ。
それなのに信長は高血圧で早死にだなんて、まったく聞いて呆れる。
テレビ局が馬鹿なのか、売名行為のためにTVに出てくる知識人(笑)が馬鹿なのか。
>>338 運動量が全く違うので太るかどうかはビミョウ
車が普及するまでは一日20〜30キロ歩くのは普通の事だったし
(女の足でさえ江戸〜京都間を半月で歩いていた)
荷運びの人間は見習いでも米俵(約60キロ)を一日6時間ほど運んでいた
341 :
もぐもぐ名無しさん:2009/11/19(木) 23:01:23
あのさ。
「アミノ酸スコア」ってもんがあってだな。
コメとキャッサバじゃ、比較にならんのだよ (´・ω・`)
どんな風に?
戦国時代のたんぱく質って、味噌がメインだろ。
日本人が味噌、米、醤油にこだわるのは歴史的な
裏打ちが有ると思うよ。
自衛隊員が海外で一ヶ月パン食したら
「塩のおにぎりと味噌汁が何より御馳走」って
支援物資の日本米と味噌汁をむさぼり食ってたからな。
因みに海自の友人は「米とカップ麺(サンポー焼豚ラーメン)
が最高の支援物資。」って言ってた。
345 :
もぐもぐ名無しさん:2010/01/31(日) 13:55:19
上げ
346 :
もぐもぐ名無しさん:2010/01/31(日) 16:05:43
日本人はグルタミン酸がなくなる事が我慢できんらしい
だから海外では醤油必須とか
347 :
もぐもぐ名無しさん:2010/01/31(日) 16:27:19
酉の唐揚げうまい
>>346 グルタミン酸だけでもな・・・
トマトがいくら使ってあって美味いと思ってても、
やっぱり体が出汁を求めるよ。
349 :
もぐもぐ名無しさん:2010/02/02(火) 00:54:16
>>348 まとめると「アミノ酸中毒」ってことになるかな?
>>349 依存症といったニュアンスで言ってるのかな?
味覚は経験値だよ。
あまり思い込みで語って恥をかかない様にね。
一方東南アジアでは
ふりかけみたいに味の素をドバドバかけまくっていた
保守
けっこうアブラで美味しさを補ってる国は多いね。
オリーブだったりバターやチーズだったり。
354 :
もぐもぐ名無しさん:2010/04/06(火) 21:58:26
保守
355 :
もぐもぐ名無しさん:2010/04/09(金) 10:45:55
>>337のはおもしろい話だね
確かに米ばかり食べてると太る。
不思議な話だけどほんとう。
江戸時代のご馳走っぽい料理を食べてみたい。
357 :
もぐもぐ名無しさん:2010/04/11(日) 17:27:37
現代でも十分豪勢だと思うよ
359 :
もぐもぐ名無しさん:2010/11/18(木) 14:05:54
戦国時代とか言われる辺りの文献に残ってる絵には
武将メニューでも、お膳に足が無いというか、四角いお盆みたいなので食ってるが
幕末から江戸になると足がついたり、庶民はいきなり箱膳になったりするんだよな。
あれなに?
360 :
もぐもぐ名無しさん:2010/11/18(木) 16:57:55
参勤交代の大名は江戸の上屋敷で弁当を使われることもあったらしい。
その重の蓋には各家の紋が入っていて菜の内容にも格差があったとか。
361 :
もぐもぐ名無しさん:2010/11/18(木) 19:25:43
昔は短命
>>360 名にをいいたいのかわかんね
上屋敷といえば自宅みたいなもんだろ
そんで、格差?なにそれ
364 :
もぐもぐ名無しさん:2010/11/25(木) 09:29:32
縄文人も結構長生きだったようだよ。
以前は30歳位までしか生きないように言われてたが
子供の死亡率はずっと高かったけど寿命は変わらない。
変わらないわけねーだろアフォ
江戸時代じゃ家庭でまともな料理なんか作れなかっただろうね
幼い頃はうちはかまどで飯を炊いてたけど、ガスがなければ料理の幅はほんとに狭まる
七輪で魚焼くとか味噌汁沸かすぐらいしか出来なかっただろう
まぁあの頃はロクなものを食ってなかったということで
煮売屋とかがウロウロしてたっていうし
あとは漬物か
でも七輪で葱鮪鍋は食ってたはず
あれはうらやましい
>>355 どこかのスレで見たんだけど、200sくらいありそうな米国からの留学生が
ヘルシーだからと日本食ばかり食べて暮らしたそうだ。
日本食といっても一回に五合飯を食うwトンカツや天ぷらをバクバク食うw
しかし、それでも体重は大幅に減ったそうだw
米中心の食事では太るにも限度があるらしいww
食生活が変わったこと
それと、コメは量食うにも限度があるからでしょ
コメは太る穀物
これは間違いない現実
そもそも、元々が200kgとかの世界だろw
きっとあちらでは、甘いドリンクや粉もんをバクバク食ってたんでしょう
>>368 ↓のコピペだな…
いや、でもさ。俺が大学時代に、とんでもねえデブなアメリカンが留学してきたんだよ。
身長170センチ、ウェスト170センチ、体重は「恥ずかしいから秘密(実は190kg)」っていうくらいのデブ。
日本に来ても食べまくり。「日本食はヘルシーって聞いてるよ」とか言って、
豚カツだの、天ぷらだの食いまくり。メシなんて、一回で5合くらい食ってたと思う。
そんな状態なのに、半年でそいつ、40kg痩せたんだよ。さらに1年が過ぎたら、120kgくらいに。
奴曰く「日本食はヘルシーだよ。やっぱり」って感激してたが、アメリカがやっぱりおかしい
恐らくはもうとっくの昔に既出だろうが、
江戸時代の食文化を知るのに手っ取り早いのは杉浦日向子の「大江戸美味草紙」だな。
専門的な研究には足りんが入門として。読みやすいし。
>>368-371 昔、雑誌の「栄養と料理」に
実験で普段の食事プラス余分に同じカロリー分炭水化物だけ与えるグループと脂肪だけ与えるグループを
長期間比較観察したら炭水化物グループはあまり体重増加しなかったのに対し
脂肪グループは体重激増したという結果が報告されてたの見たことあるわ。
アメリカ人の際限ない肥満ってここらあたりに原因があるんじゃね??
アメリカがおかしいのは量だけだよ
バランス的には、そう悪いもんじゃない
そうかぁ?
ややスレチ気味で申し訳ないが昔ステイしたときは
芋芋芋肉肉肉肉グレイヴィソース
ターキーサンドピーナツバタサンド
コーヒー林檎って具合で
開拓民の飯とはこういうもんかと胃の腑に染みたが
>>374 >芋芋芋肉肉肉肉グレイヴィソース
ワラタw
しかしそんな極端な例持ち出されてもな
「日本人は皆毎日カレー食ってる!」とかいうblogじゃあるまいし
あとアンタも書いてるけどリンゴの存在は結構でかいよ
アンタの言う「肉肉肉!・・」ってなソレに、コールスローでだいぶ良いね
コメという足枷が無い分、バランスは取りやすいはず。
ほしゅー
保守
380 :
もぐもぐ名無しさん:2011/05/02(月) 21:15:29.47
記録だの本だのを持ち出して「江戸時代はこうだった」というが
だいぶあやしいよなぁ・・・・・・
今だって料理本通りのメシなんざ食ってるヤツはめずらしいわけで
日記魔のつけた日記は結構参考になる。
現代でもそういうヒトいるよね。
あと、公式文書は正確に偉い人の食ってるメシを記載してるんじゃ無いかねえ
382 :
もぐもぐ名無しさん:2011/05/20(金) 15:41:32.64
武士や町人は、それなりに記録残ってるけど
農家となると謎。
超田舎の寒村ってやつなんかはもう想像もつかん
383 :
もぐもぐ名無しさん:2011/05/20(金) 22:43:53.25
アメリカンのイメージ
肉とアイスクリームとふらいどぽてと
384 :
もぐもぐ名無しさん:2011/05/20(金) 23:01:03.67
385 :
もぐもぐ名無しさん:2011/05/22(日) 19:29:38.29
朝は炊き立てのご飯。
昼は屋台の寿司やうどんで外食。夜は朝炊いた冷や飯を茶漬けや、おじやでいただくのが一般的な江戸庶民
386 :
もぐもぐ名無しさん:2011/05/23(月) 01:50:33.72
上方は夜炊いたんだっけ?
でも江戸庶民の話はもういいよ、何が粋だったとかいう話にしかならないし
そんなのどうでもいい。
語りたい奴に語られすぎだし本も多いし誰でも知ってるだろ。
犬食べてたらしいな
388 :
もぐもぐ名無しさん:2011/05/23(月) 08:25:02.00
上方は、昼にご飯を炊き、昼食が豪勢と聞く。ヨーロッパのように、ゆっくり食うようだ。3食食ってたらしい。
江戸は、基本2食だったらしい。昼食は、間食にあたり、あまり食わないらしい。だから、出店みたいなところで、ちょっと摘まんでみたいな店が流行ったみたいだ。
389 :
もぐもぐ名無しさん:2011/05/23(月) 14:05:48.07
貧乏臭いw
390 :
もぐもぐ名無しさん:2011/05/23(月) 14:30:52.50
今が恵まれ過ぎてるんだと思うよ。
391ゲット
こんなばかはいなかったんだろうな。
392 :
もぐもぐ名無しさん:2011/05/23(月) 16:42:39.00
必殺仕事人の中で、下級役人の藤田真さんは昼にみそ汁定食を食べてた。
393 :
もぐもぐ名無しさん:2011/05/23(月) 17:19:30.02
無論、まったく食べない訳ではないようだ。
毎日ではなく、まれにという意味で。
でっちの昼食は時間をとらずに食べるようになっていて
冷や飯に水やお湯や茶をかけたりして流しやすくして
山盛りの漬物で飯食ってたんだとか
悪くない
395 :
もぐもぐ名無しさん:2011/05/23(月) 17:31:47.75
江戸の小作農は昼飯などありつけなかったに違いない
町人でさえ2食なのにw
白米に山盛りの漬物は贅沢だな
396 :
もぐもぐ名無しさん:2011/05/24(火) 03:57:06.75
まぁー日本人なら白飯と味噌汁と漬物があれば基本的にOKだな!
人生50年で良きゃなw
今サプリあるから余裕だろう
白飯なんてほとんど江戸以降だろ
江戸時代の終わりごろ日本に来た外国人が横浜から日光までかごを頼んだ。
しかし籠を担ぐ2人の男は走り抜いたんだ。途中休憩することもなくやり遂げたんだぜ。
スレチ
強引に解釈すれば外国みたいに肉とか食べてるわけじゃなく
米と野菜と魚だけで量も慎ましい飯食ってる日本人でも
そういうことを成し遂げたんだぜってことじゃね
スレタイ嫁よバーカ
杉浦先生は俺も嫌いじゃないんだけど
江戸愛が強すぎて何もかも美化肯定しているんじゃないかと疑う
司馬が登場人物にいれこんでしまうように
405 :
もぐもぐ名無しさん:2011/05/25(水) 07:17:36.58
かっけな人が多かったらしい。白飯ばっかり食ってたから?
玄米ってそうビタミン摂れるもんなのか?
江戸民はただ野菜や果物食わなかっただけじゃね
野菜食わないってより米食い過ぎだったんだよ
白米だけバカみたいな量食ってるとかアタマ弱すぎるよ連中
成人男子で日に5合ってのはまぁ誇張だろうが
それにしたって食い過ぎ
おかず入んないだろ
やっぱ白米食いは日本の汚点だよ
日に五合って多いか…?
知り合いの自衛隊員は玄米普通に一升食うが
今はさすがに、普通の人でそんなに食べる人はいないと思うがw
まあ、昔はおかずがなかったから、それもしょうがないんじゃないの?w
>>408 そういう記録があるってだけの話で
誰もかれもそんな食ってたわけじゃないよ
どうもあの時代の記録は大袈裟に書かれてるフシがあって
とても額面通りに受け入れられるもんじゃない
ヘイタイの飯盒というのは、4合炊で1人前/日だからな、
江戸で5合はふつうかもな
たんぱく質を米だけで摂取しようとすると、
そのくらい食う必要が有る
とニシマルのオサンが言ってたぞ
そのおっさんがそう言ったらってのも随分テキトーだねぇw
宮沢賢治も言ってなかったか?
>>413 一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
でも好物は天ぷらそばと三ツ矢サイダーだったんですよね
まぁ単なるお坊ちゃんですからw
417 :
もぐもぐ名無しさん:2011/06/10(金) 10:39:11.64
天ぷら傍杯はおおすぎるぞなもし
昔の人にとって四国に行けってのは死国に行けって聞こえたのかもな
419 :
もぐもぐ名無しさん:2011/08/04(木) 04:02:39.38
捕手
420 :
もぐもぐ名無しさん:2011/08/04(木) 06:26:14.32
海辺の地主だったから注文のデカイ船で日中釣りしてて
鍋いっぱいの魚をおかずに小作から届く米を一食一升食ってたそうだ
江戸時代の寺の過去帳でも享年90代がザラ
明治生まれのひいじいさんも身長175はあった
俺の息子は190p代だわ
>一食一升食ってたそうだ
毎日死体が出るクラスの大食い大会ですか
まぁ江戸時代の過去帳には、極端な誇張や嘘が多いからねぇw
贅沢三昧で体格も大きかった英国貴族と庶民の様な話が日本にも
あったんだな、興味深い話だわw
>>421 >>420の一食一升は誇張だと思うけど。
江戸時代の寺は住民登録機能・身元保証を請け負ってたのを知らないのか。
少なくとも俺の実家の寺の過去帳は
死亡事実の淡々とした羅列でしかない。
1日1升なら十分ありそうだな、俺も一番食った時で1食5合は軽く食べてたからねw
そうそう、そういう俺は俺はっていう自慢話(?)なんかで
大袈裟な話が日常になってしまい嘘や誇張だけが「日常」として記録に残る
少なくとも量に関しては嘘ばっかだね
まぁ税金対策もあったんだろうな
426 :
もぐもぐ名無しさん:2011/09/03(土) 23:32:10.58
戦国時代じゃあるまいし、特別飢饉でもない限り
農村でもそれなりに食い物有ったと思うけど
詳細に関しては、あんま農民の食事って記録にないよね
雑穀雑炊とか、大根の漬物かじってたんだろなってな想像は付くけど
427 :
もぐもぐ名無しさん:2011/09/04(日) 00:32:17.64
こんなスレがあったのか。よく、江戸期以前の庶民は肉を食わないと言い張る奴がいるが
結構、獣の肉食ってるんだよな。地域によっては、発掘現場から焼けた獣の骨が出土している。
何をドヤ顔でスレチ語ってんだ?このバカはw
別にスレチじゃないと思うが今更だわな
>>427は「薬食い」でぐぐれ
ただ、地域性もあるが
「食べていた」というほど頻繁じゃなかったと思うけどね
430 :
もぐもぐ名無しさん:2011/09/04(日) 20:22:02.39
当時の人口が1億人ならな。
少し前に他の板で見たキチガイだな
負ける度に他の食べ物スレに逃げていってる
うちの爺さんは大正8年生まれだが、戸の代わりにむしろが下がった家で生まれたそうだ。
全員が寝るスペースもなくて、5人家族のうち年長の子供2人は土間で寝たんだとか。
食う米もなくなると、ぬか床をそのまま食ったそうだよ。
過去帳をたどると幕末で家系がぷっつりとロストするんだわ。どうも真忠組に加わって戦死し
た郷士が祖先らしいんだが、士族なのに秩禄処分で公債をもらえなかった理由がそこらしい。
どっかの殿様から禄をもらってたわけではない、実態は普通の自作農だったらしい。
よく、時代劇で見る漬物と白米だけの食事ってのは貧乏のどん底の食事じゃないね。
白米が「貧乏のどん底料理」なわけないだろwwww
434 :
もぐもぐ名無しさん:2011/09/05(月) 01:37:03.38
最高で8分突きだろ。白米なんて労力いるし。
玄米の粥もどん底食ではないな。
江戸時代辺りは、なにかっつーと箱膳箱膳言うが
あんな細工物、農家は買えなかっただろうしな。
食器も粗末で、素焼きとか、塗りのない木椀だったって話だけど
雑炊食うにはどっちも向かないし、ある程度使ったら薪だったんだろうな
素焼きは割れるまで使ったんだろうけど
江戸の朱引きのうちと外の環境は全く別だと考えるといいっつー話は聞いたなあ学生時代。
江戸の中では正しいんじゃ無いか、白米と漬け物。
藩米とか江戸以外から米が集まりまくってた環境なんだろうし。
江戸時代までって話のスレであって
別に江戸の町人文化限定とかのスレじゃないから
それに、そんな時代の江戸限定資料は有り余ってて今更だろ
誰も喜ばん
439 :
もぐもぐ名無しさん:2011/09/28(水) 06:03:07.01
室町時代末、伏見で油屋やっていた俺の御先祖様
朝は飯、汁、漬物、川魚
昼は粥、漬物、汁
夜は飯、汁、漬物、川魚または雀か鶉
と日記に書いてあった。
その子孫の俺はガソリンスタンド勤務
油屋の遺伝子を断ち切りたい。
伏見のリッチな商家の主ならアリな献立だと思う。
昔の貧しい農民と今の飽きつくした味の三食スパゲティの貧しい若者と
どっちがきついんだろうか
443 :
もぐもぐ名無しさん:2011/09/30(金) 02:48:51.09
当時の伏見は京、堺に匹敵する大都市だよな
室町時代に3食か・・・・
445 :
もぐもぐ名無しさん:2011/09/30(金) 19:49:55.07
昼は昼食ではなく中食だろ。
>>439 ほお。商家で朝が飯で昼が粥とは珍しい。
普通は朝が煮かえしの粥で、飯は昼以降に炊くんだが。朝は忙しい。
反対に職人は弁当の都合で朝に炊く。
その辺の「普通」は東西でも違うけどね
448 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/01(土) 03:04:21.42
雀を食うのが伏見らしいよな
今でも伏見稲荷の門前では雀の丸焼きが名物らしい。
>>448 ああ、昭和30年代に父が、これから焼かれる雀でいっぱいのカゴを見て、
まるでゴミのようだったと言ってたな。
あくまでも推測だけど、お稲荷さんは
商業の神様であると同時に農耕の神様でもあるので、
当時は百姓が目の敵にしていた雀を焼いてたのだと思う。
雀は結構美味いらしいけどね
451 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/03(月) 12:42:01.07
新橋の鳥ぎんという焼き鳥屋に雀があったな。
雀は2回ほど食べたことがある
印象は残っていない
骨も食えるいかだの焼き鳥みたいな
>>449 でもさ、雀は害虫も食べてくれる訳だから、雀が食べる分くらいは見逃してやった方が
プラスなんだよねw
中国じゃ、50年ほど前に毛沢東の命令で雀を撃退したら、ドエラいしっぺ返しに遭った訳だし。
455 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/03(月) 21:43:24.04
>>411>>424 おれも一食2合で3食たべてるから一日6合は食べてるわ
150g×6で900グラム/日だな
山形県庄内地方には「庄内の一升めし」という言葉が残ってて
昔の人は一日一升食べていたそうな
はいはい
しゅごいしゅごい
俺も秋田の山の方の出身だけど、山の仕事をしてた祖父がしょっぱい塩鮭や漬け物や
味噌汁でご飯を一杯食べてたのをボンヤリとだが覚えてるな、そんな食生活だと
案の定、63、4才で脳卒中であぼ〜んでしたわ(苦笑)
こんな馬鹿な孫のためにキツい仕事してたと思うとやりきれんだろうな・・・
まあコメは「人生50年」仕様の食い物だから仕方ないよ
461 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/04(火) 00:37:45.06
え、米って体に悪いの?
たしかに糖尿病にはならやすいのかも知れないけど
太るけどうまいしおいしいおかずがあるといくらでも食べられる
でも最近おいしいおかずというのが減ってきたな
ハンバーグやから揚げとかそういうのが多く目に付く
米に会うおいしいおかず
・漬物
・しょうゆ
・焼き海苔
・塩鮭
やっぱりしょっぱいものが美味しいんだなぁ
おかゆライス
>>462 >太るけどうまいしおいしいおかずがあるといくらでも食べられる
おいしいおかずがあったら幾らも食えないと思うよ
1日5合食ってたとか言われる時代でも、おかずらしいおかずが付くと
とたんに量食えなくなったというし
米をおいしく食べさせるような
米をいかすような
そんなおかずという意味だろう
そうすっと漬物くらいじゃね?
メザシ一匹でも付きゃ全然量食えなくなったって聞くけど
まあ1日に5合とか食うほうがどうかと思うがw
日に5合とかって、もうほとんど米だけだよな
塩っ辛い漬物つまんでズガガガガッとかっ込むとか
んで、汁で流し込む感じか・・・・・・
(>*<)←こんな顔になるようなクソすっぱい梅干し
無性にお腹のすく中高生時代ならどんぶり飯何倍も食べれたけど、大人になってもそんな
食生活じゃ寿命が縮むだろうな。
473 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/16(日) 08:08:04.06
ちょうど10年前くらいに放送されたNHKのドラマ、『聖徳太子』の
お食事シーンはおかずがかなり多彩で豪華だった気がする
つか、やさぐれた蘇我馬子が手掴みでくちゃくちゃ食ってた鹿肉がめちゃくちゃ旨そうだった
いや、TVドラマの話は他所でやって
邪魔だから
NHKのドラマなら(一応)考証はしっかりされてるんじゃない?
NHKなんて数やってるだけに特にボロボロだからw
まぁいいんじゃないの?TVドラマ作ってる連中の仕事は、実史を見せて勉強させる事じゃなくて
客の観たがってるウソを観せて木戸銭取る見世物小屋を続けることだからね
でもその娯楽産業とこのスレは関係ない。
フジが時代劇作ったら秀吉が朝鮮から唐辛子を持ってくる場面が
478 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/18(火) 06:53:27.79
近世近代の風俗に興味があるので江戸や明治の庶民の食生活を再現するのにハマってる。
私にとってはこれが同世代の女の子たちがパスタやら何やらに凝るのと同くらい楽しい。
秀吉が朝鮮出兵の際に、向こうから持ち帰ったんだろ?
社会科でそうならったような気がするぞ
江戸時代の飯は湯漬け水漬け多そうだね
電子レンジなんか当然無いし
長屋なんか七輪も使い回しのところが有ったそうだから
大店なら飯炊き専業居ないと回らないほどだろうけど
それでも管理しっかりしないと夏なんかすぐ腐っちまうし
当時の干し飯と同じパックご飯がその電子レンジで作れて
手軽に長期保存可能な米で暖かい飯が食えるなんて感慨深いな
483 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/21(金) 10:17:23.67
江戸の小説に淡雪とかいうふわふわ卵料理が出てくるんだけど、どんなんだろう
子どもが爺さんにねだって喜んで食べてる場面があった。
今でも食えるけど
そんな美味いもんじゃないよ
食感命だな
タイムマシンで卵を一杯持っていけば感謝されるだろうな
お礼なんて子供達の笑顔や金脈から掘り出した金をたくさんくれたらそれで俺は満足だよ
いや、卵屋の雇ったヤクザに刺されて終わると思う
487 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/21(金) 17:15:34.89
池波正太郎の小説の飯が食いたい。
488 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/21(金) 17:52:10.28
唐辛子は中国から日本に伝来して、韓国に渡った。朝鮮出兵の際に香辛料ではなく、保温材や
体を温める薬剤として持っていった。
>>487 再現とか頑張っちゃってる人いるけど
今食って美味いかどうかは微妙な気がする
おっさん向けファンタジーだし
ちょっとあの時代の豪快さにも欠けるかな
気取り入ってるし。
たまに破天荒な豪快さも顔を出すかと思えば
茶漬けならぬ「酒漬け」だしw
芋酒は悪くない気もするが、鮎飯はちょっと俗っぽい。
所謂代表格、五鉄の軍鶏鍋ほどじゃないけど。
>>488 唐辛子って名前的には意外だけど日本から支那や朝鮮に渡ったのが正しかったり
じゃ、なんで”唐”辛子か、というと、舶来品とかにはとりあえず唐とか付けてたから
491 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/21(金) 18:10:43.54
唐とは中国方面から来たものだからな。貿易のほとんどが中国メインだからな。
しかし、履物の中に入れていた唐辛子を朝鮮人は食ったのかね?結構蒸れてたと
思うけどな。
492 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/21(金) 20:20:01.50
朝鮮人だから大丈夫ニダ!!
493 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/21(金) 22:21:50.22
日本人の足臭い唐辛子を食うのか。さすがだな。
>>15 味噌は少なくとも弥生時代からあったみたい
縄文時代からあった可能性も十分ある
有るには有ったろうけど
今と全く感覚違うよね
味噌や醤油が特別な高級品でなくなったのなんて
歴史的に見ればつい最近の事だし。
>>496 醤油は金で買わなければならず、古くは高級品だが、味噌は中世以前から庶民の家で自給できる必需品だよ
ただし、戦国時代以前の味噌はおかず扱いだったからね今とは位置づけは違う
>>497 わかるわかる
いまほど気楽じゃないって話
500 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/23(日) 17:56:50.33
戦国時代は芋がらを味噌で煮しめて縄を結って腰に巻いて持ち歩いていたとか。足軽にまでいきわたっていたのだから
かなり庶民度は上がったいたんだろうな。
芋といえば里芋だった時代に戻って欲しい
ほやを最初に喰った奴は勇気有るな
そういえば山奥は塩ってどうやって手に入れてたんだろう?
やっぱ普通に取引?
504 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/23(日) 21:21:24.77
普通に取り引き。塩は高かったそうじゃないか。
長野の山奥には「塩いか」という、いかを丸ごと塩に漬けたのがあって、どっちかっていうと
いかより塩の方が重宝されたらしいね。
今の長野じゃ作ってないのかな?
イカの方を食べてみたい
>>506 長野で作ってるかは知らんが有るには有るでしょう
数年前長野の温泉のTVでCMみたw
江戸時代以前で、しかも平民以下の日常となると
もう雑穀雑炊と漬物くらいしか思いつかん
山間部でも猪や川魚は捕れたろうけど、そうそう頻繁に食えないだろうし
あとなんだ?豆とか芋?
509 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/23(日) 23:53:29.74
豆も芋も江戸以降のほうだろ。漬物も塩の流通が増えるまでは今とは違うだろ。猪と鳥、ウサギは
焼けた骨が出土しているから意外と食っていたかもよ。それに、1日2食プラスだからな。
>>508 魚は鮎、ヤマメ
フルーツは柿やアケビ、桑の実、山梨、すもも、ビワ
栗、くるみ、キノコ、山菜
いろいろあったんじゃない?
>>509 そんなわけねーよ
里芋とか山芋があるじゃん
>>510 あーそっか、果物有るよね
銀杏もいいよなあ
なんだ、結構いいじゃん昔もw
512 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/24(月) 00:32:24.13
>>511 山芋というと近代の品種改良種だよ。サトイモはあったけどな。自然薯などのイモ類は栽培が難しく
珍重された。サトイモも現在の品種は改良されて栽培しやすくなっている。今でも安くない品種が
多いだろ。
猪と取り合えばいいしw
改良前だからといって栽培しなければ食えないわけではない
514 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/24(月) 00:38:55.20
>>513 何か勘違いしてないか?改良前の品種は小さかったり、栽培しにくかったりと面倒が多い。
食えないとは書いてないけど?それとも、書いてないものが見えた?
>>514 そっちこそなんで上げてまで妙に絡むんだよw
里芋なんか縄文ですら食ってたっつーじゃん
516 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/24(月) 00:46:47.06
>>515 は?べつにそのまま書き込んでるだけだけど。だから、食ってないとは書いてないだろ。
サトイモには多くの品種があるのご存知?
なかよく干し柿たべようよ
>>516 そっちこそ書いてないものが見えてんじゃないの?
ビョーキ?w
なんだ?戦か
520 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/24(月) 00:52:55.80
>>518 恐っ。レスしたら絡んでるとか書かれる。薬?病気?ヒッキー?マジで恐っ。
食える物だから品種改良の対象になったんだし
少なくとも獣絞めて食うよりゃ芋のほうが日常だわな
なかよく干し柿たべようよ!
523 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/24(月) 01:00:05.96
農業をして定住した連中は菜食が多くなり、狩りを行い移動している連中は肉食が多くなるとかじゃないのか。
マタギも戦前までは家と山小屋を往来してぐらいだし。
おとんが魚とってやっから
おめーは土手でナズナづんどげ
>>523 >戦前までは家と山小屋を往来してぐらいだし
はいスレチ
526 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/24(月) 01:05:44.57
>>525 お前は518の変な奴だな。サトイモの理解は出来たかな?
>>526 「自分以外全員無知でバカ」の人は荒れる元になるから来なくていいよ
貝でも焼いて食っとけ
上げてる時点で煽り荒しだって気付こうよ
529 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/24(月) 01:16:05.48
>>527 やっぱりそうか。荒らしはお前だろ。ぷっ。自分以外全員無知でバカって、お前がそう思ってるから
思いつく言葉だな。
で、サトイモの理解は出来た?結構、不思議な野菜だぞ。
月曜日になるとみんなナイーヴだな
なんか芋に恨みのある人が居るな
532 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/24(月) 01:21:27.00
粟にヒエ、不味いが何処でも育つ穀物。ということだが、今の食事と比べるとのような気もするが。
「自分以外はバカの時代」って本有ったねw
喧嘩を装ってるやつは自演の二役
バカなヤツもいたもんだ
>>532 粟もヒエも食べたことないけどまずいのかな?
現代は雑穀ブームだし意外とおいしいんじゃない?
>>535 美味いもんじゃないよw
今食ってどうのこうのってスレでもないが
男は結構雑穀ごはんとか嫌がるの多い感じがするな
俺は男だしどっちでも良いと思うけど白米信仰は男のほうが強い気がする
なんだろなあれ?丼物習慣のせいかねぇ?
自分は玄米が好きでわざと白米じゃなく玄米たべてたよ
白米のほうがすぐ血糖値上がって元気になるから
男の人はあの感覚が好きなのかもね
自分は玄米のおだやかな上がり方が好きなんだ
>>506 数年前、飯田市のサティで見た。
どこで作ってるか等の表示は忘れた。
作ってるのは糸魚川
新鮮なのをわざわざ塩イカにする
ゆえに高い
酢の物か茹でイカかな
540 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/31(月) 21:50:05.60
俺、以前玄米5麦5の麦飯を炊いたことがある。
あれはもはや食い物ですらなかった。
体が食うのを拒否した
541 :
もぐもぐ名無しさん:2011/10/31(月) 22:52:19.40
俺はいつも玄米100%で食べている
うまい
以前、押し麦100%でも炊いてみたことがある
プチプチしてうまかった
542 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/01(火) 01:31:41.49
おいらは押し麦は大の苦手なんだがなぜか丸麦は好きだ。
炊くまでの準備が手間かかるけどね。
押し麦は粒の真ん中に筋があるというのがどうもダメなんだが
丸麦は噛んだときの「回りのバリア突破! 」感がなんともハイテンションになる。
玄米好きの人ならきっとわかってくれるんじゃないかな。
おまいらスレタイ
江戸時代の人が食べてた玄米や麦飯などはだいたい今の形状と同じもの?
麦は品種とか違うかな?
米食えない層はALLアワとかそういうのじゃないの?
江戸時代でも中期以降は皆それなりに米食ってたみたいだけどね
寒村とか貧民層はヒエとかアワで雑炊だろうな
まぁもっとも、貧民=多数派だったとも思うけど
物々交換や米相場の事もあるし、米はもう食い物ってより半ばカネだったわな
米って年貢というか税だったんだろ?
作っても持ってかれるって切ないな
税というかほんとカネだよ
武士は武士で石高受けて、それで人雇ったり
酒や食材や調味料買うんだし
昔は両替でメシが食えたんだぞw
549 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/01(火) 18:26:40.58
農家ったって、小作が地主や庄屋の土地を耕作していたし、田畑があっても換金作物だから商品だ。
産業として行っていたから切ないなんてないだろ。それに、自分用は別に栽培とかしていたしな。
百姓にも4段階くらい階級があったからね。
振る舞いの時しか米を食えない百姓なんてたくさんいたろ。
551 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/01(火) 20:45:09.57
米はなんだかんだで供出しなきゃならないが、裏作でつくる麦はじぶんたちのものだからね。自然と麦食になったんだろう。
麦を裏作できない厳しい気候のところは寒さに強いアワヤヒエ。
今の山梨県あたりでは夏場の暑さを利用してトウモロコシを植え乾燥保存し米に混ぜて炊いていた。
あと畦でつくる里芋もご飯の炊き込みアイテムですね。
里芋というのはよく知らないけど重要なアイテムだったらしいですね
芋といえばさつま芋でもじゃが芋でもなく、里芋だったとか?
里芋たべたい…
553 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/01(火) 22:42:55.38
サツマイモもジャガイモも外来作物だからね。サトイモも土壌で味も収量も変わるから
安定供給とはいかないらしいけど。
弥生初期は米とならんで芋が主食だったという説がある
555 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/01(火) 23:08:25.86
サトイモと自然薯などのヤマト芋の類。
じゃあ弥生式土器でサトイモや長芋をゆでて食べてたのかな?
ロマンだねえ
広大な土地があれば芋の栽培は簡単だったようにも思う
収穫量が少なくともたくさん植えまくれば量はとれるから
ロマンだねえ
557 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/01(火) 23:21:24.75
沢山植えると土地が痩せるし、収量が減る。ちなみに山芋は蒸すとホッコリして美味い。
芋は連作が効かんので稲に変わったらすい
へえ〜、たくさん植えまくればいいってものじゃないんだ
いつか来るかもしれない食糧難にむけてサトイモと思ったけど甘かった
弥生時代の人も苦労したんだね
芋は確かに連作障害が多いけど
畑2面用意して1面ずつ交互に使えば良いんだけどね
別に芋だけ植えなきゃいけないわけじゃないし
焼畑しなくても石灰使うなりなんなり
いくらでも方法はある
まあその知識もシステムも弥生人には無理w
いや、普通に二年目から採れなくなるから
嫌でも思い知るでしょ
明確にシステム化、習慣化したかどうかは知らないが
似たようなことはしてたはず
563 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/02(水) 01:18:21.64
弥生人は原人じゃないしな。
弥生なんてもう絹織物が有ったはずだし
原人どころじゃねぇよw
さんぽ制の成立時期からみてなかなか連作障害の知識あっても
対策はムズイだろう
あいだを適当に明けるぐらいだな
だからこそ主食にならなかったんだし
主食にならなかったのは芋の保存性の問題であって
だから栽培していなかった、という事にはならない
サトイモの伝来は縄文期らしいよ。
島伝いにきたらしいね。
タロイモが原種らしい。
米も芋も全部南からだな。
ていうか縄文の時点で既に焼畑が行われていた説が有力なんだし
芋食ってたのは分かってるわけだから
当然連作障害の事も知っていたし、対策もしていた事になるんだが
米が駆逐したってのはあるかもよ。
つか駆逐とか、そういう関係なの?
日本の気候風土からして、一箇所定住で通年芋を食い続けるのは
たぶん不可能だぞ?
米>豆>芋、ってな順位は有ったと思うが
米、芋、どちらかがどちらかを駆逐するとかいう関係にはなれないよ
駆逐というか好まれるようになったということね。
味覚なのか、栽培の簡易性なのか、それは分からないけど。
もちろん、主食といっても現代の主食とはおおいに状況が違うでしょ。
恒常的な主食というより、はるかにか細いものだたんだろうけど。
ま、表現の違いだと思ってよ。
572 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/02(水) 22:21:59.31
連作が出来て保存が利くのと、連作が出来なくて保存が面倒では結果は見えてるな。でも、食料として有効だから
芋が廃れなかったわけだし。それに、当時の米は今ほど強い品種じゃないし、収量も違ったろ。だから、山菜とか
果実、木の実なんかも食料になってるし、地域別の特色もあるわけだろ。栃のみなんて灰汁だらけの木の実を食う
方法を見つけた奴の執念は2チャンの常駐者より粘着気質に思える。
>>571 だからさ
なんで芋を持ちだして主食主食言ってんの?
日本で芋主食にするなんてあの時代に無理に決まってんじゃん
四季無視であちこちの地方からスーパーが取り寄せてくれる現代と違うんだし
574 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/02(水) 23:13:22.08
昔、食べていたものは
大根の葉っぱ、ニンジンの葉っぱ、カブの葉っぱとか7草みたいに
植物の葉っぱを食べていました。
大根、ニンジン、カブみたいに根菜というのは、何回でも収穫できるので
非常に重宝していました。
塩は海水を使っていたので、特に困ることはありませんでした
根菜類や葉物野菜を年中海水に漬け込んで1年を通してりようして
雑穀と一緒に煮込んで食べていました
魚はさばいて内臓などを取出し海水で良く味付けして干物にしていました
良く乾燥させると干物は1年中食べることができます
塩を作るときに出るにがりなどは、味付けや豆腐に使いました。
根菜類の根は秋になるまで食べませんでした
肉類なども濃い塩水に漬け込んで干し肉などにも利用されていました
干し柿のように果物は干す事で一年中利用可能でした
新巻鮭のように魚は長期保存できるように加工されていました
昔っていつだよw
576 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/02(水) 23:47:25.30
海水の塩分では美味い干物は作れるが、日持ちはせんな。
577 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/03(木) 00:26:23.61
煮干しと言う製法が日本には古来からあり
新鮮な魚を一度煮込んでから干す方法もあります
塩田という方法で濃い塩や塩水を作り出す方法もあります
単純に砂浜の砂に海水を入れてほおっておくだけでも濃い塩水になります
現代人が食べている干物より1週間長く日干しするだけで1年以上
食べることができます
かつおぶしのルーツを追えばこういった製法が数千年前から存在することは
あきらかです
魚をぬかに漬け込む製法や酒粕だとかあらゆる製法が存在します
お米を主食にする以前は蕎麦などの雑穀をかゆにして食べていました
蕎麦などの雑穀の起源はモンゴルじゃないかと言われていますが
日本固有の品種が存在することからこの説は否定されています
モンゴル方面の蕎麦は韃靼蕎麦種といい、日本固有の品種とDNAが異なります
日本固有の蕎麦種が全国的にあるために蕎麦は輸入されてきたとは考えにくいようです
海苔や昆布などの海藻類や新巻鮭などの文化などを調べると
蝦夷からの文化が強く、日本固有の食べ物のほぼすべてが北海道由来です
なぜそんなにいろんな文化が流れてきたエゾと交流がなかったんだろうなw
そして後になって屯田兵送るとか
579 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/03(木) 08:50:49.74
屯田兵が来た理由は、北海道の土地を有効利用して食品を増やすためでしょ?
文化が流れてきた?
世界史を学ぶとギリシャローマ時代とかイギリス、フランスの革命など
そういう歴史を学びますね。
だからといって、ギリシャやイタリア、フランス、イギリスが現代でも
文化の中心ですべての近代文明のおおもとでって事になりませんよね?
あなたが、道端に乞食がいたらかわいそうだから生活の面倒をすべてみよう
そういう事は無いはずです。
物事すべてが合理的に完成されていると思い込んでいるゲーム脳の人ならでは
そういう発想がとある国の人そっくりですね
北朝鮮はこんなに文化がすすんでいる現代社会でなんで戦争しようとしているの?
アフリカ人はなんでこんなに世界中が豊かなのに働こうとしないの?
あなたの考えている世界と実際の世界の間には非常に大きな開きがあって
合理的に説明することしか考えていないのであればあなたが民主主義国家の
人間の考え方じゃないからと言いたいです
580 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/03(木) 10:54:22.69
良スレ
581 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/03(木) 11:03:15.20
もっともらしく書いてるけど断片的な生半可知識を並べてるだけで笑えるな。
リアル中学生かな?
583 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/03(木) 11:23:49.97
確かに米はうまいな
芋よりうまい
米と、ほんの少しの塩気があれば何杯でもご飯が食べられる
米うまい
585 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/03(木) 12:00:38.62
先人の品種改良に感謝
むかしの日本に渡ってきた米は揚子江あたり(うろ覚え)?のジャポニカ米だけど陸稲だったらしいね
陸稲か・・・
今とイメージ違うね
588 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/03(木) 23:19:46.05
江戸時代は白米食中心でビタミン不足になり、脚気が大流行したと聞いた事があるけど、オカズの漬け物でビタミン補給にならなかったの?
なったら、脚気が大流行しないだろ
ば〜〜か
590 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/03(木) 23:39:13.40
糠漬けでビタミン補給できるぐらい食ったら、塩分過多にならんか?それに関東で漬物をおかずにするほど
食ってたのかな?誰か知ってる?
591 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/03(木) 23:40:22.28
>>588 江戸患いだっけ?
白米がメインの上級武士にも脚気が多かったらしいが、徳川家康は麦飯メインの粗食だった為、脚気とは無縁だったらしいね。
592 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/03(木) 23:54:47.24
>>588 うる覚えだけど、江戸の食生活は三白、
つまり白米・豆腐・大根が基本だったらしい。
そりゃ脚気になるわな。
玄米で止めときゃ良かったのにね
馬鹿な事したもんだ
今の若いのなんか「ごはんだよ」と言われて白米でないと
怒り出すんじゃないか?w
せいぜいここ150年程度の習慣なのに「日本人なら!」とか笑える
594 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/04(金) 00:01:38.57
そもそも、農村なんかは八分ヅキだったし、それでも贅沢だ。
ドイツ軍のザワークラウトも実はビタミン補給にはぜんぜんなって無かったって話し出し
ビタミンはいっぱいあるから足りないって話だろう
ビタミン補給に役にはたつ
ビタミン錠剤のアリナミンってすごい発明だったらしいな
たまにお世話になるがこれ1瓶ありゃ船旅も余裕ってわけだ
船乗りは壊血病だから
アリナミン山ほど飲んでも効かんわなw
>>599 なるほどww
(種類が)」いっぱいあるから(種類が)たりない
ビタミンの種があることがわかってない書き込みにたいしての返答としては
あきらかに言葉足らずだったわ
足りないのは知能だな。
うむ、バカが書き足すと余計に分からなくなるな
言葉足らずとか思い込んでおめでたいこった
ばかとか何とかって攻撃的な単語使わないでよ
スレの雰囲気悪くなる
バカの書き込みを何とか読み取ってやろうという優しさも解せずに
上っ面だけで攻撃的とか雰囲気とかもっともらしい事言うな
脚気ってすべてのビタミンをとらなきゃ防げないの?
マルチビタミンでものんでろみたいなほどに?
種類によってはビタミン過多は体に悪いから、足りないビタミンだけ補給するのが基本
その意味では、マルチビタミンなんか危険かも
まぁ、江戸患いは(過剰摂取のリスクのない)ビタミンB1だから摂取さえしてれば問題ないか
しかしB1なんて肉でなく漬物からでも摂れるだろうに
どんだけ必死こいて白米ばっか食ってんだって感じだな
まあ当時の江戸はニートとフリーターと独身満載だったから
テキトーな食生活の奴が多かったんだろうw
七輪だって長屋で使い回し多かったってんだから
漬物樽くらい共有すりゃ良かったのにな。
609 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/04(金) 18:40:23.87
米が多過ぎたんだよ、当時の人口より石高の方が多いから。
多分当時は米であふれかえってたんだろね。取り敢えず米食っとけみたいな感じ
江戸時代じゃあないが、明治生まれ遊郭育ちの近所の爺様曰く
おこうこっていうのはぼりぼり言って行儀悪いからいちんちいっぺんで済ますものだったとか。
音を立てて食べるものは出来るだけ出さないのが域だったとか言ってたなあ
だからおおっぴらに漬物食うわけじゃないのかも。
遊郭だからかもしれんけどね
遊郭だからでしょ完全に
接客業の独自ルールは今も昔もそれなりに有るし
販売や営業で昼間にんにく食えんのと変わらんよ
「マナー」とか「行儀作法」じゃなくて「足元を見る、見られる」ってな
下世話習慣がほとんどだけどね
禅僧の習慣として漬物食うときに音立てんな
禅僧なんて営業どころか芸能人だしなw
615 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/04(金) 23:38:19.98
世界一健康的な食事は、日本の刑務所の食事な気がする
616 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/05(土) 00:38:27.45
スーパーで見ると雑穀米が、白米より高いのは驚いた。
ガソリンが安かった頃に、リッター辺りの単価がミネラルウォーターの方が高かった頃を思い出した
617 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/05(土) 01:03:28.25
「麦飯喰ふくれえなら死んだほうがマシだ」が江戸っ子。
当時は押し麦の技術が進んでなくて、丸麦を炊きこむには前の夜から水につけたり、
炊くにもコツがいってかなり手間がかかった。
職人や商人にしてみればその手間を仕事に振り向けて稼いだほうがよい。
丸麦の飯は弁当にも向かないしね。
農家なら家に帰って食べられるから雑炊にしたりできるけど。
いやべつに、玄米食えば良いだけなんだがw
619 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/05(土) 01:30:47.61
江戸の町にはしじみの棒売りがきてたんだから、しじみ汁飲めばビタミンBはとれそうだけどな。
野菜は、ささやかながらも庭のある一戸建てなら簡単な青菜は自前でまかなえただろう。
しかし長屋暮らしでは金だして買わなきゃならんからやはりつい縁遠くなったかな。
大店にでも奉公してりゃ忙しいながらも健康的だったろうけどな
丁稚でも漬物だけは大量に食えたって話だし
地方から届くものは塩漬けとかそういうのばっかりだったの?
622 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/05(土) 09:59:04.73
大航海時代は脚気予防にモヤシが大活躍したらしいね。
いいや全然
田舎に住んでれば現代でもたくさん食べ物がある
野草に野の果物、木の新芽やきのこ
種さえまいて放っておけば芋などはたくさんとれる
蕎麦も種をまくだけで世話いらない
税金は重かっただろうけど食べ物じたいはあったはず
江戸は食料そんなに事情悪かったのかな?脚気になるほど
大都市のほうが流通も食糧事情もいい気がするのに、そうでもないのかな
田舎といっても、野の草一本にも持ち主が居る
作物と言うのは、それなりに手が掛かるもの
ところで、種から育てる芋というのはなんだろねw
税金については、副業も含めた年収の1割程度で現代と大差は無い
栄養と言う発想が無い時代だから、栄養不足で病気になるとは
誰も考えていない。
つまり、食事は腹を満たすため、もしくは美味いから食うのであって
超偏食だったわけだ
>>625 ごめん種は芋にかかってなかった
日本語おかしかったですね
五公五民などの重税のイメージが強いけど
大部分の時代は一割だったの?だったら生活は楽そう
栄養価の知識はなくyても体が自然にほしがったりしないのかな?魚や大豆を食べたくなったり野菜が食べたくなったり
>>626 >体が自然にほしがったりしないのかな
しないんだろうね。
喉が渇いた水飲もう、腹が減ったなんか食おう
その程度なんだな。
人間がどれだけその時々の理屈でモノ食ってるかって事だな。
あと脚気は別に、貧しいから、食糧事情が、
流通が悪いから、といって患うわけじゃなかったしね。
つまり「身体が欲しがる」というのは理屈による「思い込み」
たしかにね
脚気で温泉療養すると言うのは有った
温泉が効くというより、転地して食事のバランスの改善とかが
効いたらしい
一応かっけにはマメやいもという食事療法あったけどな
そう、簡単だろ?
つまりそれだけ盲目的で狂信的な白米信仰が強かった
という事。
ま、それは今でも尾を引いてるし
たいして変わらんわけだけど、もうどうしようもないだろうなw
631 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/05(土) 19:47:41.48
日本は脚気との戦いだったのかしら
>>631 江戸期から大正くらいまでな。
馬鹿な事したもんだよ
玄米や麦飯でも食って、白米なんざ「たまの祭事のお菓子」って
昔の習慣を守っていれば良かったものを。
まぁ好きなもんたらふく食って、死因は「名誉の戦死」ってのも
膨大な数だったそうだから、ある意味人類史上では催事で
おめでたいっちゃおめでたい話だわなw
633 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/05(土) 20:16:40.29
>>632 脚気は昔原因不明の難病だったんでしょ?
>>633 そうだよ?
酒飲んで千鳥足になってフラついてアル中になって
「なんでだろ〜ひゃははw」とか言ってる状態
635 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/05(土) 20:23:31.79
健康診断で最近脚気の検査をやらなくなったね。
昔はハンマーで足のお皿近辺を医者がトントンしたもんだがw
>>635 小児科では別件でもまだやってるよ
だから「昔は」って思うんじゃん?
子供は知識も無いし自分で選べないし
さらに親がDQNだと発見が遅れるからな
江戸時代からつーか、江戸時代の江戸(上様のマネして白米)と、
庶民も一般に白米食えるようになり、かつ副食のあまり無かった明治時代だろ?
その後はオリザニンが発見されとるし
638 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/05(土) 20:47:36.43
>>636 今もあの検査をやっていたのね(^。^;)
>>637 アル中の原因が分かったからといって
患者が全員素直に薬飲んで酒やめると思うか?w
しかし脚気は、原因だけなら戦国時代にもとっくに判ってたはずだし
それでも止めないんだから、ある意味麻薬だわな。
まぁ一部権力者が大衆を巧く使ったり、金に近いポジションで扱うには
ありがたがらせる必要も有ったんだろうけどな。
640 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/05(土) 21:26:02.77
旅順では白米を食いまくって脚気を発症した軍隊と白パンを食いまくって壊血病を発症した軍隊の戦いでした。
白パンで壊血病?なぜ?
>>631 軍医の最高位だった森鴎外ですら、一種の細菌性の病気だと思って効果的な
対処をせず、陸軍死屍累々だったからな。
ほんの100年前の話だよ。
>>642 森鴎外「ですら」と言うが
ご本でのお勉強が板についた頭でっかちのお坊ちゃまだからな
下々の世俗にも疎かったろうし
軍医最高位にしたって、まだまだ海外留学程度で脅しが利いた時代だしねぇw
ばかでぇ
坊ちゃんは漱石だろうがw
>>644 そう?
対策室の創設にも関わりながら
そして既に全てを指示統括できるポジションに在りながら
白米の常食が原因と分かっていながら
それでも脚気ウイルス説を捨てきれなかった森鴎外wwww
机の前におつくべ、ご本でオベンキョウ
学歴ばかりで発想は貧困だったお坊ちゃんと言わざるを得んな。
まあ周りにも鴎外のポジションに就きたいライバルも居ただろうし
彼に期待されたのは「海外で最新の医学を学んできた」というブランド。
鴎外自身も自分が御飾りに成らないためには
「お前は知らないだろうが海外ではな・・・・」と連呼するしか無かったんだろうな。
>>641 わかってて聞くなよW
長期備蓄に堪える食物でビタミンCを有効に摂るのは難しかっただけじゃん
黒パンだろうが麦粥だろうが一緒
馬鈴薯ですら難しい
…だよね意地悪さん
>>645 馬鹿は科学の発展がどんな苦労を経てもたらされたものかわからんのだな
学歴コンプ丸出しでウザイ
お前が当時の知識でどれだけのことができたかね
真っ先に権威者森に従うような知性しかみえん文だわ
>>647 当時の知識とか言って遅れていると決め付けるけどさ
データ自体は十分揃ってたはずなんだよ
石黒との件も有るし、下の意見は聞かず
上にばかり媚び諂う世渡り上手では有ったんだろうねw
「美味しんぼ」の富井みたいなヤツだったんじゃねぇの?ww
まぁ「お国のためにッ!」とは建前で
白飯食いたくて軍に志願した貧民ばっかだったから
連中巧く使うには、黙ってるほうが得とも考えたのかもね。
軍部が兵士を意のままに使うために
麻薬漬けにするなんてのも日本に限った話じゃないし。
649 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/05(土) 23:46:57.38
スレタイは江戸までだよ。
江戸患いが流れの発端だからいいんだよ
このスレの時代に合わせて語るなら
秀吉が脚気で死んだって説が面白いんだよな
あいつは脚気の原因、少なくとも過剰な白米食いはヤバいって
十分知っていたはずなんだが。
>>635 俺それで1回引っかかった事あるんだよね、オフクロが焦って新玄買ってきて
飯に入れてたわ(苦笑)
単に白米が旨すぎて雑穀や野菜なんて食ってられんという奴が多かっただけだろ
マメとか芋とか野菜まずいじゃん
654 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/06(日) 01:48:27.41
>>652 今の時代でも健康診断で足トントンは有効だったんだな
たしかに白米は旨すぎてほんの少しの塩気があればご飯を何杯でも食べられるよ
白米旨すぎ
縄文時代末期や弥生時代の人が食べてたのはさすがに玄米だよね?
まあ仕方ないよ
日本原産で食える植物なんて野生の芋とか山菜とか
あとハーブみたいなの程度だったし・・・・・あとは木の実とかか?
国土が狭く水に困らないのが幸いした程度で
あんま美味いもん無かったもんね。そら稲作に飛びつくわなw
ようやく手に入れた安定供給可能な高カロリー源だし。
しかし魚はともかく・・・・ナウマンゾウって美味かったのかねぇ?
捕るの大変だったと思うがw
657 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/06(日) 03:24:53.81
米が貴重だった三陸の漁村では飯の半分がアワビのアワビ飯が主食だったらしい。
タイムスリップして食いたいな。
>>656 ちなみに原産国基準だとほとんどの国が貧しい
アブラナ科をだした地中海沿岸がなんとかというぐらい
>>657 食べたい!
そんなにたんぱく質とってたのなら当時の三陸あたりの人はさぞかし体が大きかったんだろうと思うが
史実ではそうでもないのかな
量が無いと思う
増量しなきゃいかんから地元の貝いれてんだし
>>659 極端に白米を食い始めた江戸時代前後から
一時的に平均身長が下がってるって記録があるみたいだね
>>632 ただ知らなかっただけだろ?
現代では常識だからって知識不足だった昔に
病気で死んだ人笑ってどうするよ
>>662 確かに笑い事ではないだろうな
日本の一人当たりの米飯消費量の絶頂期でも
コメ消費世界ランキングのTOP10程度に食い込むのがやっとで
TOPに比べ比較的それほどコメ食ってる国じゃないんだよね
それでも脚気になった
つまりコメの食い方や他の食材や料理で何ら対策を取れなかった
これは現代だから昔だからって話じゃないんだな。
よくまとまってるとは思うけど、よく知られてる話を書くだけでなんでこの人こんなに偉そうなんだろ・・・
>>664 そう?なんかバカにしてるとか偉そうとか言うけどさ
>>662とかの方が昔の人や他人バカにしすぎなんじゃないの?
「知識不足」とか言ってさw
江戸時代、脚気に付いたあだ名が「江戸患い」
原因だけならとっくに知っていたはずなんだけどねぇ
上方辺りなら平安の頃にとっくに知ってたはず
原因が分からなかったから江戸患いという謎の風土病みたいに思われたんだろ
オリザニンの時代まで脚気の原因なんざ世界中で不明だった
勝手な思い込みでえらそうに語るならスレ違いだ、メンヘル板にでも移れば?
>>666 いやいやw昔の人ナメ過ぎだからw
原因だけは知ってたはず
でも白米の美味さを知った上流階級から順に止められなくなった。
その止事無き身分の御方達を真似たがった連中から順に仲良く脚気になった。
アル中と同じ。
仕方ないけどね
コメは神格化されていたし通貨でも有ったし
知識人や権力者から順に思い知ることになっても
「おいおいヤバいよ」って誰も言えなかったんだろうね。
白米を贅沢や祝い事の象徴にしておかないと
自分らの地盤が崩れるわけだからw
668 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/06(日) 13:49:58.11
>>667 白米から玄米に変えるだけで江戸患いが治るとわかってたら皆そうしてんだよ
しつけえ
原因だけは知ってたはずなんて妄想を押し付けるな 証拠を出せ文献を出せ
出せなければそれはお前の妄想
スレ違いだ
自論の続きは
>>666の言うようにメンヘラスレでどうぞ
>>668 脚気の話だったから乗っただけじゃん
何しつけえとか言ってんの?w
ちょっと掘り下げると「しつけえ」とかアタマ弱いの?深く考えるの苦手?
別に深くも何とも無いが
文献?お前はどれだけ読んだんだ?
妄想?お前本読まな過ぎなんじゃねぇの?
スレ違い?江戸期までの話に収まってるが?
持論?今生存者の居ない時代の話なんだけど
難癖つけるなら全部持論妄想言っとけば楽でいいねw
メンヘラ?それって自己紹介?w
な〜んか結果と願望ありきで話題決めたがってる子が居るねぇ
>原因だけは知ってたはず
前提から妄想だな
江戸患いって言われてたくらいだから風土病みたいな扱いだろ。
明治時代でも(日本だけじゃなく)病原体のせいだと思われてたしな。
672 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/06(日) 15:01:39.76
日本人は脚気になり易い上に、遺伝から糖尿病のスイッチを代々継承しているから、本当に日本人は贅沢を許されない民族なんだな…
攻撃的で昔の連中を馬鹿にしてる奴って
品性がお下劣すぎるw
知識はともかく底辺な人種で劣等感の塊なのか
まったくだよなぁw
昔の御先祖様が脚気の原因に気が付いていなかったわけがないのに
馬鹿にするにも程があるよ
政治的、社会的に、白米を崇拝する(させる)しか無かった
そしてやめるわけにも行かなかったしやめられなかった。
結果、風土病だ伝染病だと捩じ伏せるしか無かった。
一時的には巧い方法だけれども、ちょっとやりすぎたってだけだよねぇw
↑これって時々出て来るアンチ米厨?
↑これって「厨」とか付けとけばオッケー厨?
原因だけは知ってたはずって妄想くりかえしてるヤツはコテハンつけてくんない?あぼーん設定するから
厨が気に入らないのか。じゃあ「米食ケナすのが生き甲斐の馬鹿」でもいいよ
知ってたはず、っつっても誰が知ってりゃいいんだ?
情報の収集拡散が江戸時代に比べて激しく容易な現代でも
鳥目の原因を知らない奴なんてちょっと探せばいるし
脚気の原因を知らない奴だってごろごろいるぞ?
>>679 米食自体は誰も貶している様に見えないんだが
年貢の厳しさで定評のある前田領だった能登だと、イワシが主食になる季節があったとか
たがら必死に棚田を作ってたらしい
イワシなんて肥料だとか豚の餌だとか
永遠にバカにしてくれていれば良かったのにな
バカがうまいうまい言うから今じゃ高級魚じゃねぇか
マグロの味を世界に広めたやつは万死に値する
高くなった・・
685 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/07(月) 01:18:24.62
>>683 更に漁獲量も減ってイワシの高級魚化が進んでいるらしい
ニシンも漁獲量が激減して値上がりが激しい
いわしって20年前はスーパーのセールで1匹10円で売られてた
687 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/07(月) 10:14:14.44
ドラえもん、100匹頼む
688 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/07(月) 10:34:56.58
いわしの塩焼きってのは、匹数なんかいちいち数えずにとにかく焼きまくって
食卓の大皿にドーンと載っけて、各自好きなだけ取って食べるもんだったが
今じゃお上品に一匹二匹を各自の皿に載せて出すようになっちゃったな。
ちなみにいわしは数十年単位で増減を繰り返すので
乱獲だけが原因とはかぎらない
おまいらスレタイw
じゃあスレタイどおりに……
江戸時代は肥料にしてたっていうんだからよっぽど取れたんだなと思ってたが、
食べるより肥料の干鰯のほうが高かったとか値上がりで国訴が起こったとかいうのを聞くと
そういうことじゃねーのかしらん。
ヒント:保存&輸送
加工費が大きいぞ
茹でて油絞って乾かして。
694 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/07(月) 18:03:51.10
北陸では糠漬けにして保存食にする。
695 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/07(月) 21:00:48.96
>>691 江戸時代肥料は大変に高価だった。
長屋の肥溜めは長家の大家の貴重な収入源だったぐらいだ。
696 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/07(月) 21:14:51.91
肥し屋がなりたっていたしな。
697 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/08(火) 03:15:27.56
紫式部だったか清少納言かはイワシを食っているところを旦那に見られて離婚寸前になったらしい。
食糞と同列扱いなのか?
いわし焼いてたら旦那に臭いと文句を言われたので
こんなに旨いのにと愚痴残した
嫁が才女だとこんなしょうもないことも千年後にまで残る
700 :
699:2011/11/08(火) 17:38:39.17
ちなみに紫式部のほうね
大昔の人間は何が縁起が悪いとか不吉だからとか言って
わけわからん物の喰い方してた面も有るからなw
今見ると笑えるから別に良いんだけどww
切腹に繋がるイメージだとか、縁を切ることに繋がるとか
そんなんで沢庵の枚数決めるとかアタマ弱すぎだけどww
いわしの頭尾つき骨を、節分に飾るのは
あれはいわしが縁起がいいから?
つか、いつからいわし飾るようになったのか
703 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/08(火) 18:42:56.76
鰯の頭も信心から、というしな。
704 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/08(火) 21:10:25.22
>>701 日本の結婚式なんて縁起の固まりだね。
ご祝儀とか割り切れる数字は縁起が悪いと言って、奇数万円にするし代表挨拶も別れるとか切れるとか禁句だしw
昔の人が外国人の結婚式でライスシャワーとか見たら、罰が当たると嘆きそうだな…
>>704 その割に離婚率は上がる一方だから
きっと気にすること自体が間違いなんだよw
706 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/08(火) 23:08:13.20
米には八十八の神様が宿る。
707 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/08(火) 23:25:37.66
平安時代の ブログ職人の鴨長明や清少納言のブログ方丈記や枕草子に飯の記載はあるのかな?
かき氷が書いてあったのは枕草子だっけ?
枕草子には田舎に行ってご馳走してもらう話があったような
遠乗りで行った先で腹が減って農民が食べようとしていた秋刀魚を譲って貰い、あまりの美味さに寝ても覚めても秋刀魚の事が頭から離れなくなってしまう話か
貴族は魚たべてなかったのか?
京都は陸地だから干物ぐらいしか無かったのか
せいぜい鱧か
さんまをそんなにうまいと思うなんて…
そういえば現代でも陸の庶民がさんまを食べられるようになったのは最近なのかな
流通・冷凍技術がなかったころはご馳走だったかもしれないな
いやあサンマは美味いと思うだろう普通
青魚系は特に持たないからせいぜい人足で半日距離での売り切りだろうけど
そこから先は流石に干物だな
712 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/09(水) 18:04:53.38
鯖は若狭地方から徒歩で京都に移送してたよ。
臭そうだなw
いわゆるシメサバとかじゃないの?
それでも日をまたいだのは勘弁願いたいが
鯉が高級魚とされているので
加茂川とかでとった鯉や鮎を食ってたと思われる
>709
どう見ても目黒のサンマです。本当にありがとうございました
鯖街道、塩して運んで着いたら一夜干し
棒鱈、身欠鰊
川魚、鱧以外は干物だな
一夜干しのサバは焼いて食ったらうまいよな
塩サバ最高!!
若狭からの距離を考えて、雪ふる前の冬なら塩サバぐらいは京都でも食べられそうだな
汐干し鯖も美味いけど、若狭の塩鯖は半調理済みの〆鯖材料って感じ
720 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/09(水) 23:01:58.63
基本的に京都の公家なんかは、新鮮な生魚なんか食うのか?庶民には川魚があるし海産物は乾物でしょ。
塩漬けなんて高級品で庶民に普及できたのかな?
>>712 浜で塩漬けして馬で一昼夜。
夏はそれでも腐るから、ハモみたいに生きたまま運べる魚限定。
膾とかどうだったんだろね?
酢の物関係
723 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/10(木) 00:30:09.63
>>720 川魚の刺身なんて寄生虫が恐ろしくて食べられない…
724 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/10(木) 00:39:43.07
鯉に鱒は刺身で食っていたろ。寄生虫なんて問題になってるのは、ここ200年ぐらいだろ。
昔はマンモスを生でくってたらしいが
病気にならなかったんだろうか?
726 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/10(木) 00:58:07.22
平均寿命から考えても、何かしらの影響はあったかもな。それより、現代人みたいに柔じゃないし。
江戸時代の食事について書かれた本を読むのって楽しいよな
ところで、そういう本を読むと、おかずとして「煮しめ」というのがよく出てくるんだけど、具体的にはどんな料理なのかな
自分で作るんじゃなくて、買ってきておかずにしたり、あるいは、飯と一緒に屋台で食べたり。
今ググれば出てくる「煮しめ」と同じものなんでしょうか……?
詳しい人教えてちょんまげ
もう少し真面目に頼めw
池波の料理本をよんでちょんまげ
たまに思うんだけど書物に書き記されてる食事って
一般的なものだったのかなあ
今で言うと外人に和食は?ってきいて
カツ丼親子丼カレーすき焼き肉じゃが照り焼きとかメジャーなものばかり出るように
有名なものや郷土料理の一部だけピックアップされて
意外と庶民が食ってたものが消失してしまった内容だけ語り継がれてるのかも
当時あった食材や伝わった調理法とか推理してその時代の食べ物を創造してるけど
もしかしたらまったく見当違いで想像もつかない料理を食べてたかもしれない
恐竜も化石を勝手に組み合わせて姿を作ってるけど
もしかしたら全く別な生き物だったかもとか思っちゃう
想像できる現代との違い
(想像なんで間違ってるかも)
<江戸時代>
・砂糖は貴重品であまり味付けにつかわない
・かわりに味醂を使ったかも
・江戸では蕎麦や寿司がスナックフードだったというからけっこう食生活は豊か?
<安土桃山時代>
・干し柿や餅はよく食ってた(織田信長イメージ)
・米をたくさん食べてた
玄米か白米かは知らん
・味噌は当時からあった
江戸時代に、その土地での旬に手に入る物なら何でもありでしょ
お茶漬け屋まで有ったって話だから、ホント何でもありだよ
あの頃は芋といえば里芋だから、煮っころがしとか
蕪に蓮根、山芋大根、入りゃ何でも煮たろうな。
魚の煮付けも有ったというし。
金平牛蒡はかなり人気だったはずだけど
今と全く同じ物だったかどうかはちょっとわからねーな。
でも砂糖なんかまだまだ高級品だったはずだし
いいとこ醤油、味醂、酒だろう。
っていうかこれ書いてる間にどんだけ伸びてんだよw
池波は参考程度にしとけよw
あれは「こうだったらボクチンは粋だと思うなぁw」って書き方だからw
するってえと、当時の煮しめはゴボウとかレンコンとか、その時手に入る野菜を煮染めたものってことなんですかね
魚肉も入ってたのかな
チキンカレーや野菜カレーも「カレー」としか呼ばないみたいな感じか
調べりゃどっかに出てくると思うが
江戸時代の惣菜番付ってのが有ったろ
メジャーどころはあの辺だろう。
ただ、惣菜だ飯のおかずだ言う割に
脚気になるほど飯ばっか食ってたのも事実だから
あれは惣菜と言うより完全に酒の肴だなw
確か精進方のTOPが八杯豆腐だしwww
735 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/10(木) 18:09:00.26
江戸時代の寿司は今と違って、魚は焼き物、煮物、蒸し物でシャリの大きさも2,3倍ぐらいじゃなかったか?
糖分は米由来の、ベッコウ飴、味醂、甘酒がメインだとか。
肉は鶏、雉、ウズラ、猪、ウサギ。鯨とイルカもそうだな。
736 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/10(木) 18:19:57.20
世界最初の大規模先物市場として賑わった堂島米会所を臨む堂島浜には
芸州廣島から牡蠣を売る舟がやって来て、商人たちに土手鍋を振る舞ってた
そうですね。広島の牡蠣が全国的に有名になったのは、これがきっかけになったようです。
もちろん、江戸には流通不可能ですから江戸の住人は知る由もなかったわけですが。
737 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/10(木) 18:34:31.84
東京湾内はアサリにハマグリ、赤貝に青柳か。蜆もあるけど味噌汁と佃煮か。あ、でも佃島が
賑わってからなら、江戸以降か?
>>735 シャリ云々はともかく焼き物、煮物、蒸し物は今でも使うじゃん
740 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/10(木) 18:43:04.68
>>739 そうではなくて、なま物よりもそちらメインという意味で。
>>740 どのネタがその時代に、土地に、人気だったかというだけで
ネタ自体の扱いはほとんど変わってないでしょ
メインとかどうとか、今と流行が違うだけで
742 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/10(木) 19:27:39.15
赤身のヅケを忘れていませんか?
それと酢締めの青魚も
野菜自体の味は今より濃かったはずだし
煮物の出来栄えに興味が有るなー
納豆がほとんど味噌汁の具だったことからみても当事の納豆はくさかったんだろうな
>>744 そらそうだ
今のパック納豆なんて「なんちゃって」だもん
全部スイーツ(笑)の馬鹿女どもが悪い
アイツら全員欧米のロリコン相手に売春婦でもやりゃいいんだよ。
>745の下段が唐突過ぎて訳わからん
臭いのが納豆で当たり前
それをねじ曲げてきたのはスイーツ(笑)だから
748 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/10(木) 21:05:04.54
当時の納豆のほうが匂わなかったと思うぞ。藁で包んであると通気性も吸臭性も違うし。
寿司は漬けが主流だったとか聞いたことあるな。
当時の納豆が臭わなかったというのは回転率の差から来るウソ
昔は冷蔵庫も無かったし、バカが庫内で1ヶ月放置しといて文句言うとか無いから
750 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/10(木) 21:21:16.27
自家製の納豆も匂いでいえばきつくないけどな。まあ、当時の台所にはほったらかしの食い物なんてないしな。
味噌はけっこう臭いよ
土間や壁ににおいが染み付く
藁で包まれ発酵させた納豆は今でも売ってるけど
パックのなんか菌が弱いんだかなんだか知らんが
多少賞味期限超えるくらいじゃないと糸引きも香りも弱いし
納豆食ってる気がせんぞ。
753 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/10(木) 21:40:00.33
パックの納豆は賞味期限の3日後ぐらいが好きだ。
754 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/10(木) 22:27:48.50
「みそ豆」という商品もあったらしいね。
ただ大豆を茹でたものだけど、朝に納豆なんかと一緒にうりにくるまだ湯気のたつみそ豆を
持参の丼に入れてもらう。
家に持ち帰って醤油と辛子をかけてオカズにする。
納豆の匂いか苦手な人向けに開発されたという話もあるが
家で大豆を茹でるのはガスコンロのない時代結構大変なことでもあるから
料理好きのおかみさんなんかは上手に野菜や昆布とのとの炊き合わせなんかに使ったかもしれないね。
味噌豆と呼ばれたものは、おかずでなく
米の飯の代替品だったと思うけどね
おからも長くそうだったし
756 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/10(木) 23:45:51.91
豆類はチンマリ焚いたところで美味くないし、今も昔も手間が掛かるのは同じじゃないかな。
江戸時代もモヤシは食べられていたのかなあ
>>757 天保の改革のときの奢侈禁止により時の将軍・家慶の好物であった
ぜいたく品でもある「もやし」が禁止され
将軍が嘆いた逸話が残っている
やはり贅沢品だったんだな
もやしがぜいたく品なんて・・・!
白くて柔らかいからか?
青々とした固いほうれん草ならいいってか?
いいじゃんもやしぐらい食わせてやったって
将軍カワイソス
>>757 ググってみた
平安時代の書物に記載がある
戦国時代・楠木正成が籠城戦でもやしでビタミンCの補給をしていたとの逸話もある
>>760 当時のもやしは大豆モヤシ
育てりゃそれなりに大豆が収穫できるのさ
762 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/11(金) 06:38:47.92
>>761 城の中にモヤシをそだてる部屋があったのかな。
>>761 当時「ビタミンCの補給をする」なんて感覚が
有るはずはないんだけどねw
764 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/11(金) 07:10:42.01
多分体がもやしを要求したのだろう
いやぁ
有るもの食える物食ってただけでしょう
766 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/11(金) 07:19:59.30
いやいや、おじさんは大豆をモヤシにして量を増やそうとしたんだとおもうな。
あんまり頭の良い方法じゃないけど
そうするしか無かったんだろね
768 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/11(金) 07:47:39.61
モヤシは茹でて醤油かけるだけでうまいからなあ。
新鮮な生モヤシもいける。
769 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/11(金) 17:54:40.92
もやしの栽培は大量になると意外と大変。なにより、発生する匂いがきつい。
足も速いし、水もキレイでないと。
いや
もやしもの と言って 今で言う 促成栽培の野菜が流行したんだよ
初物好きの江戸っ子に大うけしたらしい
室を作って炭火であっためたりしてね
当然、非常に高価
で禁制が何度も出て、豆もやし などは側杖食らった感じかね
771 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/11(金) 22:46:51.88
もしも旅順で日本とロシアの間でもやしとパンを交換していたら、脚気と壊血病で死ぬ両軍兵士が激減していただろうな。
無理無理
コメ食いたくて戦争してた連中だもん
そんなん関係なくコメばっか食ってたよ
773 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/11(金) 23:29:39.52
米の魔力に脱帽
>>771 双方の疲弊するのが速まって、多少は流血が減ったとも考えられる。変な話だが。
病死する以上の人間を大砲で殺してたかもしれん。
うるせぇんだよスレタイも読めないバカが
臭いクチ閉じろ
776 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/12(土) 10:08:47.61
精米機が無い時代にどうやって精米していたのかしら
臼と杵
tmだな
戦時中は一升瓶に竹の菜箸
江戸時代の代官なんか可哀想なくらいだよな
コメ採れない時や飢饉の時に農民を救った人も多いし
実際は、ただでさえ忙しく辛い立場の中間管理職なのに
時代劇だと悪の象徴w
商人と結託して〜てのもなんとか京都や大阪や江戸で
地域の特産物を売りに出そうとする姿勢なのにな
しかし時代劇の代官はえらい小物ばかりだな
普通数万石くらいの管理してるはずなんだが
現代の銀行員だって数百億管理してもぺーぺーじゃんw
江戸時代の代官なんて手取り100石も無いだろ
ぜんぜん下っ端だよ
783 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/12(土) 16:47:49.11
映画にもなった「武士の家計簿」読むと江戸後期の武家や商人の生活がよくわかる。
金持ち藩だった加賀藩が舞台だから全国には当てはまらないだろうけど、
中級武家が普段はともかく、祝い事や交際には値のはる鯛などの食材や菓子を用意するため
商人もそれで生活を回していた。
この時代もまだ砂糖はたいへん貴重で薬がわりに用いられていた。
何しろこの本のもとになった、武家の記録はすべて砂糖の袋に保存されていたんだから
砂糖がどれだけ貴重だったかわかる。
この本のもとになった、武家の記録はすべて砂糖の袋に保存されていた
ってどういうこと?
砂糖を保存するためのなにか特別に立派な袋でもあったの?
785 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/12(土) 18:51:37.02
時代劇はあくまで劇だし。それでも、初期の水戸黄門は農村の生活はリアルな方向で描いていたが。
古墳時代の「こしき」を陶芸で作って、それで米を蒸して食うてみたいな。
787 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/12(土) 20:10:35.72
>>784 いや普通に「御砂糖@なんとか商店」て書かれた紙袋のようだ。
>時代劇はあくまで劇だし
まったくだよ
荒くれ野武士ならまだ分かるが
やんごとなき身分の御方までバンバン刺し箸渡し箸するしなw
無頼漢だった鬼平とかならまだわかるが
100万石のお殿様で手皿とか無いからw
昔のお殿様はみんな猫舌だったってのには笑った。
790 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/12(土) 20:23:44.29
山田洋次の時代劇3部作はかなりリアルに書いていたが、幕末だし出演者に配慮は見えた。
水戸黄門初期は農村の飯が朝晩の2食がメインで昼は軽い食事だったり、粥は粟にヒエも
入っていたり、握り飯も玄米とか八部ヅキだった。映像的には地味だったけど。
いや、ここ時代小説やTVドラマのスレじゃないから
792 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/12(土) 20:35:47.80
そうだけど、時代考証の凝った時代劇は当時の食事がなんとなく分かる。
>>792 ウソばっかで誤解が増えるだけでしょ
蕎麦ひとつ取ったって現代と混ざっちゃってるし
794 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/12(土) 20:45:18.07
>>793 だから、時代考証の拘ってる作品だよ。正確というのは無いけど。蕎麦だって古い作品では
蕎麦掻が出るのはあったぞ。たぶん、演者には評判は悪かったろうが。
>>794 いや、だからねw
そういう話をするスレじゃないからw
>>790 山田洋次の映画は、今の人から見てのリアル風なんだわ。それだけ。
797 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/12(土) 20:53:20.22
食に関するからいいじゃない。文書どおりに再現される食事は現代人には常食は無理そうだし
ほとんどの人間は、時代劇か歴史番組からしか知識は入ってこない。
>>797 >ほとんどの人間は、時代劇か歴史番組からしか知識は入ってこない
こういうスレに来る「ほとんどのひと」をバカにしすぎ
図書館巡りでもして出なおしてこい
なんでお前のレベルに周りが合わせないといけないんだ
なにが時代劇だw ふざけやがって
799 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/12(土) 21:00:45.80
煽ってるのか?チャネラーの無能さが丸見え。図書館巡り?博物館巡りで学芸委員に質問攻めが
情報は新鮮。図書館で出版前の原稿が並ぶなら別だけどな。
>>799 だぁ〜からドラマや映画の話がしたいならTV板にでも逝っとれよ
なにが水戸黄門だw 頭よわすぎるよ
801 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/12(土) 21:04:13.13
>>800 それで、お前の知識はどの程度なのよ。本を読んでるんだろ?改訂版も含めて。(笑)
>>801 時代劇や映画なんぞウソばっかで(まぁ連中はそれが仕事だから別にどうでもいいが)
関係ないからこのスレに持ち込むなって話な?お前スレチ荒らしだから普通に
803 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/12(土) 21:11:15.98
2チャンネルが自分の世間だと思ってる奴は狭い空間で生きてるんだなあ。食事に関すれば
何を語ってもいいわけだが、2チャンもウソが多いから同じになってしまうが。
それとも、かまって君?釣りなら暫く付き合うぞ。楽しい、返しを頼む。
そんな事ageで喚いても誰もマトモに相手してくれないと思うよw
TVか映画板でも逝って慣れ合っとれw
何も知らんでも食うだけはできるからな。そして、舌さえあれば味くらいはわかるし。
あとは、せいぜい池波正太郎程度でごまかせる。
自分の主張を通すのに一生懸命なヤツがいるな
歴板でも時代劇板でもないんだから別にいいじゃん
どっちもどっちだろ
俺は鬼平とか剣客の食べ物描写は好き
好きッ(キリッ
ップップゲラゲラ
809 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/12(土) 23:09:47.72
池波正太郎程度といっても、歴史小説の大家は伊達じゃないけどなあ。程度と言い切れるからには
かなりの知識を持ってるんだろうなあ。2流の大学教授では太刀打ちできないほどなのだろう。
なんか面倒臭せぇスレだな
「ップップゲラゲラ」って、どんな顔して打ち込んでんだ?
相手する俺もたいがいだが
811 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/12(土) 23:18:25.53
面倒臭え奴がいないと伸びないスレだし、しょうがない。
>歴史小説の大家は
本当にスレタイの読めないアホの子ばっかなんだなぁ・・・・・
池波がどんなに歴史に知識があり優秀であっても
それは娯楽小説の作家としてであったというだけで
このスレとは何の関係もないしな
あんなもの面白ければ何でも良いわけで
814 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/13(日) 00:38:59.49
じゃあ、面白い食い物の話してくれよ。
芋棒あるだろ
京都の芋棒
あれが東北にわたって芋煮会になったのじゃないかな
まず京都の芋棒がいつごろから存在する料理なのかを考えてみよう。
歴史は数学なんかとかとちがって素人もそれなりの研究できたりするぞ
古文書読む必要あるが
資料集めと読み込みに時間を食う学問だからな
資料の数に比較して研究者が少ない部門。
楔型文字は公開して素人に翻訳たのんだりしてるな
芋棒って何かと思ったら
単なる里芋の煮物じゃねぇか
819 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/13(日) 17:49:32.23
サトイモったて品種が数種類あるからな。土壌と気孔で栽培する、栽培できる品種は決まってくる。
820 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/13(日) 18:22:00.33
棒だらっていつ頃からあるんだろう。
みがきニシンも多分同じくらいからあるんだろうな。
北前船のころからじゃないすか?
献立表に干物が登場すんのが奈良時代からって言われてるから
鱈が捕れるならそんくらいから有るんじゃないの
823 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/13(日) 20:55:07.86
身欠きにしんて、ガキの頃は不味いと思ったが、おっさんになると美味く感じる食品の一つだな。
池波正太郎について毀誉褒貶見られるけど。
駆け出し脚本家の時代、
元禄時代にスイカを出して赤っ恥かいたと書いてた。
(元禄時代にはまだ珍果で、一般に普及したのは江戸時代後期〜明治)
そんなだから、いちおう参考にする価値はあるかと。
おれは鰯の丸干しだな
内臓の苦いものがきらいだった
827 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/14(月) 01:28:34.74
タラは黒い皮と白い身の対比から不祝儀ものとされて、特に武家では日常の食事には忌まれたらしいが
皮を剥いで乾燥させた棒鱈ならそこまでうるさくなかったかもしれないね。
ちなみに棒鱈はいざというときの武器になり得る威力あるなw
828 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/14(月) 03:28:56.02
>>825 おっさんになってから、オデンネタは玉子より大根が好きになった
>>827 凶器にするのは推理小説にもあるな、松本清張だったかな?w
ぶん殴ってから凶器を食べちゃえば証拠隠滅できるもんね
旧石器時代からマンモスの干し肉とか作ってたのかな
干しアワビとかあったのかな
干物はロマンだね
831 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/14(月) 22:13:35.34
乾物って遺跡から出土しないから夢は膨らむな。マンモスの肉なんて干し肉ありそうだなあ。
日本で干し肉は、ちょっと厳しいかもわからんね
魚や野菜もよく干してたなぁと思うもん
湿気キツいからね日本
まあ塩漬けが安牌でしょ
平安時代の貴族の常食が乾物やん
肉醤もあったし
作りにくいけど普通に作れたとおもうよ
>>833 うん、だから手間だったと思うよ作るの
あと肉醤は乾物じゃないだろw
まあ保存食つながりで
836 :
もぐもぐ名無しさん:2011/11/26(土) 21:49:21.34
この板必見の番組が今TBSでやっていますね。
電波見世物小屋とかどうでもいいし関係ないからw
頭固い奴多いな
柔らかかったら、
夢詰め込める
なんで日本じゃ油使った料理が発展しなかったんだろうね?
マグロのトロよりもカツオの赤身を尊んでたからな
脂っこいものが苦手だったんだろ
だからそれは保存の
って何度目だよ、ナウシカやラピュタを余裕で越えてるわ
>>841 天ぷらや揚げ物の存在を君はどう説明するのかね?
>>844 説明も何も他国に比べて遅いよね、遅すぎる
食用油は使おうと思えば鎌倉時代には使えたはず
なのに「日本で発展した」と言える揚げ物、炒め物が無い
>>845 では他国ではどういう状況だったのだね?
説明したまえ。
>>846 そのくらい予習してきたまえ
金も払わん上から目線で何が「説明したまえ」だ
バカ面のヨダレ拭いてさっさと出て行け
>>841 油は灯明や塗装用として貴重品だったんだよ。
徳川家康が鯛の揚げ物で胃腸壊して死んだのは有名だけど、
江戸時代で揚げ物は大名クラスの食膳。
あとやっぱり、大量の油を使う揚げ物は、
調理で発生する酸化した大量の油の処分がモッタイナイだったし。
江戸後期になると大衆化して、
江戸・上方で屋台の天ぷらが出てきたけど、
そのモッタイナイがペイできるぐらいに大衆化して結果の話。
あと一般家庭で揚げ物を作るのに、
炭火やカマドの火では帯に短しタスキに長しだし、
ちょっとだけ油を使う炒め煮が一般家庭のせいぜいだったと思う。
一般家庭で揚げ物が普及していったのは、
昭和30年代以降のガス火力以降ではなかろうか。
そもそも獣肉を食わんから油物になじみがないだけ
そうなんだよな
江戸時代でやっとなんだよな
油揚げとか
時代劇専門チャンネルで、剣客商売の後に、剣客惣菜っていう
10分程度の江戸の料理番組やってるよ
池波ファン向けだとどうせ山芋里芋がどうだとか
さんざん記録残ってる小料理屋メニューだろ
あの当時は町人文化だの武家だのの記録は多いけど
田舎とか農家の資料が少なくて困る
農家の料理は旨くなさそうだ・・
町人の食といってももっぱらプロの料理だろ
家庭料理はしもつかれとかああいう飯まずだろう
いや、美味そう不味そうとかいう論点のスレじゃないから
戦乱の頃ならともかく、特に飢饉でもない限り農民もコメ食ってたと思うけどね
稗だの粟だの貧相な話ばっか取り上げられるけど
コメは金で両替や調味料や他の食材と交換にも使うからケチってただけでしょ
江戸時代に、ようやく都市部に集積された郷土料理も下地有ればこそだし
鳥なんか別に銃無くても捕れるしな
859 :
もぐもぐ名無しさん:2011/12/22(木) 05:01:28.10
寛永から元禄辺り
いわゆるTV的に言うところの水戸黄門の時代って
庶民は何食ってたんだろね?
860 :
もぐもぐ名無しさん:2012/01/09(月) 06:45:00.32
↑謎ですよね
穀物、豆、木の実、植物の根、野菜の塩漬け、少々の魚とか、、、?
基本的に物(特に食べ物)が高い東京で
貝類が安くて串に大粒の貝が刺さった貝焼き?が安いのは
昔から貝を食べていた名残なんでしょうか?
地方に負けず劣らずの安さすばらしい食べ物だと思います
千葉で貝が取れる上に輸入品は東京は運送費関係でたかくないんだろう
大量消費地は安くなる
浦安なんかも埋め立て前は蛤とかアホほど採れて、串に刺して焼いて
子供のおやつになるくらいだったとかw
今も青柳なんか安くて美味いのがあるなw
864 :
もぐもぐ名無しさん:2012/01/19(木) 14:28:01.13
行徳のまな板なんて言葉があるよね。
865 :
もぐもぐ名無しさん:2012/01/19(木) 15:50:32.52
東北内陸部は、棒鱈、身がきにしん、カラカイ、鯉、タニシ、イナゴが主な蛋白源
七分づきの米に麦を混ぜて
あとは野菜
866 :
もぐもぐ名無しさん:2012/01/19(木) 15:58:07.16
東北では
宝暦の飢饉が一番酷く
天明の飢饉、天保の飢饉は、宝暦の飢饉の教訓から備蓄していたから餓死者は出なかったが
太平洋側で大量の餓死者がでた
江戸時代は、火山、小氷河期などで異常気象で4年おきくらいに飢饉がきた最悪な時期
867 :
もぐもぐ名無しさん:2012/01/19(木) 17:25:09.69
>>865 東北の内陸部って昔から何故かニシンを良く食うんだよね、他の魚に比べて
日持ちするって事なんだろうか?
>>867 エイ、カスベとも言うね。
エイは鮫と一緒で日持ちするから、これまた内陸部の定番w
我が長野はもともと米作に適さない土地柄な上に、寒いから、昔はソバくらいしか作れなかったそうな
ご先祖様のほとんどはろくに米を食ってないんだよなあ
871 :
もぐもぐ名無しさん:2012/01/20(金) 07:51:36.59
にしんは、大量に岸に寄るから穫りやすいかったんじゃね
872 :
もぐもぐ名無しさん:2012/01/20(金) 10:19:42.17
>>865 よく分かる
もしかしてご近所or同郷かも
さといももよく食べるね
昔からかすべの煮魚食べてきて
それがエイだと知ったときはびっくりしたな
そういや軟骨食べられたり平べったかったり煮凝りできたり
色々共通点があったな
874 :
865:2012/01/20(金) 17:18:02.85
名君上杉鷹山米沢藩内
先祖は、伊達の時代に大江から移民し開墾したらしいけど
貧乏藩でありながら飢饉で餓死者を出さない教訓は今でも残っている、とにかく質素倹約
生け垣に、食用になるウコギ
雑草のヒョウは、干して保存食
庭には、池を掘って鯉
前までは、養蚕が盛んで蛹は鯉のエサ
米沢牛は、南部藩から馬喰が牛を連れてきて、農家に預けて翌年子牛を引き取るものだった
今の黒毛牛じゃなく赤牛
それが、明治時代に外人が来て
875 :
もぐもぐ名無しさん:2012/01/20(金) 21:54:40.18
>>870 今では蕎麦のが高いよな
ご先祖、ある意味うらやましいよ
きちんと子孫を残しているしね
今、初めてこのスレを読んでいるけど、
>>163の、海女さんに初めて服を身に着けさせたのは
ミキモトの創業者。
上野の科学博物館の真珠展で得た知識だから、間違い無い。
今のところの定説というのが正確な話だろうな
どうでもいい
よくどうでもいいと書く奴みるが
どうでもいいと思うなら書き込んでないはず
表面上隠した自己顕示欲がすごいキモイな
どうでもいい
今の時期、名古屋じゃアコヤガイの貝柱が出回る。
バターなりオリーブ油なりで炒めると美味。
歯ごたえが強い目なので、パスタには合わせにくい。
茹で伊勢うどん玉と合わせて焼きうどんというのはアリかも。
まだ試していません。
今度はスレチ荒らしか
基地外も大変だな
884 :
もぐもぐ名無しさん:2012/01/29(日) 08:47:33.70
定説だと思うよ
885 :
もぐもぐ名無しさん:2012/01/31(火) 12:47:21.73
貝柱は美味そうだけど、かなり高そうですねえ
886 :
もぐもぐ名無しさん:2012/02/07(火) 07:02:06.69
へえ アコヤガイ貝柱名古屋が本場ののか
887 :
もぐもぐ名無しさん:2012/02/16(木) 06:10:41.33
アコヤガイ?
三重の鳥羽の方のだろ、真珠養殖に使って、真珠を取った後は貝柱を美味しく
頂くって訳だ、そんなに高いもんでもないだろう。
命を無駄にしない日本人
食えそうなものは食う、食慾旺盛な日本人
中国人ほどじゃないだろw
中国人は脚が四本あるものなら、椅子とテーブル以外だったら何でも食う
と子どもの頃に聞いた。
893 :
もぐもぐ名無しさん:2012/03/05(月) 21:25:21.06
さすが世界一の食の王国
「脚があるので食わないのは親以外」ともw
って事は、子供や奥さんは食うって事ね・・・(^^;)
実際、王様に自分の子供を蒸して食わせた話とか、三国志じゃ、自分の妻を殺して
食わせて美談扱いだったな(苦笑)
お前ら中国とか朝鮮の話になるとこんな過疎スレでもすぐ飛び付くのな
スレチもお構い無しの荒らし化してるって自覚無いでしょ?
脳も無さそうだもんねw
鏡
中国と言えば、胎児のスープ
898 :
もぐもぐ名無しさん:2012/03/06(火) 18:19:16.61
何かの雑誌に、写真が載ってた
麹ブームで、甘酒用の麹がいつも買えない
901 :
もぐもぐ名無しさん:2012/03/28(水) 19:58:04.75
浦安の話が興味深かった
食べ物ではないけど、料理史家の本に江戸時代は幕末まで一般市民、つまり町人や百姓は
箸を使っていなかったらしいね。汁物を食べるのは木の匙で、箸は公家や武家、後は僧侶か名字帯刀を許された
一部の豪商くらいだったみたいだ。時代劇で蕎麦やうどんを食べてるのは本当は時代考証メチャクチャらしい。
そうなると、庶民レベルでは欧州のスプーン・フォークよりも残念ながら文明化は遅れたって
ことなんだよな。
903 :
もぐもぐ名無しさん:2012/03/28(水) 21:26:17.65
ほう、つまりそばやうどんを木の匙だけで食っていたと?器用だねえ〜
箸なんてその辺りの木の枝で簡単に作れたけどなw
本のタイトルを教えてくれ
>>902 国芳展の図録から浮世絵で箸が出てくる作品を抽出
「流好御染物帳 柳葉御納戸」
「流行達磨遊び」 蕎麦・首引き
「狸ト狐の遊」
お竹・翁稲荷・奪衣婆の宴会
奪衣婆と翁稲荷の首引き
流行達磨遊びでは箸で蕎麦食ってる
>>903 今の形態のそばやうどんなんて歴史浅すぎでしょ?
このスレのテーマでも末期の末期だし。
ナンタラごはん、雑炊、焼魚、漬物、おにぎり、ナントカ団子、ナントカ餅などなど
なるほど、箸要らないなw
>>906 描こうと思った
それは、つまりその時代の変化の様子だったんじゃないか?
本のタイトルを教えてくれ
>>906 遊べる金を持ってた層は一握りだからなあ。少なくとも長屋住まいの町人に
そんな生活は出来なかったはずだよ。どの時代でも現状よりもよく描かれるのが
常の話だからね。
なんだ?
出鱈目をもっともらしく言って騙す練習でもしてるのか?
それとも本当にそんなトンデモ本があるのか。
思うに
どうもスレタイの「江戸」の文字で思い込み
思考停止してる人が多い気もする。
「先史」から江戸までだぞ?
明治大正昭和の話はどこですれば・・・
>>912 完全にスレチだから
スレ検索して、他スレが無ければ立てるしか無いんじゃない?
食文化関連でも日本史板でも
914 :
もぐもぐ名無しさん:2012/03/30(金) 22:59:20.23
昔の食事って
魚も丸焼きで自分で骨と身を分けたり
ご飯も玄米 野菜も生か漬物 っていう感じで良いのかな
915 :
もぐもぐ名無しさん:2012/03/31(土) 11:43:20.07
>>914 今の炊く調理法ではなくて、蒸す方法だったからお米の食感も
おこわに近かったらしいよ。個人的には粳米よりおこわの方が好きな
自分にはありがたいが。
916 :
もぐもぐ名無しさん:2012/03/31(土) 14:12:37.54
>>916 公家や武家が使用することは一般化とは呼ばない。
そこなんだよねぇ・・・・・
それなりの身分や金持ちだった連中の資料は、それなりに残ってるが
一般人が何食ってたか?って資料が少なすぎる。
それぞれの時代、当時の風俗や残ってる道具から推測するしか無い。
919 :
もぐもぐ名無しさん:2012/03/31(土) 18:45:47.10
920 :
もぐもぐ名無しさん:2012/03/31(土) 18:56:45.14
ざっくり千年近くすっ飛ばしてるなw
でもそのサイトにも有るが明治に入ってから「躾箸の時代」と
敢えて書かれるワケで
時代背景を考えると、マトモに箸使ってる奴は意外と少なかったのかもね
922 :
もぐもぐ名無しさん:2012/03/31(土) 23:09:54.08
富国強兵制度と関係あるのかもね
明治維新だろ
それまで平民だったのが表舞台に出始めたから
明治に入っちゃうとスレチだけど
それまでの時代を読み解く鍵ってのにはなるわな
現在の箸使いの基本て仏教の作法だろ。
昔から、初七日をはじめとする法事の時の会食が、
知らず知らずテーブルマナー教室になってたんじゃないかな。
箸使ってないとなれば、普段の食事にはさじを用いていたのか……?
蕎麦・うどんを匙で?
へー
だからwそばうどん浮世絵の話はもう一周してんだろw
江戸時代に入れば何でもありだろ
それまでの郷土料理が集中して競争に晒され
洗練されていったわけだから。
そしてその変化の途中で箸が一般化したとかいう話。
当時の惣菜番付を見ても町人は箸使ってたでしょ
でもそれ以前はどうだったの?って話なんだよ。
江戸時代に関したって、浮世絵に描かれることで
今見ると「使ってるじゃねーか」となるかもしれないが
「何故敢えて、そばやうどん食ってるだけのオッサンを描いたのか?」
という疑問も残るだろ。
930 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 10:55:18.40
敢えてもなにも、オッサンがそばやうどん食ってるのが普段の光景だからだろ
>>930 普段・普通であったら個人に焦点を合わせないとも見れるよ
風俗描写なら風景画でも良いわけで
932 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 12:14:44.01
そば食ってる絵のどこが不思議だと思うん?
不思議だなんて言ってないじゃん
ただ、そば切りの発現・流行は、江戸も中期以降に入ってからのもんで
それ以前に「一般も箸を当たり前に使っていた」という証拠にはならないというだけ
江戸時代って結構長いよ?
昭和の間にどれだけ風俗が変わった?
934 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 14:27:41.02
箸の背景はそういうことなのか
935 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 17:05:42.40
疑問も残るだろ。
疑問も残るだろ。
疑問も残るだろ。
これって不思議だと思ってるってことだろ?
936 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 17:09:22.13
それより
>>902 に書いてある「江戸時代は幕末まで一般市民、つまり町人や百姓は
箸を使っていなかったらしいね」の根拠が知りたいな。
少なくとも江戸中期以降に町民が蕎麦食ってる絵は存在するわけなんだし。
>>935 なんでそこに突っかかってくるのか知らんけど
疑問だとは思うが、事実がどうあれ「不思議」とは違うよ
可能性としては、不自然でない範囲でいろいろ考えられるわけで
洗練される前の一般の食で、箸が稀だった、と言われれば
なるほど、確かに匙で食えるもんばっかだな。というだけ。
>>936 そばやうどんが一部地域の郷土料理から
江戸の流行りモノに躍り出たのが江戸時代。
おにぎりや団子、饅頭なんて手づかみでOKじゃん?
雑穀雑炊なんか匙でOK。
魚の場合、でかいのの切身なんかどうすんだ?ってのは有るが
それでも「広く一般に箸使用」の理由にならない条件も多いって事なんじゃない?
938 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 17:42:34.79
確か、薬味も今のような一味や七味ではなくて胡椒だったんだよね。
上流階級が箸を使ってた史料をいつの間にか庶民も使ってたことにしてしまうという
ステマ工作はいったい誰得?
本のタイトルを教えてくれ
>>938 >はいったい誰得?
明治政府じゃない?
あの火事場の中、国をまとめて不満を捩じ伏せなきゃならん
何でもやったと思うよ?
941 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 17:59:33.29
なるほどねえ そういうことか
942 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 18:09:34.77
943 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 18:14:10.15
944 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 18:14:19.59
箸の歴史にも、スレぞれの時代の流れがあるのですね
945 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 18:15:24.40
>>942 >これは,職人のふだんの夕食を想像してつくったものである。
>夕食を想像してつくったものである。
>想像
さて、真実は、どの辺りなんだろうねぇ?
祭事に関しては、土地の権力者の許可制だったろう
火を炊いて集まって大騒ぎするワケだからな。
その時は、ある程度箸も使っただろう。
そばなんかも祝いの席の食、とされる記録がある。
・・・・・さて?「平民の普段」は?
>>945 いや、俺はそもそも
>>902じゃないんだよ。
あ〜言われてみればそうかもな
と思っただけ。
そして
>>902を完全に覆す論も思いつかない
そんなところ
948 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 18:34:46.02
日本の食文化は奈良時代から箸を中心に形成された。
奈良時代、平安時代の一時期には、宮廷や貴族の饗宴に金属製の箸と匙を併用する中国式会食作法が導入されていたが、
一般民衆の食膳には、匙はまったく登場せず、もっぱら箸中心の食生活であった。
「箸と匙を併用する複雑な会食作法も、やがて平安後期には、匙の代わりに直接口につけて飲食する椀の文化が発達して廃れていき、
鎌倉時代からは、箸だけで食べる純粋な箸食文化が形成されたのである。」
(本田総一郎「箸の歴史」(週刊朝日百科「世界の食べもの」113号、1983年))
和食では、箸で食べやすいような(すなわち箸でつまんで、ほぐせるような)食材の形、大きさ、固さに調理され、
これを前提として美的に盛り合わされる。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3854.html
949 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 18:38:53.89
そんなこと考えてもみなかったけど深いんですね
950 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 18:42:09.38
箸の作法も大事だと思う
>>948 そんな資料な、とっくに漁ってるんだよこっちは
その上での疑問が消えないって話な
明治政府が言うほど、当時以前の暮らしが酷かったとも思えない(石高等の数字からな)
でも、だからといって「箸なんて普通だろ?」という言に対する疑問も消えない。
コメは塩、砂糖、魚、野菜など、地元で採れない調味料・食材などと交換する
文字通り「コメ=給料=カネ」だった。
江戸以前の平民以下が、雑穀ごはんモリモリ食ってたか?
俺は疑問だね。
根菜、葉物の混ざった雑炊、それに漬物、醤などが命綱だったろう。
囲炉裏の鍋で一家団欒なんて、まだ恵まれた部類だ。
そんな時代、箸は「当たり前」だったか?
俺は、素直に、そうは思えないね。
952 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 18:57:22.33
庶民レベルでは西洋のナイフとフォーク使用よりも遅れてたのは間違いない。
>>952 うん、そしてそれは西洋でも同じだったと思うよ?
954 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 19:11:54.97
>>954 当然だろ?
俺もオマエも大五郎・・・じゃなかったw
当時の人間じゃないわけだから。
だからこそこの手の話に意味があるんじゃん。
956 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 19:19:22.84
箸は当たり前だったと思う
957 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 19:22:17.86
大五郎さんていうのですか
>>956 言っちゃえば、その確証もないねって事
そして、止事無き身分の人間や、一般でも催事に使われていた記録はある
でも「普段」は謎。
959 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 20:33:08.81
匙が当たり前なら、その根拠は?
本のタイトルは?
>俺は、素直に、そうは思えないね。
>俺は、素直に、そうは思えないね。
>俺は、素直に、そうは思えないね。
あんたの考えは取り敢えず置いといて、根拠を見せてくれや!
960 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 20:54:14.94
匙は当たり前に様な気がする
961 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 20:56:01.90
自分で調べるべきでしょう
962 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 21:08:13.85
博識だ
どこぞの本で読んだって言い出したのが発端なのに本のタイトルが出てこないってどういうことだよ
964 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 23:26:12.77
>>963 その通り。
自分は納得できない、自分には理解できない、自分は疑問、自分は不思議、そればっか。
根拠を出してくださいとあれほど言われてるのに、それだけはやらないんだもんな。
965 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 23:35:57.70
>>958 いや、一番記録しないのは「当たり前の事」なんだよ。
「普段食事はみんな箸で食べてます」なんて異邦人でもないと記録しないでしょう。
966 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 23:41:27.88
だから本のタイトルは?
と重ねて訊いているんだがな。
967 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/01(日) 23:45:46.31
蕎麦を箸で食うのはあたり前。
うどんを箸で食うのはあたり前。
>いや、一番記録しないのは「当たり前の事」なんだよ。
じゃあ、蕎麦やうどんを匙や手で食ってる「当たり前じゃない事」の絵をupしてみてくださいな。
968 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/02(月) 00:04:51.20
>>967 そんな絵がないのはソバやうどんを素手や匙で喰うアホが居なかったからじゃないのかw
ついでに言うと面白くもなんともない奇行も記録されないわなw
匙でソバ食ったからなんだっつーのよ。
私が言いたいのは「普段庶民が箸を使ってた記録がない」=「庶民は普段箸を使ってなかった」ってのはおかしいって事。
969 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/02(月) 00:41:40.48
構ってほしいだけなんだろ
970 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/02(月) 00:45:38.52
赤坂虎屋の刊行物は面白い記事が多いですね
民明書房なんだろw
972 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/02(月) 10:23:36.70
973 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/02(月) 11:52:41.34
匙でソバ食ったからなんだっつーのよ。
匙でソバ食ったからなんだっつーのよ。
匙でソバ食ったからなんだっつーのよ。
匙でソバ食ったからなんだっつーのよ。
匙でソバ食ったからなんだっつーのよ。
そういや給食のソフト麺で先割れスプーンの時があったな
旧ソ連邦のウズベク人もスプーンでラグマン(羊の汁麺)を食べる。
スプーン腹で麺を押して切って口に運ぶ。
976 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/02(月) 13:41:06.87
>>853 平生朝夕ノ食物ニ風味ヲ好事ナカレ
常ニ飲食ヲノミ心ニ入テ家業ニ怠ル者ハ国賊ナリ
「河内屋可正日記」より
977 :
もぐもぐ名無しさん:2012/04/02(月) 16:36:02.10
>>902 江戸末期まで一般人は箸を使ってないなんて、いくらキーワード変えても検索できんぞ。
みんな、週末は図書館で民俗風俗コーナーを漁って調べるんだ!
本に正解が載ってる話でもないと思うけどねぇ
池沼「俺が読んだ本にそう書いてあったんだけど」
↓
スレ住人「本のタイトルは?」
↓
池沼「くぁwせdrftgyふじこlp」
↓
スレ住人「えっ」
どうしろと