【←鼠】菜食良かった事困った事6【の歌を聞け】

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786虫に聞け ◆h4lLr1UrYE
しかし、動物かわいそうは根強い。普通食の人でも屠殺の現場には目をそむける
だろう。俺も猪の解体を見たことがあるが顔をしかめてしまった。
なぜか?人間は本来なら衣食住という生活の基本は自分一人あるいは数人協力して
すべてまかなうもの。未開地はもとより、先進国でも田舎ではそういうのが多い。
日本のように文明先進国ではこれが分業により他人任せで通る。食で考えるなら
誰かが獲ったり作った物を買えばいい。自分でやる必要がない。
肉は誰かが屠殺し解体しきれいにパック詰めされている。自分で殺すことも解体
することもない。そのため、そういうものへの「耐性」がなくなる。
見慣れてなく耐性がないから気持ち悪く見え、それがかわいそうにつながる。
しかし本来は自分達でやるのが正常で、文明の恩恵を受けているだけだ。
そして、その「耐性」がなくなった感覚での見方が正常だと思ってしまう。
自分の手で動物を〆るのが日常の生活になってる所では誰も残酷とは思わない。
子供だって今日はご馳走だと喜ぶだけだ。
魚、貝は割りと平気というのも出てたがこれには日本人は耐性がある。
料理好きなら魚は自分で捌くし、スーパーに魚が並んでても気持ち悪いとか残酷
とか普通の人は思わない。死体であるにもかかわらずだ。
貝はシジミやアサリで味噌汁を作る時死んでるものを使う馬鹿はいない。
生きたまま茹でるがほとんどの人間は抵抗ないはずだ。
生活習慣によって耐性は異なる。哺乳類の屠殺に耐性がないだけで、それから
くる感覚を絶対正しいなどと思わぬことだ。