関西人の味覚はアメリカ人以下

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316もぐもぐ名無しさん
フランスの著名な料理評論家、ジャン・リュドリュ・ボネの著作より。
「お好み焼きは[残飯]である。せっかくの様々な具をその具にあった事前の調理段階を経ずに、小麦粉
とともに何の情緒もなくいっぺんに混ぜ込んでしまうので、すべての具の味が死んでしまう。そこで具が
果たす役割と言ったら、栄養素の補給でしかない。唯一の味といったら、小麦粉なのだ。
日本人は、と言ってもこの料理を喜んで食しているのは、主にKANSAIという強烈な個性をもって自らのア
イデンティティとする、優雅さや慎みとはおよそ縁のない地域の人々なのだが、驚くべきことに彼らはこ
の低俗な料理を、飽きることなくほぼ毎日食しているらしいのである。
この料理が最悪なのは、最終段階においてマヨネーズとタレが加わることだ。ハーモニーも何もない。も
ともとマヨネーズが小麦粉とは合わないのに、強引に一緒くたにしてしまう。ここでマヨネーズと小麦粉
の激しい主導権争いが起きるのである。口の中に運んでも、両者仲たがいしたままだ。
タレはそこでは何の役割も果たさない。多少、小麦粉の肩を持つ程度で、つまりは小麦粉の味だけではい
くら何でも味気ないので、乱暴にこのソースを加えたといったところが真相のようだ。そこに混ぜ込まれ
ている様々な具の味を引き出すことをしないままにだ。
結局のところ、これは私の愛する日本料理ではない。それどころか、少なくとも人間ならばこれを食して
はならない。この料理は豊かな恵を与えてくれる神と人間の智恵の蓄積である料理という芸術に対する著
しい冒涜である。
神がもしこの料理を食することをお許しになるなら、それを許される者は唯一、豚であろう。」