【日航機JA8119便】尾巣鷹の尾根墜落の・・

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800大空の名無しさん
日本文化チャンネル桜 - 掲示板
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アントヌッチ氏の新聞記事を見辛いCopyで目をこすりながら読みながら、こいつは作文だと確信しました。
今迄述べてきた以外の理由を上げます。

1、再三に亘りC-130を乗機の名称に使っています。
C-130は機種名で、同日同時刻に何百機も世界中で飛んでいます。
JAL123便をボーイング747−SRと呼んでいるに等しいので、彼の主張するミッションに具体性が希薄です。
作戦命令XXXXと言わないまでも、各機にコールサインが割り当てられるのが当然です。
Eagle-1とかKilo-Echo(嘉手納−横田の輸送任務に照らした勝手な命名ですが)とか、とにかく、その飛行任務の間に特定の航空機を規定する重要なサインです。
C-130と機種名でしか言えないのは、この任務飛行が無かったことを裏づけています。
機長や機関士は実名で、コールサインを示せないのは不自然です。

2、アントヌッチ氏はクルーメンバーでは無い。
彼は、翌日昼に一週間の沖縄出張をクルー全員が命ぜられ、あたかもこの機の乗員全てが一つの集団であるように表現しています。
であるならば、グリフィン機長は“ジョー”であり、ブレイ機関士は“ギャリー”です。
そのように書けないところに、アントヌッチ氏の現場体験が無いことを露呈しています。

3、C-130の航跡
スターズアンドストライプの付図によれば、C-130は横田基地から020に偏針、20マイル程で300に偏針してMt.Osutakaに向い、ここで機関士が左下方に煙を発見して機長がそこへ到達したと書かれています。
日本中の名パイロットの誰も、Mt.Osutakaに行けと言われて飛べる人は居ません。
この航跡図は、墜落現場=御巣鷹山と判ってからその発見ストーリーをでっち上げる目的で作られたものです。
まして、機関士が発見したは笑止です。
C-130の機関士は正副両パイロットの真後ろ、胴体の中央に居て、エンジンの制御を助け、コントロールパネルは左側の壁にビッシリと計器が並び、俗に横向きの蛸踊りと称する配置です。
機関士の席には窓がありません。
801大空の名無しさん:2006/10/12(木) 14:35:49

4、 燃料の余裕
沖縄(何故か嘉手納基地とは言わないがまーいいか)出発の際、グランドスタッフが台風の接近に備えて2時間分余計に給油してしまった。
おいおい、アントヌッチさん、助けてよ。
横田での活劇を正当化するために2時間の飛行時間の余裕を説明しようとしているが、あんた本当にナビゲータなのかね。
機関士と機長の承認無しに余計な燃料を給油することは絶対に無い。
それで、大活躍のあと、17時間に及ぶ我々のミッションが終わり、燃料を使い切って着陸した。
日航機事故で活躍した2時間を差し引いて、15時間飛んだとすると、巡航時速500Kmは出るから7500Kmも飛んだのでしょうね。
向かい風が強くても、まー5000Kmは固い。
この人は、嘉手納と横田の位置関係を全く理解していない。
その時に飛んだクルーでは有りえない。
フィクション作家です。

5、生存者救出の可能性
二週間後にバンコックでニューズウィークを見て、救出された落合さんが、我々の爆音を聞いて“これで助かったと思ったが、
ヘリは遠ざかってしまった”、“あの時に助けてくれたら、もっと沢山の人が救出された”とコメントしているので、
愕然とし、誰が米軍の救出を拒んだのか、大いなる不審を抱いた。・・・・そうです。
1994年なら言えるよね。
事故直後に発言しているならともかく、10年後に実はあの時どうだったというのは、証拠価値があるのでしょうか。

これを書かせた者の罪は重いと怒りを感じます。
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