デスピサロは同情の余地なき悪党 第三十四章

このエントリーをはてなブックマークに追加
81名前が無い@ただの名無しのようだ
・ドラクエ4
5章開始早々に村襲撃イベントが起こるため、プレイヤー(=主人公)が
両親や故郷の人々に対して思い入れを深める時間が乏しい。
このため、村が襲撃されるイベント後も、家族を失った悲しさや怒りがいまいち感じられない。
モシャスして身代わりになってくれたシンシアが印象に残るくらい。

さらに、そのイベントの記憶が薄れた頃にピサロの周辺事情が詳しく描かれるため
家族が殺された因縁の相手だなどということを忘れて、プレイヤーはピサロに感情移入してしまう。
それでもFC版では最終的にピサロを打倒して終わるため、因果応報はキッチリ描かれていた。
しかし、上記のようにプレイヤーの感情移入度は「ピサロ>殺された故郷の人々」であるため
ピサロを倒して終わる展開に文句を言うプレイヤーを生みだすことになった。


・ドラクエ5
本筋(青年時代)に入る前に少年時代をプレイすることで、主人公とプレイヤーが一体化する準備期間を与える。
父(パパス)の力強さ、優しさを直に目にすることで家族としての思い入れが強くなる。
結果的に、パパスの命と自分の青春時代を奪った敵対勢力に対して強い怒りを覚える。
一方で、少年時代にベビーパンサーを仲間にしたり、親分ゴーストを許すイベントが挿入されることで
モンスターが倒すべきだけではない存在だということを経験し、モンスター仲間システムに対しての違和感も解消される。

ゲマを倒した瞬間に溜飲が下がったプレイヤーも多いだろうし、その意味では成功したが
ラスボスの存在感が薄くなるという点ではやや失敗した。


・クロノトリガー
魔王の過去を描きつつ、被害者側(カエルと親友)の立場・心理もキッチリ描いている。
圧倒的に脅威な存在(ラヴォス)を置き、私怨を超えて共闘する理由が存在する。
その上で、プレイヤーに魔王と手を組むか、あくまで敵として倒すかを選ばせる。

敵と手を組むという点においては、非常に優れたシナリオ展開。
ゲームシステム上、仲間に入った後はカエルとも仲良くやっているように見えるのが欠点と言えば欠点。


ゲーム作家としての堀井は、ドラクエ4での失敗を活かし、後の作品でしっかり取り返しているんだよなあ。
6章を作るなら、劣化前の堀井に全面的にシナリオの修正をしてもらった上で出して欲しかった。
もはやそんなことを望んでも不可能だが。