【DQ9】ドラクエ9 中部(東海・北陸)すれちがい通信36
『 朝鮮人 』
ゲームを借りパクしたり、売り払ったりする。万引き自慢。不潔、異臭。
性格が悪い。嘘をよく吐く。暴力を振るう。パチンコ屋。暴力団。創価学会。
これに当てはまる人物には気を付けよう。
Λ_Λ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<丶`∀´> < ネトウヨ!ネトウヨ!チョッパリ!
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「朴痴漢」
日本の凶悪犯罪のほとんどが 『 朝鮮人 』
日本人に成りすましている悪人が 『 朝鮮人 』
勝手に密入国したくせに、被害者を装うのが 『 朝鮮人 』
息を吸って嘘を吐くのが 『 朝鮮人 』
日本に潜む在日韓国・朝鮮人は65万人。
帰化していない。日本の国籍を持たない外国人だ。
超凶暴!関わると後悔します。朝鮮人のようにだけはなってはいけません。
友達にも教えてあげよう。
【社会】 派遣村の19歳少年「今の状況は社会のせいじゃない。自己責任」「僕らは駄目な人間だと思う?」→毎日記者「思わない」
・2010年元旦は凍えるような寒さだった。国と東京都が国立オリンピック記念青少年総合センターに
設置した公設派遣村を訪ねた。どんな理由でここにたどりついたのか。それぞれの話に耳を傾けた。
オープン初日の28日には292人だった利用者は最終日の4日には833人にふくらんだ。
中庭にある喫煙所に入居者が集まる。20代、30代も多い。「こんなところに来る予定じゃなかった。
正月は故郷に帰ろうと思っていた」
北海道釧路市出身。27歳。とびだった。一昨年秋以降、仕事が激減。週3日しか仕事がない日々が
続いた。日給も1万5000円から9000円以下に落ちた。仕方なく半年前から新宿の歌舞伎町で
ホストになった。客引きしていくらの夜の世界。金がある女性を1日1人は見つけることがノルマだった。
すぐに向いていないと分かった。12月中旬、ホストを辞め、仲間の家や客の家を転々とした。とび職に
戻ろうとハローワークに通ったが、求人は見つからなかった。
実家に妻と1歳の娘を残す。月7万〜8万円の仕送りも、今はできない。家族には派遣村にいることを
知らせていない。元旦にも電話がかかってきた。帰ってきてほしがっていた。「帰っても仕事はない。
また出稼ぎに来ることになる。家族を呼び寄せても路頭に迷わせるだけだ」
風邪気味というので、市販の解熱剤をあげると、うれしそうにした。「仕事と家さえあればなんとか
なるのに」とつぶやく男性。掛ける言葉は見つからなかった。
■
元日に鳩山首相、菅副総理ら政権幹部が次々と派遣村を訪れた。
「アピールだけですね。首相がお母さんからもらったお小遣いの1割でもいいから僕らに分けてほしい」
そう言う男性は34歳。北海道出身。横浜で派遣社員として働いていたが6月に失業。建設現場を
転々とし、12月20日に仕事も寮もなくなった。「自分がホームレスと思うのがいやで、夜は新宿や
池袋の雑踏を歩き続けた。人込みに紛れるとほっとした。(
>>2-10につづく)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100105dde012040004000c.html ※前:
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1262683199/
(
>>1のつづき)
金がなくて、食べ物にあふれた町を空腹で歩くのはつらかった」。段ボールで寝るようになったらと
恐ろしくなり、派遣村行きのバスに飛び乗った。
「天は自ら助くる者を助く」という。米国のスラムは福祉に頼り続けるなど、はい上がろうとしない人も
多かった。ここにもそういう人はいるだろう。だが、「来るのに抵抗があった。情けない」「弁当を
もらうのが申し訳ない」という声も聞いた。
女性も16、17人いた。1泊2900円の上野の温浴施設から29日に来た女性(65)。こつこつと
働き、年金をもらおうと役所に行くと「払込期間が2年足りず、追加で足りない金額を支払うことも
不可能だ」と言われた。
3カ月前、「ちょっと買い物してくるね」と言って、家を出てきた。息子たちの世話になりたくなかった。
「まだ5年は働ける。食べさせてもらって小さくなって暮らすのはいや。生活保護を受けるなら
死んだ方がまし」
千葉県出身の男性調理師(42)は、会社がつぶれ、寮を追い出されて、夫婦で派遣村に来た。
「昨年はこんなところで年を越すなんて思いも寄らなかった。ファストフードで出される料理は
パート主婦や賃金の安い若者の手で工場で作られる」。調理師の求人はほとんどない。
■
昨冬、民間人の手によって日比谷公園にできた派遣村で、国の無策が露呈した。その二の舞いに
ならないためできた公設派遣村。
3食の弁当とお茶が配られる。元日にはおせち風の弁当もでた。一部は個室。風呂場もある。
洗濯したい人にはランドリー代500円が配られる。みんなが感謝の言葉を口にした。同時に
ここを出たらどうするのかという不安を持っていた。
3日夕方。翌朝には派遣村を出なくてはいけない。利用者たちが不安やいら立ちを口にし始めた。
喫煙所にいた昨冬の派遣村村長で内閣府参与の湯浅誠さんに詰め寄る男性(62)がいた。
「もっとちゃんとしてよ! 頑張ってくれてるのは分かるけどさ。ここに来ればアパートを借りる
ための支援を受けることができると期待してきたのに、福祉事務所の電話番号を教えられた
だけでがっかりだよ」(
>>3-10につづく)
(
>>2のつづき)
この男性も北海道出身。3年前に勤めていた土木会社が倒産し、東京に出稼ぎに来た。
アルバイトを掛け持ちしたが、昨年末に雇い止めに。アパート代を滞納し、12月26日に
住居を失った。
体は丈夫で体力にも自信がある。生活保護を受けるつもりはなく、働いて自立したいという。
「家がないと求職活動もできないから、借りる資金を貸してほしい。『コンクリートから人へ』なんて
パフォーマンスはもういい。とにかく自立に役立つことをしてほしい」と訴えた。
■
19歳の少年もいた。ダウンジャケットにジーパン姿。2日に大阪から夜行バスで上京した。
新宿で、ホームレスに派遣村のことを教えられた。自営業の両親は事業不振に苦しんでおり、
建設現場などで働きながら通った定時制高校を昨春卒業。仕事はなく「東京なら仕事が
あるかも」と考えた。「全日制でも就職率が下がっているんだから定時制はほとんど仕事がない。
学歴や経験不足を理由に相手にしてもらえない。もっと僕自身のやる気を見てほしい」
少年は、都が開設する相談窓口で「自分はどんな仕事がしたいのか分からない。混乱している」と
相談した。「どんな仕事でもする」と言うが、夢を尋ねると「住み込みの寮がある工場で働きたい。
人のために何かを作り役に立ちたい」と照れ笑いした。
所持金は200円。都の支援がなくなれば行く当てはない。取材を終え立ち去ると、しばらくして
少年が追いかけてきた。「報道の人には、僕らここにいる人間はどう見えるのか? 駄目な
人間だと思うか」と聞かれた。
「そうは思わない」と答えた。ここでは胸がつぶれるような悲しい話をたくさん聞いた。必死に
求職活動をしたにもかかわらず路上に出た人もいた。少年はそれでも、「僕は自己責任だと思う。
家にお金がなかったり運が悪かったとは思うけれど、社会のせいにしたら心がすさんで自分を
保てない」と言った。
派遣村にいた多くはごく普通のまじめそうな人たちだった。けれど、路頭に迷っている。来年は
誰がここにいても不思議ではない。(以上、一部略)