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>>1のつづき)
金がなくて、食べ物にあふれた町を空腹で歩くのはつらかった」。段ボールで寝るようになったらと
恐ろしくなり、派遣村行きのバスに飛び乗った。
「天は自ら助くる者を助く」という。米国のスラムは福祉に頼り続けるなど、はい上がろうとしない人も
多かった。ここにもそういう人はいるだろう。だが、「来るのに抵抗があった。情けない」「弁当を
もらうのが申し訳ない」という声も聞いた。
女性も16、17人いた。1泊2900円の上野の温浴施設から29日に来た女性(65)。こつこつと
働き、年金をもらおうと役所に行くと「払込期間が2年足りず、追加で足りない金額を支払うことも
不可能だ」と言われた。
3カ月前、「ちょっと買い物してくるね」と言って、家を出てきた。息子たちの世話になりたくなかった。
「まだ5年は働ける。食べさせてもらって小さくなって暮らすのはいや。生活保護を受けるなら
死んだ方がまし」
千葉県出身の男性調理師(42)は、会社がつぶれ、寮を追い出されて、夫婦で派遣村に来た。
「昨年はこんなところで年を越すなんて思いも寄らなかった。ファストフードで出される料理は
パート主婦や賃金の安い若者の手で工場で作られる」。調理師の求人はほとんどない。
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昨冬、民間人の手によって日比谷公園にできた派遣村で、国の無策が露呈した。その二の舞いに
ならないためできた公設派遣村。
3食の弁当とお茶が配られる。元日にはおせち風の弁当もでた。一部は個室。風呂場もある。
洗濯したい人にはランドリー代500円が配られる。みんなが感謝の言葉を口にした。同時に
ここを出たらどうするのかという不安を持っていた。
3日夕方。翌朝には派遣村を出なくてはいけない。利用者たちが不安やいら立ちを口にし始めた。
喫煙所にいた昨冬の派遣村村長で内閣府参与の湯浅誠さんに詰め寄る男性(62)がいた。
「もっとちゃんとしてよ! 頑張ってくれてるのは分かるけどさ。ここに来ればアパートを借りる
ための支援を受けることができると期待してきたのに、福祉事務所の電話番号を教えられた
だけでがっかりだよ」(
>>3-10につづく)