作者の幸宮チノさんは、ぼくが昔からファンだった人ですね。
ほんわかした温かい雰囲気と可愛らしい絵柄。登場人物のみんなに「思いやりの心」があるところが、とても好きです。
DQ四コママンガ劇場時代から、ギャグを基調にときどきハートフルな作風は非常に光っていました。
「ちぱパニック」も非常にこの人らしい個性があるのですが…、今回はドラクエ漫画で語りましょうかね。
個人的に最高傑作だと思っているのが、「ドラゴンクエスト1Pコミック劇場」1巻108ページの、
ドラクエ3を基にした「話し相手」という作品。この機会に、じっくり語りましょうか。こんな内容です。
ランシールにある洞窟「地球のへそ」に一人で行った女僧侶。通路を重く覆っていた沈黙を、ひとつの声が打ち破りました。
「引き返せ」。
その場所の壁に彫られていた「顔」が、突然、声を発しました。
僧侶はふと立ち止まり、「顔」のほうに向き直って、しばらく見つめたあと、小さくつぶやきます。
「………。―――あなたの言うとおりかもしれない」。
面食らう「顔」。しかし、僧侶はもう、そんな「顔」を見つめてはいませんでした。
彼女は少し目を伏せて、淋しげに微笑みながら、ぽつり、ぽつりと話し出しました。
壁に灯火が取り付けられているだけの、薄暗い洞窟の静寂の中、彼女の声だけが、ひとつひとつ、浮かんでは、消えてゆきます。
「魔法使いが、賢者に転職したの。カノジョ、これから私の呪文も使えるようになるから…。私はもう、お払い箱かもね…」
僧侶の脳裏に、冒険中の仲間たちと自らの姿が浮かびます。勇者、戦士、そして賢者――。
みな和気藹々として冒険を続けている中で、 私だけがひとり、ぽつんと浮いているように思えて。
床の上にしゃがんでしまった僧侶。いつの間にかその目は潤みはじめ、やがて涙があふれてきました。
「私なんて、アリアハンに引き返したほうが、みんなにとって幸せよね」
ぽろりと自分の目から零れる雫に気がつき、僧侶は「…ぐすっ…やだ…私、泣かないって決めてたのに…」。
「顔」はもはや、何も言わず…何も言えず。
再び静寂が訪れ、その中に「ぐすっ」という彼女の涙の音が、沈んだ空気をかすかに揺らすだけ…。
しばしの後、泣き止んだ僧侶は、すっと立ち上がり、息を吐きました。
身体は、出口へと続く通路のほうへ向かっています。彼女は手の甲で涙を拭い、「顔」の方を振り返って微笑みます。
すっきりした表情で。
「ごめん…、グチっちゃって。帰るね…」
彼女は「てへ」と笑い、右手を振って「顔」に別れを告げました。
「今日……ここ来てよかった」
こうして女僧侶は戻っていきました。仲間のもとへと…。
「長い間コレやってますけど、こういうケースは初めてでしたよ…」 ――地球のへそ 壁の顔・談。
信じられないかもしれませんが、これが「1ページ」の漫画作品です。ここに凝縮された内容、半端じゃありません。
…いろいろ、想像できるんですよ、この作品。ぼくの想像で、この作品の背景を補ってみましょうか。
冒険の旅を続ける一行はランシールに着きます。
神殿の中で、この先の洞窟には一人だけで挑まなければならないと四人は告げられます。
ならばとリーダーである勇者が名乗りを上げようとしたとき、後ろから彼に声がかけられたのですね。
「あの…。私に行かせて」
彼女――女僧侶は、一人になりたかったのではないでしょうか。
女魔法使いの転職を機に、自分の立場が危うくなったと思う僧侶。
内気な彼女は、仲間に自分の思いを伝えられなかったのでしょう。
冒険中はいつも四人一緒。宿屋でも、同室なのはその元魔法使いの賢者。泣き言は言えません。でも…。
彼女の中の何かが、洞窟への旅へと自らを突き動かしました。
――泣かない。わたし、泣かないから。
薄暗い洞窟の中。時折現れる弱い魔物をニフラムなどで追い払いながら、僧侶は進みます。
彼女を包むものは洞窟の闇と、静寂と。唯一聞こえる自分の足音が、彼女を果てしない孤独へと追いやるのです。
僧侶の心の中に、仲間の姿が、一人、また一人と映ります。
勇者。彼はこのパーティのリーダーです。私と変わらない年齢でありながら、あの有名な勇者オルテガの息子だけあって、
とても強くて、頼りになります。彼ならきっと、魔王を滅ぼすこともできるでしょう。私が足手まといにさえならなければ…。
戦士。寡黙な彼だが、そのパワーと戦闘技術は抜群。砂漠や山地などでのサバイバル術にも秀でており、
パーティいちの実績を誇る冒険家として、魔物の激しい攻撃があろうと彼さえいれば大丈夫という安心感を与えています。
そして魔法使い…いや賢者。女どうしで、同じ呪文系の職業でもある彼女は、好敵手であり、
またプライベートなことも話し合えるいちばんの親友でもありました。以前から、魔法を使うための知性を競い合ってきましたが、
私はいつも彼女には一歩及びませんでした。それでも、彼女が攻撃、私が回復という分担があったため、
引け目を感じることなく過ごすことができたのです――今までは。
賢者となった彼女は、その知性にさらに磨きをかけ、弱点であったひ弱さも克服し、まさに完全無欠の冒険者に。
最近は勇者とも会話が弾んで、ちょっといい感じかもしれない、なんて思います。
私は――どうでしょう。私がこれまでやってきた仲間の回復は、これからは賢者がやってくれます。
勇者や戦士だって、私のような暗い女に呪文をかけられるより、
明るくてきれいな彼女に回復してもらったほうが嬉しいんじゃないでしょうか。
武器だってあまり持てないし、力だってもうみんなの中でいちばん弱いです。攻撃魔法もろくに使えません。
かといって、商人のように何か別のことで役に立てるわけでもないですし、
遊び人のように明るさでみんなの心を和ませることもできません。
本当に…、私はみんなのために何ができるというのでしょう。
私にできて賢者(カノジョ)にできないことなんて、何もないじゃないですか。その逆はいくらでもあるのに。
答を見出せないまま、歩き続ける僧侶。とぼとぼとした足取りで、通路を進み、回廊の入り口に立ちます。
その時でした。あの一言が彼女の耳に――心に、届いたのは。
「引き返せ」――。
僧侶は、そこに「顔」がいるのを認めました。それと同時に、彼女の中に抑えがたい感情が沸き起こってきます。
彼女にとって、その一言は、心の奥深くに突き刺さるものでした。自分がどうすれば良いのか、
その答を――認めたくなかった、恐れていた、それでいてどこかでは気づいてしまっていた答を、明らかに示す、
パンドラの箱が開いてしまったのです。
「……」しばしの沈黙の後、彼女は話し始めました。
「あなたの言うとおりかもしれない。」
彼女はゆっくりと、想いを語ります。「顔」は何も言いません。きっと私が突然変なことを言い出して、
戸惑っているんだろうな、と僧侶は思いながら。でも、だまって聞いてくれるだけで十分でした。
気づいたのです。
自分が求めていたのは、自らの気持ちをぶつけることのできる…、
「話し相手」だったんだ…と。
…僧侶は、気づいていたでしょうか。自分の悩み自体、仲間を気遣う心が元になっていることに。
私はもう要らない、と「みんなに思われ」ているんじゃないか、という不安。
私がアリアハンに引き返したほうが「みんなにとって」幸せよね、というその態度。
冒険をサポートする「僧侶」という職業に相応しい、とても仲間思いの彼女。
仲間だけでなく、「ごめん…グチっちゃって」と、「顔」にも配慮を示す彼女。
地球のへそから帰ってきた僧侶は、これからどうするのでしょうか。
どうか、旅をあきらめないで、ずっと勇者の力になってほしいですね。
…おそらく、ランシールの神殿に帰ってきたところで、心配していた三人から歓声で出迎えられ、
自分も確かにパーティーの一員であることがわかるのではないでしょうか。
「今日…ここ来てよかった」
…ぼくも、今日これを書いてよかった、と少しだけ思いました。