父性論争〜「父親」は必要か
父は当然「親」になるのではなく、「親」としての役割を果たしたとき、
「母親以外の親」のうちの「男性親」の一部として認められるにすぎない。
男性親を「父親」とする認定には家父長制や異性愛強制社会という社会的なシステムが働いている。
自分が産んだ子どもをどう育てるかは女性の選択であり、男性が「タネとカネ」を出したことはきっかけにすぎない。
子どもとの関係で母親と「父」とを同価値と評価すべきではない。
「カネ」を稼ぐのが役割であるという父親像、男性優位の「男らしさ」を前提とした
父親像は女性の人権の蹂躙と構造的な女性差別を前提にした男の生き方である。
産んだ女性親と共に生きることができる男性(親)、女性(親)でも可能であり、父親は必ずしも必要ではない。
にもかかわらず父親の必要性を説くのは、女性を、社会制度を用いて女性を男性に依存させ支配することによってしか
自分の生き方を支えられない家父長制的男性の生き方である。
http://www.iff.co.jp/jrnl/A20002/172155.html