1 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:
カップリングとか語ってください
何このスレ?
何このスレ?
4 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/04/07 22:51 ID:CcG4yFIa
ちゅーやん♪を忘れた・・・・
5 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/04/07 22:51 ID:XknEBOqE
また…
削除以来済み
7 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/04/07 22:55 ID:F71Nikn3
クソスレと共にむなしく6をげっと。
信じらんねークソスレだな
ウホッ!グランバニアのいい男レックス様が
>>9Getだ!
, '´  ̄ ̄ ` 、
i r-ー-┬-‐、i
| |,,_ _,{|
N| "゚'` {"゚`lリ 俺のケツの中にションベンしないか>ALL
ト.i ,__''_ !
/i/ l\ ー .イ|、
,.、-  ̄/ | l  ̄ / | |` ┬-、
/ ヽ. / ト-` 、ノ- | l l ヽ.
/ ∨ l |! | `> | i
/ |`二^> l. | | <__,| |
_| |.|-< \ i / ,イ____!/ \
.| {.| ` - 、 ,.---ァ^! | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l
__{ ___|└―ー/  ̄´ |ヽ |___ノ____________|
}/ -= ヽ__ - 'ヽ -‐ ,r'゙ l |
__f゙// ̄ ̄ _ -' |_____ ,. -  ̄ \____|
| | -  ̄ / | _ | ̄ ̄ ̄ ̄ / \  ̄|
___`\ __ / _l - ̄ l___ / , /
顔文字が可愛いとオモタ
ほしゅ
12 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/04/15 00:01 ID:WitFeHU+
でもやっぱ、パパスは格好良いよなー
,. -─;‐ァ
,.イ{ / /,〃
/ ! ∨/ / i│__
| . l | ! l /, -─ `ヽ.
< 二`ヽ! ` /  ̄_` <´ ̄ ̄ ` \
`>─ゝ rニ二`ヽ._ ヽ |/ , ‐'" ̄ `
/ - ─- _ l | ヽ | |<;=‐ 、
r、二 ヽ. ∠- ァァ''7¨ i {´r'',ニミ、!|ヽ ト` | ` i
{、 \,>' } i' ,' ト、\ヽ`′ `V | ,く! l ,/:- 、 |
. ヾ∠._/.>、 | | ! i`t--ゝ r;=i jノ_ソ/く⌒ ヽ!
. `く/>、 l | i, -、゙/ │{゚」 |'j}:レ ┘
>>9はどっちかって言うとピピンだろ
`く/>、 l l l {'rY ,,..二 ,.、.__ぅニ:{
. `く/>、 L,__ヽ`- ,、 lー-/ !
`く/ >、 _..,≦-‐三已ゝ.、 `ニ´ /
`く,/∠_Z二r‐「 r/ ` ー-<ヽ:-;‐.、
/ ./,/ / l. d L‐- 、 , -─ノ.ノー′,ス
//,.く,{ ヽ oつヾニ二フ´ ,、__/ヽ L
. r‐' // 「 i くく_’ /\-‐< ̄ `ー- 、_V
ヾ'/ ./ / ンtく__/ \、_ `'ー^tー-v、\
15 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/04/17 15:04 ID:y3r3zPeU
sinanai
し、し、死んだー!!!
17 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/04/21 02:53 ID:2abRRG6E
18 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/04/26 08:26 ID:pPH+dItv
ageるなよ・・・
てっぺんにこのスレが出てきてわらたじゃねーか
サンチョを見てるとどうしても他界した祖母を思い出す
あの面倒見のよさが被るんだろう
スーファミ版が発売された時、祖母はまだまだ元気だったのに
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62 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/05/04 11:35 ID:8csV8Iuc
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104 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/05/05 21:56 ID:zXrcKjwF
変な奴がいる
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110 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/05/05 23:09 ID:PRmXABYE
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129 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/05/07 15:15 ID:j5Pa/N1V
age
130 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/05/09 06:56 ID:8dV37n/W
何があったんだ?
とりあえず。パパス×サンチョ(;´Д`)ハァハァ
a5afeyAKQhQ
xR/IIyASlXg
133 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/05/11 00:56 ID:S8YppIml
ほしゅ
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HgIEZMqqoxo
161 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/05/13 06:32 ID:boFGjLYX
162 :
あっ:04/05/16 00:40 ID:LEzDIUwy
おもろそう・・・・・・
163 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/05/16 01:01 ID:KTT1Vcr1
パパスとサンチョと主人公の3人旅
主人公寝ている隙に愛し合う二人(; 'Д`)ハァハァ・・
164 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/05/16 07:25 ID:LEzDIUwy
サンチョは絶対に受けだな。パパスが攻め。
パパスに深い敬意を抱いているサンチョは、妻のマーサを失って
やるせなく思っているパパスに自分の体を差し出す。
心だけでなくて体でも妻を求めているパパスは、
サンチョの誘いを初めは拒むのだが、肉体の欲求には逆らえずに
ついにサンチョを抱く。
誰か素敵なシナリオ書いてくれないかな〜
なんてこった。
166 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/05/17 01:12 ID:xa2ygald
きっとサンタローズの洞窟の奥でパパスとサンチョはヤリあっていたに違いない。
それで10+x年後になって主人公が来たとき、そこには二人のザーメンまみれになったサンチョのステテコパンツが
カビダラケになって落ちているんだろう。
ブルブル(;゜Д゜)
双子のシナリオならいざ知らず
まさかオッサンどうしのカップリングが・・・
なんということだ
サンチョのすばやさが低いのは、太ってるというだけではなくて、
むかしパパスにズコバコヤラれてケツが緩んだ後遺症が
残っているからだろう。
肛門括約筋が緩むと大殿筋や大腿四頭筋にまで波及するからな。
主人公「おーいサンチョ、もうちょっと早くついてこられないのか?」
サンチョ「ぼ、坊ちゃん、それは無理です。走ると私のお尻が・・・ハァハァ」
主人公「お尻が?」
サンチョ「・・・恥ずかしながら緩まっているので、脚にも力が入らず・・・やはり私もよる年波には勝てません。」
をいをいサンチョ、それは年のせいだけじゃないだろ・・・。
>>167氏よ。
オッサンどうしだからかっこいいのだよ。
肉と油と汗と垢のせめぎあい・・・。ハァハァ
170 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/05/17 02:51 ID:xa2ygald
>>20はしんみりする話だ。
このsageまくりのスレの中で唯一、雨の中に咲くアジサイの花のようにしとやかだ。
「い、いけません旦那様っ!」
172 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/05/18 03:37 ID:HldV0LSz
>>171 「良いではないか、良いではないか。さあ、サンチョ・・・」
173 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/05/18 03:39 ID:HldV0LSz
「あ〜れ〜〜」
くるくるくるくるくる・・・・・・
そしてサンチョはステテコパンツ一チョにひん剥かれて
パパスの欲望のはけ口となったのだ。
オープニングの船の上で、主人公に船長が
「坊やのお父さんには昔世話になった」とか言うが、
何をしてもらったんだろ?
まさかヤリ○ンの相手かな。
サンチョ以外に3号さんを作るとは、
さすが一国の王だ、行いが違う。
俺はSFC版しかやったことがない。
PS2では分かるのかもしれないが質問だ。
サンタローズの家では、サンチョはどこで寝ているんだ?
2階にはベッドが二つしかないし、
パパスが主人公に添い寝してるんじゃなければ、
サンチョは台所ででも寝ているのか?
176 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/05/18 13:11 ID:ceq1Y+Ij
無論パパスのべd
・゚・(つД`)・゚・
どんどんリアルに想像してしまう・・・
俺はサンチョと添い寝することになった。
サンチョは、そのつるんとした外見とはうらはらに毛深い。
寝巻きから覗く胸元や、脛に、ジャングルのような毛が密集している。
俺は恥ずかしくてサンチョに背を向けたままベッドに入った。
背中にサンチョの気配を感じる。それだけで甘酸っぱいものがこみあげてきた。
不意に俺の背中に何かが当たった。サンチョの腹だった。
ぼよんとしたその生々しい感触に、自然と動悸が早くなる。
サンチョの寝息が俺の耳穴をくすぐる。
『なんだ…寝ているだけか…』
そう思った次の瞬間、ぐいぐいと腹が押し付けられた。
サンチョは俺を誘っている。
二人きりの部屋に、生唾を飲み込む音だけがやけに大きく響いた。
179 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/05/19 00:13 ID:5gW0AjNN
>>178 それって元ネタはサンチョじゃなくてトルネコだろ。
どっかの倉庫で見たぞ。
サンチョといえばまな板ですよ
パパスとサンチョのティムポ板摺りプレイ。
P「サンチョ、まな板を貸してくれないか?」
S「だんな様、どうぞ。何にお使いになるのですか?」
P「・・・・・・」(ゴソゴソ)
S「だっ、だんな様!そんなところにそんなものを乗せてはいけません!
坊ちゃんのご飯もこの上で刻んでこしらえるんですよ?」
P「わ・・・分かっている。だが今は、そんなことより、私のこの熱々のミートローフを、
お前に料理してもらいたいのだ、サンチョよ・・・。」
S「パ…パパス様!そういうことでしたか!それなら私が、手ずから
そのミートローフをこねて差し上げましょう!」
P「おお、サンチョよ・・・!それでこそ私が最も信頼する召使だけのことはある!
さあ、そうと決めれば、早くお前のその両の手を使って、この板の上で私のミートローフを・・・。」
数日のち。
ベラ「ったく、誰もこのかわいい妖精さんに気が付かないなんて・・・
人間界も見限ったほうがいいのかしら。
だけどポワン様のお言いつけだから仕方ないし、
それにこの村には勇者様のいる気配がするというお話だったし・・・。
あ、この家はなんだか立派そうね。へえ〜、地下室もあるのね?
こんな立派な家なら勇者様が住んでいてもおかしくないわ。
・・・
・・・
・・・やっぱり気づいてくれなかったわ。こうなったらまた悪戯してやるもん。
あら、これは?ああ、まな板ね。私もよく胸がこんなだって言われた・・・ちが〜う!
でもずいぶん変わった匂いがするのね。人間ってこんなものを食べてるのかしら。
クンクン
・・・これはさっきの、目のいかつい口ヒゲの男の人のにおいと同じだわ。
なんだか分からないけど、これってもしかして、まな板じゃなくって、
人間の男の人が身に付ける下着なのかしら?
イヤ〜ン!私ったら、気が付かないうちに大変なもの触っちゃってたぁっ!!
こ、これが下着なら、こんなところじゃなくって、もっとちゃんとしたところに片付けるのが常識でしょ〜マッタク!」
かくしてサンチョの大事なまな板が、たんすの中から出てくるという事態に陥ったのである・・・。
183 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/05/19 01:09 ID:5gW0AjNN
sagemassuru
マッスルといえばパパス。
冬も間近なある日の昼下がり。
サンチョはいつものように、自分の家のテーブルの前でうたたねをしていた。
元は兵器庫だったのをサンチョが自分で手を加え改装したこの建物は、
石造りで頑丈ではあるが、窓はわずかに二つがあいているにすきない。
だが外の寒さをしのぐにはこれでも十分だ。暖かさにかけては城の中にも引けをとらない。
サンチョは紫のターバンの青年を夢見ていた。
半月ほど前にいきなり彼の前に現れた青年、金色の髪の美しい乙女を伴った若者、
青ざめた顔をしていたその乙女は、いま城の客間の寝室で安らいでいるのだろう。
乙女の胎内には、新しい命のともし火が宿っているのだ。
馬車があり、仲間になったモンスターたちの協力もあるとはいえ、
その状態で旅を続けようと決断した彼女の意志の固さは崇高さすら感じさせた。
「ビアンカちゃん・・・あのかわいい女の子が、こんなにもけなげに・・・
しかも何とリュカ坊ちゃんと結婚されたとは・・・
このサンチョ、あまりの感動に、なんと言ってよいやら、うっ うっ・・・」
まどろむサンチョの目頭に光るものが生まれた。
ビアンカちゃんはまもなく子供を生むだろう。
リュカ坊ちゃんとビアンカちゃんの子供だから、元気でかわいい子供に違いない。
男の子だろうか?女の子だろうか?名前はなんと付けよう?
そういえばあの日も・・・
サンチョは20年前のあの日を思い出した。
皆の顔が喜びに輝いていた日、そしてグランバニアにとって恐るべき呪われた日でもあるあの日のことを。
続ききぼん
黒い靴が一足、赤いじゅうたんの上を進んでいる。よく磨かれて鈍い光を放っている。
じゅうたんは踏みにじられ、布目が見えている。
靴の履き主は、赤いマントをしっかりと身に寄せ、玉座の前を右へ左へと動き回っている。
いかにも落ち着きなさげだ。
それもそのはず、上の階では、いまや彼の妻が子供を産もうとしているのだから。
彼−パパス王にとって初めての子供である。
男の子だろうか?女の子だろうか?名前はなんとしよう?教育係は誰が良いか?
いや、それよりも、元気に生まれてくることが何よりだ。
妻は…マーサは立派な国母になれるだろうか?産後の肥立ちは良いだろうか?
これから起こること、将来のこと、パパスがいろいろ思い尽くしているうちに、
待ちに待った声が、そして待ちに待った言葉が聞こえてきた。
サンチョの声が、
「パパス様、パパス様!お生まれになりました!」
それに答え、パパスは
「うむっ!」
と力強くうなずくと、小走りで上の階へと駆け戻るサンチョに続き、
自らも歩を速め、飛ぶような心地で、妻と、生まれたての子供の元へと向かった。
寝台には、妻マーサの憔悴しきった、しかし喜びに満ち溢れたがあった。
その隣には、マーサの介添えをしてきた女中頭のベルタのすがすがしい顔、
そしてしわくちゃだが大きく口を開いて泣き叫ぶ顔……
「おお!私の初めての子供!マーサ、よくがんばったな!ベルタもご苦労だった。
おお、どれどれ、私にも顔をよく見せておくれ。」
ベルタも心底うれしそうな面持ちで、
「王様、なんと立派な、玉のような男の子でしょう!マーサ様もよくがんばりましたわ!」
サンチョはパパスの後ろに控え、
「ああ、パパス様、パパス様、今日という日・・・このサンチョにとって、こんなうれしい日はありませぬ!」
マーサも疲れ切ってはいたが、一世一代の大仕事を成し遂げたものだけが見せるあの輝くような表情で、
「あなた・・・私、やり遂げましたわ・・・あなたと私の息子よ・・・初めての息子。」
赤子は周りの大人たちの思いを知ってか知らずか、
「おぎゃあ おぎゃあ おぎゃああ・・・」
息子を腕に抱いて、一人感慨をかみ締めていたパパスは、大切なことを思い出した。
「そうだ!マーサ、それにサンチョにベルタよ。
この子が無事この世に魂を授かったからには、名前をつけなければならないな。
なんとしたものだろう?」
サンチョとベルタは答えた。
「それは王様とお妃様のお子です。
王子様のお名前は、やはりご両親であるお二人がお決めになってくださいませ。」
そこでパパスは考えた。
いや、先ほどから考えてはいたのだが、いざ我が子を目の当たりにすると、
およそこれまで考えてきたものなどみな凡庸に思えてしまい、
心から満足するほど息子にふさわしい名というものは出てこなくなってしまう。
「う〜む・・・」パパスは四度、五度と首をひねり、やがてひとつの名を思いついた。
「そうだ、トンヌラという名前にしたらどうだろう?響きも明るいし、皆に覚えてもらえそうだ。」
マーサはにっこり微笑みうなずいた。
「まあ、あなた・・・素敵な名ね。勇ましくて、賢そうで・・・。
でもわたくし、いつも眠るときに、夢で見ていたの。
あなたと私が、リュカという名の息子と一緒に、楽しく幸せに暮らす夢・・・。
ですから、息子の名は、リュカとつけたいの。どうかしら?」
パパスの口髭が、心持ちうなだれたようにサンチョには見て取れた。
だが、父となったグランバニア王は、失望などおくびにも出さずと振舞い、
腕の中にやすらう息子の顔を見つつ言った。
「リュカか?あまりぱっとしない名前だな。しかしマーサ母さんが、それが一番だというのなら・・・
よし、リュカよ、お前は今日からリュカだ!」
パパスの叫び声に驚いたのか、産声もいったん落ち着いてきたリュカは再び泣き出した。
「まあ、あなた、すごく嬉しそうね・・・。うふふ。」
マーサは夫に向かい微笑みかけた。
だが、そのとたん、得体の知れぬ激しい衝撃を身に感じ、マーサの上半身は上掛けの上に倒れこんだ。
「うっ・・・!!ごほっ ごほっ・・・・・・!!」
何者かは分からない。だが、エルヘブンの冬の風よりも冷たく、もの荒々しく、力の強いものであることから、
人間ではとても太刀打ちできぬもの−まがまがしいことこの上ない魔の者である事を直感的に悟った。
「大丈夫か!?マーサ。」
上掛けに崩れ落ちた王妃に、パパスが、サンチョが、ベルタが手を差し伸べる。
「産褥熱では!?これは大変だ。すぐに医者を!神父を!」
産褥熱は、子を生んだばかりの母親を襲う最も恐ろしいものだ。
妻をなくした夫や、弟妹を得た代わりに母を亡くした子供たちの苦労話は、ここグランバニアに限らず枚挙に事欠かない。
なによりベルタも母親を産褥熱でなくしている。
王子のためにも、国のためにも、マーサ王妃を失うわけにはいかない・・・。
三人とも皆そう思ったのだ。
だがマーサは、産みの疲労と魔の者による打撃、そして恐怖の三重苦を打ち砕かんとするかのように、
苦しみつつも身を起こし、顔を上げてこう言った。
「あなた、それにベルタとサンチョ。これは病気ではないのです。
私の生まれは、知ってのとおりエルヘブンの地。魔界と人間界のあわいにある場所です。
私には分かります・・・これは魔の者が私を襲いに来たのだということが。
いま、これ以上近づいてはなりません。私だけでなくあなた方にも危害が…ううっ!!」
マーサの体が、いったん寝台からわずかに浮いたように見え、次の瞬間には寝台に沈み込むほど強く叩きつけられた。
パパスはリュカをベルタの胸に押し付けると、腰の剣に手を構え、大音声で呼ばわった。
「やあやあ、われはグランバニア王パパスなるぞ!
わが身、わが妻、わが国の者に手を出さんとするものは、たとえ魔の者であろうと容赦せぬ!」
だが、こう叫び終わるか否かのうちに、なんか巨大な力のようなものが、部屋中に満ち溢れ、そして襲いかかった。
「くぬッ・・・」パパスはうめいた。風のような、波のような激しいエネルギーの塊により、パパスたちの体は床から浮き上がり、
次の瞬間には、説明できないほどのおどろおどろしい力で、床へ、柱へ、壁へと叩きつけられたのだ。
そのまま耐えられぬほどの圧力がのしかかり、息をするのも苦しい。
目も開いているのだが、ものも見ることができない。怒涛が打ち寄せるがごとく、空間が激しく揺れ動いているのだ。
あたりの物すべてがねじれ、ゆがみ、何も感じられなくなっていく中で、パパスはひとつの声だけをやっと聞くことができた。
マーサが必死に伝えようとして発した声だった。
「魔界へ・・・来て・・・」
そして突然すべてがやんだ。
気が付くと、パパスは何か柔らかいものの上に仰向けに墜落していた。
「くぅっ・・・いたたた・・・・」
身を起こそうと右手を脇に付くと、触りなれないでこぼこしたものに当たった。
「うぬっ!?」反射的に手を引き、続いて手を伸べて激しく殴りつけようとするパパス。
だが見れば、それはサンチョの顔だった。パパスはサンチョの体の上に横たわっていたのだ。
「うぐっ・・・あ゛、あ゛〜〜、魔物が襲ってくるぅ〜〜」サンチョはぶつぶつとつぶやく。
こうしておびえて魂が抜けてしまったところは、まるで小さな子供のようだ。
パパスは手の置き所をずらし、よろめきつつも何とか立ち上がった。
「マ・・・マーサ・・・・・・マーサ!・・・」
だがそこには、すでにマーサの姿はなかった。まるでそんな人間など初めから存在もしなかったかのように。
寝台の上の、わずかに温もりをたたえたくぼみだけが、マーサがそこから消えたことを暗示するものだった。
「坊っちゃん!」
唐突な声にパパスははっとして跳びあがった。
「坊っちゃんは・・・リュカ坊っちゃんは・・・どうなさいました!?」
サンチョはまだ床に尻餅を付いた格好だ。壁に叩き付けられたショックで、意識も半分消し飛んでいる。
それでも何とか背を起こし、わずかな意識を振り絞ってパパスに呼びかけたのだ。
「坊っちゃんは・・・どこに?パパス様?」
パパスは海馬の片隅にもぐりこんでしまった記憶をよみがえらせようと、しきりに辺りを見回した。
「そうだ、女中頭のベルタに渡したはずだ。ベルタはどうした?まさかマーサと一緒に・・・」
奥の壁際のソファーの前に、赤いドレスをまとった姿が倒れていた。ベルタだ。
打ち所が悪かったのか、パパスとサンチョがよろめきつつも立ち上がったのに対し、
魔の力によって床に叩きつけられた時の格好そのままで、未だうつぶせのままぴくりとも動かない。
だがその時、ソファーの下のわずかな隙間から、赤ん坊の搾り出すような泣き声が、パパスたちの耳に飛び込んできた。
「そこか、トンヌラ!さあ、サンチョも手を貸してくれ!」
サンチョはベルタのぐったりとした体を持ち上げてソファーの前から引きずり動かす。
パパスはソファーを傾け、その下から産着一枚の赤ん坊を取り出した。
「よかった・・・トンヌラ・・・・・・お前だけでも・・・マーサがいなくなったのに・・・お前だけでも無事で・・・・・・」
泣きじゃくる息子に語りかけるパパスの言葉は切れ切れで、文にはならなかった。
いろいろなことが目まぐるしく起きたばかりの今、胸の内の感情を伝えるのに、言葉がどれほどの役に立とうか。
パパスの両の目頭からは、何か熱いものがあふれ出し、鼻の脇を伝っては息子の産着の上に落ちる。
赤ん坊は、たった今何が起きたのも分からぬまま、生命の強さを誇示するかのように大声で泣き叫んでいる。
「よかった・・・坊っちゃんだけでも無事で・・・パパス様も無事で・・・」
パパスの心は、言葉など介さなくとも、サンチョにも分かりすぎるくらい十分に伝わってきた。
赤子がリュカと呼ばれようとトンヌラと呼ばれようとどうでもよいことだ。命だけは救われたのだから。
サンチョはパパスから数歩離れたまま立ち尽くし、王と王子の姿を目に映しながら、
リュカ王子がともかくも無事であったことを祝福し、マーサ王妃がいずことも分からぬ先へ連れ去られたことを呪った。
そして・・・王妃が無事であることも直感的に悟った。
王妃は無事であるに違いない。殺したいのなら今この場で殺せたはずだ。
わざわざ連れ去ったのは、マーサ王妃を生かしたまま手元においておきたいという魔族の考えがあるからであろう。
その理由は分からないが。
サンチョは−まだ少し頭がくらくらしていたが−そんな思いを抱きつつ、王子を抱く王の姿を見つめていた。
その夜は寝室にパパスのむせび泣く声が途切れ途切れに響いていた。
誰も彼を慰められるものはいなかった。
生まれたての息子ですら、パパスには心の傷を痛めつけるものとなってしまうのであった。
だが、「大きな悲しみは、癒されるのも早い」という言葉がある。
翌朝寝室の扉を開いて出てきたパパスの姿は、やつれてこそはいたが、その雄雄しさは前と変わりがなかった。
いや、よく見ると、これまでとは何か違うものが感じ取れた。
今までのたくましさに、さらに何か一種独特の雰囲気・・・神懸かったような、不思議なオーラが漂っていた。
195 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/05/25 01:47 ID:Vj77wuza
レスは付かんが漏れは見てるからなー
職人さんに感謝
太陽が東南の空に高く上がったころ。
グランバニアの城の会議室には三々五々と人が集まりだしていた。
その中にはパパスとサンチョの姿もあった。
この国の王として、また王の信頼の篤い召使いとして、それぞれに語るべきことがあった。
会議が執り行われたのは、言うまでもなくマーサ王妃が行方不明になった事に関してであった。
いかに救出すべきか、国民にどのように伝えたらよいか、などを議論するためであった。
だが、国の一大事を議題に上せようとしているというのに、また、目の前に王がいるというのに、
会議室の中は、騒々しいおしゃべりで満ち溢れていた。
事情を知らぬものが耳にすれば、酒場のカウンターと間違えるほどのさんざめきようだ。
「うちは娘が初めて料理に挑戦してのう…」「こないだの酒代の立替、いま返しとくぜっ」
「マーサ様が…?」「そうなんだよ、マーサ様が・・・!」「駆け落ちとか聞いたがなぁ・・・」「まさかそれは無いだろうよ・・・」
「俺、ポーカーで400G擦っちまってさ」「金は貸さないぞ」「二日酔いなのに会議かよ…ウ〜ゲロゲロ」「こっちに来るなっ」
「そういえば、身ごもってたとかいうお子様は?」「見てないね」「里帰りなさったのか?」「知らないよ・・・」
「さっさと終わらせて、嫁さんの買い物に付き合ってやらにゃ・・・」「はっ、王様がいらした!パパス王ばんざあい!」
「パパス王、何がどうしたんですか?」「ご世継ぎは?」「国の者は皆、王のお言葉を待ちわびております!」
197 :
196の続きかも:04/05/26 07:29 ID:A9iINzZ5
みな、会議などさっさと終わらせてほしい・・・その理由は、パパスにも、サンチョにも、
そして騒いでいる役人や兵士たち当人らにもよく分かっていた。
昨日からの一週間は、グランバニアの国の設立を祝う一週間、国を挙げて祝うべき大切な祝日なのだ。
国民も城の者もみな、ゆっくりくつろいだり、おいしいものを食べたり、ゲームに興じたり、
休みなのだから思う存分楽しみたいに決まっている。
そんなさなかに、いくら自分が国の最高権力を握っているからといえ、民草の心を暗澹としたものにする権利などはない。
しかし、人々に告げるべきことを告げずにおくことはまかりならない。
ただ一途に、国民の幸せを願うのだ。マーサもここにいれば賛同するだろう・・・
『国民の心を不安でかき乱してはならない。皆の喜ぶことを伝えよ。すべては穏やかに。』
それが、パパスとサンチョがその日の朝早く取り決めた事だった。
パパスは会議室のテーブルにあった撞木を取り上げると、おもむろに、壁に掛けられた銅鑼の側に寄り、
顔を威厳深くしかめて、しめやかに三度打ち鳴らした。
ジァン ジァン ジァン
室内のざわめきは、たちまち潮が引くように消えうせた。言葉のなくなった中に、衣擦れの音だけが響いた。
パパスはゆっくりと身を回し、居並ぶ役人や兵士らの顔と向かい合った。
休日のせいだろうが、みなカボチャのようにしまりのない顔になっているな、とパパスは思った。
まずは何より大事なことを告げねばならない。
パパスは口を開いた。深い井戸からつるべを引き上げるかのように、胸の奥から言葉を引き出した。
「諸君、喜ばしい出来事がある。
昨晩、わがグランバニア王家に、新しい血が加わった。」
パパスの言葉に、会議室の空気はたちまち張りつめた。今にも弾かれようとしている琴の弦のように。
そしてたちまち、人々は歓声をあげ、緊迫は破られた。
「パパス王様、ばんざあい!!」「グランバニア万歳!」「パパス様、おめでとうございます!」
「この胸の喜び、いかにお伝えしてよいのか・・・」「マーサ様万歳!」「ご世継ぎの誕生だ!」
「これはめでたい!」「建国の日とお子様の誕生が重なるなんて…」「なんと喜ばしい!」
「おめでとうございます!」「おめでとうございます!」……
祝賀の言葉の嵐に向かって、パパスはさらに言葉を継いだ。
「生まれたのは男の子だ。そう、王子だ。名前はトンヌ・・・」
「リュカです。リュカ坊ちゃまです。パパス王。」サンチョが脇から口を入れた。
「そう、息子の名は私とマーサで付けた。リュカという名だ。」
「リュカ坊ちゃま!?」「リュカ様か!」「リュカ坊ちゃま、お誕生おめでとうございます!」
「リュカ様にお祝いの万歳三唱を!!」誰ともなく叫びだした。
「リュカ様、万歳!リュカ様、万歳!リュカ様、ばんざあああい!!!」
パパスは、この部屋の者たちには、あと一言だけを告げるつもりでいた。
その一言を述べたら、街なり酒場なり、みなが集える場所へ戻ってもらおう、そう考えていた。
そしてその言葉を言った。
「よし、みなご苦労だった。私から伝えることはこれだけだ。皆、祝日を楽しんでくれたまえ。」
その言葉に、部屋の者たちはきびすを翻し、われ先にと会議室の扉を抜けて駆けていった。
酒場へ、街へ、家族の待つ家へ、休日を楽しむために、そして王子の誕生をみなに触れるために。
だがパパスは、そのまま立っていた。部屋から出ようとはしなかった。
その代わり、会議室の端の壁際に目立たぬように立っていた男の姿に目を留めた。
「・・・」パパスは男に目配せをした。男は奥ゆかしく、というよりはおずおずと、パパスとサンチョの前に歩いてきた。
パパスの顔を丸くぼかしたような面立ちで、麦色の口ひげをわずかに蓄えている。まだ青年というべき年頃だ。
建国を祝うため、一見して高価と分かる緋毛氈のマントを羽織り、紫水晶をあしらった帯を締めている。
青年はパパスとサンチョの前に来ると、数秒の間ためらっていたが、やがてパパスの目を見つめ、こう切り出した。
「兄上、何かお話したいことがあるのは分かります。しかし私には、どのようなことか皆目分かりません。
弟の私には、隠し立てせずにお伝えしていただけるものと存じております。」
街の喧騒を、部屋の扉のかなたに聞きながら、パパスは青年に一言だけ言った。
「しばらく待ちなさい、オジロン。もう何人か来るはずの者がいる。」
そこへ一人の修道女が入ってきた。年の頃は20代半ばで、腕に何かを抱えている。赤子のリュカだ。
続けて恰幅のよい五十がらみの男が入ってきた。髪や髭を油で整え、洒落のめしている。
さらに、70歳ほどと見える、青いケープを羽織った老人。
そして、パパスと同じ年頃のたくましい男。上着には勲章が10ほど留められている。
最後に、十字架の付いた帽子をかぶった40代半ばの男性。一見して神父と分かる。
こうして、リュカを除くと、会議室には八人がそろった。
200 :
199に続くもの:04/05/26 07:39 ID:TuJhqPmE
一同が椅子に掛けたのを見届け、パパスは自らの手で会議室の扉を閉め、かんぬきを掛けた。
その所作に、七人の顔には、驚きとおびえの綯い交ぜになったような表情が広がった。
『ただ事ではない。わざわざ部外者を入れぬようにするとは、パパス様は普通ではないお話しをされるつもりだ・・・』
部屋の扉が閉まるとともに、皆の心からも祭りの歓喜が締め出されていった。
部屋の中央へ戻ってきたパパスは、手短かに語った。
「話というのはほかでもない。ここにいる者のうち、サンチョとシスターのウィステラはすでに知っていることだが・・・」
ふとここで唇の動きを止め、再び語り始めた。
「わが妻のマーサが、息子を産み落とした直後に、何者かにさらわれたのだ。
私自身と、サンチョ、それに女中頭のベルタの見ている前でのことだ。
われわれ三人とも、ただその場で、抗えぬ力に振り回されるばかりで、結局マーサを救うことはできなかった・・・。
息子が無事であったのがせめてもの幸いだ。」
パパスの話は簡略そのものであったが、サンチョはそこに、魔へのそこはかとない恐れを感じ取った。
いや、むしろ、その恐れというのは、サンチョ自身が勝手に感じているだけなのかもしれない。
自らが恐怖におののいただけに、パパスの言葉が実際に伝えている以上のことを、どうしても思い返してしまう。
しかし、パパスの語りは、サンチョには昨夜を思い出させるおぞましい言葉であったが、
オジロンにとっては額面どおりの情報以上のものではなかった。
「兄上、その『何者か』とおっしゃった、それの正体は定かではないのですか?」
髪を油でとかしつけた男も言った。
「そのものの姿はご覧になったのですかな?パパス王、それにサンチョ殿。
このエンリーク、グランバニアの一の大臣として、この話、細かく聞かせていただかぬわけには参りませぬぞ。」
神父も二人の話を継ぐようにしゃべった。
「おお、神よ・・・グランバニアを守りたまえ。マーサ王妃をさらった者は、魔の者に違いありません。
そのような強い力で、一度に三人もの人間を操るものは、神か魔のどちらかです。」
勲章を身につけた男−兵士副長のレヒオンは、3人とは違うことを口にした。
「マーサ殿が何者かに連れ去られたとして、どこへ連れ去られたのか?
おそらくパパス殿のこと、地の果てまで往ってもマーサ殿を連れ戻すとおっしゃるのでしょう。
しかし、行き先のまるきり見えぬ旅など、それがしは許しません。
エンリーク殿も、オジロン殿も、ウィステラ殿も、この部屋に集まったものたちは皆、胸のうちは同じでしょう。」
老人が口を挟んだ。
「はばかりながら王様、このアフマズの長年の研究お見過ごしになるのではありませぬな?
を魔の者は文字通りの神出鬼没、マーサ殿もそれに振り回されていらっしゃることでしょう。
魔が帰るのは魔の世界のみ、まさか魔の世界まで行って連れ戻そうとおっしゃるのではないでしょうな?
人が魔の世界に入ってしまえば、それはもう死んだも同じ事。
死んだものは、生きている我々の元には決して帰ってこないのです。お諦めなされ。」
だがこんな言葉で自分の意思を軽々しく変えるパパスではないことは、七人とも承知していた。
ことに、実の弟であるオジロンと、二十年以上にわたり仕えてきたサンチョには、痛いほどに分かっていた。
ここにその前例がある。
パパスは若いころ、自分にふさわしい妻を求めて、2年以上にわた句り世界を放浪した。そして見出したのがマーサなのだ。
それまでその場所はおろか、グランバニアでは誰も名前すら耳にしたことのない土地−エルヘブン。
そこからパパスにいざなわれてきた女性。
森の緑と海の碧を合わせた色の、豊かな髪を肩にしなだらせ、胡蝶のように軽やかに歩く女性。
マーサは不思議な魅力を持つ人物だった。
彼女の目を見さえすれば、誰もが彼女を好きになった。犬も猫も馬も牛も、家畜はみなマーサになついた。
モンスターすらなつかせるという噂も立った。その真偽を定めるすべはなかったが。
パパスもマーサになつかされてしまったのでは?そうかもしれないし、違うのかもしれない。
ただはっきりしているのは、マーサも、パパスも、互いに愛し合っていることだった。
パパスに妻を諦めさせるのが到底無理だということは、七人ともはっきりと理解していた。
それまでただ黙ってリュカをあやしているだけだったウィステラ修道女が、目を上げてきっぱりと言った。
「パパス王様、マーサ様を諦めることなどないということは、わたくし達もよく存じております。
ですから、わたくしは、王様が城を離れるのをあえて止め立てはいたしません。
王様が、無事にお妃様とともに、城にお帰りになる日の来ることを願っております。
ただ・・・あてどもない旅というのは、身を脅かすのみでございます。
マーサ様か、あるいは、その魔の者らしきものが、なにか言い残してはいかなかったのでしょうか?」
パパスは大きくうなずいた。
「マーサは、連れ去られるときに、一言だけ伝えてきた。たぶんそれが精一杯だったのだろう。
『魔界へ・・・来て・・・』と言っていた。サンチョ、お前も居合わせたから聞いただろう。
マーサは、魔界へ連れ去られることを察知したのか、
あるいは魔物が自ら『魔界へ行く』と言ったのを聞いてそれを伝えたか…
どちらにせよ、マーサは、『自分は魔界へ連れ去られる。助けに来てくれ。』と伝えたかったに違いない。」
神父は顔色をさっと青く変え、身震いをして、三度も四度も十字を切った。
「なんと恐ろしい!パパス王、あなたは、マーサ様が、王に魔界へ入るなどという危険を冒してほしいと
思っていらっしゃるとお考えなのですか?!なんというおつもりです!!
マーサ様は、おそらく、『魔界に連れて行かれる。来てはなりません。』とおっしゃったのでしょう。
それがよくお聞き取りになれなかっただけのことであると、私は存じます。
王様!マーサ様をお救いしたい気持ちは分かりますが、ご自分のお命と、国民の秩序のこともお考えください!」
レヒオンも叫んだ。
「王様がどうしても魔界に行かれると主張なさるのでしたら・・・このレヒオンもお供いたしとうござります!
ただ、神父殿のおっしゃるように、国のこともお考えにならないと。
王が妻を探しに国を出たなどとと行く先々で噂が立っては、
『グランバニアの王は国政よりも女に目を奪われている』などと揶揄されて、
わが国の威風も砂上の楼閣のごとく崩れてしまいますぞ。」
学者アフマズも言った。
「王様、魔界へ行くとのたまうが、魔界の入り口はどこかご存知なのですかな?
私目の知るところに寄れば、深い洞窟の奥底に、人間界と魔界を結ぶただひとつの扉があるとか。
そしてそれを開くには、特別な魔力を秘めた鍵が必要だとか。
いや待てよ、鍵ではなく腕抜きだったかな?いやいやオーブだったかも知れぬわい・・・。
年はとりたくないものじゃ。後で弟子に調べさせておかぬと。
ともかく王様、魔界にはそうたわやすくは入れぬものですぞ。」
と、大臣エンリークが口を開いた。
「いやアフマズ殿、待たれよ。それは鍵でも腕抜きでもオーブでもない、指輪ですぞ。
僭越ながら話させてくだされ。私が幼いころ、祖父から幾たびとなく聞かされた話です。
魔界と人間界を結ぶ扉が、世界のどこかにあるという洞窟深くに存在すると。
その扉を開くには、4つの鍵が必要だ。
ひとつは、『最後の鍵』とよばれる鍵。これはいかなる扉でも開けてしまうというきわめて不可思議な代物だそうです。
そして残りの三つは、いわゆる鍵ではなく、指輪だと。
なんでも、魔界への扉は二重扉で、そこを通るには、まず最後の鍵で表の扉を開き、
その奥にある鍵穴に三つの指輪をはめ込めば、魔界への扉が開くということだそうです。
もちろん、私の祖父とて実際に魔界を訪れたわけではなし、この話がどこまで正しいのか、私めには分かりかねますが、
三つの指輪が必要だと言うのはまず間違いなさそうです。
そして!王様、ここからが肝心な話なのですぞ。
三つの指輪を手に入れることができるのは、ただ天空の勇者一人のみ、ということだそうです。
そして、天空の勇者というのは、天空のよろい、盾、かぶと、つるぎのすべてを装備できる者だとか。」
一同から、ため息とも歓声ともつかぬ声が沸きあがった。
天空のよろい、盾、かぶと、つるぎと言えば、グランバニアでは子供でも知らぬものはいない。
数百年前に地獄の帝王がよみがえったとき、それを倒したのが天空の勇者。
天空の勇者が身につけていたのが天空の防具、持っていたつるぎが天空のつるぎ。
どこの家でもおとぎ話代わりに語り継がれている。
『庶民はこれを単なる伝説だと思っているが・・・我々王家のものは、事実だということを知っている。
王家には、それが実際に起きたことである旨を記した古文書が残されているからだ・・・。』
パパスははたと思いついた。
古文書によれば、天空の武器・防具は、魔界でも天上界でもなく、すべてこの人間界にあるらしい。
もし、今の世に天空の勇者がいるのなら、彼もしくは彼女も、天空の武器・防具を探すのではないだろうか。
その者に天空の武器・防具を渡す代わりに、魔界への鍵を開く手伝いをしてはもらえぬだろうか・・・。
ややあってのち、パパスは口を開いた。
「エンリークよ、よい話を聞かせてもらった。私はその天空の武器や防具を探してみたいと思う。
アフマズよ、天空のよろい、盾、かぶと、つるぎがどこにあるのか、早速調べるのだ。
神父殿、レヒオン、ウィステラも、天空の勇者や武器・防具について明らかになったことがあれば、オジロンに伝えてほしい。」
唐突に名前を言われたオジロンはびくっと身を震わせてパパスを見据えた。
「そしてオジロンよ、お前は、私が城を留守にしている間、この国を治めてくれ。
エンリークやレヒオンも協力してくれることだろう。」
サンチョとオジロンは腰を抜かしそうになった。ほかの五人も顔を見合わせた。
「旅立ちをお決めになるのがあまりにも早すぎるのでは・・・??」神父が口ごもりつつも発言した。
パパスは答えて言った。
「もちろん私も、なんら下準備のないうちにマーサを探しに出ようとは思わない。
ただ、私の計画では、できるだけ早く旅に出るつもりなのだよ。できれば、国民の浮かれている、この祭りのうちに。」
国民に余計な不安を抱かせまいとするパパスの考えがサンチョには読み取れた。
205 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/05/26 07:47 ID:DhOODHwf
どこを立て読み?('A`)
「みなのわずかな協力があれば、マーサを救い出すことができるのだ。
もっとも、オジロンに国政を任せるというのは、まだまだ荷が勝ちすぎるかも知れんな。」
パパスはそう言うと、頬をわずかにしかめた。パパス特有の笑顔の作り方だった。
だが、パパスのその表情とはうらはらに、サンチョの胸には、何かはっきりとしないわだかまりがうごめいていた。
魔の者・・・魔界と人間界をつなぐ扉・・・・マーサ様は魔界へ・・・天空の武器・防具と指輪で・・・。
サンチョの頭の中をこれらが堂々巡りし、どうにも腑に落ちなかった。
パパスがいったんこうと決めたからには、抗ってみても意味がないことを、七人とも了解していた。
「それでは、わしは弟子どもに言いつけて、その天空の武器や防具がどこにあるか調べさせて参りますわい。」
アフマズはそう言うと、杖を突いてよろよろと立ち上がり、会議室を出ようとした。
「アフマズ様、かんぬきが掛かっておりますよ。どれ、私が・・・。」
レヒオンが先回りし、扉を開いた。学者はよちよちと出て行った。
その後姿に、サンチョは胸のわだかまりの正体が何であるのか、はっと気が付いた。目覚める思いだった。
扉が開いて出入りする・・・。魔の者も扉を通って出入りする・・・。そういうことか。
だがこれを、自分の発見を、パパス様に申し上げてよいものか・・・。
だが、意識するより先に、舌と唇のほうが動いていた。
「パパス様。」
サンチョの呼びかけに、パパスはのろのろと振り向いた。修道女から息子を受け取ってあやしていたところだった。
「パパス様・・・。あることに気づいてしまいました。」
神父も大臣も出て行って四人きりになった部屋は、がらんとしていた。
その中に自分の声だけがむなしく響いている・・・そうサンチョには感じられた。
「サンチョらしくないな。早くしゃべってしまうのだよ。そうすれば楽になる。」
パパスは息子をあやしている表情そのままの顔でサンチョに話しかけた。
気づくと、オジロンもウィステラも関心ありげな面持ちでこちらを見つめている。
ままよとばかりにサンチョは言い放った。
「パパス様、魔の世界と人の世界を結ぶ扉がひとつしかなく、そこが閉ざされているのなら、
魔の者が人間界に現れるはずはありません。ですからマーサ様がさらわれるはずもないのです。
しかしこうして現にマーサ様は連れ去られた。魔の者によって、魔界へ連れて行かれたのです。
それならば、問題の扉は、すでに開いているということになりませんか?
さもなければ、その扉以外にも、魔界と人間界をつなぐ出入り口がある、そういうことになりませんかな。」
パパスは目をむいて呻いた。修道女は顔を袖で覆ってうつむき、オジロンは生唾を大きな音とともに飲み込んだ。
サンチョは、やはり自分は愚かなことをしたかと、その場に立ち尽くした。
何事もなかったようにしているのはリュカ一人だった。パパスの腕の中で、安らかに眠り続けていた。
ややあってパパスからの声が返ってきた。サンチョの目の前で話しているのに、壁越しに聞いているような心持だった。
「確かに・・・確かにそうだ。・・・サンチョ、私は仕事ができた。トンヌ…じゃない、リュカを頼むぞ。」
サンチョは赤子を受け取ったままの腕を中途半端に曲げた格好で、部屋を駆け足で出て行くパパスの後姿を呆然と見つめた。
なぜだか額からは脂汗がにじみ出ていた。
傍らにオジロンが立ったのも気づかなかった。声を掛けられてやっとわれに返った。
「サンチョ・・・兄上にあんなことを言ってしまったからには、もう取り返しが付かない。
天空の防具や、不思議な指輪などがなくとも、魔界に入ってみせるつもりなんだ。
兄上も分かっていない。人間界では、一国の王という尊い地位についているけれども、
魔界では農夫や鍛冶屋と同じ、ただの生身の人間にしか過ぎないと言うことが・・・。」
何ここ?
>>208 漏れの一人芝居の舞台だよ。
え〜と、どこまで行ったっけ。
サンチョはオジロンとウィステラが会議室を出て行くまで、その場に立っていた。
腕には生まれたてのリュカ坊を抱いたまま。リュカ坊はぐっすりと眠っていた。
それからそそくさと部屋を立ち去った。誰にも見られないよう、こっそりと王の私室に戻るつもりだった。
だが、上の階へ上がる大階段を見やったとき、それは無理だと悟った。
城の二階、本来なら一般民衆は自由に立ち入りできないはずのこのフロアに、群衆が海原のうねりのように押し寄せてきていた。
とても階段の昇り降りなどできない状態だ。おおかた王子が生まれたことを祝福しに来たのだろう。
王家に仕える者としても、国民の祝福を喜んで受けるのが本来であることを、サンチョも重々分かってはいた。
だがこれでは、生まれたてのリュカ坊ちゃんが、人波に押しつぶされてしまう。
さいわい、その場にはまだ、副兵士長のレヒオンがいて、5、6人の兵士とともに、群衆を押しとどめていた。
サンチョはそれを確かめると、急いでフロアの奥へと向かった。
王宮勤めの者が大階段を使わなくてもすむように、フロアの奥には小さな連絡階段がある。
サンチョはそこを駆け登った。登った先は小さなホールだ。ホールに面したドアのひとつをサンチョは開いた。
「あら、サンチョさん、いらっしゃい。あらまあ、そちらが王子様!?かわい〜〜!!」
黄色い声に迎えられてサンチョが入ったのは、小間使い部屋だった。サンチョは部屋の奥に進むと、そこにあったベッドを見やった。
ベッドには、女中頭のベルタが、背中に枕をいくつもあてがわれ、上半身を半ば起こした姿勢で横たわっていた。
隣にベビーベッドがあり、やっとこさ歩けるようになったくらいの男の子が眠っている。
サンチョは二人をかわるがわる見やりながら、ベルタに話しかけた。
「ベルタさん、昨夜はあなたにとっても災難でしたね。お加減は?もう大丈夫でしょうか?」
ベルタは、サンチョ、リュカ、それに傍らの子供を、慈しむように交互に見やりつつ、
やや土気色は残っているが、すっかり元気そうになった顔をほころばせて答えた。
「おかげさまで。ええ、ほんの胸を打ったくらいですよ。王様のご心労に比べりゃ、こんなことなんて・・・。
王様も、なんというご体験をなすったのでしょう・・・。」
そして、かわいくてたまらないというように、ベッドの子供を撫でさすったが、その目はリュカ王子を見つめていた。
この男の子は、言うまでもなくベルタの子供である。10か月ほど前に長男を生んで、今でもまだお乳の張ることのある彼女が、
生まれてくる王子の乳母として抜擢されたのだった。
「うちの息子はリュカ様の乳兄弟になるんですねぇ・・・。」
サンチョはリュカをベルタに渡すと、パパス王を探しに小間使い部屋を出た。
さっきの言動から察するに、おそらく図書室へ向かわれたのだろう。「仕事」とおっしゃったが、調べ物に違いない。
サンチョが図書室の扉を開くと、その一隅に、思ったとおり、一心不乱に書物のページをめくるパパスの姿があった。
目の前の机には、書物やら冊子やら巻物やらがうず高く積まれていた。
奥では、学者が弟子たちになにごとか指図をしている。天空の武器や防具について調べさせているのだろう。
書物をにらんでいたパパスの眼が、はたと止まった。眉間にしわを寄せ、文面から何かを読み取ろうとしているようだ。
そして顔を上げると、学者を呼んだ。「アフマズ!」
学者はえっちらおっちらとパパスのところへ歩いてきた。サンチョも引きつけられるように、パパスの元へと進んだ。
「おお、サンチョも来ていたのか。・・・アフマズよ、ここを見てくれ。」
学者は、書物の中、パパスの指さす文章を見つめた。サンチョも引きずられるように覗き込んだ。
「『魔の扉のきはめて大なるもの、大海に面したる洞窟、大河によりて抉り造られたる洞窟の奥に現れたり。
幾世紀の昔よりそこに立てるかつまびらかならず。いかなる語り部、いかなる文人といえども、その扉の物語は知らざりき。
グランバニアのはるか北にそびゆるいにしえの塔なる魔の階(きざはし)も、かの扉に比ぶれば、そのさま余りに小さきものと覚ゆ。』
「このグランバニアの北に、魔物の出る塔があると・・・。
この文は、そのように語っているように思えるが、アフマズよ、そなたの意見はどうだ?」
学者はゆっくりと首を縦に振ると、答えた。
「さようですな、パパス王。この書物によれば、グランバニアの北にも、あまり大きいものではないが、
魔物が人間界と魔界とを行き来するための通り道があると・・・。しかしそれが塔とは。
城の北の森を抜けたら、その先は広い湖ですぞ。たしかにその対岸には陸があるが、そこに塔などあったのかの・・・。」
パパスは、くだんのページに指を挟むと、本を閉じてその表紙を眺めた。
『ジュロビル探検日記および記録集〜最果ての地にさすらいて、または魔を避くるにはその源に近づかざるべし』という長たらしい題だ。
ジュロビルといえば、300年ほど前のグランバニアの探検家であり、現在でもそこそこ名を残している人物だ。
詳細な探検の記録集で後世に知られていることは、学者やパパスはもとより、サンチョでも知っていたが、
ときにその記録の中には、訪れもしなかった土地のことを記述しているものも混じっているとの話もあった。
「王様、こんな古い本を信じてよいものかどうか、私は申し上げかねますぞ。」
学者がこう言うときは、「こんな物よりも私を信じよ」のきわめて婉曲的な物言いであった。
また、パパス王がこの記述を見て、その塔を探しに城を離れてしまわないかと危惧するために出た言葉でもあった。
パパスは本をぱたんと閉じると、机に置いた。かすかに埃が立ち、窓からの光にきらめいた。
「よし、これでひとまずは終わらせよう。アフマズ、ご苦労だった。」
学者はパパスに会釈すると、部屋の奥へと退いた。
「サンチョ、ちょっと頼まれてくれないか?」パパスはサンチョのほうを振り向いて言った。
「オジロンを呼んでくれ。それと、大臣のエンリークもだ。街の兵士詰所の前へ連れてきてくれ。」
そう言うと、すたすたと図書室を出て行ってしまった。サンチョはキツネにつままれた面持ちで、その後姿を見ていた。
屋上の庭園でゲームに興じていたオジロンを連れてくるのはたやすい事だった。
先ほどの会合など忘れきったかのように明るい顔で遊ぶオジロンを見て、サンチョは、
『この人は、自分の兄上の妻がさらわれたことを、かりそめにも心配していらっしゃるのだろうか?』と訝った。
だが、パパスが呼んでいたことをサンチョが伝えると、オジロンは、
「先ほどの話の続きだろう?もちろんすぐに行くとも。私だって兄上をお助けしたいからな。」と即答して、
席を立ってサンチョについてきた。
しかし、執務室で帳簿や書類とにらみ合っていたエンリークを引っ張り出すのは、はっきり言って無理だった。
いくらサンチョとオジロンが口をすっぱくして、大臣の助力がパパスに不可欠であることを印象付けようとしても、
「また後にしてくだされ!マーサ殿のことなら心配はいらぬ!さあ、仕事、仕事。邪魔せんでくれ。」の一点張りだった。
さすがのサンチョとオジロンも音を上げて、二人だけで街へと降りていった。
建国記念と王子の誕生とで興奮のるつぼと化し、人々の熱気で建物までも蒸しあがりそうな暑さの中を、
人ごみを掻き分け掻き分け、二人は何とか兵士詰所の前までたどり着いた。
すっかり体力を消耗して息も絶え絶えとなった二人は、ほとんど倒れこむようにして詰所へと入っていった。
が、そこには控えの兵士が3、4人いるだけで、パパスとおぼしき姿は見当たらない。
「アレだな。」オジロンがつぶやいた。「アレですね。」サンチョもそれを受けて答えた。
「アレ」というのは、その詰所の建物のいっとう奥にあった。槍置き棚に槍が7、8本立てかけてある。
オジロンがその中の一本を取り上げた。すると、脇の壁の一部が音もなく滑り、そこに人一人が通れるほどの穴がぽっかりと開いた。
「兄上はこの向こうだろう。」オジロンは槍を戻すと、壁にあいた通路にもぐった。サンチョもその後に続いた。
通路は少し先で下り階段になっている。階段を下りてしばらく地下通路を歩くと、登り階段があった。
上り詰めた先の上げぶたを上げると、そこは兵器庫になっていた。
・・・
サンチョはうたた寝からふと目を覚まし、あたかも見覚えのない世界にでも着いたかのように辺りを見回した。
床は木材で張ってしまい、部屋には調度品が運び込まれ、すっかり様変わりはしているが、
自分が今いるこの部屋は、まさに20年前に、サンチョたちが地下通路から入ってきたその部屋なのだ。
暖炉の薪がはぜる音だけが、静かな部屋にときおり響く。そのほかはしんと静まり返っていた。
サンチョはそのときの回想を続けつつ、再びまどろみはじめた。
・・・
兵器庫の中には、灰色の毛布をまとった人物が二人いた。毛布で隠しているので、二人とも顔は見えない。
しかし、サンチョとオジロンには、そのうちの一人がパパスであることは万も承知だった。
パパスは二人が入ってきたのを見ると、毛布を肩から滑らせ落とした。
もう一人の人物も毛布を取った。金髪がりりしい男性は、軍司令官のプラシードという男だった。
軍司令官を連れてきたところからして、パパスは大臣が来ないことをあらかじめ予測していたようだった。
サンチョとオジロンを見て、やはりと納得したようにうなずき、腕で宙を漕ぐようにして二人を招いた。
そして、四人が車座になると、パパスは話し始めた。
「昨夜の出来事は、オジロン、プラシードとも、すでに私から話してあるから、何があったか分かっているだろう。
私がマーサを救いに行きたいということも察してくれていることと思う。
しかし、国を放り出すわけには行かないし、それに加え私は息子を授かったばかりの身だ。
妻を連れ戻しに行く旅の途中で、私自身に何の危険も及ばないという保証はないし、
そうなったときに、このグランバニアの国と、わが息子トンヌラの行く末を確かに見守ってくれる者達がいなければならない。
そこでだ、オジロン、プラシード。
お前達二人は、私が国を留守にしている間、グランバニアのまつりごとを司ってもらいたい。やってくれるな?」
「御意!我々にお任せください。大臣殿とも協力して、グランバニアという船を安泰に渡していきましょう。」
プラシードは即座に答えたが、オジロンは顔を赤くしてそわそわと落ち着かぬ様子だった。
「兄上、私などにはそんな重荷はとても背負えそうにもありません。それに、ご自身の冒す危険もお考えください。
どうか、マーサ様をお探しになるのは、兵士達に任せて、兄上はこれまで通り政務を執りおこなっているべきです。
マーサ様も、兄上の身が危険にさらされるよりも、国を安泰に動かしていることを望まれているはず・・・!」
パパスはかぶりを振ってオジロンを見据えた。瞳は鋭くなり、口髭までがぴりりと横に張ったようだった。
「オジロンよ、私が不安と哀しみになぶられつつも、国家を安泰にしてやれると思うのかね?
私は、自分が苦しみにさいなまれたままでも何千人という人々の願い事や幸せを叶えてやれるほど器の大きい男ではないのだよ。
お前が私の安全と、国家の安泰とを願う気持ちは理解できるが、国政を取り仕切るのはなにも私でなくとも可能だろう。
オジロン、お前にとっても良い経験だ。プラシードやエンリークと心を合わせ、知恵を出し合っていくのだぞ。
それに、旅の途中で自分の身を守るくらいのことは、私でもできる。
現に、むかし私は独りで長旅に出て、そしてこのとおり、今ここに戻ってきているではないか。
その旅というのは、もちろんマーサと出会ったあの旅のことだ。
帰り道では、私ひとりの身だけではなく、マーサの身も危険にさらさぬよう、気を使いながら戦ったものだ。・・・」
パパスはふと言葉を言いかけて止めた。ひとり思い出を懐かしんでいるようであった。
が、すぐに現実を振り返り、話を続けた。
「・・・だからオジロンよ、それにプラシードもだ、なにも私が旅に出るということは、危険に陥るということではないのだ。
私のことよりも、政務をきちんと執行していてくれ。オジロンも王としての心得くらいは学んでいるだろう?」
「はい、・・・兄上。」オジロンの回答は、やはりどこかに歯切れの悪さが残っていた。
「それに私は一人でマーサを探しに行くわけではない。最も信頼の置ける部下をひとり連れて行くつもりだ。・・・」
パパスは首をめぐらせ、サンチョの姿を視野の中央に捉えると、切り出した。
「サンチョよ、お前が、私とともに、マーサを探す旅路についてきてくれるものと、私は信じている。」
『なぜこの私が選ばれた!?』という思いと、『やはりパパス王は自分を選んでくださった!』という、全く異なる思いが、
サンチョの脳の中で激しく交錯した。
結局、パパス王が自分に懸ける信頼感の篤さへの感銘が、思いもかけぬ驚愕をねじ伏せた。
「パパス王・・・私などに信頼を寄せてくださり、サンチョは胸がいっぱいです。
この喜び、マーサ様を救い出すことで、ぜひともパパス様にお返ししなければ・・・うっ、うっ・・・。」
サンチョの目頭から涙が玉になって転がり落ちた。涙を見られたことに、思わずサンチョは赤面した。
「よし、そうと決まれば、出発は早いほうがいい。明日でも無理はなかろう。」
翌日は今にも雨が降り出しそうにどんよりと曇った日だった。
城の屋上に出ればそれが良く分かるのだが、城郭に覆われて雨などとは無縁の城下町では、
相変わらず二重のお祭り騒ぎに包まれている。
街のあらゆるところに、垂れ幕や張り紙がなされた。
『グランバニア建国記念万歳!!』
『パパス王様、王子誕生お祝い申し上げます!』
『グランバニアに末永い平和と反映をもたらしたまえ!』
『リュカ王子の瞳に乾杯!』
すでに破かれたり、踏み荒らされたりしたものもあるが、国と王子の誕生をたたえる思いはどれも同じだった。
サンチョは自分の居室で荷物を詰めていた。
旅などろくにしたこともなく、まして見知らぬ地をさすらうことなどまったく慣れぬことゆえ、
何をどれほど持っていけばよいのかも分からない。
どう考えても使い道などありそうにないガラクタなども、背嚢に詰め込んでいた。
ともかくも出発は今夜遅くになる。王が国を離れるところを、安易に国民に見せてはならない、そう考えたパパスが、
こんなにも遅い時刻に出発することに決めたのだ。
修道女ウィステラが、部屋の戸の隙間から顔をのぞかせて言った。
「パパス王はこちらでしょうか?ここにはいらっしゃらないのですか?どちらに行かれたのか存じませんか?」
「ここには来ておりませんよ。坊ちゃんの顔をご覧になるために、女中部屋などに行かれたのでは?」
パパスは、女中部屋などではなく、最上階の寝室にいた。
マーサがリュカに生命の息吹を与え、その直後に自らはさらわれた、あの部屋だ。
傍らにはベルタと、年配の小間使いがひとり控えている。ベッドの上にはリュカが仰向けになり、
赤ん坊だけが使える訳の分からない節回しで、なにやら楽しそうにしゃべっている。
息子をじっと見つめていたパパスは、やがて二人の女性に向き直った。
「それでは・・・私の留守の間、息子の世話をよろしく頼むぞ。」
そしてちょっと笑ってこう付け足した。
「オジロンのやつの世話もな。あいつのことだ、国を任されるんだから、緊張してオロオロしどおしになるに違いない。」
ベルタと小間使いは恭しくお辞儀をした。
「かしこまりました、パパス様。ご家族のことは、城のものにお任せください。無事にマーサ様をお救いになることを祈っております。」
やがて城の外はすっかり暗くなった。
グランバニアのの城下町でも、明かりがひとつ消え、ふたつ消えて、
やがて誰かの消し忘れたランプが二つほどちろちろと灯っているだけになった。
街路には酔いつぶれてそのまま眠りこけてしまった男が二、三人、酒臭い息を吐きつつ高いびきで寝ている。
その暗闇の中を、何か駆けていくものがあった。
闇の中を駆けていく影は二つ。兵士詰所へと走っていった。
街の東南にある兵士詰所では、普段なら5、6名の兵士達が寝ずの番をしているはずである。
しかし、この日は、連日の祝い事で疲れたのと、酒で緊張感が解けてしまったためか、
夜番の兵士達もこくりこくりと舟を漕いでいる始末だった。
そのため、二つの影は、何者にも阻まれることなく、詰所の中を抜け、奥の槍置き棚までたどり着いた。
槍を持ち上げて隠し通路を出し、兵器庫へと移動した影は、あらかじめ鍵を外しておいた兵器庫の扉を開けて、
城の庭へと出た。昼間降った雨で、足元の石畳や草はしとどに濡れている。
「さて、あとは城門を出るだけだな。」
影のひとつが、かぶっていた紺色の毛布を下ろし、パパスの声でしゃべった。
「マーサ様がさらわれたことも、それをパパス様が助けに行くことも、国民に知られてはならない・・・
王様の立場というものもなかなか大変なものですね。」
もうひとつの影はサンチョだった。サンチョはかぶっていた毛布を畳むと、パパスの毛布と一緒に巻いて
背嚢のてっぺんにくくりつけた。かさばる荷物や道具を運ぶのはサンチョの役目なのだ。
「さあ、それでは参りましょうか。」
「うむ。」
昼間に雨が降ってくれたおかげで、空は澄み渡るように美しく晴れていた。星の輝きも清純で、まるで雨で洗われたかのようだった。
だが、グランバニアの城をわずかに離れただけで、うっそうと茂る森の木の葉に遮られ、空も星も見えなくなってしまう。
鼻をつままれても分からない闇の中で、パパスの手にしたカンテラだけが唯一の道しるべだった。
森を歩くことの唯一の利点は、木の葉のおかげで雨水が降り込まないので、地面が乾いたままだということだった。
二人はそのまま歩き続けた。やがて夜がしらじらと明けるころ、サンチョは木の間隠れに水面を見たような気がした。
「パパス様、向こうに湖のような光が・・・。」
「うむ。正しい方向に進んでいるということだな。水際まで進もう。」
あたりがすっかり明るくなり、蒸し暑ささえ感じられるようになった時分に、パパスとサンチョは湖へとたどり着いた。
「これは広い。こいつは広い・・・!」パパスがつぶやく。
確かに広い湖だった。二人の足元のわずかに先にある水際には漣が寄せていた。
『それにしても、』とサンチョはいぶかった。『城を出てからずっとモンスターに出会わなかったのは意外だ。』
夜中に森を歩いて魔物に会わないとは、確かに思いもよらぬことであった。何者かの加護でもついているのだろうか。
するとパパスが、はるかかなたの湖岸線を指してこう言った。
「ごらん、サンチョ。あれはパオームの群れのようだ。水を飲みに来たらしいな。」
なるほど、パパスの指し示す先には、なにやら灰色の塊がいくつもうごめいている。
パオームとは、鼻が筒のように長く、耳が団扇のように大きな四つ足のモンスターだ。賢さはそれほど高くないが、力はめっぽう強い。
「こちらが何もしなければ、向こうも何もしてはこないだろう。」
パパスの言うとおりだった。水を飲み終えたパオームの群れは、何事もなく森へと帰っていった。
「さて、問題はこの湖をどうやって渡るかだな・・・。」パパスは湖を眺めながらひとりごちた。
湖岸線をじっくりと眺めていくと、先ほどパオームの群れがいたところよりもさらに向こうに、集落らしきものが見える。
「あそこに行けば、船を貸してもらえるかもしれませんね。だめでもともと、行ってみましょう。」
サンチョがそう言うと、パパスもうなずいて歩き出した。
集落に到着したのは、午後も半ばになってからのことだった。
湖岸線は小石が多く、足場が丈夫なのでわりと歩きやすかったが、なにぶんモンスターに気を配りつつのこと、
そうそう速く歩けるものではなかった。
「うむ、人は住んでいるようだ。」パパスが言った。
洗濯物や魚網が干してあったり、よく手入れされた小船があったりすることからも、人が住んでいることは明らかだった。
とりあえず廃村ではない。それを知り安心した二人は、船を貸してくれそうな人を探しに集落へ足を踏み込んだ。
サンチョは、少し離れた家屋の影から、子供たちの顔がのぞいているのに気づいた。
怯えと好奇心が入り混じった目でこちらを見ている。こんな村では、よその人に会うことなどまずないのだろう。
質素な服装も、ぼさぼさに乱れた髪の毛も、サンチョの目にはむしろ愛くるしかった。
リュカ坊ちゃんもこんなに愛らしく育ってくれるだろうか・・・サンチョは昨夜別れた赤子の幻影を想った。
ほどなく二人は、一人の年配の漁師に行きあった。浜辺で網を繕う指先は、無骨ではあるが、感服するほどすばしこい。
「ご老人よ、我々は旅の者だ。この湖の向こうに渡りたいのだが、船がなくて往生している。
すまぬが、どなたか、我々二人をこころよく湖の北へ渡してくれるものはおらぬだろうか?」
漁師は縫い針を持つ手をぴたりと止めた。その唐突さに、何か尋常ならざるものをサンチョは読み取った。
漁師はパパスとおもむろに向き合うと言った。
「旅の方よ、悪いことは申しません。湖の北へ渡るなどというのはおよしなさい。ただ、どうしてもと言われるのなら・・・。」
漁師は湖岸線をねめ回した。赤銅色の肌に刻まれた皺は荒々しかったが、ここの風景に包まれてみれば、むしろ美しくさえ思えた。
やがてその視線は、湖岸にせり出した丘陵を捉えたところで動かなくなった。
「この場からだと見えませんが、ここから北西、あそこの丘陵の向こうに、村があります。古い石造りの教会のあるところです。
その教会の村へ行き来する道はただひとつ、この村から船で渡ることです。息子にそこまで案内させましょう。」
そして漁師は、再びパパスを振り返ると言った。
「旅の方よ、この湖の北は、人の子の足を踏み入れるところではありません。決して近づいてはなりません。
村に着いたら、その先へ進んではなりません。引き返すのみですぞ。よいですな?」
パパスは何も答えなかった。サンチョはパパスの考えていることがほぼ理解できたため、やはり何も言わなかった。
漁師は手を大きく振って人を招いた。ほどなくして一人の若者が駆けてきた。年の頃は18、9と見受けられる。
「この方たちを教会の村へお渡しするのだ。」老人は息子に言うと、パパスたちを見やって軽くうなずいた。
「わかった、父さん。じゃあ行ってくるよ。お二人ともこちらへいらしてください。」
若者に率いられ、パパスとサンチョは、村の外れの浜に上げられていた小船のところへ歩いていった。
船を水の上に押し出すと、若者はパパスとサンチョに、船に乗るよう言った。
そして自らも櫂を手にすると、小船に乗り込み、艫(とも)に立って北へと舟を漕ぎ始めた。
水の上を吹く風が、旅人たちの汗ばんだ顔には涼しかった。
湖の中ほどに出たとき、若者が話し始めた。
「オレさ、間違ってるかもしれないけど、う〜ん、あんた方ってひょっとして王様じゃないのかい?」
サンチョはパパスのほうを盗み見た。こんな質問は、いつか必ず聞かれるものと危ぶんでいた矢先だった。
パパスはこれといって慌てた振る舞いも見せずに答えた。今ここで問われることを予知していたかのように。
「いや、我々は王家の者ではない。・・・まあ、ゆかりは無きにしも非ずだが。」
「へええ、そうか。オレは、あんたが王様の似姿絵によく似てるから、てっきり王様ご自身だと思っちゃったよ。人違いってんならいいや。
勘違いしてごめんな。まあ、王様に間違えられたっていう理由で、腹が立つ人もいないか。ハハハ。」
たぶんその似姿絵というのは、パパスの父親に当たる先王を描いたものだろう。パパスは自分の絵姿を発行したことはない。
パパスは父王に対し、あまり快い感情を抱いてはいなかった。父王は自分の縁談を無理やり取り決めようとしたのだ。
パパスはそれに反発して国を飛び出し、国から国への放浪を続けて、遂にマーサという女性に出会ったのだった。
『やはり親子は似るものなのか・・・いや、私と父上の場合は、顔だけが似たのだ。ものの考え方は断じて異なっているぞ。』
パパスは心の底に強く念じた。自分は、父王の欠点など、これっぱかりも受け継いでいない、そう信じていた。
だが、「跡継ぎになる孫の顔が早く見たい」という理由で息子に「パパス」「オジロン」という名をつけた先王と、
「響きが明るいから」と言って息子を「トンヌラ」と名づけようとしたパパスの思考回路の間に、どれほどの差があろうか?
サンチョはただ黙って、湖の上に薄桃色に染まって流れていく雲を見つめるのみだった。
『坊ちゃん・・・お母様は、私とお父様の手で、必ず取り戻して見せますからね。それまで辛抱して待つのですよ・・・!』
太陽が朱色に染まりきった頃、一行は小さな桟橋にたどり着いた。
「さあ、ここから真西に歩けば、教会の村だ。行ってみればすぐ分かるよ。
それじゃ、悪いけど、親父を手伝わなきゃならないんで、俺は帰らせてもらいます。お二人とも気をつけて!」
若者は船を回してへさきを沖に向け、南へと漕ぎ返していった。
船が去っていく後に残る波紋を、パパスは少しの間見つめていたが、やがて真西、太陽の沈み行く方角に向き直り、
まっすぐに歩き始めた。サンチョもそのあとを追った。
二人の影が長く伸びて、水の上まで届いていた。
さらにそこへ、もうひとつ交わる影があった。草原の中に、大きく、しめやかにたたずむ影。
その幅は二人の男の影よりもはるかに広かった。それは、教会の十字架が、夕日の中に作る影だった。
「ここが漁師たちの話にあった教会だな。無事マーサをつれて城へ戻ったら、あの親子には褒美を授けなければならんな。
さあ、サンチョ、とりあえず中に入ってみようではないか。」
教会の扉は、魔物の跋扈するこの地域にふさわしく、無骨で頑丈な材木作りのものであった。
黒ずんだ外観が、幾星霜も風雪に晒されてきたさまを偲ばせる。二人は扉を押し開き、中へと足を入れた。
中は、このような人里離れた地の教会にしては、意外なほどに広かった。窓から差し込む夕日の光で、かなり明るい。
部屋の片側は、壁に垂直になるよう下げられたカーテンで仕切られ、いくつもの小部屋が並んだようなスタイルになっている。
おおかた、この教会の建物が、宿屋の代わりにもなっているのだろう。奥の間にいる男は、宿の主人のようだった。
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222の続きでござる。:04/05/29 00:38 ID:mxXy6ZbC
パパスは宿の主人に話しかけた。
「私たちは旅の者だ。このあたりは魔物が多いと聞いたのだが、どのくらいいるのかね?それから、やはり強いのかな?」
宿の主人は愛想のいい男だった。久しぶりに客人と話ができたのが嬉しいのか、えらい勢いで喋り捲る。
「んっん〜〜、そうですねダンナ、ダンナのおっしゃるとおり、このへんは魔物のやからがわんさかわんさか出てきて、
旅人は来ないし、商人も来ないし、修行の坊さんだって足を向けるのを嫌がるし、もう宿屋の商いもあがったりですわ。
ほら、この上の教会だってですよ(と天井を指差して)、前は若くてピチピチのシスターが三人もおいでだったのに、
今はしわくちゃのシスターがひとりおいでになるだけ。みんなグランバニアの城へ行ってしまったんですよ。
あそこは街をすっぽり城壁で囲んでしまったそうじゃあないですか、ダンナ、ねえ。安全だって、みんなお城へ越していくんです。
今じゃこの村には、子供だっていやしない。なんともはや、うらぶれた土地になってしまったもんです。
ここの神父様はたいそう良くできた方でねえ、村人の最後の一人がいなくなるまでここに残っておいでになると
おっしゃってはいますがね、ダンナがた、神父様がお引越しになる日もそう遠くはなさそうですよ。
それというのも、あのいまいましい北東の塔のせいです。いや、これにはなにも確かな証拠があるわけじゃなくって、
あっしが勝手にそう思い込んでるだけですけどね、こう見えても当たったカンが外れたことはないんですよ。」
『当たったカンが外れたことがないのは当たり前だ。』思わずサンチョは突っ込みそうになったが、ぐっとこらえた。
宿の主人の饒舌はなおも続く。
「なんたってダンナ、これは秘密の話ですがね、あの塔には大昔の魔物の大将の体の一部が埋められていて、
それがなんと、神様もビックリ仰天のお話、魔物を次々に生み出しているとか言うことですよ。
体の一部だけでどうやって子供が生めるのか、あっしゃぜんぜん見当も付きませんがね、
神父様がおっしゃっていたんで、まず間違いのないこってです。神父様は嘘をつくようなお方じゃないですから。
何とかして、あの塔を壊してしまうか、魔物の大将の体の一部とかいう代物を潰してしまうかしないと、
あっしどもも安心してここに暮らせないんですよ。人間を脅かす魔物はすべからく撲滅すべし!でしょう、ねえ、ダンナ?
この土地は、そもそも神様が人間に下された土地なんでさ、だからこの教会は、こんなに古いのにびくともせずに建ってるんですよ。
あっしのバアさんがまだこんなにちっちゃい子供の時分のことなんだそうですがね、・・・」
だが、パパスも、サンチョも、既に宿の主人のとめどない長話など耳に入っていなかった。
この男の言うことがどこまで正しいのか知る由もない。昔の魔物の体が魔物を生んでいるというのもまゆつばものだ。
だが、この教会の北東に魔物の暮らす塔がある、ということは、信頼できる情報としてみてもよさそうだった。
「サンチョ、私は、上にいるという神父殿と話をしてくる。宿を取っておいてくれ。」
パパスはサンチョにそう告げると、そばにあった階段を登っていった。宿の主人は自分の祖母の体験談をまだ語り続けている。
「・・・それでその男の子というのが、木に登ったまま降りられなくなったそうなんでさ。実は私の爺さんなんですがね、・・・」
サンチョは、この男の話の腰を折るのも申し訳ないし、パパスと一緒に神父の話というのも聞いてみたいしで、
にっちもさっちも行かなくなったまま、宿のカウンターの前で立ちすくんでしまった。
いったいこの男は、どれだけしゃべる話題があるのだろう。娯楽のない村だから、
おしゃべりの術を磨くよりほかに楽しみがないのかもしれない。聞いてもらう相手も限られてしまっているのだろう。
だからパパス王や自分たちのような旅人を捕まえるチャンスがあれば、喜び勇んで自分の弁術をご披露してくれるのだ。
それにしても聞くほうはたまったものじゃない。せめて何か、自分たちが知りたい事について、もっと詳しい情報をくれれば・・・。
宿の主人はまだ語る。
「若いうちなら、あっしでも、一昼夜くらいあれば、あの塔まで何とか行き着けましたけれどね。
いやいや、実際に行ったわけじゃなくって。向こう見ずな連中で、実際に魔物の塔まで行ってきたような奴らが、
道しるべを残してくれてるんです。村人が魔物の領分に足を踏み入れないようにって。
『ここが中間点。ここより北東に行くべからず!』とか彫った石を建ててね。
で、あっしは、その中間点まで休まず歩いてまるまる半日ぶん掛けたことがありますから、
一昼夜かければ塔までいけるって寸法です。いやダンナ、断じて行きたいなどとは。あんなところ。
この教会の聖なる力のおかげか、魔物たちはこの辺には近づけないんですよ。
だけど、教会が魔物を寄せ付けないでいてくれる距離は、せいぜい歩いて一時間の距離がとこですね。」
『この男、塔まで行ったのか行ってないのか、話し方があいまいだ。』サンチョは思った。
ときどき、まるで実際にそばまで歩いて行ってみたかのような口振りが交じる。
どちらにせよ、宿の主人の言うように、一般の人が敢えて到達してみようと思う地点は、中間地点くらいまでかもしれない。
もちろん、その塔とやらが、実際に存在すればの話だが・・・。
滝が落ちるように切れ目なくしゃべる男もさすがに疲れたのか、いったん話を中断すると、息を吸いゆっくりと吐き出した。
「ところで…」サンチョは、失礼かとは思ったものの、この間を逃しては一晩中宿を取ることはできまいと、狙って割り込んだ。
「二人ぶん宿を取りたいのですが、幾らになりますか?」
「あ、宿?そうそう忘れてた。あっしは話に夢中になると、仕事のこともとんと忘れてしまうたちでね。先月のことだったかな、
あのときもうっかり仕事を忘れちまってたな。ちょうど雨が降っていて・・・」
またもや独り語りになりそうな宿の主人の話の腰を折ろうとして、サンチョは再び割り込んだ。
「あの、そのお話でしたら後からゆっくり聞かせていただきますから、まずは宿代を・・・」
「あ、そうだっけな。お二人で20ゴールドのかける2倍、今日はあっしの機嫌がいいから特別割引で35Gになります。
それじゃあ、お客人をお部屋にごあんな〜い!」
宿の主人はサンチョの背嚢を無理やり下ろさせると、カーテンで仕切られたブースのひとつへ運んでいった。
相手は親切のつもりでしたことだろうが、なんとなく自尊心を挫かれたような気がしつつ、サンチョもついていった。
カーテンの中は案外こざっぱりとしている。宿の主人はサンチョの背嚢を床に下ろすと、隣のブースを指して、
「こちらのお隣を、お連れの方のお泊りに使っていただくということで。よろしゅうございますね?
ま、どの部屋に入っていただいても、こっちとしちゃあちゃんと宿代が頂けさえすれば文句はございませんですがね。」
とサンチョに告げ、腕まくりをしててきぱきと建物から出て行った。薪割りか何かをするつもりらしかった。
サンチョは、パパスのことを思い出し、階上に通じる階段のほうへと向かった。
すると、折良くパパスが階段を下りてくるところだった。後ろにひとりの中年女を引き連れている。
琥珀のような色のブラウスに、くすんだ赤の長スカートをはいている。靴は黒のズック地だ。
ふたりとも歩きぶりに気品があるために、パパスの靴も黒、女の靴も黒という対比が何ともゆかしい。
サンチョはパパスに声を掛けた。
「パパス様、ベッドを取っておきました。」
すると、部屋のどこかで何かを吸い込むような音が鳴ったのを、サンチョは耳にした。
無意識のうちに辺りを見回したサンチョ。だが、その音を出したものを見つけるより先に、パパスとサンチョの目が合った。
その時に、音の正体が何であるのか、サンチョの脳裏に稲妻のごとくひらめいた。
女が驚いて息を飲み込む音だったのだ。目の前にいる男が、国王だと悟ったのだ。
パパスの眼は、『仕方ないな、サンチョの奴は。』とでも言いたげに、苦笑の相をたたえていた。
そうだった。わざわざ闇にまぎれてまで城を出てきたのは、国民に王が城を離れたなどということを知られないためではなかったか。
長年パパスに仕えているサンチョとしたことが、思わぬどじを踏んだものであった。
やがてパパスはゆっくりと口を開いた。
「サンチョよ、聞かれてしまったことは仕方がない。これからの旅では、私の名を人前で軽々しく口に出さぬように。
ご婦人よ、くれぐれも我々二人がここに立ち寄ったことはご内密に願いますぞ。」
女は承諾の笑みを見せ、二人に向かって、スカートを持ち上げて片膝を折る古風なお辞儀をすると、奥の間へと小走りに入っていった。
「さてサンチョ、」女の背中を見送りつつパパスが言った。「屋上の神父殿に伺ったのだが、
やはりこの地の北東に、いつ建ったかとも知れぬ古びた塔があるという話だ。
今はもうだいぶ暗くなってしまったが、明るい時間帯ならば、この屋上からはるかに望むことができるとの事だ。
なんでも、無鉄砲な若い者どもが、塔までの道筋のところどころに石碑など立てて道標にしているらしいとのこと。
我々もあそこへ行くなら、迷うことはないわけだ。
さあ、もうじき食事だぞ。それまでゆっくりくつろぐとしようではないか。」
夕食は、このような寂れた集落には似つかわしくないほど賑やかなものだった。
円卓に並んで就いたパパスとサンチョが主賓の扱い。その両脇には宿の主人とその妻、彼女は先ほどの琥珀色のブラウスの女性だ。
そして上から降りてきた四十がらみの神父と、50歳ほどと見受けられる尼僧。
それに近所の狩人が一人、呼ばれもしないのに顔を出していた。宿の人が何とも言わないところから察するに、
毎日のように訪れて食事をしているらしい。25歳くらいのなかなかりりしい目鼻立ちだ。
シスターが手ずから釜で焼いたパン。パパスは、空腹のせいもあっただろうが、髭にまでパン屑をぶら下げ、
「うまい!うまい!こんなに香ばしいパンは久しぶりだ!」と賞賛を惜しまなかった。
裏手の菜園から摘んできたハーブも、湖で先ほど釣ったばかりというコイやナマズも、宿の主人の妻の手で巧みに調理されていた。
最後に黄金色のシードルとシードケーキで食事を締めつつ、七人の舌はいつしか糸車のように軽やかに弾んでいた。
「尼殿、そなたはどうしてこんなにすばらしいパンやケーキが焼けるのかね?私もいろいろと旅をしてきたが、
こんなに見事な出来栄えのパンを食べたことはないぞ。」
シスターは、戒律に忠実に暮らしていたので、この日も酒など飲んでいなかったが、なぜだか顔がほんのり桜色に染まっていた。
「旅のお方、私をそのようなお言葉で誘惑しないでくださいまし。私はパンをこねるたびに、神様のお国に思いを馳せております。
パンがおいしいとおっしゃるのなら、それは私の思いに、神様がお答えになっているだけのことですわ。」
狩人の皿には、魚の骨が山になって載っている。その中に鳥の骨が混じっているのは、
彼自身が獲ってきたのを宿の女主人に焼いてもらって食べたのだ。若いだけあって腹もすくのだろう。
「ふう〜〜、うまかった。レチアさんの料理は、どんな材料を使っても、どんなかまどで料理してもうまいんですよ。
おっと、レチアさんというのは、こちら、宿の奥さんのことです。」
若い狩人は、シードルの入った素焼きのコップを持った手で、宿の女主人を指した。
その拍子に、酒がこぼれてしまい、蝋燭にかかって、一本火が消えてしまった。
「はっはっは・・・これはユグナスくん、ドジをやらかしましたな。いや、ほかの蝋燭から火をもらえばいいだけのことです。」
神父が狩人に笑いかけ、消えた蝋燭に火を継いだ。サンチョもその笑いに気分が晴れるのを覚えた。
『マーサ様がもしあのような災難に遭われなかったら、今頃は城でこんなに楽しい食卓を囲んでいたのだろうな・・・』
サンチョは、喜びの中にも、わずかな切なさを感じる男だった。
宴もたけなわを過ぎ、宿のおかみのレチアは食器を下げて台所へ入っていった。シスターが後についていった。
円卓を囲むのは、男五人になった。酒瓶だけは6本も空いて、いままさに7本目の栓が飛んだところだ。
「旅の方、この集落には、もう60人くらいしか人がいないんですよ。みんな南の城へ行ってしまって…。」
ふと、神父が問わず語りに話し出した。宿の主人が狩人に向かって、「君は勇猛だ」とか何か話していたときだった。
「そこの狩人のユグナス君は、ご両親はお城に行ってしまったのに、自分だけは『狩人なのだから』と言い張って、
この村から出て行かないのです。かなりの弓の使い手ではありますが、もしものことがあったら、
ご両親のことが不憫でねえ・・・。旅の方、どう話してやれば、ユグナス君が両親の元へ行くようになるんでしょう。」
サンチョはテーブルクロスにこぼれたパン屑を所在無さげにひねり潰していたが、ふと顔を上げて神父を見た。
神父はパパスとサンチョの両方に話しているようだ。視線がパパスと自分とを交互に見ている。
『両親か・・・』ふとサンチョは思い出した。自分の母親は、自分を生むと同時にこの世を去った。
父親も、自分がこの狩人より幾分若い頃に他界している。二度と会えない懐かしい顔、もう絵でしか見ることのできない顔。
この若者には、まだ父と母がいる。おそらく元気な姿で。それを恵まれたことだと思わなけりゃならないよ・・・。
サンチョはなんとなく言いかねた。自分自身が感傷におぼれてしまうのを本能的に避けたのだろう。
幸いなことに、このとき当の狩人が神父に振り返って言った。
「大丈夫ですよ、神父さん。月に二度はグランバニアに会いに行ってやってますからね。ご心配なく。」
「うむむ。それなら良いのだが。君の身に何かあっては、ご両親に合わせる顔がないからな。」
サンチョは、パパスもなにか遠い目をしているらしいのに気が付いた。はるかな記憶を呼び戻しているらしかった。
だが、サンチョとしては珍しく、パパスが何を思っているのか、その意を汲み取ることができなかった。
「ううむ。まだ若いうちだがよろしいが。神父さんの言われるとおり、ご両親に余計な不安を掛けるものではありませんぞ。」
神父の言葉とわずかに間を置いて、パパスも狩人に言った。
「分かってますって。だけれど、自分の糧扶持くらいは自分で稼がなけりゃ。それに街では狩りなんてできっこありませんし。
両親だって、このくらいのことは理解してますよ。そうでしょう、お・う・さ・ま?」
ユグナスは軽いウィンクをパパスに送った。パパスの濃い眉毛が跳ね上がった。
「城下町で何度かお見かけしています。王様と、そのお付きの方ですね。ちょっとした失礼をお許しください。
ところで、こう見えても、僕は弓の名手なんです。城の武術大会にも二度出たことがあります。」
なるほど、そう言えば、パパスもサンチョも、この若者には見覚えがあった。
「そなたは確か2位まで進んだことがあったのではないかな?去年の秋だったと思うが。」
「わあっ、王様、覚えていてくださったんですね?そうです、その通りです。あの時は悔しかったなあ。
一点差で1位をとり損ねたんだから。あそこで風さえ吹かなかったらなあ。」
神父が笑いつつ言った。「はっはっは、運というものはそういったものですよ、ユグナス君。
あるいは神のご意思だったのかもしれませんな。我々凡人には、その意味は図りかねることですが。
いずれにせよ、そう簡単に1位を取ってしまっては、武術大会に出場する意味などなくなってしまうでしょう。」
パパスも笑みを浮かべて相応じた。
「なるほど、神父殿はうまいことを言われる。ところで、ユグナスといったな。そなた、もし城で暮らすとしたら、
近衛兵になるという道もあるのだぞ。その気があるのなら、城に来て試験を受けるがよい。そなたなら必ず合格だろう。」
「いいえ、」ユグナスははっきりした声で答えた。「僕は、いくら安全だからって、街の塀に囲まれて窮屈に暮らすよりも、
朝日や夕日や月や星が眺められて、野山を自由自在に駆け回れる生活のほうが性にあってるんです。
それに、この村には、モンスターを寄せ付けないために、教会の聖なる力だけじゃなくて、人間の闘う力も必要だと思うんですよ。
何かあったときに、戦力になる僕がいなくては、この村はどうしようもないでしょう?
なによりここは、生まれ育った故郷ですから。当分離れるつもりはありません。」
この若者の言うことにも一理ある、サンチョはそう思った。
グランバニアは先王の時代に街をすっぽりと城郭で囲ってしまっているため、屋上からならばともかく、
城の中で太陽や月を仰ぐというのは実際上かなり無理のあることなのだ。
星や雲を毎日のように見つつ暮らしてきたものにとっては、殺風景で寂しい光景かもしれない。
そういう自分も、城にこもりきりで太陽や星を一日中見ない日がある。扉を一枚開けば露台だというのに。
ことに最近は、身重のマーサ様のお世話に、それにつききりのパパス様のお世話で、部屋から出ることすらないほど忙しかった・・・。
と、余りにも偶然に、宿の主人の口からこんなセリフが飛び出した。
「お城っていっちゃあ、最近、御后様が身ごもってらっしゃるそうじゃあありませんか。お加減はどうなんでしょう?
いつごろお生まれになるんでしょうねえ?お城からいらしたんなら、噂をご存知じゃあないですかね?」
サンチョはパパスの回答に先回りした。。
「さ、さあ、御后様のご様子?この間城を発ったときは、まだ生まれておりませんでしたよ。そろそろご臨月ですがねえ。」
パパスは満足げな目配せをサンチョに送った。どうやら、パパス自身も、息子が生まれたことが知られていないのならば、
わざわざここで状況を明かすまでもないと考えていたようだった。
宿の主人も、神父も、それで満足したようだった。辺境の地にあるだけに、詳しいニュースが入ってくることはめったになく、
簡単な一報でも聞くことができれば、それでもかなりの儲けものだった。
しかしユグナスはちょっと反応が違った。
「ちょっと、ちょっと王様、それでは御后様をほうり出して旅に出られたんですか?!さっきおっしゃっていたことと話が違いますよ。
僕には両親を大切になどと言っておいて、ご自分が御后とお子様をないがしろにするだなんて、どういう事だかわけを知りたいです。」
サンチョは背筋に冷たい汗を感じた。酔いが覚めかけたからだけではなかった。
サンチョは、パパスの急所、国家の急所を突いたこの質問に、どう答えればよいのか分からなかった。
だがパパスは、案外平然として、狩人の問いかけに応じた。
「ユグナスとやら、王たる私が、妻が子供を産もうとしているときに、このような離れたところにいるのは奇妙だと申されるか。
じつは王家には、王家の者にしか知らされぬ儀式があるのだよ。私たちが旅の枕にあるのも、そのためなのだ。」
サンチョはぽかんとしてパパスの言葉を聴いていた。神父も、狩人も、興味津々といった顔で、パパスの言葉に耳を傾け始めた。
宿の主人は、今まさに口につけようとしていたコップを中で止めたまま、やはり関心深げな面持ちでパパスを見ている。
パパスは語りはじめた。
「そなたたちは、『ロンティエ』というものの話を聞いたことがあるかね?」
一同は首を横に振った。サンチョも同様だった。王家に20年この方仕えてきて、初めて聞く話だった。
おりしも台所から出てきたレチアとシスターも、男たちのただならぬ雰囲気に、何事かと立ち止まった。
「それは奇跡の水だ。いや、水かどうかはよく分からぬ。液体ということだけは確かなのだ。
グランバニアの地のどこかに、王家のものしか行くことのできない聖なる地がある。
結界が張り巡らされていて、王家の血筋でないものは、足を踏み入れることさえ不可能だという場所だ。
王家の者でさえ、一度足を踏み入れた後に、そこから出てしまうと、二度と入ることのまかりならぬという、魔法の土地だ。
ロンティエは、そこに湧き出しているということなのだが、どこにあるのかは、実は私自身もよく知らないのだよ。
というよりも、時が来るまでは、知ってはならないし、無論訪れてもならないことになっているのだ。
国の伝承によれば、ロンティエのある地は、王または皇太子が、自らの世継ぎとなるべき子を授かるその時まで、
決して見ることも、訪ねることも、無論入ることもかなわないということになっているのだ。」
「だからって、」宿の主人が割って入った。案の定また長話になりそうだ。
「どこにあるかまるで見当も付かないものを探しておいでになるわけじゃあござあせんでしょう?
なんだか、我々には読めそうもない小難しい字で書かれた古文書とか、そんなものがお城のお蔵にあって、
それに、その、何だその、ロンなんたらはどこそこにある、って書いてあるんでございましょう?
そのロン何とかは、どこにあるんです?この近くですかい?我々が入れない場所ってどんなんでしょうねえ?
で、そのロンチャンだかのところに行って、どんなことをなさるんです?体でも洗うんですかい?」
宿の主人はコップの酒を一口あおった。さすがにのどが渇いたらしい。
パパスはその隙を上手につかんで、話を続けた。
「じつは、『ロンティエ』は、どこにあるのかも、知らされてはならないのだよ。」
狩人とレチアの顔に、不思議な表情が浮かんだ。パパスを崇拝するような顔つきだ。
『このお二人は、王様のお話がある程度読めるらしいな。』サンチョは二人の顔を見て思った。
自分自身は、パパスの話がどんな河岸へと動いていくのやら、さっぱり見当がつかなかったのだ。
「世継ぎを授かるものは、ロンティエの湧き出る場所を、自らの力と知識とで捜し求めなければならないのだ。
親や先代の者から聞いてはならないし、跡継ぎに伝えてもならない。もちろんほかの誰にも言ってはならないのだ。
まあ、旅の供を近くまで連れて行くというのは、許されるのだがな。どのみち結界には一人で入らなければならない。
さて、そうして首尾よくロンティエの湧く地を見つけたら、今度はそれを汲んで、城へ戻るのだ。
そして、汲んできた父親が、生まれてきた子供に手ずから掛けてやるのだよ。
そうすることで、子供には、王たるべき気品と知性、それにたくましい肢体と健康と長寿が備わる。
ロンティエを子供に浴びせるのは、早ければ早いほどよい、できれば産湯として使うのが最も良いということだ。
生まれてくる子供の健やかに育つことを願うからこそ、私はこうして城を離れているのだよ。」
『なるほどな、』サンチョは先ほどの狩人と宿のおかみの表情に、今やっと合点がいった。
『このお二人は、パパス様が自力で魔法の土地を探しているというお考えを、お話の筋から読み取ったのだな。
それにしても、パパス様も、こんな状況下で、作り話がうまいことだ。』
「さてさて、今宵はお客人のおかげで、とりわけ楽しく過ごすことができましたわ。
私、夜半のお祈りに行ってまいりますので、失礼をば・・・。」
シスターは、じっとパパスの話に聞き入っていたが、話が終わるとともにわれに返ったように背筋を伸ばし、
階上の教会へと登っていった。神父もそのあとを追うように、階段を上がっていった。
「で、そのロンチャーだとかいうのを浴びた赤ちゃんが、次の王様になるわけですかい。
じゃあ、そいつを浴びたからこそ、その結界とやらを通って、次のご世継ぎのためにロンチャーを汲めるってわけですな。
浴びたことのない我々庶民には、所詮行くことも見ることも無理なはずでございますよね。」
宿の主人は、だいぶ気も抜けかけたシードルを、ここでまた一口あおった。「ぷえっ!まずいなあ。」
「いや〜、そんな場所が、この国にもあったんだ・・・凄いなあ。」
狩人は、『決して行くことのできない地』に思いを馳せて、うっとりとしていた。
「まあ、まあ、ユグナスさん。こんなところでぽーっとして、明日の狩りはどうなさいますの?」
レチアが微笑みながら狩人を促した。
「そうだ、明日は今日仕掛けてきた罠を見回らなきゃならない。またモンスターが掛かってなきゃいいけど。
レチアさん、ご馳走様でした。ケーキも美味しかったとシスターにお伝えください。
それと王様、お連れの方、今夜はお二人のおかげでとても楽しかったです。おやすみなさい!」
狩人は自分の家へと駆けて行った。
「さあ、そろそろ蝋燭を消させていただきますよ。この辺では蝋燭は手に入りにくいものですから。
いやいや、べつにけちを申しているんじゃないですよ。それに、王様に無心しようなどとはこれっぽっちも考えておりませんから。」
宿の主人は、一本立ての燭台を一つずつ、パパスとサンチョに手渡すと、自分も一本手にとって、残りを吹き消した。
『この男、パパス様に向かって何とも失礼なものの言い方を・・・』サンチョは思ったが、
口に出さぬも礼儀と心得て、そのことはぐっと黙り、かわりにパパスに言った。
「さあ、そろそろお休みになりませんか?」
寝台の脇に灯明一本だけが灯る中で、サンチョは物思いにふけっていた。
マーサ様はなぜさらわれ、どこへ連れて行かれたのか・・・。
リュカ坊ちゃんは、元気だろうか。赤子の罹る熱病などになってないだろうか。
オジロン様たちは、ちゃんと国家の安泰を図ってくださっているだろうか。
ここから北東にあるという塔は、魔物の出入り口だとか、魔物を生むとか言われているが、実情はどうなのだろう。
パパス様は、こんなところで、ご自分が王であることを明かしてしまってよかったのであろうか。
先ほどの不思議な水の話、全くの作り話であろうが、パパス様はなぜあのようなお話をなさったのか・・・?
カーテン一枚隔てた向こうからは、パパスの規則正しい寝息が聞こえてくる。
自分は、パパス様を一途に信頼して今日まで来た。
これからもパパス様にお仕えする心づもりは変わらない。
しかし・・・しかし、パパス様のあのような妙なふるまい、それに即興の変わった物語、
そして先ほど見せたあのご食欲、いまこうして安眠しているご様子・・・
マーサ様や坊ちゃんのことを心底ご心配になっている方の態度であろうか。
サンチョの胸のうちに、疑念が黒い芽を吹いた。
このサンチョ、このままパパス様を信頼していてよいものか・・・
それとも、パパス様をかりそめにも疑う自分が間違っているというのか・・・?
サンチョには分からない。
やがて・・・やがてすべて明らかになるときが来るだろう。サンチョは漠然とそう考えた。
こうしてつらつら思い煩っているうちに、急にあらゆるできことが遠ざかっていくような感覚に襲われた。
サンチョはその感覚に身をゆだねた。今日はもう何も悩みたくはなかった。
眠ろう。考え事は明日の自分に任せればよい。
やがてサンチョの鼻からも、寝息が漏れ始めた。
翌朝。窓から差し込む日の光に、サンチョは目覚めた。
ゆうべの眠りにつく前とはうって変わって、魂の底まですがすがしい。
枕元では、寝る前に消し忘れたろうそくが、すっかり燃えきって、白い煙をうっすらと上げていた。
隣のカーテンの後ろには、既に誰もいないようだった。パパスは朝が早い。
おそらく表に出て剣の素振りなどでもしているか、階上の教会でお祈りをしているか、どちらかだろう。
サンチョは手早く着替えると、手ぬぐいを持って外に出た。目の前に井戸があり、その脇には洗い場もある。
顔を洗ってさっぱりとしたところで、サンチョはパパスを探した。だが、宿の前にはいないようだ。
『パパス様はどこに行かれたのだろう?ここにいないとすると、おそらく上の教会だ。』
サンチョは教会への階段を登った。
思ったとおりだった。神父やシスターと一緒に、パパスがお祈りをささげている。
東の方角、太陽の昇ってくるところに向かってこうべを垂れているパパスの姿は、
サンチョにとっては、どんな腕利きの彫刻家が作った神の像よりも厳かなものに見えた。
やがて顔をあげて振り返ったパパスは、サンチョの姿を認めると、いつも通りの温かく深い声で話しかけた。
「おお、サンチョ、起きてきたか。私は今、この国の皆が無事であるようにと祈っていたところだ。
さあ、お前も朝日に向かって祈りをささげるがよい。」
この言動は、パパスのものとしては実に不可解なものであった。
祈りならば祭壇や神の像に向かってささげるもの。無論パパスは、城ではいつもそうしている。
しかし、今は、祭壇にはそっぽを向いて、代わりに朝日に祈れという。どういうことだろう・・・??
サンチョは、昨晩にひき続き、再びパパスの考えが読み取れなくなった。
ともかくパパスに促されるままに、サンチョは朝日に向かって立った。
朱色の円盤が、射るような光を放ってくる。
その光を浴びる湖は珊瑚色に輝き、遠くの岸辺に広がる森はタールのように黒い。
そして左手のはるか前方、黒い森の木々を越えたはるか向こうに、二本の塔がかすかに頭を出していた。
『そうだったのか。パパス様は、あの塔の存在を私にお見せになりたかったのか・・・。』
現にそのありかを確かめた以上、サンチョは、もはや、魔物の塔の存在を疑わなくなった。
朝食は昨日の夕食と大差ないものだった。酒の代わりにハーブティーが出たくらいの違いだ。
ゆうべの狩人も同席していた。既に罠を見回ってきて、よい獲物が取れたらしく、意気揚々としている。
「今日はウズラ3羽に、ノウサギが2羽。こんなに掛かることはめったにありませんよ。
それにさいわい、どの罠にも、モンスターは掛かっていませんでした。奴らは罠を壊すから困るんです。」
ユグナスはよく食べ、かつよくしゃべる。パパスも親しげに相槌を打ちながら、食べる手のほうは休めない。
ゆうべは無責任で軽々しいとサンチョには思えていたその同じ行動が、
今朝は、パパスが妻を失った辛さに打ちひしがれまいと、自らを鼓舞しているように見えた。
『自分の気の持ちようによって、他人の行動など幾らでも勝手に解釈できるものだな。』
そう思うと、サンチョはなんとなく笑いがこみ上げてきた。
パパスは、食事を終えると、すぐに旅立つ支度を始めた。
支度といっても、下穿きの上に皮の腰巻を巻いてベルトを締めるだけだから、あっという間に済む。
そして、首には牙の首飾りをつけた。これは、パパスが王位を継ぐときに、進物として貰ったものだとサンチョは聞いていた。
「パパス様、もうご出立ですか?しばらくお休みになってからでも遅くはないのでは。」
食後にあまり長いこと歩くと腹が痛む。そう思ってサンチョはパパスに声を掛けた。
「サンチョ、気遣いはありがたいが、私は一刻も早くマーサの元へ行ってやりたいのだよ。」
パパスはそう答えると、愛用の剣を取り上げ、腰に帯びた。それを見てサンチョは確信した。
『やはりパパス様。マーサ様をないがしろになさるような方ではなかった・・・!』
ゆうべサンチョの胸に芽生えていた黒い疑念は、パパスの言葉できれいに吹き飛んだ。
サンチョも自分の旅支度を済ませた。肌着に皮の鎧を装備するだけだから、あっという間に終わる。
そしてサンチョは、背嚢の中から石の斧を引っぱり出した。ふだんは薪割りなどに使っているものだ。
サンチョ自身はまるきり戦いに慣れていないが、魔物に襲われたようなときに、自分も武器のひとつは扱えないと、
ただパパスの足手まといになるだけで、抵抗できぬままにやられてしまうだろう。
こんな小さな斧が、どれほどの役に立つのかは、実戦に応じてみないと分からないが。
二人は宿の人々に別れを告げて外に出た。
宿を出るときに、神父が小さな瓶を二人に一本ずつ渡してこう言った。
「これは聖水です。魔物に襲われるとか、そのほか恐ろしいことに出会ったときに、お使いになってください。
そして、国王どの、くれぐれも申しますが、決して北東の塔へは近づいてはなりませぬぞ。
あの塔は魔物の巣窟、あそこへ行くのは、自ら命を捨てるようなもの。
そんなことになっては、王妃どのも、生まれてくるお子様も、いかばかりお嘆きになることか知れません。」
すると宿の主人が割って入った。
「そうですよ王様、絶対にあんなところ、行ってはなりませんよ、絶対に。
たとえあそこに、ゆうべのチャンなんだかいう水があるにしてもですよ。命がすべてですからね。
ゆうべ話したかもしれませんがね、あっしのとこでは、こないだ旅の戦士を一人お泊めしたんです。
なんでも魔物を倒して修行しているとかで。その戦士というのが、立派な口ヒゲの偉丈夫で・・・」
「あら、あら、あんた、また!」宿のおかみが亭主の語りを阻んだ。
「その調子で話していちゃ、またいつもの長話になるんじゃないの。
申し訳ありませんねえ、王様にむかってこんな軽口をたたいてしまって。
かいつまんで申せば、その戦士様は、魔物の出る塔があると聞いて、こちらの止めるのも聞かずに行ってしまわれた。
それきり音沙汰なし、ということでございますよ。きっと魔物に食べられてしまったんだわ・・・ああ恐ろしい。
王様がたも、じゅうぶんお気をつけくださいませ。それから、その奇跡のお水。きっと見つかることを祈っております。」
「そうか・・・。宿のご夫婦、それに神父殿も、旅路のご忠告、かたじけない。
さあ、サンチョ。行こうではないか。」
パパスは先にたって歩き出した。サンチョもその後に続いて歩き出した。
手を振って見送る宿の人たちに、こちらも手を振り返しつつ、旅の道を進んでいった。
二人はそのまま30分ほど真北に歩いていた。そのことをサンチョはいぶかしく思い、パパスに話しかけた。
「パパス様、魔物の塔は北東ですが。これでは方角が違うのでは?」
パパスは前を向いたまま答えた。
「王たるものが国民に余計な気苦労を掛けさせるものではない。
もし我々があの宿の者たちの目の前で北東に向かっていたら、宿の者たちは、
我々が魔物の巣に突き進んでいくものと知って、おおいに不安な思いをすることだろう。」
二人はこのとき、潅木の茂る草原を歩いていた。
このあたりからは、例の塔は見えない。東に茂る森の木々に隠れているのだ。
「さて、もう宿の者から見られる心配もないだろう。東に向かって、塔へ行くという道を探すのだ。」
パパスはそう言い、東へと方向を変えて進み始めた。サンチョもそれに従った。
一時間も歩いたろうか、二人は浅い林の中に入っていた。木影が程よい涼しさを作り出していた。
やがて、下草の茂る中に、明らかに道と見られる裸地が見つかった。
道はあまり人の歩いた形跡はないが、それでも確かに北東方向へと向かっている。
「この道が問題の塔へ行く道だとすると・・・パパス様、この道沿いに、石碑があるはずです。
宿の主人がそんな話をしていました。探してみましょう。」
「うむ、私も神父殿から、そんな話を聞いた。・・・おお、あれかも知れぬな。」
パパスは、いくぶん向こうに見える、黒味がかった石柱に目を留めた。確かにこの林にはなさそうな石だ。
そばまで寄ってみると、果たして道しるべであった。建材に使う石をそのまま用いたらしい。腰くらいの高さがある。
「字が書いてありますよ。どれどれ・・・」
サンチョは石碑の字を読んだ。
ここから一日歩けば魔物のすみか
近づくやからは死ぬつもりか?
「脚韻を踏んでいる。うまいものだな。」パパスは妙なところに気が付いた。
「まあ、我々が正しい道を進んでいることは確かだ。進もう。」
二人は木立の中の道を北東へと進んでいった。
サンチョの丸い額を伝って、ひとしずくの汗が頬に流れ落ちた。
その汗がひやりと感じられ、そのおかげで、突然サンチョはあることを思い出した。
『そうだ、パパス様は、ゆうべの宿で奇跡の水のことなどを話していた・・・』
「パパス様、このサンチョ、ひとつお伺いしたいことがございます。」
唐突なサンチョの口ぶりに、パパスは振り返った。サンチョの言葉から、緊迫した空気を読み取ったようだ。
「何だね、サンチョ?私とお前の仲だ、ましてや今は二人きり、遠慮はするものではない。言ってみるがよい。」
サンチョは、ゆうべのパパスの話から抱いた疑念を打ち明けた。
「パパス様は、昨晩、あの宿屋で、奇跡の水というもののお話をなさいました。
しかし、このサンチョ、パパスさまが、そんな水の話をなさったのを耳にしたことはございません。
ましてや、王家の記録にも、そんな水の湧く聖地があるなどということは、読んだことも見たこともございませんし、
学者殿や神父殿がそのようなことをお話しになるのも、聞いたことはございません。
このサンチョ、あのパパス様のお話は、パパス様の全くの作り話だと存じます。
庶民の前で、なぜあのようないつわりのお話をご披露されたのか、このサンチョに、
その納得できる理由をお教えくださりたいと存じます!」
サンチョは歩きながらこれほど長くしゃべったことがないので、ここで息を切らしてしまった。
だがパパスは、それにまずにっこり微笑んで答えた。
そしておもむろに話し始めた。
「サンチョ、あれは全くの作り話などではない。それどころか、九割がたは全くの事実なのだよ。」
「へ?」
思いもかけぬパパスの返答に、サンチョの身の汗も引いてしまった。
まっすぐ歩きながら、パパスはサンチョに説明した。
「ロンティエは実在する。いや、少なくとも実在していた。
そして、王家の者がその水で赤子の体を洗って不老長寿を願う習慣もあった。
その水を取りに行くのが、赤ん坊の父親なり親権者なりであるというのも全くそのとおりだ。
ロンティエの場所を言い伝えてはならないというのも事実だ。
サンチョ、こういったことをお前が知らないのも無理はない。
グランバニアには、代々の王だけが読むことを許された書物というものがある。ロンティエの話もその中に含まれているのだ。」
いわば庶民には禁書である書物の内容を、意外にもあっけらかんと打ち明けたパパス。
サンチョには、ロンティエの話も思いのほかだったが、それよりもパパスのこの態度のほうがさらに驚きだった。
「そのような、王家の秘密を、私や一般民衆の前に晒してしまってもよかったのですか?パパス様。」
困惑の色の濃いサンチョの声に対して、パパスは晴れた日の空のように明るい声音で答えた。
「その習慣は、いつの間やら廃れてしまったのだよ。
私よりも5代前の王のときだから、100年以上前に立ち消えてしまったそうだ。
なんでも、その王の父王が、いくら探しても、肝心の聖地を見出すことがかなわなかったのが理由らしい。
ロンティエが干上がったとか、ただの水に変わってしまったとか、聖地にモンスターがいたので汲めずに逃げ帰ってきたとか、
いろいろな言い伝えがあるが、実のところは分かっていない。記録にも載っていないのだ。
もっとも、この記録というものは、代々の王が書きしるした日誌のことをそう呼んでいるだけなので、
公式記録との違いもあったりして、信憑性が必ずしも高いわけではないがな。
なんにせよ、廃れてしまった歴史を、今さら隠し立てしておいても、何の意味もないことなのだ。」
「では、パパス殿も、そのロンティエという水は・・・?」
「むろん浴びてはいない。ただ、私は、この国のどこかにロンティエがあると、いつも信じている。」
『ロンティエ・・・なんと不思議な響きなのだろう。どこかにあるのなら、
ぜひとも汲んで帰って、リュカ坊ちゃんにおみそぎしてあげたい。』
サンチョは胸の内が深いところから晴れ上がるのを覚えた。
パパス様に対して抱いていた疑念がすべて晴れた以上、サンチョに残された試練は、
ただパパス様とともにマーサ様をお救いして無事にグランバニアへお連れすることだけだった。
昼いっぱいを二人は歩き続けた。もうすぐマーサ様の居所に着けるかもしれない、そう思うと、
サンチョも、パパスも、長い道のりをまるきり気にせずに歩ききれる気がした。
道端には、ゆうべの宿の主人が話していたように、ところどころに道しるべが立ててあった。
すべて最初に見つけたのと同じく、黒味がかった建築用の石材を加工しただけのもので、
塔から遠ざかるようにと示唆するような言葉がかならず彫ってあった。
「それにしても、魔物の塔が近いというのに、一向に魔物が現れないな。我々に恐れをなしたかな?はっはっは。」
パパスが笑った。まさにパパスの言葉通りだった。ふたりは魔物らしい魔物には出くわさなかった。
たまに見かけても、一角ウサギやガスミンクといった、ただの獣と変わり映えのしないモンスターでしかなかった。
そういった連中は、こちらが剣や斧をぶんぶん振って威嚇してさえやれば、たちまちおびえて逃げていってしまうのだ。
そういうわけで、二人は全く戦うことなく歩き続けることができた。
すっかり太陽が西に傾いたころ、パパスが何かを見つけた。
「おお、あそこにも道しるべの石がある。これで八つめかな?
しかし、こんな遠くにまで道しるべを作るとは、あの村の者達もご苦労なことをしたものだ。」
そう言ってパパスが視線で指し示した先には、ここまでの道で数度見てきたものと同じ、黒い石材が立っていた。
そばまで歩いていった二人は、そこに彫られた文字を読んだ。
魔物の塔までほんのもうすぐ
だがまだ間に合う、飛んで逃げ出せ!
これが最後の道しるべ
「なあるほど、もう魔物のすみかが目の前か・・・。うわわわわ。」
そう言っているサンチョの体は、妙に小刻みに震えているようだ。
「サンチョ、どうかしたのか?この期に及んで、まさか怖気ついたのではないだろうな。」
「い、いいいえ、パパパス様!ここれは武者ぶるぶるいというややつです。」
「サンチョよ、今からそんなに震えていては、万が一塔の中の魔物と戦うはめになったときに、どうしようもなくなるぞ。」
「はい、はい、でもパパス様と違って、私は魔の者などと戦ったことはございませんから・・・。どうしても脚が。」
「大丈夫だ。ここまで何事もなかっただろう?心配に及ぶまい。さあ、マーサのことを思い出してくれ・・・。」
『マーサ様・・・。』サンチョの頭の中で、その名はカリヨンの音のように繰り返し美しく響いた。
深い緑の髪、人をとりこにせずにはいられない涼しげな眼元、白い肌によく映える珊瑚色の唇・・・。
そうだ、サンチョは、パパス様、マーサ様、リュカ坊ちゃんのためなら、
たとえ火の中水の中、行き着くところまで行こうと固く誓っているのだ。
モンスターごときが何の障害になろう?
サンチョは叫んだ。
「さあ、パパス様、進みましょう、マーサ様のために!」
しかしそれからが大変だった。なぜなら太陽が沈んでしまい、夜の紫色のとばりが既にかかり始めていたからである。
それでもサンチョとパパスはカンテラの明かりひとつを頼りに歩いていた。目的地は目の前だと信じていたからだ。
道はいくぶん登りになっていた。これを登りきったら、問題の塔だろうか?
と、サンチョの行く手に意外なものが見えてきた。初めはそれが何なのか判断がつかなかった。
林の中で、小さな明かりを一面に散らしたような・・・蛍の群れだろうか?
そうではなかった。サンチョが自分の正面に見たのは、一面に星のまたたく空だった。
「こ、これは・・・??」
思わず足を止めるサンチョ。パパスもその星空を見て、それがどういうことなのかを瞬時に理解した。
今まで林の中を歩いていたのが、突然木立が切れ、広い空き地に出たのだ。
「パパス様、ここは・・・?」
「野原だ。広い野原だ。林の中に、これほど広い野原があるとは、至極奇妙な話だな。」
それがかなり広い空き地であることは、頭上の星を見れば、誰しも納得できることであった。
木々の梢にほとんど遮られることなく、地平線近くのかなり低いところまで、星空が続いている。
地平線には、なにか黒い影が立っているようだが、既に暗くて正体を確かめることはできない。
「サンチョよ、どうやら我々の行く手に、くだんの塔がそびえているらしい。地平線の影が分かるか?」
パパスがそう言って、カンテラを振って方角を示した。
「見えますとも。あれが魔物の塔ですか・・・。このサンチョ、だんだん不安になってまいりました。」
「はは。心配性だな。お前の身の安全は、この私が守ろう。」
パパスはさらに歩を速めた。サンチョもその後をちょこまかとついていった。あたかも父親と子供のように。
夜道で足元も見えないのに、パパスとサンチョは何の不安も抱かなかった。
マーサを取り戻せる・・・その思いが強かったのだ。
黒い影を目指し、二人は進み続けた。いつしか二人の間には、交わされる言葉がなくなっていた。
そして、二人の足元から聞こえるはずの足音もしなくなった。
やがて下弦の月が昇り、後ろから二人の男を皓皓と照らしだした。
その月明かりで、パパスは自分たちがどんな地面を歩いているかをおぼろに見て取ることができた。
地面には一本の草も生えていない。その代わり、裸の地面もない。いちめんびっしりとコケで埋め尽くされている。
足を踏み出すたびに、コケの青臭いにおいをわずかに嗅ぐことができた。
東の空がわずかに緑みを帯びてきた。もうじき朝が来る証だ。
パパスたちの目指すものは、いまや薄暗い中でもはっきりとその姿が見て取れた。
空へとまっすぐ伸びる二本の高塔。それは下のほうで一つにつながっていた。
「ふう・・・。」サンチョがため息をついた。林を抜けてから初めて発した言葉だ。
「あれがその塔か・・・。」パパスはその塔を、下から上へ、また上から下へと、なめるように見渡した。
まがまがしさは一切感じられない。そのかわりに異様にのっぺりとしている。
むしろそののっぺりとした印象が、パパスには不気味に思われた。
いっぽうサンチョは、パパスが恐れたところに違和感は覚えなかった。
むしろ、おどろおどろしいレリーフやら魔物の像やらがあったほうが、サンチョにはおぞましく感じられるのだ。
そして、二人はとうとう、塔の間近までやってきた。そこはまったき静けさに包まれていた。
予期していた魔物の雄たけびも聞こえない。朝につきものの鳥のさえずりも聞こえない。風の音もしない。
それどころが自分たちの足音すら、コケに吸収されて聞こえないのだ。
静寂が、逆に巨大な重みと化して、二人にのしかかってくる。
声を出すことすらその空気を穢し、穢したことが反逆とみなされるような、無音のとばりだ。
パパスはその静謐さを破らんとして、腰の剣をつかんでカチャカチャと鳴らしてみた。
わずかにくぐもったような金属音が響いただけだった。それも空中に吸い込まれるように消えてしまった。
サンチョは異様に静まり返ったこの野原におびえた。
先ほどまで魔物に恐れをなしていたのがうそのように思いが変わり、
今はむしろ、早くあの塔へ入りたい、魔物に襲われてもいいから、この静寂から逃れたいと必死で願うのだった。
パパスの目にも、いらだたしげな焦りが広がっていた。
二人は歩幅を広げ、足を速め、歩くというよりも宙を翔るように塔へと急いだ。
そして、朝日がちょうど地平線から顔をのぞかせたとき、とうとう二人は目的の地に着いた。
目の前には石造りの巨大な塔の壁がそびえている。あらゆる者を拒むような、能面的な外壁。
その壁面には、見たところ、わずかに三双の扉があるに過ぎなかった。
「まずはどの扉をくぐろうか?」パパスは独り言のようにいった。
サンチョはのろのろと手を上げ、向かっていちばん左の扉を指した。
「あそこに・・・」この抑圧的な静けさの中では、この一言を発することで精一杯だった。
それにサンチョは泥のようにくたびれきっていた。これほど長く歩いたことはないし、夜を徹して歩いたこともない。
とにかく少しは休みたかった。
が、パパスの手前、それを言うこともままならなかったし、パパスへの敬意がそれを押しとどめたのだ。
扉の向こう・・・何が待っているのか知らないが、この薄気味悪い外よりはましだろう、そうも思っていた。
「では、この扉に決めたな。入るとしよう。・・・はて、開くかな?」
パパスは扉の前へ歩いていった。扉は地面よりも一段高い石の露台の上に作られている。
パパスは扉の取っ手になっている吊り輪を握り、力いっぱい引いた。
「ぬおおおお〜〜〜!!!」
扉はくぐもった金属音を響かせながら、ゆっくりと、しかし滑らかに動いた。
まるで頻繁に油が差してあるお城の門扉のようだ。こんな人里離れたところの扉に、油を差す者などいるはずもないが。
「さて、何がこの先待っているのか分からんぞ。覚悟はよいか、サンチョ?」
「はい、パパス様!このサンチョ、何が起きても動じない覚悟ができております!」
数時間ぶりに音らしい音を聞くことができた。それだけでも、サンチョの精神を正気に戻すには十分だった。
扉の中は、外と同じく石造りの部屋・・・いや、わりと大きな広間だった。
その中に、せんせんと水の流れる音がする。部屋の壁にこだまし、琴を爪弾くようにささめいていた。
「パパス様、水が・・・泉水が。このようなところに。」
しかしパパスは口をつぐんでじっと立ち尽くしている。その目は音の源である泉のほうを見つめている。
やがて、ゆっくりと唇をほどくと、正面を見据えたままの姿勢でパパスは言った。
「ロンティエだ。」
「へ?」
思いもかけない言葉にサンチョは唖然としていた。
パパスは繰り返し言った。
「あれがロンティエだ。王族だけがその元へ行くことのできるという神秘の泉だ・・・。」
それだけ言うと、そのままパパスは一歩、二歩と泉のほうへと歩き出した。
サンチョもつられて歩き出した。
泉の水は、2人を招くように、柔らかな青い霧を放っている・・・。
パパスとサンチョは、泉のもとに着いた。
着いてみると、それは正確には泉ではなく、床にくりぬかれた円い大きな水盤であることが分かった。
直径は人の背丈を上回る。深さは膝ほどまであるように見えた。
翡翠色をわずかに帯びた清らかな水が、水盤の底からわきあがり、縁いっぱいにまで湛えられていた。
水盤から流れ出る水は、縁でわずかに盛り上がり、流れ出たかと思うと消えてしまう。
おそらく水盤の周りに、目に見えないような溝があって、そこから流れ落ちているのだろう。
水の表面からは薄青い霧が立ちのぼり、淡い水色の光を発している。
「これが・・・パパス様、ロンティエなのですか?」
「グランバニアの奇跡、ロンティエだ。淡い翡翠色の水、水色の光、青く立ち込める靄・・・。
まさに私が昔から先祖たちの日誌で読んだとおりの様相だ。
あの頃は、早くロンティエを汲みに行ってみたいと思っていたものだ。おお・・・このような辺境の地にあったとは・・・。
今こうしてここに来ている・・・。なんという奇跡だ・・・。」
パパスの声は最後にはささめくように微かになった。息遣いも深々しくなった。
積年の夢が、今、意外な形でとはいえ、ここにこうして叶っている。
人生とは、なんという感動を、喜びを、そして皮肉を、我々に用意してくれているのだろう・・・。
パパスは手を合わせて椀を作ると、水盤の水をくみ上げた。手には水の冷たさが伝わってきた。
そのまま手を口元へ運び、おもむろにひと口飲み下した。清冽な水が、徹夜で歩いて疲れきった身体を駆け巡るようだ。
たちまちのうちにパパスは、自分の頭が冴えてくるのを覚えた。体も隅々まで力がみなぎったように、元気を取り戻した。
まるで、血管の一本一本が、新鮮な血液を補給されてみちがえったようだ。
魂も、浄化されたようにすがすがしい。さっきまでの緊張感や疲れはすっかり吹き飛んでいる。
「さあ、サンチョ。お前もこの水を飲んでみるがいい。」
パパスに促され、サンチョも恐る恐る水を掬い上げて飲んでみた。
王家の者ではない自分が飲んで罰でも当たらないか、それが心配だったのだ。
だが、水がのどを通り過ぎた瞬間、そんな鬱々とした思いはさっぱりと消えてしまった。
人生がこの上なく明るいものに思えてきた。心が晴れ晴れとして、歌でも歌いたくなるような気分だ。
疲弊して熱っぽかった体も、すっきりとして、疲労などどこ吹く風といった具合だ。
「これがロンティエの秘密だったのか・・・。」パパスはつぶやく。
ロンティエ・・・龍涕。ドラゴンの魂が水という形をとって現れたといわれる奇跡の液体。
その伝来は定かではないが、代々の王がその存在を秘匿してきた理由は、こうして出会ってみれば容易に理解できた。
いにしえの王たちの日誌によれば、壮健な者がロンティエを服用すると、寿命を延ばし、心をはつらつとしたものにする。
重い病気の者に飲ませれば、瞬く間に癒して健やかにし、むろん獣や家畜の病も治す。
そればかりか、地面にまけば、一夜にして草が芽吹き、枯れ木も花をつけるというのだ。
これが王国の秘宝でなくてなんであろう?代々の王のみが知るべきものとされたのも当然だ。
国外に知られたりしたら、この水を手に入れんとする他国との要らぬ戦いなどに巻き込まれるのは必至であるからだ。
パパスは、日誌のみに記録をとどめておいてくれた先祖たちに感謝の念をささげた。
しかしサンチョはよく分からないことがあって戸惑っていた。
「パパス様、これがそのロンティエなら、王家の者じゃない私は近づくこともできないはずですが。
どうして私が、泉のこんなそばまで来て、じかにその水を飲めるんでしょうねえ?」
「うむ、それは私にも分からない。あるいはこの塔自体が、それに何らかの関わりがあるのかもしれないがな。
さあ、疲れも癒えたし、力も付いたことだ。いよいよマーサを探しに向かおうではないか。」
パパスは最後にロンティエで顔を洗い、両の前腕をすすぐと、表へと向かった。
サンチョは持っていた水筒の水を大急ぎで飲み干すと、それにロンティエを汲み、ついでにもうひと口飲んで、
パパスのあとを追った。
『結局パパス様にも分からないことがあるのか。結界も何も無かったし、歴代の王様がたにも勘違いはあるものだな。』
そう思うと、サンチョはちょっぴり王家と自分との垣根が低くなったような気がした。
いや、こうしてパパス王と旅をしていることが、既に垣根など取り払われているということと同義なのだが。
パパスは塔から30歩ほど離れたところに立ち、塔をためつすがめつしている。
その顔は、たった今飲んだばかりのロンティエのおかげか、これまで以上に生き生きとしている。
サンチョがそばへ寄ると、パパスは塔の三箇所の扉のうち、ロンティエの部屋に通じる以外の二箇所をかわるがわる指して
サンチョに意見を求めた。
「どうだろう、サンチョ?真ん中の大きな扉から入るのがよいか、それとも右翼の小さめの扉からがよいか?
マーサがここに捕らわれているのなら、この塔にしかるべき部屋があるはず。どちらの扉からが早いだろう?」
サンチョは塔の上を見上げた。塔の上は、初めから知っているとおり、二本に分かれている。
このどちらかにマーサ様がおいでになるはず、サンチョはそう思ったが、どちらの塔にいるのかは分かるはずもなかった。
そこで正直なところを打ち明けた。
「あの二本の塔の上のどちらかにいらっしゃると思いますがね。どちらかはまるっきり存じません。」
「確かに、お前が知っているはずはないな。よし、どちらであっても行きやすいように、真ん中の扉から入ろう。」
パパスはおもむろに扉を引いた。扉はゆっくりと、きしみつつも滑らかに左右へ開いた。
塔の中はまだ薄暗い。しかし物の形はわりとはっきり見える。
「おや?」一歩踏み込んだパパスが妙な声を上げた。
屈みこんで、足の下から何か拾い上げている。足を出した拍子に踏んづけたのだろう。
パパスはその物体を取り上げてサンチョにも見せた。
「これは・・・革紐のようですね。はて?馬のくつわでは?いや、こんなところに馬はいませんね。」
「うむ、サンチョよ、これは馬のくつわではない。かぶとの顎帯だ。」
パパスとサンチョは、その革帯をよく調べた。
使い込まれて、かなりしなやかだ。ここに落ちてから、まだそれほど期間がたっていないらしい。
「こんなところに、私たちのほかにも人が?おや、ひょっとして・・・今朝、宿の人が話していた・・・。」
「そういえば、あの宿の者たちは、出かけたまま帰ってこない戦士の話をしていたな。
その男の物かもしれない・・・しかし、なぜ顎帯だけがあって、肝腎の兜の本体がないのだ?」
突然二人は、近くに何者かの気配を感じた。
「魔物に違いない!サンチョ、応戦だ!」
パパスの合図に、サンチョも身構える隙のあらばこそ、既に目の前には青いたてがみのモンスターが迫っていた。
「こ、こいつは・・・うわわわわ。」
「アームライオンだ、怪力の持ち主だぞ。あなどるな!」
現れたアームライオンは二頭、こちらの隙をうかがってか、のっそりと近寄ってくる。
六本の腕が、そよ風に吹かれる木立のように揺らめいている。
と、そのうち一頭が身を翻したかと思うと、パパスに組み付いた。
「こしゃくな!我が剣技を受けてみよ!」
一刀のもとにアームライオンの左の三本の腕と、左のたてがみを断ち落としたパパス。
アームライオンは痛そうに雄叫びをあげると、床に転がった腕を拾い集め、そそくさとどこかへ去っていった。
「口ほどにもない奴め、はっはっは。・・・む?サンチョ、危ない!」
「え、え?わわっ!」
まさにサンチョに向かって、もう一頭のアームライオンが跳びかかるところだった。
あまりの突然のことに、サンチョは目をつぶってしまい、無我夢中で石斧を振り回した。
「ギャウ〜〜ン!!」
アームライオンの悲鳴が上がった。
恐る恐る目を開けてみたサンチョの前には、仰向けに倒れたアームライオンが、顔面を押さえてもがいている。
サンチョの石斧は、偶然にも、アームライオンの急所である鼻面に命中したのだ。
じたばたしていたアームライオンは、パパスが更なる一刃を加えようとする前に、ほうほうの体といった格好で奥へと逃げていった。
「ふ〜む、魔物の巣なのは確かなようだが、思ったより抵抗しないな。我々の強さに恐れをなしたかな?」
パパスは冗談っぽい口調で言いなすと、剣を鞘に収め、
床に散らばったアームライオンのたてがみを片足で壁際に掃き寄せた。
サンチョはといえば、初めて出会った猛獣系のモンスターに、恐怖感が抜け切れないのと、
思いがけず勝ってしまったのとで、顔色も白くなり、斧を握り締めたまま、腕も脚もぶるぶる震えている。
「さあ、さあ、サンチョ。先を急ごうではないか。おそらくマーサはこの先。
たとえいなくとも、マーサの行き先を知っているモンスターがいるはずだ。」
パパスが肩を押してやると、やっとサンチョは呪縛からほどけたかのように震えが治まった。
「パパス様、ここからどう行かれます?」
「まずは、」とパパスは、床に点々と続く血痕を眺めつつ答えた。先ほどのアームライオンの腕斬り痕から滴った血だ。
「この血の跡をつけていってみよう。魔界との出入り口とやらに出るかもしれない。」
パパスは腰の剣に手を添え、いつでも抜けるようにしながら、あたりに油断なく気を配りつつ歩いている。
サンチョは斧を右手に持ち、左手で背中の背嚢を支えつつ、魔物がいつ出るかと四方八方をきょろきょろ見ながら進んでいる。
やがて、立ち並ぶ柱の陰に、階段があるのが目に入った。が、その前に何者かがたたずんでいる。
「こいつは何者だ・・・??」モンスター経験が豊富なパパスも、そのモンスターの姿は初めて見るものであった。
角ばったごつい顔、分厚いよろい、そして両手に持った鉄の盾・・・。シールドヒッポだ。
シールドヒッポはただひたすら盾を構え、身を守っている。身を挺して階段を守っているつもりのようだ。
あまりにも身動き一つしない。が、こちらの出方を伺っている様子は手に取るように分かる。
パパスはある作戦を思いついた。「サンチョ、ちょっと耳を・・・ゴニョゴニョ。」
パパスはサンチョにささやくと、剣を構え、シールドヒッポの鼻先に突きつけた。
そのまま切っ先をじわりじわりと上下左右に動かしてやる。シールドヒッポの目もそれを追って動く。
シールドヒッポがパパスに気を取られている隙に、サンチョはすばやくその脇を抜け、階段を登る。
シールドヒッポが騙されたと気づいたときには、既にサンチョは階段を半分も登ったあとだった。
「パパス様、参りましょう!」「よし来た!」
パパスはすばやく身を翻し、動きの鈍いシールドヒッポの脇をすり抜けた。そのまま二人で階段を駆け登る。
シールドヒッポが悔しがって地団太を踏む音と、そのためによろいがガチャガチャと鳴り響く音が、
上の階まで登りきった二人の耳にもはっきり聞き取れた。
「いやはや、愉快、愉快。あんな単純な手に引っかかるだなんてな。はっはっは。」
朗らかに笑うパパスに、サンチョも釣り込まれて笑みを浮かべた。
「さあパパス様、マーサ様がお待ちです。先へ進みましょう。」
楽しげに話す男二人。このフロアは、二つのホールを、ひとつの幅広い通路で結んでいる単純なつくりのようだ。
そこで二人は奥へと進んでいった。やがて、部屋の反対側のホールが見えてきた。片隅に階段もある。
「ふむ、あそこから上に・・・やや、なんだ?」
パパスが声を上げた。同時に二人は、背後に鈍い音を聞いた。大きく重いものを落とすような音。
振り返ると・・・今しがた通ってきたばかりの通路が、大きな扉でふさがれてしまっている。
「落とし戸の罠ですね。私たちは潰されずに済みました。ほっ・・・。」サンチョは冷や汗をぬぐった。
が、危険なものは落とし戸だけではなかったのだ。目の前の床が、ぐるぐると渦を描くように揺らめいている。
「こいつは旅の扉だな。」パパスが言った。
と、そのとたん、そこから飛び出したものがあった。
「ガルルルル〜!」
ふたたびアームライオンだ。しかも今度は三頭も出てきたのだ。
「よし、サンチョ。先ほども戦った相手と同じだ。弱点は分かるだろう?」
分かるも何も、いきなり襲い掛かられては、実戦経験などないサンチョは手も足も出ない。
ただひたすら、階段のほうへ向かう道をモンスターにふさがれないようにと身構えるのが精一杯だった。
パパスはといえば、ひと薙ぎで二頭のアームライオンを血祭りに上げ、既に三頭めとわたり合っている。
見る間に三頭目の急所を突き、倒してしまった。
「やれやれ。旅の扉を魔物が往来に使っているとは、前代未聞だな。」
パパスはそう言うと、剣を鞘に収めようとした。が、そのとき、旅の扉から飛び出す影があった。
「なんと・・・再びモンスターとは。今度は何者だ?」
出てきたのは、アームライオンが三頭。その後に続いて、青いイノシシのようなモンスター・・・オークキングだ。
オークキングが四頭、さらに先ほど階段で見たシールドヒッポが三頭。
「パパス様、相手は数で攻めてきます。どうなさいます?」
モンスターたちは、攻撃の態勢をとり、じわりじわりとパパスとサンチョのほうへにじり寄ってくる。
「これはよほど慎重にならなければ。とくに、あのオークキングたちにはな。
連中は知性も高いから、思わぬ方面から攻撃を掛けてくる恐れもあるぞ。」
パパスは、登り階段のほうへと後ずさりしているサンチョに言い掛けた。
「パパス様、パパス様!それよりも、無駄な戦闘などやめて、早くマーサ様のところへ・・・」
「しかし、そこの旅の扉からモンスターが次々と出てくるということは、そこが魔界への道なのかもしれないぞ。
ここで戦って道を開かないことには、先へ進めたものではないぞ、サンチョよ。」
だが、パパスがこう言った途端、例の旅の扉から再び何者かが現れた。
人間と鷲のあいのこのような奇妙なモンスターだ。四頭も飛び出して、中空に浮かんでいる。
「パパス様・・・新手のモンスターが!」
「サンチョ、これは逃げたほうがよい。あれはホークマン、力も賢さも高いうえ、空が飛べる。
奴らだけならともかく、これだけ多くの魔物に囲まれては、とても二人で太刀打ちは無理だ。」
パパスもサンチョに続いて階段際へとしりぞいた。
なるほど、階段は幅が狭い。ホークマンを除けば、一度に多くの魔物に取り囲まれることもないだろう。
戦うにはむしろおあつらえ向きの場なのだ。
サンチョは、逃げるように見せかけて、むしろ戦いの局面を自らに有利に運ぼうとするパパスの知恵に感銘した。
だが今は、感動に浸っている場合ではない。どこからかの物陰から現れたホークマンが、
階段を途中まで登りかけのサンチョの頭を、手にした剣で後ろからしたたかに殴りつけたのだ。
「大丈夫か?サンチョ。」
危うく階段から落ちかかったサンチョの体を、パパスがすばやくつかんで支えた。
そこを見澄ましたかのごとく、アームライオンの強烈な一撃がパパスを襲った。
「くっ・・・」
パパスは右肩をすくめてよろめいた。アームライオンの爪でしたたかに抉られたのた。血が流れ落ちる。
続いてもう一撃、今度は激しくパパスの脳天を殴りつけた。さすがのパパスもこれには耐えられず、思わずよろめいた。
そこへさらにもう一撃。今度は脚をなぎ払われたパパスは、滑って階段から転げ落ちそうになった。
「パパス様!さあ、つかまってください!」
こんどはサンチョがパパスを助ける番だった。
「すまぬ、サンチョ。足首を挫いたようだ。私は走れない・・・」
「パパス様、弱音をお吐きにならないでください!ほら、このサンチョがパパス様の足となってどこまでも・・・。」
しかしそうしゃべっている間に、アームライオンがパパスの両腕を引っつかみ、力の限りにねじり上げていた。
パパスの肩とひじがゴキゴキと音を立てる。
「くっ・・・ぬおおおおおお〜〜!!」
パパスは死に物狂いでアームライオンの手を振りほどくと、サンチョの差し出す手に引きずられるように階段を登った。
登りつめたところは、広い部屋だった。
パパスは傷口からあふれる血で血まみれになり、息遣いも荒かったが、それでも手には剣をしっかりと握り締めていた。
サンチョは返り血を浴びてやはり血だらけになってはいたが、自分が傷ついたわけではないので、まだ体力は残っていた。
パパスを支えて先へ進むだけのゆとりは、まだ十分に残っていた。
「パパス様、ひどい怪我を・・・いま手当てをいたします。」
サンチョは腰の水筒に先ほど汲んできた泉水を、パパスの肩にかけた。たちまちパパスの傷が癒えた。
挫いた足首にもかけてやると、たちどころに痛みが引いたようだった。
「サンチョ、あの水を汲んできていたのか。しっかりしているな。はっはっ。」
パパスの顔からは、先ほど傷を受けたときの苦渋に満ちた表情は消えうせて、代わりに落ち着いた笑みが広がっていた。
サンチョもそれを見て、魔物がそばに迫っているとはいえ、なかば安堵を感じた。
「だが、魔物らがもう追ってくるぞ。どこへ向かえばよいのだろう?」
そういえば、さっきまでは、斬りつけたアームライオンの傷から滴る血を道しるべがわりに進んでいたのだが、
このだだっぴろい部屋の中には、血の跡らしきものは全く見つからない。
天井の真ん中には大きな穴が開いていて、青空が手の届くほど近くに見えた。
そこからこぼれる日光が、床にくっきりと四角い陽だまりを投げかけていた。
「うむ、どうやら我々は、さっきの手負いの奴らに撒かれてしまったと見えるな。
たぶんさっきの旅の扉の向こうで傷でも癒しているのだろう。
どの道、今更ここでぐずぐずしていても埒が明かない。戻りようもないし、先へ進もう。」
「パパス様、あそこに階段が。」
サンチョは部屋の反対側の端に見える階段に目をやった。
それは、魔物の手から早く逃れようと焦る心には、果てしないかなたにあるようにも思えた。
だが実際には、そこまでの距離は、グランバニアの王宮の幅ほどにも満たないのだ。
二人の後ろの階段では、モンスターたちが押し合いへし合いしながら登ろうとする騒動が聞こえている。
「奴らももめているぞ。サンチョ、あそこまで走ろう。」
パパスの合図で二人は階段へと走り出した。
後ろを気遣い、始終振り向きつつ行くパパスと、まっしぐらに登り階段へと駆けるサンチョ。
わずかにサンチョのほうが、パパスよりも先を走っていた。
サンチョの足元で金属の擦れるような音がした。と思った瞬間、サンチョの体は天井高く跳ね飛ばされていた。
サンチョの視界いっぱいに青空が広がったと思うと、次には仰向けになって床に倒れていた。
何が起きたのか見当も付かなかった。
幸い、背負った背嚢がクッションになってくれたおかげで、大きな痛手はこうむっていない。
そろそろと起き上がったサンチョの目の前には、巨大な鉄の柱が五本ばかりもそびえ立っていた。
たった今までは無かったはずなのに。
その向こう側でパパスが呆然とした表情を見せている。額をさすっているのは、この柱にぶつけたためのようだ。
「この柱が突然床から飛び出して・・・それがお前を突き飛ばしたのだ。
サンチョよ、怪我はないか?私もホイミくらいなら唱えられるぞ。」
サンチョは柱越しに答えた。
「いえ、私は何とも・・・。それよりパパス様もお気をつけください。ほかにどのような罠が待っているかもしれません。」
「すまぬ、サンチョ。・・・おや、ようやく魔物どもが登ってきたようだぞ。」
まず登ってきたのはアームライオンだった。だが、アームライオンは、二人を追うかわりに、その場に佇んだまま、
深々と息を吸い込むと、あたりも揺れんばかりの咆哮をあげた。
「あわわわ・・・奴ら、どういう了見なんでしょう。」
「我々を脅そうとしてのものではないな。援軍でも呼んだかな?」
まさにその通りだった。間もなく、四角く区切られた青空の中に、ひとつふたつと紫の影が見え始めた。
「あれはホークマンだ・・・しまった!この部屋こそが巨大な罠だったのか。初めからここに追い込むつもりだったのだな。
まんまと魔物どもの術策に嵌まってしうとは、このパパスたる者、なんとふがいない。
だが諦めるにはまだ早いぞ。魔物どもに目に物見せてやろうではないか!」
「そうですとも、パパス様、まだ諦めるわけには・・・!」
サンチョも思わず応じて叫んでいた。
パパスは天井へ向かって剣を振りかざした。サンチョも隙のないよう頭上を見守った。
おびただしい数のホークマンが、天井の穴から飛び込んできた。ざっと見ても二十頭は超えている。
あれほどの数の魔物が、いったいこの野原の、この塔のどこに潜んでいたのだろう?
だが、そんな疑問を抱く暇などなかった。石斧を振る間もなく、サンチョは眉間をしたたかに蹴りつけられた。
激しいめまいに足がもつれ、思わず五、六歩と後ずさりしたサンチョ。
そして再び天井高くへと跳ね上げられた。やはり先ほどと同じく、床から飛び出した柱によるものだった。
サンチョの目に、ちらりとパパスの影が映った。サンチョのはるか足元で、ホークマンを六頭ほど相手に剣を振るっていた。
だが、その高みから、サンチョの体は弾みをつけて落ちていった。
床の石が見えたと思ったときには、もうその床に胸からどうと叩きつけられていた。激しく胸を打って、息をするのもままならない。
持っていた石斧もどこかへ飛んでなくなっていたが、サンチョには探すことなど無理だった。
どうにか手を付いて体を起こしたサンチョの目前には、ホークマンの刀の切っ先が鈍く輝いていた。
目を上げてみると、幾頭ものホークマンが周りに浮いてサンチョをねめつけている。眸が水銀のようにぎらぎらと光っている。
サンチョは、とっさに背嚢を下ろし、肩紐を両手で握った。これで盾と武器の代わりになる。
「さ・・・さあ、来るなら来てみろっ!・・・」
苦しい息の下から叫ぶが、ホークマンたちはただの一頭もサンチョの挑発になど乗ってこようとはしない。
サンチョの真後ろには先ほどの柱がある。サンチョの背丈の四倍はありそうだ。
この柱を背にしている限り、後ろから襲われる心配はないし、正面や左右の敵はかかってこない。
わずかに緊張を解いたサンチョの耳に、パパスの声が飛び込んできた。
「サンチョ!このままでは二人ともやられてしまう。私が魔物の注意をひきつけておくから、お前だけでも逃げるのだ!」
だがパパスの忠告は遅きに失したようだ。
ホークマンが一頭降ってきて、サンチョの頭頂部に激しく蹴りを入れたのだった。
目の前が真っ暗になった。白い星が目交いを飛んだ。
床に突っ伏したサンチョが正気を取り戻すまでに、遥かな時を経たように思えた。実際には十秒ほどだったのだが。
正気を取り戻したとはいえ、サンチョには立ち上がる気力がなかった。膝を突いて、はいずるように逃げ出した。
ホークマンたちは、サンチョの周りを取り囲むように浮いている。手を伸ばして届きそうな距離の、ほんのわずかに先にいる。
『連中はどうしてかかってこないんだ?こちらを殺そうと思えば、これだけの数だ、たやすい事だろうに。』
魔物が襲ってこないことは、サンチョにとっては安心できなかった。むしろ恐怖は募る一方であった。
なんとかこの状況を打破しなければならなかった。サンチョは力を振り絞って、両足で立ち上がった。
本能的にパパスの姿を求めたが、見えるのは自分の周りを取り囲むホークマンの姿と、
その向こうで駆けずり回る魔物たちの姿だけだった。連中もようやっと階段を登ってきたのだ。
両手に抱えた背嚢が重かった。よほど投げ出したかったのだが、身を守ってくれる物はこれしかなかった。。
腰の水筒を忘れたわけではなかったが、取ろうとすると自分に隙を作ることになるのだ。
先ほどのような一撃を食らうのはもう御免だった。
『・・・素直に降参したほうがいいのかもしれない。・・・』ふとそんな考えがサンチョの脳裏をよぎった。
そして、そんな想像をした自分が恐ろしくなった。
ともかく自分を取り巻いているホークマンらは、襲い掛かっては来ない。ならば・・・。
サンチョは少し足を速めてみた。ホークマンたちはサンチョを取り囲んだまま移動するだけで、やはり攻撃を仕掛けてこない。
さらに足を速めてみた。まだふらつく足では、これが限界に近い。
すると、意外なことがおきた。ホークマンたちが囲いを解き、サンチョの行くてを開いたのだ。
向こうには階段も見える。最初に登ろうと思っていた階段だ。
もう破れかぶれだった。この機会を逃す手はない。
「うおおお〜〜!!」サンチョは叫び、背嚢を振り回しながらよたよた走り出した。
モンスターたちがついて来ることなど構わなかった。上で何が待ち構えていようとどうでもよかった。
今のこの状態から逃げ出したかった。
階段はもう目の前だった。
サンチョは階段に跳びつこうと一歩大きく踏み出した。その足の下で、かちゃりと鳴るものがあった。
「!!」
足元をないがしろにするとは、愚かなことをしたものだった。これが三度目だった。サンチョの体は天井高く吹き飛んだ。
やはりあの、床下から飛び出す柱によって飛ばされたのだ。
飛び出した柱に腰の骨を打たれ、サンチョは自分の脚が氷のように冷えていくのが分かった。
視界の端に青空が見えた。その青空を目に留めたまま、サンチョの体は落ちていった。
『床にぶつかる・・・』
そう思ったとき、サンチョはふたたび宙に舞い上がった。落ちたところにも柱があったのだ。
既に逃げ延びるだけの力も精神も失われていた。全身が痺れ、痛みの感覚すら薄れていた。
自分の頭が石の床に衝突する鈍い音を耳にしつつ、サンチョは意識を失っていった。
ふと気づくと、サンチョは自分が闇の中にいるのを知った。
真の闇ではない。灰色の霧が立ち込めているかのようだ。
自分の肉体の存在が感じ取れない。まるで魂だけでどこかを漂っているかのようだ。
はじめは何がどうしたのか分からずぼうっとしていた。やがて、だしぬけにパパスの顔が脳裏に浮かんだ。
自分はパパス様を抛り出したまま、ひとり逃れようとしていたのだった。
いや、それとも、パパス様がそうせよとご命じになったのだったか・・・。
サンチョの意識はまた遠のいていった。
次に目を覚ましたとき、サンチョは自分の置かれた状況を、おぼろげながらも把握することができた。
体の至るところに鈍い痛みが走る。おそらく全身痣だらけになっていることだろう。
自分の体を調べておきたかったが、首にも痛みが走り、動かすのはやめておいたほうが良さそうだった。
目だけを動かして辺りを見ると、どうやら石造りの部屋らしいことが分かった。そこそこの広さがあるようだ。
どこからか光が入るのか、ぼんやりと明るい。自分はこの部屋の隅のほうに、仰向けになっているらしい。
なにか物音が聞こえないかと耳を澄ませてみたが、音はこそりともしなかった。
サンチョは再びうとうととまどろみ始めた。考えてみれば、ゆうべは一睡もせずに夜通し歩いたのだ。
あのロンティエを飲んだからといって、体の潜在的な疲れまでが完全に消え去るわけではなかろう。
再び目が覚めたときも、様子は先ほどと変わっていなかった。
相変わらず薄明かりの漏れてくる部屋の中で、体の打ち身がじんじんと痛い。
だが今度は、部屋の中に何者かがいるのを感じ取った。
モンスターか・・・それとも、パパス様か?モンスターであれば、もう逃れるすべはない。
サンチョは痛む首をわずかずつ捻り、その正体を探ろうとした。
部屋の中ほどの壁際に、黒ずんだ足が見える。パパス様の靴だろうか・・・?
その足の持ち主を見やったサンチョの淡い期待は、たちまちしぼんでしまった。
足の上にあったのは、青色のこわい毛並みだったのだ。これはオークキングの足だ。
オークキングは槍を構えてこちらを睨んでいるらしい。自分はモンスターに捕らわれているのか。
サンチョは運命を呪おうかと思いつめた。
だが、その時、どうやら部屋の中は自分とオークキングの二人だけではないらしいことに気が付いた。
まだ誰かがいる。しかもモンスター臭くないところからすると、人間・・・そう、パパス様に違いない。
サンチョは思わず首を捻って探そうとした。打撲の痛みが全身を駆け巡った。
「ウッ・・・」呻くサンチョ。オークキングは身じろぎもしない。サンチョの動きなど予想済みらしかった。
サンチョはなすすべもなく再び仰向けの姿勢を保った。
この痛みを除くのに、あの泉水が今ここにあればいいのだが・・・。そうも思ってみた。
しかし思うだけでは実現などしないのが世の常。サンチョは諦めて、再び目を閉じた。
ふと、ぬるい水が体に掛けられるような感覚を覚え、サンチョは眠りから引き戻された。
そして思わず戦慄した。サンチョの目と、オークキングの射るような白目がちの目とが合ったからだった。
オークキングはサンチョの頭の脇に立っている。こちらをじっと見下ろしている。
手には槍ではなく、たらいを持っていた。その不釣合いな格好も、サンチョの恐怖を解きほぐすことにはならなかった。
オークキングはたらいをサンチョの脇の床に置くと、中から白いものを取り出した。
なんと、手ぬぐいだった。モンスターが手ぬぐいを使うなど聞いたためしがない。
オークキングは、押し黙ったまま、濡れ手ぬぐいでサンチョの体を拭き始めた。
脂の浮いた顔面から始めて、頭と同じくらい太い首、がっしりとした肩、棍棒のような腕、
たるんで胸毛が茂った胸、発酵したパン生地のように膨れた腹、そして大事な部分。
サンチョはこのときになって初めて、自分が一糸纏わぬ生まれたままの姿に剥かれているのを理解した。
モンスターに裸にされたという恥のあまり、全身がかっとほてるのを覚えた。
オークキングはサンチョの丸太のような両脚を拭き、最後に両脚を持ち上げて、尻を拭いた。
魔物に遠慮なく体を触られるという行為に、サンチョは激しい恥辱を感じ、この世の何もかもが嫌になった。。
体の痛みはいつの間にやら薄れていたが、それすらどうでもよかった。
できることなら、今ここでこのモンスターと組み打ちしてやりたかった。
だが自分の今の力では、あべこべに組み伏せられるのがおちだ。
さすがにそれに気が付いたサンチョは、歯を食いしばって耐えるよりほかなかった。
サンチョの体を拭き終えたオークキングは、たらいと手ぬぐいを持って部屋から消えた。終始無言のまま。
だがサンチョは部屋の中にまだ誰か人の気配がするのを感じていた。存在を確かめるとしたら、今この時を措いてほかにない。
サンチョは身を転がし、右脇を下にして上半身を起こしてみた。わずかに打撲の痕が痛むが、無理なく耐えられる。
部屋の中ほどの壁際に、体が見えた。間違いなく人間のものだ。
『パパス様に違いない・・・!今サンチョがそちらへ参ります!』
サンチョは膝と両手を床につき、いざるようにしてその人物のもとへ向かった。
その人物も、人が近づいてくることが分かったのか、少し首を曲げてこちらを見やった。
サンチョは期待が外れてがっかりした。自分が寄ろうとしていた人物は、自分が探していた相手ではなかったのだ。
人間の男性だった。年のころはサンチョやパパスと同じくらいのようだ。肌は日焼けしている。
顔はあごが広くて四角張り、本来なら手入れのいいはずの口髭がざんばらに伸びていた。
髪は褐色で、眉も口髭も同じ色だ。鼻柱が太い。首も肩もがっしりとしている。
両腕の太さは一般人の太腿のようだ。分厚い胸と六つに割れた腹筋がその間にあった。
毛深い股間からは、太い逸物が頭を出している。その下には、頭の太さをゆうに超える筋骨の太腿があり、
鋼のようなすねと幅広の足へと続いていた。
パパスではなかったものの、このような所で人間に会うことができたのは心強い限りだった。
男は上半身を立てると、防御の姿勢をとった。サンチョを人間と判断してよいものかどうか迷っているものと見えた。
「そなたは・・・何者だ?」男は口を開いた。長年しゃべらずに来て、干からびてしまったような声だった。
「わ・・・私はサンチョと申す者です。グランバニア王家に仕える者です。」
「グランバニア・・・といえば、この塔の南にある国だな。」
この男は、自分の置かれた状況を論理的に理解しているらしい。サンチョは男を微少ながらも頼もしく感じ始めた。
「そういえば、この塔の南西には、教会と宿屋があったはずだ。おぬしは知っているか?」
「え、ええ、つい二日ほど前に立ち寄ってきたばかりですが。」
「私もそこに寄って来たのだが・・・なにか行方不明の戦士の話などは聞かなかったか?」
「そういえば・・・」
サンチョは、先日宿を出るときに、宿の夫婦が話していたことを思い出した。
一ヶ月ほど前に旅立ったまま帰らない戦士がいると。それがこの男なのだろうか?
「・・・たしかにそんな話を聞きましたよ。なんでも一ヶ月も前に立ったきりで、戻ってこないとか。」
男は壁にもたれた。あからさまには出さないが、苦悶の表情が見える。
「一ヶ月か・・・一ヶ月もこんなところで・・・」
それから戦士は、やにわに起き直り、人が変わったように話し出した。
「よいか、武芸達者の私ですらこのように捕らわれてしまっている。
そなたのような、ひのきの棒一本扱うことのできなさそうな者が、ここから逃げ出そうなどとは諦めたほうがよい。
・・・まだ名乗っていなかったな。我が名はディエゴ。はるか海のかなたのポートセルミの出身だ。
幼い頃より本で読んだ冒険者というものに憧れ、年来冒険の旅を続けてきたが、
モンスターどもに捕らわれるなどというためしは一度としてなかった。
それがこのざまだ。よく見てくれ、これが自分の力量におぼれて、魔物どもを嘲っていた男、
その男の成れの果てが、今ここにある私なのだ!」
ディエゴはサンチョの両肩をつかむと、がくがくと前後に揺さぶった。
『またこの人はずいぶんと大げさな表現を・・・』サンチョは思ったが、
この男は一ヶ月以上も人間と話していないことを思い出して、このくらいの行為は大目に見てやろうと考えた。
「ここにはそこそこ強いモンスターがいると聞いて来たのだ。
確かに、一匹や二匹では、とうてい私の敵ではなかった。だが、集団で来るとなると話は別だ。
私は奴らの手に落ちてしまった。身ぐるみ剥がされ、こんな塔の中にこうして・・・ヨヨヨヨヨ。」
戦士はさめざめと泣きじゃくり始めた。もともと感情の起伏が激しい性格なのか、
それとも久しぶりに人間に出会って感情の捌け口が見つかったからなのか、それは見当が付かなかった。
ディエゴはさっきから掴んだままのサンチョの肩を、自分にぐっと引き寄せた。
サンチョの顔にディエゴの顔の熱気が伝わるくらいそばまで。
そして、サンチョの肩に両腕を回すと、ひとしきり涙を流して泣いた。辛さと喜びの入り混じった涙だった。
「・・・ああ・・・人間のぬくもりとは、これほどまで温かく、安らげるものだったのか・・・。
もう人間の肌など二度と拝むことができないと思っていたよ・・・サンチョ殿、そなたに感謝するぞ。」
ディエゴの口髭が、サンチョの耳たぶをくすぐった。
サンチョはディエゴが自分に寄り添うままにしていたが、心の内ではどこか冷めたところがあった。
『しかし・・・たかが一ヶ月のあいだ、人の顔を見ないで過ごしたくらいで、ここまで人恋しくなってしまうなら、
ディエゴさん、あなたは冒険者など辞めて、町の衛兵にでもなっていたほうがよかったのでは?』
こんな言葉がサンチョの舌の先まで出かけたが、やはり黙っていることにした。
サンチョ自身、ひと月も孤独でいたら、こうして人間と話せる環境を追い求めるに決まっていたからだ。
サンチョの贅肉で盛り上がった胸と、ディエゴの筋肉で張り詰めた胸とがぴったりとくっつき合っていた。
ひとしきり泣いたあと、ディエゴはサンチョの肩を自分にぴったりと寄せたまま言った。
「ところで、サンチョ殿、ここにいると、そのうちあの魔物どもに、恐ろしい凌辱を加えられますぞ。
ただ捕らわれているだけよりも、はるかに恐ろしいことかもしれませんぞ。毎日のように私を・・・」
サンチョはきょとんとした。この男は毎日のように凌辱を加えられていると言いたいのだろうか。
「やつらが何かとんでもない暴虐を働くとか・・・そういうことですか?」
「ほとんどそう言ってもよいかもしれん。モンスターなどのために、あんなことを・・・くっ!」
ディエゴは唇をかんだ。よほど悔しいことなのだろうが、サンチョにはその詳細を推測するすべがなかった。
そのとき、どこからともなく影が現れ、二人の上に落ちた。先ほどのだろうか、オークキングが現れたのだ。
オークキングは後ろにアームライオンとシールドヒッポを従えていた。三頭とも二人を見つめていた。
やがてオークキングが口を開いた。やや鼻にかかっていたが、モンスターにしては意外にも品のある深い声だった。
「人間ども、時間だ。」
「じ・・・じかん!?なんの時間だ?何をしろというんだ?!」
サンチョは抗った。ディエゴがとどめようとしたが、サンチョを抑えるほどのことはできなかった。
「文句を言わずに来い。」
オークキングがそう言うと、控えていたアームライオンが進み出て、四本の腕でサンチョの両手首と両足首をつかみ、
二本の腕で頭を両脇からがっちりと押さえつけた。アームライオンの爪がサンチョの皮膚に食い込んだ。
268 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/06/11 20:44 ID:t42wlpgT
age
イイ(・∀・)!!
この長〜〜い駄文を2ch上で読んでくれる人なんているはずないと思っていたけれど。
いてくれたようです。ちょっと嬉しいな。
これからサンチョの運命がどうなるか・・・それは書いている私にもよく分かってないんで。
ほとんど即興で筆を進めている始末です。
アームライオンにがっちり押さえつけられたサンチョは、身動きすることを諦めた。
ここで暴れたところで、自分の皮膚がアームライオンの爪で破られ、血が流れるだけのことだと理解したからだ。
魔物に捕まるということだけでも不本意はなはだしいことであったのに、
その上わざわざ怪我を負って状況を余計に悪くするような愚かな真似はしたくなかった。
オークキングは、先ほど一言しゃべった後は、ぷっつりと黙り込んだ。話す無駄などしたくないとでも思っているのかもしれなかった。
沈黙を守ったまま部屋を出るオークキングの後ろに、サンチョの手足と頭を押さえつけたままのアームライオンが続いた。
サンチョは、どうやら、自分の後ろに、戦士ディエゴが付いてきているらしいことに気づいた。
それも、自分のようにモンスターに自由を奪われているのではなく、みずからの足で歩いているらしかった。
つまり、自分の意思でモンスターに付き従っているということだ。
安易に魔物に付き従って歩くなど、まっとうな人間のとる態度ではない。
サンチョは、脳裏に戦士の顔を不信の思いで描いてみた。
『ディエゴさんは、長いことモンスターに捕らわれていて、人間としての自尊心を失ってしまったのだろうか?』
オークキング、アームライオンとサンチョ、ディエゴ、それにシールドヒッポの一行は、建物の平らな屋根へとでていた。
そこは塔の中央付近らしかった。あたりの野原と遠くの森がよく見渡せた。
太陽が地平線近くに見えていたが、まだ空気が生暖かいことから判断して、どうやらこれから沈むところのようだった。
そして、建物の屋上でもある石の床には、本来ならおよそ魔物とは縁のなさそうなものが敷いてあった。
人が十人は横になれそうな、大きなじゅうたんだった。物はやや古いが、保存状態は決して悪くない。
アームライオンは、そのじゅうたんの上にサンチョを下ろした。隣にディエゴがやってきて、腰を下ろした。
「ほら、そなたも・・・」ディエゴに促されるままに、サンチョも腰を下ろした。
自分としては、魔物の言いなりになる人間に唯々諾々と従うなどというのはまっぴらだと思っていたにもかかわらず。
やはり精神が抜けてしまっているのだろう。パパスがいないことで、気もそぞろになってしまっているのだ。
今までずっとレスがついていなかったのが逆に面白かった
273 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/06/13 21:40 ID:995EUbyi
多分素晴らし過ぎて言葉もなかったんだろう
サンチョはそのまま尻をついて座り込んだ。右手から差す夕日が目にまぶしかった。
そのまま何事も起きなかった。ただ時間だけが経過していった。
アームライオンが身じろぎもせずに二人の男の裸体を眺めていた。
オークキングは彫像のようにすっくと起立したまま動かなかった。
シールドヒッポは相変わらず盾を構えていた。
サンチョは尻の下から絨毯越しに伝わる石材の深い冷えを感じていたが、身動きひとつすることはなかった。
何も考えていなかった。わずかにパパスの姿が網膜をよぎるだけだった。
王妃のことも、王子のことも脳裏から立ち消えていた。
怒りも悲しみもなかった。絶望さえも感じていなかった。
魔物たちが目の前にいる限り、逃げ出したり、勝手な行動を取ったりしてはいけない、そう無機的に感じているだけだった。
この場にパパス王がいない限り、自分にできることは何一つとしてなかった。
ただ、青空がうっすらと芥子の花の色に染まっていくのを見ていた。そうするよりほかはなかった。
この塔を訪れたときと同じ、音のない世界のただ中に、サンチョは座っていた。
風ひとつ吹くことのないこの塔のある平原では、空の移ろいだけが時間の過ぎ行くさまを知らせてくれるのだった。
夕焼け空は、屋根で覆われたグランバニアの街で暮らしているときにはまず見ることのないものだった。
これだけゆったりと夕焼けを眺めたことは、何年ぶりだろうか・・・。
ここにパパス様もいれば、どれほど和みになったか知れないのに。
黄昏の光の中で、かなたの森は砂鉄のような暗みを帯びていた。三頭の魔物たちの姿も、青銅のように蒼ずんでいた。
サンチョはまだ動かなかった。むき出しの背中に、わずかに冷たさを帯びた宵闇がまとわり付き始めた。
そのとき、かすかな音がして、サンチョは現実に引き戻された。
それと同時に、いつのまにか自分が夢想に浸っていたことにも気が付いた。
オークキングが歩いていた。歩いてサンチョから遠ざかっていた。
やがて、どこへ行くともなくその姿は消えていた。
どこへ去ってしまったのか、サンチョには見えなかったし、知ろうとも思わなかった。
ただわずかに胸の重荷が外れたような気がした。その微小な心の緩みをサンチョはいとおしんだ。
グランバニア王パパスの忠僕である男には、王をひたすら思うことがなにより貴重なことであるように思えた。
王を懐かしむことで、自分がいま置かれている、この非現実的な現実から眼を背けることが大切なことのように感ぜられた。
たかが耳元に音がそよいだくらいのことで、自分の魂を奪われかねない行動に移るなど二度ともってのほかだった。
首筋に熱を持った息吹がなびいたからといって、現実よりも現実らしい夢想から踏み出してみるつもりもなかった。
だが髪の毛をいきなり引っ張り上げられたとあっては、さすがの夢見る男サンチョも、
現実が真っ向から襲い掛かってくる様相を見つめぬわけには行かなかった。
サンチョが見た現実は、ひとつの殴打の形を取って現れた。
サンチョの下顎に激しく衝突し、サンチョの体を床に激しく打ち据えたそれは、隣に座っていたはずのディエゴの拳だった。
ディエゴは左の手に、サンチョの頭から抜けた髪を数本握っていた。
顔は上気して赤黒く染まっている。ゼイゼイとせわしない呼吸とともに、肩が大きく上下している。
「な、なにをするんで・・・」
サンチョにしゃべる隙を与えず、ディエゴの大鎚のような膝が飛んできて、サンチョのみぞおちにめり込んだ。
「・・・!!」
うめき声すら出なくなったサンチョ。力が抜けてたるみ、萎えきったその肉体を、ディエゴは、膝頭で押さえつけたまま、
丹念に仰向けにして、両腕を横へ伸ばし、両腿を開いて大の字を作らせた。
そして左手にまだ絡み付いていたサンチョの髪を自分の腰に擦り付けて払い落とすと、サンチョの胴をまたぎ、
その丸く膨らんだ腹に自分の尻を落とした。だがサンチョの顔と向かい合って座ったのではなかった。
どうにか息を吹き返したサンチョは、あまりの息苦しさに、空気を吸おうと半ば反射的に肱を付き、身を起こそうとした。
だが、首と腕は動くものの、そこより下は金縛りにでもあったかのように床に留めつけられたままだった。
『何がこんなに重いのだろう?』
正体を確かめようと、まだ痛む顎を引いて自分の腹を眺めようとしたサンチョの眼には、異様な物が映った。
筋肉質で素裸の男の後ろ姿だった。自分の腹に座り込んでいるのだ。男はむろんディエゴだ。
『・・・!?』
自分の体に腰掛けている理由を問いただしてやりたかったが、まだ息をするのも無理がある今の状態では、
口を利いて話をすることなどできるはずがなかった。
やがてサンチョは、息苦しさとはまったく別の感覚を感じた。いや、感覚というのは的外れだろう。
これは刺激と呼ばれるべきものだ。これは今までにもしばしば体験したことのあるものだ。
何だったのだろう。恐ろしいものではないはずだ。しかしこれを体験するのは、確か憚るべきことだったような・・・。
しばらく考えたサンチョの脳裏に、やっとその正体がひらめいた。そして戦慄した。
ディエゴが、たった今自分を殴り倒したこの戦士が、自分に打ちのめされた男の股間の逸物を弄んでいるのだった。
戦士のたくましい右手には、刀剣ではなく、サンチョの陰茎が握られていた。
手に余りある大きさのそれを、ディエゴは先端から基部へ、基部から先端へと手を巧みに滑らせて揉み擦っていた。
それと意識したときから、サンチョは自分の股間に意識が向いたままになってしまった。
意識が集中したせいか、それともそれとは関連のない単なる生理的な現象か、
いずれにしろ、サンチョの陰茎はしだいに熱を帯び、ディエゴの手に包まれながら硬直していった。
「あ゛っ・・・」思わずうめき声をもらすサンチョ。みぞおちを殴られてからしばらくたった今になって、やっと声が出たのだ。
サンチョの声が聞こえなかったのか、それとも聞こえても聴く意思などないのか、どちらにせよ振り向かないまま、
ディエゴはサンチョの陰茎が硬くなるにつれて、手を動かす速さを徐々に上げていった。
サンチョの心臓の辺りに熱いものが生まれた。それはたちまち脳天へと駆け登り、また手足の隅々まで奔流を作ってなだれ込んだ。
その熱源のもたらすエネルギーに満ち溢れんばかりになったサンチョの肉体は、どうしても身もだえせずにいられなかった。
「うあ゛っ・・・あっ・・・・・・ああ゛っ・・・」もだえるあまり、サンチョののどからも声が搾り出されてきた。
サンチョはほとんど異状と現実との区別が付かなくなった。
魔物に見張られている前で、筋肉質の男に性戯を仕掛けられるということが、普段であれば
どれほど不可解な光景であるかということを、まったく理解できない思慮状態に陥っていた。
そればかりか、それこそが自分のこの世界におけるただひとつの存在理由であるかのような錯覚すら感じていた。
だからこそ、このような言葉を口走ったのだ。
「ディ・・・エゴさ・・・ん・・・、もっと・・・もっと激しく・・・頼みます・・・」
それと同時に、サンチョは、熱いものが自分の陰茎を駆け登るのを感じた。先端から何かがあふれたようだった。
サンチョの丸い腹が大きく揺らいだ。体はますます熱くなる一方だった。
ディエゴの背中にも力がみなぎるのが、サンチョの目にもはっきり見て取れた。皮膚の下で筋肉が張り詰めて筋張っていた。
戦士の手は、さらにその力強さを増した。サンチョは自らの股間に、その手の動きと熱と汗とを感じ取った。
そして、ふたたび体内を熱気が駆け巡るのを感じた。
「はあ、はあ、・・・ああっ・・・あっ・・・い、行きます・・・」
サンチョの体躯を貫くように、輝く錬鉄のようなものが疾駆した。
それは、体のあらゆる部位の力を率いて、魂の叫びのように、サンチョの陰茎の先端からほとばしり出た。
「ああうっ・・・はあ・・・はあ・・・はあ・・・はあ・・・」
すっかりエネルギーを消耗したサンチョは、たった今まで全身にみなぎっていた熱気に思いを馳せつつ、
恍惚としたまま絨毯の上に横たわっていた。顔には笑顔にも似た表情が浮かんでいた。
力は抜け切ってしまっていたが、これほどの満足感を味わったのは何ヶ月ぶりであったろうか。
ディエゴはサンチョの腹からおもむろに尻を持ち上げると、またいでいた脚を元に戻し、サンチョの右脇に両膝を付いた。
そして、左手でサンチョのみぞおち−先程ディエゴ自身が蹴り上げた場所−をさすりながら、つぶやくように語った。
「すまぬ・・・すまぬ事をしてしまった・・・サンチョ殿。許してくれ・・・。」
ディエゴの右手の指は、白い濁りを帯びた粘体で覆われていた。額には汗が珠になってかかり、
髪の毛がべったりと張り付いていた。頬にはまだ赤みが残り、呼吸の荒さもまだ残っていた。
サンチョは、無論ディエゴがつい先ほど自分を蹴り倒したことを忘れたわけではなかったが、
あのような快楽の行為のあとに恨みがましい事を話すのも水を差すようで、そんな事を述べるつもりは毛頭なかった。
それに、戦士ディエゴの人柄では、サンチョに対して憎しみや恨みを巻き起こすことができなかった。
ヒゲ面で、涙もろく、自分の感情にほだされやすいこの男を、サンチョはいとも呆気なく許してやっていた。
まだほてりの残る上半身を、ゆったりと起こし、サンチョはディエゴに言った。
「いいんですよ、ディエゴさん。突然のあの行動の理由を知りたいのは確かですが、
ディエゴさんだって意味もなしにあんなことに踏み切ったわけではないでしょう。それに・・・」
ここでサンチョは少し顔を赤らめた。「・・・さっきの手捌きは見事でしたよ。」
ディエゴは膝を突いたまま、深々と頭を下げた。「すまなかった、サンチョ殿・・・。申し訳ない。このとおり。」
いつの間にかオークキングが戻ってきているのに、二人はこのときになってはじめて気が付いた。
オークキングは小さな金属の碗を持っていた。鼻を鳴らして何事かアームライオンと話しているようだった。
「おおかた、そなたを先ほどの部屋に連れ戻す算段でもしているのだろう。」ディエゴが二頭を見やって言った。
「それはあのアームライオンがする仕事なんでしょうな。ところで、オークキングが持っているあの茶碗は何でしょうね?」
サンチョはなんということもない雑談のつもりで話したのだったが、ディエゴはびくりと背筋を伸び上がらせた。
「しっ!それを話してはならないぞ!」
なぜそんな事を口走ったのかは分からぬままに、サンチョはディエゴの忠告に従った。
あとから尋ねる機会もあるだろうと思ってのことだった。
壁|∀・*)ドチドチ
280 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/06/15 03:16 ID:4bBxMd0Y
(*゚∀゚)=3キタキタ…
オークキングとの話を終えたアームライオンが、男たちのほうに近寄ってきた。
自分を先ほどの部屋に連れ戻すつもりなのだろう、そう考えたサンチョは、いつ掴まれてもいいように身構えた。
さっきのように、アームライオンの爪で痛い思いをするつもりは毛頭なかった。
アームライオンは、ここに登ってきたときと同様に、四本の手でサンチョの両手首、両足首をつかみ、
残りの二本の手でサンチョの両目をふさいだ。肉球の生温かな感触が、サンチョのまぶた越しに伝わってきた。
サンチョは何も逆らわずに、されるがままに従っていた。ここで逆らっても、相手にダメージを与えられるわけでもなく、
逆に自分の命を失いかねないことを、分かりすぎるくらい分かっていたからだ。
やがてアームライオンがサンチョの顔から手をよけた時には、サンチョは既に先ほどの石造りの部屋にいた。
どこを通って、どのように入ってきたのか、全く気づかなかった。
そういえば、この部屋を出るときも、いつどうやって出たのか分からなかった・・・サンチョはその事実に気が付いた。
「ガルルッ・・・ガウウ・・・。」アームライオンは低くうなると、後ろを向いて歩き出した。部屋から出るのだろう。
思わずサンチョは忍び足であとを追ってみた。相手が感づかないよう、15歩ほどの間を置いて。
出入り口の場所と、その開閉の仕組みを見つけてやりたかった。あわよくば、そこからすり抜けて逃げてやるつもりだった。
アームライオンは、壁のごく狭いくぼみに身を滑り込ませた。魔物自身がやっと入れるくらいの幅だ。
『ここが出入り口か!?』
サンチョはくぼみから五、六歩しりぞき、恐る恐る覗いてみた。しかしそこには何の影も見当たらなかった。
『やはりここが出入り口なのか・・・だとすれば、私もここから・・・!』
サンチョはそのくぼみの中に、注意深く片足を踏み入れてみた。何も起きなかった。
思い切って全身を入れ、立ってみた。まったく変化は生じなかった。
サンチョは、部屋から出る試みが失敗に終わったことに、ひどく失望した。同時に、その失望を凌駕する感情が沸き起こった。
『ここが出入り口でないのなら・・・あの魔物は・・・どうやってこの部屋から出たのだ!?』
ほとんど恐怖と言ってもよいくらいの衝撃に襲われた。頭蓋の中で脳がくるめいているようだった。
サンチョは文字通りに両手で頭を抱え、くぼみから抜け出した。
そして、この状況では、あまりありがたくもない声を耳にした。
「な、なんだ、サンチョ殿は、そこにおられたか!」
いつの間にかディエゴが部屋に戻ってきているのだった。
あまり助けにはなりそうにもない男だが、孤独であるよりははるかにましだ。サンチョはディエゴの事をそう受け取るようになっていた。
なんにせよ、ディエゴさんは自分に比べて、ここの状況に詳しいはずだ。
「いつの間に、どこからどう戻ってこられたんです?」サンチョは質問した。
有用な情報を集めるためにも、また会話をとおして自らの不安を払拭するためにも、この男と話すことは必至だった。
「それが私にも・・・まるきり分からないのだよ。」ディエゴは答えた。
薄暗い中で、ディエゴの顔が苦笑するのをサンチョはわずかに確かめることができた。
「どうやら魔法の力らしいぞ。生まれつき戦士の私にはてんから分からぬことだが。」
「魔法・・・ねえ。モンスターが、ですか・・・?」
無論サンチョとて、魔法や呪文の知識が無いわけではない。ルーラやリレミトなどがどのような魔法かは知識として持っている。
自分はわずかに、身の守りを上げる呪文、スクルトをかじっているだけの身であるが。しかもまだうまく詠唱することもできないのだ。
自在に移動魔法を使える魔物がいる、という推測が、そんなサンチョをさいなんだ。
「魔物が呪文を唱えられる、だなんて。悔しいですよ。でしょう、ディエゴさん?」
「いや、それについては私は何とも思わないのだが。武芸達者の身としては、剣を奪われたことが悔しいな。」
たしかに戦士なら、誰もがそう答えるであろう。おそらくパパス王も同じような答えを返すはずだ。
「巧妙に隠された出入り口が、どこかにあるのでは・・・。」
「サンチョ殿、出入り口を探してみたことは、私だってあるとも。しかし、仕掛け扉すら見つからないとなると、
これはどうしたって魔法の力で出入りしているのではないかと思ってしまうのだ。」
「しかし、アームライオンごときが、魔法など使いこなせますかねえ。」
「私に尋ねられても、それは分からぬ。それより今は夜だ。どうせ逃げられないのだし、ゆっくり休もうではないか。」
サンチョは全く眠たいとは感じていなかったのだが、ディエゴが自分からさっさと横になってしまうものだから、
話を続けるのにも自分の体を横たえるしかなかった。
「サンチョ殿、先ほどはすまなかった。そなたの腹に腰掛けたこと、そなたの男の宝を弄んだこと、なにとぞお許し願いたい。」
左隣に横たわったサンチョに、ディエゴはつぶやくように語り掛けた。
「ディエゴさん、もうそのことはお構いなく。私は気に病んでおりませんとも。」
サンチョは慈愛をこめて言葉を返した。少なくとも、自分ではそのつもりだった。
にわかに、ディエゴの分厚い右手が、サンチョの左腕をつかんだ。岩のような腕がサンチョの胸にのしかかった。
ディエゴは、そのまま力任せに、サンチョの肉体を自分の胸に引きずり上げた。ディエゴの大胸筋がめりめりと張った。
いきなりのことで、驚いて息もつけずにいるサンチョを、ディエゴは自分の体の上にうつぶせに置いた。
四角い髭面と丸い髭面が向き合った。隆々とした二本の腕が、脂で膨れた体を万力のように締め付けた。
「突然こんなことをしてすまない。」
ディエゴはサンチョを抱きしめながら謝罪の言葉を述べた。
サンチョはまるで芯のない案山子のようにぐんにゃりとして、されるがままになっていた。わずかに息を弾ませていた。
「そなたにはきちんと話さねばならぬ・・・魔物たちがなぜ我々をこうしてとりこにしているのか。」
ディエゴはサンチョの耳元に唇を寄せるとささやいた。サンチョの耳たぶにディエゴの髭がぶつかり、さやさやと鳴った。
サンチョはディエゴの両肩に腕を回すと、顔をディエゴの髭から遠ざけつつ言った。
「ディエゴさん・・・髭が痛いですよ。少し離してくださいませんか。で、魔物たちとは・・・?」
ディエゴは一呼吸すると、小声で言った。
「どうやら、魔物たちには、人間の男が必要らしいのだ。」
「へ?お、男が!?子供を生める女ならまだしも・・・」
「しっ・・・!声が大きいぞ。私にも何故なのかは分からない。だが、断言できるのは、・・・」
ここでディエゴは再び息を深く吸った。ディエゴの胸とともに、サンチョの体も上へと持ち上がった。
今しがたの自分の発言のおかげで、サンチョの脳裏にはマーサ王妃とリュカ王子の姿が錦織のように浮かび上がっていた。
『子供を生める女、か・・・マーサ様も、リュカ坊ちゃんを生んでさらわれてしまったが・・・。』
ディエゴは息をゆっくり吐き出した。そして話の続きを始めた。
「・・・断言できるのは、私の男の汁を、奴らが集めているということだ。」
「へ?」
「私はたしか、昼間に、魔物どもから屈辱を受けていると話したと思う。先ほど私がそなたに対してした行為・・・
私は、あの行為を、魔物どもに、毎日強制されてきた。ここに囚われの身となってから、毎日だ。」
「しかし、そんなものを集めて、どうするんでしょうね。それで、ディエゴさんだって、拒んだりはしたんじゃないですか?
人間としての誇りをそうやすやすと魔物になど奪われるつもりはございませんでしょうし。」
「・・・無論、私だって、はじめは連中の強制になど従わなかったさ。だが、連中は、なんとしても男の汁が欲しいらしかった。
拒むと、槍で刺されたり、刀で斬りつけられたりというのはごく当たり前だった。二度ばかり・・・」
ディエゴは言葉を止めると唇をかんだ。サンチョを抱擁する両腕に力が入った。
「・・・翼のある魔物どもに吊り上げられて、塔のてっぺんから落とされたこともある。」
思わずサンチョは息を呑んだ。
「ひええええ!そ、そんな目にお遭いになっていたとは・・・。しかし、それでどうして今、こうしてここで平気なのですか?」
「奴らは不思議な薬を持っているのだ。ただの水のようだが、青い煙を上げているのだ。
どんな傷でも怪我でも、その水をかければたちどころに癒えてしまう・・・。
そうして、奴らは、際限なく暴虐の限りを尽くすことができるのだ!魔物どもめ、なんと陰険な真似を・・・。
明るくなれば分かるだろうが、私の体には、連中にやられた傷の痕が白く残っている。」
サンチョは二重の驚きに包まれた。ひとつは、ディエゴが受けていたという暴虐が、サンチョの想像を超えていたこと。
そしてもうひとつは、戦士の語る『水』というものが、パパスの話にも出てきたあのロンティエであることを悟ったことだった。
『魔物たちは、あの水を使っているのか・・・。しかし、それでは、グランバニアの伝説は成り立たないのでは?』
「その魔の水のおかげで、私がこんなに生きながらえているのだが・・・
だが、あんなものを浴びてまでこのような生き恥を晒すのなら、一思いに殺されてしまったほうが・・・うっ、うっ・・・」
ディエゴはサンチョを抱いたまま泣きじゃくり始めた。
サンチョは、戦士を励まそうとしてこう言った。
「いやいや、ディエゴさん、死ぬことなどお考えになるなんて馬鹿げていますよ。
死んじゃったら逃げ出すこともかないませんし、だいいちこうして私とディエゴさんが出会うこともなかったでしょう。
三人いれば、ここから逃げ出す策略だって、きっと思い浮かびますよ。ね?
ですから、ほら、涙を拭いて・・・ゆっくり休みましょう、明日に備えて。
ディエゴさんが私の体をあんなに弄んだことは、もう許しておりますし。」
サンチョは、自分でしゃべりながら、まるで小さな子供に向かって話しかけているような気がしないでもなかった。
この戦士は、遊び盛りの少年を思い起こさせる。感情の起伏が激しいところなどもそうだ。
それで思わず、こんな子供に語るような内容を言ってしまったのだが、ディエゴはその事についてどうとも思わなかったらしい。
むしろ戦士の関心をそそったのは、サンチョが「三人いれば」と言った点だった。
「・・・サンチョ殿、我々は二人きりだ。三人とはどういうことかね?」
そうだった。当然といえば当然だが、この戦士は、サンチョがパパスと二人でこの塔へ来たことを知らないのだ。
サンチョは話をあまり大ごとにしたくはなかったが、さりとてパパスの存在を語らないわけにもいかなかった。
「ディエゴさん、私はここに独りで来たわけじゃないんです。連れがおりまして・・・」
目上であるパパス王を「連れ」と説明するのには少なからぬ抵抗があったが、この状況では仕方あるまい。
「・・・やはりこの塔にいるはずです。どこかで私たちと同じように魔物に捕らわれているのかもしれません。」
「この部屋から自由に出られないのであれば、どこにいるのか分からぬ人のことなど話されても、
寂しさが募るばかりだ、サンチョ殿。今ここにいない者の話など・・・すまぬがよしてくれ。」
しばらく沈黙が続いた。
サンチョは、夕暮れ時のあのディエゴの行動について、その真情をもっと詳しく知りたかった。
二人の間の沈黙を破るのもやや勇気が要ったが、自分にはたずねる権利があると思った。
「ディエゴさん、あの、夕方はどうして、ご自分ではなくて私の汁を・・・?」
ディエゴは渋面を作った。
「その話も、すまぬが辞めてくれ。ただ・・・私は悔しかったのだ。わが身だけが蹂躙され続けることが。」
そして会話は途切れた。
やがて二人の呼吸は、ゆっくりとしたものに変わっていった。
ディエゴは寝入りばなに一言だけ告げた。
「サンチョ殿・・・そなたの体・・・は、なんと温かいんだ・・・。」
暗い石壁の部屋の中で、二人の男は抱き合ったまま眠りについた。互いの温もりを素肌ごしに感じていた。
287 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/06/16 22:02 ID:7jWCnSFA
サンチョ萌え
やがて朝が来たようだ。
どこからともなく漏れ入る日の光で、サンチョはそれと気づいた。
仰向けになったサンチョの胸には、ディエゴが頭をもたせ掛けたまま、苦しそうな息遣いで眠りこけている。
両腕はサンチョの脇腹に回したままだ。
サンチョは、ディエゴを起こすまいと気遣って、そっと腕と頭をはずすと、自分の隣に下ろした。
そして、静かに立ち上がると、部屋の壁際へと歩いてみた。なんとしても部屋の出口を知りたかったのだ。
まず、サンチョは、自分たちが閉じ込められているこの部屋のつくりをよく調査することにした。
部屋の形は、ほぼ八角形。頂点に当たる部屋の角には、人間が二人入れるくらいのくぼみがある。
ゆうべアームライオンが消えたのも、このくぼみのひとつだ。
部屋の内装は、床も、壁も、天井も、すべて頑丈な石造りだ。天井までの高さは、人間二人ぶん以上はあるだろう。
窓や戸口はいっさい開いていない。燭台やランプなどの光源もなかった。
『それなら、この漏れこんでくる光は、どこから来るのだろう?』
気になりだしたサンチョは、戦士を起こして探すのを手伝ってもらおうとして、男のほうへ足を向けた。
だが、やはり考えを変え、自分ひとりで見つけ出すことにした。
ディエゴとてこの光の出どころを探ってみたことがないはずはなかろう。
それで今でもここにいるということは、その日光の差し込み口から逃げることはできないということだろう。
助力を求めたところで、「諦めたほうがいいぞ」と愚痴られるのが落ちだろう。
相談してみるだけ無駄だろうと踏んだサンチョは、ディエゴを起こさずに、再び壁際へと戻った。
出口をこっそり見つけ出して、ディエゴの驚くさまを見たい、という茶目っ気も、どこかに混じっていた。
『どうやら、壁の一番上の天井際に、わずかな隙間が開いているようだ・・・。』
壁をじっくりと調べたサンチョは、ひとつの発見をした。
しかし、あのような高いところでは、ディエゴとサンチョの二人がかりも、到底届きそうになかった。
光の入射は解明できた。そこからの脱出あたわざることも理解できた。
しかしまだ落ち込むには早い、サンチョはそう信じていた。
パパス様なら・・・ここにパパス様がいたなら・・・決して諦めないであろう。
扉を打ち壊してでも脱出しようとなさるだろう。まさかこの石壁が壊せるとは思わないが。
しかし今はパパス様はおいでにならない。いるのは自分自身と、ちょっと頼りない戦士だけだ。
サンチョは少し頭をめぐらせ、ごく単純な手段を思いついた。
『モンスターはまたこの部屋に入ってくるだろう・・・どうやって入ってくるかを見張っていればよい。』
サンチョの読みは当たった。
魔物がどこから部屋に入ってこようと見えるように、部屋の中央に移動して間もなくのことだった。
壁際の八つのくぼみのうち、ちょうどサンチョの真正面にあったくぼみの壁が、なにか奇妙な様相を呈し始めた。
その奇妙さは、口ではうまく説明できなかった。しかし、それは注目するに値するものであった。
くぼみの奥の壁が、音もなく下へと滑り降りていたのだ。
壁の上には隙間が現れた。隙間からは黒い足が見えた。
壁が降りてくるに従って、黒い足の上の青いすね、帯を巻いた腰、荒地の布の服をまとった太い胸が次々に現れた。
『驚いた・・・魔物の塔にこのようなからくりがあったとは!』
オークキングが降りてくるその真正面で、サンチョはあんぐりと口を開けていた。
かつていにしえの時代に、このような仕組みを造った錬金術師がいたという。
上下する床のからくりで宝を守っていたというが、サンチョたちの生きる現代ではとうに忘れ去られた技術であった。
エレベーターなど見たことも聞いたこともないサンチョが呆然とするのは当然の行為であった。
事情の重大さに気づいたサンチョは、慌ててディエゴを起こしにかかった。
「ディエゴさん、起きてくださいよ、ディエゴさん!」
頬をぴしぴしと数十回も打ったか、ディエゴはやっと薄目を開けてくれた。
「おお、サンチョ殿・・・夢ではなかったのだな。サンチョ殿・・・」
目を開けてサンチョの丸い顔を見出した、と思いきや、ディエゴはのっそりと起き上がり、
サンチョのまるまるとした体を腕ごと抱きしめた。
サンチョの皮膚に染み出た脂が、ねっとりとディエゴの筋肉にまとわりついた。
「ちょ、ちょっと、ディエゴさん・・・はぁ〜。」
起き抜けに男を抱こうとする戦士の欲望を全身で受け止めるべきか、
それよりも自分たちが逃げ出せるための大切な手段を発見したことを伝えるべきか、
一瞬サンチョは戸惑った。今なすべきことは後者であることは、重々理解していたにもかかわらず。
ともかく、大切なことは告知しなければならない。
「ほら、ディエゴさん、オークキングが降りてきましたよ!どこから出入りしているかが分かったんです!」
「おお、サンチョ殿・・・」
「やっと気づいてくださいましたか!さあ・・・」
「・・・こうして二人で抱き合っていれば、あんなイノシシなぞ恐るるに足りん。もっとそなたを受け入れたい・・・むにゃむにゃ。」
「ディエゴさん・・・ディエゴさん!まだ寝ぼけてらっしゃいますね?早く、早く目覚めて・・・」
サンチョは、ディエゴに手っ取り早く現実に帰ってきてもらうには、強硬手段に訴えるよりほかないことを悟った。
自分だって男に生まれた身だ、どこをどうすればよいのかくらい知っている。
サンチョはディエゴの股間の袋をつかむと、思い切り握り締めた。
「うおおお〜〜〜!!!うお゛、うお゛、うお゛うおおぉぉ!!!」
効果覿面。サンチョはひとりほくそ笑んだ。
そんなやり取りを続けている裸の男二人を、二頭のオークキングが身じろぎもせずにただ見つめていた。
ミ,,゚Д゚ ディエゴノヤロウ…
292 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/06/21 18:14 ID:+6hMR4CI
良スレ
>>291 このスレ専用のオリジナルキャラにあまり嫉妬しないでくだされ・・・。
激痛とともにすっかりうつつに返ったディエゴは、腑抜けのように腰を落としていた。
両腕はまだサンチョの両脇に回している。目は痛さのあまりににじみ出た涙で濡れている。
「サンチョ殿・・・そんなに私のことが憎いのかね?」つぶやくような声で尋ねかけてきた。
「ご、誤解なさらないでくださいよ、ここから出る方法が分かったと申し上げているだけです!」
この男はここから逃げる気力を失ってしまったのではないか・・・ふとそんな疑念がサンチョの脳裏をよぎった。
ディエゴがここから逃げる気もなく、廃人同様の生活に身をやつす以外のことを考えていないのなら、
自分もここに閉じ込められたままになってしまう。
そうすれば、パパス王を探しに行くこともままならず、ましてやマーサ王妃を救いに行くなど不可能になる。
そして・・・グランバニアの城にも、リュカ坊ちゃんにも二度と会えなくなってしまう。
サンチョにとってはこれほど恐ろしい事はなかった。自分は苦しむためにここに来たのではない。
マーサ様を見つけて、パパス様と三人で・・・いや、この戦士も加えて四人で城に帰るのだ。
そして、それには、ディエゴの積極的な協力も不可欠であった。
戦士であるならば、戦いの腕前も決して低くはないはずなのだ。
オークキングたちは、たらいを抱え、先ほどからただ立って眺めているだけだった。
だがやがて、二頭のオークキングの片方が、おもむろに近寄ってきて言った。
「朝だ。」
人の言葉を操れるモンスターは知性が高い。そんじょそこらの人間と比べても引けをとらない。
自分の考えなど、ひょっとするとお見通しなのかもしれない、そうサンチョは思った。
そして、その考えを裏付けるような行動を、サンチョはみずから体験する羽目になった。
オークキングはたらいを下ろすと、懐から一条の縄を取り出した。それを見たもう一頭のオークキングが、つかつかと寄ってきて、
ディエゴの両肩を両手でつかんだ。抱き合っている人間どもを引き離そうという魂胆だ。
「おぉぉ・・・俺はサンチョ殿と離れたく・・・ないっ!やめろっ!」
そう叫ぶディエゴは、ほとんど投げ飛ばされんばかりに、部屋の片隅へと引きずられていった。
サンチョの体にしがみつこうとして立てた爪が、脂ののった皮膚を裂き、行く筋かの赤い血をほとばらせた。
思わずディエゴを引きとめようと手を出しかけたサンチョも、もう一頭のオークキングに耳を引っつかまれて、
部屋の反対側の端へとずりずり引かれていった。
ディエゴの爪が食い込んだ痕から血が滴り、ひりひりと疼いた。
むき出しの尻とかかとが石の床とこすれ合い、ひどくほてった。
サンチョを壁際まで曳いてきたオークキングは、先ほど取り出した縄でサンチョの足首を固く縛り合わせた。
歩いたり走ったりできないよう先手を打ったのだ、ということが、サンチョにも読めた。
やはり魔物どもは、自分が逃げようと考えていることなど、とっくに予想していたのだろう。
オークキングは部屋の真ん中に戻り、先ほど置いたたらいの前で何かしているようであったが、
やがて濡れた手ぬぐいを持って戻ってきた。
『つまり、これは・・・昨日と同じってことか。またモンスターに体を触り放題に触られて・・・自分は抵抗もできない!』
だがせめて、もがくなり、のたくるなりして、反抗の意思を表明するくらいはできそうに思えた。
そこでサンチョは、オークキングが自分の髪をつかんだとき、精いっぱい暴れようとした。
だが、手ぬぐいが肌に触れるやいなや、そのような抗いなど何の価値もないように感じてきた。至福が全身にみなぎった。
この手ぬぐいの水は、まさに神の水と呼ばれるにふさわしい水であった。
あらゆる痛みを癒し、傷をふさぎ、苦しみもつらさもなだめてくれる水・・・。ロンティエ。
グランバニアの秘宝とも呼ばれたこの霊水は、いまサンチョの心と体を癒しつつあった。
しかし、もしかすると、それはうわべだけのことで、実際には阿片のようにサンチョの魂を堕落させているのかもしれなかった。
少なくともディエゴにはそのように効きつつあったようだ。
男たちの体を拭き終えたオークキングらが再びエレベーターで昇っていく後姿を、サンチョは歯軋りをしながら睨みつけていた。
逃げ出せない悔しさと、いやおうなしに体に触れられるという辱めの両方にさいなまれていた。
そしてディエゴのほうを見やった。戦士はごろりと床に寝そべったままだ。
「ディエゴさん!」
縛られたままの脚の縄を解くのももどかしく、サンチョは両手と脚とでバッタのようにディエゴのところへと駆けた。
戦士は笑っていた。みぞおちを細かに震わせながら、かすかに声を立て、痙攣したように笑っていた。
「ふ・・・ふはは・・・ふはははは・・・おお、サンチョ殿か。どうなさった?ああ、いい気分だなあ。」
「ディ・・・ディエゴさん!?大丈夫ですか?お・・・お体の具合でも?」
「私の体かね?ふははは・・・心配せんでもよろしい。ここしばらく、こんないい気分が毎朝味わえるのだよ。
ふふふ・・・あのモンスターどもには感謝しなけりゃならん。サンチョ殿もどうだ?ふっふふふ・・・ははは・・・。
ここで暮らせば、奴らが毎日こんなに気持ちのよい行為をしてくれるのだよ。やー、いいぞぉ。ふははははは・・・。
ただし、昼下がりには、この効き目は消えてしまうのだがな。ふははは・・・
連中が午後にもやってきてくれればよいのだが・・・ふっふふふ・・・。」
『この戦士は、すでに人間としての誇りを失っている・・・。』サンチョはそう判断した。
そしてすぐさま、自分が誤った判断を下したことを後悔した。
ゆうべ、初めて話しかけてきたときは、ごくまともな人間だったではないか。
屈辱と恥を嫌い、人間としての誇りをしっかりと保った、人間らしい判断力の持ち主だったではないか。
『あの水が悪いのか・・・グランバニアの秘宝といわれる、あの泉水が・・・。』
国の宝にこのような恐るべき作用があるなどとは、サンチョは信じたくはなかったが、認めざるを得なかった。
『この泉をついに見つけられなかった王がいた』という話をパパス様は自分にお話しになったが、
実際のところは見つけられなかったのではなく、この強烈な作用のために封印されたのではなかろうか。
しかし今のところ、それはどちらでもよいことだった。
恍惚状態のディエゴから少し離れて、サンチョは足首の縄をほどきにかかった。
オークキングがかなり固く結び目を作っていたため、やや手間がかかったが、ともかく自由になることはできた。
『あのくぼみの奥の壁・・・あれが上下するのか。せめて動くからくりが分かればなあ・・・。』
サンチョは、先ほどオークキングがエレベーターシャフトとして使っていたくぼみの中に入ってみた。
オークキングのこわい毛が二、三本落ちていたが、壁は何事もなかったようにぴったりと閉ざし、
動く気配はもとより、緩む兆しもなく、毛の入るほどの隙間さえも探し当てられなかった。
予想はしていたことであった。さほど落胆はしなかったが、それでも気持ちが陰鬱になるのには変わりはなかった。
『せめて・・・せめて何か、武器さえあれば・・・。』
だが、この部屋にあるものといえば、先ほどの縄一本のほかには、自分たちの生身の肉体だけだった。
ディエゴに相談を持ちかけようと思ったが、あの酔いつぶれたような恍惚状態では、実りある会話など期待できなかった。
だがサンチョは、ここに一ヶ月も幽閉され続けているというディエゴについて、ふたつ疑問を持った。
いたって簡単なことだった。
『食事はどうしているのか?』
『トイレはどうしているのか?』
こんな質問が思い浮かぶのは、サンチョ自身に多少の冷静さが出てきた証拠であった。
また、サンチョの膀胱も、いささか張り詰めてきたという事情もあった。
そして、こんな卑近な質問なら、いかに恍惚状態にあろうと、まともな答えが返ってくるものと期待できた。
「ディエゴさん、トイレはどこですか?」
サンチョが耳元で語りかけると、戦士はゆっくりと首をめぐらせ、目を合わせた。
「ちょうどそなたの尻の下だ・・・石をはぐってみたまえ・・・ふははは。」
言われて見てみると、たしかにサンチョの足元の敷石のへりに、指が三本かかるほどの隙間があった。
わーい続いとるー
乙です!!
>>298 どういたしまして。
これからもまだまだ続きます。
正直ここまで長い作品になるとは、自分でも思っていませんでしたが。
たぶん40レスくらいで終わるかな・・・と当初は思っていたけど、気づいたらNo.100が目の前。
このあと、ちゃんとパパスも復活する予定です。
サンチョは石の隙間に指をかけ、そろそろと起こした。倒して指を挟まないように注意しつつ立ててみた。
石の下は、薄汚れた穴が開いていた。鼻を鋭くうがつ臭気が立ちのぼってきた。
「うわっ、くさいな・・・仕方がないか、トイレだものな。」
サンチョは石蓋を倒さないように片手で支えつつ、穴をまたぐようにしゃがみこんだ。
・・・チョロ・・・ジョボ・・・チョロロロ・・・ピチャッ・・・
「ディエゴさん・・・あまりこっちを見つめないでくださいよ・・・。」
サンチョはどうにもいずまいが落ち着かなかった。戦士はサンチョの放尿を見つめている。瞳が黒い光をらんらんと放っている。
サンチョの股間とディエゴの顔との間には、石の蓋が立ててあり、いちおう目隠し代わりになっているのだが、
その高さは手の指をいっぱいに広げた幅ほどしかないため、ディエゴが少し身を起こしさえすれば、
サンチョの股間がもろに見られてしまうのだった。そして実際、戦士は片ひじをついて、上半身を斜めに起こしていた。
そして言った。
「ふっははは・・・サンチョ殿、用足しが済んだら・・・私と一服してくれないか?」
「へ?・・・つ、つまり、この私めと枕を交わしたいという・・・!?そ、それはなりません!」
出会ったばかりの男と房事に及ぶなどという不埒なまねが、片真面目な性格のサンチョにできるはずもなかった。
もちろん、昨日の夕暮れに、ディエゴに逸物を揉み擦られたことを忘れたわけではない。
だがあれは、いきなり襲われたための不可抗力だ。今は違う。拒絶するだけの余裕があった。
「駄目です!駄目です!」
サンチョはとにかく声を張り上げて拒んだ。出る尿も出なくなってしまいそうなほどに。
しかし、ディエゴはゆらりと体を起こすと、膝で立ち、サンチョの白くて柔らかい太腿につかみかかろうとした。
「ふうふう・・・サンチョ殿・・・ふあはははは・・・・・・」
サンチョは貞操の危機を悟った。精神のたがが弾けたような男に身を奪われたら最後、行き着く先はおのずと空想できた。
『わ・・・私も、この男の今の状態と同じように、腑抜けになってしまうに違いない・・・嫌だ、嫌だ、それだけは嫌だ・・・!!』
かがんだ姿勢のまま、サンチョは後ろへ跳びすさった。片手はペニスを支えたまま、もう片手は石蓋を突き飛ばして。
サンチョを我が物にしようと迫ってきたディエゴの両手は、サンチョの腿ではなく、虚空を握り締めた。
サンチョにまっすぐ向けられたディエゴの顔面に、いまだ止まっていなかったサンチョの尿が勢いよくはじけた。
「・・・!!」
鬱金色の苦い水が、ディエゴの髭を、小鼻を、前髪を伝わり、顎から数珠玉のように石の床に滴り落ちた。
ずぶ濡れになった顔を、ディエゴは自らの手でぬぐった。尿が目に沁みて痛いというように、瞼を五、六ぺんしばたたいた。
そして、まるで初めて出逢ったと言わんばかりの面持ちで、サンチョのほうを振り向き、
口を半開きにしたまま、サンチョの顔を見つめた。口髭と前髪からは、まだしずくが垂れていた。
サンチョもディエゴをまじまじと見返した。サンチョの尿は、既に出尽くしていたが、床には水溜りができていた。
自分の排泄した尿が、戦士の顔を銅の仮面のように光り輝かせているのを見た。美しさすら感じた。
王の召使と、旅の戦士とは、そのまま見つめあっていた。
胸のうちはそれぞれ違うことを思いながら、どれほどとも分からぬ時間のあいだ、互いの顔を眺めあっていた。
先に沈黙を破ったのはディエゴのほうだった。
「サンチョ殿・・・私は・・・いったい?なぜ・・・こんなに顔が濡れているのか・・・はっきり思い出せないのだが。」
サンチョに話しかける声の調子、それにその瞳の色は、まったく正常な人間のものだった。
ディエゴは人道的な精神を取り戻したのだ。武士(もののふ)たるべき理性が顔にあふれていた。
まさかサンチョの小便が顔にかかったおかげでとは思いたくはなかったが、どうやらそう認めざるを得ないようであった。
てらてら光る戦士の面を見ていたサンチョは、ディエゴの言葉にはっと我に返り、しどろもどろに答えた。
「ええ・・・いや、その、あの・・・いやはや、思い出すようなことではありませんよ。ディエゴさん。」
「そうか・・・?しかし、この水は、なんだか変なにおいがするのだが。
まあいい。サンチョ殿がどうでも良いとのたまうのであれば、おそらくどうでも良いことなのだろうな。」
302 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/06/26 00:52 ID:PhbB//Ks
やっと全部読んだのであげ
ディエゴは口髭にたまったサンチョの尿をしごいては取り除いていたが、やがてサンチョと目を合わせると言った。
「そういえば、なぜ魔物どもが、我々をここに閉じ込めておくのか・・・サンチョ殿にまだ話していなかったな。
私とて、魔物どもの話を立ち聞きしただけだから、よく理解しているわけではないのだが・・・どうやらこういうことだ。」
ディエゴはサンチョの耳元に口を近づけた。小便に独特の鼻を焦がすような臭いがした。
「どうやら、魔物たちの親玉が人間世界に現れるために、男の汁を必要としているらしいのだ。」
「へえ、こんな物で、親玉をですか・・・?」
サンチョがディエゴの発言の最も重要な点を理解するのには、しばらく時間が必要だった。
「へ?人間世界に・・・!!そんな事のために、私たちを捕らえて、ここに?!
それで、ディエゴさん、そのお話は、どのくらいまで正しいので?」
「さっきも申したが、私も確証があるわけではない。ほんの噂を小耳に挟んだだけだからな。」
「はあ〜・・・でも事実だとしたら厄介ですね。連中はどれほどの汁を求めているのか・・・。どうやって使うのか。
いろいろと疑問も出てきちゃいましたよ。親玉が人間界にかあ。厄介ですなあ。」
サンチョは、子供の頃に、古い本で読んだことのある、ブオーンという怪物のことを思い出した。
口を開けば町ひとつを丸々飲み込めるとかいう巨大な怪物だが、海のはるかかなたで魔法により封印されてしまったらしい。
現実にそんなモンスターが存在しないのは何よりだ、いたら人間はどれほどの被害をこうむることか、などと思っていた。
だが、ひょっとすると、ほかならぬ自分自身が、新たなモンスターの親玉の再臨を促してしまうかもしれない。
自分のうっかりとってしまった行動の一つ一つのせいで、世界中の人々が、魔物の襲来におびえさいなまれる日々がもし来たとしたら・・・。
しかもその原因が、他人にはいささか告げがたい、こんなエッチな行為なのだから、なおさら情けない。
「たまたま迷い込んできた私を捕まえて、連中は毎日毎日、私を脅かしては、こんなことを強制してきていた・・・。」
言いながらディエゴは、自分の逸物を握り、上下にさすり始めた。
「こうすると、出るだろう、白い汁が?連中はそそくさとそれを集めて、どこかへ持っていくのだ。
最近は、連中の顔を思い起こすだけで、出るものも出なくなってしまうほどうんざりしているが、
だからと言って、出さないと、殴る蹴る、落とされる、だからなあ。嫌でも噴射させなければならないのだよ。」
「一ヶ月間もそのようにお一人で・・・」
「そのとおりだとも。だからサンチョ殿、私が多少そなたに気心を許したからとて、不愉快に思わないでいただきたい・・・。」
ディエゴは再びサンチョの顔に自分の顔を近づけてきた。自分の逸物からは、もう手を離している。
てらてらした顔面から、小便の臭いがまだ放たれていた。
その臭いに、思わずサンチョは顔を背けた。しかしディエゴは勘違いをしたようだ。
「サンチョ殿・・・この私が、嫌だと申すか・・・?それはなんとつれないお考えか!」
「い、いえいえ、違いますよ、ちょっと、その・・・においが。くさいので・・・。」
サンチョは誤解を解こうとしたが、それより話題を変えたほうが良さそうだと気づいた。
「ディエゴさん、一ヶ月もの間、そうして集めていたとおっしゃるのでしょうが、
あの汁を一ヶ月も置いておいたら、パリパリに乾くか、腐ってしまうかして、何の役にも立たないんじゃないでしょうかねえ。
モンスターどもも、案外愚かなことをしているものと見えましたな。」
「それは私にも分からぬ。」憮然とした表情でディエゴは答えた。
「連中が私の汁と、ゆうべサンチョ殿から集めた汁を使って、何をしているかなど、聞きたくもないな。
酒に漬けているのか、秘薬の元にでもしているのか、もうどうだっていいことだ。
・・・言ってしまったな、すまない。昨日サンチョ殿から抜いた汁は、あのイノシシが集めていった。金属の碗に入れてな。
言うと恨まれるかと思って、わざと口をつぐんでいたのだが・・・。」
「いえ、いえ、もういいんです。ディエゴさんの謝罪のお気持ちだけで十分です。
それにしても、私は気になりますな、モンスターたちがあの汁をどうするつもりでいるのかが・・・。」
うっげえぇぇーなんだよこれ〜〜〜
・・・・続キマダー?
最初の方はまるで気品を感じるようなレベルの高い小説だなあと思っていたのだが…
このスレ読んでたらサンチョが使いたくなって2週目始めました。
ありがとうネ申。
>>305さん
もうちょい待ちね。作り置きではなく、じかにスレに書き込んでますので、時間がかかるのはやむを得ません。
>>306さん
だってこのスレは、本来パパスとサンチョのカップリングスレですから、Hな展開に持っていかないと・・・。
どのへんから雰囲気が変わってきたとお考えでしょうか?
それをおっしゃっていただければ、そこから先はまた別タイプのストーリーを作り、マルチエンディング化させることも可能です。
>>307さん
サンチョも喜んでおります。たとえ魔神の鎧しか着せてもらえなくとも、賢者の石やザキで頑張ってくれることでしょう。
「気になる」とは言いながらも、サンチョ自身、ここでこのような議論をしていてもなんの埒も明かないことくらいは承知済みだった。
魔物の親玉などというものがこの人間の住む世界に現れれば、どう控えめに見ても、混乱を巻き起こすことは必至である。
しかし自分たちは、魔物の大群の前ではほんの非力な人間にしか過ぎない。
魔物相手に何ができよう?ただ逃げるのみだ。
『逃げる』・・・『逃げる』・・・『逃げる』・・・この言葉ばかりが、サンチョの脳裏に、カノンの旋律のようにむなしく鳴った。
ここから逃げ出すことは実質上不可能だ。諦めたくはないのだが。
こんなに逃げ道のふさがれた部屋などというものに閉じ込められてしまった以上、手も足も出ない。
「まったく、魔の者たちは、なぜこのような部屋をこしらえたのか・・・襟首を引っつかんで問いただしたい気分ですよ。」
サンチョは荒々しい口調で言葉を吐いた。言ってしまってから、自分らしくない行いであることに気づき、
慌てて口を手でふさいだが、無論そんな行為は無意味であった。
サンチョの口から飛び出した言葉は、八つの石の壁と八つのくぼみにこだまして、鐘の音のように響き渡った。
少なくともサンチョはそう感じた。自分の吐いた言葉を、暴言と思ったからだ。
そして、その反響の一片を、ディエゴが捕らえたのを見た。
事象はサンチョの予想だにしなかったほうへと動いていった。
ディエゴは、サンチョの吐いた、暴言とはとても言えないせりふの言葉尻をつかむと、髭を撫で付けつつ言葉を返した。
「サンチョ殿・・・それは、実は私も調べてみたのだ。この部屋の作られた目的、その手がかりがこの部屋のどこかにないかと思ってな。
そうすると、どうやらこの部屋の床には、床石が外れる場所が二箇所だけあるらしい。」
「それが・・・手がかりになるのですか?」
これだけのことで判断できるとは、サンチョには納得し切れなかったが、ディエゴは確信を持っているようであった。
「そのとおりだ、サンチョ殿。」
「床石が外れるということが・・・ねえ。」
納得できないまでも、この戦士に思いついたことが自分に思いつけないことがいささか悔しく、サンチョは知恵を絞ってみた。
この部屋に関して、サンチョが知っているのは、窓や戸がないこと、エレベーターで出入りする部屋だということ、
天井までは人の背丈の二倍以上あるということ、そして部屋の中には排水溝とみなしてよい穴があることだった。
そして今、新しい知識が加わった。もう一箇所、床石がふた代わりになっている箇所があるという話だ。
だが、これだけで、この部屋がどういう用途に用いられていたかが判断できるとは。
果たして、この戦士は、この部屋と同様のものを以前に見たことがあるということであろうか?
それならば、ひょっとすると、自分も知っていてしかるべきものなのかもしれない。
ともかく、でたらめでもいいから答えてみるほうが、話が進展しそうだと見て取り、サンチョは口を開いた。
「違うかもしれませんが・・・水槽かプール、でしょうかね?これだけ深くて、水が抜ける穴があるんですから。」
「まるきり違うな。どうやらここは、屠殺場だったらしいのだ。」
ディエゴは、まるで羽毛でも吹いて飛ばすかのように、軽い口ぶりでしゃべった。
「と・・・とさつば!?っ、ってっと、ここで魔物どもが、いいいい、いけにえを、ほほ、屠ってぇ・・・」
サンチョの全身から冷たい汗が噴き出した。薄暗い中ではそれとは定かに見えなかったが。
「なんということもない。それははるか昔の話だろうからな。」
ディエゴはなだめるような、励ますような口調で、サンチョに語りかけた。だがサンチョには無意味だった。
これがもしパパスの言葉であったのなら、一瞬にしていつもの気丈で冷静なサンチョに戻ったのであろうが、
知り合って間もない旅の戦士などの舌では、サンチョを慰撫することはできなかった。
「こ・・・ここから・・・早いところ逃げ出さないと・・・私たちも、私たちも、いけにえに・・・!ひいいい!」
サンチョは壁際のくぼみへと突進した。どの扉でもいい、どこへ出るのでもいい。この壁が上がり下がりして、
自分たちをこの石の牢獄から出してくれるのであれば、どこへなりと命を全うできる所へ逃げはぐれるつもりだった。
すっかり顔から血の気も引き、脳から理性も吹き飛びかかったサンチョは、
後ろから延びてきた戦士のがっちりした手が自分の前腕を掴んだのも危うく気づかぬところだった。
「サンチョ殿!少し落ち着きを取り戻したまえ!」
311 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/06/28 23:34 ID:vMoU4auq
…おい。これは801スレか?
801には801専用の板があるじゃないか。そっちでやれよ。
嗜む者以外には大多数が不快に感じるものを他でやらかすな。
801女一回逝っとけ。各板にスレ乱立させやがって。
では801女じゃなかったら?
こんなん801女以外ありえんだろ
ネタにしては笑いが無いし、かといってマジホモな人達はゲームキャラになんか萌えないし
空気嫁。
ハッサンスレ逝って来い。
いや、801女は逆にこれはナシだろw
スレタイがカップリングなんだし、それが嫌な香具師は来なきゃいい
つーことで
>>311(・∀・)カエレ!!
俺は正真正銘の男だ。ネナベやなんかじゃないぞ。
どうでもいいけど。
っかホモがゲームキャラに萌えて何が悪いというのやら。
ディエゴは、なかばパニックに陥ったサンチョをなんとか正常な状態に戻してやろうとした。
それには冷静に話をしてやることが一番の特効薬であろうと気づいていた。
ディエゴは、サンチョの頭を両手で左右から挟むと、自分の目とサンチョの目とを向かい合わせ、語り始めた。
「いいか、ここから出るには、きちんと計画を練らないと駄目だ。だから私の話をよく聴いてくれ。
やはりあのイノシシどもの行動が鍵になるだろう。連中は、毎日二回、規則正しく降りてくる。
時間は・・・そう、この中だと光が差さないから分からないが、朝方と、それに夕暮れごろだ。
朝は、あのたらいの謎の水で、こちらの体を拭いていくし、夕方には、昨日そなたも体験したとおり、
この塔の屋根の上に私を引きずり出して、あの汁を強制的に搾り出させるのだ。
くそっ、武器さえあれば、あんな奴らの四匹や五匹など、どうということもないのに・・・!」
ディエゴは唇を噛んだ。はたから見ても悔しさと苦渋の伝わってくる表情だった。
サンチョは、ディエゴの言葉よりも、その表情にむしろ救いを感じた。
『悔しさや恨みつらみというものは、人間だけが持つ感情。決して魔物には真似することのできない情動。』
昔からそう信じて育ってきたからだ。そして、パパス王も、城の学者も、サンチョのその考えを肯定していた。
サンチョは、戦士の表情に、きわめて人間味あふれるものを見出したのだ。この魔の塔の只中で。
サンチョがわずかずつ落ち着いてきたのを見て取ると、ディエゴは唇から前歯を離し、話を続けた。
「さっき、私は、この部屋は屠殺場だったかもしれないと言った。むろんそう考える根拠があってのことだ。
じつは、以前、この部屋を、一通り調べてみたのだよ。
この部屋の床の隅には、このあたりではまず見かけない魔物の毛や鱗のかけらが落ちていた。
おそらく遠くから連れてこられたに違いない。理由はどうだか解明しようがないがな。
そして・・・この部屋の床に、血らしきものが飛び散った痕跡も見えるのだ。サンチョ殿には分かるかな?」
サンチョは首を横に振ろうとしたが、戦士が頭を押さえつけているので無理だった。
そこでかすかに、「い・・・いいえ」とだけつぶやいた。
長文ホントにお疲れ様です〜
これからも頑張って下さい、応援してますv
320 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/06/29 23:50 ID:Cjv3/Mfj
>>316 タイトルが801?これでは分かりづらいだろうよ。
苦手なものや知らないものがただの萌えスレと思って来たらどうするんだ。
空気嫁などとほざいてるが、このスレの存在自体が問題だろう。
書き込みしてるのが男か女かはどうでもいい、801厨房がところ構わず
どこの板にでも801ネタを振って嫌われてるのを知らんのか。
こういう空気読めない馬鹿が来るからずっと人大杉にしときゃいいんだよこの板は
ハッサンスレみたいに、もっとはっちゃけた方がいいのかもな
一般人が見たら、向こうは笑えるかもしれんがこっちは多分引かれる
うーん、何かイタいの入ってきちゃったな
ここ好きなんだが
別に801萌えとかでなく、作者氏の情熱に惚れたっつーかw
ハッサンスレとかもそうだが…
801とかホモとかそういう言葉では納まりきらない熱いものを感じるんだよな。
だから少なくとも俺は楽しんでるし、楽しみにしている。
だから楽しめないやつはスルーすればいいし、つーかageんな。
>>317 Σ(゚Д゚)
ネ申はネタじゃなくてホンモノさん?
>>325 ホンモノです、はい。
だけど絡みとかセクースとかそういうのを文章で表現するのはまるっきり不得手だし、したこともない。
ネタ系やお笑い系の文章で人を笑わせるのも下手だし。
だからこんなふうにエセ純文学調の文で、サンチョとパパスの間の人間愛(セクースだけじゃなくて)を書こうとしてるわけです。
ってかこの私の駄文で、801っぽいところは今のところ一箇所しか出てきてないはずだが(>275〜>278あたり)。
すてき。せんせえすてき!超がんばれ。
>>326 そうだったのですか 通りで素晴しい根気と情熱をお持ちだ
そしてその心意気に打たれました
ネ申ファイトォ*:.。..。.:*・゚(n‘∀‘)η゚・*:.。..。.:*!!!☆
>>326 不得手って…
こんな繊細な描写をできる方がそんな事を…
お話自体ももちろん楽しみにしてますが、その表現の仕方や文体についてもいつも楽しませて頂いております(初期の名前欄もw)
「よく見てみたまえ・・・」ディエゴはサンチョの頭から手をはずすと、床にぴったりと身を伏せた。
「こうしてじっと目を凝らすと、床の石の色に濃淡があるのが分かるはずだ。もちろん影ではないぞ。
何かが染み付いて、そのまま落ちずに残ったものだろう。石にこれだけしみを残すものは、血とみなすのが妥当だ。
私は職業がら、よく目にしているからな・・・。あまり気分のいいものではないが。」
サンチョも、ディエゴに促されるまま、床に身を伏せてみた。天井際の隙間から差す光は僅かな量ではあるが、
それでも床の石をぼんやりと鉛色に浮き立たせていた。
そして、その淡い光の反射する中に、すすけたような大小の染みが散っているのを、サンチョも認めることができた。
「おそらく、」ディエゴは、サンチョの表情からくだんの染みを見つけることができたと読み取り、話を続けた。
「ここで魔物なりほかの動物なり・・・人間が含まれていないことを祈るばかりだが。ともかく、それらを屠ったあとに、
遺骸を処理する必要があるはずだ。それで、この部屋にはどうやらそれらしい穴があるのだが・・・」
サンチョはディエゴを遮った。「もちろん、その穴の中はご覧になっているんでしょうね?」
「いや、まだ見てはいない。」
サンチョは半ば唖然とした。ここから逃げ出す通路かもしれないものの存在をしっかり把握しておきながら、
ひと月もの間、その穴の中を確認するという最低限の行為すらもおこなっていないとは、いったいどういうことだろう?
やはりこの男、どこか頭のねじの緩んだところがあるのだろうか?
だがディエゴはそのまま言葉を続けていた。
「石蓋が重すぎて、到底ひとりでは持ち上がらないのだ。
・・・ここへそなたが来ることになったのも何かの縁、サンチョ殿の協力も願えればよいのだが。」
何のことはない。ディエゴは、誰しもが思う当然の判断を下したまでであった。サンチョは自分の甚だしい早合点を恥じた。
ディエゴを勝手に見下した、その償いくらいはさせてもらおうと思い、おもむろに立ち上がりつつ、言葉を返した。
「もちろんいいですとも。その石蓋は、どこなんです?」
サンチョが尋ねると、ディエゴは辺りを四度、五度と見渡した。どうやら見つからないようであった。
さらにディエゴは、射るような視線を、部屋の床じゅうに落とし始めた。体の動きが妙にせわしなくなっていくように見て取れた。
とうとう、自身の爪先に目線を向け、そのままぴたりと止まった。やや逡巡しているようであったが、おずおずと口を開いた。
「・・・ここだ。ちょうど我々の立っている上だった。」
目印の無いうえに、この部屋の点対称性のつくりでは、どこに何があるのかを把握するのは至難の業であった。
サンチョは床石をじっくりと見つめた。大の男五人が裕にその上に寝そべることができそうな、長方形の巨大な一枚石だ。
石の縁は、長年流水に晒されて磨耗したかのように丸みを帯びている。そのほかは傷ひとつない見事な石だ。
問題の敷石と、周りの石との間には、指がどうにか掛かりそうなだけの隙間が空いていた。
「これですね・・・うまく持ち上げられるでしょうか。指が滑りそうです。」
「それはとくに問題ない。この石は、きちんと指が掛かるように加工が施してあるのだ。やはり石蓋だという証拠だな。」
サンチョとディエゴは、早速石を持ち上げてみようとした。
「いいかサンチョ殿、この角のそちら側の縁を持ち上げてくれたまえ。私はここを持ち上げる。では、せーの、で行くぞ!」
サンチョとディエゴは、同じひとつの頂点から、おおよそ腕の長さほどずつ離れた点をそれぞれ手に取った。
石の側面は、ディエゴの言ったとおり、上面に近い側が僅かに膨れていて指が掛かるようになっていた。
直角に見合ったまま、二人は屈みこんだ。
「っ・・・せーの!」
ディエゴの合図とともに、二人は石蓋を力いっぱい上に引いた。四本の腕は弓のように反り、筋肉がみしみしと鳴った。
サンチョの額と首には、汗の細かな粒が噴き出してきた。顔色も紅色に染まっているに違いなかった。
見ると、ディエゴの顔もどす黒くなっていた。歯を食いしばり、力むあまりにただでさえ太い首がますます膨れている。
ディエゴのあらわな胸と腕には、藍色に怒張した静脈が、蔓(かずら)のように這い登っていた。
石蓋は、砂粒を巻き込んできしる音をかすかに立てながら、徐々に持ち上がり始めた。
キテルワァ*:.。..。.:*・゚(n‘∀‘)η゚・*:.。..。.:* ミ ☆
ア ワクリワクリワクリ プハアー
「はあ・・・はあ・・・これは、なんとも・・・」サンチョは喘いだ。石蓋は二人がかりでも重荷であることには変わりなかった。
サンチョの手首には血管がすみれ色に浮き出し、石は手首を引きちぎろうとするかのように重かった。
「魔物・・・どもめ、こやつを・・・いったい、どうやって・・・持ち上げていたのか・・・」
途切れ途切れにつぶやくディエゴの額は、古い銅器のように黒光りしていた。
やがて石蓋は、斜めに傾けられたままぴたりと止まった。そのまましばらく、上がりも下がりもしなかった。
「・・・も、もう限界です・・・くううっ・・・手が、手が抜けそうです・・・」
「このまま・・・では・・・致し方ない・・・せーの、で手を離すぞ、足を挟まぬようにな・・・」
サンチョとディエゴは、足を穴の縁から半歩ずつ遠ざけた。
「・・・ではいいか?せー、の!」
深く柔らかな音が響いた。サンチョの耳には轟音であるかのように聞こえた。部屋が揺らいだように感じられた。
それは単に、頭に上っていた血が、全身に戻り行こうとして抜けていっただけのことであったのだが。
サンチョは激しく肩で息をしていた。全身から湯気が噴いているように暑く、皮膚がじっとりと湿っていた。
ディエゴは鍛えているせいもあってか、さすがに息もあまり切らさず、そこそこ落ち着いた顔をしていた。
石蓋が持ち上げられなかったことについても、取り立てて気にかけていないようであった。
石蓋はもとの穴にすっぽりと嵌まっていた。それを見やりながら、ディエゴはサンチョに相談するともなく口走った。
「あとは、何かここに、咬ませてやれるような棒でもあれば、支えにしておけるのだが・・・。」
蓋が閉まりさえしなければよいのだ。そうすれば隙間くらいは作れよう。その事は、サンチョにもすぐ読み取れた。
だがこの部屋には、棒も角材もないことも既に承知済みだった。この部屋にある丈夫な物といえば、壁と床の石しかない。
そして、壁の石も、床の石も、取り出すことは不可能だった。動かせる石といえば、ただ二箇所のみだということを知ってしまっていた。
こうして考えを運んでいるうちに、サンチョはいとも簡単な手段を思いついた。
「なんだ、さっきの、トイレの穴の蓋になっている石を、この大きな石の下に咬み込ませればいいんですよ。」
久しぶりに来たら100超えてるΣ(゚Д゚)
作者さん乙です!
(・∀・)チゴイネ!
ディエゴは無表情のままうなずいた。感情表現の激しいディエゴにしては、珍しい反応であった。
『ディエゴさんも、きっと同じことを考えたためだろう。』そんな空想が、ふっとサンチョの脳裏に浮かんだが、すぐに漠とかすんでしまった。
そんなことは、今この状態では、まるっきりどうでもよい事であった。何か答えるときに表情を出さない人などいくらでもいる。
ディエゴはトイレの穴の脇にあった石に手をかけていた。ほんの十歩ほど離れた、先ほどサンチョが抛り出したままの位置に転がっていた。
石を拾ってきたディエゴは、巨大な石蓋の脇に小さな石蓋を置こうとして、考えあぐねているようであった。
石を右に動かしたり、左へ滑らせたり、奥へ押したり、手前にずらしたりしていたが、しばらくしてやっと置き場を定めた。
左足のすぐ脇に、石蓋を置くと、ディエゴはサンチョに言い訳をするかのように言った。
「どうも、邪魔にならずに、しかもすぐに動かせるような場所を選ぶというのは、難しいものだな。」
サンチョの息の乱れは、もう大体落ち着いていた。石の準備もできたようだし、頃合いと見て、サンチョはディエゴに声を掛けた。
「それではディエゴさん、ふたたびこの石蓋を持ち上げましょう。今度はその石を下にはめ込んで・・・。」
「おう、それでは早速。サンチョ殿、さっきのように、せーの、で持ち上げるぞ。」
サンチョとディエゴは、先ほどと同じ位置に立ち、石蓋に指を掛けた。
重い石蓋を持ち上げることが、果てしない海原を航海するのと同じような苦難の道のりに思えた。
自分たちを、その海に浮かぶ小船に乗った漂流者となぞらえたサンチョ。だが、つらいからと言って、空想に逃避しているわけではない。
ディエゴの声を耳の中に聞いた。
「では・・・せー、の!」
二対の肱がめりめりと音を立てた。一度持ち上げているとはいえ、いや、持ち上げて知っているからゆえに、
石蓋の重さはただならぬ引力となり、サンチョをその下に引きずり込んで永遠に閉じ込めようとするかのようであった。
「・・・ま、まだ、いけるか・・・?」ディエゴが喘ぐ息の下から呻いた。
「隙間が、・・・できた。も、もう少し・・・上げれば、この石の板を、はめこめるぞ・・・」
サンチョが眼を流すと、石蓋の下に空洞があるのが見えた。石蓋の下に、手を差し込むだけの余裕もできているのが分かった。
サンチョは左手を石蓋の裏側へとずらした。石を下から支えてやるつもりだった。
石蓋が落ちたら指を挟むかもしれない、潰れてもげるかもしれない、ということは、なぜか思い浮かばなかった。
「・・・は、はあ・・・」
こういう重たいものを持ち上げるときに息を止めてはいけないんだったな、と、サンチョは、幼いみぎりに学んだことを思い出した。
たしか、腕に力を入れ続けることができなくなるんだったっけ。違ったかもしれない。
グランバニアの城に仕えるようになってから、独りで重いものを運ぶなどということはめっきりなくなった。
子供の頃に会得したことでも、永いこと経験しないでいると、忘れるものとみえる。
ふとここまで空想して、サンチョは自分の腕から力が抜けているのに気づき、慌てて石を押しあげようとした。
「もう少しだ、このままの位置で、下げないように・・・!」ディエゴの声が耳の穴を通って伝わってきた。
ディエゴは足元の小さな石蓋に足を乗せると、スケートをするように滑らせた。
石蓋は、巨石の下の隙間に、ぴったりと噛み込まれた。石どうしが軋り合い、耳障りな音を発した。
「ふう・・・サンチョ殿、もう手を離しても大丈夫だろう。・・・おっと、万が一のこともあるから、気をつけて。」
ディエゴの言葉、待ち続けていた言葉をようやく聞いたサンチョは、張り詰めていた肺臓の息を存分に抜いた。
「ふうう・・・ディエゴさんも、注意してくださいよ。」
締まっていた腹の肉が、再びたるんでくるのを感じつつ、サンチョは両手から、両腕から、ゆっくり力を抜いていった。
小さな石蓋はみしみし言っていたが、別段割れる様子もなく、巨大な石蓋を安定して支えていた。
「さて・・・」ディエゴとサンチョは、改めて石蓋と、今までそれがふさいでいた穴とを見つめた。二人ともまだ肩で息をしていた。
石蓋の厚みは、男たちの手の長さよりも指幅二本分くらい大きかった。
石の下には、真っ暗な空洞が口を開けていた。なにか臭気が立ちのぼってくるようであった。
臭いの正体は分からなかったが、どちらかと言えば不愉快なものであった。
チン チン☆⌒ 凵\(\・∀・*) パパスマダー?
「このくらいの隙間なら・・・」サンチョは屈み込んで穴を覗いた。穴の中は漆黒の闇だ。
「・・・なんとか潜ろうと思えば潜れますね。」サンチョは臭いに顔をしかめながら続けた。
この臭いが何に似ているのかやっと思いついたのだ。まるで炎天下に一週間もほったらかしにした肉汁で服を洗い、
それを日陰に干しておいたのでカビが生えかけたときのような臭いだ。サンチョは空想していて気分が悪くなった。
これよりも、さっきのトイレの臭いのほうがまだましかもしれない。少なくとも正体は承知済みだから。
「それでは・・・私はこの下を見てこようと思う。何か役に立つものがあるかもしれないし、
ひょっとしたら、ここから出られる道もあるかもしれないからな。」
サンチョはぞっとしないものを感じた。万が一この石蓋が落ちてしまったら?サンチョ独りで持ち上げられるはずがない。
「閉じ込められるかもしれません・・・その危険をご承知なんですか?」
「サンチョ殿・・・」ディエゴはサンチョの肩に手を置いた。「ここで魔物になぶられているよりも、
この穴倉か何かの中で息が詰まって死ぬほうが、まだしもましというものだ。
それに大丈夫だ、私は運の強いほうだから、ここに閉じ込められるということもないだろう。
いや・・・運が良いのなら、そもそも魔物どもに捕らわれることもなかったわけだな・・・うむむむ・・・まあ、それはよい。」
ディエゴは隙間に腕を差し入れて振り回した。中に手掛かりになるものがないか調べているのだった。
『自分なら・・・』サンチョは今しがたのディエゴの台詞を思い返した。
『魔物になぶられて汁を採られるのと、この穴倉で窒息するのと一方を選ばざるを得ないなら・・・どちらを選ぶだろう?』
ディエゴは身を起こした。どことなく落ち着きが失われていた。額には縦にしわが走っていた。
「こいつはかなり深そうだ。ロープでもあればいいのだが、無い物ねだりはするまい。
サンチョ殿、私がここを降りるから、そなたはここにいて、私の手を掴んでいてくれたまえ。」
戦士はそう言うが早いか、穴の中に両脚を滑らせて落とした。腰と腹も続けて闇の中に隠れていき、
頭と腕だけが穴の外に飛び出た格好になった。はたから見ると、まるで浴槽にでも浸かっているような姿であった。
サンチョは、その性急さを見咎めなかった。危険など、自分よりもはるかに多く体験しているはずの相手だ。
太ってものぐさに見られる男にどうこう言われたところで、笑い飛ばすだけだろう。
しかし、一つだけアドバイスはしておこう、そう思った。そしてディエゴの顔を見つめ、ひとことで伝えた。
「ロープだったらありますよ。あるんです。」
サンチョも今の今まで忘れていたのだ。ディエゴの言葉で思い出したのだ。
さっき、オークキングが自分の体を拭くために降りてきたとき、足を縛っていったロープがあったことを。
ロープは、先ほど足からほどいた所、ディエゴが寝そべって怪しく笑い続けていた場所のすぐ脇の壁際に落ちていた。
サンチョはロープを拾いに行った。ディエゴはその丸っこい後姿を眺めていた。
ロープはかなり太いものだった。
「指二本分はあるな・・・これで物を縛ったとしても、すぐほどけるんじゃないか?かなり太いものを縛ったんじゃないと。」
ディエゴが含み笑いを見せた。そしてサンチョの足首にちらちらと流し目を送った。
サンチョは思わず頬を赤く染めた。「わわ、私の足が、そんなに太いとでも?!」
「うむ・・・かなり太いな。おぬし、子供の頃に、かなり野山を歩いたのではないか?でなければ農園育ちか。
そうでもなければ、そなたの丸ぽちゃの体格で、これだけ足首が太いというのは説明がつかないぞ。」
ディエゴの目が笑っている。確かにサンチョの生まれは農家だった。城でパパス王に仕えるようになるまでは、
毎日のように畑に出て牛を追ったり野菜の世話をしたりしていたものだ。
妙なことを見すかされたものだ・・・そう思いつつ、サンチョは綱の一端をディエゴに手渡した。
「それではディエゴさん、下では何が待っているか存じませんが、くれぐれもお命だけには気を配ってください。」
「サンチョ殿も面白いことを言う。まるで私が、ここから長い旅路に発つような言い方じゃないか?」
ディエゴはからからと笑うと、片手でロープを掴んで、もう片手で穴の壁をまさぐりつつにじり降りていった。
穴の縁で、サンチョは両手にロープを巻きつけ、下を覗き込んでいた。
しばらくの間は何も起きなかった。ディエゴの褐色の髪の毛が次第に闇に溶暗していった。
サンチョは何も考えていなかった。戦士がなにか合図をしてくるのをただ待っていた。
ディエゴの体重がサンチョの両手にかかり、ロープはきりきりと手の肉を締め付けていた。
手の色が白茶けてきたのが、薄暗い中でも見てとれた。
それでもさっきの石蓋の押しつぶすような重みよりかはましだ、そう思った矢先、
「ゴホッゴホッ・・・!」
ディエゴが咳をしている。続けて声が駆け登ってきた。
「上げてくれ!サンチョ殿!」
サンチョは慌ててロープを手繰った。ロープがきちきちと音を立てた。
やがてロープの半ばに、節くれ立った手が姿を現した。
その直後に穴からディエゴの顔が飛び出した。目元が附子色に変わり、目玉は飛び出んばかりだ。
「ごほほっ・・・ふう・・・苦しかった・・・下には悪い空気がたまっている・・・。」
息をする間も惜しいかと見えるほど喘いでいた。そんなディエゴに尋ねるのも申し訳ないとは思ったが、
サンチョの舌は、脳が停止命令を出すより前に既に動いていた。
「で、下には、何かありましたか?出口は?悪い空気がたまっていたのなら、底があったのでしょう?」
ディエゴは喘ぎつつ答えた。「まずはそこを空けて、私が上がれるように・・・」
サンチョは素直に脇へと譲った。ディエゴはその空いたところへ這いずり上がった。
「ふう、ふう、・・・」ディエゴは喘いだ。そして穴の中へペッペッとつばきを吐いた。
「空気に味がついているんだ。・・・とてもたまらん。命や名誉が懸かっているのでなければ、ここへは二度と入らないんだが。」
そう言いながら、ディエゴはそろそろと両脚を引き上げた。何かを持っているようだ、とサンチョは推測した。
果たしてその読みは当たった。ディエゴは、両足で何か白っぽい物を挟んでいた。かなり大きい物のようだ。
「それは・・・?」サンチョはその物体が穴から出てくるところを見逃すまいとでも言うように、目で追っていた。
「これか?私にも分からない。真っ暗闇とくさい空気の中で取ってきた物だから、よく見定めてなどいないのだ。
さて、調べてみるとするか・・・。」
その全体を見るや、サンチョは驚愕の野太い声を上げた。ディエゴはのどの奥で唸った。
骨だった。その物体の外見と質感から推察すると、論理的に考えて、骨としか言いようがなかった。
形は長骨そのものだった。どうやら大腿骨のように見受けられた。牛や馬のものならサンチョも見慣れていたのだが。
「しかし・・・でかいよ、これは。」ディエゴがあきれたように呟く。
ただの大きさではない。この骨を垂直に立てると、ディエゴの鳩尾まで来る。
「ディエゴさん、これだけ大きい骨を持っているとすれば・・・」
「・・・うむ、ドラゴンか、ギガンテスかもしれないな。しかし、ギガンテスが生贄になるなど信じがたい話だ・・・。」
ディエゴは骨を手に持ってみた。長さの割りに太くないな、そう思った。
両手の親指と中指で作った円が、ほぼいっぱいに回る太さだ。
色は、春先の蜂蜜のような明るい色のようだ。もっともこんなに薄暗いところで色など論じても分かったものではない。
「うむ・・・こいつは使えそうだ。」ディエゴは骨を両手で握ったまま言った。
目は骨を見ていたが、その言葉はサンチョに聞かせようとして意図したものに違いなかった。
ディエゴは、骨を、両手で棍棒を持つときのように持ってみた。そのまま床と水平に持ち上げてみた。
サンチョはその動きを、じっと見つめていた。パパスがこれ似た動作を取ることがあるのをたびたび見ていた。
ややあってディエゴはやおら骨を振りかざした。
「てやあ〜〜!」
叫びつつ、風を薙ぎ払うように骨を振り下ろす。空気が切り裂かれ、ビュン、ビュンと悲鳴を上げた。
その中に、サンチョは何か白く輝くものを見たような気がした。いや、気などではない。間違いなく目にしたのだ。
ディエゴは素振りを済ませると、骨の一端を床に落として立てた。こつん、と鋭い音がした。
そして、サンチョのほうを見つめると、自慢をするような、それでいて自嘲するような口ぶりで言った。
「どうかね、我が会心の剣技、『稲妻斬り』の威力のほどは?」
サンチョはきょとんとしていた。口が半開きになっていたが気も付かなかった。
ディエゴは床に立てた骨の上に両手を重ねて載せ、サンチョの返事を待ちかねるようにじっと眺めている。
この技を受け継ぐ者がいたのか。グランバニアの王、武芸達者なパパス様ですら知らぬあの剣技を?
ここにパパス様がいたなら、いかに羨むことか。きっと戦士から手ほどきを受けようと頼むことだろう。
サンチョはやっとディエゴに向かって口を開いた。
「そ、それは・・・稲妻斬りとは、はるか昔の世界に存在して、今は廃れてしまったそうじゃありませんか?」
学者が幾冊もの書物を紐解いてはじめてその全容が分かるような技を、今この目にしかと捉えた。
ディエゴさんは只者ではない、サンチョは瞬間的に理解した。
同時に戦士が自分の技に驕りを持った理由も推測できた。
今の時代では廃れてしまった、このような高度な技を持っているのだ、多少は天狗になっても無理はなかろう。
「うむ・・・私も、若い頃にこの技を教わったときは、まさか魔法剣技がこの世に伝来され続けているなど信じられなかった。
だが自らの腕にこの技をつけてみると・・・なんとも頼もしい技だということが分かったよ。」
ディエゴは再び骨を剣のごとく構えて持つと、精神を鎮めるように両目を閉じた。
ただ立っているだけとも思えたが、傍らのサンチョには、激しい気迫が見て取れた。
ややおいて、「はあっ!」という掛け声と共に、ディエゴは骨を振り下ろした。くぐもった音と共に風が巻き起こった。
炎のように熱く渦巻く風だった。そしてサンチョは、一瞬ではあったが、ディエゴの持つ骨が朱色の光に染まるのを見た。
「それは、もしや・・・?」
サンチョのなかば驚愕した声に、ディエゴはその期待に答えようという面持ちで答えた。
「これぞ火炎斬り。最も基本的な魔法剣技だ。いにしえの戦士たちは、修行さえ積めば、誰しも身につけられたそうだ。
幸い、私はこの時代に生きているにもかかわらず、魔法剣技を会得することができたがな。
城や町に仕える一般の戦士らにとっては、学ぶ機会を作るのも、たやすいことではなかろう。
私は運が良かったのだよ。魔法剣技を伝える師匠にめぐり会うことができたから。」
ディエゴ…意外と凄い奴だったのねw
ディエゴは話をやめて一息ついていたが、もういちどサンチョに振向くと言った。
「さて、サンチョ殿も、何か武器がないと、魔物どもに出くわしても手も足も出んな。
もう一度降りて、何か取ってこよう。さっきのように、上で待っていてもらえるかな?」
これはサンチョには聞き捨てならない台詞だった。あの臭い穴に、空気に味のついている穴に、また入るとは。
それもそこを通って逃げ出すのならいさ知らず、文字通りどこの馬の骨とも分からぬ魔物の骨を取りに降りるだなど。
サンチョはディエゴの目を見た。そして、薄暗い中でもしるく見える、表情の大きな変わりように驚かずにいられなかった。
昨日の表情にしばしば見られた、病的な困惑の色はどこにもなかった。晴れ晴れとした顔がそこにあった。
ひたむきに戦う戦士の心、修行をたしなみ強くなることを望む壮夫(ますらお)の魂がたぎっていた。
それを見て取るや、サンチョは、当面はこの男にすべてを任せても大丈夫、そう信じきることができた。
サンチョは綱を拾うと、穴の縁に寄った。ディエゴの顔を見て、自分の精神の曇りも晴れ上がるのを覚えた。
「では、ディエゴさん。ここで私が待っています。」
「おお、それでは頼むぞ。・・・いや、そうだ、私がここを降りたら数を数えてくれ。百まで行ったら有無を言わず上げてくれ。」
ディエゴはせわしない深呼吸を六、七度繰り返した。サンチョはその行動のわけが分からずいぶかしんだ。
水に親しまないサンチョには、このように激しく息をすると、息を止めてもそれだけ長続きするという知識がなかったのだが、
海辺で生まれ育ち、水泳などお手の物のディエゴには、あまりにも日常的な行動だった。
ディエゴは骨を傍らに横たえると、深く息を吸い込み、そのまま止めた。
そして穴の縁に腰掛け、ロープの端を手に巻いて握ると、サンチョに目で合図を送った。
サンチョはうなずき返した。ディエゴはそれを見届けると、先ほどと同様に石蓋の下へ身を滑り込ませた。
『・・・六、七、八、・・・』サンチョは数えた。
穴の底の、おぞましい臭いと味の空気の中を歩くディエゴの姿を思い浮かべた。
足元には骨が転がっているのだろうか?ここは屠殺場だとか言っていた。それなら、この穴に骨があるということは・・・
『・・・十九、二十、二十一・・・』
・・・この穴はむくろを処分するための穴だ。ひょっとすると墓場だったのかもしれない。
いや、屠殺した後の魔物を始末するための穴か。そうすると、やはりこの部屋は、生贄をささげるのに使った部屋か。
誰がどんな神にささげたのか?まさか、魔物が魔物を生贄にしたとは・・・
『・・・四十四、四十五、四十六・・・』
ひょっとすると、この部屋は格闘場だったのかもしれない。モンスターとモンスターが腕を競い合うための場だ。
勝敗はどちらか一方が死ぬまで続く。そして負けた者は、この穴が墓となる。
いや待て、それなら死体が骨だけになるというのはいささか無理があるぞ。
やはり何らかの方法で、腑体が切り分けられて、骨だけになったのか。やはり生贄か。
『・・・七十、七十一、七十二・・・』
気分が悪くなってきた。下から漂ってくるこの臭いに当てられただけではない。
おかしな想像など働かせるからいけないのだ。下にいるディエゴさんのことを思いやってみろ。
足元には干からびたはらわたや腱が散らばっているかもしれない。まるで畜肉処理場のように。
まさか魔物が魔物を食べていたということはないだろうが・・・。
『・・・九十三、九十四、九十五・・・』
もう少しだ。早くディエゴさんを吊り上げてやろう。自分もなんだか心細くなってきたし・・・
『九十九、百!』
サンチョはロープをぐいと引き上げた。下には重たいものが下がっているのが感じられた。
ディエゴさんがしっかりとしがみ付いている証拠だ。サンチョは渾身の力をこめてロープを手繰り上げた。
ディエゴの太い指が見えた。続いて筋の張った前腕と、油気を帯びた髪が登ってきた。
その下には赤くほてった顔があった。目がいささか血走っていた。
ディエゴは両肩が穴から抜けるが早いか、たちまち石の床に飛びつくようにしがみ付き、両腕に力をこめて這い上がった。
そのまま蜥蜴のように匍匐するディエゴの足をサンチョが見ると、何か白いものを挟んでいた。
「やっぱり骨ですか?」サンチョは思わず尋ねていた。ディエゴはまだろくに息も吸い換えていないというのに。
「ん?んん、多分な。ふう・・・」ディエゴは大きく吐息をついた。
サンチョはディエゴが足で挟んでいたものを恐る恐る触ってみた。硬かった。
思い切って手に取ってみた。昔よく見たことがあるな、サンチョは思った。サンチョの胴くらいの大きさがあった。
穴の開いた銅鑼を二つくっつけて蝶のような形にした・・・いびつな物体だ。
「分かった、これは牛の骨盤に似ているんです。でも、牛のとは形がかなり違うな。」
「骨盤かね?どれ、なるほど、言われてみれば。魔物の骨盤かもしれないな。初めて見るものだ。
ところでこんな物もあったぞ。」ディエゴは片手を開いて見せた。白く艶のある硬質の物体だ。
「ははあ・・・歯ですね。牙といいますか。馬の臼歯くらいはありますね。」
サンチョはディエゴの手の上の物体をつくづくと見つめた。手のひらの幅ほどの長さの円筒形の歯だった。
「この分だと、この中にはありとあらゆる種類の魔物の骨が一式そろっていそうですね・・・」
さすがのディエゴも三度目に降りて行きたいとは言わなかった。
永いこと魔物に嬲られているからといえ、あのような不快な環境に好んで行くほど精神を傷めているわけではなかった。
そういう次第で、結局サンチョは武器無しのままで戦うことになりそうだった。もっとも、戦うことになるならだが。
骨盤は大きすぎて盾としてしか使えないだろう。牙は小さすぎるし、尖ってもいないから、武器には成りようがない。
だからといって自暴自棄になってはいなかった。
ディエゴが手ごろな武器を入手したことで、見る見るうちに戦士の誇りを取り戻したのを見たからだ。
これなら自分のことも守ってくれるだろう、理由もなくそう信じ込んだ。
自分のようなずんぐりむっくりは足手まといになるからという理由で置いていかれるかもしれない、
戦士が逃げ延びるための捨て駒にされるかもしれない、そんなことは思っても見なかった。
そして確かに、ディエゴ自身も、そのような酷いことをサンチョにしようなどとは露ほどにも考えていなかったのだ。
「さて、今はなんどきだ?」ディエゴが天井を仰いでつぶやいた。サンチョもつられるように上を見た。
天井際の隙間から細く差し込む日の光は白かった。天井の中心が暗いところからして、まだ昼頃のようだった。
これが朝日や夕日になると、水平方向から日が差すので、天井の真ん中辺りまで橙色の光線が届くのだ。
おお、すげー続いてる♪
いよいよ脱出スか(*゚∀゚)=3
「結局、この穴は、何のために作られたものなんでしょうね?」
夕方まで時間を持て余すのはつらい。サンチョは少しでも気を盛り上げておこうと、ディエゴと会話することにした。
「この下は、こうして見てみると、骨ばかりのようだな。
生贄を祀ったあとに、食べられない部分をここに抛り込んで処分したか・・・あるいはただの食肉の処理跡か。
魔物どもなら骨くらい噛み砕いて食べてしまいそうなものだがな。
とくにあの六本腕のライオンなどは、それだけ丈夫な顎を持っているはずだ。
どのみち、大昔の死体だよ。ゾンビになって襲ってくることもなさそうだし、安心し給え。」
「ええっと、私は、あれかと。ひょっとして格闘場かとも思ってみたんですがね。
それだったら、血が飛び散っているのもうなずけますし、死んだ魔物はこの穴へ…ということに。」
「それなら観客席が無いとおかしなことになるな。それに、魔物が魔物の戦いを観戦するなど・・・
おかしくはないか。我々人間も、人間どうしの戦いを眺めて楽しむからな。」
「戦争のことをおっしゃっているんじゃあないでしょうね・・・。」
「いいや。だいたい、人間社会では、ここしばらく、戦争などない平和が続いているだろう。」
「魔物たちも戦争をするのかな・・・。ここはその戦いで果てたモンスターたちのお墓かもしれませんね。」
「連中とて、こういう中途半端なところに遺骸を放置するような愚か者でもあるまい。
私は、この穴は、やはり動物から肉を取った残りか・・・
でなければ生贄の不要な部分を処理するためのごみ捨て穴だったと思う。
どのみち、我々にとっては、いいお宝を見つけることができる宝の井戸だったというわけだ。」
ディエゴは再び骨を振り回した。白い閃光があたりにひらめき、部屋の中は夜の宮殿のように明るくなった。
「さて、それでは、・・・夕方までしばらく休んで、力と精神力を蓄えておこうではないか?」
サンチョも素直に賛成した。
もうじきパパス様に会いに・・・パパス様を救いに行ける。そう思うと気がはやって休むどころではなかったのだが。
とりあえずサンチョは横になることにした。
不快なにおいをかぐ必要が無いように、トイレの穴と骨の穴からなるべく遠いほうの壁際を選んで、腰を下ろした。
ディエゴも隣にやってきた。やはり臭いを嗅ぎたくないからここに来たのか、それとも自分の体が目当てなのか、
サンチョは多少戸惑ったが、戦士の顔を見て、これは前者であろうと勝手に決定した。
「では、私は・・・少し昼寝をさせていただきます。かまいませんか?」
「イノシシどもがやって来たらすぐに起こして差し上げよう。」
そこでサンチョは仰向けになった。しばらくは目を開いていたが、やがて頭が重くなり、まどろんでいくのが分かった。
やはり朝からの興奮と緊張とでたまった疲労が、パパス様に会えるという喜びを凌駕しているのだ。
どのくらいたったろうか、ふと目を覚まし、仰向けのまま辺りを見回した。
サンチョの足元のほうで、ディエゴが上半身を活発に起こしたり横たわらせたりしていた。腹筋を鍛えていたのだ。
それを見るともなしに見ていたサンチョは、ふたたびとろとろと浅い眠りに落ちていった。
やがてサンチョは肩を揺さぶる手で目を覚まさせられた。
「サンチョ殿、そろそろイノシシどもが来るぞ。起きて、少し準備運動でもしておいたほうがいい。」
ディエゴがサンチョの顔を覗きこんでいた。目の前に口髭があった。
サンチョはおもむろに上半身を起こした。ディエゴはサンチョが立てるように少し身を離した。
「さてと・・・あのオークキングたちは、どこからやって来るんでしょうかねえ。」
周りを見渡すサンチョ。サンチョには、この八角形の部屋の、どの隅がどの方角を向いているのか、さっぱり分からなかった。
「ここか・・・そこか・・・あちらだな。」ディエゴは八つの角のうちの三つを指で指し示した。
「今指したうちのどれかなのは確かだが、どこからか、ということはとんと分からん。
毎回違ったところから入ってくるからな。おそらく気まぐれに出入り口を決めているのだろう。
それにしても、上下する壁にのって降りてくる、という発見は、サンチョ殿の手柄だな。」
どうやらディエゴは、今朝の寝ぼけたような状態の中でも、無意識に周りの情報は掴んでいたようだ。
サンチョとディエゴは部屋の中央へと歩いていった。
そこなら、どの出入り口からモンスターが降りてきても、すぐに見ることができる。
ディエゴはあの長い骨を手に持っていた。サンチョは、縄と骨盤を抱えていた。
二人は背と背を合わせて立った。サンチョの見渡せる範囲には、例の骨の穴があった。
『こちらから来ることはまずなかろう・・・』サンチョは緊張の緒を解いた。
あの巨大な穴は、壁際にあった。長辺がほぼ壁の一辺の長さに相当するくらい大きいもので、
そのため、石蓋が開かれた状況では、ちょうど穴の両脇にある角から穴に足を踏み入れることなしに
部屋の中ほどへやって来るのは不可能だったからだ。
サンチョは背中にディエゴの体から沸く熱気を感じ取っていた。同時に、凛とした緊張も伝わってきていた。
サンチョはそのまま待ち続けた。ディエゴも辺りに油断なく気を配り、耳もそばだてていた。
「角から入ってくるのだな。あの窪んだところから。」ふとディエゴが口走った。
「そうですが・・・それが?」
「壁の面は見張ってなくともいいということだな。私は、あの壁がからくり仕掛けで開け閉めすると思っていたのだ。」
ふと二人の緊張が緩んだ。どちらからということなしに笑いが漏れた。
モンスターはまだ来なかった。天井際から差し込む光は、徐々に赤みを帯びていった。
「ふむ、あれか?」
ディエゴの声に、舞うように振り向いたサンチョは、ディエゴが目にしているものをやはり目にした。
窪みの奥の壁が、芋虫が這うように下方向へと流れていた。やがてあの上に、黒い足が見えるはずだ、サンチョは確信した。
「あれです。やがてモンスターが・・・」
その時、下がってくる壁の上に立つ四本の足が見えた。次第に下がってくるその上には、青い毛脛がそびえていた。
「まちがいない。・・・イノシシどもだぞ。よし、サンチョ殿、とにかくガンガンやってやろう。」
「そうしましょう。」
せっかちにも、サンチョの瞼には、既にパパスの偉容しか見えていなかった。
パパスクル━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!?
作者さん乙ですw
進んでて嬉しいっス
作者氏の情熱に乾杯w
壁の隅に開いた細いくぼみ。その右にサンチョ、左にディエゴが立ち、身構えた。
サンチョは左手に先ほどの骨盤を掴み、輪にしたロープをて右手に持っていた。
このロープを置き忘れて行ってくれるとは、オークキングどもも、なんという慈悲深い行動を取ってくれたものだろう。
おかげで武器がひとつ増えたのだ。
サンチョは、魔物と戦っても勝ち目などないと思っていた昨日の自分が偽者であったかのように、
生き生きと目を輝かせて、オークキングたちが降りてくるのを待ち構えていた。
ディエゴはディエゴで、骨を剣のように握り締め、いつでも振り下ろせるように構えていた。眼光が鋭かった。
それとは気づかぬオークキングたちは、自分たちが人間どもを軟禁していると思っている部屋へとてくてく足を踏み入れてきた。
能天気に構えている自分たちこそ、実は、あべこべに監禁される運命だとも思わずに。
だが、ディエゴ一人ならともかく、今はサンチョという協力者がいるのだ。魔物たちはそれを計算に入れていなかった。
先に入ってきたオークキングは、サンチョとディエゴの姿を求めて、部屋の床をのったりと見回した。
その亜鉛色の眼がサンチョの姿を捉えるより一瞬早く、オークキングは鈍い痛みを脳天に感じた。
同時にたけり狂う炎の灼熱をひと筋、顔から腰までにこうむり、その身が裂かれんばかりの強烈な苦痛に、
甲高い悲鳴を上げて太い足を踏み鳴らしつつ躍り上がった。
オークキングの萱色の服と、青灰色の毛から、黒い煙がもうもうと立ちのぼった。ディエゴの火炎斬りが功を奏したのだ。
面目躍如、ディエゴは宙を翔けんばかりに跳びはね回るオークキングの脚を狙い、骨で激しい殴打を加えた。
「ゴキリッ」
サンチョの耳にも打撲の音が届いた。モンスターも人間と同じような怪我を負うものなのだな、と意味もなく思ってみた。
自分はもう一頭のオークキングを手掛けてやろう。
そのオークキングは、サンチョが自分の存在意義を脅かそうとしているのも気づかずに、
仲間の背から噴き上がる黒煙に恐れをなしたのか、その跳躍する姿を両の目を見開いて立ちすくんでいた。
燃え上がる仲間の姿を目にしてうろたえるオークキングの鼻面に、ぴしりと当たるものがあった。
オークキングがはたと我に返ったときは、時すでに遅かった。鼻面はぎりぎりと縛り上げられていた。
サンチョはオークキングの背中にしがみ付き、満身の力で縄を鼻面に巻きつけていた。
いらだたしげにサンチョを振り落とそうとするオークキングの太い首筋に、自分の肥えた両腕を回して、
頑固な蛭のように絡み付いていた。
オークキングは片手に斧を持っていたが、それを振り回してサンチョの脳天にぶち当てようとあがいた。
だが、モンスターが思うほどには、サンチョも鈍重ではなかった。斧を持った側の腕に自分の脚を掛けてやったのだ。
「このっ・・・この・・・この・・・」
サンチョは力任せに縄を引っ張った。裸の胸に、オークキングの首筋のこわい毛がちくちくと刺さった。
オークキングは、鼻道が絞られて息が苦しいのと、しがみ付くサンチョが重たいのとで、
背中からなんとしてもサンチョを引きずりおろそうと激しく暴れ回りだした。
あちらの隅からこちらの壁へ、こちらの壁からそちらの角へと、猛烈な勢いで部屋中を駆けずり回った。
そうすれば背中の人間を振り切って落とすことができる、そう思ったのだ。
だがサンチョはそれを許さぬほどの馬鹿力で、オークキングの首っ玉にかじりついていた。
子供の頃、こうして羊や豚を乗り回して遊んでいた。それが今、こんな形で役立つとは予想もしていなかった。
そして、オークキングの脳裏には、後ろ向きに駆けて壁にぶつかってやれば、この人間もいちころだ、という考えは
ただの一瞬たりとも思い浮かばなかった。イノシシの仲間という以上、致し方のないことだった。
イノシシは後ろ向きに駆け回ったりなどしない。まさに猪突猛進、という言葉のとおり、ひたすら前へと走るのみだった。
そのうち、オークキングの息の根が弱まってきたのが、背中のサンチョにも伝わってきた。
もう走り回る余力を失っていた。よたよたと千鳥足で進んだかと思うと、その場にばったりと倒れて動かなくなった。
「・・・死んだのか?・・・」
先ほどから眺めていたディエゴが、心配そうな声で尋ねた。ディエゴには魔物どもを気遣う理由など無かったにもかかわらず。
「・・・いえ、おそらく失神しただけでしょう。ディエゴさんのほうは?」
ディエゴは自分が戦っていたオークキングの体に目をやった。
わずかに胸が上がり下がりしていたが、横ざまに倒れたまま、身もだえひとつしなかった。
青い毛は、ディエゴの火炎斬りと稲妻斬りのために、見るも無残に焼け焦げていた。ところどころ皮膚が破れていた。
そこから血が流れていないのは、毛と同じように、傷口も焼かれて塞がってしまっているからだった。
モンスターとはいえ、さすがにその惨めな姿は、そぞろ哀れを催した。
「なんだか可哀そうですね。こいつらだって、たぶん誰かに命令されて、我々の世話という任務に就かされていたんでしょうに・・・。」
「可哀そうか?ふむ、しかし私は同情するつもりはないな。こやつらは邪悪な魔物の手下に過ぎんのだし。
それに、連中には、あの怪しい水があるんだ。我らが気をもんでやる必要などなかろう。」
この時になって、サンチョは、自分が倒したほうのオークキングが、トイレの穴に足を突っ込んで転んでいるのに気が付いた。
そう言えば、蓋の板は取り外したままだった。こちらもぶざまな倒れようだ。
自分はどんな事があってもこんなみっともない格好で死なないことを、サンチョは願った。
「・・・さあ、ディエゴさん。早くここから脱出しましょう。オークキングたちが正気を取り戻す前に。」
「いや、ちょっと待ちたまえ。」
ディエゴは、サンチョがしがみ付いていたほうの魔物のそばへと歩いていった。そして傍らに膝を突くと、
その懐に手を差し入れて何やらしているようだったが、やがて一枚の白い布と、一条の縄を取り出した。
更に、脇に落ちていた斧も拾い上げた。先ほどオークキングがサンチョを殴ろうと振っていた斧だ。
これでモンスターから奪えるものは奪いつくしたということか。サンチョはディエゴの行動に、そう判断を下した。
ディエゴはサンチョに斧を手渡した。
「さあ、これでそなたも、手ごろな武器ができただろう。この先、あの化け物獅子などに出遭っても、応戦できるぞ。」
二人の男は肩を並べ、エレベーターとなる部屋のくぼみへと向かった。
素直に面白い
今まで見たどのSSよりも素晴らしい
何気に人気上昇中スレ
このスレ素晴らしすぎる
妬ましいほどに洗練された文章力だ・・・
この板で最高の良スレだな
スレの杜に掲載されるのも時間の問題かと
記念カキコ
ゼノサーガep2の数千万倍は面白いストーリーだ
数日来いろいろと都合で来られなかったけど・・・
なんだかすごくスレが伸びてる。(・∀・)
>>367は私もけっこう見に行ってます。
最近すばらしい神が降り立ったようで、がぜん面白いスレになってまいりました。
サンチョは裸エプロンなのかどうか気になりますが。
作者タソ いつも乙です
かなり楽しませてもらっています(;゚∀゚)=3
エレベーターシャフトとなるくぼみの中は、部屋の中よりもさらに薄暗かった。ディエゴが先に立ち、中を覗き込んだ。
くぼみは、サンチョが朝のうちに調べていたとおり、男二人が立てるくらいの広さがあった。
その中にあるエレベーターは、オークキングたちが入ってきたときそのままになっていた。
すなわち、エレベーターのリフト部分となっている柱の頂上が、床と同じ高さになるまでに下がっていたのだ。
「これに乗ってしまえば、後は上でも下でも自由に動けるのでしょうかね?」
「試してみるしかあるまい。」
ディエゴはサンチョの問いかけにシンプルな言葉を返すと、エレベーターの柱の上に足を載せた。
「なるほど、上がり下がりする柱とはな。魔物どもにしては、随分と面白いからくりを拵えるものだ・・・や、や、や!?」
ディエゴが頓狂な声を上げた。何か問題でもあったのかと、釣り込まれるようにサンチョも顔を突っ込んだ。
怯えの黒い翼が胸を覆った。もしかすると、柱がいきなり床にめり込んだり、上に飛び上がったりしたのではないか。
突然柱が上がったりしたら、私たちはモンスターと共にこの部屋に閉じ込められたままになる。
せっかくのチャンスを無にしてしまったことになるだろう。それだけは嫌だった。
ここから逃げ延びて、パパス様を探しに行くことが、いまこの瞬間のただひとつの望みだった。
その望みが叶う機会が永遠に無くなってしまったのかと、サンチョは危惧した。だがそれもわずか一瞬の間だった。
柱はなんら上下には動いてなどいなかったのだ。まるで動いたことなどないかのごとく、床に潜りこんだまま静止していた。
ディエゴが驚いたのは、全く違うことに対してだった。
戦士は目を凝らして、可動柱のさらに奥を見ている。壁しかない、サンチョがそう思っていた場所を見つめている。
「ディエゴさん、その上下する柱の後ろは、壁でしょう?なにか見つかったんですか?」
「サンチョ殿、この柱の向こう側に、隠し通路があるぞ。」
ディエゴは身を引いて、自分が発見したものが、サンチョにも観察できるように仕向けた。
柱を挟んで、サンチョたちが今までいた部屋の反対側に、空間があった。
そこは鼻をつままれても分からないほどの暗闇だった。だが、確かに空間があった。
「やれやれ、我ながらこの愚かしさには参ってしまう。どうして今までこの空間に気づかなかったか・・・。」
ディエゴが苦笑いを交えながら、サンチョに話しかけるともなく言葉を発した。
「それはモンスターたちが、この空間のことを気取られまいと、巧みに隠していたからでしょう。
どうします?この空間の先に行ってみるか・・・それとも、柱に乗って上へ上がるか?
私としては・・・ええっと、暗すぎるところはどうも苦手で。」
「ふむ・・・サンチョ殿は、こちらはお望みではないか。私は、逆の考えなのだが。
つまり、こちらの空間の先に、この塔から出られる手がかりがあるような気がするのだよ。
見たところ、この部屋は地下にあるわけではない。もしかすると、この先に、外へ出る道があるかもしれない。
だいたい、上に行ったところで、屋根の上に出るだけだからな。そこから飛び降りるわけにもいかないだろう。
ひょっとすると、この階も、二階や三階かもしれないが…少なくとも…飛び降りるのなら…少しでも低いところから…」
ディエゴの声は次第にか細くなっていった。サンチョの頭に、昨夜ディエゴが話していた事柄がふっと甦った。
モンスターに高い所から落とされたことがある、と。ディエゴはその恐怖を思い起こしたのかもしれない。
上へ登るより、高さを変えずに進むほうが、この戦士にとっては都合がいい、そうサンチョは結論付けた。
そして、この戦士と行動を共にするほうが、サンチョにとっても何かと得なのだ。
「な、なるほど、ディエゴさんの言うことにも一理ありますね。では、こちらの先に行くことにしましょう。」
サンチョは、とりたててディエゴを宥めようとしたわけではないが、自然とたおやかな口調でしゃべっていた。
「あ、ですけれど、この先は真っ暗闇ですよ。明かりがないと。」
「むむむ。サンチョ殿の言われるとおり。私の魔法剣をともし火代わりにするのもいささか無理があるな。
おお、そうだ。これを・・・。」
ディエゴは、さっきオークキングから取り上げてきた白い布をサンチョに渡した。
かなり使い込まれて、織糸が弱くなっていた。どうやら、ディエゴやサンチョの体を拭くのに使っていた手ぬぐいのようだ。
「これはいい考えですね。細く裂いて縒り合わせれば、松明の代わりになります。
それで、火はどうやって付けますか?ディエゴさんの火炎斬りだと、松明を切ってしまうでしょうし。」
「そんなことをしたら、せっかくの松明がずたずたになってしまうな。うむ、先ほどの・・・」
ディエゴが手を広げると、白い物がその上に載っていた。先ほどほかの骨と一緒に見つけた牙だった。
「火打石代わりになるだろう。」
サンチョは牙を受け取ると、ディエゴに言った。
「ディエゴさん、私が火をともすまで、モンスターたちを見張っていてくれませんか。」
「無論だとも。そなたには指一本触れさせぬ。」
サンチョは布を幾本かの細紐に裂くと、固く縒り合わせた。端は糸を毛羽立たせて、火が燃え移りやすいようにした。
続いて、牙を石壁に叩きつけた。カツ、カツ、と甲高いが響きの悪い音がした。赤い火花が飛んだ。
「これはうまく火が採れそうだ・・・。」
しかし火花は出るものの、なかなか布には燃え移ってくれない。なにか火口(ほくち)代わりになるものが必要だった。
好都合なのは硫黄か油だ。だがそのどちらもここにはなかった。そこでサンチョは一か八かの方法を試してみた。
自分の丸っこい鼻ににじみ出している油を、布の毛羽立ちに塗りつけてみたのだ。
炎を作ろうとサンチョが苦心惨憺しているそばで、ディエゴは用心深く二頭のオークキングを見張っていた。
自分の額から脂汗が出ているのが分かっていた。それを拭き取りたいとも感じていた。
だがここで油断は許されなかった。
ディエゴは、サンチョに話していないことをひとつ知っていたからだ。
『あの蒼いイノシシは、死の呪文が使えるのだ・・・。』
もしそんな話をしたら、この丸々と肥えた従僕のような男は、洗い立てのシーツのような真っ白な顔色になって、
そのままひっくり返って動かなくなってしまうだろう。ことによると、それきりという事になるかもしれない。
せっかく出会ったこの男を、みすみす死に追いやろうなどということは、思うだけでも耐えられないことであった。
自分が得た仲間と別れてしまうということ、そして純粋に、この丸っこい男のために・・・
ディエゴは、自分がサンチョに好意以上の感情を抱いていることに、漠然と気づいていた。
その正体は茫漠としていたが、昨晩サンチョの体の一部を弄したことへの反省でないことは確実であった。
『一ヶ月も人間に会っていないから、そんな気が起こるのかもしれぬ。』
『薄暗い部屋にこもっていて、姿が定かに見てとれないから、こんな感情が巻き起こるのかもしれぬ。』
自分にそう言い聞かせてはみるものの、その感情は収まるどころか、次第に膨れていくようであった。
サンチョのために、そしてその感情を抑圧するために、ディエゴはオークキングたちをじっと見つめていた。
なにも分からないオークキングたちは、身動きひとつせず、ただ床に倒れたそのままの格好を保っているのみだった。
ポウと音を立てて、即席の布松明に火がともった。懐かしげな音だった。
どうやらサンチョの鼻の脂もそれなりの効果があったようだ。布はいぶるような煙を立てて燃え上がり始めた。
「ディエゴさん、火が、火がつきましたよ!さあ、行ってみましょう。」
「おお、これは・・・うまくやったな。それでは、サンチョ殿、火を持っているそなたが先導してくれないか。」
「わわ、私が、ですか?いやや、でもディエゴさんは万が一のときに戦ってくださるのですよね?
ではお言葉に甘えて・・・。」
なんだかとんちんかんな事を口に出しつつ、サンチョはエレベーターリフトを乗り越えて、暗闇へと足を踏み入れた。
ディエゴが間断なく気を配りながら、その後ろに続いた。
「ディエゴさん、足元に気をつけて・・・なんだかにおいますね。」
それは単に、燃える布が放つすすけた臭いでしかなかった。松明は、辺りをうすぼんやりと橙色に照らしていた。
光の入ってこない薄闇に目が慣れてしまったディエゴには、そのくらいの明るさでも物の形を知るには事足りたが、
サンチョにはほとんど何も見えないも同然だった。
「おっとっと・・・」
二歩ばかり踏み出したサンチョは石の継ぎ目に足指を引っ掛け、つまずきそうになった。
「大丈夫か、サンチョ殿?」
「ええ、なんとか。」
サンチョは、少しでも松明を明るくしようと、縒り合わせた布をほどいてみた。面積の広がった炎は、いちどきに明るくなり、
空間をあかあかと照らし出した。サンチョはディエゴの髭面が火に照り映えて煉瓦色に染まるのを見た。
「そこまで明るくしなくとも、私には物が見てとれるのだが。・・・おや、あれは?」
ディエゴは前方を指差した。いや、前方というほど遠くでもなかった。わずか十歩ほどの距離だったからだ。
ほとんど目と鼻の先といっても差し支えないほどの近さに、窓のようなものがあった。
「これは、まるで窓ですね。いや、積みかけの壁、とでも言うべきでしょうか?部屋の中に、これはまた妙な。」
サンチョはその壁のようなものに近づいていった。もちろん調べてみるつもりだったのだ。
まさか壁が起き上がるなどとは予想だにもせずに。
壁がいきなり背伸びをした。サンチョとディエゴにはそう見えた。
壁からのしり、のしりと二本の脚が生えた。さらに二本の腕が生えた。
瓦礫のような姿のモンスターがうずくまっていただけだったのだ。ストーンマン…パパスがいたらそう教えてくれただろう。
「サンチョ殿!ここは私が!」
ディエゴは稲妻斬りを放った。あたりの空気が白く輝いた。
ストーンマンは声もなくその場に崩れ落ちた。石積みの崩れ落ちる音だけが大きく響いた。
「な、なんという・・・こんなモンスター、私は初めて見ましたよ!石だなんて・・・石でできてるなんて・・・」
サンチョは驚きのあまり震えが止まらなかった。毬のような腹がさざ波のように揺れていた。
手にはしっかり松明を持っていた。幸いにも炎は消えていなかった。
「こんな建物と見分けのつかない魔物までいるのか・・・気を引き締めないと。」
ディエゴはさらに予断なく辺りを見回した。サンチョも松明を高くかざし、周囲を眺めわたした。
そしてサンチョの目に不思議な形のものが映った。二十歩ほど先のほうだった。
初めは棚だと思った。横一文字に長かったからだ。その中央付近に何かが載っているらしいのも見えた。
それは、ちょうどサンチョの目の高さのところに架かっていた。宙に浮いているようにも見えた。
しかし正体を確かめるには、明かりが届かず薄暗すぎた。
「あれは・・・?」
ディエゴに話しかけたサンチョの言葉には、『用心のためについてきて下さい』という促しの音色が聞き取れた。
たった今、壁に化けたモンスターに襲われた二人が、この怪しい物体を調べるのに躊躇したとしても当然であろう。
しかし、『もしかするとあの棚のようなものがここから出る鍵になるかもしれない』という考えのほうが勝っていた。
サンチョは松明を持った右手を突き出し、ディエゴは骨を構えて持ち、おもむろに近づいていった。
「棚ではない。台でもない。あれは・・・いや、しかし・・・」
十歩ほど来たところでディエゴが口走った。サンチョの目にも正体は依然不明だった。
しかし二人とも、こういうものをどこかで見たような気がしていた。だがこれは、本来あるべき形ではないのだ。
さらに三歩ほど歩いたとき、サンチョは床に目を落としていた。
その棚のような物体の下に、落ちているものがあった。弱い明かりに照らされて、白色に鈍く光っていた。
どうやら輪を描いているように見えた。ところどころに尖ったものがあるようだった。
「あ、あれは・・・まさか・・・!」
サンチョは呆然と立ちすくんだ。その白いものの正体を確信したのだ。
同時に戦慄が背中を走り抜けた。魔物に襲われるよりも恐ろしい状況を直感的に予測した。
次の瞬間、衝撃のあまりサンチョは松明を抛り投げた。オレンジの弧を描いて光が飛んだ。
危ぶんで目を見開いたままのディエゴの前で、サンチョは跳んだ。
そして叫んだ。
「パパス様!パパス・さ・まぁ〜!!」
サンチョは泣いた。涙を驟雨のように流して泣いた。
棚のように見えていたものは、ほかならぬパパスの脚だったのだ。
サンチョはパパスの身体にすがりつき、とめどなく流れる涙をぬぐいもせず、のどの奥から声を絞り出して泣いていた。
自分の胸中にあった不安、孤独、切なさ、寂しさ、つらさ、やりきれなさ、恐ろしさ、そして懐かしさ、嬉しさ・・・
離れ離れになってわずか二日しか過ぎていないのに、サンチョの心にはあらゆる感情が鬱積していた。
床に落ちていた白いものが、パパスの首飾りと分かった瞬間に、サンチョは、すべての自分の感情をさらけ出した。
そうしてあられもなく号泣するサンチョの姿を、ディエゴは、後ろに数歩離れて立ったまま見つめていた。
手にした骨を床に立てて、安堵感や同情よりも、むしろ不気味なものを見るまなざしで眺めていた。
再会したパパスの姿は、異常なことこの上ないものだった。
パパスの体は、サンチョやディエゴの顔の高さに仰向けにぶら下がっていた。
その吊りかたも異様だった。
パパスの両脚は、股がほとんど一直線になるまでに開かれていた。
そして、右の足首には右手首、左の足首には左手首が、それぞれ縄でがんじがらめに縛り付けられていた。
その両手両脚を、さらに両側から縄で引っ張っていた。縄の反対側の端は暗闇にまぎれていたが、
重りか動力を使っているのであろう、縄がいっぱいに張り詰め、パパスの体も左右から引きちぎられそうになり、
あらかた耐え切れなくなっていることが、サンチョの目にもすぐに見てとれた。
パパス!!
うわー!
続きが気になるー!
パパス… (´д`)
今後のディエゴも気になる
パパスキタ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(゚∀゚)゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*!!!!!
ヒイィィィ・・・・
でも続きが気になる
どういうわけかこのスレ削除依頼出されてますよ
「早く・・・はやくこのロープを解かないと、パパス様が、パパス様が・・・」
サンチョの両目から、涙が筋のように流れ出し、肉のたるんだ顎を伝って石の床に落ちていった。
サンチョはパパスの手首を両手でわしづかみにして揺さぶった。
「パパス様、今このサンチョめが、サンチョめが、お助けいたします!」
サンチョの肉厚の手の中で、パパスの手は材木のようにひんやりとしていた。
だが心乱れるあまりに頭へ血が上せてしまったサンチョには、そのぬくもりの無さがどういうことかを判断するには
あまりにも冷静さを欠いてしまっていた。ただひたすらに、縄のもつれを緩めようと、指で無茶苦茶に引き回すのだった。
松明は床に落ちて、僅かな種火を残してくすぶっていた。暗闇の中に茜色の粒だけがいくつか光って見えた。
明かりの消えたこの状況で、こんがらかった結び目をほどくなどどだい無理な話だった。
それでもサンチョは、パパス様の手首からロープをほどいてさしあげようと、無駄なあがきを続けるのだった。
そうするうちに、サンチョは、ロープをほどく指に何やら生温かいものが這いずるのを感じた。
それは、サンチョの目の前にある筈のものであったが、暗い中では目にすることさえ全く叶わなかった。
『これは、いったい・・・?』
サンチョはロープから手を離し、指を静かに曲げてみた。わずかに粘り気があった。液体のようだった。
「これは・・・!パ、パパス様、どうか、お命を・・・!」
サンチョは声を上げた。ほとんど悲鳴に近い、鋭い叫びだった。
サンチョの指を流れた液体は、パパスの手首から流れ落ちる血だということが、見えないまでも確信できたからだ。
このままでは、パパス様のお命が危ない、とっさにそう思ったサンチョは、パパスの体をつかんで床に引きずりおろそうとした。
だが、手首と足首を縛られて宙吊りにされているのだから、無論そのような事が叶うはずもなかった。
パパスの手首足首に掛かる縄が、肉にきりきりと食い込んだ。縄のよじれる音がサンチョの耳にも届いた。
パパスは呻き声ひとつ立てなかった。縄も、縒りひとつとして切れようとはしなかった。
「なんという・・・パパス様・・・」
サンチョが洟をすすり上げる音が、石壁にこだました。
それからサンチョは嗚咽した。
自分自身の不甲斐なさに、パパス様を救うことのできないこの役立たずの召使に、サンチョは絶望と憤りを感じた。
そして、背中に固く温かいものが当たるのを感じた。
「サンチョ殿?サンチョ殿?泣くのはよしたまえ。」
ディエゴはサンチョをずっと見つめていた。闇を陰ともわかぬ中で、燃えさしの松明のわずかな火を頼りに、
サンチョが孤軍奮闘するのを眺めていたのだ。
「この御仁がどなたかは私は知らぬ。だが、見たところ、たしかに恐るべき窮地に追い込まれているようだな。
このような縄は、ほどこうとするだけ無駄というもの。断ち切ってしまうのが手っ取り早かろう。」
「なんですと!?」サンチョは突然きっとなり居直った。
「ディエゴさん、あなたは・・・あなたという人は、パパス様の腕を斬り落とすと・・・そう言われますか!」
サンチョは自分がありえない勘違いをしているのに気が付かなかった。頭にはまだ血が上ったままだった。
脳味噌が頭蓋の中で煮えくり返るようだった。
ディエゴはサンチョがおそるべき誤解をしていることにすぐ気が付いた。だがどういうわけか不快感は感じなかった。
「サンチョ殿、その御仁の体を支えていてくだされ。」
ディエゴはサンチョに言った。一つ一つの音節をはっきりと区切るように、大きな声で発声した。
面映ゆいことだ、戦士は思った。昨日はまるで慈母のようだったこのまるまっちい男が、
今この吊られた男の姿を見た途端に、まるで手の付けられない駄々っ子のようになってしまってる。
昨日は世話を焼かれるのがこの自分、今日はうって変わってサンチョ殿が面倒を見られる側なのだ。
サンチョ殿の喜ぶ顔を見たい・・・いや、この暗闇では無理なことだが。
しかし、あの丸くてちょび髭を帯びた面が喜悦の輝きに満たされるのを、ディエゴはしきりに願うのだった。
サンチョ殿の笑顔があれば、この暗闇も払いのけられそうに思えた。そんなことなど起こるはずも無いが。
サンチョはディエゴに指図されたとおり、パパスの体を支えた。まだわずかにぬくもりが感じられた。
サンチョはまだ洟をすすっていた。時折むせて、小さな咳を出した。
今になって、ようやく落ち着きが出てきた。
冷えた頭で考えれば、ディエゴさんがパパス様の腕を切り落とすなどあるはずが無いのだ。
ディエゴは骨を左手で握った。右手で自分の周囲の闇を払いのけるように手を振った。
何か固くて弾力のあるものにぶつかった。どうやら、サンチョ殿が「パパス様」と呼ぶ御仁の胴体とみたぞ。
ディエゴはそこからパパスの体をまさぐって行った。
毛むくじゃらの部位にぶつかった。窪んでいるところから察して、ここは腋の下だ。ならばこの先に手があるはずだ。
サンチョにはディエゴが何をしようとしているのか、てんで見当がついていなかった。
これは、サンチョとしてはおそるべく判断力に欠けていると言わざるを得なかったが、サンチョはそれにも気づいていなかった。
サンチョの全神経は、パパス様の身の安全に向けられていたのだ。
闇の中で、サンチョはパパスの胴を支えていた。両腕で抱擁するように支持していた。
厚い胸板の下に、わずかにうごめくものを感じていた。弱々しくはあったが、規律正しく動いていた。
パパス様の生活態度のように規則正しいぞ、とサンチョは思った。やはりパパス様の心臓も規則正しく動くのだ、と。
ディエゴは絡みついたロープを自分の指先に感じ取った。おそらくここが、この男の手首だろう。
さらにその先を、手先のあると思われるほうへとたどっていった。そしてぎょっとした。
男の手に触れたのだ。まるで海を泳ぐ魚のように冷えているではないか。
『これは・・・まずい!一刻も早く救わねば。』
ディエゴには自分がどういう行動を起こすべきか、よく分かっていた。
この男−パパス氏−は、縄で吊られているのだ。縄を切ってしまえば床に落ちてくる。
縄を断ち切るには、自分の得意技である火炎斬りでじゅうぶん間に合うということも予測がついた。
魔物どもが使っていた縄は、みな植物の繊維を編んで作ったものばかりだ。この縄も同様だろう。すぐ燃えてしまうはずだ。
ディエゴは、宙を走るように一文字に張られたロープに触れた。これを切断すればよいのだ。
「とうっ!」
石の部屋が、一瞬赤々と照らし出された。くだんのロープは、切り口から火の粉を飛ばしつつ切れ落ちた。
パパスの体はがくりと右側に崩れ落ちた。ディエゴが切り離したのが、右手首につながるロープだったからだ。
どこかで重い石の落ちて割れるような音が聞こえた。だが、サンチョも、ディエゴも、その音の正体になど構っていなかった。
「パパス様!」
サンチョはパパスの体の下に身を滑り込ませた。落ちてくるのを支えようとしたのだ。
「・・・今度は左手を吊っているロープだな・・・」
ディエゴは独り言をつぶやくと、パパスの左脇に回った。パパスとサンチョの体を蹴らぬように用心しつつ。
ロープはパパスの体の重みで、かなり斜めになっていた。パパスの指に傷を負わせずに、この縄だけを切ることは、
すでにディエゴにとってはたやすいことであった。
「うがっ・・・!あ、パ、パパス様・・・。」
サンチョが潰れたような声を上げた。パパスの体を吊っているロープが両方とも断ち切られたので、
パパスの真下にいたサンチョは、突然掛かってきた重みに耐えられずに、こんな声を出したのだった。
「これで・・・この御仁は・・・助かったのか・・・?」
ディエゴはつぶやいた。
サンチョはパパスの体に取りすがっていた。だがもう涙は流していなかった。
パパスの額には熱があった。顔は闇の中で見えなかったが、頬を触ってみると熱かった。
「パパス様・・・生きていらっしゃったのですね・・・このサンチョ、どれほどつらい思いをしたことか・・・
そしてパパス様も、どれほどつらい目に・・・」
サンチョは胸いっぱいになって、パパスに向かってつぶやいていた。
パパスの顔には横に布が巻かれていた。さるぐつわだった。
サンチョは布を外そうとしたが、結び目が固く、暗い中でほどくには無理がありそうだった。
>>383 こういう展開を嫌がる人もいますからね(311氏とか)。
801ちっくなのが不愉快だとか、いろんな理由を付けてくる人がいらっしゃいます。
もっとも削除依頼が出されていたのに完走したスレの例もあるそうです。
トルネコ×ブライスレによると、「肉便器マーニャ」というスレが、
削除依頼を何度も出されていたにもかかわらず完走したとか。昔の話ですが。
>>311 お前ホント屑だな
この板からいなくなれよ
>>311 さっさと削除依頼取り下げてこいよ
ほら、ぼさっとしてないで今すぐに
>>311 SS書けないヤツが書ける奴に文句言うなよみっともない
悔しかったら俺らゲイを満足させるSS書いてみ?ww
>>389-
>>392 やめれ。
311ごときに良スレ汚すのはもったいない。
>>389-
>>393 削除依頼を出したのが311かどうかは全然分かりませんから、
いくらなんでも根拠も無しに責めるのは理不尽でしょう。
だいたい311がまだこのスレを見ることがあるのかどうかも分かりませんし
(これからもう少しハアハアになる予定なので、311には見るのも耐えられなくなるでしょうが)。
そもそも、既に>6で「削除依頼を出した」とか言っている人がいますから、
>383さんが見つけたのはそれかもしれません。
削除依頼スレへ行って調べてみましょう。
>392さんってお仲間なんですね…。
削除依頼に負けず(,,゚Д゚) ガンガレネ申!!
「パパス様、目をお覚ましください、パパス様・・・
サンチョが参りましたよ。さあ、ともにマーサ様のもとへ・・・」
サンチョはうわずった声でパパスに呼びかけていた。だが、パパスの体はぐったりとしたまま微動だにしなかった。
サンチョの瞼に残っていた最後の涙のしずくが、パパスの顔に落ちた。
一瞬のあいだ、サンチョはおとぎ話のような現象を期待した。この涙で、パパス様が蘇るのではないか、と。
しかし何事も起きないのを見て取り、サンチョは肩を落とすと、落胆と絶望の入り混じった暗いため息をついた。
「パパス様、パパス様なしで、このサンチョ、この先いったいどうすればよいのか・・・。」
サンチョの人差し指が、パパスの口を覆う布に触れた。中指の先にとげとげとした髭が当たった。
ディエゴは、サンチョの後ろで相変わらず骨を剣がわりに構えて立っていた。
あの蒼いイノシシどもとて、そういつまでも失神はしていないはずだ。
もうこのくらい時が過ぎれば、いい加減に起き上がって、こちらを探しに来てもおかしくないのだ。
魔物に注意を向けるとともに、ディエゴは、なかなか立ち上がろうとしないサンチョにいら立ちを感じ始めていた。
なぜ、サンチョ殿は、その連れの御仁を明るいほうへ連れて行って世話をしないのか。
このような暗いところでは、たとえ怪我をしていても見ることができず、手当てが不行き届きになる。
それに、暗くて鼻をつままれても分からないほどなのだから、当然顔や体も見えないわけだ。
かくあるからして、この者がサンチョ殿の捜していた御仁であると、確信を持って言うことはできないのだ。
いずれにせよ、そろそろ声を掛けて、三人でここから逃げ出す準備をしなければなるまい。
ディエゴの顔に焦りの雲がかかったが、闇の中では誰も気づくはずが無かった。
その声を耳にしてやっと、サンチョもディエゴが自分をせきたてていると気が付いた。
「サンチョ殿、あのイノシシどもも正気に戻る頃だ。その御仁を連れて、早く逃げ出さなくては。」
サンチョは気が進まないといったそぶりで立ち上がった。もちろん、ディエゴの発言の正当さは十分承知していた。
ここから逃げて安全な所に移ってから、パパス様の治療に専念すればよいのだ。
そう頭では分かっていたが、どうしても心がこの場から去りたがらなかった。
「さあ、サンチョ殿、はやくお動きくだされ・・・その御仁は背負うなり抱くなりして連れて行けばよろしい。」
ディエゴの発案に、やっとサンチョも目の鱗が落ちたような心持だった。
「そうだ、私は・・・いつもパパス様に付き従うばかりで、パパス様を導くということをしたことがなかった。
この場を離れたくないと思っていたのも、パパス様がご自分から進んでここを去ろうとしないからだったのだ。
お気の毒なパパス様・・・動こうにも動くなどもってのほかなのに、こんな愚かな召使を連れることになってしまうとは。」
サンチョはのどの奥でこうつぶやいた。
そして再び屈みこむと、手探りでパパスの両腕と両脚を探し当てた。
パパスを吊っていたロープはディエゴの一太刀で切られていたものの、
手首と足首とを縛り合わせている縄は全く緩む様子もなかった。
サンチョはパパスの体を自分の背中に乗せると、両腿をつかんで支えた。
パパスの膝は力なく曲がり、サンチョの腰の両脇に垂れた。
サンチョがパパスを背負う雰囲気を感じ取ったディエゴは、二人に背を向けると、先ほど通ってきた部屋の戸口へ、
例のエレベーターとして活用されている柱のほうへと歩いていった。そちらのほうはまだぼんやりと明るかった。
サンチョはその後に続こうとして、何か硬いものの上に足を載せた。パパスの首飾りだった。
サンチョがパパスを見つけ出すよすがとなった代物、パパスが王になるときに贈られたという宝だった。
『これを持ち帰らなかったら、パパス様はいかにお嘆きになることか・・・。』
サンチョは身を低めて足元の首飾りを拾うと、ディエゴのあとを追った。
パパスの体が、自分の背に埋まるように重かった。
ディエゴは例の柱の前でサンチョを待っていた。
「これに乗れば、上に上がれる。少なくとも屋根の上に出られるはずだ。
だが、その先どうしたらよいのか、見当がまるでつかないのだ。
私の考えでは、上に出るのは、この階をじっくりと調べてからでも遅くはないと思うのだが。」
「明かりがありませんよ。こんな闇の中を進むのは無理です。」
サンチョは言い放った。言ってしまってから、自分のぶっきらぼうさに後悔したが、
一度口を飛び出した言葉が帰ってくるはずがなかった。
背中のパパスに聞かれなかったのが幸いだと思った。こんな物の言い方を聞かれたら、きっととがめられる。
「うむ、それも一理あるな。」
ディエゴはサンチョの口の利きかたなど気にも留めていなかった。脱出することのほうが優先だったのだ。
サンチョとディエゴの牢となっていた部屋には、いまだ二頭のオークキングが倒れていた。
その部屋の中も、徐々に薄暗くなっていた。もう日が沈みかけているのだ。
鉛色に変わる光の中で、サンチョとディエゴは、もう互いの顔も見えなくなっていた。
「・・・やはりこの部屋から出ましょう。上に上がるんです。」
不意にサンチョが言った。ディエゴは、意外な発言に、ややうろたえた。
「それはまた突飛な意見だが。」
「ここにはあのモンスターがいます。いつ起き上がってくるか知れたものではありません。」
サンチョはオークキングたちのほうを顎でしゃくって見せた。両手は後ろに回してパパスの体を支えていたからだ。
「屋根の上なら、私たちは逃げられません。モンスターたちもそれは承知済みのはず。
私たちを見張ることはあっても、追ってきたり、手を下したりすることはないでしょうから。」
「うむ・・・それも一つの案だ。連中にとっては、我々を生かしておいたほうがずっと得策だからな。」
ディエゴもうなずいた。
「では上へ行ってみようか・・・。」
サンチョとディエゴは、並んで柱の上に立った。サンチョはパパスを背負ったまま、ディエゴは骨を握ったまま。
ややあって、柱は自動的に上昇を始めた。三人の頭上はインクを撒いたように暗かった。
パパスは身じろぎもしなかった。サンチョに自分のすべての重みを預けていた。
サンチョは一瞬、そんなパパスに、限りないほどのいとおしさを感じた。
パパスの心臓の鼓動が、サンチョの背中を通して肌越しに伝わっていた。
(・∀・;)ドキドキ
7月10日の時点で削除人さんは、削除対象外と判断して下さったみたいですね
こんな 良スレを けすなんて とんでもない!
こんなヘボ小説を応援してくださっている皆さんこそ神です。
これからも頑張らせていただきます。
なお、別の小説のネタも平行して考えてあるのですが、
このSS(と呼ぶには既に長すぎますが)が終了したら、書こうかなと思ってます。
もちろんサンチョ&パパスですが、801度ゼロのものを。
三人の男の体躯を載せて上昇していた柱は、やがてぴたりと止まった。伸び上がるところまで伸びたのだ。
すなわち上の階に到達したということを表していた。あるいは屋根の上かもしれない。
まずディエゴが足元を確かめつつ、おもむろに柱から足を踏み出した。
「問題ない。」
ディエゴの言葉に牽引されるように、背中にパパスを背負ったままのサンチョも足を踏み出した。
夜の冷たい空気に晒されて冷え始めた石の肌が足の裏に触れた。わずかなぬくもりが残っていた。
「ここは外なのか・・・それともやっぱり塔の中になるんでしょうかねえ?
まず、塔の中なら、どこかに扉や窓があるはずですが・・・えーと。」
サンチョは左右をゆっくりと見渡した。すると、右手のはるか向こうのほうに、赭光(しゃこう)が見えたではないか。
たぎる炎のような色に、サンチョはもとより、ディエゴまでもがぎょっと跳び退った。
だが、炎に焼き焦がされると思ったのもつかの間のことだったのだ。それは地獄のとば口ではなく、生命の源であった。
まさに夕日が沈もうとしている姿が、壁に空いた戸口のちょうど正面に見えていたのだ。
「出口だな。」ディエゴが言った。
「だといいのですが。」サンチョが答えた。
混ぜっ返すつもりはさらさらなかったが、日常の用心深さがここで片鱗を示したのだった。
二人は茜色の中へと歩を進めた。
はるかかなたに見えたその光への道のりも、進んでみればわずかに三十歩ほどしかないことがわかった。
やがて、サンチョとディエゴは、塔の壁を抜け、太陽の光のもとに立った。
全身に赤い光を浴び、紫色の陰を足元と壁にたなびかせ、かなたに広がる大地を見はるかしていた。
黒い木々の森が地平線を飾っていた。紺碧の空が塔の上に広がっていた。
「寒くはないか、サンチョ殿。」ディエゴが尋ねた。
「いいえ、ディエゴさん。お気遣いありがとうございます。」サンチョが答えた。
さしあたって処すべきことは、パパスの介抱だった。二人ともそのことは重々承知していた。
ただし、その目的は互いに異なっていた。
サンチョは、自分が敬愛し、自分が仕えるグランバニア国王を死の淵から連れ戻すために、
ディエゴは、パパスが自分の足手まといにならず、逆に三人で助け合うことで、少しでも逃げ出せる確率を上げるために、
パパスの命と魂を救おうとしていたのだ。
サンチョは背中の男を下ろした。そして、足元に仰向けに横たわらせ、その顔をつくづくと眺めた。
男は紛れもなくパパスであった。サンチョとディエゴの姿同様に、胴には一枚の布もまとっていなかった。
身に着けているものといえば、両の手足を縛り付けている縄と、顔に回されて口をふさいでいる細い布地だけだった。
どこかで見たことのある布だとは思ったが、サンチョにはその正体が思い出せなかった。
顔は血の気がなく、薄黒くなっていた。黄昏の臙脂色の日差しの中では、藍色にも見えた。
目は力なく閉ざされて、眼球の丸みが瞼の上から見て取れた。下の瞼には木炭色のくまができていた。
息遣いは荒かったが、同時にか細くもあった。何か口の中に詰められているらしい、とサンチョは判断した。
まずその物を口から出してやり、呼吸を楽にしてやるのが手始めだった。
「さあパパス様、いまこのサンチョがお助けいたします・・・。」
サンチョはパパスの口に掛けられた猿ぐつわをほどこうとした。結び目はパパスの左の頬骨の上にあった。
だが、結び目はあまりにも堅く、サンチョの手には負えなかった。爪を挿し込むのがやっとだった。
モンスターが力任せに締め付けたとみえ、パパスの頬までが布で瓢箪のように窪んでしまっていた。
下手に扱うと、パパスの顔をこすって新たに擦り傷をつけてしまいそうで、サンチョにはどうすることもできなかった。
「小刀か、そういったものは無いのかな?そうだ、先ほど斧をそなたに渡したろう。あれならどうだ。」
はたで見ていたディエゴが進言した。
「へ?お、斧ですか?!そんな物、受け取っていましたっけ?
そ、それに、そんな物騒なものを使っては、パパス様の身がどうなることか・・・。」
サンチョは、ディエゴがオークキングから取り上げてサンチョに渡した斧のことを、きれいさっぱり忘れていた。
パパスに再会できた喜びと衝撃のために、パパスを見つけ出したその場に置き忘れてしまっていたのだ。
「ええと・・・ああ、そういえばそうでした。すっかり忘れて・・・でも、これから取りに戻るのもどうかと。」
「弱ったな。何か刃物かナイフの替わりになる物があれば、この御仁の口を自由にできるのだが。」
ディエゴはふと目を落としてサンチョを見た。パパスの傍らにひざまずいているサンチョの手に、白いものが下がっていた。
パパスの首飾りだった。拾ったのをサンチョがずっと手に握っていたのだ。
「サンチョ殿、その白い飾り紐のようなものは?」
おおよそ首飾りであろうと認知しながらも、ディエゴはサンチョに尋ねた。
「へ、これですか?いやあ、これは・・・これは、パパス様の首飾りです。」
サンチョは返答した。ディエゴの思ったとおりの答えだったが、サンチョはそんなことを露だにも想像しなかった。
「パパス様が目をお覚ましにならないと、これをお返しするわけには・・・」
「少し見せてくれないかね。」
サンチョはしばし躊躇の色を見せたが、やがてゆっくりと手を伸べると、ディエゴに首飾りを渡した。
ディエゴは首飾りを受け取ると、じっくりと眺めた。
象牙のような材質の珠にひとつひとつ穴が開けられ、糸が通されている。材料も細工もきわめて手の入った高級な品だ。
この首飾りの持ち主は、かなり身分の高い人物であることが、装身具に明るくないディエゴでもすぐに読み取れた。
首飾りには四本の大きな牙があしらわれていた。身に着けるものだけに、先端はやや丸く削ってあるが、
もとはかなり鋭い猛獣のものとみえた。
「この牙で、その布地を切り裂いてみてはどうだ。」
ディエゴは、サンチョがこの首飾りを持っているのを見たときから、牙の存在に気づいていたのだった。
「パパス様の首飾りを、刃物代わりに使うなど、そんな罰当たりなことが・・・。」
サンチョはディエゴから首飾りを受け取りつつ、ぶつぶつと呟いていた。
サンチョの性格では、そんな身の程知らずの事などまず思いつくことすらできなかった。
しかし、考えようによっては、パパス様がご自身の身の回りの品で、命を救われたということにもなるのだ。
このような状況だ、パパス様とて、このサンチョを許してくださることだろう。
サンチョは、パパスの首飾りにあしらわれた牙のうち、いちばん大きいものを手に取った。
「さあ、これでこの布が切れるかどうか・・・パパス様、しばしのお待ちを。」
猛獣の牙は、先端近くに小さな引っ掛かりがあった。サンチョは目ざとくそれを見つけ、パパスの猿ぐつわの布目に
その引っ掛かりを掛けると、一気呵成に引いた。
布はだらしのない音を立てて裂けた。パパスの右の頬を境に、ほんの数本の糸を残して、左右に分かれた。
「・・・見事に裂けるものですね・・・。」
誰に言うともなしにサンチョは呟いた。心の奥底では、パパス様に語りかけているつもりだった。
残った糸は難なく手で引きちぎることができた。サンチョは、猿ぐつわが外れ、半開きになったパパスの口の中に指を挿し込んだ。
「う!?これは、これは・・・?モンスターどもめ、パパス様の口になんということを・・・」
引き出されたサンチョの二本の指に挟まれて、黒褐色の細長いものが出てきた。枯れて乾ききったコケの葉だった。
この塔の周囲は一面コケで覆いつくされていることを、サンチョは思い出した。
「なんと、これでは・・・息が通らないのも無理はありません。パパス様!いま楽にしてさしあげます!」
サンチョはパパスの頭を持ち上げると、口を開き、指を挿し込んで、コケの葉の塊をつまみ出していった。
パパスはされるがままになっていた。ぐったりとして、意識があるのかどうかも未だに判別できなかった。
しばらく苦労したのち、サンチョは、パパスの口から、取り出せるだけのコケをつまみ出した。
どのコケも、パパスの息に含まれる水分で、わずかに湿っていた。
サンチョは、そこにパパスの命の炎が尽きていないことを感じた。
しかし、除けるだけのコケを除いても、パパスは瞼を開こうとはしなかった。
「このままパパス様が目をお覚ましにならなければ・・・いや、そんなはずは・・・」
自分がこれほどのっぴきならない状況にはまって行ったためしを、サンチョは数回しか知らなかった。
まさかこのままパパス様が二度と目を開かないようなことになるなど、想像したくもなかった。
サンチョは、パパスの頭を両手で抱え、自分の膝枕に上げていた。
脇からずっと覗き込んでいたディエゴが、ここに来て口を差し挟んだ。
「サンチョ殿、私に任せてくれ。心臓が動いているのなら、人を蘇らせられるくらいの知識は私も持っている。」
サンチョは思わず仰のいて、ディエゴの目をまじまじと見た。
この戦士は、ザオラルやザメハの呪文を唱えられるのだろうか。
だが、ディエゴは呪文を唱える代わりに、床のサンチョの隣にひざまずくと言った。
「サンチョ殿、多少場所を空けてくだされ。この御仁が体を伸ばせるくらいの・・・。」
サンチョは言われるままに場所をディエゴに譲り、ディエゴの左後ろに退いた。
「これで、よろしいでしょうか?」
「うむ。では・・・」
ディエゴはずっと持ち歩いていたあの骨を手に取ると、床に両腕と両足を広げたパパスの首の後ろにあてがい、枕とした。
パパスの首は大きくのけぞり、あごが天頂を指した。のど仏が日没の光にくっきりと影を作った。
次にディエゴは、パパスの胸に手を当てた。心拍を確かめているのだな、とサンチョは思った。
さらに、ディエゴは、パパスの口元に耳を当てた。呼吸音を聞き取っていた。
やがて顔を上げると、手早くパパスの鼻をつまみ、ディエゴ自身の口をパパスの半開きになった口にあてがった。
「あ・・・!」サンチョは思わず呻き声をもらしていた。胸が握り潰されるように音を立てた。
この戦士は、パパス様と口を合わせて、何をたくらんでいるのか?
ポートセルミで育ったディエゴには、海難救助でなじみの深い人工呼吸であったが、
内陸で暮らしてきたサンチョには、見るのはおろか、聞いたこともない蘇生処置の手段であった。
ワクワク
パパスとディエゴが(;゚∀゚)=3
このスレ序盤からいましたが、
先日素晴らしか文に触発された駄物が発掘されたので、そっと・・・。
凄まじく今更ですが。
作者さま続き楽しみにしとります!
>>408 接吻ではありません。ディエゴはそこまで下心マンマンではありませんよ(多分)。(*´∀`*)
イラスト見せていただきました。
モノクロの線画が、パパス様のかっこよさとサンチョのかわいさを引き立てておりました。
パパスのトンヌラ坊やへの穢れのない愛情が伝わってくるようで、
サンチョのパパス王への純粋な敬意と思慕が見て取れるようで、
まことに素晴らしい絵だと感動させていただきました。
ディエゴはパパスの口と自分の口とを合わせると、パパスの肺臓深くに届くよう、強く息を吹き込んだ。
その光景を、サンチョはそばでまじまじと穴の空くほど見つめていた。
おびえでも恐れでも、不快さでも、むろん喜びでもない、一種不可解な感情に包まれて、そこに座っていた。
ディエゴはパパスの口から自分の唇を離すと、再びパパスの口元に耳を寄せた。葦笛を吹くような音が聞こえた。
それを聞くと、ディエゴはふたたび屈みこみ、パパスの鼻をつまんで口に息を吹き入れた。
サンチョはパパスとディエゴの頭を見つめていた。パパスの胸が、ディエゴの呼気で盛り上がるのには目を留めていなかった。
ディエゴはパパスの顔から口を放すと、息が通っているかどうかを聞いて確かめた。
そして、サンチョを振り返って言った。
「この御仁は、もう大丈夫だろう。そのうち咳き込み始めたら、息がまともに通いだしたという証拠だ。」
「咳が・・・?咳なんかすると、ちゃんと息ができているというようには思えないのですがねえ。」
常識的な認識では、サンチョのほうが正しいかもしれない。咳というのは息がのどでつかえている証でしかないからだ。
こんな事を話していたちょうどその時だった。二人の見ている前で、パパスの肩が煮凝りのように震えた。
そのまま胸が大きく上下に揺れると、たちまち全身が赤みを帯びてきた。夕焼けの中でもはっきりそれと分かるほどだった。
そして、パパスは身もだえを始めた。悶えながら、「ゲホッ!」と一度咳を放った。
「これが息が通いだした証拠というわけ、ですか?」
「そうだとも。この御仁はもう大丈夫だ。」
パパスは続けざまに咳をした。のどに水が絡んだときのような咳き込みようだった。
「パパス様、今、お楽にいたします・・・」
サンチョは、パパスの仰向けの体を、右を下にして横向きに変えようとした。
縛られたままの手足が、姿勢を変えるのを拒むように痙攣していたが、サンチョは無理やりパパスの体を二つ折りにすることで、
この問題を解決した。パパスは両手両足をひとところに集めた格好になり、激しく身を震わせながら咳き込んでいた。
口からは、激しい咳とともに、唾液が飛び出していた。
同時に褐色の細い物も飛び出していた。のどの奥に、コケがまだ詰まっていたのだ。
ついにパパス復活!?ドキドキ
パパスはのどに詰め込まれたコケにむせていた。サンチョは手を伸ばし、パパスの背をさすった。
「ゲ・・・ゲホッ・・・コボコボゲホゴホッ・・・」
パパスの瞼が薄く開いた。のどの奥では、つばか何かが息に吹かれて口琴のような音を立てていた。
サンチョはパパスの顔を窺った。瞼がうっすらと開いたのを確認した。
眼球に入日が差して、黒い瞳がなお黒味を帯びて光っていた。
「お気が付かれましたか、パパス様?サンチョです、パパス様の召使でございます!」
サンチョはパパスの上半身を抱き上げた。パパスはぼんやりと霧のかかったような眼差しで、目の前の男を見た。
丸くぷっくりと膨らんだ頬、栗色の髪、同じく栗色の短い髭、ころんと丸っこい鼻、小さいが宝石のように輝く両目。
パパスはこの人物を見たことがあると思ったが、思い出そうと努力するのはあまりにも大儀だった。
しかし、普段からあまりになじんだ顔は、パパスに古い記憶を掘り起こさせる必要性も与えなかった。
「・・・サ・・・サンチョか?」
のどに物が引っかかったままのしわがれ声で、パパスは訝るように話した。そして咳き込んだ。
「パパス様・・・お気づきになりましたか!お加減は?」
サンチョはパパスが咳をするのに合わせ、掌で背中を叩いてやった。
パパスは咳をしつつ、反射的に口元に手を持っていこうとした。そして、異常な事実に気が付いた。
まだ脳が真綿にくるまれたような状態ではあったが、自分の精神状態が確かではないと分かるほどには
気を取り戻しつつあったパパスは、手を動かそうとすると同じ側の足も同時に動かさざるを得ないことを即座に見出した。
「これは、どういうことだ・・・?この縄は?」
いまだパパスの頭がぼんやりしているのを理解したサンチョは、少しでも事態に落ち着いて対処していただこうと、
パパスの目の前に腰を落として話し始めた。
「パパス様、モンスターどもに、大きな部屋で襲われたことは覚えておりますか?」
「いや・・・そうだったかな。確か、私はサンチョと二人で塔に入って・・・
それからどうしたのか、記憶がきれいに抜け落ちているのだ。」
上は「410の続き@No.144」でした。うっかりミスです。
「モンスターと戦ったのだったかな?それなら打ち身や切り傷の五つや六つあってもおかしくはないが・・・。
それに、私の手足が縛られているのは、誰がしたのだ?モンスターがこのような小細工をするとは考えがたいが。」
言われてからサンチョとディエゴも気が付いたのだが、パパスの体には傷ひとつ、あざ一つなかった。
無駄のない張り詰めた筋肉が、黄昏にあかがね色に輝く皮膚の内側から盛り上がっていた。
パパスはサンチョばかりを見つめて話していたが、やがて、サンチョ以外の人物の居る気配を感じた。
パパスのすぐそば、背中側にいたので、その人物−すなわちディエゴ−の姿を見ることはできなかったが。
「サンチョよ、どなたかがここに居るのかね?」
「はい、こちらに、ディエゴさんと名乗る戦士が一人・・・いまご紹介いたします。」
サンチョはパパスを抱き上げ、回転させてディエゴと真向かわせようとした。すると、ディエゴが遮って言った。
「いや、サンチョ殿。その手間は必要ない。私がパパス殿の正面に回ろう。」
ディエゴはパパスの足元を回り、パパスが顔を眺められるような位置へやってきた。サンチョのすぐ隣だ。
「このような格好で失礼つかまつる。我が名はディエゴ、ポートセルミの出身である。なにとぞ。」
自分よりも一回り大柄な戦士の体に目をやりつつ、パパスはディエゴと握手をしようとして手を差し伸べかけた。
だが、自分の右手は足首に縛られたままだということを思い出し、足が半ば浮いた中途半端な姿勢のまま会釈をした。
「当方、パパスと名乗るものである。ゆえあって旅の空にあるグランバニアの者。
こちらに控えているのは、私のしもべであるサンチョという者だ。既にお会いしているようだが。
この者が、そなたに何か非礼を働いたのなら、私が至らなかったため。ご容赦願いたい。」
「とんでもない。サンチョ殿は私を救ってくださった。命の恩人ですぞ。」
おや、ディエゴは自分のことをそのように思ってくれていたのか・・・とサンチョは照れた。
「ところで、ディエゴ殿は、どのような次第でこの塔に参られたのか、よろしければお聞かせ願いたい。」
パパスは、サンチョに支えられたまま、胡坐をかいた姿勢に脚を組み直しつつ言った。
足首に縛り付けられたままの手首も、自然と下に降りた。ディエゴの隆とした逸物がパパスの目の高さに下がっていた。
「私は、かいつまんで言えば、武者修行の旅だ。この塔に魔物が多く住むと聞いてやって来たのだ。」
ディエゴはそう言ったが、その魔物どもに捕まり幽閉されてしまったことは語りたくないように、サンチョには思えた。
「サンチョ殿の協力のおかげで、危地を脱することができたのだ。感謝してもし足りないくらいだ。」
挨拶を続けるパパス様とディエゴさんの邪魔をするのは興趣をそぐようで申し訳ないが、
じっくり語り合うなら後からでもじゅうぶんできることだろう、とサンチョは考えていた。
今はもっと大切な、なすべきことがある。私たち三人の命と魂と誇りとを全うするために。
「パパス様、ディエゴさん、お話なら後からでも・・・」
「おお、そうであった、サンチョ殿。ここから逃げるのが先決であったな。」
「逃げるのか?サンチョ。我々がここに来たのは、魔物におびえて逃げ出すためではなかったはずだ。」
そう言いつつサンチョのほうを打ち眺めたパパスの瞳は、既に普段どおりの落ち着いた輝きを取り戻していた。
「おっしゃるとおりです、パパス様。しかし、今ここでこのような態勢でいても、マーサ様の・・・」
言いかけてサンチョは口をつぐんだ。
王妃様の名を、第三者のいるこの場に軽々しく上せるのは、好ましからざる行いだと判断したのだった。
パパスが、自分が王であることを伏せてほしいと先日語っていたことを思い出したためでもあった。
「うむ・・・確かにこの格好では、何もできないな。」
パパスは自分とほかの二人の姿を見やりつつ、思わしげに言った。武器は骨一本、防具は全く無し。
道具とて、縄とパパスの首飾り程度では、ろくな工夫もできたものではない。
「まあ、良い。ともかく、まずは私のこのロープを何とかして外してもらいたいのだ。肉に食い込んでいるのだよ。
サンチョ、それにディエゴ殿、すまぬが頼む。」
パパスの手足は、乳のように白い色を呈し始めていた。爪は菫色になりかけていた。。
「これで切れればいいのですが・・・」
サンチョはパパスの首飾りをまだ手に握り締めていたが、その手を開き、首飾りに施された四本の牙を見つめた。
太陽は森の向こうに沈み、何もかもが群青色を帯びて目に映った。白い牙もトルコ石のような輝きを放っていた。
「私の首飾りだな。進物に貰った・・・。これが小刀になろうとは、十年近く身に着けて初めて知ったことだ。」
パパスが首飾りを見つめる目には、切ないような、何かを述懐するかのような光が宿っていた。
やがてサンチョに向かってうなずいた。全てを理解し、あらゆることをサンチョに委ねるかのような重々しさを漂わせていた。
サンチョは、パパスの考えを汲み取った。牙のうち最も大きいものを掴むと、パパスの手首のロープの縒りを
繊維の一本一本をもおろそかにせずに切断し始めた。
「肌身離さずつけていても、この首飾りで傷を負ったというためしはない。・・・それでいながら、縄が切れるとは。
不思議なつくりだ。職人は・・・誰とか言ったかな。私も又聞きで覚えてはおらぬが。」
このロープのうち、一筋だけを切れば全てほどけるとは、サンチョも、パパスも、ディエゴも思ってはいなかった。
一箇所で切り離してばらけさせるには、あまりに堅く締め上げられている。
パパスはこの縄の緊結ぶりを見て、城の小間使いたちのコルセットの締め上げようを連想した。
女たちはああまでして必死に腰を締め付けたがる。そうすれば美しく見えるものと思っているのだ。
そんな無理な力を体に掛けては、ゆくゆく子供も産めない体になってしまうのではなかろうか。
その点、私の妻マーサは、そんなたわけた美容術にも惑わされず、あのような立派な息子を産んでくれた。
早くマーサに会いに行きたい・・・マーサを助けに向かいたい・・・再会の喜びを確かめ合いたい・・・
自分の目の前には、サンチョの丸い腹が揺れている。パパスは、身籠っていたときのマーサを思い出した。
あの中にはいとしい息子が入っていたのだが、サンチョのお腹には、何が詰まっているのやら。
なんにせよ、サンチョなら、むろん、一度たりともコルセットで腹を締めたいと思ったことなどないだろう。
男なら腰を締め上げずとも、このサンチョのような愛嬌ある姿になれるものなのだ。
サンチョは、パパスの首飾りの牙で、ロープを一本切断した。
切れたロープを引いてみると、半分ばかりがばらばらと石の床に落ちたが、
それでもパパスの手と足を自在に動かせるほどには至らなかった。
「これだけ雁字搦めにされていると、血の巡りもままならないのでは・・・」ディエゴがつぶやいた。
その言葉は、この塔の上の静謐の中では、容易にパパスの耳に忍び込んでくることができた。
「ディエゴ殿、私の手足は、既に痺れて、感覚も失われかけている。
今のままだと、たとえ煙管の雁首を押し付けられても、痛みも感じることがないかもしれない。」
パパスの返答は、サンチョの顔に、意外な明るさをもたらした。
雨上がりの空のような、どこか悲痛な表情を秘めた喜びに輝く顔だった。
「・・・」
サンチョは、口から飛び出しそうな言葉を必死で押しとどめていたが、やがて思い切って舌を解き放った。
「パパス様・・・このようなことを申し上げるのは、身勝手かと思いますが、
いっそこの縄を燃やしてみるというのはどうでしょうか。パパス様には火傷を負わせてしまいかねないのですが。」
「いいアイディアだな、サンチョ。」
パパスは意外にもあっさりと承諾を下した。サンチョは目を見開いた。
「お構いないのですか、パパス様?!」
「問題?そのようなものなど無い。燃えるそばから縄は落ちていってくれるはずだ。
火傷の心配などすることもない。多少ひりひりするくらいのものだ。
肝心なのは、どうやってその火種を手に入れるか、ということなのだが。火打石でもあるのかね?」
サンチョは思わず身の周りを探ったが、先ほど火を起こすのに使った歯は、あの場に忘れてきてしまっていた。
それでは仕方がない・・・ディエゴさんに協力を願うのだ。
「ディエゴさん、あの技を・・・」
「あれをか?だが、斬るものがないと、あれはいささか難しいのだが。」
サンチョは、さっきパパスの手首から切り落としたロープを手に取った。
「これではどうでしょう?」
内容も去る事ながら、相変わらず素晴らしい文章力ですね
>>417さん 素晴らしい文章力とは面映ゆいことです。自分ではまだまだだと思っているので。
ディエゴは、サンチョが手にしたものがロープであることを見て取った。
「うむ・・・あまりうまくはないが、無いよりかはましだろう。それを束ねてくれ。」
サンチョがロープを束ねて松明のようにしていると、パパスが声を掛けてきた。
「『あれ』というのは何のことかね、サンチョ?その戦士殿、もしや、メラが使えるのでは?」
「いえ、そうではないのです、パパス様。」
パパス様は攻撃呪文はからっきし駄目だったな、と、サンチョは回想した。メラ一つ、ヒャド一つ学ぼうとしなかった。
サンチョ自身も、先王や教育係に頼まれ、あるいは自分の意思で、そんなパパスに呪文を覚えるようにと諭してきたが、
パパスは「剣を持つものが攻撃呪文など必要とするはずがない」と言い張り、一切勉強しなかったのだ。
そんなパパス様の身に何かあったときに、自分が補佐しようというわけではないが、サンチョは秘かにある呪文を学んでいた。
サンチョが学んでいた呪文・・・その名はザキ。敵であれ見方であれ、相手の全身の気を瞬時に滞らせる効力がある。
究極の護身法とも、究極の攻撃呪文といえるものでもあった。
もっとも、発動させるのに繊細な意志の釣り合いを求められる呪文なので、
自分にはまず使いこなせないものとサンチョは思っていた。単に教養としていただけだったのだ。
サンチョは縄を束ねると、まっすぐ前、ディエゴの鼻先に突き出した。
ディエゴはそれに向けて、居合いをこめて、剣代わりの骨を振り下ろした。
「とうっ!」
とっぷりと暗くなった塔の上に、紅の炎がたなびいた。赤い穂波が、縄の束に集まるように揺らいだ。
一瞬ののち、サンチョの手には、明るく燃え立つ松明が握られていた。
「ささ、これで炎が手に入りました。ディエゴさん、お手を煩わせて申し訳ありません。」
「いや、なんのこれしき。炎が要るのならば、これでいつでも作れるからな。」
サンチョは足元にうずくまるパパスに視線を落とした。
パパスの視線が、宙の奇妙な位置をさまよっているのを、サンチョは認めた。
具体的な何かを見ている眼差しではなかった。視線の先には、藍色の空しか存在しなかったから。
「パパス様?」
「あ、いや・・・ちょっとな。ディエゴ殿とやらは、魔法剣が使えるのかね?」
「ええっと・・・魔法剣というものが、私にはよく分かりかねますから。ディエゴさんにじかにお訊きになっては。」
ディエゴがそこで口を入れた。
「パパス殿、たしかにこれは魔法剣だ。ただいま用いたのは火炎斬り。現代では廃れてしまったと・・・」
「ディエゴ殿、その話は後でゆっくり聴かせていただこう。さすがの私も、手足がこう鈍っているのではな・・・。」
サンチョはパパスの右足首を持ち上げた。縛られたままの右手も付いてきた。どちらも磁器のように冷たかった。
「それでは、火を参りますよ。」
サンチョはパパスの右足首のロープに松明の火種を寄せた。ロープはすぐさまいぶり出した。
朱色の燠火が、縄の繊維の一本一本をなめるように這い登っていく様子が、藍色の薄闇の中で生命の鼓動のように見えた。
「これでこっちのロープは切れるかな・・・。では、左のほうにも火を付けさせていただきますね。」
パパスは何も答えなかった。サンチョは、それを承諾のしるしと判断して、左足首の綱にも松明の火を移した。
パパスの両手首に、輝く腕輪が生まれた。こんな装備品が実際にあったらいいのにな、とサンチョは連想した。
太陽と月が身に降り立ったような皓皓たる腕輪は、パパス様の漆黒の髪と髭にふさわしいだろう。
だけれど、今パパス様が装備しているこの腕輪は、わずか一時しかもたない。見る間に手首から外れてしまうのだ。
そんなサンチョの連想どおり、パパスの手首のロープは、一筋また一筋と落ち、石の床の上を転がった。
中にはパパスの足の甲に落ちてくすぶるものもあったが、パパスは特に避ける様子も見せなかった。
サンチョも、ディエゴも、燃えるロープの切れ端を眺めていた。見ていないのはパパスだけだった。
パパスの目は、やや傾いで、ディエゴの手にしている巨大な骨のほうに向いていた。
だが、パパスがその骨を見つめていたのかどうかは謎であった。
パパスの瞳には、ディエゴでもサンチョでもなく、マーサやリュカ坊っちゃんが映っているのかもしれなかった。
いずれにせよ、サンチョには窺い知れぬことであった。ディエゴに至ってはいわんやであった。
パパスは、ごく稀にではあるが、このように、誰にも判別しがたい面持ちを作ることがあった。
「ささ、パパス様、どうでしょう。少しはロープも緩んだかと。」
「私は手足がなまっているので、ロープが緩んだかどうかもよく分からないのだ。引っ張ってみてくれるか、サンチョ?」
サンチョは言いつけられたとおり、パパスの手首のロープを引いてみた。
右手首のものは、先ほど半分ほど切り落としたものだが、残りも燃やしたためにすっかり緩んでいた。
サンチョが軽く引いただけで、ばらりと音を立てて、パパスの足首の周りに輪になって落ちた。
「左のほうは・・・?」
サンチョは左手首のロープもさわってみた。幾筋かの縄が外れ、ころころと輪になって転がった。
サンチョがなおも引っ張ってみると、突然ロープが切れた。切れ目から火の粉が飛んだ。
「これでパパス殿は、自由になれたのか?」ディエゴが訊いた。
「手足が痺れているとか話されていたが、それなら歩くわけには行かないのではないか?」
実際、ディエゴの予測したとおりだった。パパスは、両手両脚ともに絡みつくものが無くなったものの、
ふくらはぎより先には力が入らないので歩くことができず、手首より先に血が巡ってこないので物を持つこともできなかった。
サンチョはパパスの背に回り、脇に手を入れてパパスを抱きかかえて立たせようとした。
「パパス様、私がパパス様の足代わりになって、どこまでもお助けいたします。」
「かたじけない、サンチョ。おや、そういえば、そなたのその言葉を前にも聞いたような・・・。
私の勘違いかな。まだ記憶がはっきりしていないのだ。すまない。じきに思い出すことだろう。」
日は沈みきったが、星が現れるにはまだ早いという頃合いだった。
それでも空には七つ、八つと星が輝きだしていた。真南にひとつ、明るい星が光芒を放っていた。
「あの下には我がグランバニアの城があるのだ・・・早く戻らないと。」
パパスは口の中でつぶやいた。その声は、サンチョにもディエゴにも聞き取ることができなかった。
建国の祭りのさなかに抜け出してきたことを、パパスは思い出していた。
あの祭りも今日あたりで終わったのではなかろうか。国民が、王が行方不明になっているのに気付きだすかもしれない。
オジロンのことも気懸かりでならない。弟は、まだまだ学ばなければ、まつりごとを任せられるような人物ではないから。
もちろん息子のことも案じてはいたが、育児に慣れた小間使いたちが大勢いることを思い出すと、
パパスはいくぶん安堵を覚えるのであった。
「ところで、パパス様、首飾りはどういたしましょう?首にお掛けいたしましょうか?」
サンチョが声を掛けた。
「ああ、頼むぞ。こんなことまでサンチョの手を煩わせてしまって、すまないと思っている。」
「いいえ、とんでもない。パパス様がお気を煩わせるようなこと手はございませんから・・・。」
サンチョはパパスの首に、首飾りを掛けた。首飾りは、持ち主の肌に戻り、その白さをいっそう増したようだった。
パパスは床に手を付いて立ち上がろうとした。しかし、いくら努力してみても、足に力が入らなかった。
「どうしても歩くのは無理のようだ。サンチョ、私を背負ってくれぬか?」
「パパス様のためならば、喜んで!」
サンチョはパパスの前に尻をついた。パパスは二の腕を上げ、サンチョの肩に乗せた。肘はうまく曲がらなかった。
この格好は、まるで幽霊のようだな、とパパスは胸のうちで苦笑いした。
パパスの肘が曲がらないのを悟ったサンチョは、パパスの前腕を掴むと、自分の鎖骨の上で合わせた。
前腕には縄の食い込んだ痕が残っていた。その凹凸に、サンチョは瞬間ぎょっとしたが、すぐに気を取り直した。
「では、ディエゴさん・・・」
「うむ・・・しかし、ここからどうすればよいのか、悩むところなのだ。サンチョ殿、パパス殿、すまないが。」
ありゃりゃ。上のは「420の続き@No.152」でしたね。
サンチョはパパスの太腿に手を掛け、背負いなおした。パパスの大腿四頭筋のこわばりが指伝いに感じられた。
パパスの大胸筋が、サンチョの肩甲骨に当たった。パパスは、顎をサンチョの肩に乗せて、滑り止めとした。
「ディエゴ殿、『どうすればよいか悩む』とは、どういう事情かね?」パパスは尋ねた。
「ここを戻ると、私とサンチョ殿が捕らわれていた部屋に出るのだが、そこに魔物が二頭いるはずなのだ。
一応戦って倒してはきたが、息の根を止めてきたわけではないから、そろそろ気が付いてもいい頃合いのはずだ。
サンチョ殿が、殺生はよせと言うから、手控えてやったのだが・・・。」
「わわ、私、そんなことを言いましたっけ?可哀そうとは言いましたが。」
「そうだっけな?まあ、ともかく、この下に行くと、また襲われることになるぞ。
今度連中に捕まえられたら、それこそ四六時中見張られて、逃げ出す隙などできっこなかろう。」
「逃げ出せぬとは・・・ここのモンスターはそんなに見張り番が好きなのかね?」
「うむ・・・まあ、似たようなものだ。」
ディエゴは明らかに、自分とモンスターの係わり合いについては語りたくないようだった。
聡明なパパスは直ちにそこに気付いたので、話の筋道を変えようとした。
「ときにディエゴ殿、そなたが会得している魔法剣だが、いついかなるところで、どなたに教わったものなのだ、
宜しければお聞かせくださりたい。」
「うむ・・・構わないだろう。これは昔、私がまだ若造だった頃のことだ。
ポートセルミの西のルラフェンという町に住んでいたことがある。あそこは不思議な魔法を伝える人々が住む町であった・・・」
ふと、三人は、どこからともなく魔の気配を感じた。あまりにも不意を突かれたかたちだった。
単にパパスの介抱に夢中になっていただけかもしれないし、しゃべっていて気付くのが遅れただけかもしれない。
ともかく、三人が怪しい気配を感じたときには既に、三人の身を覆わんばかりの近さにそれは忍び寄っていたのだ。
「む、なにやつ!」パパスが低く叫んだ。
ディエゴがのどの奥で舌打ちの音を立てると、武器代わりの骨をすばやく振りかぶった。
稲光とともに骨が風を切り裂く音が響いた。何か柔らかいものに当たったような反響がした。
「ドスッ・・・」
サンチョはパパスを背負ったまま空を見上げた。パパスも仰のいてみた。
だが、そこからは既に魔の気配は消えうせていた。一面に広がる星星が、ときたま瞬きながら輝いているだけだった。
静寂が再び辺りを包んだ。
「い、今のはいったい!?」
最初に静けさを破ったのはサンチョだった。腋の下には冷たい汗をかいていた。
まずはあの者の正体を知りたかった。パパス様でも、ディエゴさんでも構わないので、今の悪い幻のような者の
正体を明かしてほしかったのだ。正体の不明なものにおびえるのは願い下げだった。
「今のは・・・私にはよく見えなかった。」パパスが相応じた。
「ディエゴ殿はどうだったか?稲妻の光で、おぼろにでも見て取れたのではないか?」
ディエゴは骨の先端を手元に寄せ、注意深く観察していた。あの魔の者を打ったときに、骨に何かが付着して、
それがあの者の正体を知る手がかりになるのではないかと推測したのだ。
「暗い中では、見えないでしょう。」サンチョがアドバイスを入れた。
「うむ、それもあるし・・・どうやら何も付いてはいないようだ。当たった手ごたえはあったのだが。」
ディエゴは骨のにおいを嗅いでいた。どうやらにおいを放つ物質も付着していないようだ。
「姿とかは・・・?」サンチョが、先ほどのパパスの問いかけを繰り返した。
「う・・・うむ、見たといえば、見たし、見なかったと言えば、見えなかったことになる。
真っ黒というか、そこに目を向けると、全ての光が吸い込まれて、目が失われたような感覚に陥るのだ。」
「ふむ・・・私もそのような者については聞いたことがない。もしや・・・」
「もしや、とおっしゃることは、心当たりがおありなのですか、パパス様?」
「・・・いや、なんでもない。私の独り言だ。」
『独り言だって?私の耳元で、よもやそんなことをおっしゃるほど、パパス様は愚かしくはない。
よほどのことがない限り、パパス様は自分に思ったことをおっしゃらないということはない。』
パパスが隠し事をしていることが、サンチョにはすぐに分かった。
隠し事でなければ、自分たちに何か衝撃を与えるようなことをパパス様が感づいたのだろう。
それを明かすとサンチョ自身が何らかの精神的ダメージ――慌てふためく、おびえて立ちすくむなど――を
被る恐れがあることを、パパス様が予期しているからだった。
ディエゴは骨を構えなおして、水も漏らさぬようあたりを警戒し始めた。もはや一言も口を開かなかった。
互いの顔の表情も見えないほどの暗さになっていたが、ディエゴの迫力は、闇を越えて
サンチョとパパスにも波動のように伝わってきた。そして、二人を感化しつつあった。
パパスもサンチョも言葉を発しなくなった。互いの心音が耳伝いに聞こえてきた。
そして、三人は、ある音を聞くことになったのだ。
はるか上、塔の頂上か、さらにその上空だろうか。かすかで低く、太く、丸い響きだった。
『あたかも空き瓶の口を吹いて鳴らしているようだ』とサンチョには思えた。
『風が雨樋を吹き抜けるようだ』とパパスは聞き成した。
『口の欠けたふいごを使って火を起こしているようだ』とディエゴは想像した。
その音は、言葉のようにも聞こえた。明らかに抑揚があった。むしろ聞いて心地の良いくらいのものだった。
しかし、三人とも、言葉であることは推し量れても、それの内容は、ただの片鱗も聞き取ることができなかった。
三人はいつしか上を見つめていた。黒々とした空に挿し止められた針のような星空が美しかった。
声は徐々に潜められていった。少なくとも三人にはそのように感じられた。
やがて声は消えた。我に返ったように、パパスは正面を振り向いた。続いてディエゴ、最後にサンチョが首を戻した。
「聞こえていたのか、二人とも?」パパスが尋ねた。
「聞こえておりました。あれは魔物でしょうか、それとも・・・?」サンチョが言いかけると、
「この塔を訪れたのだ、十中八九、魔物かその一味だろう。」ディエゴが口を挟んだ。
また削除依頼が出てる・・・
「もちろん我々の中には魔物はいないだろうな。・・・いや、冗談だ。」
ディエゴが鼻にかかった声で続けたが、その笑い声は引きつっていた。
「塔の上にもモンスター、中にもモンスター・・・この塔で、私たち人間が憩える場所は、どこにもないんですかねえ。」
サンチョはため息をついた。背中のパパスが重くなったように感じられた。
「いえ、そもそもモンスターの住みかですから、そこに勝手に入ってきた私たちに、
落ち着いて過ごせる場所を用意しろというのはもってのほかなんですが。」
「それは確かにそうだが・・・ともかく、ここに突っ立っていても埒が明かないぞ。
ここは塔の露台、かなりの高みだ。この先から逃げ出すわけにはいくまい・・・。
それに、先ほどの怪しげな声の持ち主が、いつまた上から降りてこないとも限らん。
おそらく我々を襲おうとした薄気味の悪い影は、あの声を発した者と同一なのだろう。」
ディエゴの言うとおりだと、サンチョは思った。パパスも軽く声を立てて、賛同の意を示した。
三人の声以外に、声は二度と聞こえなかった。ものの動く気配も感じ取れなかった。
サンチョは、この塔を訪れたときの、不気味な静けさを思い出した。同時に、そのときの恐怖感が再び募ってきた。
「パパス様、ディエゴさん、私はあまり表には出ていたくありません・・・ハ、ハクション!」
サンチョはくしゃみをした。
さほど寒いわけでもなかったにもかかわらず、また、背中にパパスの温もりを感じていたにもかかわらず。
多分、さっきかいた汗が冷えて、体温が下がったためであろうと、サンチョは推測した。
「・・・それでは、中へ入ろう。サンチョよ、まだしばらく、頼むぞ。」
パパス様が頼んだのは、もうしばらく背負っていてくれということであろうと、サンチョには察しが付いた。
そして、三人は、塔の中へと戻ることにした。
まずディエゴが用心しいしい中を覗き込み、魔物の気配が全くしないことを確認した。
ディエゴの後ろに続いて、サンチョが足を踏み入れた。もちろんパパスは背負ったまま。
サンチョにとって、パパスが自分を頼るということは、限りない喜びでもあり、また、深い悲しみでもあった。
パパスが自身の命とそれにまつわる全ての責任とをサンチョに委ねるとき、
サンチョは、パパスの信頼を一身に背負うという、この上もなく誇らしい思いが身にみなぎるのを感じるのだった。
一方で、パパスが自身の全権をサンチョに任せなければならないということは、
パパスが自ら事物に対処できないという証であり、自身の能力を失ったということを示すものであったから、
サンチョにとって、このように落ちぶれたパパスを目の当たりにするのは、実にやり切れず、悲哀をもたらす事だったのだ。
三人は、塔の中の細長い部屋に入った。下の階からエレベーター代わりの柱で登ってきた、あの部屋である。
部屋はひっそりかんと静まり返っていた。塔の外の静けさに比べ、ここは壁で囲われているためか、
同じ静謐な状態であるのに、わずかに親しみを感じさせるものとなっていた。
中は静かであっただけではなく、闇でもあった。
一歩踏み出したら最後、果てしない虚空の中に墜落していきそうだ、そんな不安感を抱かせるほどの闇であった。
サンチョは、今まで自分は、暗闇はわりと平気だと思っていた。小さい頃から慣れているから。
だが、この闇の中では、どうしても肌が粟立つのを抑えられなかった。それは背中のパパスにも感じられたようだ。
「サンチョよ、鳥肌がすごいな。寒いのかね?くしゃみもしていたし。」
「いえ、いえ、とんでもない。そんな事は・・・パパス様こそ、寒くはないので?」
「私か、私のことなら心配するには及ばない。ただ手足がまだ痺れてはいるがな。」
サンチョは、この言葉を聞くと、肩に回されていたパパスの前腕をそっと撫でてみた。
縄目こそ薄れてはいたが、血の通いきっていない腕は、まだ日陰の石のような冷ややかさに覆われていた。
「それでは、ここで・・・少し休もう。どうせ暗いのだし、先は見えない。
むやみに動き回って、必要もなく魔物に出くわすよりも良いだろう。どうだ?」
パパスとサンチョの前に立っていたディエゴが、つと立ち止まり、二人に問いかけた。
急だったので、サンチョはもう少しでディエゴの背中に鼻っ柱をぶち当てるところだった。
まずパパスが答えた。
「私には判断はできない。塔の中を知っているわけでもないし。だが、こんな暗闇の中で、歩き回って
いたずらに怪我を負うよりは、ここで互いに身を寄せ合って休むほうが好ましいだろう、と言うことはできる。」
サンチョもパパスの言葉に力を得たかのように答えた。
「私もここで休んだほうがよいと思います。パパス様の体調もいまだ回復しきってはいないところですし・・・。」
ディエゴとパパスはうなずいた。もっとも、闇の中なので、そのそぶりを目で見ることはできなかったが。
そこで一行はその場に腰を下ろした。手を伸ばすと壁があった。三人は、横に並び、壁に凭れた。
外への出入り口に最も近いのがサンチョ、真ん中がパパス、エレベーター寄りの一番奥に陣取ったのがディエゴ。
ふと大切なことを思い出し、サンチョは二人に提案した。
「誰かが番をしていたほうがいいのではないでしょうか・・・。いつどこからモンスターが現れるかも分かりませんし。」
「それもそうだ・・・」パパスが肯った。「では、まずは私が見張りに立とう。」
「いえ、とんでもない、パパス様!パパス様は、大変な苦労をされたばかりの、いまだお疲れの身です。
寝ずの番などなさるわけには・・・いえ、このサンチョが、させるわけには参りません!」
「だが、サンチョ、お前にせよ、こちらのディエゴ殿にせよ、一晩中見張りをして起き続けているのは無理だろう。
お前たちだって、かなり疲れているはずだ。緊張と怯えで、そう感じていないだけのことではないかな。」
なるほど、パパスに言われた途端に、サンチョの体と精神はげんなりと疲弊してきたようであった。
ディエゴも同様らしかった。息の調子が乱れてきたので、サンチョにもそれが感じ取れた。
「くじ引きか何かで、誰がどういう順序で見張りに立つか、決めればよい。おっと、私も混ぜてもらう。
見張りを他人に任せて、ひとり高いびきでいたなどと、後から思われるのは癪だからな。」
思わずサンチョとディエゴは、身の周りを探ってみた。くじ引きの道具になりそうなものを探したのだ。
だが、もちろん、そんなものは無かった。縄や首飾りでくじ引きをするわけに行かないのは明白だった。
「くじ引きは無理だったか。いや、別に構わない。どのみち、私が初めに見張りに立とうと思っていたからな。」
パパスが、先ほどの自分の発言をとりなすかのように言った。
パパス様が一度言い出したら、それを押しとどめるのが難しいことを、サンチョは十分すぎるほど知っていた。
その我の強さをパパス様が持ち合わせているからこそ、今ここにこうして座っているのだ・・・。
「それでは、パパス殿に・・・お任せしてよいのかな、疑うのは申し訳ないのだが。
何しろパパス殿とて、お疲れなのは我々とは変わらないはずだから。」
ディエゴが心配ありげに問いかけた。ディエゴさんは、おべっかや追従からではなく、素直に語っている、とサンチョは思った。
「いや・・・私とて、しばらく前まで眠っていたようなものだからな。繭の中の蝶が、外に出てきた気分だよ。」
あのようなおぞましい体験を、このように軽い言葉で言いなすパパスに、サンチョは戦慄を覚えた。
パパスを不快に思ったのではもちろんなく、むしろパパスの果敢さに胸を突かれるところがあったのだ。
それから・・・『パパス様、繭から出てくるのは、蝶ではなくて蛾ですよ。』サンチョは心の中で秘かに訂正した。
「それではすまないが、何かあったら起こしてくれ。」
ディエゴは壁に凭れ、骨を膝に横たえると、落ち着いた呼吸を始めた。
やがてそれは、スポーツをするような息遣いに変わっていった。どうやら腹筋をしているようであった。日課なのだろう。
「パパス様・・・」サンチョはささやいた。
「なんだね、サンチョ?お前も休んだほうがいい。」パパスはなだめるように語り掛けた。
「いえ、パパス様の手足のご様子を・・・と思いまして。お揉みしてさしあげようと・・・。」
「かたじけない。私のせいで、苦労を掛けさせてしまっているな。」
「いいえ、元をたどれば、マーサ様を連れ去った、あの魔の者に責任があるのですよ。」
サンチョとパパスはささやき合った。そして、サンチョはパパスのふくらはぎを手探りで探した。
サンチョの手は、じきに硬いものに触れた。パパスの膝頭だった。
サンチョはそこからたどって、パパスのふくらはぎを見出した。冷たさもぬくもりも感じなかった。
まるで木を絹で包んだようだな、とサンチョは思った。それでも、これはまごうかたなきパパス様の脛なのだ。
サンチョはパパスの脚をマッサージし始めた。血液が通い、再び温まるように、ふくらはぎを力強く揉んだ。
「パパス様、いかがでしょうか?」
「うむ・・・だんだん温まってきたぞ。お前はマッサージが実にうまい。」
笑いを含んだ声でパパスが答えた。サンチョは少し誇らしさを感じた。
城でも、サンチョはしばしばパパスにマッサージを施すことがあった。
剣術の訓練をした日の宵などに、バルコニーにベッドを出して、空の星と庭園の明かりのもとで体をほぐすのだ。
手腕も、王宮勤めのマッサージ師にじきじきに教わって、かなり卓抜した技を身につけていた。
元から力は強いほうなので、パパスのみならず、オジロンや軍司令官のプラシードをも満足させる腕前であった。
人々に喜ばれるのは、サンチョの喜びでもあった。
「今度はもう一方の脚を頼む。」パパスが言った。
サンチョは、今揉みほぐしていた右脚を乗り越す形で、パパスの左脚に手を伸ばした。
「かなり・・・凝っていらっしゃいますね。」
サンチョの指は敏感だった。サンチョの指摘どおり、パパスの左脚は、こむら返りを起こしていたのだ。
『剣術家としての誇りを持つものが、こむら返りなど・・・恥ずかしい。』
パパスは自分の体の不具合を恥じて、サンチョに黙っていたのだが、隠し立てをする意義などなかったのだ。
「うむ・・・そうっとな。」パパスは戸惑いを隠しきれない声色で、サンチョに申し出た。
パパスはサンチョに脚を揉ませている間、手をかすかに握ったり開いたりしていた。
これは、手に再び血が通い始めたという確証であるとともに、
手の痺れを早く鎮めたいというパパスの望みの表れでもあったのだ。
今や、ディエゴという強力な助力者も加わったのだし、
パパスには、マーサに手が及ぶところまで、今度こそあと僅かだという気がしてならなかった。
サンチョは、パパスの脛を揉みしだき続けていた。
これでパパス様の体調が回復するのであれば、自分の指のこわばりも、今日一日の出来事による精神的な疲れも
みな無視することができた。なんといっても、こうしてパパス様が再びすぐそばにおいでになるのだから。
やがてパパスはサンチョに声を掛けた。
「サンチョ、ご苦労だった。私の手足は、もう問題ないぞ。
あとはじゅうぶん伸ばしてやれば、明日の朝には今までどおりの体調に回復できるはずだ。」
「それでは、これで終わらせていただきます。」
サンチョはマッサージの手を止め、壁に凭れた。いつの間にか、頭が金鉢をかぶったように重たくなっていた。
サンチョには、パパスも、ディエゴも、夜の闇に溶暗していくように感じられた。
ふと体を揺さぶる手を感じ、サンチョは目を開いた。自分はどうやら眠っていたようだ。
「サンチョ・・・サンチョ・・・」
パパスの声だった。見張り番を替わってほしいとサンチョを起こしたのだ。
「はい、パパス様?もうそんなに時間がたちましたか?」
半分寝ぼけた声で尋ねるサンチョに、パパスの深く甘い声が答えた。
「うむ、もう夜半だろう。ディエゴ殿はたった今寝付いたところのようだ。今のところおかしなことは起きてはいない。
では、これからしばらくは、そなたに任せたぞ。何かあったら我々を起こしてくれ。」
「かしこまりました。」
パパスは石の壁に背をつけると、落ち着いた息の音を立て始めた。サンチョは座ったまま、ぼんやりと辺りを見回した。
やや離れたところに、四角く切り取られた星空が見えた。塔の外の露台への出口を通して見えているのだ。
あたりは全く森閑としていた。聞こえるものといえば、パパスとディエゴの息吹の響きだけだった。
『このまま何も起こらずに夜が明けてくれるといいが・・・。』
サンチョは期待した。自分では、全くはかない希望であるかのように思っていたが。
もっとも、この塔からは簡単には逃げ出せないのだから、モンスターたちにしたところで、
自分たちをあくせくと追い回す必要はないはずだ。襲い掛かってくる者など皆無だろう。
聞こえるものといえば、パパスとディエゴの呼息と吸息の音だけ。
サンチョはこのような静けさが好きになれなかった。サンチョがいて落ち着くのは、もっとたおやかで、明るい静けさ・・・
風が木の葉をそよがし、川はせせらぎ、人は穏やかに語り、馬は落ち着き払ってひづめで地を叩き、
かなたの森からは木を切る音、そちらの畑では土を耕す音、家の中では機を織る響き。
そして夜ともなれば、蝋燭がジイジイと音を立てて燃える中、陶器や木の食器が軽いマーチを奏でている。
そういう音が好きだった。暮らしの中で紡ぎだされる、和やかな静けさ、温和さを喜んだ。
根っからの生活臭が身に染み付いた男、サンチョは、普段の暮らしを愛していた。
城で働くようになってからも、パパス様との、オジロン様との、マーサ様との団欒をいたく好んだ。
グランバニア王家の人々は、いずれも温かい心でサンチョと付き合ってくれる。胸襟を開いて話してくれる。
二十年もの間、自分には身を固める話など来たためしも無かったのに、サンチョは不幸せだとは感じなかった。
パパス様の結婚を見て幸せだった。オジロン様の縁談が調いつつあるのを見て満足だった。
それというのも、皆が自分を神仏さながらの愛で見守ってくれているからだった。
サンチョはそう信じていた。
城に帰れたら・・・そう、必ず帰るのだ、マーサ様も伴って。・・・まずは何をしよう。
そういえば、椅子の足が壊れたとか、誰か兵士が言っていたな。直してやらなければ。
城の前庭の菜園は、もうじきアスパラの収穫どきになる。あれとベーコンでソテーでも作ろうか。
リュカ坊ちゃまの離乳食も・・・いやいや、これはまだ先のことか。
冬になったら、飛び切りおいしいカブラでスープを作ってさしあげようかな。
色艶もぴかぴかの栗が手に入る時期だから、何かケーキでも焼いてあげようか、グラッセにしようか。
そういえば、先王さまも栗をよくご賞味なさっていた。オジロン様はあまりお気に召さないようだが。
サンチョの脳裏には、自分の得意な数々の手料理のことが思い出されるのだった。
料理に空想を走らせていたサンチョは、ふとわれに返った。
ずっと座り続けていて尻が痺れてきたのが主たる要因であったが、
もう一つ、何かが今までと違う状態にあることに、無意識のうちに感づいたのだった。
サンチョは両手を床に付き、少し尻を上げて痺れを緩和させた。同時に、あたりの気配に聞き耳を立てた。
『おや?さっきまで確かに聞こえていたはずの寝息が聞こえなくなっている・・・』
悪い予感がサンチョの気脈を突き刺した。息も絶えんばかりの恐ろしさに震えながら、サンチョは左手であたりを探った。
左手の届く辺りにはパパス様がいたはずだ。いて下さらないと、このサンチョ、今度こそ悲憤死してしまいます・・・
サンチョの手は、たちまち弾力のある物体に触れた。生温かかった。
よかった。パパス様はここで眠っていらっしゃった。またさらわれたのでなくて、心底ほっとした。
サンチョは胸をなでおろしたが、パパスがいるという事実から導き出される推論に、ぞっと身を震わせた。
『それでは、今度はディエゴさんがいなくなったということか・・・?自発的にどこかへ行ってしまったのか?
それとも、自分の気付かぬうちに、モンスターにさらわれてしまったのか?』
実はそのどちらでもなかった。ディエゴは、深い眠りからふと目を覚まし、昔のことを思い出していたのだった。
ポートセルミの華やかな街並み。世界じゅうの国から輸入される、風変わりな品物。
それを並べた店の露台。少年時代のディエゴの目を引いたのは、奇妙な筒だった。
見た目は、ただの黒い金属の筒だが、一方から覗きつつ光にかざして動かすと、ありとあらゆる幻が、虹の七色に光る。
「万華鏡」というものに触れたはじめだった、とディエゴは思った。あれはテルパドールの品だったか。
男の子の常に漏れず、ディエゴも武器や防具に憧れた。グランバニアの名は、貿易商から教えてもらったのだ。
かざすと炎のほとばしる剣、振り捌くと氷の花を開く剣、世の中には魔法の秘められた武器や防具があることを知った。
冒険者になろうと決めたのも、あの頃だったな・・・ディエゴは思い出していた。
初めてルラフェンに行った時のことを、ディエゴは記憶していた。
町の奥の誰も立ち寄らないような片隅に、小さな武器工房が建っていた。
どうして自分がそこに着いたのかは分からない。
なぜその工房に魔法剣技の保伝者が住んでいることを知ったのかも忘れてしまった。
いかつく白い髭の、背の低い老人だった。炎、稲妻、真空波、氷雪、混乱の五つの技を伝授してくれたが、
俺はそのうちはじめの二つしか物にすることができなかった。
ディエゴはその老人のことを思い出し、深くため息をついた。
サンチョはため息を耳にした。よかった、ディエゴさんもこの場にいたのだ。
てっきりまた行方不明になったと思っていたのだが・・・。けだし目が冴えてしまっているのだろう。
疲れすぎると却って眠れないということはたびたびあることだ。
「ディエゴさん?」サンチョはパパスを起こさないよう、小声で話しかけた。
「おお、サンチョ殿。そなたも眠れないのか。」パパスの体をまたいで返事が返ってきた。
「いえ、私は、パパス様から見張りを代わってくれるようことづかったので、こうして起きているのです。」
「そうか。――ところで、サンチョ殿。あの御仁を見つけたときからずっと気になっていたのだが、・・・」
「はあ。」
「サンチョ殿は、あの御仁を『パパス様』と、「さま」付けで読んでいるが、いかなる理由があるのかな。」
「そ、それは・・・」
サンチョとしては、このことは何ぴとに対しても、決して伝えるべきではないことであった。
パパス様ご自身から口止めを言い付かってもいたのだし。無論、先日の宿屋でのことは、除外するが。
「パパスという名・・・私もどこかで聞いたと思っていたのだが、グランバニア王国の王の名と同じなのだ。
まさか、その御仁が、この国の王たるべきお方なのではないのか?」
サンチョは唇を固く結んだ。さもないと、パパス様が国王であることを打ち明けてしまいそうだったからだ。
ディエゴはサンチョの押し黙る気配を鋭敏に感じ取った。サンチョのまわりに緊迫感が漂うのも感じた。
ほとんど直感的に、それでいて論理的に、ディエゴは、サンチョがパパスにまつわる情報を明かしたくないことを察した。
やはりパパス殿というのはグランバニアの王なのか。即断は危ぶむべきだが。
いずれにせよ、サンチョ殿の反応からは、答えることを戸惑っている様子が窺える。
嘘はつきたくないし、さりとて事実を語るのも、何らかの事情――口止めされているなど――で憚られるところがあるのだろう。
話題の的になった当のパパスは、サンチョとディエゴに挟まれて、ぐっすりと眠りこけていた。
夜はうんざりするほど緩慢に過ぎていった。
いつもの夜と大して変わりない長さであるはずなのに、この夜に限ってサンチョは苦痛を感じていた。
そういえば、たまの催しなどで、城で徹夜をする場合には、お茶や酒、軽食に、夜伽の話が付きものだ。
なるほど、今は食べ物飲み物もないうえ、夜伽をする者もいないから、退屈でたまらないのだな、と
サンチョはひとり納得した。
城に帰ったら、おいしいクッキーを焼こうか。中にはあんずのジャムをたっぷり塗って・・・
サンチョは、再び料理の世界に埋没していった。
ディエゴは、十五年ほど以前のことを回顧していた。ポートセルミを離れて世界を冒険し始めた頃のことを。
あの当時は鋼のつるぎしか所有していなかった。そのうち破邪の剣という一品を手に入れたのだった。
惜しむらくは、ここの魔物どもに奪われてしまったことだ。今頃はどこかの片隅で朽ち果てているのではなかろうか。
そうそう、南西の宿屋の主人ときたら、俺が魔物の塔の場所を聞いたら、顔を真っ青にしていたな。
なんだか遠い昔のことのような気がする。実際、サンチョ殿によると、もう一ヶ月も過ぎ去っているそうだし。
ディエゴの夜も、なかなか過ぎ行こうとはしなかった。
皆、朝を待ち焦がれていた。暗闇が勇退し、行く手を阻まぬ明るみが訪れる時間帯を。
サンチョはうとうととまどろみ始めた。夢うつつの中で、ゆうべ一日のことを回想していた。
まずはあの大きな石蓋を開いたんだった。鬼のまな板とでも言いたくなるような石だったな。
それからディエゴさんが骨を拾ってきて・・・しばらく眠ったんだったっけ。
オークキング二頭を倒した。うち一頭は自分で。あの二頭はあれからどうしたのか。
そしてパパス様を救い出し・・・パパス様はこうしてご無事で・・・。
サンチョの瞼に、パパスが囚われの身となっていたときの異常な姿が蘇った。
あのような姿勢を取らせるというのは、ロープの分量からいっても、姿勢を強制するための労力からいっても、
かなり効率性に欠けるというものであろう。わざわざあのような無理な姿勢を取らせたのには、理由があるはずだ。
サンチョはその事情について詮索することを好まなかった。
この塔に来ているのは、マーサ様を救い出すため。一刻も早く城に戻り、日常の生活を営みたい。
いま、この望みに繋がらないことは、何であろうと思慮の対象にしたくはない。
サンチョはひたすら心の奥底で、声明のようにそう唱え続けていた。
いつの間にかあたりが薄明かりを帯びてきたようだった。
粗製のガラスを透かして見るように、空気が青ざめていた。
この不自然な塔の周りにも、時が満ちれば暁光は差し初めるものなのだった。
サンチョは、隣のパパスを起こさないよう注意を払いながら、静かに腰を起こした。
部屋の内壁は、インディゴを塗ったかのごとく染まっていた。
その上に、見落としてしまいかねないほど淡い陰翳が、香炉から立つ煙のように揺らめいた。
サンチョ自身の影であることに気づくのに、多少時間を要した。
「パパス様は・・・ディエゴさんは?」
サンチョは振り向いた。そして、鈍くはあるが、明らかに自分の姿を求め、自分に向けられた視線に気が付いた。
「パパス様が・・・私を見つめている・・・お目覚めになったのだ。」
パパスの左手の指がかすかに動いていた。髭を撫でつくろっているのだった。
パパスの手の動きを見て、サンチョはこの上ない安堵を得た。
「よかった・・・パパス様は、指先にまでちゃんと血の通いが戻ってきたのですね。」
パパスはぼんやりとサンチョを見ていただけだったが、次第にその瞼が開かれてきた。
パパスの石炭のように輝く瞳が、白い眼球の上に美しく映えていた。
パパスは壁に背中をもたせ掛けると、肘と掌も同様に壁に押し付けた。
肩と上腕の筋肉がいくぶん張るのが見えた。足の裏は床にぴったりと付いていた。
そのままパパスは、膝をおもむろに伸ばして、二本の脚で立ち上がった。やや揺らめいているようではあったが。
「パパス様、おはようございます。体調のほうはいかがですか?ゆうべの事もありますし・・・」
パパスの髪の毛が、そよ風の中の荻の穂のようにさわさわと音を立てた。
「うん・・・いや、私はもう、こうして歩けるのだからな。サンチョよ、そなたが気遣うには及ばないぞ。」
パパスの両腕には、鉄色の筋が幾本も錯綜していた。縄の食い込んだ痕がまだ消え去っていないのだった。
「ところでディエゴ殿はどうなされたか?」
パパスは脇を振り向いた。ディエゴがそこに座っているか、あるいは眠っているはずだったからだ。
ところが、その行動は、サンチョに驚愕をもたらしてしまったのだ。
「パパス様、髪が、髪の毛が!ありませんよ、ご自慢のあの髪が・・・」
パパスは常日頃、髪を長く伸ばしていた。伸びた後ろ髪をひと束ねにして、後ろで括っていたのだ。
その髪の房の先端は、肩甲骨の下まで届いていた。ぬばたまのように黒々とし、漆のように艶めいていた。
ところが、今やそれがばっさりと断ち切られて失われていたのだ。
露わになったパパスのうなじは白かった。そこを横切るように、さらに白く、首飾りが掛かっていた。
「おや、そうか・・・モンスターどもだな。いつ切られたのか全く分からなかった。
だが、サンチョよ、髪の毛ごときで騒ぎ立てるものではないぞ。じきに伸びて、元の通りになるとも。」
いかなるときでも、サンチョに語りかけるパパスの声は、温かく、和やかで、深い人類愛に満ちていた。
『・・・そうそう、パパス様は、ディエゴさんを見るために首を回したのだったな。』
サンチョが見やると、くだんのディエゴは、何事もなくそこに座り込み、舟を漕いでいた。
「ほほう、これが、ゆうべディィエゴ殿が棍棒の代わりに振り回していた骨なのだな。」
パパスはディエゴの足元に転がっていた骨を取り上げ、剣のように構えてみた。
ディエゴにとってもかなり長かったその骨は、ディエゴよりも背の低いパパスにはいささかもてあまし気味のようだった。
「ふむ・・・ずいぶん大きい生き物の骨のようだ。いや、それは誰が見ても分かる事か。
骨端がこういう形をしているということは、大腿骨だったのだな。」
パパスは骨の一方の端近くを持ち、サンチョにも示した。碗を伏せたような半球状をしていた。
料理好きで、羊や豚をまるまる一頭さばくこともあるサンチョは、動物の骨の形くらい当然わきまえていたから、
パパスの発言が正しいと自信たっぷりに判断するのは、造作もないことだった。
「牛や馬のものではないですよね。大きすぎますし。」
「そうだな。この骨の持ち主は・・・」と、パパスは骨を垂直に立てて宙にかざしてみた。
「・・・脚だけでも我々の背丈を優に越してくれるだろう。
ガネーシャやパオームといったあたりが、この近辺では最大のモンスターのはずだが、
これはそれよりも大きいモンスターか、あるいは動物の骨だな。
だがそれほど大きいモンスターがいれば、人目に付かないことはなかろう。
ところで、この骨はどこで見つけたのかね、サンチョよ。」
サンチョはパパスに、骨を見つけたときの事情を説明した。
重く巨大な石蓋のこと、ディエゴさんが果敢にも降りて行ってとんでもない体験をしたこと、
この骨のおかげで再び戦うことができるようになったこと。
骨盤と歯を拾ったことも思い出したので、付け足しじみてはいたが、そのこともパパスに語った。
「ふむ、骨盤もか。この骨の持ち主と同一のやからのものかな。確かめないことには始まらないが・・・。」
そして、パパスは、片肘を垂直に折り曲げると、そこへ骨をあてがった。長さを測っているのだった。
パパスと骨をじっくりと見ていたサンチョは、骨に何か奇妙な点を見出したような気がした。
「パパス様、その骨をもう一度よく見せていただけますか?」
「よいとも。ディエゴ殿が文句を言わなければいいのだし。」
サンチョはパパスから骨を受け取ると、じっくりと目を凝らした。骨は、白というよりはやや黄色みがかっている。
そして、骨の端のほうに、ざらついた部分が円く広がっているのを見つけた。
サンチョには、その正体がたちどころに判別できた。腱の結合していた跡だ。
「こ・・・これは・・・」
料理をたしなむ男サンチョには、その骨の表すところがおおよそ理解できた。
しかし、その内容はあまりに意外で、且つ異様なことであった。
「サンチョ、どうかしたかね。」
パパスがいつもの明るい声を掛けてきた。よかった、パパス様なら私の胸のうちを受け止めてくださる。
城で普段の暮らしを営んでいればおそらく語らなかろうことであったが、今のサンチョは、この驚きを
的確に受け止めてもらうための人物を求めていた。それはパパス様を措いてほかになかった。
「これは、肉を煮たあとの骨です。骨付きのまま煮ると、このような状態に・・・」
「なんと、こんな大きい骨を煮て食う連中がいるというのかね!?信じがたいが・・・確かに火の通った跡がある。
だが、これだけの骨だ、さぞたっぷり肉が付いていたことだろう。どんな鍋を使ったのか気になるな。」
サンチョの脳裏で、おぞましい光景が繰り広げられ始めた。
床下に封じ込められ、上に石蓋を載せられた巨大なモンスター。あの穴自体が大きな釜だったのかもしれない。
やがて床石の継ぎ目から白い蒸気が噴出する。中のモンスターは、じっくりと煮込まれてシチューに・・・
待てよ、そのモンスターは、生きていたのか?死んでいたのか?
それに、どのくらい昔に生きていたモンスターなのか?
サンチョは、興味はそそられるが不気味な謎を見いだし、憶測をめぐらし始めた。
このときディエゴが伸び上がって欠伸をしなかったら、ずっと考え事に耽っていたであろう。
ディエゴが目を覚ました。大きな口を開けて欠伸をしながら、握った両手をまっすぐ上に伸ばして
ぐいぐいと伸びをする。筋肉の伸縮音が、サンチョとパパスにも聞き取れるほどだった。
「おお、サンチョ殿、パパス殿・・・すでにお目覚めであったか。」
ディエゴはすっくと立ち上がると、早足で歩き出した。肩を回しながら、床に円を描く足取りで進む。
すなわち、朝の準備運動というわけだった。
「おお、ディエゴ殿・・・この骨をお借りしていた。サンチョに聞いたのだが、随分と出どころが変わっているようだな。」
パパスはディエゴのほうへ骨を差し出しながら言った。
「そうだ。それは、我々が今いるこの部屋の下あたりだろうか・・・私とサンチョ殿が閉じ込められていた部屋の
床下から見つかったものなのだよ。あそこには、まだたくさんの骨が散らばっていたな。」
ディエゴは歩を止めずに答えた。
「面白い話だな。もしかすると、何か巨大なモンスター一頭分の骨が揃っているかも分からないぞ。
ところで、その骨は、ただの死体のものではないということに、ディエゴ殿は気付いておられたかな?」
「ただの死体ではない・・・?骨になってしまった以上、どんな生き物のでも、屍は屍に変わりなかろう。」
「その屍は、調理済みなのだ。煮込んで肉をはいだ跡があることから、そう断言できる。」
ディエゴは戸惑いを隠そうとしなかった。眉毛がぐいと上がった。足は踏み出したまま停止していた。
視線は、サンチョとパパスと骨の三者の間を、機織の杼のようにせわしなく行きつ戻りつしていた。
「これがか?こんなにでかい骨が?まさか。そもそも煮てどうしようというのかね。」
「そんな事は私たちにも分かりっこありませんよ。」サンチョが声を放った。
パパスとディエゴの耳には、まるで弓弦を弾くようにその声が響いた。
二人とも唇を結んで、サンチョの顔に見入った。次に何を言い出すのかと、サンチョの口元に眼を注いでいた。
二人の男に見つめられたサンチョは、決まり悪くなり、顔を赤らめてもじもじし始めた。
しかし、一度叫んでしまった言葉を、口の中へ引き戻すことはできないのだ。
「いや、その・・・」サンチョは赤くなりながらも言葉を紡ぎ出していった。
「それが料理された骨だといったのは、私です。ディエゴさん。」
いつの間にか部屋の中は明るくなっていた。白は白、赤は赤とはっきり区別できるほどに明るくなっていた。
骨は、蜂蜜のような、材木のような淡い黄色を呈して、鈍く光っていた。
サンチョはディエゴに、骨を取るようにと、身振りで促した。
ディエゴはパパスから骨を受け取ると、ためつすがめつといった目つきで眺めた。
だが、どこをどう見れば、この骨が火を通した後のものだと分かるのか、ディエゴには理解しようがなかった。
「この色合いそのものが、火を通したものだという証拠ですよ。それからここ、肉が付いていたけれど、
綺麗に離れているのがお分かりでしょう?煮溶かされて剥がれると、跡がこんなに綺麗になるんです。」
サンチョはディエゴに説明した。この戦士は、旅の間、食事はどうしていたのだろう・・・と、頭の隅でいぶかりながら。
「ふむふむ・・・そういうことか。すっかり分かったわけではないが、おおよそのことは理解できたと思う。」
ディエゴは口髭を指でひねりながら答えた。まだ戸惑っているな、とパパスは思った。
「それでは・・・これからの計画を練りたいと思うのだが。」
骨談義が一段落したところで、パパスが提案した。サンチョもディエゴも、賛同の意を示し、三人は輪になった。
「まず、私としては、奪われた荷物を取り戻したく思っている。特に、剣を奪われたのは、悔いても悔い足りないくらいだ。
ここから出るにせよ、魔界に進むにせよ、武器防具がないと始まらないからな。」
「パパス殿は、魔界へ・・・?!それは無謀な・・・!!」
ディエゴが驚愕のあまり口ごもりつつ叫んだ。むしろ囁いているようにも聞こえた。
「おや、我々の旅の目的は、まだディエゴ殿には話していなかったか。
てっきり、そなたにも話していたか、あるいはサンチョから既に聞き及んでいたかと思っていたぞ。」
パパスは答えた。その平然とした雰囲気は、ディエゴの態度とあまりに異なりすぎていて、
サンチョの目には、あたかも二人が茶番劇でも演じているかのように映った。
「いやはや・・・さすがに私が冒険に憧れたとはいえ、魔界へ足を踏み込むというのは・・・」
「ディエゴ殿は、ご自身で今後の身の振り方を決めるとよい。私はサンチョと二人で魔界へ参るつもりでいる。」
サンチョは口をぽかんと開いたまま突っ立っていた。世界が凍り付いて自分の目の前から流れ去ったような感覚に陥った。
パパス様なら、自分を伴って、地の果てへでも、地獄の煉火の中へでも突き進むとおっしゃるだろう。
いつなんどきでも、そうおっしゃることは予想していたし、また、危惧してもいたが、同時に希望してもいた。
自分だって、パパス様についてどこまでも従って行くつもりでいた。
だが、今この瞬間、サンチョは、パパス様の発言を受け入れることに、強い拒否感をもった。
これまでの自分の態度とうらはらな感情に、サンチョ自身、疑念を抱いた。
これは、ディエゴさんのせいだ、ということは即座に判断できた。
どうやら、サンチョは、パパス様と二人きりでの旅路を続けるよりも、
もう一人仲間の多い三人で進むほうが好ましいと思っているらしかったのだ。
仲間の一人に不慮のことがあった場合の安全策を考えていた。パパス様を失う孤独はもう沢山だった。
パパスがサンチョを振り向いて言った。
「サンチョ、お前が、私とこれからもともに歩んでくれると信じているのだが・・・」
パパスの声には懐疑的な響きがあった。サンチョは自分が口を開きっぱなしだったことに気付き、
慌てて口を閉ざすと、パパスの問いかけに答えた。
「この先、魔界に入るのであれば、さらに危険が増すと思われます。
誰か腕の立つ旅慣れた方が、もうひとりかふたりいらっしゃれば・・・。」
「それは、暗に私のことをほのめかしていると取ってもいいのかな?」ディエゴが低い声で問いかけた。
ディエゴは、自分がその問い掛けの答えを知っていると信じていた。まさに自分が今口走ったとおりであろうと。
サンチョの答えは、ディエゴには意外であり、パパスには拍子抜けするようなものであった。
「いえ、どなたか、弓使いに長けた人がいたらいいな、と・・・。
そうそう、あの宿にいた青年狩人などは打ってつけかもしれません。」
「うむ、そういえば、思い出したぞ。ユグナスという名だったかな。城の武術大会にも出た・・・。
弓使いがいれば、長距離でも確実に敵をしとめられる。
だけれどサンチョ、今ここに連れて来ようのない人物のことを話題にしても仕方あるまい。」
「・・・それはパパス殿、私に向かって、お二人とともに行動してほしいと言っているということかな?
私なんかをじらしたところで、何の意味もないぞ。
ええい、まあいい、まあいい、パパス殿とサンチョ殿と運命を共にしよう、
ただし必ず人間の世界へ戻るようにしてくれたまえ!」
『なーんだ、ディエゴさんは、私たちとの旅を続けたいんじゃないか。』
サンチョは心の底で笑った。新しい冒険の仲間ができたことで、気分は朗らかだった。
パパスも風格に満ちた喜びの表情を見せていた。瞳がきらきらと輝いていた。
パパスもやはり、仲間が増えることを楽しみにしていたのだろう。新しい友を作ることは、パパスの趣味の一つであった。
「さあ、そうと決まれば、行動は早いほど良い。まずは、ここは袋小路で、ほかに出入り口は無いようだな。」
パパスは左右を見渡しながら切り出した。三人がいる部屋からの出口らしい出口といえば、
表にじかに繋がる戸口が一つあるだけだった。サンチョたちは、ゆうべそこから出て、夕日の中でパパスの介抱をしたのだ。
ディエゴが苦々しげに口を開いた。
「では、例の上下する柱で、下に降りることになるのか・・・まだあのイノシシどもがいるのかな。」
「ふむ、イノシシどもとは?
先ほどサンチョが、ディエゴ殿とオークキングの戦いの模様を語ってくれたが、そのことかね。」
「うむ、おそらくその通りだ。あの部屋に出入りするには、柱の上に立って降りていくのが、唯一の手段のようだから、
ことによると、イノシシどもは、まだ下の部屋に閉じ込められたままになっているかもしれない。」
パパスは話を違う角度から切り返した。
「その動く柱というのは、なんとも面白そうだ。乗ってみたいのだが、どこにあるのかね?」
ディエゴとサンチョは、ほぼ同時に同じ地点を指し示し、同じ内容を口走った。
「すぐそこだ。だが、降りていくには命の保障はできんぞ。」
「すぐ目の前です。ですが、降りていってもどんな危険が待ち受けているか存じませんよ。」
パパスは、さもありなんといった面持ちで、満足げに二度三度とうなずいた。
「危険なのは重々承知だ。だが、二人とも『虎穴に入らずんば虎児を得ず』という諺を知らぬわけではあるまい。
進む道が、その柱に乗った先にしかないのならば、そこを目指すしかないのだよ。
それでは私が先頭に立とうか・・・。」
サンチョが止める間もあらばこそ、パパスは、ゆうべあれだけ疲弊した姿を見せていたとは思えないほどの
てきぱきとした足取りで、くだんの石柱の頭へと足を向けた。ディエゴとサンチョも、あたふたと後に続いた。
自分たちの意思で行動していると信じていたが、結局は、パパスという御者に手綱をさばかれている馬のようなものなのだ。
だが、それでも嫌悪感は抱かなかった。パパスの御し方がそれだけ巧みであるという証のようなものだった。
三人が石の柱に乗ると、柱はゆっくりと下がり始めた。
「モンスターにしては、随分と凝った仕組みのものを造るものだな。
だいたい、一人だけが乗っても動かないのに、三人が乗ると、それを感知したかのように動き出すところが変わっている。」
パパスはみょうちきりんな点に関心を向けていた。
ディエゴは、この下に着いたときの、自分の取るべき振る舞いを考えていた。
例の蒼いイノシシらが下で待ち構えていて、降りてきた自分たちに襲い掛かることを危惧してのことだった。
サンチョは訳もなく心がはやっていた。
パパス様と肌が触れ合うほどそばに立っていることが原因だろうと思っていたが、
どうやらモンスターに襲い掛かられかねないという不安が募っていることも一つの理由だったようだ。
無論、この先どんな事件が、どんな罠が、どんな魔物が待っているか知りようが無いというのも、
サンチョの沈着さを奪う要因であった。
三人の心情の乱れをないがしろにするかのように、柱のエレベーターは下がりきるべきところまで下がり、
そして音もなく停止した。いちばん出口寄りに立っていたディエゴは、用心しいしい足を踏み出した。
「暗いな、ここは。サンチョ、お前はここに閉じ込められていたのかね。」
パパスは眉根を寄せ、目を二、三度しばたたいた。
部屋の天井近くから射す薄ぼんやりとした光が、石室の暗さをより際立たせていた。
がらんどうの部屋の中は、抜け出す前と比べて、なにか物悲しく感じられた。
サンチョはパパスの顔を見やった。その表情は読み取ることができなかった。
ただ単純に、明るい所から暗い部屋へ入ったためだろうとしか、サンチョは思わなかった。
部屋の中で、繰り返し鈍い音がした。小麦の布袋を打ち据えるような音だ、とサンチョは思った。
その発生源が、ディエゴが、オークキングたちと戦って、例の骨で殴りかかっていることによると気付いたのは、
パパスが眉を上げて、黒い瞳を凛と輝かせたためであった。
「手助けに行くべきだな。」
「はい、われわれも!」
二人はつんのめるように部屋へと駆け込んだ。しかしバトルは済んでいた。
ディエゴは膝をさすっていた。打たれたか何かされたのだろう。
ディエゴの足元には、毛皮をまとったモンスターが二頭横たわっていた。
鼻面を天井に突き上げ、生きているのか死んでいるのかすら判別しがたいほどの遅鈍な痙攣を呈していた。
「こいつらは、やはり目覚めていたようだったな。俺とて殺生は好まないのだが、こいつらにだけは我慢がならん。
おい、イノシシどもよ、俺の使った武器が、剣や鞭でなかったのを、幸せに思ってくれるんだな。」
ディエゴは憎々しげにせりふを吐き捨てると、パパスとサンチョのほうを見やった。
「おお、お二人とも。今、こいつらが私を襲おうとしたもので。」
パパスはモンスターの煤けて黒ずんだ体をうち眺めつつ口を開いた。
「オークキングか・・・。やつばらは、修練によって、蘇生や回復の呪文を使えるようになると聞いたことがある。
命を奪うのは、たとえモンスターとて好ましいとは言えぬし、それに、こやつらが相手なら、あまり意義もないだろう。
むしろ手足を縛って身動きを封じるのが、こちらにとっては安全だろうな。」
「手足を縛るものは・・・奴らの着ている、この服を裂いて使えばよかろう。」
オークキングは社会文化度が高いモンスターとして認識されている。その由来はサンチョは知らなかったが、
衣類をまとうという行為がその文化の高さを示しているのは、わざわざ理解するまでもなかった。
服を裂いて縄にする、というパパスの提案に、サンチョは一応賛成の意を示したが、
その目的はかなり異なっていた。
「ここに閉じ込めておきさえすれば、逃げ出すことはないでしょう。縄は縄で、私たちが持っているほうが、
何かと用も足せますし、都合がいいと思いますよ。」
「いや、この部屋は開け放しておくからな。イノシシどももたやすく逃げ出せるはず・・・おお、いいことを思いついた。」
ディエゴの思いつきとはなんだろう、と、サンチョとパパスは振り向いた。
ディエゴの視線は、二人ではなく、やや斜めにずれた後ろのほうに向いていた。
サンチョは、見返らずとも、その先にあるものの正体が分かった。あの穴だ。
例の大きな骨のあった謎の石室、底に味付きの空気がたまっているとディエゴが評した棺桶だ。
そこにオークキングたちを閉じ込めようという考えか。確かに自分たちにとっては安全策であろうが、
モンスターにとってはなんという艱難辛苦を体験することになるのであろうか。
憐憫の情を催したサンチョは、ディエゴの案に素直に賛同するのには二の足を踏んだ。
「それはいくらなんでも、可哀そう過ぎやしませんか。」
「何を言うのかね。サンチョ殿、こいつらは我々に恥辱を味わわせた張本人らだ。
命や四肢を奪うのではないだけ、われわれに感謝してもいいくらいなのだぞ。」
パパスもディエゴの意見に好意を寄せた。
「殺すわけではないし、生涯に及ぶ苦痛を残すわけでもない。
穴に落とすくらいなら実害はないのではないかね。」
二対一ではサンチョに勝ち目はなかった。それでもサンチョは躊躇した。
その間に、パパスとディエゴは、一頭のオークキングの体を持ち上げて、穴へと運んでいた。
「それじゃあここでいったん下ろすぞ。」
ディエゴとパパスは、失神しているのか昏睡状態なのか判別しにくいオークキングの体を石の床に置いた。
「それでは、そなたの着衣を頂こうか。恨みに思うなよ。」
ディエゴはそう言うと、オークキングの衣の帯を解き、襟に両手をかけると、力任せに引き裂いた。
一重の衣は襟から左右にあっけなく破れた。ディエゴはそれをオークキングの体からむしり取ると、
傍らに丸めるように畳んで置き、下着一枚になったオークキングの鼻面に向かって罵るように言った。
「だいたい魔物が服なぞ着ているというのがどうかしているぞ。よほどの頭領か魔王でもなかろうに。」
ははあ、ディエゴ殿は、人間に近い魔物は魔物とみなしていないのだな、とパパスは思った。
一般には、姿かたちなどはどうあれ、魔の魂さえ持てば魔物であるとみなされる。
たしかディエゴ殿はポートセルミの出であるとか話していたな。
あのあたりならランスアーミーなどが生息しているはずだ。
あれらは姿かたちこそ人に似通っているとはいえ、人間とは全く種類の異なるモンスターであるからして、
人との間に子孫を作ることもない。
だが、少なくとも人間の格好はしているから、ディエゴにとっては、異なる部族という考え方なのだろうか。
ところで、この戦士殿は、スライムナイトやグレンデルやエンプーサなどに出遭ったら、どういう反応を示すのだろうか。
パパスはちょっとだけ、そういうモンスターとディエゴとを対峙させてみたいという欲求に駆られた。
ディエゴとパパスは、石蓋の隙間から、モンスターの体を穴の中に落とした。
どすん、がららん、と、穴の底でにぎやかな音が響いた。それに続いて、咽喉の奥で悲鳴を上げるような声が昇ってきた。
おそらく、オークキングが、落とされたショックで悲鳴を上げたのだろう、とパパスは推察した。
「サンチョよ、気にするな。モンスターというものは、我々よりも頑丈にできているものだ。」
パパスが言った。後ろでおろおろと足を踏み惑っているサンチョに配慮したつもりだった。
ディエゴは立ち上がった。それに続いてパパスも立ち上がった。
もちろん、もう一方のオークキングをこの石の小部屋に封印するためだろう、とサンチョは判断した。
一頭が既に穴に抛り込まれた以上、パパス様とディエゴさんを止めることはできない、ととっさに思ったが、
それにもかかわらず押しとどめにかかっている自分に気が付いたのは、
走ってパパスたちの行く手を塞ごうとしているときのことだった。
「パパス様、ディエゴさん、こんな哀れなモンスターを、さらにむごい仕打ちに遭わせるなんて、
いったいどういうおつもりですか?情けごころくらい示してやったらどうです?」
パパスとディエゴは歩を止めた。サンチョに行く手を阻まれたからであり、それ以上の理由は無かった。
「では、ここにこうして寝かせておいたら、この魔物が我々に恩返しでもしてくれるというのかね、サンチョ殿。」
「いいえ、そんな事はちっとも・・・」
「後から再び襲いにやってくるだけだぞ。可哀そうだ、なんだと騒いだところで、
我々はべつだんこいつらを傷つけるつもりも、無論殺すつもりなど全くない。ほんのしばらく足止めさせるだけだ。
こいつらは、知性が高いらしいから、穴から出るための知恵くらい持ち合わせているだろう。」
確かにディエゴの言うことは的を射ている。自分は納得すべきなのかもしれない。
しかし、サンチョはそれでも従容と従う気にはなれなかった。なぜここまで頑ななのか、自分でも分からなかったが。
「このモンスターに道案内をさせましょう。この塔に住んでいるのだから、内部の様子には詳しいはずです。」
「しかし、サンチョ殿、そいつはモンスターだ。いつ裏切らんとも限らんぞ。」
ディエゴのこのせりふに異を唱えたのはパパスだった。
「モンスターは人を裏切ることはないし、欺くこともない。襲うつもりなら初めから襲いかかって来るし、
仲間になる意を見せたら、一生その人を慕って付いていくものだ。」
「そうかね、パパス殿?連中がそれほど単純な思考回路を要しているようには見えないのだが。」
「モンスターの世界には、嘘と裏切りは存在しない。妻から・・・聞いたのだが。」
エルヘブンの民の知識は、意外なところで生かされるようだった。
パパスは瞬間、せつなそうな眼差しを作ったが、すぐに再びもとの表情に戻った。
「いや、これは、・・・どうでもよいことだな、今は。それより、このオークキングの服も頂いていこう。」
パパスがオークキングの服の襟を引き裂くと、中から品物がいくつか転がり落ちた。
「なんでしょう、これは?・・・石ころだ。ははあ、火打石と火打ち金ですね。これは頂いていきましょう。」
「サンチョ殿・・・そなたはなんという男だ。魔物の命乞いはするくせに、魔物の持ち物は平然と奪っていくのだな。」
ディエゴに指摘されて、サンチョは自分の手の滑りを恥じた。拾った火打石を足元に置こうとしたが、
「いや、サンチョ、それはやはり持っていくのだ。用が片付いたら返せばよかろう。」
パパスの鶴の一声で、サンチョは石を手に握ったまま起き直った。
「さて、ほかには、何を隠し持っていたのやら・・・。」
パパスはオークキングの衣を剥ぎ取ると、三重に折りたたんで腕に掛けた。
それから床にかがむと、今しがたオークキングの懐から出てきた品物を一つ拾い上げた。
「こいつは何だ?ただの石ころにしか見えないが。サンチョ、お前は分かるかね。」
「へ、これですか?・・・ええと、あ、分かりましたよ。砥石です。おおかた武器を自分で手入れするのに使うのでしょう。」
「砥石か。変わった物を持ち歩いているものだな。それと、こいつは何だろう?」
パパスが拾ったのは、蓋のついた小さな瓶だった。中に液体が入っていて、奇妙なにおいが染み出してくる。
「・・・こいつは、匂い袋か。モンスターにしては、また洒落のめしたことを・・・。それと、こいつは?」
次にパパスが拾ったのは、指の半分ほどの暑さの幅広の金属板だった。
少したわませてあるのと、胸元から落ちてきたことからして、どうやら胸当てらしいと結論付けた。
「それで、これは・・・や、や!?」
最後に残っていたものをパパスが拾い上げ、驚きの声を上げた。
何事かと、サンチョとディエゴも顔を寄せてみた。
それは一枚の小さな布だった。人間が持ち歩いているのであれば、ハンカチと呼ぶべきものであった。
パパスはその布を広げてみた。そうすると、その布は、もはやハンカチ以外のものではなかった。
細やかに織り上げられた白いハンカチだ。縁には繊細なアラベスク模様が縫い取られていた。
「これは、もしかして・・・」
サンチョは口ごもった。
「うむ・・・」
パパスは木の杭のように突っ立ったまま動かなかった。
ディエゴは、何とかして事情を汲み取ろうとした。
どうやら、親密な誰かから送られてきたハンカチを、この塔で落としてしまい、今ここで発見したか、
絶対にここにあるはずのない物をこの場で見いだしたか、どちらかのようであった。
「マーサ・・・」
パパスは締め上げられたような声で呻いた。
そのハンカチは、まさしくパパスの妻マーサのものだった。広げる前はきれいに畳んであった。
マーサの名の縫い取りが施してあった。マーサのお気に入りの香水とおしろいの移り香が残っていた。
「なぜ、そなたは・・・」
パパスはハンカチを目頭に当てた。しゃくり上げる声がサンチョにも聞こえた。
マーサがこの塔を通った証拠が、ここで見つかったのだ。
やはりマーサはここから魔界へ連れ去られたのか。
だとすれば、このハンカチは、マーサからの通信といってもおかしくはない。
マーサがあの不思議な瞳でオークキングを見つめ、その心のたおやかな部分に訴えかけ、
パパスの目に触れる一縷の望みをかけて手渡したものなのかもしれない。
一枚のハンカチが、パパスとマーサを再びめぐり会わせようとしていた。
王と王妃ではなく、一介の夫と妻としての、二人の魂を結ぶ糸を、このハンカチは手繰ってきたのだ。
「さあ、さあ、パパス殿、思い出に浸るもよいが、ここはまず、本懐を遂げるのが先では・・・」
ディエゴが促す声に、パパスもやっと面を上げた。
「そうだったな。・・・では、サンチョ、ディエゴ殿、先へ進むとしよう。」
ディエゴは、倒れているオークキングの体を引きずって穴まで運び、中に転がして落とした。
下から物のぶつかり合う音とともに、呻き声が二重になって上がってきた。
これを耳にしたサンチョは、少なくともオークキングたちは死んではいないのを推測することができた。
やや安堵感を得たサンチョは、先ほどオークキングの懐から落ちたアイテムを一通り拾い集めて抱えた。
ただし、ハンカチだけは例外で、これはパパスが「なんとしても自分で持ち歩いていたい」と主張し、
サンチョもその御意にお任せすることにした。
ここで手にすることのできる、たった一つのマーサ様を思うよすがであったからだ。
無論、サンチョがパパスの立場であったなら、同じことを要求したであろう。
「ここから進むとすれば、パパス様のいた、あの部屋の先へ行くしかないでしょう。」
ルートを提案したのはサンチョだった。ディエゴもこれに同意した。
「私の捕まっていた部屋というのが、どのようなものだか興味あるものだ。」
パパスは笑みを浮かべつつ悪戯っぽく会話に入った。
「それはもう、真っ暗な部屋で・・・。ともかく、入りましょう。
上にもこの部屋にも進む場所がないのなら、ここから出る通路は、あの部屋の先にしかないわけですから。」
そこで、まず武器を持ったディエゴが先頭に立ち、次に荷物を抱えたサンチョ、しんがりはパパスという順序で、
エレベーターの柱を乗り越え、奥の空間へと進んだ。
「うむむ。やっぱり何も見えないな。もう夜は明けているはずなのに。」
ディエゴはいかにも不満そうにあたりの闇を見回している。
サンチョは、闇を照らし出すレミーラという呪文の話を、城の学者から聞いたことがあったが、
その習得法は既にこの世には伝わっていないということで、学ぶのを諦めたことがあるのを思い出した。
「こんな中では、何がどこにあるのか、さっぱり分からん。」
パパスも立ち止まり、不服そうな声で言った。
「それでは、私の魔法剣で、あたりを照らしてみるかな・・・こんな利用法は本意ではないのだが。」
ディエゴは骨を構えると、念を込めてぐるりと振り回した。部屋中が藤色の稲光に浸された。
部屋は大音響で激しくとよみ、壁さえもが震えるようだった。三人は目を見開いて辺りを眺めた。
不可思議な光の中に、ディエゴは梁を見た。壁や床と同様に、石造りの梁だった。
一方の壁からもう一方の壁へと部屋を横切っていた。ロープが二、三本掛かっているのも目に留まった。
サンチョが見たものは、山積みになった角ばった瓦礫の山だった。
昨日ディエゴが倒したストーンマンのむくろがそのまま放置されているのだった。
パパスは、部屋の中央付近に、燃えかけた布切れの束が落ちているのを見た。
サンチョが松明代わりに使ったものだった。
また、パパスは、部屋の広さを捉え、この部屋が隣の部屋よりふた周りほど大きいことも理解した。
そして、自分たちが入ってきた戸口を背にして、ちょうど右手の方角に、戸口が開いているのをはっきりと目にした。
上の部分がアーチ型になったその戸口は、戸というより、壁に刳り開けられた穴というほうが似つかわしかった。
それはともかく、この部屋からの出口が、これで示されたのだ。
アーチの向こうは真っ暗だったが、パパスは危険を承知の上で進む覚悟を定めていた。
稲光が消えうせる前に、パパスはその戸口のほうに向き直った。
そして、その奥に潜むかもしれない何者かに向かって、はっしと瞳を据えた。
五秒ほどで稲妻は消えた。光で閉ざされていた空間は、再び闇に対して開かれた。
元の闇に三人の目が慣れるのに、数秒間を要した。
「どうだった?何か見えたか。私は出口らしきものを見た。」
まずはパパスが、自分が見たものを述べた。
「いや〜、私は、ストーンマンがいきなり生き返って襲い掛かりはしないかと、冷や冷やもので・・・。」
サンチョは苦笑しつつ話した。
「どうやら、この部屋に対して、隣の部屋は、あとから付け足されたものらしいな。私にはその程度しか見えなかった。」
ディエゴが叙述した。
三者三様の物を見たことに、みな妙な安らぎを覚えていた。
『これだけ見る方向がばらばらならば、どこから敵が襲ってきても、誰かがすぐに見つけることができるだろう・・・。』
「そういえば、ゆうべ、この部屋に斧を置いていったのを思い出しました。どこへ行ったかな・・・?」
その石斧は、ちょうどパパスの足元に落ちていた。パパスは斧を拾い上げると、サンチョに手渡した。
「こいつはモンスターの装備品だな。これしか武器がないのなら、仕方あるまい。」
じつは、その斧は、サンチョにはやや大きすぎて、扱いにくいのだった。パパスはそれを見越して発言したのだ。
出入り口を見つけたパパスが先頭に立った。その後ろはサンチョ、三番目はディエゴという、
さっきとはちょうど正反対の並びで、三人は歩き出した。
「パパス様、お加減はもうよろしいんでしょうか?」サンチョが尋ねた。
「うむ。夜にぐっすり眠れたし、それに、ホイミも唱えておいたから、もう元気そのものだ。」
三人は、すぐに問題の出入り口に到達した。音の響きがわずかに変わったので、それと知れた。
「さて・・・この中も真っ暗だな。サンチョ、先日ここを初めて訪れたときは・・・」
「これほど暗いということは、ありませんでしたね。」
その通りだった。窓も何もなかったはずだが、塔の低層階では、これほど暗いということはなく、
物がはっきりと見えるくらいの明るさを保っていた。
「考えられることは、ここが、塔の芯のあたりになるということだな。」
ディエゴが言った。ディエゴの説を取り入れれば、ここに光が届かなくて真っ暗なままだ、という理屈になり、
それはそれで納得のできる考え方であった。
「とりあえず、さっきの要領で、この部屋も照らしてみるぞ。」
ディエゴがパパスとサンチョを押しのけて、一歩前に出た。
そして、骨を構えると、思念を込めてぐるりと振り回した。
唐突にディエゴの足元が崩れ、その隙間から明るい光が射した。
同時に、ディエゴの手元からも、目も眩むような稲光がほとばしった。
「うおああああ〜〜!!」
サンチョとパパスが手を伸べる暇もあらばこそ、ディエゴはそのまま光の中へ落ちていった。
崩れた穴の縁をつかもうとする手も、石くれをもぎ取っただけで、一緒に落ちていった。
「あああ〜・・・」
思わずサンチョはため息を漏らした。部屋の中はいっぺんに明るく照らし出されたが、
戦いの仲間を一人失ってしまったことが悔やまれてならなかった。
「どうなってしまったんだろう。」
サンチョは、こういう状況で多くの人が取るであろう行動──すなわち、空いた穴から下を覗くこと──をとった。
下は、大きな明り取りが取られているかのように明るく、広々としていた。
真下には瓦礫の山があり、その上にディエゴの体が載っていた。
肩を丸め、うずくまって脚を押さえている。どうやら挫いたようだった。
しかし、これは、実質上ディエゴの無事を確認したということでもあった。
「よかった・・・」
「さあ、サンチョ、無事を確認したら、助けに行くべきではないかね。」
パパスに指摘されるまでもなく、サンチョはその意思を見せていた。
先ほどオークキングから脱がせてきた服を裂き、それを縒り合わせて急ごしらえのロープを作り始めた。
ロープの長さは、二本合わせてもやっとサンチョの背丈を上回る程度にしかならないと予想できたが。
その間に、パパスは穴から身を乗り出し、ディエゴに声を掛けていた。
「ディエゴ殿、立てるかね?私のホイミはそこまで届くかね?」
「すまないが、回復を頼む!捻挫をしたようだ。」
パパスはホイミを唱えた。ディエゴは安堵のため息を漏らした。怪我がいくぶん癒されたようだ。
「これがディエゴ殿だったから、この高さから落ちても捻挫くらいで済んだのだろう。
これは、床が脆かったために起きた、単なる事故かな。それとも、落とし穴の罠だろうか?」
パパスは誰に言うともなく叙述すると、ふたたびディエゴに向かって叫んだ。
「そこはどのような部屋かね?明るいが、窓があるのかね?」
ディエゴも大声で返した。モンスターに聞かれるかもしれないことなど、全く懸念していないようだった。
「ああ、この部屋の天井には、大きな明り取りが開いているぞ。そこから空も見えるし、太陽の光も射している。」
サンチョはロープを綯う手を思わず止めた。
いまディエゴさんがいるのは、ひょっとして、あの床から飛び出す柱がたくさんある部屋ではないのか?
巨大な罠となっている部屋ではなかろうか。ふたたびそこへ舞い戻ってきたのだ。
サンチョは目線を上げた。ちょうどその先の、部屋の奥の隅に、一山に積み上げられたものがあった。
「・・・?」
見覚えのある色と姿をした、一まとまりの品。それは・・・
「パパス様、あそこに、私たちの荷物が!」
ようやく発見できた。自分たちの衣類と荷物。どうやらディエゴの防具も一緒に揃えてあるようだ。
「たしかに、あれは、そなたの背嚢ではないかね。これでモンスターとも互角に戦えるというものだ。」
だが、足元には巨大な穴が広がっている。荷物は、その穴を挟んで反対側の壁際に積まれているのだ。
いつどこで崩れるかも予測できないこの部屋の床を歩こうというのは、サンチョにとってはあまりに無謀に思えた。
それに、この部屋の床が少しでも崩れれば、瓦礫が落ちて、
下にいるディエゴさんに当たり、大怪我をさせる恐れが十分考えられる。
しかし、自分たちの所有物が目の前にあるというのに、みすみす諦めなければならないというのは、
サンチョにとって、またパパスにとっても、耐え難いことであった。
「うむ・・・まずは、ディエゴ殿に、この部屋の真下になる場所から身を引いていてもらおう。
そうすれば、瓦礫が落ちても、傷を負わせずにすむというものだ。」
自分と同じ考え方をしている。やはりパパス様は偉大なお方だ、と、サンチョは感慨にふけった。
パパスは穴に屈み込み、ディエゴに叫んだ。
「ディエゴ殿、そこからよけてくれ!また床が落ちるかもしれないから。」
ディエゴの返答が返ってきた。
「なんと!これ以上石ころが落ちてくるのは耐え難いが・・・。」
「そなたの鎧もあるようだぞ。この部屋の向こう側なのだが、
そこへ行くのにまた床が崩れてしまう恐れがあるのだ。」
「そういうことだったか!了解した。では下がるぞ。」
瓦礫ががらりがらりと音を立てた。どうやらディエゴが瓦礫の上を歩いているようだった。
「しまった・・・ディエゴさんにあの事を。」
「あの事とは・・・?サンチョ、もしや、柱のことかね?」
サンチョは、下の部屋が、あの柱の部屋ではないかと感づいた時点で、
その事をパパス様とディエゴさんに進言すべきだったのだと気付いた。
しかし、ディエゴの姿は、もう穴から覗いても見えない位置にまで移動してしまっていたし、
パパスも立ち上がって、壁伝いに一歩一歩を踏みしめながら進んでいた。
サンチョは戸惑いを隠し切れなかった。ディエゴさんが柱で飛ばされて怪我をするようなことがあれば、
自分もその責任の一端を負うことになるのだ。
いっぽう、パパスは、その点に関してはまったく心配していなかった。
先日モンスターと戦った時点で、すでに柱の特徴を呑み込んでいた。
『あの柱は、人がそばに寄ると跳び出す仕組みなのだ。
こちらも走っていれば、足を掬われるくらいのことはあろうが、
普通の速度で歩いているぶんには、いきなり飛び出されても、
こちらに止まって避けるだけの余裕が十分ある。』
そして、ディエゴは、十歩ほど下がったところで、いきなり跳びだす柱に遭遇したのだが、
あたりを窺いながらゆっくり歩いていたため、柱に下から突き上げられることもなく、すれすれでかわすことができたのだ。
まさしくパパスの予測が正しかったことになる。
パパスは壁伝いに歩いていた。荷物のほうへにじるように動いていった。
万が一この床が崩れるとしても、床の中央部よりは崩れる確率が少ないだろうと考えたからだ。
サンチョはパパスの歩行を、固唾を呑んで見守っていた。
事故が起きると決め付けた以上、いざというときの自分の身の振りも考慮しなければならないはずだが、
そんなことは微塵にも思っていなかった。パパス様に限りそんな事故に巻き込まれはしないと思っていた。
ついに、パパスは、胴を折って手を伸ばせば荷物に届くくらいのところまでたどり着いた。
「あと一歩・・・あと一歩・・・」
パパスはのどの奥で、舌も動かさずにつぶやいていた。
まるで、そう唱えていれば、これから一生の間に起こりうる全ての危機が回避されるかのように。
足場が崩れることもなく、パパスはあっけなく荷物のそばに立つことができた。
「楽勝、楽勝!」
ガッツポーズをしつつ、ちょっとおどけて見せるパパス。
その動きを見て、サンチョは、パパス様が国王としてだけではなく、
父親としてもきわめて優れた人物になるであろうと予想した。
むろん、今にも床が抜けて落ちるのではないか、
そうしたらグランバニアの王座は空になってしまうのではないかという不安は、
まだ胸のうちを漂ってはいたのだが。
パパスはまず、積み上げられた衣類の山に手を伸ばし、布を一枚取り上げた。
「こいつは、サンチョ、お前の服だな。投げるぞ。いいかね?」
「パパス様、お待ちを・・・」
サンチョは綯いかけた縄を脇に置くと、身を半ば前に突き出し、両腕を差し伸べて
投げられるものを受け取る準備をした。
「それでは、いくぞっ!」
サンチョの服が飛んできた。続けて靴が片方、それともう一方、さらに下着や装身具、そして石斧が飛んできた。
「あわわわ・・・パパス様、これは投げるものでは・・・」
「いやはや、すまない。ところでこの鎧は・・・」
パパスは一着の鎧を床から取り上げた。肩紐がカラメルのように柔らかな褐色の光沢を帯びていた。
「鋼の鎧か。ディエゴ殿のものかな。上等な品を使っているのだな。」
サンチョは服を纏いつつ、パパスの手元を見つめていた。
光を反射して鈍く輝く鎧と、鉄仮面とが、その手に下がっていた。
パパスは三たび、穴の下に向かって叫んだ。
「ディエゴ殿!そなたの鎧らしきものを見つけたぞ、これから下ろす!」
ややあって声が返ってきた。
「なんと、それはまことか?それでは早いところ・・・いや、落としてもらっては困る。
そこから吊り下ろすかどうにかしてもらえないだろうか?」
パパスはサンチョに向き直ると質問をした。
「この背嚢に、ロープはあるのかね?」
パパスの足元には、サンチョの大きな背嚢が置かれていた。
サンチョはすぐさま肯った。
「はい、いちばん上のほうに入っていたと記憶していますが・・・」
こうして荷物が全て手元に戻ってきた以上、モンスターから奪った道具など、なんの必要性もない。
サンチョは、脇に置いたままの石斧や、綯いかけのロープなどをちらりと見やると、細くため息をついた。
あのオークキングたちへ、わずかながら同情したために出たものだった。
そういえば、とサンチョは、まったく不意に思い出した。
マーサ様のハンカチを、どうしてあんなただの下働きを務めるモンスターが持ち歩いていたのだろう?
パパスも衣類を纏い、サンチョの背嚢を開けて、ロープをひと巻き取りだした。
荷物の山の一番下から、パパスの剣と、もう一本、鋼の剣が出てきた。
「この鋼の剣は、ディエゴ殿のものだろう。」
パパスはそう言うと、鎧と剣をロープに縛り付けた。次に、下へ向かって合図をした。
「ディエゴ殿、これからそなたの荷を降ろす。受ける準備をしてくれたまえ。」
「おう!」
まずパパスは、ディエゴの肌着を落とした。下で、布の塊が人の体に当たる音と、なにか言う声がした。
続けて、パパスは、縄に結いつけた鎧と剣を穴の縁からぶら下げ、ロープをたぐって下ろしていった。
やがて下から、ガチャガチャいう金属音とともに、ディエゴの声が聞こえた。
「いまこちらに届いたぞ!ありがたい、お二人には感謝してもし足りないくらいだ。
ところで、その上には、まだ道は続いているのかね?」
パパスとサンチョは、穴から下を覗いた。日の光がさんさんと差して、床に延びる影さえもが優雅に見えた。
ディエゴの髭面が仰のいてこちらを見ているが、それがかなたにあるように見える。
「いいえ、こちらは、もう行き止まりとなっています。私たちもそちらに降りていきますので・・・」
「それなら早いところ頼む!なにか魔物の気配を感じるのだ。」
パパスとサンチョは顔を見合わせた。そして再び穴の下を覗いた。
ディエゴは、もう骨ではなく、剣を手にして、右を振り向き左を顧みしている。
それは、グランバニア王宮の兵士にも劣らない、凛々しく頼もしい戦士の姿であった。
パパスは下のディエゴに向かってまたも声を掛けた。
「今からそちらへ荷物を下ろす。受けてくれ。われわれもすぐに参るぞ。」
ディエゴは答えなかったが、上を向いて手を差し伸べた。
パパスはサンチョの背嚢に縄を縛りつけると、おもむろに穴から下ろしていった。
下から声が響いた。
「お、この背嚢は、なんだ?毛布までついているが。」
「それはサンチョの持ち物だ。あとほかに下ろし忘れたものは・・・と。」
パパスは、辺りを見回し、自分の背後をも調べた。サンチョも周囲をじっくりと眺めた。
どうやら、この部屋には、もう忘れたものは無いようだった。
「それでは・・・どうやって降りようか。そうだサンチョ、私がそちらへ戻って、このロープを持っていよう。」
パパスは、ディエゴに背嚢を下ろした後のロープを引き上げると、壁伝いに戻ってきた。
今度は先ほどの行きがけのときより足取りも速かった。
たちまちパパスはサンチョの隣に立った。
「さあ、サンチョ、このロープを握って、下に降りるんだ。」
パパスはサンチョに指示すると、次にディエゴに向かって言った。
「ディエゴ殿、サンチョが今降りていく。下で支えてくれ。」
「よしきた、さあ、いつでもよいぞ。」
サンチョはロープを握り、穴の縁から足を出した。ロープを握った腕を穴の縁につくと、徐々に穴の中へと身を下ろしていく。
しばらくすると、サンチョの体は、天井と床の間で宙ぶらりんになった。
その真下にはディエゴが手を伸べて、すぐにでもサンチョの体を受け止めようとしていた。
少し、また少しと、サンチョの体は瓦礫の山へ向かって降りていく。
そして、ディエゴのがっしりとした両手が、サンチョの胴に回るのに、そう長くはかからなかった。
「私は無事に降りました。今度はパパス様ですが、・・・どうやって降りるおつもりですか?!」
「私か?心配するな。この穴の縁にぶら下がって飛び降りればよい。」
「そ、それはあんまり無茶でございます!」
サンチョは焦ったが、ディエゴの助け舟でたちまち冷静さを取り戻した。
「サンチョ殿は毛布を持ってきているのではないのかね。これを我々二人で広げて持って、
そこにパパス殿が飛び降りるようにすれば、怪我もしないですむ。」
「そ、そうですね、おっしゃる通りです。ああ、私としたことが、気付かないなんて・・・」
これは、毛布のことではなく、パパス様を先に降ろそうとしなかったサンチョの反省から出た言葉だった。
ディエゴはそれを誤って受け取ったようだ。もっとも、そのことで、なんら問題は発生しなかったのだが。
「普段使っている品物など、いざと言うときには案外思い出さなかったりするものだ。
それでは、毛布をここから外すぞ。」
ディエゴは、背嚢に縛り付けてあった毛布を一枚外すと、広げて片側の二つの隅を持ち、
サンチョに残りのもう二つの隅を持つよう、視線で促した。
サンチョはそれに従い、毛布の隅を握っていっぱいに延べた。もちろん中央をたるませることも忘れなかった。
「さあ、パパス様、ここへ飛び降りてください。」
パパスは穴の縁にぶら下がったまま待機していた。腰に帯びた剣の鞘が、不思議に大きく見えた。
「では、行くぞ、サンチョ、ディエゴ殿!いち、にい、さんっ!」
空を切る音がした。次の瞬間、物静かな衝撃音とともに、パパスは紺色の毛布の上に、両手を突いてしゃがみこんでいた。
「パパス様、無事でしたか・・・」
「なあに、こんな児戯にもならぬことで、おいそれと倒れるような私ではないぞ。
さあ、進もう、と言いたいところなのだが、ここは・・・?」
パパスとディエゴは部屋の内部を見渡した。天井から指す四角い光が、慈愛に満ちているようだった。
サンチョは毛布を元の通りに畳むと、背嚢にくくりつけた。そして背嚢を背負い、顔を上げると、
王と戦士はなにやら話していた。
「我々もなのだ、実はここで・・・」
「やはりここは罠なのかな・・・」
どうやら、ディエゴもこの部屋の中でモンスターに捕らわれたらしい。
柱に飛ばされて失神したか、行く手を阻まれて二進も三進も行かなくなったところを押さえられたか、
どちらにせよこの広間は、モンスターたちにとってはうってつけの人間捕獲器のようだった。
「要は、柱さえ、全て飛び出してしまえば、行く手を遮るものなど無くなるわけだろうから・・・」
「うむ・・・そうだ、この石などは、もってこいではないかね?」
石を何の目的に使うのだろうか。
サンチョは、考え込むまでもなく閃いた。
「そうか、石を床に転がすなり滑らすなりしてやれば、柱は人が来たものと勘違いして、床から飛び出してくれるわけだ。」
そうして思い起こしてみると、この部屋で、柱の無いところにいたのは、翼のあるホークマンだけだった。
人であれ、モンスターであれ、柱に近づきすぎると飛び出してくる仕組みなのだろう。
「パパス様、ディエゴさん。」
「サンチョ、いま、我々が考えてみたことなのだが・・・」
「石を転がして、柱を飛び出させるということでしょうか。」
「その通りだ。この部屋は広い。三人で手分けしても、間に合うかどうか・・・」
ディエゴがここで口を挟んだ。
「おや、誰かがやってくるぞ。むろんモンスターに決まっていようが・・・」
部屋の奥の階段を、何者かが登ってくる気配がする。
三人は、肩を寄せ合い、その階段のほうを見守った。
むろん、パパスは戦術の知識に長けているし、ディエゴは百戦錬磨の戦士であるがゆえ、
正面以外の場所に注意を向けることも怠らない。こういう状況下では、いきなり上や後ろから襲われないとも限らないのだ。
はたして、階段を登ってきたのは、一頭のシールドヒッポであった。
「ふう・・・」三人とも拍子抜けした。
サンチョは、このモンスターが愚鈍であることを、先日知ったばかりだ。
パパスは、このモンスターの知性がさほど高くないことを、先日体験して知った。
ディエゴは、このモンスターの攻撃力が低いばかりか、たいてい身を守ってばかりで
こちらが逃げても追ってくることなどまずあり得ないということを、以前から知っていた。
三者三様の知識であったが、どれを取ってみても、シールドヒッポは脅威になりえないという点では共通していた。
「サンチョよ、お前は、眠りの呪法を知っているかね?」
不意にパパスが尋ねた。
「いえ、学んでいる最中ではありますが・・・あのモンスターを眠らせるとでも?」
「そうか・・・まだ唱えられないのなら致し方ないか。
あのモンスターが眠ってくれると、うまいことここから脱出できるのだが。」
「私なら、あのモンスターを眠らせることができるが?呪文ではないが。」
不意にディエゴが言った。
「どうやってだ?」
パパスが振り返りもせずに質問した。
「まあ、見ていろって・・・。」
ディエゴは足元の瓦礫から、大きめの石を一つ拾い上げた。それを頭上高くに上げ、ぐるぐると振り回した。
シールドヒッポは、鋳造のように止まったまま、身動き一つしない。だが、体の正面を二枚の盾で守備し、
こちらの行動に備えて柔軟に身の守りを変えていこうという意志は、サンチョにも読み取れた。
たちどころに、サンチョはディエゴの作戦を理解した。なるほど、そういうことなら、自分も協力しよう。
サンチョは床に膝を付くと、手斧で床をコンコンと叩いた。
シールドヒッポはその音に釣られて、下を向いて伏し目になった。
そして石が空を切って飛ぶ音が鋭く響いた。そして、シールドヒッポの額に、石が見事に命中した。
シールドヒッポは、その場で融けるように床に崩れ落ちた。盾はしっかり両手に握ったままであった。
「うむ、われながら、美しく当てられたものだ。」
ディエゴは誇らかに言うと、モンスターのほうへ歩き出そうとした。
サンチョは慌てて止めた。
「ディエゴさん、どこから柱が飛び出してくるか、知れたものじゃありませんよ!」
「サンチョ殿は心配性だな。ゆっくりと歩いていれば、ぶつかることもない。」
そう答えて足を踏み出したディエゴの目の前で、金属の擦れる音が響き、たちまち巨大な柱が林立した。
「・・・だが、どこから飛び出してくるか分からないというのは、なんとも不快なものだ。」
忌々しげにディエゴは言うと、飛び出した柱を回って向こう側へ行こうとした。
だが、その道筋も、新たに飛び出してきた柱に阻まれてしまった。
「ううむ・・・こいつは曲者だ。パパス殿、サンチョ殿、うっとうしいとは思わんかね?」
そう言いつつディエゴが振り返ると、サンチョはパパスに質問をしているところだった。
「パパス様、あのモンスターを、どうするお心積もりだったのですか?」
「あのやからに先導させれば、この部屋の柱に触れることなく進めると思ったのだが・・・まあよい。
どうやら、モンスターなどの手を借りずとも、こちらが焦らずに進めばすむことのようだ。」
すなわち、パパスの考えでは、この塔に住まうモンスターなら、
この柱の林を抜けるすべも、そのルートもわきまえているはずだ、ということのようであった。
「さあ・・・サンチョ、ディエゴ殿、その階段を下りよう。
その先に、旅の扉がある。どうやら魔界へ通じているらしいのだ。」
「ああ、あれか。私もずっと疑問に思っていた。一ヶ月間もじらされてしまったからな。
だが、魔物どもめ、覚悟しておけよ。私の剣術の練習台にしてやるからな!」
ディエゴは重々しく言って、剣をぐるりと振り回した。その図々しいまでの率直さに、サンチョは愛嬌を見いだした。
「それでは、サンチョ殿、パパス殿、進もうか。」
そこから階段の降り口へたどり着くのは、簡単なことではなかった。
一行は何度も柱を床からせり上がらせた。サンチョがしっかり数えたところによると、十六回であった。
やっと階段のそばについたとき、サンチョは要りもしない緊張を張り巡らしていたおかげで、すっかりへたり込んでしまった。
「大丈夫かね、サンチョ?」
パパスはホイミを唱えようとしたが、サンチョが別段傷を負っているわけでもないのを思い出して、詠唱を途中で止めた。
かわりに身をかがめて、靴の上部の折り返し部分を折り直して整えた。
ディエゴは、頑丈そうなレンガ色の革靴を履いていた。ときおり踏み鳴らしてみるその靴は、
何年も履きこんで、すっかり足の形になじんでしまっているようであった。
サンチョは自分の靴を見た。栗色の柔らかななめし革の靴だ。普段は庭仕事用にしているものを履いてきたのだが、
長旅に耐えるのは難しかったらしく、大きな傷が一本描かれてしまっていた。
『このような装備の格段の違いがあるというのに、私はお二人とともに魔界を旅することなどできるのだろうか・・・。』
サンチョは不安になったが、同時に、
『自分は魔界のすぐ手前までやってきたのだ──既に賽は投げられているのだ。』
という心情が沸き起こり、大いに奮い立ったのも確かであった。
サンチョは立ち上がった。
「さあ、私のせいで、お待たせしてしまいました。行きましょうか。」
ディエゴ、サンチョ、パパスの順に並び、三人は階段を下りていった。
階段には手すりや縁石などはない。足を滑らせたら、そのまま下へ落ちるだけだ。
三人は、あたりから魔物が出ないかどうか神経を張り巡らせつつ、一段一段を下りていった。
なんという問題もなく、階段を下りきることができた。モンスターなどただの一頭もやっては来なかった。
これは、サンチョにとっても、ディエゴにとっても、むしろ拍子抜けなことであった。
自分たちがせっかく戦おうと──防御のための戦いであるとはいえ──気構えているというのに、
姿すら見せないというのは、まるで裏切られたような心理状態に陥ってしまうではないか。
ディエゴなどは、はたから見ても分かるほどに、退屈を持て余していた。
自分の愛用の剣がようやく手元に返ってきて、存分に力を振るえるようになったのだ、
ひと月の間幽閉されていた苦難のお返しくらいしてやりたい気分なのだろう。
捕らわれている間でもトレーニングを欠かさなかった体からは、目くるめくオーラが立ち昇っていた。
いっぽう、パパスといえば、モンスターが襲ってこなかったことを、むしろ当然と思っているようであった。
あのオークキングたちが伝令の役も務めているのだと仮定すれば、
自分たちがとっくに逃げ出して、武器も装備もみな取り戻し、いまや魔界に打って出ようとしているなどという情報は、
おそらくまだどこにも伝わっていないはずだからだ。
三人の立っている場所から五、六歩だけ離れたところに、ぐるぐると渦巻く青い光の泉があった。
「ここに入れば・・・この向こうに行けば、わが妻マーサが・・・助けに行くのだ。」
そうつぶやくと、パパスは、サンチョとディエゴのほうを振り向いた。
「二人とも、覚悟はできているかね?」
「はい、パパス様!」「無論だとも、いつでもよいぞ!」
サンチョとディエゴは揃って答えた。
自分は戦いの腕など全くないし、しかもこんなに軽装で、魔界などへ足を踏み込んでも、
命を保ったまま帰って来られるだろうか、と再びサンチョは訝った。
もっとも、装備に関しては、パパスもディエゴも完璧というわけではない、という点で、サンチョと同じであった。
パパスは鉄の胸当てを装備しているだけで、肩から腕にかけてはまったく露わなままであった。
ディエゴは鎧の左脇の草摺りが落ちていた。
吊っていた革紐が、何らかの理由──おそらくは魔物の攻撃で切れたのだ。
どうやら、パパスとサンチョがこの塔を訪れたときに見つけた革帯は、
兜の顎帯ではなく、草摺りの留め帯であるらしかった。
パパスはおもむろに旅の扉へと歩み寄った。片足を光の渦に乗せた。もう片方も青い光の中へ引き込んだ。
みるみるパパスの体は水色の光を放ち、霧が晴れるように掻き消えた。
「パパス様・・・」サンチョは生唾を飲んだ。
「さあ、サンチョ殿、われわれも行くぞ。」
ディエゴはサンチョを半ば急き立てるようにして、サンチョの背負った背嚢を押しつつ旅の扉へと引き立てていった。
二人の体が青い光の上に乗ったとき、足元から目も眩むような明るさがほとばしった。
サンチョは反射的に両目を固くつぶった。ぐるぐるとねじれ、曲がるような感覚が、全身を襲った。
「こ、これは・・・気持ち悪い・・・」
サンチョは息苦しくなり、顎を前に突き出した。顔色が蒼くなっていたのは、光の映り込みのせいだけではなかった。
やがて光は徐々に薄れ、サンチョが目をそっと開いてみると、目の前にはパパスの両脛が並んでいた。
「パパス様・・・ぐぇほっ、ぐぇほっ・・・」
「どうやら、旅の扉酔いに罹ったらしいな、サンチョ。心配するには及ばないぞ。
それよりも、私は、ここがどう見ても魔界とは思えないのだが・・・。」
そこは、これまでに見てきた塔の中と同じく、石壁に囲まれた四角い部屋であった。
これが城の中にある部屋であったなら、サンチョはおそらく、ワインセラーか食料庫だろうと主張して譲らなかっただろう。
しかし、魔物の住む塔に、食料庫があるというのは、あまりに不似合いな発想であった。
部屋の中はがらんどうだった。上の窓から差す日の光に照らされて、わずかな塵埃が舞っていた。
リュートの弦のようにたゆみなく延びた光の筋は、この石部屋の中には照らすものが無いと言って、悲しんでいるようだった。
部屋の片隅に壷がひとつだけ、忘れられたように置かれていた。
「あれ、あそこに壷がありますよ。水くらいは入っているかもしれませんね。」
サンチョは壷へと足を向けた。すぐさまパパスから警告の号が飛んだ。
「近寄るな、サンチョ!それはモンスターかもしれないぞ。
あたかも殻に潜む貝のように、人が近づくと突然飛び出して襲ってくるモンスターがいるのだよ。」
その言葉にぞっと寒気を覚え、サンチョはすぐさま足を止めてきびすを返した。
「ところで、この間、モンスターどもと戦ったのは、やはり朝ではなかったかな、サンチョよ。」
パパスは話題を新たに引き出した。こういうとき、パパス様の頭の中では、綿密な思考が練られているのだ。
サンチョは深くうなずき、答えた。
「そうでした。夜が明けたころに塔に着いて、それから水を汲んで、塔の中に入ったわけですから、
夜明けからそれほど時間がたっていなかったと思いますが。」
「ふむ。それにしては、妙だな。今もちょうど、夜が明けてしばらくたった頃合いだ。
モンスターにも決まった生活習慣というものがあるのなら、いまここに、モンスターがひしめいていてもおかしくはないのだが。」
「それはどういう意味かね、パパス殿?」
ディエゴが尋ねた。明らかに、パパスの発した言葉の意味と背景とを量りかねたようだった。
パパスはディエゴに説明することにした。
467 :
466の続き@No.197:04/08/04 02:10 ID:kINPD+Ey
「それはだ、ディエゴ君、先日私とサンチョがこの塔に着いたときのことだが、
正面の扉から入って、階段を登って、さっきのあの旅の扉の前を通ったのだ。
ちょうどそのとき、旅の扉の向こう側から、大勢のモンスターが現れて、われわれ二人に襲い掛かった。
それは、時刻で見れば、ちょうど今時分と同じ頃なのだ。
そこで私は、
『もし、ここに住まうモンスターが、毎日この時間帯に差し掛かると、この辺りを通過して、
旅の扉をくぐって塔の中へ移動するという定められた生活習慣にのっとって暮らしているのであれば、
毎日同じ時間帯には同じ行動をとっているはずだろう』
と考えたのだ。
そして、私の推論が正しければ、この間、旅の扉からモンスターが出てきたという事実は、
すなわち、この時間にはいつも、モンスターたちは旅の扉を通って塔へ行くという生活パターンが
出来上がっているという結論へと結びつくのだ。
なぜここから塔へ行くのか、その理由や必要性までは、私にも知るすべはないがな。」
「魔物がそんなに時間に律儀だとは、私には思えないがな。」
ディエゴはじっと聞いていたが、パパスが話し終えると、感想を漏らした。
「だが、この部屋にも魔物が出る可能性があるということだけは、私にもよく分かった。
それより肝心のことを知りたいぞ。いったい、ここは魔界なのかね、人間界なのかね?」
これは無論サンチョも知りたくてたまらないことであったが、
パパス様とディエゴさんの話にうまく割り込める隙が見つからなかったので、
問おうと思っても口すら開けなかったのだ。
パパスはディエゴの質問に答えた。その声は、サンチョの耳にも狙いあやまたず放たれていた。
「聞いたところによると、魔界の空は日がな一日アヤメの花のような紫色をしているそうだ。
だから空を見れば一目瞭然なのだが、こんな建物の中では分かりにくい。
外に出てみるのだな。ほら、具合よくあそこに出入り口があるだろう。」
部屋の出入り口は、すぐそばと言ってもいいほど近くに開いていた。
旅の扉をくぐって、この部屋に入ってきたときから、三人ともその存在に気付いていたことは言うまでもないし、
互いがその存在に気付いていたことを認識してもいた。
だから、今パパスが「出入り口」と口走ったときに、
三人がそろって歩き出したのも、なんらおかしな現象ではなかったのだ。
とはいえ、出入り口の幅は、大の男が三人並んで通り抜けられるほどは広くはなかったので、
まずは戦士のディエゴが用心棒を買って出ることになった。
「では、私が偵察ということで。」
ディエゴは幅広の肩を戸口に差し込み、右、左、上、そして足元も調べた。
ふたたび足元が崩れて、瓦礫とともに穴に落ちるという経験は、そう何回も体験したいものではなかった。
取り立てて異常な点は見つからない、ディエゴはそう結論付けた。
「では・・・パパス殿、サンチョ殿、怪しい点は見つからないので、進みますぞ。」
ディエゴに続いてサンチョ、そして後尾の守りはパパスという隊列を組んで、三人は進んだ。
進んだ先は、よく日が差して明るかった。天井近くに採光用の窓があり、青空も覗いていた。
「太陽がよく照っています・・・ここには曇りや雨の日というのはないのでしょうか。」
サンチョはつぶやいた。途端に、パパスが大声を上げた。前を行く二人はぎょっとして振り返った。
パパスは、自分に向き直ったサンチョの瞳を見つめた。
四半分は喜び、四半分は呆然とし、四半分は失望し、四半分は安堵と、四つの感情が混合した表情を浮かべ、
パパスは自分が今理解したことを話し出した。
「それだ、サンチョ。魔界では太陽は照らない。つまり、ここは人間界だということになる。
・・・だが、ここが、人間界のどこであるか、ということになると、疑問は残るが。」
「パパス様、ここはやはり、さっきの塔の続きであって、つまり、同じ建物なのではないでしょうか。」
「だが、同じ塔の中であるというのに、どうして旅の扉などが必要なのかね?」
これはディエゴの問いかけであった。言われてみてサンチョもパパスも気づいたのだが、
至極もっともな疑問であり、そしておそらく誰にも解けそうにもない質問であった。
「うむ・・・あくまで推察にしか過ぎないが、この塔がよほど高くて、上下の移動に時間を費やしてしまうからか・・・
あるいは、ここと先ほどの部屋とは、別棟なのかもしれない。
もっとも、先ほどの部屋と、この部屋とが、同じ塔の中であるという保障は、どこにもないがな。
このサンチョが言っただけのことだ。」
パパスはサンチョの肩に手を載せ、かるく叩いた。
「結論は、確認してみないと出せないことも確かだ。」と、パパスは付け加えた。
「それは間違いなくそうだが・・・だが、この部屋と、さっきの旅の扉の入り口側とが、同じ塔であるという事を、
どのようにして証明できるかだな。うむむ。」
ディエゴは少しの間考えて、単純な回答を引き出した。
「やはり、塔の外に出て、ここが同じ塔かどうかを見定めるのが一番確実だな。」
なんとも呆気ない結論ではあったが、正鵠を射てはいた。
「では、先へ進もう。ここからじかに外に出られるかどうかは、分からないがな・・・。」
三人は、部屋の向こうに、薄青い光の渦があるのを見つけた。
「また旅の扉ですか。・・・気分が悪くなるので、私はあまり気が進まないのですが。」
サンチョは腰が引けていた。たしかに、旅の扉をくぐる時の、全身が揉みしだかれ、引き伸ばされるような感覚は、
誰にとっても気分がいいと言えるようなものではなかった。
こんなものを、モンスターたちは普段から使っているのか。よく平気でいられるものだ、とサンチョは頭の片隅で思った。
「では、行こうか。ためらっていても、何も始まらないからな。」
パパスの声で、まずディエゴが飛び込んだ。パパスはサンチョの背中を背嚢越しに押しやり、
サンチョはつんのめるように光の渦へと呑まれていった。
再び頭を揺すられるような、不快な振動が全身をひしいだ。
目が回ったぞ、と思ったときには、もう目の前には、穏やかでどこか物悲しい太陽の光に照らされて
二色に染め分けられた石壁が静止しているだけだった。
「サンチョ殿、ここもさっきとなんら変わりのない部屋だな。」
声を掛けてきたのは、むろん先に着いていたディエゴだった。
すぐあとからパパスも扉を抜けてやってきた。三人はひとまとまりになって立ったまま、辺りを見回した。
「そこに扉がある。」
ディエゴはひとことだけ言い放つと、ひとりですたすたと歩き出し、扉の前に立った。
扉は鋳鉄のような重々しさを見せていた。
取っ手は無く、それに相対する部分には、戸板と同じ材質の小さな板が打たれていた。
やや大きいという点を除けば、城にあるような扉とべつだん異なるところはなかった。
ディエゴはわずかの間、扉を注視していたが、おもむろに戸板に手を掛けて押し始めた。
力を入れて押しているのが、離れて立つサンチョとパパスにもよく見て取れた。
扉は深みのある和音を響かせながら、ディエゴの手の元で、いとも軽々と開いた。
あまりの抵抗の少なさに、うっかりつんのめりそうになりながらも、ディエゴは後ろを振り向きいた。
ディエゴが話し出す前に、サンチョはその内容を推察することができた。
なぜなら、サンチョの立ち位置からは、扉の表の様子がはっきりと望めたからであった。
「これはこれは・・・塔の外に出られるとは!ああ・・・」
ディエゴは戸から二歩、三歩と踏み出し、深々と息を吸い込んだ。
あたかも、今まで魔物に捕らわれていたときに肺に入った空気を、全て新たなものに入れ替えるかのように。
外は、サンチョとパパスが初めて訪れたときと同じく、なんの物音もしていなかった。
風も吹かず、虫も鳴かず、鳥も飛ばない。音の空白地帯であった。
この中で、わずかにでも音を作り出せるものといえば、三人の男ののどと着衣だけであった。
「ここは、やはり、同じ塔だったようですね。これじゃあ堂々巡りだ・・・」
サンチョが言った。食卓を囲んで茶話会でもしているかのような、あまりにも平穏な口調だった。
パパスは、サンチョに、福音を授けるような、温和で凛々しい口調で返答した。
「まあ、われわれのうち、誰もこのような道筋になると思っていたものはいなかったからな。
また戻って、今度は上へ登るようにしよう。この塔に魔界への出入り口があるのなら、
それはこの塔の、我々がまだ足を踏み入れていないような上のほうだろう。」
「それか、地下の部分だな。」ディエゴがパパスの言葉に補足を入れた。
パパスはディエゴの目をまっすぐに見つめた。
「地下があるのか。そなたは行ったのかね。」
「いいや。だが、わたしの聞いた話では、塔というものは、高さがあるぶんだけ釣り合いが取りにくいから、
必ず地下を掘り込んで、そこから柱を立てるものだそうだ。そうすれば揺れが来ても倒れにくいらしい。
この塔だって、魔物のものとはいえ、高楼であることには変わりはないだろう。
そこから推察したのだ、この塔にも地下の空間、つまり地下室があるのではないか、とな。」
「なるほど・・・地下室があるという可能性も考慮に入れておいたほうがいいか。
だが、上か、下か・・・魔界への出入り口が、この塔のどこかにあるのは確かなのだが。」
パパスは眉根を寄せて考え込んだ。
サンチョには一つの発案があったが、それを言い出すのは、状況を不安定にする恐れがあると考え、
あえて口にすることを憚り、ここはパパス様とディエゴさんの考えに任せるべきだ、と自分に言い聞かせた。
そのディエゴは、やはりいささか逡巡してはいたが、自らの意見を述べ立てることにした。
「ここで、二手に分かれるのはいかがなものだろう?パパス殿とサンチョ殿は、お二人で塔の上へ向かう。
そして、私は、地下室を探してみることにする。
どちらかが、魔界への通路を見つけたら、そこで引き返して、どこかで落ち合うことにしてはどうだ?」
サンチョは背筋がぞくりとした。ディエゴの意見は、自分の発案と、まさに一致していたからだ。
パパスは首を垂れてしばし思いに耽っているようであったが、やがて首を上げると、静かに答えた。
「よいだろう。それでは、日暮れ前に、あの柱の飛び出す広い部屋で待ち合わせよう。
あるいは、通路を見つけ出したほうが、もう一方を追ってくるのでもよい。それでよいかね?」
「合意した。それでは。」
ディエゴは塔の外壁に沿って歩き出した。その背中は広く、純白に輝いていた。
「さて、我々は我々で、塔の上を探索することとなった。早く進むとしよう。マーサのためにも。」
パパスはサンチョに振り向くと言った。サンチョはどことなく名残惜しげな目つきで、遠ざかるディエゴの背中を見ていた。
職人さんガンガレー
密かに毎日楽しみにしてますよ
パパスは、腰ぎんちゃくから、一枚の布を取り出した。
さきほどオークキングの懐から見つけ出したハンカチだった。
先ほどの薄暗い部屋の中ではなく、明るい日の光のもとで、じっくりと眺めてみようというお心積もりだろうか。
サンチョは、パパスの手元を見た。指が動かないのに気付き、パパスの顔へと目を移した。
パパスの目は、本でも読むかのように、じっと焦点をハンカチに合わせたまま、絶えず動いていた。
東から差す光がパパスの顔に落ちて、その顔の半分を暗褐色に染めていた。
「パパス様・・・そのハンカチが、どうかなさったのですか?」
サンチョの問いかけに、パパスははっと気付いたように顔を上げた。そしてサンチョの顔を見た。
「サンチョ・・・お前も見るがいい。」
パパスはサンチョにハンカチを手渡した。サンチョはハンカチを受け取ると、裏返して、パパスが眺めていたほうの面を見た。
いくつもの点や円や線が綴られていた。それらは、明らかに文字であった。
このハンカチは、マーサ様から、パパス様へ当てた手紙なのか・・・。
サンチョは綴られた文字を読んだ。
いとしいパパス
あなたは、もしや、私を追って、魔界へ来ようとしているのではないでしょうか。
しかし、いかに武芸に優れ、人智豊かなあなたでも、所詮は人間なのです。
魔王の力の前にはひとたまりもないでしょう。
魔王に篭絡され、もてあそばれる操り人形となるよりも、英知にあふれた人間の王として
国民を導いていってくださるのが、あなたに与えられた努めです。
そして、リュカを・・・よろしくお願いいたします。
いつか、時が来れば、運命の思し召しによって、私たちは再び会うことができるでしょう。
それがこの世での再開であることを、私は切に願っています。
魔物に託して送ったこのハンカチが、あなたの目に触れることを・・・
いいえ、決して触れないことを、私は願っています。
このハンカチがあなたの手元に来るということは、あなたが危険を冒しているということ。
一刻も早く、平和で安全な世界にお戻りください。
あなたの妻 マーサ
サンチョは手紙を読み終えた。折り目の部分では文字が曲がっていたり、インクがしみになっていたりもしていたが、
マーサ王妃の流麗な筆跡は、くっきりとして、読むのになんら差し支えはなかった。
「マーサ様の・・・お言葉通りです、パパス様。」
サンチョはパパスにハンカチを返そうと手を伸ばした。
「パパス様は、たとえマーサ様が、このようなお気持ちでいらっしゃるのをご存知になった今でも、
魔界へ救いに行かれるとおっしゃるのでしょうね・・・。
このサンチョ、パパス様のお気持ち、深く理解しているつもりではありますが、
国家のことも顧みていただかないと・・・。」
パパスはハンカチをサンチョの手から受け取り、みずからの掌に広げて眺めた。
「サンチョ、お前はそう言うが、私はどうしてもマーサを救いに行かねばならない。
ここにあるだろう、『時が来れば運命の思し召しで再会できるだろう』と。
運命とは自ら作り出すものだ。運命の思し召しとは、我々の行動力がもたらす結果のことを言うのだ。
マーサなら、私のこの考えを理解していたはず。そして、サンチョ、お前もそうであるはずだ。
国家の安泰を考えるためにも、マーサは救わねばならない。
愛する妻なしでは、どうして国政に全身全霊で取り組めようか・・・。」
パパスは言いさすと、両目を強く閉じた。日の光が陰を作り、その両目を覆った。
サンチョがまばたきを二回繰り返すくらいの間、パパスはじっと目を閉じていた。
そして目を開くと、思いがけなく優しい声で言った。
「さて、サンチョ。マーサのためにも、お前や私自身のためにも、グランバニアの国のためにも、
我々はこの塔の上に魔界への出入り口があるのかどうか確かめなければならない。
ディエゴ殿にも迷惑をかけてはなるまいしな・・・。」
パパスはハンカチを折りたたむと、腰ぎんちゃくへ納め、ボタンを掛けて蓋を閉じた。
そしてサンチョを振り返り、その丸い頭を両手で挟んだ。そして、二人の目と目を向かい合わせると、
サンチョの顔に吐息がかかるほどの至近距離に顔を寄せ、ささやいた。
「サンチョ、私がマーサという存在を知る前から、 お前は私の管鮑の友だった。
マーサを見初めてからも、お前が私にとって大切な男であることには変わりがなかった。
こうしてマーサを失った今、お前はやはり私の愛する友だ。
私を信頼するなら、私のことが好きなら、私の期待に答えてくれ。」
そう言うと、パパスはサンチョの頭に自分の顔を引き寄せ、その額に接吻をした。
わずかに一瞬のことであった。
パパスはもとのように立ち上がると、塔の中へと戻りつつ、サンチョを振り返って告げた。
「さあ、サンチョ。マーサが待っているぞ。進もう。」
サンチョは、たった今のパパスの行為を理解できず、魂が足元へ抜けていったようにぽかんとしていた。
そりゃ、父親が息子の額へ接吻するのは、世界的にもごくありふれた愛情の表現法だ。
友どうしが肩を抱き合うのも、べつだん奇妙ではない。世の中にいくらでもある習慣の一つに過ぎない。
だが、部下が王からおでこに口付けをいただくというのは・・・聞いたためしがなかった。
サンチョはきょとんとしたまま、パパスの後ろをとことことついて行った。
その様子は、もし街の中でこの二人の姿を見かけたら、親子と見違えるようなものであった。
塔の中に入ってから、『あ、この先に進むと、あの全身を不愉快にもみしだく旅の扉があるのだった』と思い出したが、
それすら感情を全く揺らがさないまでに、サンチョはパパスの行動に心を奪われていた。
旅の扉を二つ続けざまに通り、階段を登って、がらんどうの広間に出たとき、
サンチョの頭は、旅の扉のおかげで、独楽のようにくるくると回っているようだった。
頭の中がうだるように熱かった。パパス様の口付けのことは、忘れてはいなかったものの、今は考える気も失せていた。
ここまでの道のりでモンスターに全く出会わなかったことにやっと気が付いたが、それにすら無関心であった。
階段だって、二本足では登れずに、両手を付いてなんとか這いずるように登ってきたのだ。
はたから見たら、『太っちょのカタツムリ』と笑われたかもしれない。
「パパス様・・・少し休みましょう。頭がくらくらして、熱くて、重いのです。」
サンチョは苦しげに言った。
自分では怒鳴っているつもりだったが、パパスにはふだんの声と変わらない大きさに聞こえたようだった。
「うむ、まあ、良かろう。この部屋には、モンスターもあまり近づかないようだし。」
パパスは腰の剣を抜くと、軽く素振りをした。シャキン、シャキンと金属の擦れ合う音がして、
たちまち二人の目の前に、立派な金属の柱がそびえ立った。
「さあ、これに凭れて休むがよい。私はもう少し先へ行って、柱を出させてこよう。
そうしないと、危なくておちおち歩いてもいられないからな。」
サンチョは、言われたとおり、飛び出した柱に背の背嚢を預けると、尻を床にぺたんと落として、大きく息をついた。
パパスはゆっくりと進みながら、左右に大きく剣を振り回した。
ところどころで鋭い金属音とともに柱が床から飛び出し、隊列を組んだ兵士のように並んでいった。
しばらく進んで戻ってきたパパスは、サンチョに問いかけた。
「そういえば、そなたの荷物に、あのロンティエは無かったのかね?」
サンチョは首を振ろうとしたが、まだ目まいが激しくて、頭を動かす気にはなれなかった。
そこで、濁った池に住む鯉のように唇をわずかに動かし、「いいえ」とだけ答えた。
「そうか・・・あれなら、お前の目まいもすぐに治ると思ったのだが。」
その点については、確かにパパス様の言うとおりだ、とサンチョは重苦しい頭の中で思った。
しかし、先ほど装備品を取り戻したときに、水筒だけは見当たらなかったのだった。
旅に出る日に、城下町で間に合わせに買った、安物の木の水筒だから、とりたてて嘆き悲しむことなどないのだが、
倹約家のサンチョにとってはなんとも惜しいことであり、魔物に奪われたような気がするのも悔しいことであった。
パパス様に余計な気遣いはさせまいと、サンチョはおっとりとした口調で答えた。
「しばらく休めば、元通りに歩けますよ、パパス様。」
サンチョはそばに立つパパスを見上げた。パパスはサンチョを見下ろしていた。
ときたま顔を上げ、あたりに不穏な動きが無いか見張っていた。
しばらく息をついているうちに、サンチョの頭も正常に戻ってきた。
「さあ、パパス様、私はもう平気です。先へ進みましょう。」
サンチョは立ち上がった。背嚢の重みでよろめいたが、そこをこらえて踏ん張った。
「そうか、それなら早速行こう・・・といいたいのは山々なのだが、・・・」
とパパスは、部屋の反対側の端を指した。サンチョはその先を見たが、何も問題があるようには思えなかった。
「・・・階段が二つあるのだ。どちらを登るべきだろうか。」
言われてサンチョもはっと気が付いた。
一つの階段は、こちらからもはっきり見えるし、階段であることも無論明らかに分かる。
ところが、もう一方の階段は、はじめの階段の陰に隠れていて、
いま二人のいる場所からは、注意してみないと気付かないほど目立たないのだ。
パパスが二つめの階段の存在に気付いたのは、さっき、柱を突出させるために、少し先まで歩いていったためであった。
「ここで我々がまた二手に分かれるわけにはいかないな。どちらかに決めないと。うむ、そうだ。」
パパスは手にしていた剣の切っ先を下にして、パパスとサンチョの中間の床に立てた。
「さて、手を離して、サンチョの側に倒れれば第一の階段、私の側に倒れれば、奥の階段ということにしよう。」
この児戯じみた決定法に、サンチョはちょっと拍子抜けがしたが、少々考え直して、
たしかにこういう状況では、これよりも納得できる決定法はまずあるまい、と気が付いた。
パパスは剣をまっすぐに立てると、手を離した。剣はあっけなくパパスの足元へと転がった。
「むむ、奥の階段と出たか。では進もう。」
パパスは剣を拾い上げ、先に立って歩き始めた。数歩進んだところで、サンチョを見返った。
サンチョは背嚢を背負いなおすと、パパスに続いて足を運び出した。
柱の列が途切れるたびに、パパスは左右と前方に向かって剣を振り回す。
そのたびに、床のどこかから決まって柱が飛び上がってくるのだった。
パパスとサンチョは、広間の床一面を歩き続けた。
柱の列は徐々に長くなり、頭上の吹き抜けから差し掛かる日光が、床に無数の縞模様を作り出した。
「床から飛び出すのが、柱であってよかったよ。これが、炎でも噴き上がるとか、モンスターが飛び出すとか、
そんなことでもあったら、我々とていかんしようもないからな。」
パパスが冗談とも本気ともつかないことを言った。サンチョはいささか悪寒を覚えた。
長い道にも果てはある。二人はようやく、目的の階段の元へとたどり着いた。
パパスはその一段目に足を掛けた。その視線は、階段の上を見上げていた。
上の階は静かだった。そこを白く照らす太陽は、むなしくすらあった。
「では、登るとしよう。サンチョ、お前は後ろに気を配ってくれ。
今まで何者も来なかったからとはいえ、この先も無事である保証は無いからな。」
パパスはそう言いつつも、足早に階段を登っていった。サンチョも前屈みになってその後をつけた。
手には自分の斧を持っていたが、階段の上という位置で振り回すのは、できれば願い下げにしたかった。
パパスとサンチョは、まるでグランバニアにいるかのように、なんの障壁もなく階段を登り終えた。
と、目の前に突然降って湧いたかのように、モンスターが座っていた。シールドヒッポだ。
「お、おや、こいつは・・・」
パパスが口ごもった。そして、瞬時に無意識的に剣を抜き、身構えたが、そのまま肩の力を抜き、剣を脇に下ろした。
シールドヒッポは頭を抱えていた。苦しげな様子からして、どうやら頭が痛いらしかった。
「ははあ・・・さっきのあいつですね。」
サンチョには見当が付いた。下に降りる前、ディエゴが瓦礫を投げつけて失神させた、そのモンスターなのだ。
そういえば、下の柱の広間には、まだ瓦礫の山が残っていた。
あれからかなり時間がたっているが、まだ頭が痛むのか・・・と、サンチョとパパスは半ばあきれた。
そこまで鈍いモンスターなのだろうか、こいつは・・・?
「こいつを手なずけられたら、塔の案内役にできるのだが。」パパスが言った。
とんでもない発案だ、とサンチョは心の中で反駁した。いつ裏切るかもしれないモンスターを、どうして先導役にできよう。
「やめておきましょうよ、パパス様。このモンスターは、人に懐きそうな顔はしておりません。」
サンチョは苦りきった顔を作り、パパスに忠言した。
「まあ、いいではないか。まずはこいつの意向を聞かんと話にはならないがな。」
パパスは、さっき抜き放った剣を再び持ち上げ、シールドヒッポの鼻先に突きつけた。
「モンスターよ、なんじに問う。そなたは我々の仲間となり、我々に忠誠を尽くすことを誓うか?」
剣の刃の上で、太陽が紫色に輝いた。
突然モンスターがわめきだした。
「ウボッ、ウボッ、ウボボボッ、ウゴオオ〜〜!」
そして、床に転がっていた盾を拾い上げると、両手に持ち、胸にかざしたまま、
石つぶての飛ぶようにどこへともなく走り去っていってしまった。
「・・・やはりサンチョの言ったのが正しかったか。よほど我々と行動を共にするのが嫌だったんだろう。」
パパスはわざとらしく明るくした声でしゃべった。
それが不服を隠すための演技であることくらい、サンチョにも読み通せた。
「さて、それでは、我々も二人きりで進むとしようか・・・。」
パパスとサンチョは周りを見渡して、先に進むルートを捜し求めた。
もちろん、不意にどこかからモンスターが姿を現さないかという懸念もあっての用心も兼ねていた。
そして、二人が気付いたのは、どうやらこの辺りにもモンスターは近づいていないということ、
それから、先へ進む道は、どうやらさっきのシールドヒッポが駆け去っていた先しか無いらしい、ということの二つであった。
『この先どこで何が待ち構えているかは知らないが、用心さえ払っていれば、どんどん前へ進むことができる』
と、そんなふうに、サンチョは空想した。
「パパス様・・・先へ参りましょうか。」
「うむ。」
パパスが前、サンチョが後ろという、いつもと変わらぬ順に立ち、二人は歩き始めた。
ここは塔の何階になるのだろうか。ふとそんな疑問がサンチョの脳裏を掠めたが、
考えても先の様子が推し量れるわけじゃなし、と思って、数えるのをやめた。
ただし、サンチョの本能的なまでの細やかな世話焼きの精神は、
どうやらこの階が四階であるらしいことを無意識のうちに数えていたようだった。
何階でもいい。自分には無意味なことだ。パパスは、塔の階層など、まったく気にかけていなかった。
知っているのは、塔のてっぺんには最上層があるということ、
そしておそらくは、そこに魔界への扉が開いているということだった。
もっとも、魔界への扉は、地下深くに潜っているのかもしれなかったし、
思わぬ片隅などに中途半端に存在しているのかもしれなかった。
妻のもとへ行く。妻を救い出す。みんなでグランバニアへ帰るのだ。無事な姿で。
パパスは、あのハンカチのことを思い出した。細いペンで、繊細に綴られた黒い文字。
魔界にもインクがあるのか、どんな代物なのだろう、と、パパスは一瞬空想してみたが、たちどころに忘れてしまった。
人間界の一国を統べる王侯が、魔界の生活用品などに関心を持つ必要はなかった。
フロアは日光が差し込んでいるため、明るく、暖かだった。壁の石はわずかに緑がかった灰色に見えた。
すべてが静かだった。その中でただひと筋紡ぎ出される音は、パパスの靴のたてる、こもったような音だけだった。
サンチョの靴は柔らかい革でできていたので、ほとんど足音はしなかった。
『なんとも・・・せつないものだな。』
サンチョはふっと郷愁を感じた。緑織り成す森を見たかった。赤、黄、青、白と咲き乱れる花々を見たかった。
さざれ石の上を転げるように走っていく水の流れを見たかった。そして何より、大勢の人々のいる場に戻りたかった。
部屋の向こうの端を、翼の生えたモンスター──おそらくホークマンだろう──が、よぎって行った。
そして、どこかへ吸い込まれるように消えてしまった。
こんな良スレがあったとは…
頑張れb
「見たか、サンチョよ?」パパスが、やっと聴き取れるほどの低い声でささやいた。
「見ました。どこへ向かうのやら・・・。」サンチョも低い声で答えた。
モンスターは、二人の目には、消えたように映ったが、
むろん生き物が突然消滅するなど現実的に有り得ないことは、パパスにもサンチョにも分かっていた。
察するところ、あの場所には、窓か吹き抜けでもあるのだろう。
そして、数十歩を要して、モンスターが消えた地点に二人がたどり着いたとき、その場所には
窓や吹き抜けどころか、壁の石の欠け落ち一つ見つからないことを知り、激しく驚愕したのだった。
「確かに、ここにモンスターが・・・たぶんホークマンが、いましたよね。
このあたりを、こっちの側から、こう、つうっと滑空していくように・・・。」
サンチョは、せわしなく喋りつつ、石斧で頭上の虚空に曲線を描いてみせた。
「まさか、奴は、壁の中に消えてしまったというのではあるまいな?」
パパスは眉間に縦皺を寄せ、モンスターが消滅していったとおぼしき壁を撫で回してみた。
壁の石材がひんやりと冷たく、パパスのほてりかけた手には心地良かった。
だが、そんな快感を得たところで、モンスターの突然の消滅の謎が解けるものではなかった。
「我々の見間違いか何かだったのかもしれない。ここでこんな事をしていても、埒が明かない。
サンチョ、この謎は、また後で解き明かすことにしよう。」
サンチョも渋々ながら承諾した。パパスは先に立ち、部屋をさらに奥へと歩いていった。
ほどなく、部屋のくぼんだ隅に、階段があるのを、二人は見つけた。
誰もこれまでに足を載せたことのないような、垂直と水平とに刻み込まれて整った石の段々を、
パパスとサンチョは静かに登っていった。これまでこの踏み面を踏んだものはいない、そんな気分さえ帯びていた。
サンチョはその段数を、四十五段だと数え上げた。数えることはサンチョの生来の習慣の一つであった。
サンチョは、自分がいろいろなものを無意識に勘定していることに、ふと気付いた。
そして安堵の笑みを漏らした。日常の習慣をこの場でおこなっていることは、
自分がここに安寧を見いだしている確実な証拠の一つであることを、サンチョは理解していたからだった。
登りつめたところは、小さなホール状の部屋になっていた。やや縦に長い部屋だった。
向こうの壁には戸口がくり抜かれて、玻璃の板のような碧翆の空がその彼方に立っていた。
『こいつは、どこかで見たことがある。それもつい最近だ。』サンチョは思い出そうとした。
そして、この部屋の造りは、昨日パパス様とディエゴさんと三人で一夜を明かした部屋のつくりと同じだな、
という点に思い至った。なるほど、記憶に残ってもいるはずだった。
「相変わらずよく晴れ上がった空だ・・・。」
パパスはつぶやきながら戸口へと足を進めた。
サンチョは、戸口からの逆光のために栗色を帯びたパパスの後姿を眺めた。
旅の初めにはうなじにふさふさと掛かっていた黒髪の束は、モンスターか何かによって切り落とされ、
残った生え株は、全くばらばらの長さであり、身だしなみに事細かなパパス様には不愉快なもののはずだった。
自慢の髪を失ったことを、パパスは確かに耐えていた。
うなじに一度として手を伸べようとしないのが、髪の誇りを失ったことに耐える証であった。
パパスは開口部まで歩いていき、たどり着いた。そして、サンチョが予想できなかったほど突然に、足を止めた。
「待て、サンチョ。この先は、狭い道だ。」
パパスの声は落ち着き払っていたが、それは自分自身の不安をも抑制せんがための冷静さであった。
そして、パパスは、その冷静な声で、さらに付け加えた。
「この先の通路は、宙に架かっているぞ。サンチョ、お前は高所恐怖症ではないな?」
「何をおっしゃいますやら。」
高いところが苦手か、という質問には、サンチョはいくらでも否定で答えることができた。
幼少のみぎりから、木登りや屋根歩きを遊びとしてきたのは、誰あろう、このサンチョなのだから。
もちろんパパスも、サンチョが高いところなど平気なのは知っていた。今のは単に号令代わりに口走っただけなのだ。
「よし、それでは進もう。モンスターは・・・いない。」
パパスは、戸口から外へと踏み出した。そしてサンチョの視界から消えた。
サンチョは、パパスの後から首を突き出して、外を見渡してみた。そして、パパスの言う通路というのが、
たしかに宙に架け渡された橋であることを、しっかりと網膜に焼き付けた。
鉛の色に輝く橋を、パパスはおもむろに踏みしめつつ、進んでいた。
行く手にあるのは、もう一棟の塔だった。この塔の上部が二つに分かれていることは、以前から見て知っていることだった。
いま、こうして塔の上で、その場に立ちつつ眺めてみると、二つの塔はかなりかけ離れて建っているかと思われた。
だが、それでも、その二棟の塔をつなぐ橋を渡らなければならないのは、サンチョも百も承知済みのことだった。
しめやかに、それでいて大胆に、サンチョは宙をかける廊下へ、靴を踏み置いた。
橋は何事もなかったように、いや、実際に何の変化もなく、ただひと筋に伸びていた。
サンチョとパパスという二人の男の体重を、抵抗なく支えることができるのだ。
それが分かってほっとしたサンチョは、パパスのそびらを追って、小走りに駆けた。
パパスは、橋を三分の二ほど渡りきった地点で、後ろを振り向いて、サンチョを待っていた。
追いついたサンチョに、パパスは小さな声で語った。
「サンチョ、あそこを見上げてごらん。ちょうど、二つの塔の頂上の、中間になる位置だ。」
パパスはそう言いつつ、空中を指差した。
サンチョは素直に従って、上を見た。板のような青空が広がっていた。
その中に、青い波紋を見た、と、サンチョは感じた。あたかも水に小石を投げ込んだときに生じる波紋のような乱れが、
青空の中に薄く、しかし視認できるほどにはくっきりと、同心円を描いて広がっていた。
「あそこには、確実に何かがあります・・・。もしかして・・・」
「うむ・・・おそらくな。到着しないと分からないことだが。」
その波紋を見て、魔界への出入り口であることを危惧することは、誰でも思いつくことであった。
むろん、サンチョも、パパスも、そこが目下捜し求めている地点であることを、疑わなかったのだ。
二人はふたたび歩き始めた。目の前には、塔とその中へ入る戸口があった。
さんさんと照る太陽の光が、妙に重たかった。
パパスは塔の中へ入った。太陽の明るさに慣れた目には、薄暗く映った。
サンチョもその後に続いて、塔の中へ入った。石の壁は、ひんやりとした冷気を、二人に与えていた。
「うむ・・・ここもとりたてて何も配備されていないようだ。上に登る階段は・・・と。」
階段は、部屋の奥に、ひっそりと立っていた。
サンチョはその階段を見て、ぞっと寒気を覚えた。どういうわけか、死んだ人間の立ち姿を連想したのだった。
おそらく、サンチョが不気味さを感じた原因は、階段への光の当たり方によるもののようだった。
この部屋には明り取りがあり、差し込む光と影が、ちょうど人の上半身に似た姿を、壁に描いていたのだった。
「よし、行くとしよう。罠には気をつけろよ。」
パパスは歩き出した。サンチョはその後をついて行った。
あと十数歩で、階段の上り口に足を掛けられるという、そのときだった。
「おや・・・?」
パパスが顔を険しくした。そして、天井をきっとなって見上げた。
サンチョにも、パパスの緊迫の理由は知れた。パパスに倣うまでもなく、サンチョも天井を見た。
低い音が聞こえていた。音程は低かったが、その音は、二人の男の全身から染みとおり、体を震えさせるようであった。
限りなく多くの、限りなく重たい牛や馬が、床を走り回っている。
サンチョの耳にはそういう音に聞こえた。
パパスには、あまたの太鼓が、はるか彼方で打ち鳴らされているのを、
耳に金属の筒を当てて聞いているような、そのような音に聞こえた。
「心してかかれ。」
パパスの唇に上ったのは、ただこの言葉だけだった。パパス自身もおびえていたのだった。
この薄気味の悪い音には、普段であれば、誰とても決して近づこうとは思いだにせず、
むしろ足の続くかぎり走って逃げ出したくなるような、そんな魔力がこもっていた。
だが、ここにいる二人にとっては、今ここにいるということは、
普段とは全く正反対の条件下に立っているということを直接示すものであった。
その条件下での答えは一つだった。音の嵐など乗り越えて、先へ進むのだ。
パパスは、そしてサンチョは、目の前の階段を登り始めた。
謎の音におびえるように、そしてまた、自分たちの心の奥にうずくまる不安に引き戻されまいとするように。
階段をなかば登ったあたりで、ふと音が消えた。
サンチョは、今まで自分の精神を、短い間とはいえ抑圧していた物から解放され、
顔をぴょこりと上げて、あたりを見回した。
目の前にはパパスの腰巻があった。黒い靴がその下に覗き、脊椎の両側に盛り上がった背筋がその上にあった。
「音が聞こえなくなりましたね、パパス様。」
「そうだな。何者だったのだろう・・・。まるで、上に邪悪なものでも待ち構えているような気がしてきたぞ。」
パパスは落ち着いた声でサンチョに応じた。サンチョは、その声色には安らぎを覚えたものの、
その発言の内容には不安を感ぜざるを得なかった。
「パ、パパス様、そんな事をおっしゃって、もし出遭ってしまったりしたらどうするんですか・・・」
「なに、そのときは、この私が、剣で一打ちにしてくれよう。」
パパスは腰の剣を叩いた。カチン、カチンと音が鳴った。さっきの不気味な音よりは、遥かに頼りがいのあるものだった。
『しかし、一昨日、パパス様も魔物に捕らわれてしまっていたでは・・・ないですか。』
サンチョは、おくびにこそ出さなかったが、頭の中にはこのような落ち着きの無さがはっきりと現れていた。
そういえば、パパス様は、ご自分がモンスターに捕まったときの様子を、まだ話してくださっていない。
あとででも伺ってみよう、サンチョはそう思った。
階段を登りつめた二人は、長い廊下を目にした。
「こんなに大きい空間が、この塔にあったのだな!なんとも意表を突くものだ。」
パパスは感嘆した。サンチョにも、パパスの気持ちはくっきりとした形を描いて伝わっていた。
たしかに長いのだ。城の回廊よりも長い。ひょっとすると、城下町の奥行きほどはあるだろう。
そして、どういう理由なのか知る由もなかったが、廊下のところどころに、岩が置かれていた。
岩はいずれも球状だった。加工された跡があった。大きさは、サンチョの背丈ほどもあるように思えた。
「巨人の九柱戯場とでも言うのかな。九柱戯といえば、オジロンが好きだったな。
あいつは、今頃、大臣とうまくやっているだろうか。またオロオロしどおしなんじゃないかな。」
パパスは冗談めかして言ったように聞こえたが、サンチョには、それが自分に向けられたものなのか、
あるいはパパス様自身に対して言われたものなのか、はっきりと決められなかった。
突然こんな所でオジロン様のことをおっしゃった。四六時中、国のことを、心に掛けていらっしゃるということだろう・・・。
「どうも焦げ臭いのだ・・・。」
「焦げ臭いというよりか、すすのたまった煙突のような匂いです。どこかにかまどでもあるのでしょうかねえ。」
二人の鼻は、物の燃えたにおいを、はっきりと嗅ぎつけた。どこかで火を焚いたらしい。
だが、回廊は森閑として、鍋釜のぶつかり鳴り響く音もしなければ、薪のはぜる音もしなかった。
「ドラゴンが炎を噴いたばかりのところに、足を踏み入れてしまったのでは・・・あわわわ。
見つかってしまったら、私たちも丸焼きですよ、パパス様・・・」
「サンチョよ、お前の言うことは、どうも荒唐無稽だな。だが、その言葉も、半分は当たっているようだ。」
パパスは、少し先の壁沿いにある、薄黒い出っ張りを指さした。
サンチョもその出っ張りには気づいていたのだが、ただのレリーフであろうと考えて、特に気に留めていなかったのだ。
ところが、パパスがそれを指し示し、その正体を暗示したことによって、
サンチョの目の前で、そのでっぱりが、意味のある形状を型作り始めた。
単に、壁から、ひずんだ円錐形に伸びているだけと思えたその出っ張りは、竜の頭をかたどったものだったのだ。
鋭く前方を見通す瞳、緩やかな曲線を描いて大きく割れた唇、竜巻のような息を捲き起こしそうな鼻。
そばに近寄ると壁から這い出してきそうで、サンチョの脚はがたがたと震えだしていた。
「い・・・行きますか、行くのですか、パパス様?」
「マーサを救うためならば、どこまでも行く。」
パパスは足を踏み出した。その歩く姿は、まるで歩幅で距離を測る測量士のように、サンチョには見えた。
が、パパスはあまりに急に止まり、踏み出しかけた足のかかとで床を蹴った。
「サンチョ!これは危険だ!」
パパスの蹴った床から、黒い粉がかすかに舞い上がっていた。
それが炭素の粉、すなわち煤であることは、サンチョには容易に知れた。
「なにかが燃えたのですね。」サンチョは、煤の散っている様子を見極めつつ言った。
この発言が、あまりにもつまらない物言いであるとは、自分でも分かっていたが、
自分自身には、これ以上、どう説明をつけてよいものなのか考えつけなかったのだ。
「それだけかね?この事実は、もっと大きな危険性をはらんでいるのだ。」
パパスは、いつになく厳格な口調で述べた。サンチョはぎくりとして退いた。
「・・・よく見てくれ、この煤は、竜の口から、帯をえがいて伸びている。
察するに、この竜の口から炎が噴き出して、何者かを燃やし尽くしたのであろう。
仕組みは分からぬが、恐るべき罠だ・・・。」
サンチョに振り向いたままのパパスの顔は、異様に赤黒く見えた。
だが、それが、いつものような小麦の色に戻るのには、たいして時を要さなかった。
「なるほど、それで岩があるのだな。
モンスターどもも、ここを通るには、岩を盾にして、炎から身を守りつつ進むのに違いない。」
パパスはポンと手を打ち鳴らし、にこにこ顔になった。サンチョの顔にも、柔和な安堵の色が広がった。
「だから、岩がボールのように丸く加工してあるのですね。転がしやすいように。」
「うむ、おそらくはな。さあ、二人で押していこう。」
パパスが煤の帯を見つけた地点のすぐ目の前には、石でできた竜が、
あたかもこちらに逃げる隙も与えぬかのように、じっと正面を見据えていた。
だが、その正面には、大きな岩があってすっかり視野を覆っており、たとえ竜が、生命の息吹のかよった竜だったとしても、
その岩の向こうに身を隠したパパスとサンチョの姿を見つけるのは、不可能であった。
「さあ、転がそう。」
パパスとサンチョは、力を合わせて岩を転がした。途端に竜が火を噴いた。
熱気は、岩を回り込み、パパスとサンチョのところまで吹き渡ってきた。
「ひゃああ〜〜・・・こりゃ、ものすごい炎です。岩越しじゃなかったら、とっくに黒焦げになってましたよ。」
「驚いたな。岩が動くだけでも、反応して炎を噴くのか。こんな罠があるのでは、モンスターもおちおち通れなかろう。」
パパスとサンチョは、岩を転がし、なんとか竜の炎の難所を乗り越えた。
「ふう、ふう・・・すっかり汗をかいちゃいましたよ。」
「だが、どうやら、竜の口は、まだ幾つかあるようだぞ。」
パパスの指し示す方向を眺めたサンチョは、汗も吹き飛ぶくらいに驚いた。そしてがっくりと膝をついた。
これから進みたいと思っている、その先には、回廊の右に、また左に、
まだ三つか四つばかりの竜の口が突き出しているのであった。
「ど、どういたしましょう・・・」
嘆くよりも大切なことがあることに気付くべきなのに、サンチョは、半ば涙声になって、パパスにすがりついた。
「こら、こら、サンチョ。岩を転がすのが嫌なのかね。」
決してそんな事はありません・・・と、サンチョは言いたかったが、中座した。
サンチョがすがりついたパパスのあらわな肩は、筋張っていた、たくましかった。
この肩の持ち主なら、自分をいつまでも守りきってくれそうだった。離れたくはなかった。
「さあ、先へ進むぞ。岩を転がせば良いのだしな。
それに、サンチョ、お前は、力仕事はやりつけていて、お手の物だろう?」
頼れる人にかく言われることは、サンチョにとっても嬉しいことであった。
パパスの体から身を離すと、サンチョは、ふたたび岩に取り付いた。
「では、行きましょう。せーの!」
岩は、大きさのわりには案外軽かった。軽石か、それとも何か特殊な材質でできているのかもしれなかった。
しばらく転がしたのち、パパスが木のように乾ききった声で言った。
「止まれ。」
「へ?」
サンチョは、命じられたからというより、パパスの声色に驚いて、足を止めた。
同時に、後頭部に、オーブンの中から吹いてくるような風を感じた。
自分の後ろに、竜の口があり、そこから炎が噴出してくるのだ、と気付いたとき、
もう万事休すだ、と、サンチョは思い、呆然と突っ立っていた。
だが、何事も起きなかった。
目の前には、相変わらず岩とパパス様の威容が立っている。
自分の額には、汗のしずくが流れているし、丸く突き出た腹はぴくぴくと痙攣している。
「・・・。届いてないぞ。」
パパスのせりふの意味が、サンチョには一瞬判じかねた。
だが、パパスの視線を追ってみて、その意味をようやく理解した。
たしかに、炎は竜の口からほとばしり、サンチョをめがけて逆巻いていた。だが、届いていなかったのだ。
炎が到達できる距離は、回廊の幅の半分ほどでしかなかったのだ。
「ふむ、ということは、竜から大きく身をよけてさえいれば・・・」
「わざわざ岩で身を隠さなくとも、竜の口と反対側の壁を伝っていけば、無事に向こうにたどり着けますね。」
パパスとサンチョは、肺臓深くからの息を噴き出した。なんという安寧を感じたことだろう。
相手のパターンを見破ってしまえば、そこから先は、パパスとサンチョの二人連れのこと、なんという障害もなかった。
回廊をジグザグに駆け破り、二人を焼き焦がすこともできないまま無駄に炎を吐き散らす竜たちを尻目に、
一気に向こう端までたどり着いてしまったのだった。
「なんだ、なんだ、あっけないな。これではモンスターも楽に通れてしまうではないか。」
パパスが肩を揺すりつつ、笑って言った。
「そうですね。これでは、罠としても、障壁としても、無意味ですよ。」
サンチョも賛同した。炎の噴き出す中を、怪我ひとつ、火傷ひと筋負わずに抜けられたのが嬉しかった。
「さあ、先へ進もう。もしかすると、先には、ここよりももっと手の施しようのない罠が待ち構えているかもしれないがな。」
二人は歩き出した。明かり取りから明るく日が差して、回廊の中は涼しく、さわやかだった。
すすけた匂いとモンスターがなかったら、もっと気持ちがよかったのにな・・・と、サンチョは空想してみた。
やがて二人は、回廊が直角に曲がるところへとやってきた。
「ちょっと待て。いきなりモンスターがいたりしても困るからな。」
パパスは、曲がり角の外縁部へと移動すると、角の向こうを覗き込んだ。そしてため息をついた。
「モンスターは、いない。だが、竜の頭が、たくさん並んでいるぞ。」
サンチョもパパスに促されるように、覗いてみた。
回廊の両側の壁に、ずらりと竜の頭が並んでいるのであった。はるか突き当たりまで続いているようであった。
「ふう・・・」
サンチョもため息をついた。
ここで自分たちの旅路が絶たれたかと思うと、やるせなかった。
竜の頭のうちには、ひょっとするとダミーに過ぎないものもあるのかもしれない。サンチョはそれを望んでみた。
もしかすると、ここから見えないだけで、あちこちで列が途切れているのかもしれない。
サンチョはそれをも夢想してみた。
しかし、いずれもから頼みに果てそうなことくらいは、サンチョとて認めていないわけではなかった。
「・・・ここまで来て、戻るわけには・・・」
パパスがつぶやいた。そして、素早くきびすを返すと、大股で急くように歩き始めた。
先ほどの岩のところまで戻って、ここまで転がしてくるつもりだったのだ。
だが、そのとき、思いもよらぬ声を、二人は聞いた。
「おお〜い、パパス殿!サンチョ殿!」
勇ましい足並みで駆けて来る男がいた。ディエゴだった。
「ふう、やっとのことで追いついたぞ。まずは大事なことを伝えておこう。
下には地下室はあったものの、魔界への戸口などは見つからなかった。
それで、まっすぐ戻って、おぬしたちを追ってきたのだ。」
ディエゴは軽く息を弾ませながら、報告を述べた。
「それにしても、ディエゴ殿。ここの手前には、炎を吐く竜の石像が並んでいたが、それに焼かれずに、どうやって・・・」
ディエゴはパパスを遮った。
「ああ、ちょうど階段を登りきってこの階に出たとき、おぬしたちが稲妻のようにぎざぎざに走っていくのを見かけたものでな。
奇妙な動きをするものだな、と思ったが、お二人のことだ、訳があるに違いない、と思って、
おぬしたちの真似をして走ってきたのだ。
そうだったのか。火を噴く竜の頭か。あれがそんなに危険なものだとはゆめ考えなかったぞ。」
「それで、おぬしたちは、ここで逡巡して、何を待たれているのか?」
パパスはディエゴに、問題の根幹である竜の頭部のことを語った。
「なるほど、確かにいうとおり、右からも左からも火責めにされては、向こうに行き着くすべはないな。
ともかく、私も見ておかないと。三人で案を練れば、思わぬところから突破口が開かれるかも知れぬ。」
ディエゴは曲がり角から先へ進み、左右をじっくりと案じつつも、とりたてて躊躇することもなく、
ずっと先へ進んでいった。そして、最寄の竜の石像のそばへ着くと、そこで立ち止まり、後を振り返った。
「うん、大きいな。だが、・・・」
パパスはディエゴの後を追って、ほとんど従うようについて来ていた。
サンチョは、二人から身を離すように、ゆったりとした足取りで、二人を追っていた。
背中の背嚢が重たいな、と、サンチョは突然気になりだした。
背嚢の裏側は、自分の背中からにじみ出た汗で、じっとりと湿っているに違いなかった。
「突破口があったぞ。」
しばらくたってから追いついたサンチョに、パパスは嫣然と微笑んで、こう言った。
「ど、どこに・・・」
「見たまえ、この鼻面を。上を伝っていけばいいのだよ!」
ディエゴが笑い声交じりで述べたてた。
竜の頭は、回廊の壁から、通路の中央を向いて突き出すように出ている。
頭の高さは、サンチョの背丈ほどもあったが、鼻先は低くなっていて、サンチョのみぞおちほどの高さしかなかった。
回廊の天井は、意外にも高い。男が二人肩車をしても、届きそうにないほどの高さに見てとれた。
「そうか・・・」
サンチョも納得した。いささか足場が不安定であることは無論否めないが、
鼻面の上を伝って移動できるだけの空間の余地は、じゅうぶんに空いているのだ。
「子供の頃に、よく石跳びや杭跳びをやって遊んだものだ。こんなところでその時の経験が生きるとはな。
サンチョ殿も、そうやって遊んだ覚えはあるだろう?」
うん、うん、とサンチョはうなずいて見せた。自分が重たい背嚢を背負っていることも思い出してほしかった。
「では、まず私が先に立とう。」
パパスは竜の鼻面に手を掛け、口元に爪先をかけた。
竜がかすかに身じろぎをしたように、サンチョには思えた。
次の瞬間、ただパパスが体重をかけたから揺れたに過ぎないということに思い至り、
サンチョはほっと肩の力を抜いた。どうやら鼻面を渡っていくのは、安全な策であるようだった。
「よーし、よし。頭上にもこんなに余裕があるし、困る事などどこにも無いではないかね。」
竜の鼻面に立ったまま、サンチョは後ろの二人を見やって言った。そして、反対側にすとんと飛び降りた。
『この竜は、火を噴き出すといっても、その到達距離はたかだかこの通路の半分に過ぎない。
だから、通路の中央を突っ切って駆け抜けていくという手段もあるが、さすがにそいつは危険だろうな。
一度に両側から焙られかねない。』
サンチョはそう考えてもみた。そして、自分で納得していた。
「では、次は私が参ります。ディエゴさん、しんがりをよろしく頼みます。」
サンチョはディエゴに声を掛けた。ディエゴはOKサインを作り、進むようにと手で促した。
サンチョは竜の鼻面に手を掛け、顎に爪先をかけ、やがて上に這い登った。
ディエゴが後ろから尻と太腿を押してくれた。サンチョはそれをありがたいと思った。
支えてくれなければ、自分の丸いお腹では、この竜を這い登れずにずり落ちてしまう。
サンチョは、竜の鼻面の上で四つんばいになった。
滑らないよう細心の注意を払い、竜の眉間に手を掛けて体のつりあいを取りつつ、サンチョは水草のようによろめいて立った。
いやいや、立つ必要はなかったのだ。サンチョは、立ち上がってから、その点に気がついた。
そこで、竜の鼻面に尻を落として座ると、そのままパパスのいる側へ、尻滑りをして降りた。
これがいちばん労力を要せず、いちばん素早く移動できる方法だった。
「この道なら安全に進めるな。」
床に足裏を突いてかがんだサンチョを、パパスの優しく逞しい腕がそっと支えて立てた。
後ろでは、ディエゴが竜の鼻面に駆けるようにして登っていた。
「降りるぞ。場所を譲ってくれい。」
ディエゴは竜の鼻面から飛び降り、パパスとサンチョの脇に立った。
「この先も、同じようにして進んでいけば、おそらく問題はなかろう。」
こう言うと、、パパスは次の竜によじ登り、サンチョを招いた。
サンチョはその招きに従い、パパスのそばへ寄った。
「それでは、お前を引き上げるぞ。なにしろ、サンチョは、我々のうちでいちばんの荷物持ちだからな。」
サンチョはパパスの差し伸べた手に掴まった。パパスはサンチョの体と背嚢を竜の上に引き上げると、
自分は向こう側へ飛び降り、サンチョを受け止めようと胸を開いて待ち構えていた。
「さあ、サンチョ殿。進むのだ。」
後ろからディエゴが肩を押す。サンチョの膝はよろめいたが、次の瞬間には、パパスの腕に抱き取られていた。
「サンチョ、大丈夫かね?」
パパスはサンチョを深々と抱擁した。
このときのパパスの脳裏には、リュカ王子の姿が、幻灯の絵のように浮き出していたに違いなかった。
二人の後ろに、ディエゴが飛び降りて、三人は再びひとつの班を形成した。
同じ事を、パパス、サンチョ、ディエゴの三人は、さらに四度繰り返した。
まずパパスが竜の鼻面に登り、サンチョを引き上げる。
続いて、パパスは飛び降り、後から続いて落ちてくるサンチョを受け止める。
そしてその後から、ディエゴが独力で登り、独力で降りてくる。
そうして、三人は、炎に当てられることも無しに、竜の並み居る通路を乗り切ったのだった。
「もうこの先には、竜の頭はないようですね。」
先を恐る恐るうち眺めながら、サンチョが気弱な声でパパスとディエゴに言った。
「そのようだな。だが、いきなりどこかから、何かが現れるかもしれない。罠とは、そのように仕掛けるものだからな。」
ディエゴが深くうなずいて言った。パパスも軽くうなずき、同意であることを示した。
ふと、サンチョは、この間の教会の宿で出会った狩人のことを思い出した。あの青年も、罠づかいの巧みな人物だった。
あの青年がいたら、どんな罠の仕掛けであろうと、たやすく見破れるかもしれないのに。
だが、その青年は、歩いて一日一晩かかる遠くに住んでいるのだ。思い出すだけ詮無いことだった。
サンチョの心は不安でみなぎっていた。ここから石を投げれば届きそうな距離のところに、階段があるのだが、
いま立っている場所から階段へと達するまでのあいだに、限りなく多くの罠が埋め込まれているような気がするのだった。
おそらく、炎を吐く竜という恐るべき罠を、安易に乗り切ってしまったことに対する不安から出たものであろうと
サンチョは自己診断を下した。下したところで、不安が立ち消えるわけでもなかった。
そんなサンチョを尻目に、パパスとディエゴはすたすたと階段へ向かって歩き出していた。
サンチョは思わず引きとめようと手を伸べたが、二人ともサンチョには背を向けていたので、気付くはずがなかった。
とどまるように声を掛けようとして、その言葉がのどで詰まったまま、口を半ば開け放して
サンチョは固まったまま立っていた。国王と戦士の背を見送りかけていた。
「こらこら、サンチョ、どうしたのだ。こちらに来ないと、またモンスターに捕らわれてしまうではないか。」
階段のたもとに着いたパパスが、サンチョを振り向いて、発破を掛けた。
「は・・・はいはい、今参ります。」
今までの不安は馬鹿馬鹿しいだけだった。サンチョは二人が待つほうへと、小走りに駆けた。
階段にたどり着くまでに、何事も起きなかった。パパスとディエゴがこちらを見ていただけだった。
要らぬおびえは自分のためにもならない。この塔を訪れてから、サンチョが何度も学んだはずの事だった。
三人は階段を登った。
登った先は、小部屋だった。外に出るための出口があり、日がさんさんと差していた。
「ここから外に出ようか。」
ディエゴが提案したが、パパスの目は、変わったものを見つけていた。
「なに・・・『渡り廊下のスイッチ』とな?操作してみるべきだろうか。」
そう口では言いつつも、パパスの手は、すでにスイッチに触れようとしていた。
「パパス様、正体の分からないものを触るとは、危険です!」
サンチョはパパスの腕に飛びかかり、あやうくスイッチを押しそうになっていたところをとどめた。
「お前の言うことももっともだな。それに、肝心の渡り廊下がどこにあるのか分からない限り、
このスイッチを操作しても無意味だろうし。」
パパスの視線は、自分の腕を押さえているサンチョの手のほうに向いていた。
サンチョは、それに気づくと、そっと手を離して、自分の体の脇へ下ろした。
「この先は、通路が途切れていて進めないぞ。」
ディエゴの声がした。戸口から日の降る表に出て、先の道筋を調べていたのだった。
「ディエゴ殿、それについてだが、これを見てはもらえぬだろうか。」
パパスはディエゴを呼び寄せた。そして、くだんの「渡り廊下のスイッチ」を示してみせた。
「これが、どうかしたのかね?これをいじると、どこかで渡り廊下が架かるということか。」
「おそらくはな。サンチョは私をとどめたがるのだが、私は、これを引くことで、
なにか先へ進むに必要な条件が満たされるのではないかと思うのだ。」
「いきなり壁が倒れて、廊下になるとかな・・・。この塔のことだ、何があっても不思議じゃあない。」
サンチョは、二人の会話を聞いているうちに、ますます尻が炙られるような思いをしてきた。
このスイッチをいじったところで、どうなるのか、もちろん自分にだって分かってはいない。
何が起こるのか分からないからというだけで、行動を思いとどまることが、どれほど自称の進捗を妨げることであるか、
サンチョにだって分かっていないはずはなかった。
それにしても、ますます不安が募ってくる。
サンチョは、この不安を、恐怖を、パパスやディエゴにどうにか処理してもらいたいだけなのかもしれなかった。
こうしてサンチョは、自分の恐怖感の原因らしいものを見いだした。
すると、不安感は、いっぺんに薄れてしまった。
もう、スイッチを押すことで、何が起きても、動じないだけの心構えができていた。
そして、サンチョは、パパスとディエゴに言った。
「ここでこうしていても始まりませんから、そのスイッチとやらを操作してみましょう。案外、道が開けるかもしれません。」
「先ほどとは打って変わって積極的ではないか。どういう風の吹き回しかね。」
からかうように話しつつも、パパスの手は、既にスイッチの握りに伸びていた。
ガシャリと音がして、異様な音が響き渡った。
「う・・・この音は・・・」
「なんて嫌な音だ・・・」
「また、さっきの・・・」
スイッチを入れた瞬間に鳴り始めた音は、少し前、下のフロアで階段を登ろうとしていたときに耳にした、
牛馬の駆けずり回るような薄気味の悪い音と同じものであった。
さらに、すぐそばで耳にすると、大理石の表面をたがねで引っ掻くような、鋭く不快な音色が混じっていた。
三人は、動くこともできず、ただ鳴り止むのを耐えて待つしかなかった。
「ふう・・・ようやっと止まったか。」
ディエゴが青ざめた顔で言った。
「地獄のメロディとでも名づけたい気分です。」
サンチョが、今にも黄色い水を上げそうな顔つきで、誰へともなくつぶやいた。視線は虚空をさまよっていた。
「あの・・・なんだ、その、鋼の剣が、砥石に混じった金屑で擦られたときの音を思い出したぞ。」
パパスが、さも胸が悪くなると言わんばかりの目つきをして言った。
ディエゴはパパスのほうを、ひとこと忠告したげに見やった。ディエゴの武器は、鋼の剣だった。
「これで・・・渡り廊下とやらは、通じたのかな?」
ディエゴは視線をパパスからそらし、部屋のあちこちを眺め回した。
「何も起きてはいないようだが・・・」
「さっきの音は、表のほうから響いてきたような気がします。」サンチョが言葉少なに言った。
「そうか、出たところに、埠頭のように突き出していた部分があった。一応確かめたほうがよいかもな・・・」
ディエゴは出口へと歩いていった。
パパスは、どこか物足りなげに、小部屋の壁や天井を見渡していた。
サンチョは、所在無げにたたずんでいるだけだった。
ディエゴが小走りで、しかも大股走りで戻ってきた。
なにか良い知らせを持ってきたのだな、と、サンチョは、ディエゴの目を見て推定した。
「渡り廊下が通じているぞ!」
やはり、よい知らせであった。パパスも幸せそうに目を細めた。
『これで、またマーサのもとへと、一歩近づくことができたのだ・・・』
パパスの脳裏には、抱き合う自分と妻の姿が描かれていた。
三人は、すぐに渡り廊下を歩き始めた。風が吹かないから通路が揺れることはないとはいえ、
はるか下にコケの野原を望みながら進むというのは、高いところが苦手ではなくとも、あまり気持ちのいいものではなかった。
「そういえば、この高さなら、魔物に吊り上げられたことがある。」
ディエゴがぽつりと言い放った。パパスはびくりとしたようであった。
サンチョも、聞かされた話であったとはいえ、既に記憶の片隅に埋もれていたことだったので、
いま新たにその話を耳にして、パパスと同様ぎくりとした。そして同情した。
「塔のてっぺんの高さまで、吊り上げられたのだったな。」
「そのとき、塔のてっぺんには、何かがあるのが見えたのかね?」
パパスが突然問いかけた。なんと場違いな質問をなさるのか、とサンチョには思えたが、
パパスの声は深刻で、緊急性すら感じさせるものであった。
ディエゴは、パパスの質問の真意を汲み取ったようだった。
「いいや、私も恐怖でいっぱいだったので、とても塔の上に何があるとまでは、目は行かなかった。
だが、思い返してみれば、なにか赤いものがあったような気もするな。
見ていないものを思い出すわけには参らぬ。パパス殿、不確かな情報であるが、これで勘弁してくれ。」
パパスはのどの奥で声を立てて、了解の意を示した。
そういう状況下では、自分の命に関わること以外に目を向けられないというのは、至極当然であった。
そして、再び話しかけたが、今度はディエゴとサンチョの二人に対してであった。
「上を見たまえ。」
三人は揃って上空を見上げた。よく晴れ上がった青い空だった。
その中に、浅い水の中に揺らめく波紋を思わせる、不思議な文様がうごめいていた。
ところにより群青、ところにより水色と、その波紋は色合いを変えつつ、決して止まることはなかった。
美しかった。だが、これほど不気味なものも、あるいは滅多に見つからなかっただろう。
サンチョは、下の渡り廊下を歩いていたときに、これと同じようなものを見たのを思い出した。
あのときは同心円状の波紋だったが、ここに着いてみると、少し形が変わっている。
三人は無言のまま先へ進んだ。
「で、あれはなんだと思うかね?」
渡り廊下を進みきった途端、ディエゴが急くように尋ねかけた。
「あれこそが、我々の捜し求めているものではないかと思うのだ。つまり、魔界への入り口だ。」
パパスが答えた。ふだん城で話しているような口調だった。
「あんな足懸かりもないところに浮いているのでは、入りようはないな。」
「そう決め付けるのは早計ではなかろうか。今渡ってきた渡り廊下のようなからくりも、この塔には存在している。
何らかの手段で、あの波紋へ踏み込むことができるのだと、私は思っている。」
「前向きな考え方だな。パパス殿、そなたのそういうところが、私は好きだ。」
三人は、話しながら、再び塔の中へ入った。
中は、この塔であれば幾らでもありふれているような、石造りの壁に、石の天井と床の小部屋であった。
「そろそろ魔物が現れてきてくれてもいいはずだが・・・。」
ディエゴがどことなく不満げに言った。捕らわれておきながら、まだ魔物と戦い足りないのか、とサンチョは思った。
もっとも、こういう性格だからこそ、ディエゴが冒険者であり続けている理由も明らかなのだ。
闘うのが好きだから。つねに進取の気勢を持っているから。
部屋のやや奥手には、階段があった。険しいきざはしが、天井へとしめやかに延びていた。
「あとどれほどの部屋を通過すれば、魔界のとば口に立てるのか・・・だが、もう近いということだけは確実だ。」
パパスは、そう言って、階段に足をかけて登り始めた。
毎日楽しみにしてます
お疲れです!
パパスの後ろにサンチョが続いた。サンチョの後ろから登ってくるのは、もちろんディエゴだった。
ディエゴの目は、ちょうどサンチョの尻のあたりに来ていた。ディエゴはそのまま見ていたが、
やがてサンチョに声を掛けた。
「サンチョ殿、随分とズボンの尻が擦り切れているなあ?」
「へ?いや、はっ、あの、それは・・・それは・・・」
まったく予想外のことを唐突に指摘されて、赤くなりうろたえるサンチョ。
ズボンの尻が擦れているのは、竜の頭を昇り降りしていたとき、尻滑りを多用していたためだった。
まあ、いいや。ディエゴさんに見られているのなら、まだ我慢もできる。
「や、や!?」
階段を登りきって、床から顔を突き出したパパスが、頓狂な声で叫んだ。
パパスが見ているものがどのようにパパスを驚かせたのか・・・サンチョは漠然と恐れた。
パパス様が、突然叫びだすことは、これまでの経験からしても、そうそうないことである。
叫ぶだけでは物事は何も進捗しない、ということを理解しているパパスは、床の穴を出て、
上の部屋をこまかく見て回り始めた。
すぐ後ろに続いて上ってきたサンチョも、パパスが見て驚いたものがどのような代物であるか、
瞬時に理解した。そして納得し、同時に唖然とした。
そこは、部屋というべきものかどうか、いささか判断に迷う場所であった。
上にはさわやかに青い空が広がっている。周りは八角形の石造りの壁が取り囲んでいる。
足元には床があった。だが、床が床として存在しているのは、部屋の中央部だけだった。
壁際は、床ではなく、ぐるりと貯水池がめぐらされていた。
いわば、三人は、井戸の底に立っているようなものであった。
そして、周りの壁は、はるか上空までそびえていて、空でも飛ばないかぎりはここから出られそうにはなかった。
「まいったな、こいつは。」
パパスが歌を口ずさむように言った。その言葉の意味深長さを、サンチョは汲み取った。
今の「まいったな」は、ここから出られないことに対する文句ではないのだ。
「パパス様、困りごとがあるのなら、いつでもこのサンチョにご相談を。」
こんな状況下でパパス様が自分に協力を求めてくることなどないことくらい
百も承知の上で、サンチョはパパスにこう告げた。
「ん?そうか。だが、それには及ばんよ。」
やっぱり予想通りか、と、サンチョは、知らず知らずのうちに肩に入っていた気合を抜いた。
「向こうの壁を見たまえ。サンチョ、それにディエゴ殿もだ。」
二人はパパスの言葉に従い、パパスの指さすほうを眺めた。
パパスの人差し指は、自分たちの正面からいくらか左に曲がったところを指し示している。
当然そこには、この井戸のような部屋の壁があった。
だが、パパス様がそんな分かりきった事を知らせるために、わざわざ人を呼び付けたりしないことは、
永年のあいだ寝食や苦楽をともにしてきたサンチョには、考えるまでもなく理解済みのことだった。
サンチョは、パパスの指の先方にある壁をじっくりと見つめた。
壁の石が、浮いているようにも、ずれているようにも、ぶれているようにも見えた。
「なるほど・・・」サンチョは、パパスが示したほうへと歩いていった。
進むにつれ、壁の石が、壁から浮き彫り状になっているさまが、ますますくっきりと目立ってきた。
そして、水べりに立ったとき、サンチョにははっきりと見て取れた。
階段だ。八角形の筒型の壁の内側にへばりつくように、螺旋階段が上へ上へと伸びている。
空まで届くかのように思えるほど長い階段は、緩やかな渦を描いて、動かぬ旋風のようであった。
「出られないはずはないと思ったのだよ。やはり観察がものを言うのだな。」
いつの間にかサンチョの後ろに来ていたパパスが、落ち着いた口調で言った。
「そして、問題は、ここの水をどう渡るかだ。浅くはなさそうだが・・・。」
パパスは、サンチョの背嚢の脇に束ねられていたロープを外し、ほどくと、端に剣の鞘を結わえ付けて、
それをおもむろに水の中へと沈めはじめた。
鞘は、気泡を七つ八つと発しながら、静かに水の中へと潜っていった。
やがて、深いところで鞘が底にぶつかる手ごたえを感じたパパスは、ロープをそろそろと引き上げた。
ロープがすっかり手元へ手繰り寄せられると、パパスは、前腕を物差しにして、
どれほどの長さのロープが水に浸かって濡れたのかを測り始めた。
「どうやら、七尺はありそうだ。この深さで足が付く者などいないだろう。」
続いて、パパスは、向こうの壁際、階段の登り口が刻まれているところを目掛け、
ロープに結わえられたままの剣の鞘を投げた。鞘は階段の一番下の段に、斜めに引っかかるようにして落ちた。
パパスはロープをゆっくりと引き、弛みが生じないようにすると、ロープのもっとも水際寄りのところを足で踏み、
いま向こう側へ投げ飛ばした鞘のついたロープを手繰り寄せ始めた。
鞘は水にちゃぽんと落ち、そのまま揺らめくように沈んだが、
しばらくすると、パパスの手繰るロープに引かれ、無事に持ち主の手元へ帰ってきた。
「ちょっと待ってくれ、この長さは・・・いや、これだけの幅を飛び越せというのは、とてもじゃないが無理だ。」
半分破れかぶれのような声で叫んだのは、ディエゴだった。
剣の鞘から、パパスが踏んだ箇所までの長さは、どう短く見積もっても三尋はあった。
これでは、サンチョは無論のこと、パパスやディエゴにも飛び越せる距離ではなかった。
「歩いて渡るも駄目、跳んで渡るも無理、となると、残りは泳いで渡ることしかないな。」
パパスは忌々しそうに言った。水は、泳ぎたくなるような色と透明度からは、程遠い姿を呈していた。
暗く青緑色がかった水底は、普段は光など届かないのであろう、先ほどパパスが投げ入れた鞘とロープでかき回されて、
鉛色の滓がゆらゆらと盛り上がるように浮き上がっていた。
魔物の住む塔とはいえ、こんな水では魔物も足を踏み入れようとは思わないはずだった。
「・・・なにか、いるぞ。目には見えないが。」
にわかにディエゴが声を発した。その声色は警告じみていた。
「ゆうべのあの者か?」パパスはすばやく、口早に聞き返した。
「おそらく。いるだろう、そこに!」
パパスはその姿を感じたと思った。サンチョもその存在だけは認識した。
その者の姿は、肉眼では捉えることができなかったのだ。
はるか上、この井戸側のような姿をした部屋の縁あたりに、その存在が感じられた。
それは白くもなく、黒くもなかった。色などとは無縁の存在だった。
目を向けると、明るい日の光の中においてさえ、眼球が押しひしがれて盲目になったような圧迫を感じるのであった。
「あの者は・・・あそこにたたずんで、俺たちを眺めているのか?」
ディエゴが冷ややかに口走った。パパスは、その言葉に、計りしれない恐れが含有されているのを感じた。
ゆうべ、星星しか輝かぬあの闇の空の下で、三人に襲い掛かってきたのと同じ雰囲気を放つものが、
確かに上空に浮いていた。いや、腰掛けていたのかもしれない。どちらでもよいことであった。
パパスには、あの謎の存在が、もしかするとマーサの行方を知る鍵を握っているのではないかと思えていた。
あの不気味な存在のそばへ行かなければならない。
そのためには、この水を渡らなければならない。
だが、ここを渡る手段は、すべて否定されたも同様なのであった。
不意にディエゴが言った。
「ちょっと下へ降りるぞ。」
そう言った時には、すでに、ディエゴの頭は、階段の穴へと消えうせていた。
「う〜ん・・・ディエゴさんも、どうしたんでしょうか。」
サンチョは全く取り乱していた。上空の存在はひたすら恐ろしかった。マーサの運命は不安であった。
目の前の水が渡れないということは、ただひたすら嫌悪感を催すのみだった。
サンチョは、自分が取り乱していることをはっきりと認知していたので、
自分がいま立っているその場から動かないよう、足を踏ん張っていた。
不意に、何かがさっきまでとは違っていることに、パパスもサンチョも気が付いた。
「水面を・・・壁際の水面を、見たまえ。」
パパスは、か細くはあるが、妙にうわずった声で、サンチョに注意を促した。
水面に沿った壁の表面に、濡れたように黒光りする筋が生まれていた。
見ていると、その筋は、次第に幅を広げていくのであった。
理由を察することができず、ただ顔を見合わせているパパスとサンチョの耳に、
ディエゴの声が飛び込んできた。
「ふう・・・これで、たぶん、渡れるようになるはずだ。」
パパスは黒々とした眉を跳ね上げて、ディエゴのほうを向くと言った。
「それでは、ディエゴ殿が、この水のからくりに何か手を加えて、池を干上がらせているという次第かね?」
「その通りだ。」
パパスの問いは単刀直入であり、ディエゴの回答もさらりとしたものだった。
「下の部屋の、階段の陰に、梃子のようなものがあったのだ。
おそらくこの水溜りと関係しているのではないかと思って、動かしてきてみたのだが、予想通りだったな。」
水が引いていくのを見ていた三人の耳に、びちゃびちゃ、ばちゃばちゃという音が入ってきた。
雨樋から水がぶちまけられるような音だ。それも、すぐ下の階から聞こえてくる。
音につられて、下の階を覗いてみたサンチョは、びっくりしてそのままじっと眺めてしまった。
下のフロアの床一面に、水がたまっている。出入り口があるから、そこから流れ出てもいいはずなのに、
水はよどんだまま、一向に流れ出る気配はない。上から落ちてくる水のせいで白く泡立っているだけだ。
「うん、こいつは・・・」
ディエゴがサンチョの隣から覗き込んだ。パパスがその間に割り込むようにかがみ込んだ。
「出入り口が閉じてしまったというわけか。ここからは出ることができないのか・・・?」
パパスはつぶやいた。その声は、サンチョには寂しげに聞こえた。
いまや、三人のすることは、水が引けていくのをただじっと黙って見ていることだけだった。
上の不気味な存在は、わずかに空間をゆらめかしながら、いまだその場に佇んでいるようだった。
その存在から漂ってくる魔物の気配が、サンチョをぞっと震わせた。
サンチョは、上を見ようなどという気は、爪の垢ほども起こらなかった。
だが、パパスはちらりと上を見上げた。その存在を認識したようであった。
素早く顔を下げ、何も見なかったような振りをしたのを、サンチョは見逃さなかった。
『あの存在を見ると、目が失われたような感覚に陥る、とか、ディエゴさんが話していた・・・。』
それをわざわざ見るとは。パパス様は焦りか不安を感じているに違いない。
あの存在が、マーサ様がさらわれたことと何か関連性があるのではないか、とお考えなのだろうか。
「パパス様、あれをご覧になったようですが・・・」ついにサンチョは尋ねてしまった。
「ああ。あれはマーサのことを知っているはずだ、と、わたしは睨んでいる。」
サンチョが予想していたよりも、パパスはすんなりと答えてくれた。
気が付くと、池の水はだいたい引けて、あとには泥のような残渣がてらてらと光ってこびり付いているだけとなっていた。
「まずは、この堀の中に降りるんだな・・・いや、もしかして、そこにあるのは、階段ではないか?」
いきなりディエゴが叫んだ。三人が立っている台座から池の中へと下りるための階段があったのだ。
今まで水の中に潜っていたが、その水を抜いてしまったので、階段が現れたのだ。
「それならここを降りていくべきだ。」
パパスは駆け出した。ディエゴを追い越し、二十段近い階段を、飛ばすように駆け降りた。
まだ濡れている踏み面で、足を滑らせて転ばなかったのが不思議なくらいの素早さだった。
あっという間に、パパスは池の反対側にある登り階段の上がり口に足を掛けていた。
サンチョとディエゴが、まだ台座から降り始めてもいないときだった。
「パパス様、パパス様!お気がせくのもわかりますが、そんなに急いでは、階段から落ちてお怪我をなさいますよ!」
サンチョは慌てて叫んだ。
「いや、心配することはない。それとも、ここでお前たちを待っていようか。」
パパスはサンチョに叫び返した。片足を一段上の段に乗せたまま、その場に立ち止まった。
サンチョとディエゴは、階段を足早に降り、堀の中へと入った。蒸発する水分のために蒸し暑かった。
匂いは無かった。このような干上がった池や掘割では、たいてい不快な泥臭いにおいがするものだが。
音も無く、風も吹かない、この魔物の塔では、匂いすら存在を許されなかったのだ。
自分たちの体臭だけが唯一の匂いであった。
サンチョとディエゴは、パパスの背後に着いた。
「ついたか。では、登ろう。」
パパスは足早に登り始めた。その後にサンチョ、後ろにディエゴが続いた。
下から見上げるに、階段は果てしなくぐるぐると渦巻いているように思えた。無論その頂上はあるはずなのだが。
『パパス様、あまり焦って登りますと、滑って落ちるとまではいかなくとも、疲れて上まで行けなくなりますよ。』
サンチョは忠告しようとしたが、パパスが既に十段ほど先へ進んでしまっていることと、
たとえ言っても従ってはくださらないだろう、という認識があったのとで、伝えるのはやめにした。
すぐ上のスレはスレタイトルを間違えてしまったようだ。もちろん、No.233チョです。
じゃあ続き。
八角形のがらんどうの塔の内壁を飾るように、時計回りの螺旋状に登っていく階段。
三人の男は、巨大な筒の内側を、ゆっくりと回っていた。
回りながら、しだいしだいに空へと近づいていく自分たちを意識せざるを得なかった。
この階段は果てしなく続いている。だが、必ず終わりの段をいつか踏むことになるのだ。
そのとき、自分たちの前に、どのような事件が繰り広げられるのか、誰にも分からない。
階段の幅は、上へ行くにしたがって、わずかずつ広がっていくようだった。
サンチョは、自分の腕を伸ばし、階段の踏み面の両端までの幅を測ることで、それが正しい認識であることを確信した。
パパスは階段から右を覗いてみた。はるか下の床が見えた。水の干上がった池が、ケーキのように見えた。
パパスはびくりと身を震わせて、再び正面へと視線を移した。
ディエゴは、次第に近づいてくる青空に目をやった。一ヶ月ぶりで望む、真昼の空だった。
青空の中には、奇妙な波紋に似た揺らぎが浮いていた。魔界への出入り口だろう、と、パパスは考えていた。
あの向こうへ・・・あの向こうへ行けば、碧玉の髪の妻を、この手に抱くことができるのだ。
この苦労も、あとほんのしばらくの辛抱で報われよう。
期待を胸にしまい、パパスは、階段を慎重に踏みしめつつ登っていった。
自分たちは、天国へ向かっているのか・・・あるいは奈落へ向かっているのか。
奈落は空のかなたにあるものなのか。サンチョは、へんてこりんな想像をめぐらせた。
不気味な不可視の存在は、まだ上にいるようだった。そこに腰掛けて、三人を待っているようでもあった。
サンチョは、突然、不思議な音を聞いた。聞いたことのある音であった。
どこで耳にしたものか、サンチョには、たちどころに思い出せた。
ゆうべ、怪しい存在が三人に襲いかかった直後に聞いたものと、同じ音なのだ。
『まるで石でできた縦笛を吹いているような音だ』・・・サンチョは思った。それは決して不愉快なものではなかった。
むしろ、自分の緊張しきって疲れかけた魂に、一片の潤いをもたらしてくれるような、そんな気さえした。
やがてサンチョは気が付いた。自分たち三人は、ほとんど塔のてっぺんまで登りきってしまっているのだ。
あとは、パパス様に従って、あの魔界への戸口とおぼしき空中の波紋へと飛び込むだけだ。
いや、実際にそれだけで済むのだろうか・・・いいや、それだけで済むものか。
波紋の手前には、あの薄気味の悪い、視力を奪う謎の存在が立ちはだかっている。
それと、どんな形になるかは予想も付かないが、決着を着けなければならないのだ。
サンチョの頭では、パパス様も、ディエゴさんも、自分と同じ案を懸念しているだろうという考えだった。
そして実際、パパスも、ディエゴも、その脳のうちでは、あの謎めいた存在と、戦うなり論議するなりして、
自分たちを通してもらう必要があることは、十分すぎるほど考えていたのだった。
足下の階段が無くなった。替わりに現れたのは、階段と同じ幅の廊下だった。
それは、その左側に、サンチョの胸くらいまでの高さの壁を伴って、塔の内壁にくっついて伸びていた。
目で先を追ってみると、途中でぷつりと切れていた。廊下が切れたところで、塔の壁も切れていた。
「どうやら、あそこの壁の切れ目から、この塔の外側に出られるようですが・・・」
サンチョはつぶやいた。階段を登り始めてから初めて口にした言葉だった。
「あの先に、マーサへの道があるのだろうか。そう望むばかりだが。」
パパスは言った。低くこもった声だったが、それでもサンチョには聞き取れた。
「私は、なにはともあれ、魔物どもをびしびしと叩きのめして、この剣の錆にしてやりたいものだ。」
ディエゴは落ち着き払った声で言った。それが、心を落ち着けるための演技に過ぎないのか、
それとも本心から出た、明鏡止水の志を映し出したものなのか、サンチョには判然としなかった。
廊下の脇を走る壁は、胸ほどの高さしかなかったので、三人には、遠くの景色をよく眺めることができた。
空は相変わらず一片の雲も無いまま青く晴れ渡り、かなたには漆のように黒い森が地平線を飾っていた。
初めてこの塔を訪れたときと同じだな、とサンチョは思った。
俺が最初にこの塔に来たときと何も変わっていないな、と、ディエゴも思っていた。
およそ、魔物たちよりも、なんらの変遷をも見せないこの塔とその周りの景色こそが異常な物であり、
恐れ憚られるべき代物であるはずなのだが、サンチョも、ディエゴも、逆にこの景色を見て、
心の安堵を深く感じているのであった。
パパスは、そんな二人に対し、どういうわけか良心のやましさを感じていた。
自分には全く責任など無いのに、サンチョとディエゴが塔からの風景に心癒されるのを見て、
この風景で安堵するのは間違いだ、この景色は現実味のない狂った景色なのだ、と
諭してやるべきか否か悩んでいたのだ。
そして諭そうとしたのだが、二人の和んだ表情を見ると、とても切り出せるような雰囲気ではないことを悟り、
結局言い出せずにしまっていたのだ。
だが、もう風景に見とれるのも、悩み事を抱えておくのも終わりだ。
三人は、あと二歩も歩けば、塔の壁の切れ目に出るところまで来ていた。
パパスは壁の上から、廊下の先がどうなっているのかを見た。
自分たちが立っている廊下は、塔の外へ出ると、そのまま空中を渡る橋となって、もう一方の塔へと延びていた。
そして、くだんの波紋は、ちょうどその橋梁の中央の上空、人の背よりもいくぶん高いところにうごめいていた。
「この橋を、半分だけ渡って、あとは跳び上がれば・・・それでもう、簡単に魔界へ入れるのか。」
パパスはしばらく佇んで、宙に架けられた橋と、その上の揺らめく空間とを眺めていた。
パパスの額は磨いた銅のように輝いていた。サンチョの背中は汗でぐっしょりと濡れていた。
ディエゴは黙って髭を整えていた。
「では、進もう。」
パパスは身を翻すと、橋の上に一歩大きく足を出し、そのまま大股で歩き始めた。
サンチョはやじろべえが揺れるように、よたよたとその後を駆けた。落ちるかもしれない、ということは気にならなかった。
ディエゴがサンチョに続いて足を橋に乗せた。とたんに大音響が響いた。
橋が落ちたのか、と、ディエゴは反射的に足を引き、そしてパパスとサンチョの身を案じて青ざめた。
だが、その音は、橋が崩れた音などではなかった。それは大きな銅鑼声だった。
「おまえたち、ようやくここまで辿りついたのだな!!!」
新スレ立ったら落ちそうなので回避
>>510さん、回避ありがとうございます。
ところでこのスレ、もうじき容量がいっぱいになりそうな気がするんですが・・・大丈夫かな。
辺りの空気が揺れるほどの大声だった。やっと生きている物に出会えた、と、サンチョは胸を撫で下ろした。
しかし、そう感じたのもつかの間、たちまち安堵はおののきへと豹変した。
声の持ち主は、恐るべきモンスターであることを、やっと理解したからであった。
そのモンスターは、向こう側の塔から、橋を踏み破らんばかりの凄まじい足並みでこちらへと向かってきた。
薄紫がかった顔色、太い首、とがった大きな牙。まなざしは、見るものを射破るように鋭い。
背丈はサンチョほどだが、肩幅は逞しく広く、ディエゴよりも力強く思えた。
身にまとった鎧が、ゴツゴツと低い音を立ててぶつかり合い、鳴っていた。
モンスターは三人の並ぶ真ん前までやって来た。息を深深と吸い込むと、荒々しくしゃべりだした。
「お前たちがこの塔を登っている様子は、逐一見ていたぞ。なんて遅い奴らだ。
まあ、お前たちをここまで来させる気はなかったのだが、来てしまったものは仕方がない。
下働きのモンスターのやつばらにお前たちを阻むだけの力がないのなら、
俺達の腕でじきじきにとどめてやるしかないからな。
というわけで、俺たちは、ここでいっちょう、お前たちと遊んでやろうかと思って待っていたのだ。」
『俺達・・・?』サンチョはその意味するところを素直にとった。
つまり、この猛々しいモンスターのほかにも、まだモンスターが、それもおそらくは、このモンスターのように
粗暴なモンスターがいる、ということだ。
パパスも、ディエゴも、その意をはっきりと汲み取っていた。
パパスは、モンスターが言葉を途切らせたわずかな隙にねじ入った。
「そうか、ずっと見ていたとは、さすがなものだな。
ところで、そなた・・・いや、名はなんと言うのか知らぬが、ここでどんな遊びをしようというのか、我々と?」
猛々しいモンスターとはいえ、多少のおだてはやはり嬉しいものだったようだ。
「俺の名はゴンズという。覚えておけ。もっとも、どのくらい覚えていられるか、俺は知らないがな。」
自分達の命を奪うことも辞さないのだということを見てとり、サンチョは全身の血が失せる思いだった。
毎回毎回グッジョブです
>容量一杯
そうしたら次スレ立てて地下スレでマターリ逝けばいいんじゃないかな
別に板違いってことは無いだろうし
>>512さん、それもそうですね。
ちなみに今スレの重さを測ってみたところ、458KBありました。
さらにゴンズは続けた。今度は三人ではなく、別の誰かに向かって。
「出でよ、ジャミ!幾年かぶりに人間の血が味わえるぞ!」
突如ディエゴは、自分の後ろに何かまがまがしい魔の気を持つものが姿を現したのを感じ取った。
躊躇することなく身を翻した戦士の目には、自分の背丈をも上回らんかというほどの大柄な魔物が立ちはだかっていた。
見たところ、馬の姿に酷似している。だが、二本足で立っている以上、馬ではないということは、
誰の目にも明らかなことであり、無論ディエゴにも、そんな事はじゅうぶん分かりきっていた。
「お前は、ケンタウロスか。」
ディエゴは鼻で笑いとばすように言った。実のところ、からかっているつもりだったのだ。
「フン!」
ジャミと呼ばれたモンスターは、荒々しい鼻息を噴き出した。なまぐさい臭いに、三人の男たちは顔を覆った。
「オレをあのような下っ端どもと十把一絡げにしてもらっては迷惑千万。
それを知らないのなら、いますぐこの場で分かってもらおうではないか!」
ジャミの腕は、風のように素早かった。いや、そのような比喩が陳腐に響くほどに迅速に動いた。
何がなんだか誰も分かっていないうちに、ディエゴの体は二つ折りになり、
後ろに立っていたサンチョの腹へと吹き飛ばされた。二人はドミノの牌のように重なって倒れた。
「あっっ・・・」
ディエゴは、余りに激しく腹を殴られたために、声すら出なくなっていた。
その下敷きになったサンチョは、慌てて起き上がろうともがいたが、上のディエゴの体重と、背中の背嚢がかさばるのとで、
まるで亀を裏返したようにじたばたするのが関の山だった。
「サンチョ!ディエゴ殿!手を貸そう。」
パパスはディエゴの肩をつかみ、サンチョの体から引き下ろした。
うずくまったままのディエゴはそのまま安静にしておいて、パパスはサンチョの手をとると、
ちょうど妻のマーサに常々していたのと同じように、たおやかに引いて立ち上がらせた。
はたでじっと眺めていたゴンズが、面白そうに怒鳴った。
「ふうむ、まだ俺たちと、ひと遊び続けるつもりだな?
いいだろう。俺たちも、ちょうど人間の血が入り用だったんだ。わけを知りたいか?」
まだまだ行ける
お疲れ様です
>>513はNo.238になるはずだから・・・このストーリー番号は239でいいはず。
サンチョは橋の幅の中央あたりに立って、周囲を見渡した。
橋の幅は、人間三人が肩を寄せ合って、やっと並んでいられるくらいの幅だ。手すりや柵は施されていない。
足を踏み外したら一巻の終わりだな──そう思った途端、全身に震えが走り、脚が萎えるように感じられた。
遠くに森の陰があったが、そんなものを眺める余裕はなかった。サンチョは足元の石を見ていた。
自分の怯えは、高みに立っていることから来る不安と、前後をモンスターに挟まれた恐怖との両方によるものだった。
パパスはゴンズと差し向かいに立っていた。塔のようにすっくと背を伸ばし、相手のぎらつく瞳を見つめていた。
「血が欲しいだと?人間のむくろを弄ぼうとは、なんと不届きな!
やはりモンスターとは、人間を粗雑に扱うことにかけては、いかなる人間をも上回るものとみえるな。」
ゴンズはうそぶくように口を半ばすぼめた。牙が荒々しくむき出して、銀色に輝いた。
「誰が、お前らを殺すなどといったか?人間とは、早合点をすることにかけては、
どんなモンスターもついて行けないほどの実力を発揮できるものなのだな。
俺は、『血が欲しい』と言ったまでだ。人間は、意外としぶとい生き物だから、
血がどくどくと流れ出していても、簡単には死なないだろう?」
自分の後ろでディエゴが振り返った気配を、サンチョは耳に感じ取った。
どうやディエゴさんは、わなないているようだ。このゴンズとかいうモンスターが話しているせいだろうか?
パパスは剣を水平に持ち上げると、ゴンズの平べったい鼻面に突きつけた。
「人間は、血が多少流れ出したくらいで死ぬことは、滅多にない。それは貴様の言うとおりだ。
だが、むやみに血を奪いたがるモンスターなど、生かしておくわけにはいかないぞ。
いつ全身の血を抜き取られて、命までも奪われる羽目にならないとも限らないからな。」
ゴンズはのどの奥で低くうなるような声を上げた。サンチョはおびえて身を引いた。背嚢が後ろのディエゴにぶつかった。
だが、ゴンズは身じろぎもしなかった。どうやら、今のうなり声は、人間で言うところの笑い声だったらしい。
ゴンズには、今のところ、三人に危害を加える意図はなさそうだった。
『私たちが袋のネズミになっていて、逃げ出すことが不可能ということが分かっているから、
たっぷり弄んで、その後で襲いかかるつもりだろうか。』
サンチョには、モンスターたちの考え方はいっこうに読み取れなかった。
剣を突きつけても平然と笑っているゴンズを、パパスも驚いたふうに見つめていた。
ディエゴもゴンズを見つめていた。その後ろでは、ジャミが生臭い鼻息を荒々しく吐きながら、
三人を通さじと橋の幅いっぱいに立ちふさがっていた。
誰もディエゴの顔を見ていなかった。それを知ってか知らずか、ディエゴは口髭を噛んでいた。
口の中に入るほどに伸びた髭は、ディエゴの血迷った独り言を口の中に隠匿しておくのにも好都合だった。
ディエゴは何か言っていた。だが、サンチョの耳にも、ジャミの耳にも、その言葉は入らなかった。
「いやあ、俺たちは血など必要としていないさ。・・・なあ、ジャミ?」
ゴンズが、ジャミに呼びかけた。その声は割れ鐘のようにとよみわたった。
「そうだ、確かに、オレたちにとってはべつだん必要なものじゃあない。
だがな・・・魔界にとっては、重要なんだな、これが。」
「ま、魔界にとって・・・それは、マーサを連れ去ったのも、血を奪うためなのか・・・?!」
パパスは息を呑んだ。顔は突然ライラック色を帯び、憮然とした口元がそこに浮かんでいた。
「マーサ?・・・マーサ・・・誰だそいつは?」
ゴンズはせせら笑うように言った。
・・・『モンスターの世界には、嘘や裏切りは存在しない』・・・
サンチョの脳裏に、ゆうべパパスが言った言葉が、ふっと花開いた。
「マーサ、か。知らないな。それはオレたちのあずかり知るところじゃあない。」
ジャミがけたたましく喚いた。ジャミとしてはごく普段どおりに話しているつもりだったらしいが、
サンチョには、馬のいななきに似た喚き声としか受け取れなかった。
「そのマーサとか言う人間は、おおかた魔王様がじきじきにさらって行ったのかもな。
それなら、オレたちが、その人間について何も聞いていないことも説明がつくさ。」
五人の頭上では、相変わらず青い波紋が揺らめいていた。
「どこか人間どもが集まって暮らしているところに出かけて、何人か引っさらってくるのもいいが、
なんたって町や村には戦士というやつがいるから、危ないんだな。」
ゴンズは言うと、瞼をちらりと上げて、パパスのはるか後ろを見やった。
パパスがつられて見たその視線の先には、ディエゴの角ばった土気色の顔があった。
「そうこうしているうちに、お前たち三人が舞い込んで来てくれたというわけだ。ありがたい話だよなあ、え、ジャミよ?」
ジャミは受けて答えた。
「おうともよ。だが、こんなところに来てくれる人間などは、そんなにゃあいやしない。
だから、次の人間が来るまで、お前らの体の血を、ちまちま使わせてもらうよりほかないのよ。
・・・おかしらを人間界に君臨させてやるためにはな!!」
「おい、ジャミ、そいつを言っちまうのは、すこし時期尚早に過ぎないか?」
「いいんだよ、ゴンズ。そのうち教えてやるんだから。」
言葉が物理的な大きさと重量を持っていたなら、パパスもサンチョもディエゴも、
この二頭のモンスターの会話によって十回くらいは突き倒されていたことであろう。
「そのおかしらとは、何者なのだ?」パパスがゴンズに詰め寄るように言った。
どうにもパパス様らしくない言葉振りだ、とサンチョは思った。単刀直入に過ぎる。
「・・・ふん、お前たちに知らせるだけ無駄なことだろうさ。」
ゴンズは鼻息も荒々しく響かせつつ、にやりと笑って答えた。
「だがな、お前たちが、元通りにおとなしく血を出して、俺たちに分けてくれるというのなら、教えてやっても構わん。
どうせ、おかしらが姿を現すようになれば、お前たちの命など要りようじゃあなくなるんだし。」
サンチョは立っているのがやっとだった。そのことに自分自身が気付いていることが、不思議に思えていた。
あたりの景色はサンチョの角膜の上で揺れていた。この魔物の塔そのものが独楽のように自転しているようだった。
よろけたサンチョは、後ろのディエゴに背中の背嚢をぶつけた。
「す、すみません・・・」反射的にサンチョの口から言葉が飛び出した。
「いいや・・・」ディエゴの答えが返ってきた。まるで日差しの中の薄氷のように、か細く消えていくような声だった。
その声に不穏なものを感じ取り、サンチョはわずかに残っていた威勢をふるって振り向いた。
ディエゴの顔は青ざめていた。剣を握った右手が白茶けていて、ぶるぶると震えていた。
目線は、誰のほうも向いていなかった。
ゴンズも、ジャミも、パパスも、そしてサンチョも、ディエゴの視野には入っていないようだった。
かなたに広がる青い空を見ているようだ、とサンチョは思った。そしてディエゴの異様な振る舞いに懸念を抱いた。
「俺は・・・血を採られたくなかったんだ・・・」
突然ディエゴが言い出した。それは、この状況では、拍子抜けするような内容であった。
「そうだとも。この男が、人間についての細かな話を、いろいろと語ってくれたものだよ。」
ジャミがけたたましく話し出した。息をふいごのように吸い込んだジャミの胸は、
ディエゴを押し潰そうとするかのように大きく膨れて見えた。
「人間はモンスターではない。現実とはあべこべのことを話すことができるのだ。
ディエゴ殿がお前たちに語ったことが、どれだけ事実と合致しているのか、知れたものではなかろう?」
パパスは、ジャミのほうを振り向きざまに、大音声で述べたてた。
だが、ジャミやゴンズには、パパスの言葉など、虫けらの悲鳴にも値しなかったようだ。
パパスの視線が自分から逸れたのを見たゴンズは、手にした剣を両手で握りなおすと、
それでパパスの背中をしたたかに殴りつけた。
「ごぶっ・・・!」
パパスはつんのめって膝をついた。口からは泡が吹き飛んだ。
「パ、パパス様!」
サンチョは慌てて屈みこみ、パパスの肩をさすった。
パパスの素肌もあらわな背中には、早くも黒々とした幅広の打ち身が、ひと筋浮き上がり始めていた。
ゴンズは剣を収めると、先ほどと比べればかなり鎮まった声音で語りだした。
「そうだ、俺たち魔物にしたところで、血を採られるのは嬉しかろうはずがない。痛いし、すぐ死んじまうものな。
だから、俺たちは、お前たちにお情けをかけてやって、体を傷つけないようにお手柔らかに扱ってやったものさ。
お前たちの皮膚を破って、真っ赤な血をこぼしてもらうのはよして、その代わりと言っちゃなんだが、
血と同じように人間の精髄を集めたものを貰い受けてやることにしたものだ。
しかも、それを採られるということは、この男の言うことによれば、なんだか至極嬉しいことだそうじゃあないか。
それとも、こいつの語ったことは、みな実際とはうらはらだと言うのかね。」
パパスはディエゴの顔を深刻に見つめた。二人のあいだで交わされる視線が、サンチョに重く突き刺さっていた。
「ディエゴ殿、何をこのモンスターどもに話したというのかね?
我々には話せないことなのか?モンスターに話せた事が、同じ人間に話せぬはずはなかろう。」
サンチョは自分の丸々としたお腹を重く感じた。
こんなときに、どうして自分の腹などが気になりだすものなのか、自分のことながらまるで理解しがたかった。
ディエゴは、口を開こうか、開くまいかと、瀬戸際で煮詰まっているようであった。
口髭の裏側の唇が、わなわなと震えているのが、そこにいたほかの二人と二頭にも明らかに読めた。
わずかに続いた寡黙を破るように、ディエゴは叫んだ。サンチョのまなこを見据えて口走った。
「サンチョ殿!私を・・・
私の顔を、殴ってくれ!すぐに!」
サンチョは腰を抜かした。腰を抜かしたと自分では感じた。
だがサンチョは、自分の二本の足をしっかりと橋に踏ん張って立っていた。
まるで背骨が崩れていくかのような驚きをなめたサンチョの後ろでは、パパスが金切り声まがいに喚いていた。
「ばかな!人の顔を殴るだなど、そんなことが安易にできるものかね?
ことにサンチョには不可能なことだ!人に手など振りかざしたことは無いのだからな。」
パパスは思わぬところから助け舟を漕いで来てくれたものだ。
サンチョは半ば気が緩んで、意識が遠のいていくようであったが、無理やり気を奮い立てて背を起こした。
「ふふん、できないというのであれば、それでもよかろう。」
ジャミが横槍を入れた。
「なんなら、かわりに、このオレさまが殴ってやってもよいのだがな。
目玉の一つくらい潰れてしまうぞ?それでもいいのなら、殴らせてもらう。」
そこへゴンズが笑いのめすようにまくし立てた。
「ぐあっはっはっは!人間と魔物とが、こんなに親しく付き合っているとはな。
人間の言うことを聞いてやって、容赦なくぶちのめしてもよいとは。こいつは前代未聞だ。
そうか、俺が殴ってやってもよいのだぞ、この俺の鉄の拳で。
歯の十本や二十本、折れて使い物にならなくなってもよいというのならな。」
ディエゴはただ立っていた。脚は、しっかりと踏ん張っているために力んで太くなっていたが、
目はパパスを見、ゴンズを見、サンチョを見、ジャミを見して、定まることがなかった。
「よし、お前に選択権を授けよう。」ジャミが告げた。
「オレが殴るか、ゴンズ様に殴ってもらうか、どちらかだ。」
「いいや、自分で殴ろう。他人に頼るのがいかに当てにならないことか・・・。」
ディエゴは凄みのある声で即答した。ほとんど怒鳴りつけるような声であった。
この迫力にはジャミも驚いたらしく、鼻の穴をいららがせて、半歩ほど後ずさりした。
ゴンズも真ん丸く目を見開いていた。パパスには、その顔つきが滑稽なものに映った。
サンチョはいずれのモンスターの顔も見ていなかった。ディエゴの髭面に深いしわが寄るのを見ていた。
ディエゴは素早く右手を上げ、平手で自分の顔の中心をしたかに打ってのけた。
痛さをこらえるのに、顔が瞬間的にもみくちゃになり、閉じた瞼は二本の線になって顔に埋もれた。
ディエゴはそのまま手を離した。ひと呼吸置いて、ディエゴの鼻の穴からは、粘性を帯びた緋色のものが流れ出した。
「さあ、これを持っていけ・・・!」
ディエゴは、鼻血の流れるままの顔で、ジャミとゴンズのそれぞれと目を交わしつつ、ひそめるような声で叫んだ。
「な、なんと、きさま・・・。こんな単純な手段を、なぜ、今の今まで隠していたんだ!」
ゴンズは息巻いた。サンチョとパパスは、状況の背景にあるものがよく飲み込めず、呆けたように立ち尽くしていた。
「これで・・・これだけあれば、あのお方に姿を与えることができるぞ!」
ジャミが甲高く叫んだ。
「そうとも!よし、この人間を連れて行こう。いや、この場で集めてしまうか。血さえいただけれは、用済みだものな。
ここから突き落とそうが、里に帰っていこうが、俺たちには関係のないことだし。」
ゴンズも賛同するように、口を合わせた。
ディエゴは、鉄仮面を脱いで、腕に抱えていた。ジャミは、後ろから手を伸ばし、ディエゴの腕をねじると、
ディエゴがその痛みに耐えかねて喚き出したすきに、鉄仮面を奪い取った。
「あつつつつ・・・」顔の下半分と髭と鎧とを赤く染めつつ、ディエゴは呻いた。
「ほら、よ。貴様の兜だ。ここにその血を集めてくれるな?
もちろん、オレたちに、その鼻から出る真っ赤な血を、余さずよこしてくれるだろうな?」
ジャミは、ただでさえ横に広がった口を、さらに横に引いてにたにたと笑いながら、
ディエゴから巻き取った兜を逆さまにして、ディエゴの顎先に突きつけた。
『これに、鼻血を集めようというのか・・・。』
パパスには、この二頭のモンスターたちが血を集めたがっているわけが、わずかながら見えてきたような気がした。
どうやら、この二頭には、頭領のようなものがいるらしい。
そして、その頭領が人間世界に現れるために、なんらかの形で血を用いるものとみえる。
そうすると、ディエゴが抵抗もせずに血をだらだらと流しているのは、
人間界にその魔物の出現を許してしまう気でいる、ということになる。
モンスターに魂を売ったか・・・あるいは、自分らの力では彼らが人間界に進出することを阻めないと諦めて、
捨て鉢になってしまっているのか、そのいずれかであろう、とパパスは踏んだ。
「おいおい、もう血をよこしてくれないつもりなのか?」ゴンズが喚いた。
ディエゴの鼻血は、片手で掬えるくらいの量が流れ出した時点で、早くも止まってしまったようだ。
「しっかたないなあ・・・」
「やっぱり、人間から十分なだけの血を採るには、殺して全身から搾り取るほうが効率よさそうだな。」
ジャミとゴンズは、物騒な話し合いを始めたようだ。
「だが・・・三人ぶんの血では、足りまい。」
パパスが口走った。そのおぞましい内容に、サンチョは驚きのあまり、足を滑らせて橋から落ちそうになった。
「大丈夫かね、サンチョ?」
パパスが伸べてくれた手に掴まって立ったはよいが、サンチョの膝はまだがたがたと震えて定まらなかった。
「パパス様・・・どういうことをおっしゃったのか、お分かりで?」
「勿論だとも。だが、これは恐ろしいことではない。あわよくば助かるかもしれないのだ・・・。」
サンチョには、パパスの意図が図りかねた。
自分たち三人を殺して足りなければ、人間の多く住むところ──すなわち町や村里にモンスターたちは出かけていくだろう。
ここで食い止めなければ。
サンチョは、パパスに自分の思いを伝えんとして、目配せをした。
パパスはそれを読み取ったようだ。やはり二十年間、寝食を共にしているだけのことはある。
パパスは唇を開いて、サンチョに答えた。
「ここのモンスターたちは、人の住むところには近づけないだろう。
だからこそ、グランバニアの城も、北の教会の村も、これまで安全であり続けたのだから。」
それは確かにそうだ。だが、これからも変わらず安全という論拠にはつながりそうにもないと、サンチョには思えた。
「しかし、それは今までのことで、これからは・・・」
パパスは遮った。
「この二頭のモンスターを見るのだ、サンチョよ。どうかね、魔の気はどれほどあるかね?」
「魔の気ですか?それは、もう、ここに立っていても、冒されそうになるほど強く感じております。」
「さよう、魔の気の強いモンスターというものは、人がよってたかって醸し出すオーラには弱いものなのだ。
我々とこのモンスターがこうして差し向かいでいられるのは、我々がわずかに三人しかいないためだ。」
サンチョには、分かったような、分からないような話だ。
「おい、そこの丸い人間、それに腰巻の男!何をたばかっているんだ!?」
二人の話を叩き切ったのはゴンズだった。いつの間にか、剣を抜いて、二人に突きつけていた。
そして、そのとき、どこからともなく鼻歌のような音色が聞こえてきた。
それは、ゆうべも聞いた音色だった。そして、つい先ほど、長い螺旋階段を登りかけていたときにも耳にした音であった。
石笛を吹くような、口の欠けたふいごで風を起こしているような、そんな音だった。
ただ、今までと異なるのは、それが、耳元でじかに鳴っていると思えるほど間近で鳴っていたことだった。
どこで鳴っているのかは特定できなかった。まるで自分たちが笛の中に入って、そこで聞いてでもいるようだった。
謎めいた音にすっぽり包まれた三人と二頭。
人間たちは、顔を曇らせ、うろうろとあたりを見回すだけだった。
いっぽう、モンスターたちは、喜悦に似た表情すら浮かべ、すっかりくつろいだような様子になった。
「あのお方が・・・」
「早くこの血をくれと待っていらっしゃる・・・」
ジャミは血の入った兜を抱え、ゴンズは剣の切っ先をパパスとサンチョに向けたまま、
今までとはまったく雰囲気の異なる口調で話しだした。
「どうおっしゃっている?」
「いや、この量ではやはり足りないか・・・。」
「やはり殺すか。」
「替えが無いのにか?ここに人間はまず来ない。人間の住む領域へ行くことは、俺たちでは無理だし・・・」
「結局は、今までどおり、あの汁を搾るか・・・」
「そういや、こいつらの見張りにつけていた、オークキングどもはどうしたんだ?」
ジャミとゴンズは、唖然とした表情を浮かべ、顔を見合わせた。
今さらになってそんなことに気がついたのか・・・と、サンチョも、パパスも、ディエゴすら呆れて腰が砕けそうになった。
そして、不思議な笛の音と、二頭の会話に気を取られていたために、うっかり見落としそうになっていたのだが、
ジャミの手にしているディエゴの鉄仮面の中では、血が固まらないままに渦を巻いていた。
三人と二頭が、やっと気がついたとき、ディエゴの鉄仮面からは、赤い霞がもうもうと立ちのぼっていた。
そして笛のような音色がふたたび鳴り響きだした。徐々に大きく、深く、厚みのある音へと変わっていった。
やがて、それは人の歌う声に似たものへと変わっていった。
城のお抱えの歌手が歌う声に似ているな・・・と、パパスとサンチョは、あるセレナーデを連想した。
二人が思い出したのは、グランバニア地方に古くから伝わるバラードだった。
魔物を狩る恋人へ思いをささげる女性と、その恋人である戦士、そしてその恋路に割り込もうとする男と、
その男がひそかに飼う魔獣との物語だった。
歌手は、この四役を、声色を見事に使い分けながらひとりで歌いこなす。むろんそれだけ高い技量が要求される歌だ。
この場にあいにく女性はいないが、戦士ディエゴは、この歌に登場する戦士の役にふさわしかろう。
ならば、その恋を妬む男は、ここにいるジャミやゴンズといったところか。そして・・・
「恋の道を踏み破る魔獣か!?」
そのバラードでは、戦士と女性との恋を妬む男が、謀略を用いて戦士を殺そうとする。
戦士はからくも助かり、女性の手当てによって生きながらえるのだ。すなわちとりあえずはハッピーエンドである。
そして、魔獣は、戦士を傷つけ、女性の心を惑わす役柄。誰もが恐れる姿、どんな人間よりも素早い脚。
人心を惑わす妖しい息吹と歌声。そして主人である男を裏切ってはばからぬ忘恩の徒である。
だが・・・それは物語のなかのことに過ぎない。
ここは現実だ。いまそこで歌っているのが、ジャミやゴンズを裏切ると決まったわけではない。
いいや・・・どうやら、立場は逆のようだ。
ジャミやゴンズが部下。彼らは、自分たちの首領に命を与えようとしているのだ。
存在したことのない首領に忠誠を誓うモンスターたちの振る舞いは、サンチョには奇怪なものとしか映らなかった。
だが・・・パパスは考えていた。
いるのかいないのか分からない神に忠誠を誓ったり、当てにできない人の心を頼んだりしているわれわれ人間も、
モンスターたちから見れば、至極非論理的で、嘲笑にしか値しないものではなかろうか。
音は、まだ続いていた。サンチョとパパスは、恐れていたものが近づいてきたような面持ちで、
ディエゴは、この声の主は武器でダメージを与えられないということをなまじ知っているがために
闘うことができず悔しくてどうしようもないといったような目つきで、
そしてジャミとゴンズは、自分たちの苦労が報われてこの上なく嬉しがっているような表情で、その音を聞いていた。
ついに、音は形を取りはじめた。それは単なる音から、声へと様相を変じつつあった。
「ふふふふ・・・ほほほほ・・・」
上品な笑い声にも聞こえた。モンスターにそのような声音があるとすればだが。
サンチョは意味も無くおびえ始めた。いつしか、パパスにしがみ付けるほどにそばまでにじり寄っていた。
パパスはサンチョのそんな行動を、ただ黙って許しているのみであった。
パパスもまた、この不可思議な声に心を奪われかけていたのだ。
ディエゴはただ空間を睨んでいた。もっとも、そこには、新たに見つめるようなものも、
また長い時間をかけて観察すべきものも、何一つとして存在していなかった。
ディエゴがいかに目を凝らしても、見えるものといえば、遠くの森とコケの野原、二本の塔とそれらを結ぶ橋、
そしてパパスとサンチョに、ジャミとゴンズ、それからいまだうごめき続けている蒼穹の波紋だけだった。
いらだたしげにディエゴは腰の剣をガチャガチャと鳴らしてみせた。
鉄仮面を脱いだ頭には日が当たって、ぬくもっていた。
ジャミは、まだ鉄仮面を抱えていた。そこから立ちのぼっていた赤い霧の渦は、既に消え去っていた。
中には血の筋も、油の染みも残っていなかった。謎の存在がすべて吸い尽くしたのだろう。
ジャミにとっては、今までの苦労が報われつつある瞬間でもあった。
それはゴンズにとっても同様であった。鋼色の目に、恍惚とした眼差しを浮かべて、虚空に何かを求めていた。
「さあ、我らが道を示す方よ、姿を現してくれ!」
二頭のモンスターは叫んだ。意外な言葉に、パパスはびくりと身を震わせた。その震えはサンチョにも伝わった。
「うふふふふふ・・・」
これは、二頭に対する答えだったのだろうか?サンチョには、ただの笑い声としか聞こえなかった。
だが、ジャミとゴンズは、その笑い声に、感じ取るものがあったらしい。
互いに酷似した表情を、同時に浮かべた。おそらく安堵の表情であったのだろう。
ところが、この二頭の期待とはうらはらな言葉を、その謎の存在は述べたのだった。
「ふふふふ・・・まだ・・・足りません・・・もっと・・・私が現れるためには・・・」
はっきりと言葉として聞き取れるものであったことが、人間たちを愕然とさせた。
「よし・・・現れてみせるのだな、そこな魔物!わが剣の錆にしてくれるわ!」
ディエゴは剣を振りかざした。パパスも腰の剣に手を当て、次の行動への準備をした。
二人のあいだでサンチョはおたおたと左右を見回すのみだった。足元もどうにも定まらなかった。
「ちっ、このお方が生まれた途端に殺されてしまっては、俺たちも努力が報われないぞ。」
ゴンズが舌打ちをして、忌々しさを包み隠さず声に出した。
「お前たち、このお方、このお方と、さっきから呼んでいるが、名前くらいあるだろうが。
なぜ名前で呼ばないのかね。」
パパスは突然、ゴンズに向かうと、奇妙なことを質問した。サンチョは、パパス様の思いがけない行動を見て、
きょとんとして立ち止まった。そのまま足元もふらつかなくなるほどに。
「このお方には、名前はないのだ。」ゴンズが威々しく胸を張って答えた。
「なぜ名前など要るものかね。このお方はただ一人!至高の存在となるべき方なのだ。
魔の気と人間の肉を融和させ、魔界も人間界も行き来できる存在になるのだ。
しかも、ただ行き来できるだけではない。そんなのはどんな奴ばらでもできる。
魔界から人間界を眺めわたすには、人間の祈りによって濁らせられない思念が求められるものだ。
人間の祈りに耐えるには、人間の肉を与えて育てるのがもっとも手っ取り早いというものさ。」
ゴンズはいちど言葉を切ると、息を深く吸い込み、鼻から激しく噴き出した。息は熱く、生臭かった。
「唯一無二の存在に名前など必要ない。名前を名乗れる俺たちは、ただの下っ端だということだな。
だが、その下っ端に弄ばれるお前らは、さらにその下の存在かな?」
ゴンズは瞳をきらりと輝かせた。その白さは、磨いた錫のボタンのようだった。
「なんと・・・私たちを侮辱していますよ、このモンスターは!」
「騒ぐものではない、サンチョ。彼らにとっては、ただのからかいにしか過ぎないのだ。」
パパスはサンチョを宥めた。ゴンズはその二人を、相変わらずの錫色の目で面白そうに見ていた。
527 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:04/09/03 00:22 ID:xa9ZCmpj
お前らアフォか
だが、サンチョもこのときばかりは口を閉ざさなかった。
長い道のりを歩いてきて疲れていたために気が立っていたのかもしれないし、
あるいは高い塔の上に立っているという意識が、潜在的にサンチョを発奮させていたのかもしれない。
ともかく、滅多にないことではあるが、サンチョはまくし立てた。
「からかうだなんて・・・。私たちの命を掌に載せて、つっついて遊んでいる連中に、よく優しくできますよ、パパス様も!
なんなら、私だって言い返してやります。おい、ゴンズとやら、よく聴け!
人間は、モンスターに、上、中、下という階級をつけている。
お前たちは、魔界ではどうだか知らないけれど、ここ人間の世界では、最低の連中だ。最悪のモンスターだ。
上魔、中魔、下魔と分割するなら、お前たちは下魔だ。体のない、お前たちの崇めるそこのモンスターも、下魔だ。
下魔だ、下魔だ、下魔だ!お前たちは人間をないがしろにして憚らない、最低の下魔だ。
人間の愛と勇気を軽んじるものじゃないぞ!」
聴いていた二人と二頭のうちで、いちばん反応を示したのは、パパスだったかもしれない。
たしかにパパスの額には、あまり見ることのない色が浮かんだ。前髪が、風のない空気にたなびいたように見えた。
背筋は鉛直に伸びて、やや後ろへ傾いたように見えた。右の手が左の腰へと回った。
剣の柄を握り締めたまま、パパスはサンチョが言葉を放ちきったと同時に、茫然自失の相を呈するのを見た。
サンチョの顔は、ほんのり葡萄の色に染まっていた。息をひとつ吐くと、まるで夢から覚めたかのように
周りをきろきろとうち眺め、ちらりと足元に目をやって、はるか下の緑を認めると、はっと正気に返って
顔を立て、そのまま立ち尽くしていた。
「ふん、面白い話だった。だがたいした内容じゃあない。」
ジャミが鼻息も高らかに述べた。ディエゴは目を細め、髭を撫でながらサンチョのしぐさを見ていた。
「・・・下魔とは。ふふふふ・・・面白い響きですね。わたしがその名を承ってもよいでしょうね?」
突然降ってきたような声は、三人の男たちには、凡味甚だしいものであった。
パパスがちらりと眉を動かしてやったくらいで、三人の視線は、依然としてジャミとゴンズに向けられていた。
サンチョは、今しがた自分の取った行為の意味すべき内容を、はたと感づいた。
いかに奇々怪々なふるまいに及んだかを知るやいなや、サンチョの太腿は、またもぷるぷると震え始めた。
ゴンズがにやりと笑ったように思えた。もっとも、このモンスターは、常に笑ったような顔をしているから、
表情を変えてもその変わりようは定かではない。今の笑みも、サンチョの気のせいでそう思えただけかもしれなかった。
しかし、続けてゴンズが口を開いてこう言葉を発したのは、気のせいではなかった。
「このお方の名前など、どうでもよろしい。大切なのは、このお方に、
人間の世界で自在に使い物になる肉体を与えることができるかどうか、ということだ。
そこな丸い人間、騒いだ代償というわけじゃないが、血を貰い受けるぞ。」
言うが早いかゴンズの剣の切っ先はサンチョの首筋へ飛びつこうとした。
しかし、それを途中で受け止めて許さないものがあった。
パパスがゴンズの剣を見事に捌いて、サンチョを守ったのだった。
「私の部下に手を掛ける心積もりならば・・・ならば、そなたを切り捨てる!」
パパスとゴンズの一騎討ちが始まった。明るい灰色に伸びる橋の上で、パパスとゴンズは、
刀身をはねのけ合い、しのぎを削りあい、四合五合と闘いあった。
剣の打ち合う音が丁丁と響くさまを、サンチョ、ディエゴ、ジャミと、今しがたサンチョがゲマと呼び付けた存在とは、
ただじっと眺め入っているのみだった。
もっとも、ジャミはいくらなんでも心を奪われたままになどなってはいなかった。
モンスター界に君臨する存在に肉体を与えるという名誉ある仕事についている自負があった。
足音を潜めたままディエゴに身を寄せると、その頭に素早く腕を回して締め付けた。
「あ・・・お、お、ん・・・うぐぐ。」
ジャミの腕で鼻と口を塞がれたディエゴは、その腕を振りほどこうと闇雲にあがき、かかとでジャミの脛を蹴り飛ばした。
「ひゃあっ!」
喚声を上げたのはジャミのほうだった。どうやら魔物にも、弁慶の泣き所というものがあるらしいな、と
ディエゴは妙なところに関心を寄せた。だが、すぐさま自分の目の前で行われている合戦へと気を奪われていった。
パパスは剣を華やかにふるって、ゴンズを劣勢に追い込んでいた。
ゴンズの顔には、誰から見ても、明確な焦りの表情が濃く浮かび上がっていた。
『ここで・・・倒されるわけにはいかん。あのお方に肉体を授けるという誉れある役割を、
こんな人間のためにみすみす捨て去ることができようはずがない!』
しかし、ゴンズは、いかに名誉ある地位を得たからとはいえ、所詮は魔物に過ぎなかった。
モンスターであるかぎり、小細工を弄してパパスを窮地に追い込むといった発想はできないのだ。
他者を欺くという行為は、人間にして初めて行いうることであり、それを知らないぶん、
モンスターたちの戦いは不利になるばかりであった。
直線的に突いてきたゴンズのやいばを華麗な脚捌きでかわすと、パパスは、ひらり、と身をスピンさせ、
手を裏に返して、勢いよく振りかぶった剣を、ゴンズの脳天に振り下ろした。
ゴンズの頭が平らになったように、サンチョには思えた。
パパスは振り下ろした剣を返す手で、ゴンズの手首を叩きのめした。その痛さに耐え切れず、
ゴンズは剣を握っていられなくなり、両手の指をすべて開いた。鈍い音を響かせながら、剣が石の橋桁に落下した。
ゴンズが手を伸ばして掴もうとした瞬間に、その手の先から剣は消えて去った。
日の光に燦然ときらめきながら、宙を落下していく剣が、パパスの目に映った。
「サ、サンチョ・・・」
いつの間にか、サンチョがパパスと肩を並べて、ゴンズの前に立ちはだかっていたのだ。
剣を蹴落としたのもサンチョであった。ゴンズの剣を叩き落すという、パパスの行動を具体的に予測していたのだ。
「き・・・きさまら・・・」
ゴンズのこめかみに青筋が立っている。
その両足は、おもむろに床を踏みしめながら、じりじりと後じさりしているように見受けられた。
「サンチョ・・・下がっていろ。やつは突っかかってくるつもりだ。」
パパスに皆まで言わせぬうちに、サンチョはパパスの後ろへと下がっていた。
更に、突進してくる者からできるだけ身を引いていようという本能的な危険回避を行い、
サンチョはゴンズに目を当てたままじわじわと後ずさりをしていた。
乙です
そうして下がっていたサンチョは、硬いものに尻をぶつけた。それはサンチョがぶつかると、僅かだがはっきりと揺れた。
なんと言うことはない。後ろに立っていたディエゴにぶつかっただけのことであった。
「あ、すみません・・・」
「サンチョ殿。危ないぞ、あの魔物は・・・」
ディエゴもパパスと同様のことを言うな、とサンチョは思った。
そして、背中の背嚢が、誰かに掴まれているのに気が付いた。
ディエゴが、サンチョの背嚢を掴んでいた。両腕でしっかりと抱え込んでいたのだ。
その行動が、サンチョを盾にしてディエゴ自身の身を守ろうという半ば無意識の防御姿勢によるものなのか、
はたまたいざというときにサンチョを守り切ることができるように自分の身のそばに引き止めて置くためなのか、
サンチョにはいまいち判然としなかった。また、いつゴンズが襲い掛かってくるものやら知れぬこの状況下で、
こんなことをのんべんだらりと質問するわけにも行かないことくらい、瞬時に判断が付いていた。
パパスはゴンズが突きかかって来ないであろうという見通しを立てていた。
なぜなら、パパスは、自らの臍のあたりの高さに剣を水平に構えていたからだ。
その切っ先はまっすぐゴンズの眉間を狙っていた。
もしゴンズが本気で駆けてこようものなら、その剣でわが身を串刺しに貫こうとするも同然であることは、
パパスにはわかっていた。無論、そのことを意識して、剣を構えてもいたわけである。
そして、ゴンズとて、パパスの意志が具象的に見て取れている以上、わざわざわが身を傷め苦しめるつもりはなかった。
だが、いつでもパパスが気を緩めた瞬間を狙って襲えるようにと、駆け出す準備は怠りなかった。
パパスは鋭くゴンズを睨んだ。ゴンズも睨み返した。
この両者が見合っている以上、サンチョにも、ディエゴにも、そして二人の後ろに控えているジャミにも
なんらの危険性が及ぶ可能性はなかった。
五者が五者ともに、まるで何者かに見すくめられたがごとく、凝固した視点で正面を眺めていた。
そして、空中の波紋だけが、その凍りついたような空気の中で、不埒なまでにはらはらとたゆたっていた。
あの美しい声は、もう誰の耳にも届かなかった。先ほどから歌いやむことなくその場に響いていたにもかかわらず。
突然、歌声が止まった。あたりを静寂が満たした。
まるで音に支えられて立っていたかのように、サンチョはよろめいた。
パパスとディエゴは、血相を変えて宙を見回した。ゴンズとジャミは、まるで魔術から醒めたかのように
目をきょときょととしばたたきつつ、誰かを探し回っているかのように首を振った。
いや、まさしく、ジャミとゴンズはある人物を探していたのだ。
それは、この世界に体を具有させしめんと二人が努力を注いできた人物、
先ほどサンチョに「下魔」とののしられた人物、その本人だった。
しかし、いまだその姿は現れてはいなかった。おそらく、ディエゴの鼻血くらいでは不足だったのだろう。
「…あのお方は、どこにおわすのか?」ジャミがつぶやいた。
しかし誰も答える者はなかった。
静まり返った虚空からひと筋漏れ出てくるように、細い声が聞こえてきた。
パパスはその声の正体をすぐに掴んだ。あの美しい声の、見ることのできない魔物の頭領の声であろうと。
「ふふふふ・・・」
声は語り始めた。
「ゴンズよ、それにジャミよ。お前たちは、そのようなひ弱な人間ですら倒すことができないのですか。
私のしもべと思っておりましたが、これほどまでに不甲斐ない者たちだとは思ってもいませんでしたよ。」
「も・・・申し訳ございません!」ジャミがいなないた。
「なにしろ、相手は三人、われわれは二人。向こうは剣を携えているのに、こちらは空手でございます。
いかんとも闘いがたく・・・」
「言い訳を聞く耳はありません。」
声の主はジャミの言葉をやんわりと、しかし冷たく跳ね返した。
「だが、その言葉を今一度だけ信じてみましょう。」
「はっ・・・!かたじけのうございます!」
声は、ジャミには答えなかった。かわりに、パパスとサンチョに向けて、言葉が放たれ始めた。
「いいですか、人間たちよ。私が、体などなくとも、どれほどの力を持っているのか、
とくとその濁ったまなこに焼き付けておくのですよ。
もっとも、それを覚えていられるのも、ほんの短い間に過ぎませんけれどね。」