エニクス「ドラゴンクエストへの道」コミックス

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渡辺
オリジナルの、ファミコン版『ドラゴンクエスト』がリリースされたのが86年5月、『ドラゴンクエスト2』が87年1月、約7年も前のことですね。
発売日の長蛇の行列騒ぎや、その後子供たちだけではなく大人たちも含めて日本中が徹夜でハマってしまった「ドラクエ現象」が
思い出されます。あの爆発的ブームの要因は何だったのでしょうか?

千田
第一にあげられることは、優秀なクリエイターが揃って、実にクオリティーの高いゲームが仕上がったことです。
『ドラクエ』を始めたころ、長年続けてきたコンテストの財産として、エニックスの周辺にはすでに優れたスタッフがたくさんいたのです。
そしてそのクリエイターたちが「本当に自分が遊びたいゲームを作る」という執念で一生懸命になったわけです。
 そして、もう一つ大きなポイントがあります。それは「新しさ」です。『ドラクエ』の功績は、最初に「RPG」というものを
日本の市場で成立させたことです。そして実験作品ではなくいきなり完成品をポンと市場に出した。
最初にして最高のものを出すことができた……ここが重要なところです。
渡辺
最初に『ドラクエ』を世に問うたとき、あの大ブームを見ていて何を思っていましたか。

千田
いや、実はファミコン版の『1』が出たときはそんなに驚くほどの大ブームにはならなかったんですよ。
あの当時のファミコン市場に100万本ヒットはざらだった。
 しかし『ドラゴンクエスト』が100万を超えるまでに4ヶ月くらいかかったんです。実にゆっくりと、静かに売れたんです。
 私の立場としては、あれだけのスタッフを集めてあれだけのクオリティーのものを仕上げて、そしてTVや雑誌で
あれだけのプロモーションをしたわけですから、もっと爆発的に売れると思っていたわけです。
 しかし、RPGというのはその面白さがとても伝えにくいゲームジャンルなんですよ。どんなに宣伝しても、本当の魅力は伝わらない。
体験しないとわからないんです。当時は、とりあえず実際に遊んでみた人がその面白さを友達に伝えて、
またその人が別の人に薦めて…といった感じの口コミで、実に静かにゲームの評判が広がっていったのです。
ブームが爆発したのは、『2』のときでした。はじめて行列ができたのも『2』の発売のときでしたね。驚いて見に行ったもんです(笑)。

(続く)