渡辺浩弐ゲーム業界のキーマンに聞く2
“ドラゴンクエストワールド”はどこに行くのか!?
連続ロング・インタビュー、第2弾はエニックスの千田プロデューサーに登場していただくことになった。『ドラクエ』の
スーパーサクセス・ストーリーの原点ともいえる『ドラゴンクエスト1・2』が今、リニューアル・リリースされる。
これを迎えるのは、7年前の天地を揺るがしたドラクエ・フィーバーを知らない世代かもしれない。
あのブームの正体はいったい何だったのか、そして今でも発展し、進化し続けているドラクエ・ワールドは
いったいどこに向かっているのか。千田さんは、『ドラゴンクエスト』シリーズを一貫して製作総指揮している名物プロデューサーだ。
いちばん眺めのいいところから見えたこと、見渡せていることを語ってもらいたいと思う。
千田幸信プロフィール
役職:専務取締役 年齢:43歳 家族構成:妻 信条:信じるものは救われる
最近熱中しているもの:統計と確率の理論と実践(インタビュアー註:ギャンブルのことだと思います)
起床時間:8:00 帰宅時間:22:00
〜最初に、最高のものを作ったから〜
長いので、続きは明日以降
さわりだけかよ?!
渡辺
オリジナルの、ファミコン版『ドラゴンクエスト』がリリースされたのが86年5月、『ドラゴンクエスト2』が87年1月、約7年も前のことですね。
発売日の長蛇の行列騒ぎや、その後子供たちだけではなく大人たちも含めて日本中が徹夜でハマってしまった「ドラクエ現象」が
思い出されます。あの爆発的ブームの要因は何だったのでしょうか?
千田
第一にあげられることは、優秀なクリエイターが揃って、実にクオリティーの高いゲームが仕上がったことです。
『ドラクエ』を始めたころ、長年続けてきたコンテストの財産として、エニックスの周辺にはすでに優れたスタッフがたくさんいたのです。
そしてそのクリエイターたちが「本当に自分が遊びたいゲームを作る」という執念で一生懸命になったわけです。
そして、もう一つ大きなポイントがあります。それは「新しさ」です。『ドラクエ』の功績は、最初に「RPG」というものを
日本の市場で成立させたことです。そして実験作品ではなくいきなり完成品をポンと市場に出した。
最初にして最高のものを出すことができた……ここが重要なところです。
渡辺
最初に『ドラクエ』を世に問うたとき、あの大ブームを見ていて何を思っていましたか。
千田
いや、実はファミコン版の『1』が出たときはそんなに驚くほどの大ブームにはならなかったんですよ。
あの当時のファミコン市場に100万本ヒットはざらだった。
しかし『ドラゴンクエスト』が100万を超えるまでに4ヶ月くらいかかったんです。実にゆっくりと、静かに売れたんです。
私の立場としては、あれだけのスタッフを集めてあれだけのクオリティーのものを仕上げて、そしてTVや雑誌で
あれだけのプロモーションをしたわけですから、もっと爆発的に売れると思っていたわけです。
しかし、RPGというのはその面白さがとても伝えにくいゲームジャンルなんですよ。どんなに宣伝しても、本当の魅力は伝わらない。
体験しないとわからないんです。当時は、とりあえず実際に遊んでみた人がその面白さを友達に伝えて、
またその人が別の人に薦めて…といった感じの口コミで、実に静かにゲームの評判が広がっていったのです。
ブームが爆発したのは、『2』のときでした。はじめて行列ができたのも『2』の発売のときでしたね。驚いて見に行ったもんです(笑)。
(続く)
>>80 千田さんってそんなに若かったのか…
FCDQIIが評価のトップだったって事で
ファミマガ誌上でそれを表彰し、開発スタッフにインタビューしてた記事が載ってたけど
その中に主要スタッフ一同の写真が載ってて、千田さんもいたけど
かなり老けて見えたんだが…
86 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:03/06/23 21:44 ID:An2UOq3C
むかしはペース速かったから大変だったんだろうね
しまった、続きを書くのを忘れてた。
まあ明日以降ということで勘弁。
>>85 この文章は記事をそのまま写している。
だからプロフィールもインタビュー当時のもの。
〜シンプルさ、ストレートさに『ドラクエ』の魅力が〜
渡辺
『ドラゴンクエストシリーズ』の、作品としての特性はどこにあると思いますか。
千田
『ドラクエ』は、「愛と正義が大切だ」とか「コツコツ努力すればいつか報われる」という真理を単純に、はっきりと打ち出したソフトです。
あれほどストレートでケレン味のない勧善懲悪ものはない。
昔は、本にしても映画にしてもこういうものは結構あったはずなんです。でも、メディアが進化することによって
それらが消え失せていった。そういったことを主張することがどうも照れくさくなってしまったんですね。
どこかヒネッたものを作ってしまう傾向があった。
ゲームという新しいメディアを使いながら、あえてその原点に立ち返ったのが『ドラゴンクエスト』なんですよ。
それで子供たちを教育しようとか啓蒙しようとか企んだわけではありません。そういったシンプルな「正義」とか「努力」の行為は、
すべての人にとって本質的に「気持ちいい」ことではないか、と思ったからなんです。
渡辺
そのシンプルさ、ストレートさが、『ドラクエ』が国民的ゲームとなった秘密なんですね。
千田
それはシステムについても同じで、その後出てきた他のRPG作品を見ていて思うのは、みなさん、
『ドラクエ』をあえて変えようとして失敗している。目新しいところを作ろうとして、ゲーム性を悪くしている。
まあ、クリエイターというものは新しいことをやりたいものです。でも、ドラクエ・スタッフの皆さんはそのへん、
非常にバランス感覚がありますから、微妙なところで抑制して。
幸か不幸か『ドラクエ』の制作はいつも、メモリーとの戦いでした。メモリーの制限によって、やりたいことが全部はできない。
そうすると自然に、ムダなところをギリギリに削り込んだ、ぜい肉のないものになるんです。
渡辺
今後の『ドラクエ』シリーズについて、CD-ROMなどの大容量環境が提示されたとき、
ゲームのどの要素をどのように豪華にしていくことになりますか。
千田
容量の使い方としては音声よりもビジュアル的な豪華さを拡張していくと思いますね。でも現状では、とくに「アクセス性」という点から、
カートリッジが最も優位にあるという認識は変わりません。『ドラクエ』はメディアとしてはあくまでもROMカートリッジをイメージしています。
だから、『ドラクエ』の容量は徐々にしか増加していかないでしょう。システムも無理なく、徐々に進化していくものだと思います。
渡辺
とくに『ドラゴンクエスト1・2』についてですが、ファミコンからスーパーファミコンに進化して、どのへんが変わりましたか?
千田
ビジュアルやサウンドをスーパーファミコンの機能に合わせたほかは、基本的には大きくは変わっていません。ただし、当時容量の
関係で泣く泣く削ったところを復活させてあります。とくにメッセージについてはすべて、堀井(雄二)さんが自分で手を加えています。
また、『2』のオープニングのムーンブルク城の崩壊シーンなど当時入れられなかったイベントも再検討し、新しく入れてあります。
渡辺
ボクサーの減量みたいですね。
千田
そのへんのことを振り返りながら、クリエイターが持っていた理想的な『ドラゴンクエスト1・2』のイメージを再現したわけです。
ですからファミコン版をやった人でも、『完全版』としてもう一度楽しんでもらえると思いますよ。
(続く)
ここで一つ注釈。千田氏はDQ7まで正プロデューサーを努めた。現在はスクウェアエニックス専務取締役。
DQ8も担当するのかどうかは不明。ただ、PSのDQ4ではそれまで副プロデューサーだった犬塚太一氏が
正プロデューサーを担当していたため、年齢的なこと(既に50代半ば)を考えて現場を退いた可能性もある。
〜エニックスはあくまでも管制塔(コントロール・タワー)として機能する〜
渡辺
ちょうどオリジナル版の『ドラゴンクエスト(1)』が出たころのマニア中心層が今年、大学を卒業する年齢になっています。
『ドラクエ』のようなゲームを作りたいと、ゲーム業界を目指している若者も多いと思います。
どういう人材が現在の業界には必要だと思われますか。
千田
僕自身は、一つの分野で何か優れたものを持っている人に来てもらいたいと思っています。
エニックスでは、毎年10名程度採用しています。
倍率は高いですけれども、筆記試験はないからチャンスだと思いますよ(笑)。
ただし、エニックスはゲームの制作部隊を社内に抱えないシステムの会社です。外部のスタッフを組み合わせて
ソフトを制作していく、そしていいものを作った人間には個人としてきちんとペイバックしていく、という方針です。
そこがクリエイターの皆さんに評価されているところなんです。
渡辺
ゲーム業界ではきわめて珍しいシステムですね。ただ、ハリウッド映画のシステムはすでにそういうふうに進化しています。
昔は映画会社の内部に全ジャンルのクリエイターを抱えていたのが、今は衣装だとか、メイクとか、特撮とか、
専門技術の会社がたくさんあって、映画会社は個々の作品ごとにそういったクリエイターをまとめてチームを作って、
制作配給を進めていく。
エニックスのシステムは、ゲーム業界の未来を先取りしているように思います。
千田
出版でいえば編集という機能なんです。ドラゴンクエストの世界観をプロデュースする、つまりコントロール・タワーとして機能していく、
それが他のメーカーとの違いでしょうね。
ですからエニックス・ゲームスクールというのもありますけれども、その設立目的は優秀な人材をエニックスで
独占することではありません。エニックス周辺のソフトハウスに、いい人材を供給するために機能していけばいいと思っています。
ソフトの容量が大きくなるのに伴って、ゲームの制作体制も爆発的に巨大化しています。そういう現場で戦力となるためには
「プログラム」なり「グラフィック」なり「音楽」なり、どれか一つの分野でいいから、プロとしての専門知識を持っていなくてはならない。
だから、今年からカリキュラムを多少変更しています。専攻コースを決めて、2年制で育てていこうということになりました。
渡辺
『1』に比べて『5』の容量は24倍ですね。作業量もそれだけ増えている。かつて天才少年が1人で大ヒットゲームを
作ったような時代はおしまい、ということですね。ゲーム制作は大人数のチームワークになっていく……。
千田
昔と違って今のゲーム制作は、何十人が1年以上かけてコツコツやっていく作業ですから。そして最も人材が必要な分野は、
グラフィックです。ハードが進化するのに合わせて、今後グラフィッカーの重要性が上がっていくと考えます。
渡辺
『ドラゴンクエスト5』では、クリエイターとしてこれまでのゲームデザイナー、プログラマー、音楽に加えて
グラフィッカーの方を立てていらっしゃいましたね。
千田
そうです。ドラクエの世界観を表現する要素としていちばん大切になってきているのがグラフィックです。それもただ色数を増やし、
描きこむだけではなく、ゲーム的なデフォルメが重要なんですね。そこで卓越した感性が必要とされるわけです。
また、現場の作業としてもこの部分の制作量が、いちばん増えてきています。人手も必要なのです。
なにがなんでもゲームのクリエイティブ現場に入りたい、という人にもお薦めです。まあ、非常に入りやすい領域ではありますよ(笑)。
(続く)
94 :
名前が無い@ただの名無しのようだ:03/07/05 08:35 ID:m6ZXGyQk
千田さんはぁはぁ
〜今後は『トルネコ』のようなタイトルをエニックスからも〜
渡辺
『ドラクエ』に関していうと、外部スタッフがみんなビッグになってしまった。やりにくくなっていきませんか?
千田
今やみんな大先生ですからね(笑)。だから、1年分の打ち合わせ時間を、通しで押さえてしまっています(笑)。
でも、『ドラクエ』については皆さん、ライフワークとして、特別なものとして見ていただいていますから、
他の仕事に対しても優先していただいているようなんですよ。
渡辺
中村光一氏は『ドラクエ』チームから抜けましたね。そして自社ブランド(チュンソフト)から『トルネコの大冒険』をリリースされました。
千田
エニックスは『ドラクエ』のおかげでここまでくることができたわけですし、また中村クンは
長く『ドラクエ』をやってきてくれた功労者ですから、それについての感謝として応援しようという意向でした。
『ドラクエ』関連のゲームソフトに関しては『トルネコの大冒険』だけではなく、いろんなものを作っていきたいと思います。
今後は自社で出したいと思っていますけど(笑)。
エニックスとしてはコントロールタワーとして書籍とかグッズのビジネスもやってきて、一つのメディアといっていいほど、
『ドラクエ』をとりまく世界はかなり広がってきていると思います。
しかし、一作一作の間隔はもっと狭めたいんです。2年に1本というのはあまりにも間が空きすぎていると思うんです。
ただ、今の制作スタッフの豪華な顔触れを見ていると、本編については時間がかかっても仕方ないように感じますね。
とくに堀井さんは、納得しないかぎり筆を進めないタイプなんですよ。
渡辺
というと、2年に1本程度出る本編の『ドラクエ』シリーズと並行して、外伝のようなものを今後どんどんリリースされると!?
千田
さあ、どうでしょうね(笑)。でも、いいアイデアかもしれませんね。
(インタビュー終わり)
渡辺
もはやゲーム業界の屋台骨となってしまった『ドラゴンクエスト』シリーズ。今後もハードの進化につれ、
時代につれ進化していくのだろう。しかし筆者は個人的には、「容量の制限のせいで苦しんできたが、
逆にそのおかげでシンプルさが維持された」という話がいちばん印象に残った。
実は筆者は、このインタビューの直後に堀井雄二さんと別件で会った。そのとき、次々とリリースされる予定の
マルチメディア・ニューハードについて彼に聞いてみたら「CD-ROMの大容量で実にディテールまで絵を描き込むことは出来る。
でもそうなると、例えば同じ姿かたちの人間がいると不自然になってしまうでしょう。どこをリアルにしていくか、
どこをデフォルメしていくかということが重要なんですよ」というようなことを話してくれたのだ。
次世代のハード時代の鍵を握っているのも、やはり『ドラクエ』なのだ(わかるかな?)。
1993年11月8日 インタビュー・文 渡辺浩弐