重力風が、大気の水分を凍らせる。
漆黒に金や白の斑を絡めた、浮金石の天空。
オーロラ色の、淡い緑の光が、森の深奥で沸き上がる。
魔晄の結晶が森に鏤められ、水に溶け、光る。
雪渓に、ちいさな子供が転がり落ちる。氷の薄い、凍てついた川へ向かって。
背の高い男の、長い指が大木の幹を捉え、子供の衿を掴んだ。
「───大丈夫か?」
「ニイちゃん、ありがと!」
村には不似合いな、黒の三つ揃いの男が、金髪の子供を背負う。
「…どうして…あんな所にいた?」
「星!星、木に登って見たー」
長身の男の、端正な容貌。紅の瞳が天を見上げる。
ニブルヘイムに辿り着くと、子供の母親が待っていた。
「この馬鹿!チビが夜中にウロチョロすんなって云ってっだろ!
とっととウチへぇんな!」
悪鬼羅刹も退散しそうな勢いで、小奇麗な母親が子供を家に押し込む。
「あ、あら、すいませんねぇ。ウチの豚犬がお世話になりました。
哥いさん、えらく良い男じゃありやせんか。お名前は?」
「……ヴィンセント。御子息が御無事で、何よりです。失礼」
長身の男が、神羅屋敷へ踵を返す。
母親はうっとりと頬を赤らめ、子供はジト目で母を見た。
風の中の氷が、光の柱となり、玲瓏たる氷河を照らし出す。
「…何をしている?…おまえ、名前は?」
「ペットボトルロケットー!おれ、シドってんだ」
「このままでは危険だ…貸せ」
雪に、淡い花の香りが混ざる。雪の精霊が、笑っている。
「珍しいじゃない、ヴィンセント。子守なの?」
「今日は非番だ…ルクレッツイアこそ、無理をするな」
「あかんぼうがうまれんの?」
ルクレッツイアが、幼いシドの頭を撫でる。
「そうよ、坊や。おばさんのお腹には、赤ちゃんがいるの」
「おばちゃんじゃない!」
ちいさなシドが、眉間に皺を寄せ、俯く。
「お…おねえさん、だよぅ」
「ありがとう。子供が産まれたら、遊んであげてね」
神羅屋敷に、ピアノの音が反響する。
ステンドグラスが音を弾き、吸い取り、震わせる。
ルクレッツイアが歌っている。優しく、胎内の仔を撫でながら。
中で子は指をしゃぶり、微睡む。
「…産むのか」
「このままでは、産まれた途端に死ぬ子供よ」
でも、大切な人の子。
どんなに、おぞましい細胞実験のデータが出ていても
この子が助かるのなら、私は…。
ルクレッツイアは深い緑の瞳を伏せ、言葉を呑込む。
ふと、ヴィンセントが横に立った。
ピアノは連弾へ変わる。音符の一つ一つが溶け、共鳴し、睦み合う。
曲がしなやかに、一本葛となってゆく。
「……え?」
「だから、そんな女は居なかったと云ってるだろう!帰れ!」
屋敷を神羅兵に追い返され、シドは考え込む。お八つを平らげた頃
「忍び込めば良いんじゃねーか?」と云う結論に達した。
実験動物用IDチップをポケットに入れ、窓からの潜入に成功。
余談だが、元実験動物の名は、ゴン太と云う
ハイウインド家愛玩のモルモットだった。
言い争っている声がした。
白銀の、異様に美しい赤子が叫ぶ。
「ママ…マンマァ!…ねぇ、何処!」
「ふん。もう喋るのか」
赤子の瞳孔は、猫と同じ針の形をしている。宝珠の淡い緑を宿した、眼。
「母に会いたいか?ならば会わせてやろう」
眼鏡の痩身の科学者が、赤子を抱え、地下に向かう。
「これが、お前の母だ。セフィロス。
二千年前の地層から発掘された、天からの厄災こそが!」
シドが見た者は───
紅色の渦巻き紋様を全身に描き、腹から胸迄、縦に裂けた口の女。
硝子の向うから、妖かしの光を宿した眼が、嗤う。
「…あ…!イヤ…!厭ぁ!」
「可愛いセフィロスよ。認めなさい。お前は人では無い。
人間のつもりでいる、宇宙から来た化け物だと」
若い宝条が笑っている。小さなシドの瞳に怒りが滾る。
セフィロスは宝条に爪を立て、振払う。
「…全く、何て力だ!」
宝条は赤子を突き落とし、消えた。
サンルームで。小さなセフィロスが啜り泣く。子供の泣き方では無い。
声は無く。堪える様に手を握り、背中を震わせている。
「…男が泣くなよ」
「だれ?」
「将来の宇宙飛行士様でぃ。お前、スゲーな。宇宙から来たって?」
「あんまり、よく覚えてない…」
産まれたばかりであろうに、髪は既に肩迄伸び、立ち上がり喋る赤子。
けれど表情は幼く、儚い。
「僕の事…兵器だって、みんな云う」
「な、なにいってんでぃ!おまえの母ちゃん心配してたぜ!」
セフィロスの表情が変わった。
「ママを知ってるの?!」
「ん〜あ〜…。ちょこっとだけ、な。優しくて、美人だったぜ」
「ママなら知ってるよ。お腹に居た時、優しかった!」
にこやかに、幼いセフィロスが頬を紅潮させる。
「僕、きっと軍に入れられると思う」
「えー?気の毒だなぁ」
若干僅か二歳のシドには、話がややこしかったが。
「飛行機に乗れたよな。よし、俺も行く!」
靴音と共に、大人の声がした。
「誰だい?よく此処迄入って来たねぇ」
「ガスト博士!」
「やべ!ごめん!ごめんなさい!」
手入れの良い髭を貯えた、青年博士がシドを抱き上げた。
「ガスト博士なら大丈夫。やさしいよ」
「な、なあ博士!ルクレッツイアって人、知ってる?」
博士の表情が曇った。
「彼女なら入院中だよ。赤ちゃんを産んだからね」
「ヴィンセントの兄ちゃんは?」
「任務で、遠くに行ったと聞いてるが」
「そっか」
ふと。博士はシドの、異様な眼の輝きに気付いた。
深く、内から発光する。蒼い金剛石の瞳。
「君は…。魔晄の泉で遊んだ事でも、あるのかい?」
「あすこ大好きだい!父ちゃんと母ちゃん、デートしてたって!」
「さて。どうやって此処を出るのかね?」
「……あ」
脱出迄は考えてなかったシドが、青ざめた。
「僕についておいで。裏門から出よう」
幼いセフィロスが、ガスト博士の裾を引っ張った。
「ねえ。お兄ちゃん。さっきの話、約束して。
一人ぐらい、軍に知ってる人が居て欲しい…」
「ん?ああ、分った!約束する!神羅軍に入るぜ」
湖は鏡の如く凪ぎ、水鳥が鏡面に波紋を描く。
のびやかに広がった紋様が、ヴィンセントの靴先を濡らす。
「────ま、結局神羅行っても、ろくすっぽ会わなかったがよ」
「覚えていたのか、シド…」
「餓鬼は丸ごと覚えるからな」
「お前は良く、木から落ちたり、川に飛び込んだりしていたな」
シドが煙を吹き、咽せる。
「俺ぁよ。ずっと疑問だったんでぃ。
宝条博士の眼は濃い茶色で、ルクレッツイア姉ちゃんは濃い緑。
ジェノバは眼が光ってて分らねぇ。
セフィロスの、あの淡い瞳は、誰に似たんだ?って」
煙草の煙が、滝の飛沫に吸い込まれる。
「ルクレッツイア姉ちゃんが惚れた男で、眼の色素が無ぇのは、誰だ?」
「シド…それは…。しかし、確証の無い話だな」
惚れた腫れたに確証があっかよ。シドはそう云いながら、煙草を仕舞う。
「会って来いよ。ルクレッツイアに。居ないように見えても
祠のどっかに、隠れてっから。
────もう、戦いは終わったんでぃ」
祠にヴィンセントを独り残し、潜水艇が帰って行く。
「ルクレッツイア。そうなのか?」
「ごめんなさい…産むのなら、貴方の子供が良かったの」
ヴィンセントが、ルクレッツイアの瞳に口付ける。
「…セフィロスを愛していたわ。望んで、授かった子なのよ。
そう、伝えてやりたかった…」
優しい魔晄色の風と澄んだ紅の風が、祠に吹き込む。
白銀の髪の青年が、其処に立っていた。 END