さて、一方『ファイナルファンタジー(FF)』シリーズ。
特に『Z』『[』『]』あたりで下手に「感動した」なんて言うと、
「『BOYS BE・・・』で感動した」というのと同じくらい、人間の底の浅さが
垣間見えてしまう、ある意味危険な大作RPG。
FFシリーズは、そのライバルといえる『ドラゴンクエスト』シリーズとは対照的に、
根強い「FFなんて大嫌い層」が存在することでも有名だ。
その理由は突き詰めれば、
「ムービー等の演出が派手になるのと反比例して空洞化する ストーリー」という一点に尽きる。
今や、したり顔で「ゲームはドラクエだけど、ストーリーはFFだよな」なんて言おうものなら、
「かわいそうな子」扱いだ。「感情移入」という言葉を置いてきぼりにして、
「勝手に悩み、勝手に思い詰め、勝手に無茶な行動をし、勝手に負け、勝手に立ち直り、
勝手に精神的成長を遂げる」主人公達。
「おい、コイツを動かしてるのは俺だろ。俺だったらこんな無茶な行動しねえぞ絶対」という
憤りは諦めに変わり、矛盾につっこむ事でしか楽しめない、不幸にひねくれたプレーヤー達を作り出す。
さて、一方『ドラゴンクエスト(DQ)』シリーズ。
特に『6』『7』あたりで下手に「感動した」なんて言うと、
「『たけしの挑戦状』で感動した」というのと同じくらい、人間の底の浅さが
垣間見えてしまう、ある意味危険な大作RPG。
DQシリーズは、そのライバルといえる『ファイナルファンタジー』シリーズとは対照的に、
根強い「DQなんて無駄に長いだけでつまらないから大嫌い層」が存在することでも有名だ。
その理由は突き詰めれば、
「プレイ時間が長くなるのと反比例して空洞化する ストーリー」という一点に尽きる。
今や、したり顔で「ストーリーはDQだよな」なんて言おうものなら、
「かわいそうな子」扱いだ。「感情移入」という言葉を置いてきぼりにして、
「勝手に頼みを引き受け、勝手に事件に巻き込まれ、勝手に無茶な行動をし、勝手に悲劇に巻き込まれ、勝手に立ち直り、
勝手に進んでいく」主人公達。
「おい、コイツを動かしてるのは俺だろ。俺だったらこんな無茶な行動しねえぞ絶対」という
憤りは諦めに変わり、矛盾につっこむ事でしか楽しめない、不幸にひねくれたプレーヤー達を作り出す。