――――ここはどこだろう?
ズキズキする頭で考える。
崖下へと落ちて行ったセリスは、奇跡的にも生きのびていた。
崖の斜面に、深く、深く降り積もった雪が、転がり落ちていくスピードを押さえると共にクッションの役割を果たしたのだろう。
しかし流石に無傷というわけにはいかず、金色の髪の間からは一筋の赤が流れていた。
セリスは、まず自分の現在おかれている状況を確認する。
周りはどこを向いても白白白…いや、遥か高みを仰げば天空の青が覗いて見える。
「あそこから落ちてきたのね…」
斜面に残る、自分が滑り落ちてきた軌跡の痕跡を見て呟く。
とりあえず、自分が今からすべき行動は決まった。
こんな所にいつまでもいても仕方がない、早く上へと登ろう。
と、一歩踏み出した所で足元がふらつき、慌てて倒れないようにセリスは自身の体を支える。
足元の雪が、頭から落ちた一滴の血で鮮やかに染まっていくのを視界に入れる。
「ケアル」
左手を翳し、治癒の魔法を唱える。
そう、私は魔法が使える――――ガストラ帝国の常勝将軍としての自分があったのも、この力に依るものだった。
そこで唐突に、自らの思考の流れに疑問点を覚え、その部分をそのまま口に出してみる。
「ガストラ帝国の常勝将軍?」
なんだろう、それは?
というよりも……私は一体誰なのだろうか?
自分の名前がわからない。
何をしていたのか、何をこれからしようとしていたのか――――
結論に至って愕然とする、どうやら自分は記憶喪失になってしまったらしい。
何か自分に関することがわかるものは無いかと、持ち物を点検してみる。
剣が一本と……
いや、それだけのようだ。
もしかしたら他にもあったのかもしれないが、きっと――――
まだまだ下へと続いている崖の斜面を見下ろす。底は見えない。
食料すら保持していないのでは、このまま飢え死にしてしまうか、そうでなくても凍死してしまうか……いずれにしても状況は絶望的だった。
「とにかく、誰か居ないか探してみないと」
セリスは、不安のためか少し早足になりながら、純白の大地に足跡を刻み始めていった。
歩きながら、記憶の糸を手繰り寄せようとしてみる。
まずこの剣。
鳥(?)を模した意匠の柄作りに、燦然と輝く黄金色の刀身。
一目でかなりの業物とはわかるが、自分の手には微妙に馴染まない。
馴染みはしないが――――振り回しているうちにわかってくる、自分の手には剣を扱う術が備わっていることを。
そうだ、自分には魔導の資質だけでなく、戦士としての才覚もある!
そして……
ダメだ、やはり自分の名前は思い出せない。
しかしそれ以上に、何かもっと大切なことを忘れているような気がしてならない。
それが一体なんのことなのか、誰のことなのか……
セリスは能動的思考とは裏腹に、無意識の内では思い出すことを拒絶していた。
血で染め上げた自らの罪、その負い目、そして――――ロックのことを。
崖の転落で頭を打ったのはきっかけに過ぎなかったのかもしれない。
しかしそれは、今の彼女にとってある意味望んでいた展開なのかもしれなかった。
覚えていなければ。
思い出さなければ。
苦しみ――――愛する人を求めてやまない、そして同時に、求めてはいけないとする二律背反の心――――から解放される。
セリスの足は、生きる為に前へ前へと歩を進めていく。
しかし心は、死んだままでいたいと立ち止まったままだった。
セリスが正午の放送を聞いたのは、そんな想いに囚われながらかなりの距離を登りきった時だった。
【「セリス」:記憶喪失
所持武器:ロトの剣
現在位置:祠西の山岳地帯中腹
行動方針:人を探す】