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 夜の闇に浮かび上がるようにして、真っ白な花が樹に咲いていた。
 時折、絹の布をひるがえすような、優しい風が吹いては、その花をはらはらと散らす。
 一ひらの花弁が、花から離れて、ふっと舞った。
 花弁は夜気の中を遊んだかと思うと、ゆっくりゆっくり、暖かい春の空気を縫って
落ちてゆく。やがて吸い込まれるように、広げられた手の上にすっと着地した。 
 白い手のひらの上で、白と思われた花弁は淡く紅色を帯びているのが見てとれる。
 ふうっと息を吹きかけて、ビアンカはまた花弁を躍らせ、その舞い姿を楽しんだ。
「まだ、起きているのかい?」
 となりで身を横たえていたリュカが、囁くような声で尋ねてきたので、ビアンカは
驚いてふり返った。寝ているものとばかり思っていた。
 リュカの声が掠れているのは、さきほどまでの行為の余韻だろうか。
 結婚式を挙げてから即座に旅に出た彼らには、ゆっくりと宿屋に泊まる余裕も
なかった。くりかえす野宿の中で二人だけの時間が欲しい時には、仲間モンスターの
眠る馬車から離れ、こうして木陰などで身を重ねるのが常だった。
 地面には、リュカの青いマントが褥となって広げられている。
 その上で座り込んで、ビアンカはリュカが眠り込んでからずっと、降り注ぐ花弁を
その頬や手で受けて遊んでいたのだった。
「だって、眠るにはもったいないくらい、綺麗な晩なんだもの」
 ビアンカは着衣をまだ整えておらず、簡単に服を体に巻きつけただけの
姿だった。
 あらわな白い腕をすっと上に差し伸べ、
「ほら、ね」
 リュカがビアンカの指し示した方に顔を上げると、月明かりを浴びて、
満開の花がうっすらと光を帯びるようにして咲き誇っていた。
 光のかけらが樹からこぼれていくように、次から次へと絶え間なく花が散っていく。
 花たちの背景には、紺色の夜空。そしてそこには、にじむような銀色の、美しい朧月――。
「本当だ……」
 リュカは身を起こして、絵のように美しい光景に見入った。
 いや、絵画ですらこのような感動を与えるのは無理だろう。
 呼吸するたびに喉に流れる、春の暖かな空気や、遠くで梟の鳴く音。いとおしい相手と存分に
肌を合わせた後の、独特の気だるさ。そしてその相手が、目で見て確認しなくても、隣にいると
感じられるほどに側にいること。
 そういうものが相俟って、これほどの眼福はないと思わされるのだから。
 ビアンカがことん、とリュカの裸の肩に頭をあずけてきた。
「ね、リュカ?」
「うん?」
「私……幸せだなあ」
 唐突なビアンカの言葉に、リュカはおやおやと目を見開いた。
「何だよ、唐突に」
「……何でもないのよ」
 そう呟く声がふと潤む。
 リュカが怪訝に思ってビアンカの顔をのぞきこむと、ビアンカは咲き乱れる
花たちを見上げたまま、空色の瞳に涙を浮かべていた。
 リュカは手を伸ばして、ビアンカのすべすべした肩を包んだ。夜気に当たった
せいか、冷えた感触が伝わってくる。
「どうしたの、ビアンカ」
「何でもない。何でもないの」
「何でもないってこと、ないだろ」
 ビアンカは頬に伝う透明な涙を拭い、顔をうつむかせた。
 それっきり何も言わなくなったビアンカを前に、リュカは胸のうちに黒い雲の
ような不安が湧き上がるのを感じた。
 恐る恐る、その不安を口にする。
「ビアンカ……ひょっとして、僕と結婚したことを、後悔してるのか?」
「………」
 リュカの手のひらの下で、ビアンカの肩が小刻みに震えている。
「そうなのか?ルドマンさんに押し切られる形で断れなかったから、こうして僕と……」
「……」
 ぷっ、とかすかに吹き出す音がして。
 やがてビアンカは体をくの字に折って、鈴の鳴るような声で朗らかに笑い声をあげた。
「あははは、リュカ、何を言い出すのかと思えば、あはは。笑わせないでよ、もうっ」
「だ、だってビアンカが急に泣き出すからだろ」
「まったくもう……」
ビアンカは泣き笑いの表情で、目尻の涙を拭ってリュカに向き直った。
 両の手のひらで、しっかりとリュカの顔を捕まえると、こつん…と額と額同士をぶつける。
「あのね、リュカ。幸せでも泣けてきちゃうことってあるのよ。あなたと過ごすようになって、
毎日が夢じゃないかと思うくらい、幸せで。幸せで幸せで、本当に幸せで、しょうがなくて。
怖いくらいなの……」
 唐突にビアンカの細い腕がリュカの背中に回り、強くその体を抱きしめる。
 リュカはそれに驚きもせず、鼻先をかすめるビアンカの金色の髪を、優しく撫でた。
緩くウェーブがかかった金色の巻き毛は、そのリュカの動きに会わせるようにして
不規則に揺れる。
 ビアンカはリュカの腕の中で、そっと目を閉じた。
「……ねえリュカ。覚えてる?」
「何を?」
「初めて二人でした冒険。レヌール城での、お化け退治」
「忘れるもんか」
「私もよ……昨日のことみたいに、思い出せるの。他のことでは、忘れちゃってる
こともたくさんあるのに。不思議ね」
 遠い昔の時間を呼び寄せるかのように、ビアンカの声はひそやかで、静かだった。
「……怖かったわ。お姉さんぶっていたけど、本当は何度も泣き出しそうになるくらい。
冷たくて暗いあのお城の中で、あなたと二人で歩いたわね。あのお城があんまり暗いもんだから、
私、二度とお日さまが拝めないんじゃないかなんて思った」
 リュカはうなずく。
 一面に視界を塗りつぶす闇の中を、どこまでも続く廊下を二人で歩いた。確かなものは、
つなぎあった手だけ。もしまかりまちがって、相手の手を離してしまおうものなら、もう自分は
永遠にこの闇の中に取り残されてしまうだろうという気さえした。
 暗がりの中の、唯一の温もり。あの少し汗ばんだ感触すら、生々しく思い出せる。
「もう二度と、夜明けはこないんだ。この暗闇は、いつまで経っても終わらないんだ――そう思っていた。
だけど、二人でお化けを倒して、ゴールドオーブをもらった後に……夜の空を薙ぐように、光がすうっと差したわ。
あの夜明けの光……長い、長い夜が終わったときの……綺麗だった。心に沁みるみたいに」
「覚えてるよ」
 くすっと小さく笑った後、ビアンカは身を離してリュカの顔をのぞきこんだ。
 リュカを見つめる瞳が、湖水のように光を湛えている。淡い青色――空の色の瞳。
 奴隷として働かされていた頃、あの地下の暗い穴蔵で、何度思い返したことだろう。空色の瞳と、
太陽の色をした明るい色の髪。いつもビアンカを思う時には、記憶の中に光がいっぱいにあふれている。
 ビアンカの桜色の唇が、ゆっくりと言葉を形作って、リュカに囁きかけてくる。
「リュカ。わたしにとって、あなたはあれからずっと、わたしの夜明けの光だった。母さんが死んで、
父さんも病気になって、あの村で一生を終えるんだと覚悟していたのに……あなたはまた、こうしてわたしを
冒険に連れ出してくれた」
 ビアンカは目を閉じて、リュカの唇に、触れるだけのキスをした。
「……ありがとう」
 リュカは微笑んで首を振り、ビアンカを抱きしめた。
 どうして礼を言われる筋合いなどあるだろう。リュカにとってのビアンカも、つらいときの灯火であり、
光だったのだから。
 あのレヌール城の暗い廊下で、涙をこらえてリュカの手を引いてくれたあの時から。
 寄り添い合うようにして抱き合った二人の上に、はらはらと薄紅の花びらがふりかかる。舞い落ち、舞い上がり、
花びらたちはこの優しい夜の中を踊る。群青の夜気に泳ぐ、小さな魚たちのように。
 ビアンカの髪に降りかかった花弁にリュカはそっと口づけて、満ち足りた気持ちの中、目を閉じるのだった。