クリフトの様子がおかしいことにわたしが気づいたのは、ミントスの街に入ってからのことだった。何だか様子がおかしいなと思っていたら、見る見るうちに顔色が真っ青になって、いきなり震えだしたのだ。
「ちょ……大丈夫、クリフト」
「どうしたんじゃ」
心配そうにのぞき込むわたしとブライに、クリフトは大丈夫と微笑んでみせた。……バカ、そんな顔色で笑われたって、全然ホントだと思えないわよ。
「とにかく、まず宿屋へ」
「いえ……本、当に……たいした、ことは……」
わたしはおもむろに鉄の爪を外して、彼の首筋に手刀をたたきこんだ。
「ひ、姫、何をいきなり乱暴な!」
うるさい。問答無用よ。
ブライの抗議を無視して、わたしはクリフトを担ぎ上げると宿屋へと走りだした。ものすごく腹が立って仕方なかった。
バカクリフト。バカクリフト! バカクリフト!!
あんな途切れ途切れでしか喋れないくせに、何がたいしたことない、よ。
肩に担いだ彼の体が熱い。いつから我慢してたんだろう。そんなに急に熱があがるわけがないもん。
地面を蹴る脚が自然と早くなる。
こんなになるまで我慢して。こんなになるまで我慢させて。全然気づかせないで。全然気がつかないで。……バカ、バカ、バカ!!
「お、お待ちくだされ、姫様」
後ろでブライが悲鳴を上げてたけど、わたしの足は止まるどころかますます早くなっていった。
☆
――そして、今、わたしはミントスの宿屋に来ている。いえ、帰ってきていた。万策つきて。
クリフトの病は、思っていたよりずっと重かった。彼を診てくれた神官は、気の毒そうに首を振って、彼の命の残り少ないことを告げた。
唯一の希望は、万能薬になるという植物・パデキアを見つけること。パデキア自体は、何年か前の干ばつで絶滅してしまったそうだけど、種が洞窟に保存されているとか。
……だけど。
見つからなかった。
見つけられなかった。
洞窟のすみずみまで探したけれど、それらしいものは、どこにもなかった。
たぶん、わたしの顔色で事情を察したのだろう。宿屋の主人が気の毒そうな視線を向けてくる。それを避けるようにして、宿屋の階段を駆け上がった。
わたしたちが借りた部屋の前まできて、そっと扉を開ける。
それほど広い部屋じゃないから、すぐにベッドが目に入る。ブライはいない。わたしの後に洞窟に来てたけど、まだ帰っていないみたいだ。ベッドには、やっぱり青い――というよりは、ほとんど土気色の――顔をしたクリフトが横たわったまま。
もしかしたら……なんて、ほんのちょっぴり、バカな期待をしていたわたしは、苦笑しながらクリフトの側へと近づいていく。
浅い呼吸を繰り返して、ひどく苦しそう。
わたしは、おでこから外れていたタオルを取って、水に濡らした。頬に手を当てると、燃えるようだった。さっきより、ずっと熱が上がってる。
汗を拭いて、もう一度タオルを濡らして、おでこに乗せる。だけど、クリフトの苦しそうな顔は変わらない。
「……ホイミ」
タオルに掌を乗せて、そっと呟く。
クリフトの様子は変わらない。当たり前だよね、わたしには魔力ないもん。
何だか目の奥が熱くなってきたのを、瞬きで押し返した。
わたしは、クリフトみたいに治癒呪文は使えない。ブライみたいに、知恵があるわけでもない。
エンドールの武術大会で優勝した、格闘の腕だけが自慢。
なのに、ただ洞窟から種を取ってくることすらできない。
喉の奥からせり上がってきたものがあったけど、唇を噛んでそれも押し返した。
泣くもんか。
ぎゅっと目を閉じて――それから、思いついて手を組んだ。クリフトがよくやっている仕種。ええと、セリフはどうだっけ。確か……。
(天にまします我らが神よ……どうぞこの哀れなる子羊の……………………とにかく、クリフトをお助けください。もうクリフトのことを鬱陶しいとか思ったりしません。ブライのお小言もちゃんと聞きます。だから、どうかパデキアの種を見つけさせてください)
出来はどうあれ、いままでで一番ってぐらいに真剣にお祈りする。
そして、ゆっくりと瞳を開ける。
「待っててね、クリフト。絶対にパデキアの種見つけてくるから」
探しつくしたつもりだったけど、まだ洞窟の中に行ってない場所があるのかも知れない。もう一度……ううん、一度でも二度でも三度でも行って、絶対に絶対に見つけてみせる。
☆
踵を返したところで、部屋の扉が開いた。
そこにいたのはブライと、見知らぬ人たち。後で思い出したんだけど、洞窟の中でブライと一緒にいた人――勇者たちだ。
「姫様、パデキアの根ですじゃ!」
ブライが顔いっぱいの笑顔で手に持っていたものを掲げる。わたしは、たぶん一瞬、ぽかんとした顔をしてしまったと思う。突然の幸運が信じられなくて。
だけど喜びはすぐにやってきた。両手を打ち慣らして、ブライに抱きついて、それでも足りなくてぴょんぴょんと飛び回る。
「さあ、早く! そのパデキアをクリフトに!」
待ちきれなくてブライの手を引っ張る。でも、飲ませるにはまず煎じなくてはならないらしい。彼はいったん、宿屋の台所へと消えていった。
ブライがもう一度、部屋に戻ってくるまでの間は、とてつもなく長く感じられた。時間にすれば、小指の先ほどロウソクが燃える程度だったのだけど。
この間に、勇者たちがわたしに自己紹介したらしいんだけど、悪いけど覚えてない。ただ、ミネアが――もちろん、その時は名前はわかんなかったけど――クリフトにベホイミをかけてたのは記憶にある。
クリフトの病気は治癒魔法で治るものじゃない。でも、体力が回復すれば、やっぱり体は楽になるのか、彼の呼吸はずいぶん楽になった。
何だか知らないけど、また泣きそうになってしまった。でも、その瞬間、ブライが「できましたぞ!」と嬉しそうに大きめの水差しを持って入ってきたから、そんな気持ちはすぐにどこかへ吹っ飛んでしまった。
ブライが、水差しの中の煎じ薬を吸い口に移し、クリフトの口元に持っていくのをワクワク見守る。
ところが。
クリフトは、飲みこもうとしない。せっかく口に入れても、全部吐き出してしまう。
パデキアの効き目は劇的で、ほんの一口、飲みこむだけで、たちどころに病気は直ってまうらしい。
なのに。
一口も飲まないってどういうことよ、バカクリフト!
わたしたちが困り果てていると、後ろから妙に楽しげな声が聞こえてきた。
「これは、やっぱりアレしかないかしら」
振り向くとマーニャ――しつこいようだけど、その時は名前わかってなかったから、なんて派手なイロケ虫だと……ゴメン、マーニャ――が、艶やかな笑みを浮かべて立っていた。
「アレって?」
「く・ち・う・つ・し」
秘め事を口にするかのように唇にひと差し指を当てて、だけど逆に言葉は一音一音区切りながら、はっきりと発音する。
「なっ……!」
わたしは思わず絶句した。
「ふむ。それしかありませんかのぅ」
あろうことか、ブライは同意する。ちょっと待ってよ、口移しってことは、つまりキ、キスするってことで、それって、つまり、ブライとクリフトがぁあああああ?
「おじいさんにさせるのも可哀想だし、あたしがやったげよっか?」
うっかりとんでもない想像してしまって、凍りついているわたしの横をすり抜けて、マーニャが進み出た。目を輝かせて、異様に乗り気に見えるのは、気のせいかな。
「それもそうじゃな」
「んふふふふー、久しぶりの若いオトコ♪」
……気のせいじゃないみたい。
マーニャの言い分にあっさり納得したブライは(というか、彼だってクリフトとキスなんかしたくなかったんだろう)、吸い口を彼女に渡す。
ミネアが止めようとするのを手で追い払って、マーニャはクリフトに近づく。吸い口を自分の唇に寄せて、薬を含む。そして、身をかがめて――。
「だめぇえええええええええ!」
「きゃっ」
気がつくと、わたしはマーニャを突き飛ばしていた。
「何すんのよっ」
後ろに立っていたミネアにぶつかり、それでも勢いが止まらなくて二人して転んでしまったマーニャは、ものすごく怒った顔でわたしを睨んだ。
「ご、ごめんなさいっ」
わたし自身、自分の行動にビックリしていた。
「で、でも、そんな勝手に、ううん、勝手ってわけじゃないけど、クリフトがっ、そりゃブライよりは嬉しいだろうけど、でもっ、クリフトは、わたしの……そう、わたしの供だしっ」
もう支離滅裂。何を言っているのか、自分でもわからない。
「だからわたしがっ!」
ガシッとポットを掴んで、クリフトのベッドに飛び乗る。胸ぐらつかんで彼を引きずり起こす。
そして。
「姫様っ」
ブライの慌てた声を聞きながら、わたしは彼の口の中に水差しの注ぎ口を突っこんだ。
☆
「……………………ゲホッゴホッガホッゲハッ」
かなりたくさんの薬が口からこぼれたけど、頭を後ろに倒して喉を開かせる体勢だったから、少しは奥に流れたようだ。そのほとんどは気管に入っちゃっただろうけど、いく筋かは食堂にもいったみたい。
身を折って、激しくむせているクリフトの顔に、生気が戻ってきている。
ふふ、勝ったね!
何にかはわからないけど、勝利の高揚感がわたしを満たす。
「……ムチャクチャする子ね」
「姫様、それはフツー死にますじゃ……」
何だか後ろで呟いている人たちがいるけど、そんなのどーでもいい。
ようやく咳をおさめたクリフトの視線が、ゆっくりとあげられる。その瞳のはしには、涙がにじんでたりして、まあちょっぴり悪かったかなと思わないでもなかったけど。
でも、今は。
クリフトが、わたしを見る。瞳が少し細められて、唇がほころぶ。
「……姫様」
ああ。クリフトだ。青ざめた、あんな無理矢理な笑顔じゃなくて、いつものクリフトの笑顔だ。
クリフトだ。
クリフトだクリフトだクリフトだ。
「……ふ、え」
体の奥から吹き出してきた感情を、今度は止めることはできなかった。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん、クリフト、クリフトぉ」
わたしはクリフトにしがみついて、子供のように泣いてしまった。
終わり