僕はベッドにゴロンと横になり、読みかけだった漫画の続きを読み始めた。でも、さっき居間を出る時にお姉ちゃんが言った一言が耳にやきついて離れなかった。
「悟、お姉ちゃんが大学に帰るまでの間、ずっと家ではブルマーはいて過ごしなさいね。いいわね」
ひととおり笑い終えて少し落ち着いたのか、お姉ちゃんの頭が再び回転し始めたんだろう…といっても、所詮脳の9割がたが邪念で占領されている頭だ。
お母さんは何も言わなかったけど、僕はもう悟りきっていた。この母にしてこの姉あり、なのだ。
翌日から僕は、家の中ではブルマーで過ごすはめになった。家の中でお姉ちゃんとすれ違うたびに、お姉ちゃんが僕のブルマーのお尻をポンと叩いて「悟、元気?」って尋ねる。
そんな調子なので、毎日学校から帰って来て家でブルマーで過ごしている間、ずっとお尻がムズムズしている。このムズムズ感はブルマーを脱衣カゴに放り込んでお風呂に入ってる時も、ずっと続いていた。
お姉ちゃんが大学に帰っていって、僕が再び家でもまともな格好ができるようになってから何日かが経った、ある日の事だった。
「今年の校内マラソン大会の日程が決まったぞ」
ホームルームの時間に先生が言った。
「1月30日の日曜日に決まった。まあ毎年のことだから分かってるだろうけど、これからの体育の時間は長距離が中心になるから、しっかり走って馴れとかないと、本番でしんどいぞ。それと体調をしっかり整えとくように」
男子8km、女子4km。街の中の迷路のようなコースを縦横に走り抜ける。途中、大通りを走る箇所もある。
街の中のコースなので当日は自動車の通行が規制される。その予告が毎年お正月明けあたりから、市の広報や新聞折り込みチラシなどを使って繰り返し行われるという。
「だからマラソン大会のことは市内の人はほとんど皆知ってるよ。ただの学校行事とは思えないくらい、たくさん見物人が集まるんだ」と、脚の速い岡野くんが、マラソン大会が待ち遠しくでたまらなさそうなテンションの高さで教えてくれた。
僕は岡野くんの話を聞いている時、既に額の上が何本もの縦棒で一杯になっていた。(街中をブルマーはいて走れってかよ!)
僕がブルマーをはかされ始めてからもう半年近くになる。でもこれまでは学校の「塀の中」だけでのことで、生徒同士みんなお互い様の世界だったから、僕も何とか妥協してきた。
しかし、あの格好で校門の外に出るとなると話は別だ。自分のブルマー姿を老若男女・不特定多数人たちの衆目にさらしながら走るなんて、そんなみっともない事、とても待ち遠しいなんて思えっこない。
「さとッチ、そんな不安そうな顔することないよ。意外と楽に走れるって」転校してきてから日も経ち、さとッチなんてニックネームもついた僕だったけど、僕の今の心境を共有してるような仲間は到底見つかりそうもなかった。
「じゃあヤッチン、今度の土曜の昼2時にメルカスの玄関のとこでな。…あ、そうだ、さとッチも一緒に来ない?」
安村くんと話をしていた清田くんが僕の方を振り向いて言った。メルカスは俣岡市で一番大きなショッピングセンターのことだ。「え?」
「ほら今度マラソン大会あるじゃん。その時に使うものを買いにいくんだよ」
安村くんも僕の方を向いて(一緒に行くだろ?)と言いたげな表情で笑っている。土曜日に特に予定がなかった僕は「うん、いいよ」と答えた。初めてのマラソン大会だし、必要な物なのなら教えてもらっとかなくちゃ。
土曜日2時。安村くんと清田くんが先に並んでメルカスの建物にはいり、2人がどこに向かっているのか分からない僕は、2人の後について行った。
エスカレータで3階に上がった。紳士用品売場の間を歩いて、少し奥まった売場の前で2人は立ち止まった。
そこは下着売場だった。しかも目の前にあるのは、トランクスでもスタンダードブリーフでもなくて、小さな透明ケースに入れられているビキニばかり。男物のビキニ売場なんて、初めて見る光景だった。
不意に安村くんの声がした。「さとッチ、ポーッと突っ立ってないで、自分の好きなやつ早く選んでよ。見て。俺、今年はこれに決めたよ」と、嬉しそうな顔をしてヒョウ柄のビキニのはいったケースを僕に見せた。
ガラは派手だが、ラベルに載っている商品写真を見ると、形はブリーフの形を基本的に保ったまま、腰を浅くし、股ぐりを深くしたような感じで、決して特殊な形ではない。ただ前開きもないし、それとお尻が半分以上はみ出しそうだ。
清田くんは、僕がまだ事情をよく把握してないのを察知したようだ。
「今度のマラソン大会ではくんだよ。ほら、走ってるときチョロパンになったら格好悪いし、走ってる間は直せないじゃん。その点、ビキニだったら絶対安心だからね」
と言った清田くんの手のひらには、白地にグレーのストライプ柄のビキニのケースが乗っていた。
(安心って何が? チョロパン以前にブルマーが格好悪いと何で感じないの?)と思ったが、今更言っても始まらない。この2人が勧めるままにビキニを買うか、それともチョロパンでも仕方ないと割り切るか、究極の選択だった。でもチョロパンは絶対いやだ。…選択は決まった。
「さとッチは初めてだから、こんなのどう?」と、横から安村くんが僕に突き付けたケースの中には、淡いオレンジ系の細かなチェック柄がはいったビキニがはいっていた。
えっ! こんなのを、僕がはくの? そう思うと何だかお尻がムズムズしてきた。でもこれを拒絶したところで、他のデザインのビキニを選ぶなんてできそうもなかった。
僕はこれを手にとって、2人と一緒にレジまで行った。レジ係の若いお姉さんが営業スマイルで商品を確認してレジを打ち込んでる間、僕はもう最高に恥ずかしかった。さすがの2人もこの時ばかりは神妙な表情になっていた。