>>685つづき
明けて月曜日。
有子と百合恵はそれぞれの勤め先へと向かった。屋敷には皐月をはじめ屈強な警備員たち
が、もしもの場合を想定して祐美を警護している。もっとも貴裕が襲ってきた場合、警備
員たちは何の役にも立たないのだが、生身の人間を操って襲ってくる場合も充分考えられ
た。それだと逆に皐月の手にはあまる状況だ。用心に越したことはない。
とはいえ貴裕が昼間から襲ってくることは考えにくかった。通常の魔物ならやはり夜の方
が闇の力はアップする。昼間だとそのパワーは半減するのが普通だ。襲ってくるとすれば、
夜の方が可能性が高い。もちろん、その裏をかいて昼間襲ってくるという可能性もないわ
けではないが……
「とにかく、夕方までには帰らないといけないわね」
BMWのハンドルを握り有子はそうつぶやくのだった。
学校に着き職員室に入ると、教頭が話しかけてきた。転校生を紹介するというのだ。
有子としては誰が来るのかわかっていたのだが、知ってました、というわけにもいかず、教頭の話しをだまって聞く。
「小泉真理さんです。突然でしたが今日から永井先生のクラスでよろしくお願いしますよ」
「小泉真理です。永井先生、よろしくお願いします!」
そう言って真理は頭を下げる。久しぶりに見たが、ますます可愛くなったと有子は思った。
退魔戦士になって一年と半年。現在は17歳になったということか。
身長は157センチと特に背の高い方ではないが、制服の上からでもわかる胸の隆起は、
優にFカップはあるのではないかというほどだ。腰からお尻にかけてのくびれも、申し分
なく、女の目から見ても惚れ惚れするほどのスタイルの良さである。
膝上15センチはあるスカートからのぞくその脚も、太すぎず細すぎず、理想的な長さと
肉付きであった。
(また、すぐに親衛隊ができちゃいそうね)
前の学校でもその前の学校でも、真理には常に自称親衛隊という追っかけのような男子生
徒がいたらしい。急な転校できっと前の学校の親衛隊連中は悲しんだに違いない、と有子
は思った。
「こちらこそ、よろしくね」
そう言って有子は真理に握手を求め手を差し出す。そして、ニッコリ笑ってこう続けた。
「それじゃあ、小泉さん。教室の方に案内するわ。くわしくは歩きながらでも…」
「はい」
ふたりの退魔戦士は目で合図をしながら職員室をあとにした。
「有子さん。それで相手の正体とかわかってるんですか?」
廊下に出るなり真理がそう話しかけてくる。
「いままでの相手とはケタ違いの上級の魔物だということくらいしかわからないわ。真理
ちゃんももしもの時は気をつけてね」
「大丈夫ですよ。もう一年と半年経験して結構な魔物たちを退治してきましたから。わた
しが来たからには大船に乗ったつもりで安心していいですよ」
確かに力は誰もが認めるところなのだが、自信過剰ぎみのところが玉にキズだ。まあ、滅
多なことはないと思うけど油断は禁物よ、と真理に忠告する有子だった。
教室に着くまでの間に今回の件をかいつまんで説明し、帰りは一条家の方に送っていくか
ら待っててね、と伝え教室へとふたりは入っていった。
午前の授業も滞りなく終わり、昼食をすませた有子のところへ祐美から連絡が入った。
まさか、と思いブレスレットを開く。人目を気にしながらも「どうしたの?」と問いかけ
る。
「姉さん!お母さんが!お母さんが!!きゃあぁぁぁぁぁ!」
「祐美!祐美!!」
妹の尋常でない叫びを聞き、人目をはばからず大声で聞き返してしまう有子。
まわりの人々は何ごとかと顔をこちらに向けるが、そんなことを気にしている場合ではな
い。
有子は急用ができました、失礼します。とだけ言って職員室を出て行くのだった。
さて、話は一時間ほど遡る。
有子と百合恵が出かけたあと、祐美の部屋で涼の寝顔を見ながら、たわいない話で盛り上
がっていたふたりだったが、皐月の「お客さまね」という言葉で部屋中に緊張が走った。
「貴裕なの?」
祐美は唇を震わせながら母に尋ねる。
「貴ちゃんはまだみたいね。ずいぶんレベルの低い魔物をよこしたものだわ。それもこん
な真昼間に」
皐月はやさしく微笑みながら、祐美に「心配ないわ」と話しかける。
そんな母の余裕の表情を見て少し安心する。祐美はこの前の戦いで退魔戦士としての力が
弱まってしまい、回復にはまだまだ時間がかかる。はっきりいって戦力にはならない。
今、この一条家で魔物とまともに戦えるとしたら皐月だけなのだ。
「来たわね」
魔の力を感じ皐月は立ち上がる。今日の出で立ちは白い生紬の単衣だ。貝の口に結んだ半
巾帯に刺してある扇子を二本取り出す。
「破邪の扇!」
皐月は扇子を広げその場で身構えていくのだった。
やがて部屋へ入ってこようとする魔物たちのうめき声が聞こえ出す。
部屋には結界が張ってあるため、少々の力の魔物ではドアにふれることさえ困難なはずだ。
「貴ちゃんが来たわ」
皐月の言葉に涼を抱きしめガクガクと震え出す祐美。さすがの皐月もかなり緊張している
ようだ。
「ククククッ。なんだぁ皐月さんがいたのか。誰がこんなちんけな結界張ってるのかと思
ったよ。久しぶりだねぇ」
貴裕は部屋の天井からその頭だけをのぞかせ、皐月に向かってそう言った。
皐月にとってはもちろん孫にあたるわけだが、貴裕が産まれたときの彼女の年齢は37歳。
さすがに“おばあちゃん”と呼ばせるのに抵抗のあった彼女は自分のことを“皐月さん”
と呼ばせていた。
「貴ちゃん。どういうことかしら、祐美になにか用事でもあるの?」
皐月は努めて冷静に孫にそう問いただす。
「さあね。なんの用があるのかな?別に皐月さんに話すことでもないしさ」
貴裕は冷たい笑いを浮かべさらにこう続ける。
「とにかく、結界は破らせてもらっとくよ。みんなが入れないしね」
彼のその言葉が終わらないうちに、ドンッ!ドンッ!!という音がドアの方から響いてく
る。
「ほおら、もう少しだ。僕はちょっと見物させてもらうよ。皐月さんの実力も知りたいし
さ」
貴裕の頭が天井に隠れるのと、部屋のドアが破られるのはほぼ同時だった。
10体近くはいるであろうその魔物たちは、一斉に部屋へとなだれ込んできた。
「あらあら、わたしも舐められたものね。どんな化け物を用意してくれたのかと思ったら
ずいぶん弱々しそうねぇ」
皐月はそう言うが、祐美にはそうとは思えなかった。貴裕とはくらぶべくもないが、そこ
まで低級の魔物とも思えない。しかもこの数だ、体調が万全なときの自分でもかなりの苦
戦をするだろう。本当に母は大丈夫なのか?確かに現役時代の皐月の武勇は知っていた。
自分は一緒に戦ったことはないが、姉の有子は数年一緒に戦っていたことがあるので色々
と聞かされていたのだ。しかし、現役を退いてからもう五年たつ。勘が鈍っていることも
充分考えられた。
だが、そんな祐美の思いはまったくの杞憂に終わった。
破邪の扇を両手に持ち、まさしく舞いを踊るかのような華麗な皐月の動きに、魔物たちは
まったくついていけないでいる。
両手に持った扇でポンポンと魔物たちの頭を叩くだけで、そいつらはぐあぁ、ぎゃぁ、と
いううめき声をあげて倒れていくのだ。
あまりの華麗な戦いぶりにしばしぽかんと口を開けて見とれてしまう祐美だった。
「はい!おしまい」
最後の魔物を倒したところで、皐月は着物の乱れを直しながらそう言う。そしてさらにこ
う続けた。
「貴ちゃん、いるんでしょ。終わったわよ、出ていらっしゃい」
皐月の言葉に今度は床の方から、貴裕の頭がゆっくりと現れてくる。