【ヒストリー】「命守る知恵」 洪水対策で高台移転し集落守った歴史に学ぶ

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1依頼@ベガスφ ★
"高台移転 集落守る「命守る知恵」歴史に学ぶ"

さくら市の鬼怒川流域に、室町・江戸期に洪水対策で集落ごと高台に移転し、
数々の水害を乗り越えた押上(おしあげ)という地区がある。
多くの犠牲者が出た伊豆大島(東京都大島町)の土石流で、
大雨に備える大切さが叫ばれる中、同地区の郷土研究家・長島久伸さん(81)は
「命を守るための知恵を語り継いでいきたい」と語る。

日光の山に辰巳(たつみ)(南東)の豪雨が三日と三晩吹き込めば、
山の鬼ども雷(いかずち)鳴らし川を荒らす−。押上地区には、
水害の怖さを教えるこんな警鐘も伝わっている。
長島さんは「幼少期、祖母からよく聞かせられたものです」と振り返る。

現在の押上地区は、宇都宮市との境にあたる鬼怒川から約八百メートル北にある
約二百世帯の集落。会津藩から宇都宮城下を目指す旅人が歩いたとされる旧道が残る。

故郷の歴史に魅せられた長島さんは八年前から、古文書を読み解く傍ら、
鬼怒川の環境保全に取り組む住民団体「押上水神会(すいじんかい)」の世話人を務めている。

江戸時代に書かれたとされる古文書によると、集落は室町時代までは
鬼怒川のほとりにあり、毎年洪水に見舞われた。住民は被害を避けようと、
室町時代の天文十七(一五四八)年と、江戸時代の寛文十(一六七〇)年の計二回移転。
現在の場所に落ち着いた。

享保八(一七二三)年、大雨で上流の五十里(いかり)湖(日光市)が決壊する
「五十里洪水」が発生。押上の堤防も濁流で壊れた。集落の多くの家は浸水したが、
押し流されたりするようなことはなかった。住民らは前もって家財を天井裏に入れ、
馬を引いて高台に逃れていたこともあり、犠牲者は少なかったと伝えられている。

明治や大正時代にも堤防が決壊したが、高台にあったことや、避難の早さが功を奏し、
周辺地区より被害が少なかったとされる。

現在は上流にダムがあり、過去五十年間は大水害を免れている。
押上水神会は歴史を風化させないように、過去の洪水を伝える石碑を冊子で紹介したり、
石碑を清掃したりしている。

一方で長島さんは、近年増えているゲリラ豪雨への不安も指摘する。
今年九月十六日、台風18号で増水した鬼怒川を見て絶句した。
河川敷の大部分が濁流にのまれ、長島さんでさえも、
これほど増水した鬼怒川を見たことがなかった。

「最近は二〇〇ミリの予想が出る場合さえある」と長島さん。
今後も鬼怒川の様子を観察し、先人から学んだ水害への備えを伝えていくつもりだ。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20131113/images/PK2013111302100054_size0.jpg
2013年11月13日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20131113/CK2013111302000156.html
2やまとななしこ
地区の名前が物語ってるわな