1980年代から90年代前半にかけて、綱引きをはじめとする道内の各力自慢大会でその名をとどろかせたチームが町内にある。
腕力に自信のある20?30代(当時)のメンバーでつくる「陸別アドベンチャー」。“賞金荒らし”の異名を持った日本一寒い町の、
日本一熱い男たちの歴史を振り返る。
陸別アドベンチャーの始まりは三十数年前にJA陸別町の職員と酪農家有志が「話題づくりのために」と、オホーツク管内置戸町の
「人間ばん馬」に出場したのがきっかけ。その後、綱引きチームとなり、20?30代を中心に町内のさまざまな業種の男性が加わり、
ピーク時には40人を超えた。
第1回全道共済連綱引き大会(1983年)の初代チャンピオンをはじめ、各種綱引き大会や人間ばん馬、阿寒氷上ムカデ競走、
新十津川俵かつぎなど道内の各イベントで上位入賞し、陸別の名を一躍有名に。他の町のチームの目標となる存在となった。
イベントが多くあった冬は毎週のように大会に出場し、1シーズンで稼いだ賞金の最高額は175万円に上る。賞金は陸別町内の
飲食店でのどんちゃん騒ぎに消え、「賞金から足が出るほどだった」。
大会は全て真剣勝負。メンバーは毎晩仕事を終えた後、ランニングや筋トレなどアスリート並みの体力づくりに励んだ。当時の
メンバーの村本和弘さん(54)は「冬の練習では、寒い陸別でもTシャツから湯気が出ていた」と振り返る。
部室としていた旧陸別中学校には365日、人がいない日はなかったほど。練習に参加できない酪農家のメンバーは牛舎にロープ
を掛けて練習した。汗を流した後には必ず酒を飲み、笑い合った。
大会当日に会場で行われる練習では、コケたりつまずいてみせるなどして他チームを油断させるのが陸別アドベンチャー流。
見事な演技力も手伝い、数々の勝利をつかんできた。
「好きなことができるのは家族のおかげ」と、家族会も企画し、家族ぐるみの付き合いを築いてきた。ときには取っ組み合いのけんか
もしながら、絆を深めてきたメンバーたち。体力的な問題やイベントの減少を理由に大会に出場することはなくなったが、今でも酒を
酌み交わし旧交を温め続けている。メンバー最年長だった鈴木稔さん(73)は「これだけバカになれるチームはない」と懐かしむ。
リーダーだった西岡悦夫さん(64)=JA陸別町組合長=は「アドベンチャーの仲間は一番の宝。30年以上も一緒に酒が飲める仲間
がいるのは本当に幸せ」と話している。
ソース(十勝毎日新聞)
http://www.tokachi.co.jp/news/201307/20130720-0016180.php 写真=陸別アドベンチャーのメンバー。前列左から鈴木さん、西岡さん。後列左から村本さん、工藤哲男さん、三品博さん、石井達也さん
http://www.tokachi.co.jp/photograph/201307/THM20130720-0016180-0017345.jpg