【福島】キュウリ奉納し“無病息災”…須賀川の夏の風物詩、「きうり天王祭」

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1生徒もろきみ!φ ★
 毎年7月14日に行われている須賀川市の伝統行事「きうり天王祭宵祭り」は同日、同市の中心市街地周辺で催され、地域住民ら
大勢の参拝者でにぎわった。

 キュウリ2本を奉納し、1本を持ち帰って食べると1年間の無病息災がかなうという言い伝えがある伝統行事で、260年以上の歴史を
持つ地域住民による祭り。例年数万人規模の参拝者を集め、同市の夏の風物詩となっている。

 今年は日曜日の開催とあって大勢の地域住民らが詰め掛け、キュウリを奉納する御仮殿(おかりや)前には100メートル近い列が
できた。参拝者はキュウリを奉納すると、手を合わせて無病息災を願っていた。

ソース(Yahoo・福島民友新聞) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130715-00010005-minyu-l07
写真=2本のキュウリを奉納し無病息災を願う地域住民ら
http://amd.c.yimg.jp/amd/20130715-00010005-minyu-000-1-view.jpg
2やまとななしこ:2013/07/15(月) 14:17:48.79 ID:UAWrRpZT
男の子、かわいいw
3やまとななしこ:2013/07/15(月) 14:19:22.99 ID:0Rbx0Bpr
九里って何kmくらい?
4やまとななしこ:2013/07/15(月) 14:20:44.86 ID:22VnCG1O
大町の通りにある爺ちゃん家の前に的屋さんが店を出していて売り物を差し入れしてくれてたのを思い出した
5やまとななしこ:2013/07/15(月) 14:27:47.74 ID:0Rbx0Bpr
>>3
1里 = 3,927mくらいだそうだ。
健脚な人が一時間に歩ける距離に近いかも。
しかしそれを9時間も続けるのは、現代人には無理だろうな。
6やまとななしこ:2013/07/15(月) 14:29:10.46 ID:UAWrRpZT
>>5
駅から自宅まで5kmを酔っ払いでぐでんぐでんの俺が1時間20分で歩いた。
7やまとななしこ:2013/07/15(月) 14:52:55.87 ID:Orb8x84/
おちんこの象徴としてきゅうりを奉納
8やまとななしこ:2013/07/15(月) 15:06:03.48 ID:0Rbx0Bpr
キュウリの狐(きつね、キツネ)。注釈を括弧に入れて書いたよ。
9やまとななしこ:2013/07/15(月) 15:08:00.43 ID:P7ex++DB
あらあらまあまあ///
10やまとななしこ:2013/07/15(月) 15:08:49.18 ID:0Rbx0Bpr
>駅から自宅まで5km
おれんちのほうだと、隣駅まで行っちゃう距離だ。
11やまとななしこ:2013/07/15(月) 15:22:06.14 ID:0Rbx0Bpr
>>10
地図で確かめたら、最寄り駅から隣駅までの駅間が直線で700mだった。
5kmというと、どうしようもなく隣村だな。税金の制度が違うかもしれない。
12やまとななしこ:2013/07/15(月) 16:24:00.76 ID:3zYW0tEt
彡(゚)(゚)
13やまとななしこ
東日本大地震に引き続いて発生した福島第一原発の事故は、日本の歴史に巨大な爪痕を残した。当時、菅直人首相の下で官房副長官を務めていた
福山哲郎氏は、本書において当時の官邸の動きについての克明な記録を残している。これは、後々まで参照されることになる一級の資料となるで
あろう。政治家は過去ばかりでなく、未来にも責任を持つ。それでは、震災後の官邸は、未曽有の原発危機にどのように対応したのか。われわれ
国民が想定していた以上に、官邸は原発事故の深刻さに緊迫していた。最悪の事態へと発展すれば、東京にまで被害が及んでいただろう。3月11
日の深夜、「燃料被覆管破損」と「燃料溶融」、いわゆるメルトダウンに至る深刻な危機が発生した。張り詰めた空気の中、現場は直ちにベント
をして、爆発を避けるために圧力を逃がす決断をした。しかし、東電本店はそれを許可しない。菅首相は直接現地に赴き、吉田昌郎所長に指示を
出す形で、ベント実施へと動かしたかった。菅首相の現地視察が、仇となった。それだけではない。海水注入により冷却化を目指していた所長の
指示に対して、本店は官邸に配慮してなかなかその決断ができない。本書によって、官邸にいた東電元副社長の武黒一郎フェローが、その中断を
求めていたことが明らかとなる。現場が重要な決断を行いながら、本店が幾度となく壁となる。菅首相は、困難な状況で決死の対処を続ける現場
に厳しく指示を出し、責任を持って事故に対処するよう告げた。それはまさしく、政治主導であった。しかし同時に、現場は繰り返し「政治主導
の混乱」に苦しむ。官邸の外にいると、その実態がよく分からない。分からないまま、東電・保安院に対する批判が続いた。本書はそれに対する
有効な証拠となる。後の歴史は、いくつかの重要な決断を行った東電や当時の野党に対して、より正しい評価を与えるかもしれない。