【山形】「馬耕を通じて、人と動物が一緒に働く文化を継承していけたら」…「おしんの生家」前で農耕馬が力強く代かき、鶴岡・庄内映画村

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1生徒もろきみ!φ ★
 鶴岡市羽黒町川代の庄内映画村オープンセットで28日、農耕馬による代かき作業が行われた。中山町から移築し今シーズン
から公開されている「おしんの生家」の前の田んぼで、普段は同オープンセット内で乗馬体験などを行っている「幸」が力強く
「馬鍬(まくわ)」を引き、かつては庄内各地で行われていた伝統の農作業風景が再現された。

 幸は、庄内映画村の宇生雅明社長が2010年に購入した北海道産の雌4歳の農耕馬。地域で継承されてきた馬耕文化を再現・
継承していきたいと今春、馬耕体験がある遊佐町野沢の農業、佐藤仁吉さん(86)を会長に庄内農耕馬文化保存会を設立。
先月下旬には佐藤さんの指導で、遊佐小学校の学校田で初めて、田起こしと代かきに挑戦した。

 2回目となった今回は、オープンセットの農村エリア内に移築されたかやぶき屋根の「おしんの生家」前の水田約3アールで、
27日に田起こし。その後、田に水を入れ、28日に代かきを行った。

 幸は28日、最初は水が張られた田んぼに入るのを嫌がったが、普段からオープンセット内の乗馬体験などで手綱を握っている
本田司さん(62)がなだめると次第に落ち着き、水田に入った。本田さんが幸の後方で手綱を握りながら、串状の歯で土を
かきならす「馬鍬」や、筒が回転して雑草や肥料を泥中に沈める「ゴロ」(防草機)などを支え、幸と一緒に引いた。

 本田さんは「遊佐でやったときより慣れてきて、落ち着いてきた」と感想。昭和30年ごろまで馬耕を行っていたという佐藤さんは
「馬耕は田の深さが一定で、草や堆肥を土中に埋めて自然な肥料になるので、できる米の味も違うと思う。幸は農耕馬として十分、
間に合う(使える)。真っすぐ歩く練習をすればなお良い」と太鼓判を押した。

 宇生社長は「人と動物が一緒に働くようなことがなくなった。馬耕を通じて、そうした文化を継承していけたら」と話した。

ソース(全国郷土紙連合・荘内日報) http://www.kyodoshi.com/news/10032/
写真=「おしんの生家」(奥)をバックに、代かきを行う農耕馬「幸」と本田さん
http://www.kyodoshi.com/media/news/photo/shonai/2013/05/28/11a483bd45b20aaef80311ed29ade844.jpg
2やまとななしこ:2013/05/28(火) 20:49:37.90 ID:xuKJ3wDR
ヨシピコ〜
3やまとななしこ:2013/05/28(火) 20:59:28.11 ID:2lBvFwC9
残すべき農法。
公的補助が要る。
4やまとななしこ:2013/05/28(火) 21:12:13.94 ID:PMYgZ4vt
Ohすばらしい
5やまとななしこ:2013/05/28(火) 21:13:32.10 ID:wpKRDwwk
今後石油や鉱物資源が高騰すれば、戻らざるを得なくなる
6やまとななしこ
【京都】田植えから稲刈りまでを女性のみで行う伝統「女田(めだ)」復活

京都山間部の村で戦前まで続いていた伝統行事「女田(めだ)」が復活する。
女田は、「毎年祭神に供える米は、女衆のみによって作られた米を使うこと」という言い伝えによって
続いていた伝統行事で、1反ほどの小さな田を使い、田植えから稲刈りまでの一切を男子禁制で行う。
戦前まで続いていた伝統だが、戦後に自然消滅的になくなっていた。
「女衆は、田植え前に沢の神水で身を清め、腰巻1枚で田に入り、田植えの間は男子は田に近寄ることも
見ることもならない」という厳格な決まりがあったが、村長の大村重徳さん(65)は「女性のみで米を作るという
点を重視して、それを伝統として残していきたい」とし、今回は近隣の中学、高校から田植えに参加する
女生徒を募った。
通常の田植えの時期と重ならないよう、昨日25日に計23名の女生徒が参加し、田植えが行われた。
田植えの指導などで男性の姿もあり「男子禁制」とはいかなかったが、そろって水着姿になった女生徒たちは
神職の御祓いを受けたあと、神妙な面持ちで田んぼへ足を踏み入れた。

田植えは2時間ほどで終り、今後の管理は地元農家で行うが、収穫時には再び「男子禁制」で稲刈りを行う予定。
参加した、地元中学の戸森ふみかさん(14)は「水が冷たかったけど、神様に供えるお米を自分達が作るという
ことで身が引き締まりました。頑張りました」と微笑んでいた。

(写真)「女田」で田植えをする女生徒たち

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1336628583/