龍ヶ崎市で、今では珍しくなったリヤカーでの焼き芋行商を続けている男性がいる。
木枯らしが吹く時期になると龍ヶ崎を訪れ、桜が咲く頃に帰郷する青森県板柳町の川口光治さん(75)。
45年目となる今年もホクホクの焼き芋を求める客の声を支えに、深夜までリヤカーを引いて市内を
巡っている。
行商を始める前は土木作業の出稼ぎをしていた。
農繁期が終わると、青森に妻子を残して建設ラッシュに沸き立つ東京へ赴く生活を送っていた。
30歳の頃、行商で成功を収めたうわさを聞きつけ、約120人の焼き芋行商を束ねる親方の下で
この仕事を始めた。割り当てられた千葉県柏市で仲間とリヤカーを引いて2年目。
客から「地元の竜ヶ崎で焼き芋をやっている人はいないよ」と聞かされたことが転機となった。
「大好きな『竜』の名にひかれて行ってみたら親切な人ばかりだった。胸が高鳴り、ここだと思った」。
1966年に独立した。
すべてを手配してくれた親方の下とは勝手が違い、独立後は苦労の連続だった。特に良質な芋が
なかなか手に入らず、龍ヶ崎の農家をくまなく回る日々。
下校する児童に、青森に残した子どもの姿を重ね合わせて踏ん張り続け、軌道に乗るまで5年かかった。
今では第二の故郷になった龍ヶ崎に毎年10月半ば頃、訪れる。
まきで暖めた石を芋にかぶせる「昔ながらのやり方」で焼き上げた紅あずまを1キロ700円で販売。
「香り、甘み、ホクホク感の三つが焼き芋の命。でも、40年以上やっていても出来上がりは難しい」
と言って笑った。行商は坂道が少ない中心市街地のみだが、道のりは「いつも自分の勘頼りの風任せ」。
小気味良い鈴の音を響かせながら昼過ぎから深夜まで総重量約130キロのリヤカーを操る。
街を見続けて45年。近年、その移り変わりに寂しさも感じている。「たくさんあった家も少なくなり、
跡地にできるのは駐車場ばかり。畳んだ店も多くなり、仕事を始めた当初からのお得意さんも
亡くなった」。
かつては用意した芋80キロが完売するのは当たり前だったが、今は用意した30キロが売れ残ることも
度々。ファストフードなどおやつの多様化が追い打ちをかける。
行商は、糖尿病を患った影響で2日やれば、定宿にしている貸家で1日休むようになった。
体にはこたえるが、「先日の芋はおいしかったよ」「焼き芋屋さんのが一番だね」との客の言葉を支えに、
長年の重労働を物語る太く固くなった指に軍手をはめてリヤカーの取っ手を握りしめる。
「孫もできたこの年になっても仕事ができるなんて幸せ。龍ヶ崎に来て良かった。焼き芋を
求めてくれる人がいる限りリヤカーを引き続けたい」と川口さん。
今年も青森に戻る3月末まで頑張るつもりだ。
ソースは
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ibaraki/news/20100128-OYT8T00310.htm 「『おいしかった』という言葉が励みだね」と言って、40年以上使い続けるリヤカーを引く川口さん
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20100128-227534-1-L.jpg