全国唯一の遺構に「午砲」、高校生が復元
岡山市北区津島東の半田山にあった、明治時代から昭和初期にかけて
市民に空砲を撃って正午を知らせた「半田山午砲」が岡山理科大付属高
(岡山市北区理大町)の生徒らによって復元され、遺構の台の上に設置された。
同校によると、午砲は明治政府が近代的な国家をつくるため、時間を管理しようと各地に設置。
現在、午砲は国内に7か所にあったと確認されているが、設置していた台などの遺構があるのは半田山だけだという。
そのため、同校や岡山理科大の学生約50人が「歴史上の史跡を保存する第一歩となれば」と、
今年4月から午砲台跡に不法投棄された墓石や家電を処理するなどして、発掘調査を開始。
使われていた当時の新聞に掲載されていた1枚の写真をもとに、9月から幅1・6メートル、
長さ2・5メートルのレプリカを作製してきた。レプリカはアルミ製だが、当時は青銅製だったという。
保存を訴えてきた日笠俊男・岡山空襲資料センター代表は「忘れゆく歴史を語り継ぐ貴重な資料」と話していた。
同校によると、午砲は岡山に駐留していた陸軍第17師団が設置、1909〜29年に使われた。
現在の岡山県総合グラウンド付近から手旗信号で正午の合図を送り、空砲を撃っていたという。
◆画像:岡山理科大付属高の生徒たちが復元した午砲
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20091210-407783-1-L.jpg ■ソース:YOMIURI ONLINE (2009年12月10日16時08分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091210-OYT1T00896.htm