【食文化】『山里料理 優雅に変身』 寒さ走る「ぼたん鍋」 底冷えの都に ぬくもりの花−京都[2008/12/16]

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1依頼@芋の煮っ転がされφφφ ★
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盆地特有の蒸し暑さの夏、底冷えの冬。京都1200年の歴史は、住みにくさとの闘いでもあった。
せめて「食」だけは、涼味や温かさを実感できる機会にしたい。工夫はいまも続けられている。

そうした古都の冬の定番料理のひとつが、ぼたん鍋。烏丸上御霊前(からすまかみごりょうまえ)で
大正時代に創業した料亭「畑(はた)かく」は、「元祖ぼたん鍋」の誇りをかかげ、“山里料理だった
イノシシ鍋を上品な京料理に仕上げた。名庭をながめながらのぼたん鍋は、顔見世見物と並ぶ師走の
京都の楽しみになっている。

■山里料理 優雅に変身
上御霊(かみごりょう)神社と聞いて、正確な場所を思い浮かべることができれば、あなたは相当な京都通。
あの「応仁(おうにん)の乱」の最初の戦闘が行われたのは、ここだった。しかし、現在は都心から遠く、
人々の喧噪(けんそう)は届かない。京料理「畑(はた)かく」は住宅街の中に、ひっそりと建つ。

「1918(大正7)年、雲ケ畑(くもがはた、京都市北区)で旅館をやっていた祖父が、京の街に出てきて
開業したのが始まり。建物は、西陣の織元が持っていた町家だったといいます」

3代目主人の新造(しんぞう)一夫さん(52)が話すように、数寄屋風のたたずまいや、石を巧みに組み
合わせた坪庭は、古きよき京都の趣を感じさせる。

※以下を省略します。続きはソースをご覧ください。

■ソース
msn産経ニュース ( http://sankei.jp.msn.com/top.htm )[2008.12.16 14:33]
http://sankei.jp.msn.com/culture/arts/081216/art0812161434002-n2.htm

■関連情報
御霊神社(上御霊神社) http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/02/004/index.html
2やまとななしこ:2008/12/18(木) 10:35:50 ID:TYqJWh7Q
食ったことないけど綺麗な肉だな
3やまとななしこ:2008/12/18(木) 10:40:04 ID:MhNvSImG
素人が調理すると臭いけど、こういう店がちゃんと調理すれば美味い。
4やまとななしこ:2008/12/18(木) 11:04:49 ID:QNd8gXmj BE:432151294-2BP(13)
くさみも味のうちだと思うんだー。
ヒツジと同じ感じで。
5やまとななしこ:2008/12/18(木) 12:00:19 ID:GBQNc3Dw
昔、猪撃ちやってた叔父が言うには
死んだらすぐ内臓を抜けば、ほとんど臭みはでないそうな
6やまとななしこ:2008/12/18(木) 12:03:22 ID:yqJFBKsT
政治と経済と文化と居住空間が一地域に集中するから問題なんだな
東京好きだけど首都機能移転は考えたほうがいい
平安時代ならいざ知らず、移動や通信手段もちゃんとあるんだからさ

まあどこに遣るかというとそれが問題なんだが……
兵庫県だけはやめといたほうがいいか
7やまとななしこ:2008/12/18(木) 13:10:58 ID:q+o4JEUg
山ちゃんが作った料理。
8やまとななしこ
”山里料理”がアイドルの名前に見えた。末期だな。