【幻の味】古代米のワラ使い、“伝説”の「大屋納豆」復活 /秋田・横手

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1OH!! グレートセントーラルー!!φ ★

「納豆発祥の地」との言い伝えが残る横手市で、一度途絶えた幻の「大屋納豆」。しゅうとめから嫁に
脈々と伝えられてきた地域の味を、おばあちゃんたちのアドバイスをもらい同市大屋地区の住民が
よみがえらせた。地元の祭りなどで納豆汁として振る舞うほか、特産品として販売に乗り出す計画もある。

納豆が名産の茨城県水戸市など「納豆発祥の地」を名乗る地域は全国にあるが、平安時代、横手市
金沢地区が最後の戦場となった「後三年の役」(1083〜87年)で、源義家軍に届けた煮豆が、
包んでいた稲ワラの中で発酵したのが有力説の一つ。大屋地区は、当時、大豆の産地だったという。

大屋地区で納豆作りが盛んになったのは大正から昭和初期。最盛期には、同地区に住む農家73軒
のうち70軒が作っていたとの記録が残る。

大屋納豆は、いった大豆を石臼でひき割りにし、6時間煮込んだ後、ワラに包んで40度ほどに保ち
二晩発酵。ワラに付いている納豆菌で自然発酵させることで、納豆の風味が際立った。戦後、農薬の
使用が普及すると、ワラの納豆菌が死滅し、1950年頃には納豆を生産する農家が半減、70年代に
なると大豆を煮る薫りは地域から消えた。

地域のお年寄りにとって、朝食の定番だった大屋納豆。「作り方を知る人がいるうちに復活させたい」と、
今年5月、元高校教諭の戸田義昭さん(66)ら地域住民が「大屋納豆再生実行委員会」を結成。80代の
おばあちゃんたちのアドバイスをもらいながら、試作を繰り返した。

農薬を使わず育てた古代米のワラを用意し、地元横手産の大豆を調達した。今は姿を消した発酵用の
室の代わりに、発泡スチロールの箱の中で寝かせることにした。
ワラの中で納豆が乾いてしまうなどの失敗例もあったが、10月に、かつての味を再現させることに
成功した。

かつて大屋納豆を作っていた横手市大屋新町の笹山チヤさん(81)は、「今、作り方を若い人たちに
伝えなければ、地域の名物が途絶えてしまう」と言い、地域の味を伝授した一人だ。
笹山さんが60年前に嫁いだ農家は、長年、大屋納豆を作っていた。しゅうとめを倣って、納豆作りを
覚えた。出来上がった納豆をかごに入れ、しゅうとめが朝早く行商に出かける姿を思い出す。
25年ほど納豆作りを続けたが、農薬を使うようになり、笹山さんの家では1975年頃に断念した。

復活した大屋納豆を口にした笹山さんは「しっかりとした味で香りもいい。当時が思い出される」と
懐かしそうに味わった。

実行委は、復活させた大屋納豆を代々伝えていくため、作り方を記録したDVDを作成する。
笹山さんは「細々とでも、若い人の手で地域の大切な味を守ってほしい」と期待を込める。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/akita/news/20081124-OYT8T00669.htm
読売新聞 (http://www.yomiuri.co.jp/index.htm)2008年11月25日

地域住民の手でよみがえった、幻の「大屋納豆」。大豆を古代米のワラで包み自然発酵させる
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20081124-5434489-1-L.jpg
2やまとななしこ:2008/11/26(水) 15:32:52 ID:1FyWtanF

古代米と言うことは朝鮮の米と言うことですね。
3(,,゚д゚)さん 頭スカスカ:2008/11/26(水) 22:58:20 ID:h7IXIjPi
元はred riceとよばれて稲田の厄介者として嫌われてた雑草
4やまとななしこ:2008/11/26(水) 23:07:24 ID:PmeWIW5E
秋田の納豆って佐竹が持ち込んだんじゃなかった?
けっこううさんくさい伝説あるよな、たくさん。
5やまとななしこ:2008/11/26(水) 23:53:21 ID:R0GQOMO0
納豆発祥前の古代米の藁を使うんでは伝統回帰でもなんでもないんじゃありませんか?
6やまとななしこ:2008/11/27(木) 00:12:35 ID:am8XNnR1
古代米のカップリングで森雪米ってのがあるらしい(ウソ
7やまとななしこ
>>2
さっさと朝鮮半島へ帰りなさいヒトモドキ