【食事】慶大150年で「諭吉ランチ」 料理エピソード紹介も
1 :
びらぼんφ ★:
2 :
やまとななしこ:2008/04/20(日) 23:09:18 ID:2M7VbYsI
ランチは一律1万円となります
3 :
やまとななしこ:2008/04/20(日) 23:09:27 ID:0snx0dLQ
値段は壱万円ってか
4 :
やまとななしこ:2008/04/20(日) 23:11:24 ID:ax5pTBvQ
かつて諭吉が唱導せし東亜隣国への蔑視・敵対感情・侵略主義は今ブーメラン
のごとくに日本に向けられている。亜細亜隣国を徒に憎悪せしめたるは犯罪と
謂ふべき。
5 :
やまとななしこ:2008/04/20(日) 23:12:13 ID:G98ppilD
陸の王者けいお〜
けいお〜、けいお〜、けいお〜
■
6 :
やまとななしこ:2008/04/20(日) 23:12:17 ID:CENJK7a2
そんなもんより脱亜論グッズを売り出した方が金になる悪寒w
7 :
やまとななしこ:2008/04/20(日) 23:13:46 ID:4e2JotDB
諭吉の意志を
ぜんぜん引き継いでない
KOには意味がない
8 :
やまとななしこ:2008/04/20(日) 23:17:13 ID:M7ocICj4
福 沢 諭 吉 「 脱亜論 」(明治18年) 1885年
日本の不幸は中国と朝鮮である。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、
もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、
過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
「東アジア共同体」の一員として、その繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
日本は、大陸や半島との関係を絶ち、 欧米と共に進まなければならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである 。
9 :
やまとななしこ:2008/04/20(日) 23:21:38 ID:CENJK7a2
誰か上の脱亜論で「スター・ウォーズ」のタイトルロールみたいなの作ってくれ!
10 :
やまとななしこ:2008/04/20(日) 23:23:23 ID:BEnX4am5
KOは売国早稲田との違いを見せてほしいんだが
11 :
やまとななしこ:2008/04/20(日) 23:25:57 ID:7iZdH1M1
人は人の上に人をつくらず
中国共産党と同じ、建学の精神に反してる
12 :
やまとななしこ:2008/04/20(日) 23:28:32 ID:sVgcNOJh
大隈ランチのパクりだろう!
ふざけやがって。
13 :
やまとななしこ:2008/04/20(日) 23:30:02 ID:BEnX4am5
14 :
やまとななしこ:2008/04/20(日) 23:37:05 ID:CKQdtiQ3
慶応の学生はいけすかん
15 :
やまとななしこ:2008/04/21(月) 00:07:36 ID:oebX7oyC
慶応大学はAV嬢・ポルノ女優のメッカだからな。近藤絢香グッズ、藤倉れいみ
グッズ、などはおおいに売れるぞ。年配者には筑波久子グッズが懐かしくて
いいかも。
16 :
やまとななしこ:2008/04/21(月) 00:18:58 ID:rO/VDaW3
今じゃ福沢諭吉の精神なんてかけら程度にしか残ってなさそうだけどな
17 :
やまとななしこ:2008/04/21(月) 00:27:47 ID:oebX7oyC
日本の対米追随の大きな源流のひとつに福沢諭吉の思想あり。
これにより慶応からはアメリカの走狗・売国奴が多数輩出することになる。
18 :
やまとななしこ:2008/04/21(月) 00:58:26 ID:jnTWN6xR
『 脱 亜 論 』
(福沢諭吉・1885年3月16日「時事新報」より現代語訳の要約)
日本の不幸は中国と朝鮮である。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、
もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、 日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、
過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待し てはならない。
「東アジア共同体」の一員として その繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
日本は、大陸や半島との関係を絶ち、 欧米と共に進まなければならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。
19 :
やまとななしこ:2008/04/21(月) 00:59:48 ID:jnTWN6xR
福沢は韓国にも、日本のように近代化してもらおうと、慶應義塾に
韓国からの留学生を受け入れて韓国の人材を育てるのに貢献した人なんだが・・・
明治14年、朝鮮の青年約60人が慶応義塾にきた。しかし彼らは遊んでばかりで
ついには大学の金庫を荒らし、福沢諭吉を怒らせた。諭吉の「隣国の開明を待つ
猶予あるべからず」という脱亜論は、この留学生の姿を見て書かれたもので、
そこにははっきりと失望が読み取れる。
20 :
やまとななしこ:2008/04/21(月) 03:22:28 ID:oebX7oyC
諭吉君の小人的狭量を排す
不肖の亜細亜同胞を徒に排斥することなく大國日夲として是れを援け導くの
氣概と教育感化の心を持ち給へ
21 :
やまとななしこ:2008/04/21(月) 04:58:00 ID:jnTWN6xR
『 脱 亜 論 』
(福沢諭吉・1885年3月16日「時事新報」より現代語訳の要約)
日本の不幸は中国と朝鮮である。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、
もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、 日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、
過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
「東アジア共同体」の一員として その繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
今も変わってないぞ
流石、壱万円札だな(´・ω・)y─┛~~
22 :
やまとななしこ:2008/04/21(月) 10:33:57 ID:hBCLav1B
>>16 せいぜい
影で妾・愛人をすることだけ
特に医学看護部出身者はやってるね
不倫めちゃおおいよ
23 :
やまとななしこ :2008/04/21(月) 21:26:58 ID:rBTt9S0r
諭吉の慧眼には恐れ入る
24 :
やまとななしこ:2008/04/21(月) 22:09:53 ID:09tr2e8r
門閥は親の仇でござると諭吉 しかし新たなる門閥の上で甘い汁を貪る腹黒い慶応社中
25 :
やまとななしこ:2008/04/21(月) 22:13:40 ID:09tr2e8r
諭吉の脱亜入欧なるものは、朝鮮支配の謀略が破れた悔し紛れの論に他なら
ず。盗人の捨て台詞に等しいと謂ふべき。
26 :
やまとななしこ:2008/04/21(月) 22:19:22 ID:09tr2e8r
ぶどう畑で、たわわに実ったおいしそうなぶどうをキツネが見つけた。食べようとして
跳び上がるが、ぶどうの房はみな高い所にあり、届かない。何度跳躍してもついに
届かず、キツネは怒りと悔しさで、「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。
誰が食べてやるものか」と捨て台詞を残して去ってゆく。
27 :
やまとななしこ:
http://www.aozora.gr.jp/cards/souseki/htmlfiles/mankan.html 夏目漱石『満韓ところどころ』より、
<人力は日本人の発明したものであるけれども、引子(ひきこ)が支那人もしくは
朝鮮人である間はけっして油断してはいけない。彼等はどうせ他(ひと)の
拵(こしら)えたものだという料簡(りょうけん)で、毫(ごう)も人力に対して
尊敬を払わない引き方をする。海城(かいじょう)というところで高麗(こま)の
古跡(こせき)を見に行った時なぞは、尻が蒲団(ふとん)の上に落ちつく暇がないほど
揺れた。一尺ばかり跳(は)ね上げられる事は、一丁の間に一度は必ずあった。
しまいに朝鮮人の頭をこきんと張つけてやりたくなったくらい残酷に取扱われた。
奉天の道路は海城ほど凸凹(でこぼこ)にでき上っていないから、むやみに車の上で
踊をおどる苦痛はないが、その引き方のいかにも無技巧で、ただ見境(みさかい)なく
走(か)けさえすれば車夫の能事(のうじ)畢(おわ)ると心得ている点に至っては、
全く朝鮮流である。余は車に揺られながら、乗客(じょうかく)の神経に相応の注意を
払わない車夫は、いかによく走(か)けたって、ついに成功しない車夫だと考えた。>