「八十八カ所参りのおへんろさん、お上がりください」。
県道沿いに、こんな張り紙と一緒にミカンを入れたかごが置かれている。
南昌子さん(74)が、八年前から続けているお接待だ。ミカンの収穫が始まる九月から
半年間、毎日振る舞っている。接待には、ミカン農家だった夫昭さん=二〇〇〇年死去、
当時(69)=の供養と遍路の無事を願う思いがこめられている。
四国霊場二十番札所・鶴林寺へ向かう途中にある南さん宅の駐車場。
ミカンを手にしたお遍路さんと昌子さんが言葉を交わしている。かごに盛られたミカンは
二十個余り。歩き遍路が増える早春には、一日に三回もミカンを入れ足すこともある。
四年前からは、氏名や「ありがとう」「おいしかった」と記された納札が置かれだしたという。
手元に残された白や赤、銀色の納札は五十枚にもなった。
(※中略。)
専業主婦で、箱詰めぐらいしか知らなかった昌子さん。本格的に手伝い始めたものの、
草むしり、消毒、収穫、選別と慣れない作業が続いた。収穫時期になると、ミカンを待つ
全国の五十軒を超える得意先などに出荷しなければならない。十キロ、二十キロの
ミカン箱を運ぶうち、椎(つい)間(かん)板(ばん)ヘルニアを患った。それでも、こわごわ
作業をした。「ミカン栽培の年間工程を覚えなければ」との思いが強かったという。
昭さんの死後、六十アールあった畑を二十アールまで減らした。
一人で栽培できる範囲にしたかった。
畑の斜面に並べた空のコンテナに収穫したミカンを入れ、満杯になった順に斜面を
滑らせる。畑に立つと「気持ちがしゃんとした」。
やがて一人でミカン作りをするという気概が生まれた。お接待は昭さんが亡くなった
年から始めた。
「ミカンの味は夫に近いと思うけど、夫のは表面に傷や汚れがなかったね」
そんな話を耳にしながら、差し出されたミカンをほおばった。
甘酸っぱい「昌子さんのミカン」。
「お遍路さんが喜んでくれている味を守り続けたい」との思いが伝わってきた。
(※一部省略して引用しました。)
徳島新聞社 08/02/14
http://www.topics.or.jp/contents.html?m1=2&m2=&NB=CORENEWS&GI=Kennai&G=&ns=news_120295389342&v=&vm=1 ▽画像
お遍路さんに振る舞うミカンを置く南さん
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