子から父へ、命のたすきがつながった。22日に第94期生として「日本競輪学校」(静岡・伊豆市)に
入学する片折(かたおり)勇輝さん(23)=埼玉=は、父親に肝臓移植した後に同学校に
合格したつわものだ。勇輝さんは末期の肝細胞がんに侵され、医師から余命半年と
宣告されていた父で競輪選手・雷太さん(47)のドナー(臓器提供者)となり、2004年12月に
肝臓移植。結果、父は奇跡の復活を成し遂げた。3度目のチャレンジで競輪選手への
道を切り開いた勇輝さんは、父と同じフィールドで活躍を誓った。
即決。迷いはなかった。父が助かるには、肝臓を移植するしかない。最愛の父が
生きていられる時間は、わずか半年。他人からの脳死移植を待っている余裕はなかった。
「今の自分があるのは父がいたから。僕の肝臓で助けることができるなら」勇輝さんは、
ドナーになることを申し出た。
「息子に肝臓をくれなんて言えない。それなのに勇輝は…」と雷太さんは目を潤ませた。
しかし、喜びと同時に「息子の人生、本当にいいのかと」と悩んだことも事実だった。
手術は2004年12月22日、都内の大学病院で約20時間かけて行われた。勇輝さんの
肝臓の3分の2が切り取られた。費用は約1000万円。今となっては笑って話せるが、
勇輝さんは医師から「競輪選手になることはあきらめた方がいい。それと、2人分の
葬式はやりたくないから」と言われた。医師としては当然、危険性を説いてのことだが
「移植を申し出たのは僕だけど、不安になった」と振り返った。
手術翌日、起き上がろうとしても、痛みで起き上がれない。思った以上のダメージに
あぜんとした。入院は1か月。3か月後には、運動を再開。もちろんドクターストップは
かかっていたが、「どうしても競輪選手になりたいから」と無理をした。
祖父は日本自転車競技連盟会長を務めた故・片折行(あきら)さん。そして父は、最高峰の
グレードレースでも活躍していた。もの心がついたころから、競輪選手になりたかった。
医師にあきらめろと言われても、納得できなかった。
(続きは
>>2で)
スポーツ報知07年5月21日
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20070521-OHT1T00086.htm 画像(22日に競輪学校に入学する片折勇輝さん(左)。父・雷太さんに肝臓移植を行った後も
競輪選手の夢をあきらめなかった)
http://hochi.yomiuri.co.jp/photo/20070521-316272-1-N.jpg (
>>1からの続き)
腹筋運動をしていて傷口が開いてしまったこともあった。手術時、66キロだった体重。
しかし体力をつけるために、食事の回数を3食から4、5食に増やしたり、ご飯を1膳(ぜん)から
2膳にした。プロテインなどのサプリメントも摂取し、体重は77キロまで増えた。
雷太さんは翌年2月に退院したが、10月に胆管閉塞(へいそく)になり、再手術を受けた。
その後は順調で昨年7月から現場に復帰。最近では13日に終わった松戸競輪で元気な姿を
見せた。
勇輝さんは今年2月、念願の競輪学校に合格。夢への第一歩を踏み出した。
「父のドナーとなって良かったと思っています。今まで以上に必死に練習をできるようになった。
僕がダメになったら、父がかわいそうだから。ハンデとも思わない」。そして「生体肝移植で
注目されるのは嫌。競輪選手として取材されたい」と苦しい胸の内を吐露した。
おなかに残る縦15センチ、横33センチの手術痕。見て触るたびに「これが僕と父との
絆(きずな)なんだな」。デビューは、来年7月の予定だ。