世間はあわただしい。だから、ネコがのんびりと寝ていられるような宿がいい――。
福岡県久留米市で、交通事故で死の淵(ふち)をさまよった野良猫が、鳥栖市の
「街の宿 小松荘」の3代目、松雪幸雄(さち・お)さん(36)に助けられ、今秋で10年を
迎える。名前は「千乃(ち・の)」。人間で言うと50代後半の定年間近の年齢だが、
宿では「接客主任」を務め、客たちの人気者だ。
(佐藤彰)
96年夏、松雪さんは自宅のある久留米市日吉町付近で、朝晩、母子とみられる白い
野良猫3匹を見かけるようになった。子供のころからネコ好きだったため、その都度、
コンビニで缶詰のキャットフードを買っては与え続けた。
しかし、その年の10月初め、子猫の1匹が自動車にひかれ、道路脇の排水溝で発見
された。松雪さんは瀕死(ひん・し)のネコを車の助手席に乗せ、タウンページをめくり
ながら市内の動物病院を回った。だが、深夜だったため、なかなか受け入れ先が
見つからなかった。
ネコの意識は少しずつ遠くなっていたが、声を掛けるたびに体を動かした。1時間余り
ハンドルを握り、1軒の動物病院が診てくれることになった。「できる限りのことはします」。
獣医師の診断は当初、厳しかったが、幸いにもネコの体力が回復し、翌朝、「なんとか
手術ができそうだ」と伝えてきた。
下半身骨折で、約1週間入院した。松雪さんがネコを迎えにいくと、獣医師は「費用は
半分でいいよ」と言ってくれた。以来、ネコは宿で暮らしている。
傷害が残り、歩き方はおぼつかないが、冬場は日の当たる廊下に寝転がり、日が傾くと
フロントの電気ストーブの前にやって来る。毛が茶色く焼け焦げるのにも気づかず、毎冬、
白と茶の「虎猫」に変身する。生まれつき左目が見えず、事故にも遭ったため、外に
出るのを嫌うが、性格はおとなしく、人見知りもしない。
今年8月、宿を和風に改装してから、和紙で作った2階の畳廊下がお気に入りの
「指定席」となった。客室に向かうエレベーターの扉が開くと、「あら、ネコよ」と、吹き抜けの
1階まで客たちの声が響く。1年に1、2回、「気味が悪い」という苦情も寄せられるが、
「ネコに癒やされました」「かわいらしい」という感想が圧倒的に多いという。
家から捨てられ、処分の対象となった犬猫の里親探しなどをしている福岡市の
NPO法人、福岡どうぶつ会議所の島田隆一理事長は「犬猫は長年、人に飼われて
生き続けてきた。小松荘のネコのように人と触れ合いながら命を全うすることは、ネコに
とってはとても幸せな生涯です」と話す。
松雪さんは「仕事でへこんだり、悩んだりしたとき、千乃がにじり寄り、そばにいてくれる。
人の心の動きに敏感で、何度も慰められました。いつまでも元気で、長生きしてほしい」と
願っている。
asahi.com:マイタウン佐賀
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