5月5日は「端午の節句」。子どもの健やかな成長を祝う日です。この時期になると、子どもの頃
ちまきや柏餅を食べたのを思い出します。ところが、関東の友人は「柏餅は食べたけど、ちまきって何?」
と言います。一方、関西の友人は「ちまきは給食にも出てた」だって。地域によって、違いがあるのかな?
「ち〜ま〜き〜たべたべ」の歌詞がある童謡「せいくらべ」。作詞した海野厚(うんの・あつし)の母校、
静岡市立西豊田小学校の6年生にきいてみた。
「端午の節句に何食べる?」。結果は、柏餅が141人、ちまきが49人。柏餅が圧倒的なんだね。
「関東は柏餅がほとんど。関西では両方食べる家庭も多いようです」と、サントリー次世代研究所の
狭間さん。
研究所の90〜91年の調査では、大阪の28家族のうち柏餅が16、ちまきが8。東京は21家族のうち
柏餅が8で、ちまきは0。01〜02年の調査でも、大阪の8家族中、柏餅6、ちまき4に対し、東京は7家族中、
柏餅は4、ちまきはやっぱり0だった。
でも、なぜ?
「誕生の由来がちがうからでは」。大阪ガスのエネルギー・文化研究所で食文化を研究する山下さんが教えてくれた。
ちまきは今から2千年以上も昔の中国で生まれた。川に身を投げて亡くなった屈原(くつげん)という詩人を
供養するため、命日の5月5日に、コメを入れた竹筒を川に流したのが始まりだとか。
それが風習として日本に伝わった。奈良、平安時代にはあったらしく、宮中など、当時の都があった
近畿を中心に広まったみたい。
「ちまき」という名前は、茅(ちがや)の葉っぱで巻いた(茅巻き)からとも、千回巻いた(千巻き)からとも。
一方の柏餅は「江戸っ子」だ。柏の葉っぱは、新しい芽が出るまで古い葉が落ちないとされ、江戸時代、
「家系が途切れない」と縁起をかついだ武士たちを中心に広まったらしい。
江戸後期の本「守貞漫稿(もりさだまんこう)」によると、京都や大阪では男児が生まれて最初の年はちまきで、
2年目から柏餅。江戸は初めから柏餅だった。「柏餅におされながらも、関西では昔ながらのちまきを大切に
したんですね」と山下さん。
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