◇三宅帰島1年、パンがつなぐ島民のきずな
伊豆諸島・三宅島(東京都三宅村)は1日、全島民への避難指示が解除されてから1年を迎えた。
昨年10月の国勢調査によると、帰島したのは、2000年9月の全島避難当初のほぼ3分の2にあたる
2439人。しかし、火山ガスの放出はいまなお続いており、ガスの高濃度地区に自宅がある人や、
体の不自由なお年寄りなど、帰島を果たせない島民も多い。
そんな中、島でただ一軒のパン屋を営む築穴(つくあな)さんは、「島民のために」と、きょうもパンを焼く。
築穴さんは普段通り、午前3時すぎに起床。妻と父母、親類も加わって6人で作業を始めた。
この日は364個の菓子パンと、23本の食パン。焼き上がったパンを仕分けし、妻が10時から、
島内の食料品店などを配達のため回った。
「父から継いだ島のパン屋を、必ず再開する」。そんな強い決意を胸に、2000年9月からの
避難生活を乗り切ってきた。一時はクモの巣が張り、カビの生えた工場をこつこつと補修し、
使えなくなった機材を新たにそろえて、再開したのは昨年2月28日。パン作りの勘が徐々に
戻ってくるのに合わせるかのように、注文は増えていった。
「うちも始めたから、また以前みたいに卸してくれよ」。初めは3軒だった配達先が、1軒、
また1軒と増えていく。新学期が近づくと島にも子どもの姿が見られるようになり、
学校給食用のパンづくりも始まった。
小麦粉と塩と砂糖。添加物を使わない、昔ながらのシンプルなパン作りが、築穴さんのこだわりだ。
夏に帰省した人々が“三宅のパン”を懐かしみ、注文が1000個近くまではねあがった日もあった。
「まだ帰島できない友人たちにも食べさせてあげたい」。10個もまとめ買いした客のことを、
あわてて追加注文してきた商店から聞いた。
「私のパンは、島の外にも渡っているんだなあ」。帰島した人、できない人、それぞれの島への思いが、
このパンの人気につながっていると思う。そして、「足元を見つめ、地道にやっていきたい」と力を込めた。
(続きます)
ソース(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060201i407.htm 関連スレ
【東京】三宅島復興へ村が二輪レース構想 提案は石原都知事[060128]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/femnewsplus/1138456819/ (
>>1続き)
◆村制50周年の日、復興へ誓い◆
帰島1周年の記念式典が1日、同村の三宅中体育館で開かれた。
式典の冒頭、平野祐康村長が、「4年5か月に及ぶ全島避難という困難を乗り越え、
この日を迎えられることに大変感激しております」とあいさつ。
この日は村制50周年の記念日にもあたることから、過去50年間に島を見舞った
3度の噴火と復興の歴史を振り返り、「超高齢化の島で、若者対策など課題はありますが、
地に足をつけた復興を着実に進めていきたい」と語った。
式典では、避難生活中の島民支援に携わった人々に感謝状が手渡された後、村の50年の
歩みを振り返るスライド上映も行われ、集まった島民たちは、昔の風景を懐かしみながら、
島の将来に思いをはせた。
高濃度地区の自宅に戻れぬまま、村営住宅で暮らす吉田さんは、「あっという間の1年でした。
これからの見通しはつかないけれど、ここには知り合いが多いので、精神的に落ち着きます」と話していた。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060201i407.htm?from=main4