バレーボールを核にしたまちおこし熱が高まっている貝塚市で、老舗和菓子店が「バレー
ボールもなか」を発売、地元で話題になっている。
かつて同市は日紡貝塚(のちのユニチカ)がチーム本拠地としたが、ユニチカ貝塚工場が
撤退。熱が冷めかけていたものの、「バレーのまち」復権への一助にと、商品化した。
和菓子店の社長は「東京五輪の時、先代が商標登録だけしており、モノになるまで約40年
かかった“親子時間差”商品。もなかで、まちおこしの機運をさらに盛り上げたい」と張り切っ
ている。
バレーもなかを作ったのは、今年で創業100年の林宝泉堂(貝塚市海塚)の3代目、
林孝信社長(48)。
2004年にアテネ五輪への出場を決めた全日本女子チームは、日本バレーボール協会が
同市内に設置したトレーニングセンターで練習を重ねた。市体育協会の関係者から「せっかく
貝塚も盛り上がっている。バレーのまちをもっとアピールできる商品を作れないか」と打診され
たのがきっかけだった。
林さんは、東京五輪の1964年、先代の周蔵さん(85)が商標登録したままになっていた
「バレーボール」を思い出し、商品化を決意。もなかの薄皮を直径約3・5センチのボール形に
焼く金型や、ボールの絵を印刷した包装紙を発注し、わずか2か月で完成させた。
バレーもなかは添加物を使わない昔ながらの製法で、あんは砂糖と小豆、薄皮はもち米
だけで作り上げた。9個1000円。
バレー関係者を通じて評判が広まり、将来の五輪選手候補としてトレーニングセンターで
合宿中の女子中学生の保護者をはじめ、全国から注文が来るようになったという。
今は体調を崩している周蔵さんも、バレーもなかの完成時には神棚に上げて喜んだといい、
林社長は「親子2代の思いを込めたもなかを食べた選手が、北京五輪で活躍してくれるのが
夢」と話している。(後略)
YOMIURI ONLINE(2006年1月25日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news001.htm ピンポン玉サイズの「バレーボールもなか」に、まちおこしの大きな夢を込める林社長
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