「本当に久しぶりの団欒(だんらん)ですね」。
那須塩原市の菊地邦夫さん(63)の家に、父親の信衛(のぶえ)さんの遺骨が60年の時を経て戻った。
旧日本兵だった信衛さんは1946年、旧ソ連に抑留されている間に亡くなった。
「満州からの引き揚げ船の中で、転んだ私を優しく起こしてくれた」。
邦夫さんは信衛さんについてそう振り返る。
遺骨が戻った11月28日。邦夫さんと同居する母親のフジさん(92)は、
夫との再会にただ「おかえりなさい」と言うのが精いっぱいだったという。
「優しい人で、7年間一緒に暮らして1回も怒られなかった」と言うと、フジさんは少し笑った。
「上手に出来たね」と料理を誉(ほ)められたことが忘れられない思い出だ。
菊地さん一家は1939年に満州に渡った。信衛さんの仕事は電器店の経理職。
一家の暮らしぶりは良かったが、1945年に戦況悪化を受けて日本へ引き揚げた。
その後、信衛さんだけが、仕事の残務整理や家財道具の持ち帰りのために再び満州に渡り、そこで徴兵された。
これからは『チイチイパッパ』やってくれ」。
単身で満州に戻る際、信衛さんは、「雀の学校」の歌詞の一節を引用して、フジさんに小学校教師に戻るよう勧めた。
「ある程度、戻れないという覚悟はしていたのかも」。
フジさんは信衛さんの言葉通り教師になり、女手一つで子ども3人を育てた。
「少しでも長く一緒の家に」と、邦夫さんは、納骨の時期を来年3月末にしようと考えている。
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