【話題】黒田清子さんが、皇居・御所に「里帰り」

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27恐るべき日本史のカラクリ
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維新の立役者たちの正体(上) -米英に操られた幕末の日本-
(一)司馬史観の正体
(二)生麦事件はイキリスの謀略
(三)ジョン万次郎は米国の工作員
(四)坂本龍馬と勝海舟の正体
..... イギリスと薩長の間には早くから提携関係が生じてをり、文久三年(一八六三)に起きた薩英戦争での奇怪な動きは、既に記した通りである。
 この年、長州藩も下関で外国船を砲撃し、翌年八月に英米仏蘭の四国連合艦隊による報復砲撃を受けた。こゝで注意すべきは、
主力のイギリス軍と長州が交戦してゐないといふ事実である。
 戦闘は、米仏蘭と長州藩内の本物の攘夷派の間で行はれ、藩内の親イギリス派は事前に連絡を受けて戦闘に加はらないやうにしてゐたのである。
 かうして勢カを温存した親イギリス派は主導権を握り、倒幕へと邁進して行つたのである。 .....
(五)明治憲法制定に関与したロスチャイルド
..... 幕末に来日したイギリスの外交官アーネスト・サトウの日記も、その交友関係の詳細部分は殆ど削除され、
公開されてゐない。これに加へ、重大な秘密交渉の部分も大量に削られてゐる。
 サトウは幕末の日本で暗躍したが、日系人ではなくウェールズ出身のイギリス人である。
 百年以上も前の文書が未だに公開出来ないといふのだから、幕末の闇は相当に深いものがある。
.....
 「伊藤博文らは、十九年後の一八八二年に明治憲法法を作るために再びイギリスに渡り、ロスチャイルド家の世話になつてゐる。
 ロスチャイルド家が、当時の世界中を管理していた。そこが世界の最高指令部(ヘッド・クォーター)だつたのである。
 ロスチャイルド金融財閥にしてみれば、極東の新興国である日本の場合は、どの者たちを抑えておけば上手に管理できるか、
"上からの目"ですべて見透かしていたのである。
 ロスチャイルドは、『日本のような後進国にはイギリスの最先進国の政治体制(コンスティチューション)は似合わない』として、
ブロイセン(プロシア)ぐらいが丁度良いだろうと判断して、プロイセンから来ていた意法学者のグナイストやシュタインを紹介した。
 このグナイストに家庭教師をしてもらつて作つたのが明治憲法である」
 グナイストやシュタインはユダヤ系であり、同じ系統のロスチャイルド家が彼らを紹介したといふのは有り得る話である。
 伊藤博文らが一八八二年に渡欧した際、ロスチャイルド家の世話になったといふ記録は残されてゐないが、文久三年
(一八六三)にイギリスに密航した時既にロスチャイルドのコントロール下にあつたと思はれ、一八八二年の時点では未だ
グラバーもに健在だつたから、予(あらかじ)め話はつけてあったのだろう。
 副島氏の視点は従来見られなかつたもので、本質に肉迫してゐるが、未だ半分しか真実が語られてゐない。
フリーメーソンが暗躍したといふ事実が抜け落ちてをり、次稿でこの問題を論じることにする。