「少しでも早く」。墜落事故で父を失った兵庫県豊岡市の歯科医河原忍さん(56)は、今年4月のJR福知山
線脱線事故で、遺体安置所に急いだ。遺体の歯型から身元確認にあたった。
振り返れば20年前も、同じ気持ちだった。歯科医の父、道夫さん(当時64歳)は東京出張の帰りに羽田発
大阪行き日航123便に乗り合わせた。「自分の手で一刻も早く見つけたい」。御巣鷹の尾根から約50キロ離
れた群馬県藤岡市に駆け付けた。地元の歯科医の勧めで、事故2日後には白衣姿で身元確認に加わった。
2週間にわたって遺体安置所に通ったが、父の遺体確認はできなかった。何とか見つかったのは左腕と頭皮。
遺品は、焼け焦げた革靴、壊れた腕時計だけ。何の力にもなれなかったとの思いから、宿泊所の風呂で泣いた。
「おやじ、ごめん」
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しかし、ここでの経験は、歯科医としてのその後に影響を与えた。群馬県の医師や歯科医でつくる「警察医会」が、
身元確認を続ける活動を目の当たりにし、歯科医の弟、悟さん(51)らと兵庫県での結成を働きかけた。
翌86年に設立されると、2人も警察歯科医に名前を連ねた。10年前の阪神大震災では約1か月間、同僚と68人
の身元を確認した。
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JR脱線事故では、遺体安置所となった尼崎市の体育館に駆けつけた。「息子を生きたまま返せ」。JR職員に殴り
かからんばかりに詰め寄る男性。その手を取り、「私は日航機墜落事故で父を亡くしました」と打ち明けた。
「一刻も早く(遺体を)お返しするように頑張っています」と静かに声をかけた。男性は「わかりました」と一筋の涙を
流した。(中略
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身元確認の作業は、「遺体が語りかけてくる事実を受け止め、その死を生かすこと。それが生きる者の使命」と受け
止める。それでもやりきれなさは募る。最近の日航機のトラブルについて「あの墜落事故から何が変わったのか。安
全が忘れ去られていないか。命の重さを立ち止まって考える時」と語る。
12日は自宅で静かに父の遺影に手を合わせ、安全への祈りを込める。あの時に引き戻され、張り裂けるような心を
押しとどめて。
一部省略 引用元 (2005年8月3日14時48分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050803i106.htm オスタカのときは火災もあっただろうし判別は難しいんだろうね。乗客の入れ歯がまったく予期してないような場所まで飛んでたとか、法歯学とか法医学の本(専門じゃなくて小説みたいなやつね)で見たなー。
電車のはどうかわからないけど、顔の損傷が激しかったら、やっぱり歯なのかなー。