【東京大空襲】慰霊碑建造エッセイストの海老名さん

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1ドメスティック・ドメ子φ ★

「10万人もが犠牲になった大空襲を伝えることが、戦災孤児の私の役目。
どうしても形に残るものを作りたかった」。私財で東京・上野の寛永寺に
慰霊碑、上野公園に母子像を建てる。

東京大空襲から今月10日で60年。本所(現・墨田区)に住んでいた両親
ら家族6人を失った。静岡県沼津市に疎開していたが、遠くに見えた赤々
とした空は今も忘れられない。毎年3月10日には、両親が死んだ小学校や
都慰霊堂などを、夫で落語家の故林家三平さんらと巡り、空襲にまつわる本
も出版した。

しかし、慰霊堂に手向けられる花は年々減り、大きな被害が出た墨田区の
小学校で大空襲の話をすると、死者数の多さに若い母親たちが驚く。
「80になれば私も元気がなくなる。今しかない」と、矢も盾もたまらない
気持ちになった。

人がたくさん集まるところに、と寛永寺に話を持ちかけたのは昨年7月。
1度は断られたが、3日後、「熱意に打たれました」と土地の無償提供を了承
してくれた。二男で落語家のいっ平さんは「亡くなった10万の人がお母さん
を動かしている」と言う。数千万円に上る費用の一助にと、今月7日、歌手の
谷村新司さんらの協力も得て、チャリティーイベントを開く。

慰霊碑と像の除幕は、大空襲前日の9日。「両親や兄弟は無駄に死んだわけ
ではなく、平和のために死んだと思いたい。これでやっと肩の荷がおります」
(社会部 春日 貴光)

ソースは
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/20050301sw61.htm

2名無しさん@女性魂:05/03/01 10:28:10 ID:IQRRk6tI
2
3名無しさん@女性魂:05/03/01 11:49:04 ID:0jnyi3bS
慰安婦や朝鮮人テロリストの名前は知っていても、東京大空襲の死者数を知らない
お目出度い日本人。
4 ◆JHYR6uhL6Q :05/03/01 12:06:43 ID:XulCOIPg
本当に、忘れてはいけないことだね。
5名無しさん@女性魂:05/03/01 13:20:16 ID:TGNNIkBb
日本人として泣けるな
6名無しさん@女性魂:05/03/01 15:05:13 ID:HDXeUzl6
「お咲ちゃん 悲しい大地へ、46年目の旅」
ー敗戦間際の満州へ、なぜお咲きちゃんは渡ったのか。下町の少女が体験したもう一つの戦争
海老名香葉子 徳間書店 '97 202(98年度学校図書、高校部選定図書、社会人推薦図書)


この本、本当に悲しい話だったよ。
海老名さんの従姉妹の美少女が満州でソ連兵に輪姦されて、その後、日本帰国を目前に
して死を遂げた悲劇。
冥福を祈りたくなるよ。
7名無しさん@女性魂:05/03/01 15:39:32 ID:4wxICrk7
8名無しさん@女性魂:05/03/01 17:17:19 ID:CP5NYpbn
>>6
読もっと。
9名無しさん@5周年:05/03/01 22:29:47 ID:Xs2OICJo
慰安婦や朝鮮人テロリストの名前は知っていても、東京大空襲の死者数を知らない
お目出度い日本人。
10名無しさん@女性魂:05/03/10 20:44:47 ID:lJaw0OBQ
記念日上げ。
11名無しさん@女性魂:2005/03/28(月) 23:33:37 ID:cXINUD6e
>>6
654 名前: 世界@名無史さん 02/08/20 00:22
>626
その本、「お咲ちゃん―悲しい大地へ、46年目の旅」徳間書店(1997年)を図書館で見つけ
て読んだよ。著者の海老名香葉子は、日本の沼津にひとりで疎開中に、東京大空襲で一家
6人を失った戦争孤児。落語家、林家三平と結婚。夫の死後、林家こん平ら、弟子達を支え、
テレビ、雑誌でも活躍。ベストセラーやアニメ化された著作もある。
 家庭を持って、幸せな日々をおくるようになった頃から、大好きだったいとこのお咲ちゃん
の白い高靴(ハイヒール)が玄関で光っているという不思議な夢を数年おきに3度見る体験を
した。お咲ちゃんは1度でも顔を合わせた人は、誰もが「なんて器量のいい娘さんなんだろう」
と言うほど、それはそれは美しく、しかも優しくて思いやりのある素敵な人だったようだ。
それで、お咲ちゃんの家族で唯一生きている弟の章吾に連絡を取り、その話をし、一緒に
満州の思い出の地に旅行することになった。そして、旅先で、涙ながらにお咲きちゃんの
悲劇を打ち明けられた。
 当時は疎開は義務付けられており、お咲ちゃんは、満鉄に勤めていた兄(長男)の誘いで
家族で満州の鞍山へと向かった。母は乗り気ではなかったが後から向かった。敗戦前年、
昭和19年9月のことだった。出港地の下関では、匪賊が出てきて恐ろしいと、逆に帰国す
る人々でごった返していたそうだ。お咲ちゃんはこの時、18〜21歳(判りにくい)。
 お咲ちゃんは家族の為に、鞍山駅の生計所で働くようになり、敗戦後にも何度か生計所に
食糧を得に出かけた。昭和20年9月の悲劇の日も母の制止を聞かず、章吾と一緒に生計所
に出かけたのだが、途中、人気のない神社山で鳥居に手を合わせた直後、露助に襲われ
た。日本人を待ち構えていたのだろう。そして6、7人の露助に輪姦された。なまなましい
レイプシーンが描写されている。もっとも2人目のレイプまでで、残りの露助全員にもやられた
のかどうかは判らない。残酷な体験だ。それから精神的に参って体調も崩したが、なんとか
立ち直り出したが、今度は妊娠が明らかとなり、11月に中国人の占術師兼助産婦の怪しげ
な“手術”で堕胎に一応成功したものの、藪医者みたいなもので、これがいけなかったようだ。
体調が悪化し、衰弱へと向かっていく。ただ、帰国後、日本で堕胎手術しても、うまくいかず
に死亡した人もいる。日本で堕胎はそもそも違法だったし。なお、露助はその後も家に押し
入り、略奪を繰り返した。   (以下に続く)
12名無しさん@女性魂:2005/03/28(月) 23:34:14 ID:cXINUD6e
654 名前: 世界@名無史さん 02/08/20 00:22
>653の続き
 周囲の日本人はもうほとんど引揚げたのだが、父親的な長男の都合で遅れ、昭和21年
春頃、最後に引揚げ団に加わることとなった。奉天・錦州の収容所(奉天では頼りにしていた
長男がチフスで倒れ、死去)を経て、ようやく出港地の葫蘆島から帰国船に乗り、日本が
見えたその日の晩、逝ってしまった。博多港に着いたのは翌日の昭和21年9月10日。
船内で火葬を済ませ、数日後、章吾は2人の遺骨が入ったふたつの骨壷を首から吊って
抱え、日本の地に足を下ろした。
 実に悲しい物語だ。簡単なストーリーだが、逆にそれが効いて、1度読んだら頭に焼き
付いて離れなくなる。それは困るという人は読まない方がいいだろう。
 章吾は誰にも語れなかった苦しみを聞いて欲しかったようだ。そういう苦しみを抱えたまま
生きている人々や、そのまま死んでいった人々が大勢いると。お咲ちゃんの悲しみと生きた
証をこの手で書きとめることが、彼女の悲惨をひとり心に秘め、長い時間を生きてきた章吾
と共にあの地を訪れた自分の務めだと思ったそうだ。それが著者に執筆動機。
 章吾は旧満州への旅を心から良かったと思っており、周囲にもしきりに行ってきてよかった
と話していたそうだ。ところが、旅行から帰ってたった3ヶ月半後、しかも日本に帰国船が
着いた46年目のまさにその日に章吾は急死したそうだ。
 最後まで悲しい物語だった。

655 名前: 世界@名無史さん 02/08/20 01:18
>653-654
なお、著者は、お咲ちゃんより10歳年下。
章吾は、著者より3歳年下で、敗戦の年には小学校3年生だった。
http://makimo.to/2ch/academy2_whis/1014/1014879858.html
13名無しさん@女性魂:2005/04/13(水) 17:11:48 ID:8jXqZDB9
玉ねぎコロリン -海老名香葉子のちょっといい話-‖海老名 香葉子/著‖共同通信社‖2004.9
海老のしっぽ-噺家の嫁と姑-(講談社文庫)‖海老名 香葉子/[著]‖講談社‖2001.6
さみしくなんかなーいよ‖海老名 香葉子/著‖ゴマブックス‖2001.5
毎日が楽しいあいうえお(小学館文庫)‖海老名 香葉子/著‖小学館‖1999.4
半分のさつまいも‖海老名 香葉子/作‖くもん出版‖1997.12

お咲ちゃん -悲しい大地へ、46年目の旅-‖海老名 香葉子/著‖徳間書店‖1997.8
花いちもんめ -天までとどけ、私の気持ち。-‖海老名 香葉子/著‖大和書房‖1995.12
さくらいろのハンカチ‖海老名 香葉子/作‖講談社‖1994.8
平和家族のなかの私 -尽す喜び尽される喜び-‖海老名 香葉子/著‖海竜社‖1993.7
平和いつまでも‖海老名 香葉子/[ほか述]‖平和・民主主義・革新統一をすすめる全国懇話会‖1994.4
海老名香葉子の野菜大好き -わが家の味・下町の味-‖海老名 香葉子/著‖家の光協会‖1992.5
うしろの正面だあれ‖海老名 香葉子/原作‖金の星社‖1991.7
14名無しさん@女性魂
家族のなかの私 -尽す喜び尽される喜び-‖海老名 香葉子/著‖海竜社‖1993.7
あした天気になあれ -ことばと暮らす-‖海老名 香葉子/著‖朝日新聞社‖1990.11
私が受けた愛のしつけ‖海老名 香葉子/著‖海竜社‖1990.5‖
暮しの『かくし味』 -母から娘へ贈る家事秘伝-(サラ・ブックス)‖海老名 香葉子/著‖二見書房‖
泣いて笑ってがんばって‖海老名 香葉子/著‖家の光協会‖1988.10‖
姑(シユウト)うた様と -下町は今日も青空-‖海老名 香葉子/著‖講談社‖1986.12‖
お母さんのゲンコツ‖海老名 香葉子/著‖主婦と生活社‖1984.10
ことしの牡丹はよい牡丹‖海老名 香葉子/著‖主婦と生活社‖1983.5