きまじめな日本人は、どのような場合でも一本気にまじめに考えることが
いいと思っているけど、本当にそうかね。なぜリストラにあったのかと
突きつめて理屈で考えてみても、納得いかないことのほうが多いんじゃないか。
それはそうですよ。クビにするほうは、成果だとか業績だとかもっともらしい
理由を言うけれどね。案外、上司の管理能力不足とか、やきもちとかいった
泥臭いことが潜んでいるのではないかと思う。だって物じゃないから、人間の
能力を正確に測ることなどできないんです、誰にも。
だから落語家の私としてはユーモアでかわしてしまえと言いたいですな。
「どうしたい」
『リストラ食っちまった』
「えらいもの食ったね、それ」
『ああ、あんまり食いたくなかったんだけどね』
「かみさんどうしてんだよ」
『かみさん? ぶーたれてる』
「そのぶーたれた状況をどうするつもりなんだい?」
『お前といる時間が長くなったね、って言っとくよ』
ほらね、そう考えるとリストラも何だかいいところがあるんですよ。上司を恨み、
会社を憎み、自分を責めるなんていうのはいいことがひとつもない。落語のすごい
ところは、人間が生きているうちにストンと落ちてしまう人生の落とし穴にも、
味のある視点を教えてくれるってことですね。不幸だ不幸だとグチルだけのきまじめさ
というのは、視野が狭いということでもある。人生は何が幸いするか分からないよ。
今まで顔を見る時間もなかった父ちゃんがしばらく家に居るのもいいもんです。
まさかの壁をどう越えるか
どんな時代でも、一生涯食べさせてくれる会社を探そうとするのは無理があるのでは
ないですか。まして今日なら餓死する心配もない。今に見ていろと心に期する思いが
あれば、スーツにネクタイという仕事でなくても試してみればいいと私は思いますね。
以前に、私の友人の中華料理屋の親父(おやじ)がこぼしていましたよ。午後7時から
11時までで給料を25万円出すと言っても人が来ないって。パチンコ店でも玉を磨く人
を募集したいのに応募してくれる人がいないという。失業率の数字が次第に上がって
いると報道されているけど、人手不足の仕事もそれと同じくらいあるということです。
ネクタイを締めていたとしても、自分を雇ってくれる事業主に飛び込んでみる選択は
なかなか幅があるじゃないですか。ビルの中に居た時には見えなかったお客さんの
気持ちが、手に取るように分かったりすると思いますよ。
長い人生の中で、たまたま脇の道を歩く。それは財産にするぞと思えばいい。経験と
して次に生かせるに決まっていますよ。自分を見失わなければちゃんと元の道に戻ります。
ソースは
http://www.asahijobplatz.com/column/?id=69