570 :
メイク魂ななしさん:
強制連行はあったのか?
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日本に移住したきっかけ、動機について韓国側は全世界に向けて「強制連行」によっ
て連れて来られたのだと主張しているが、在日韓国人訪問面接によるアンケート結果を
見ると(1982年10月〜1983年1月に実施。調査したのも在日韓国人)渡日の
理由には強制連行という項目すらなく、あるのは「徴兵・徴用」である。しかもその
「徴兵・徴用」で来日したと回答した者は全体の13.3%に過ぎない。
参照:『我々の歴史を取り戻す運動報告書』在日本大韓民国青年会中央本部刊
571 :
メイク魂ななしさん:02/12/22 13:45 ID:WGFh5rum
しかしこの13.3%という数字にも疑問が残るのだ。まず半島からの徴兵・徴用が行
われたのは、1944年9月から12月までの4ヶ月間であるにもかかわらず、徴兵・
徴用と答えた者142名のうち66名が1940年までの渡日者の中にある。これはあ
り得ないことであり、それらを除いた場合、徴兵・徴用は6.9%(76名)となる。さ
らにこの6.9%(76名)というのは1941年から1945年の5年間のデータで
ある。徴用の実施されたのはこの5年間のうちのわずか4ヶ月であるため、仮に単純計
算すると1%にも満たない数値になってしまう。
更に、「在日人口は約200万人であり、そのうち移送計画による労働者は32万人に過ぎ
ない。占領軍の命令によって日本政府は引き揚げ船を準備し、運賃無料、持ち帰り荷物
制限230キロまでという条件で帰国させた。昭和21年末までに約140万人が朝鮮に帰って
いき終戦時の、自分の意志で残留を希望した約60万人が日本にとどまった。引き揚げに
あたっては移送計画により渡日した労働者が優先とされている。結果として、32万人の
「連行者」はほとんどこのとき帰国し(産経新聞 平成12年9月26日 西岡力氏の
寄稿より)」ており、現在まで日本国内に残っている者はきわめて少数であるのは間違
いないだろう。
572 :
メイク魂ななしさん:02/12/22 13:45 ID:WGFh5rum
そして、終戦により故郷である半島へと一度は帰ったものの、朝鮮戦争の混乱で日本
へ不法渡航した者や、向こうでの生活が困難になりひそかに戦後、日本に再入国した者
も少なくないという。彼らの「すべて強制連行」という主張がいかに乱暴なものかお分
かりいただけただろうか。
別なデータに目をやると、1974年法務省編「在留外国人統計」によれば、当時の
在日韓国・朝鮮人の53・7%が日本政府が朝鮮人の来日を取締まっていた1935年
までに移住したとある。前述の通り日本政府が徴兵・徴用を行ったのは1944年であ
り、1936年から1940年は、民間で韓国人労働者を募集していた。
では1935年以前はと言うと、政府は日本国内での就業の安定のため、 朝鮮半島人の
の渡来を取り締まっていたのである。つまり在日韓国・朝鮮人の少なくとも半数以上が
密入国だったというのが真相なのだ。事実、半島からの密航は戦前からごく頻繁に発見
されている(別表に当時の新聞記事の見出し列記を列記)。 これらは中途で発覚した
ものであり、当時いかに密航が横行していたかは想像に難くない。この通り密航してま
で列島へ渡ろうとする者が後を絶たない状況のもと、嫌がる者を強引に連れてくる必要
などあるはずもない。
また彼らが好んで使う「強制連行」という言葉から、抵抗する朝鮮人を首に縄をつけ
て不当に引っ張って来たという印象を抱きがちだが、現実に行われたのはあくまで「徴
用、徴兵」である。
日本人も同様に徴用・徴兵されていたのであり、当時は併合時代、韓国人も日本国民だ
ったのだからなにも異常なことではない。
573 :
メイク魂ななしさん:02/12/22 13:46 ID:WGFh5rum
■英の学者ら「日韓併合不法論」支持せず
韓国主張崩れる
【ソウル26日=黒田勝弘】日韓の歴史認識問題で大きな争点に
なっている日韓併合条約(一九一〇年)について合法だったか
不法だったかの問題をめぐり、このほど米ハーバード大で開か
れた国際学術会議で第三者の英国の学者などから合法論が強く
出され、国際舞台で不法論を確定させようとした韓国側のもく
ろみは失敗に終わったという。
http://korea.s12.xrea.com/archive/heigou.html