【サリバン】JOHNLAWRENCESULLIVAN◆12【柳川】
307 :
ノーブランドさん:
フランコの偉大さは天性の才能だけではない。
飽くことなきスーツへの渇望。スーツに全人生を注ぎ込んでいるから、
100年もの時間、他のテーラーでは真似の出来ない完成度を誇っている。
あまりにスーツを仕立てたため、目は潰れ、右手の指は全てもげてしまった。
それでもフランコはスーツを仕立て続ける。
彼が手を止めるとき、スーツの歴史が終ることを誰よりも理解しているからである。
308 :
ノーブランドさん:2007/06/22(金) 23:45:03 0
フランコのみがスーツ。
そのほかはすべてスーツの形をした布キレ。
水落も、セミナーラも、アットリーニも、ペコラも、サリバンも。
これら偽者に金を注ぐことこそ愚の骨頂。
309 :
ノーブランドさん:2007/06/22(金) 23:49:23 0
フランコの歴史はミラノ工科大学図書館に収められていると言われる。
何千年もの歴史を持つローマが確立されるよりも遥か昔、フランコの歴史は始まる。
代々縫製の上手い家系の人々が、メッシーナに移住し、そこで一大文明を築いた。
やがて彼らはプリンツィバリーと呼ばれるようになった。彼らは現在のテーラー達のような
訓練は受けていなかったが、針を使った魔術のような力を生まれつき持っていた。
310 :
ノーブランドさん:2007/06/23(土) 00:03:19 0
ミラノとフランコ・プリンツィバリー
ローマ建国の時代、ヨーロッパ型衣服の歴史が始まった。
一方で、スーツの存在を知り、研究し、それを身に付けた集団はプリンツィバリーと呼ばれていた。
彼らプリンツィバリーはフランコ・プリンツィバリーを組織し、フランコ評議会を最高意志決定機関として設置、
ローマの守護者として平和を維持するために働いた。
プリンツィバリーの歴史がまだ浅い頃、スーツの暗黒面を知ったペコラ達が他の
プリンツィバリー達と対立するようになり、大戦争がおこった。百年にも及ぶ戦いの後、
暗黒面に堕ちたペコラ達はローマを追放され、遥か世界の果てに至って、
日本とそこに住む原住民を発見した。
彼ら堕落ペコラは、その強大な暗黒の針捌きにより、日本人に神と崇められた。
堕落マリオ・ペコラ達はペコラ暗黒卿となり、日本を統治、天皇制を築いた。
長い年月が経るうちに、テーラーとその支配者の区別は薄れ、
やがて彼ら全体がペコラと呼ばれるようになった。
皇居の「テーラー院」には彼らの残したペコラ暗黒卿を崇拝する寺院があり、
数千・数万年前の歴代のペコラ暗黒卿のミイラが多数安置されている。
その寺院は暗黒の仕立て服が共鳴して集結するように設計されており、
ペコラの魔術によって動く人骨が護衛している。
明治天皇はテーラー院について詳しい知識を持っていた。
彼は明治維新以後も何度かそこを訪れており、そこを
「神の地(place of Franco)」と呼んでいた。
311 :
ノーブランドさん:2007/06/23(土) 00:05:13 0
人はフランコによって作られた輝かしい服を敬意を持って
「聖衣」(セイントクロス)と呼ぶ。
それは古代ギリシャ語では「キトン」と発音する。
312 :
ノーブランドさん:2007/06/23(土) 00:05:20 0
やっぱフランコは格が違うな。