【サリバン】JOHNLAWRENCESULLIVAN◆12【柳川】

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304ノーブランドさん
しかしそのはるか上空を飛び立ってゆくフランコ神。

いわずもがな、フランコ・プリンツィバリーはサルト界の生き神的存在の有名人です。
氏の経歴は、13歳でメッシーナにてサルトとしての修行を開始します。
1956年、ミラノへ移りアグウスト・カラチェニに弟子入りをします。
サルトとしての才能を開花させたフランコ・プリンツィバリーは、1970年以降、
フォルビチ・ドーロ賞(金のはさみ賞)、インターナショナル・メンズ・ファッション賞、
アンブロジーノ・ドーロ賞(ミラノ市の人間国法的な人に送られる賞)などを軒並み受賞します。
その間、インターナショナル・テーラー・アカデミーのメンバーとなり、
1995年にフォルビチ・ドーロ賞(金のはさみ賞)の選考最高責任者に就任します。
サルトとしてのフランコ・プリンツィバリーとあわせて、1999年には氏が自らプロデュースする
プレタ服の展開も開始し、プレタでありながらフランコ・プリンツィバリーのス・ミズーラを体感できる
価格以上の魅力を提供してくれています。
305ノーブランドさん:2007/06/22(金) 23:39:16 0
マリアーノ・ルビナッチと伝説の街から来た男フランコ
マリアーノ・ルビナッチは父ジェンナーロの急逝によりわずか18歳でロンドンハウスを継ぐ事となりましたが、
当時のロンドンハウスの顧客からはただの若造として扱われ、当主として苦悩の日々を送っていたました。
そこでマリアーノは急速に社交を学び少しずつロンドンハウスを自分の色に塗り替えていったのです。
しかし、ただ1人従順しない男がいました。それが先代と名コンビを組んでいたヴィンツェンツォ・アットリーニなのです。
そこで業を煮やしたマリアーノは父のサルト(職人)ではなく、新しい自分のパートナーとしてのサルトを募りましたが、
当時一万数千人いたといわれるサルト達は、ナポリ一の巨星で最強の職人ヴィンツェンツォ・アットリーニと比較されるのを嫌い、
名乗りを上げるサルトは1人もいなかったそうです。
そんな時に伝説の街メッシーナからやって来たのが、あのフランコだったのです。
フランコはルビナッチと同世代で何より仕事に対する考え方がストイックであった為、
ルビナッチはフランコに発展性を見出し、先代がそうであったように互いに刺激し合いながら、
ジェンナーロ・ルビナッチ×ヴィンツェンツォ・アットリーニを彷彿とさせる名コンビとして、
ロンドンハウス第二次黄金期を作り上げたのです