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一名でお待ちの名無し様:
日本料亭「幸楽」 敷地の歴史
1936年 226事件。決起部隊(陸軍皇道派に分類される)が指揮本部として
料亭幸楽を接収。事件後、陸軍皇道派は滅亡
1945年 大日本帝国陸軍滅亡
1960年 幸楽の跡地にホテルニュージャパン開業
1963年 ホテルニュージャパン地下の高級ナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で
力道山が暴力団員に刺殺される
1979年 ホテルニュージャパンが「乗っ取り屋」の異名をとる横井英樹に買収される
1982年 ホテルニュージャパンで大規模な火災発生。死者33名。ホテルニュージャパン廃業。
この火災は延べにして9時間にわたり燃え続け、東京23区のほぼ総ての消防車両が
火災の消火活動にあたるという非常に大きな事件であった
この火災では消防総監が直接指揮する重篤な「第4出場」が、史上初めて発令された。
横井は火災発生現場で報道陣に対して拡声器で「本日は早朝よりお集まりいただき
ありがとうございます」と言ったり、「悪いのは火元となった宿泊客だ」と発言した。
また火災当時、人命救助よりもホテル内の高級家具の運び出しを指示したとされる。
ホテルニュージャパン火災事件の後、千代田生命保険がオーナー社長の横井英樹
向けの貸付金が回収不能となった時に、貸付金の担保であったニュージャパンを競売に
より売却することで資金の回収を図った。しかし、火災等のいわくつきの土地をあらためて
購入する投資家は見当たらず、千代田生命が自己落札し、自ら敷地を保有することとなった
1996年 都心の一等地でありながら廃墟のまま放置され続けていたホテルニュージャパンは、
火災から14年後の1996年ようやく解体された。千代田生命が跡地の再開発事業に着手する。
2000年 千代田生命経営破綻。
AIGが千代田生命の経営を引き継ぎAIGスター生命となる
2002年 ニュージャパン跡地に森ビルとプルデンシャル生命が共同でプルデンシャルタワーを建設