ウィザードリィなんてやってられるか

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1さん、私が包括に拒否を示したのは
貴方の語って納得したい、という面ではありません。
1番最初にあるような…こんなのを名作と言う奴はただのゲームマゾだ。…等ですよ。
自己の感覚を確立するため磨耗を繰り返すのも結構でしょう。
ですが、その際に自己には無い他者の可能性を閉じてはやはりいけません。
上記の発言には、そのような思いが強すぎますからね。
万人の名作がない時点でつまらないと思う人がいるのは当然で、それを否定する気はないんですよ。
ただ、私が貴方のどこを否定とするかというと、貴方自身の理由付けの過程で
楽しんだ人を否定する感覚が溢れていたのです。それは、自身でわかっているのではないでしょうか。

また、グラフィックが何故あるのか…等ですが
それに私は「作為」と「作為外」と言う返答を返そうと思っています。
私はウィズに特別なグラフィックはあれ以上必要無いと思っていますが
それを作った側は計画的に行ったのでしょうか?それは違うと思うんです。
あの時点では優れたグラフィックを目指したのかもしれない。
それは私にはわかる術はないのですが、それはそれでいいのです。
だから、何故グラフィックがある?という答えには制作側はそういうものを求めたのでは?
というくらいしかないのです。
ただ、それがそのまま私達受け手に当てはまるかと言うと、そうではない。
私はあの時の状況、技術で作られたウィザードリィに
圧倒的なまでの想像の楽しさを見つけてしまったのです。
それを簡単に懐古などという言葉で濁す気も、絶対の物とする気もありません。
ただその時だからこそ出来たものである、と言う事だけを認識しています。
懐古とは、昔を懐かしむという事。
その意味では今現在進行以外を思う事は全て懐古かもしれません。
それは、否定しません。人間の根底には懐古があるとすら思っているからです。
ただ、楽しさは懐古によって美化されたものではありません。
今でも、私はあのウィズには他にはない魅力が詰まっていると叫べます。
それは勿論、現在のゲームの良さを包んだ良さではなく
ウィズのウィズたる所以、としての良さなのですが。

ゲームは一つ一つ違う物ですからね、ウィズにはウィズの楽しさがあります。
気付いた人が溢れているので、その楽しさが全くないゲームではないと言う事は確か。
あとは、貴方がそれに気付くかもしくは気付いても受容できるかです。
それは、出来たから偉い、とかではないので心の赴くままにどうぞ。