☆スーパールーキー:フェルナンド・アロンソ☆

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2002年、常に1.5秒の差をつけられたフィジケラがシーズン後プロストに移籍。この年アロンソ初ポイントをゲット。ルノーのジャン・ジャック・イスが総監督就任。
2003年、マクラーレンで阿児にエースの座を追われたハッキネンがエースドライバーとしてベネトンに移籍。予選でアロンソに6勝10敗となるも本線でリード、良き教育係となる。アロンソ、シーズン最終戦で3位表彰台をゲット。ガスコインに限界を感じたルノー首脳は、御大バーナードをTDに招聘。
2004年、巨匠バーナード、大方の予想通り電波系コンセプトで大きくクルマを外す。前年より戦闘力ダウンとなるも、エンジンは1万9千回転を超える時代となり電磁バルブの優位性が明らかに。アロンソ、信頼性の無いマシンでも光る走りで事実上のエースドライバーに。
2005年、優勝争いを続けるフェラ・ウィリアムズのケツをつつきまくり表彰台の常連となるアロンソ。シーズン半ば例によってバーナードはルノーと揉めてチームを去る。同じくして不振のトヨタの責任をとらされたブルナーがTDとして移籍、バーナードのこだわりマシンを無残に空力トレンドに改造。第11戦ベルギーでアロンソ悲願の初優勝!ハッキネン引退。
2006年、開幕戦でアロンソが初のホールポジションをゲット。以後毎回、前年度チャンピオンのラルフと死闘を繰り広げる。高速サーキットはラルフが勝ち、テクニカルコースではアロンソが勝つ展開。ウィリアムズのピットミスが続き、コンストラクターは獲得するもワールドチャンピオンにはアロンソが輝く!!!