Panasonic TOYOTA racing vol.126
お前ら勘違いしてるから言っておくが、トヨタはF1に参戦なんかしていないぞ?
お前らがトヨタF1と読んでるチームの正式名称はドイツ国籍の
「オベ・アンダーソン レーシングチーム / ヤマハ」 だ。
車体はオベ・アンダーソンの会社が作り、エンジンはフェラーリから強奪したエンジニアの設計で、
本当は現在もヤマハが作ってる。
トヨタが関わってる部分で技術的な面は全くない。資金援助とマネージメント(笑)をやってるだけだ。
ぶっちゃけて言えば、双方に金出して看板買ってるだけ。だから、万が一優勝しても「君が代」は
流れない。
その、無能なマネージメントがフェラーリ相手に窃盗働いたのが、先日イタリアで有罪が確定した
例のスパイ事件だ。
卑怯なトヨタは、その件に関しては全く無関係だったチーム代表のオベ・アンダーソン達という
「本当のレース屋」をスケープゴートにして首を切り、代わりにトヨタの無能指導者を出向させ…
その結果、2005年一時的に向上していたパフォーマンスが翌年急下落。
こんなチームをどうしたら応援できるって言うんだ??
実際、「トヨタF1」と呼ばれているチームは世界で尤も不人気だ。 F1ファン総人口の僅か1%ww
大体、オフィシャルのファンクラブが人数不足で解散するなんて恥晒し以外の何者でもない。
ヨタヲタが何やら散々ホンダファンを誹謗中傷しているが…
まともなモータースポーツファン&日本人だったら、純粋な日本チームであるホンダかアグリしか
応援する選択肢がないだけの話。
トヨタ(笑)赤恥
ルマンは今年こそ今年こそって大口叩いて、政治的にゴリ押ししてレギュ違反のマシンを強引に投入したけど、
結局勝てなかったよね?
WRCではリストリクターの不正が発覚して追放。
CARTではホンダに対するエンジン開発の立ち遅れをチャラにするために、
金の力に物を言わせてレギュレーション変更は2年の猶予期間を置くと言うルールを捻じ曲げ、
2.7リッターターボをその年限りで強引に廃止、トヨタが先行して開発していた3.5リッターNAに無理やり変えさせた挙句、
CART自体の分裂を招いてレース関係者とファンにさんざん迷惑をかけ、
しかも愛想を付かしたホンダがIRLへ参戦を決めたらトヨタもその後を追ってCARTを撤退。
F1参戦にあたってはミナルディからなけなしのチーフデザイナー、グスタフ・ブルナーを金の力で強引に引き抜き、
参戦前から紳士的でないチームというレッテルを貼られ、
TMG副社長は「F1なんか高度ではない。技術の研鑽を狙うならルマンです」
「勝てないのは外国人スタッフがやってるから。全部日本人でやればトヨタなんだから勝てるんです」と発言、
ファンと関係者をあきれさせ、
毎年マシン開発をしくじって結果が出ないたびに、献身的にチームのために努力したドライバーにその責任をかぶせて解雇し、
ミカサロ、A・マクニッシュ、C・ダマッタと3人ものドライバーのF1での選手生命を犠牲にし、
挙句の果てにフェラーリから設計図を盗んでパクリマシンを設計、
バレると関係したスタッフと責任者(上述のG・ブルナー、チーム代表オベ・アンダーソン)を解雇、
トカゲの尻尾切りを図るも、ドイツの裁判所では有罪判決を受けて世界に恥を晒し。
いや、本当にすごい有言実行ぶりだこと。
トヨタ・モータースポーツ 悪業と顰蹙の遍歴
【Gr.7】
ワークスドライバーの福澤幸雄、川合稔が相次いでテスト中に事故死。福澤車は直線で突然スピン、
川合車はテスト中にスロットルが戻らなくなっていたとの証言もあったが、ろくに原因を調べもせず
「原因はドライビングミスと思われる」と一方的にコメント。ドライバーを使い捨ての部品扱い。
【Gr.A】
ディビジョン1はGT-R、ディビジョン3はシビックのワンメイクになってしまい、各メーカーがイコー
ルコンディションで参加出来なければ意味が無い等々と難癖を付けてカテゴリを廃止に追い込む。
代わりに発足したJTCCでは、速すぎるアコードに難癖を付けレギュ違反として失格に追い込む(日産
も荷担)。そしてカテゴリー消滅。
【JGTC】
手加減しながら走っていたNAのNSXにどうしても勝てず、運営側と結託しホンダに不利なレギュレー
ションを作りまくってようやくNSXを沈める。しかし次の瞬間からGT-Rに惨敗。04年も財力に物をい
わせて台数だけはバカみたいに走らせているが少数精鋭のZに苦戦。
【JGTCその2】
2003年のJGTCでザナヴィニスモGT-R23号車とチャンピオン争いしていたエッソウルトラフロースープラ1号車のオートポリスでの事。
22号車のモチュールピットワークGT-Rに当て逃げの様な感じの事をして、
チャンピオン争いから脱落させた挙げ句、当てられたドライバーの影山正美から痛烈に批判するようなコメントが出されていた事。
その結果最終戦鈴鹿で、スープラはスタートで日産勢の罠にはめられた挙げ句、
オートポリスの仕返しといわんばかりに22号車とカルソニック12号車の2台にスタートから抑えられ、
タイヤばかり使わされて結局23号車にチャンピオンを持っていかれると言う墓穴を掘るw
【WRC】
前代未聞の悪質なレギュレーション違反(支給されたエアリストリクターをマウントする部分に「走
行中のみ」穴が開く細工を施しリストリクターを無効化)を犯し1年間の出場停止をくらう。復活し
てカローラで勝負に出たが、メイクスタイトルまで残り300mで突然停止。コ・ドライバーのモヤはブ
チ切れてヘルメットでリアウィンドーを叩き割り、WRCファンを笑わせてくれる。
それでは、第一話「トヨタの悪行の原点第一回日本グランプリ」
1963年鈴鹿サーキットで行われた第一回日本グランプリは市販車
を改造したレースで、一般車のツーリングカー部門6クラス、スポーツ
カー部門3クラスと海外招待選手による初の国際スポーツカー・レース
として行われた。国産メーカーは日本自動車工業会の事前の申し合
わせにより、サーキットを走るための最低限の改造以外、一切のチュ
ーニングを行わないという紳士協定を結んでいた。
ところが、トヨタはこの紳士協定を一方的に破棄(破棄するという宣言
すらしていない)し、決勝当日スターティンググリッドに並んだパブリカ
、コロナ、クラウンにはレース用のチューンが施されていた。
まさに、これがトヨタのモタスポでの悪行の原点となったと言えよう。
結果はスタート前から決まっていた。レースチューンのトヨタ車はノーマ
ル状態の他車を寄せ付けず、ツーリングカー部門に出場した3車種が
全てクラス優勝を飾るという圧勝だった。
トヨタは自分のところだけレースチューン車だったことには一切触れず
高らかに勝利を宣伝し、他社の怒りを買った。なかでも激怒したのが
プリンス自動車で、このことが皮肉にも名車スカイラインGTを誕生さ
せるきっかけとなったのだった。 第一話(終)
第二話「勝てぬなら潰してしまえがトヨタ流?」
翌1964年、第二回日本グランプリは前年のトヨタの一方的協定破りに
雪辱を期す国産各メーカーは万全の体制でグランプリを迎えた。
とくに怒りに燃えていたプリンス自動車はツーリングカー部門はもとより、
GTカー部門にも本来1500ccのスカイラインセダンのノーズを延長し、グ
ロリア用の2000ccエンジンを搭載したスカイラインGTをエントリーさせ、
あわよくば総合優勝をも狙っていた。ところが、前年トヨタのファクトリード
ライバーとしてコロナをクラス優勝に導いた式場壮吉が、突如当時世界最
強と言われたポルシェ904GTSでの出場を発表したのだ。ポルシェ904
GTSはホモロゲーション取得のため市販されていたのでGTカークラスに
入るが、実質は純レーシングカーである。クラス最強とはいえあくまで市
販車のスカイラインGTとは比較にならない。ここでレース関係者の間にあ
る憶測が流れる。スカイラインGT発表にタイミングを合わせるかのような式
場のエントリー、市販されているとはいえ当時日本での入手はかなり困難
なポルシェ904GTSを式場個人が短期間に用意できたこと、式場がトヨタ
のファクトリードライバーであることなどから、スカイラインに勝たせないため
トヨタが資金を出し式場にポルシェを購入させたのではないか?(また、トヨ
タが研究のために密かに所有していたポルシェを貸与したとする説もある。)
というまことしやか噂ながパドック裏で囁かれる。事の真偽は今もって明らか
になっていないので、判断はみなさんにお任せしよう。(後編に続く)
続き
レースは総合優勝はポルシェを駆る式場のものとなったが、スカイ
ラインを駆る生沢徹との伝説のデッドヒート(一時はトップを奪う
)や砂子義一の2位入賞などで、逆にスカイラインの名声を全国に
轟かせるという結果になった。ツーリングカー部門でもグロリア、
スカイライン、ブルーバードSS、コルト1000、スバル360
などが各クラス順当に勝利し、トヨタは辛うじてパブリカがT2ク
ラスで優勝したのみで、前年の協定破りのツケをたっぷりはらうこ
ととなった。
以降1970年オイルショックの影響と各メーカーファクトリチー
ムが排ガス規制対策に集中するとの理由で撤退したことにより中止
されるまでトヨタは総合優勝はもとより1968年大坪善男のトヨ
タ7がクラス優勝(総合8位)した以外に目立った成績をあげてい
ない。これはまさにメジャーリーグのレッドソックスの「バンビー
ノの呪い」にも匹敵する、「日本グランプリの呪い」とも言うべき
ジンクスである。 第二話(終)
第三話「トヨタ7と共に散った若きレーサーを巡る謎」
1969年2月12日トヨタのファクトリードライバー福澤幸雄は静岡県袋
井市に完成したばかりのヤマハ発動機テストコースでトヨタ7のテスト走行
中の事故で25年の生涯に幕を下ろした。翌1970年8月26日三重県鈴
鹿サーキットで同じくトヨタ7をテスト中の川合稔はヘアピン手前の110
Rで突然コースアウトし台風の影響でコース脇に出来た深さ2Mの溝に突っ
込み大破炎上、川合は車外に投げ出され即死。享年27歳。
このトヨタ7を巡る2件の死亡事故は多くの謎に満ちており、未だに確固と
した事故原因は明らかになっていない。特に福澤幸雄の事故は当時社会問題
にもなり、国会で追及されたり、遺族がトヨタを相手取って裁判をおこすな
ど異例の展開をみせた。したがって、本稿は断片的に分っている事実と当時
囁かれた憶測を私見を交えず記したいと思う。
まず、福澤の事故の概略。当日午前はデータ取得のための走行で、本格
的な全開走行は昼食を挟んで午後から行われる予定であった。規定の周
回数を終えた福澤は一旦ピットインするも気になることがあるのか「もう
1周」と言い残し再びコースに出る。長いストレートでトップスピードに
乗ったトヨタ7はそれに続く全開進入可能な緩い左コーナー手前で一瞬白
煙?をあげた後、急激に挙動を乱しコースアウト、アウト側砂地をバウン
ドしながら(30Mほど跳んだという証言もある)コース脇の看板(標識
という説もある)に激突し爆発炎上。当時袋井テストコースには消火隊や
救急隊が待機しておらず、自然鎮火を待って福澤は残骸と化したマシンか
ら引き出されるも既に絶命していた。 (中編につづく)
そして、トヨタの事故後にとった対応により、多くの謎と疑惑を生
むこととなる。まず、警察の到着を待たずに事故車両を撤去し、企
業秘密を盾に現場検証にも非協力的で関係書類や事故車両の提出を
拒み続け、事故車両とは全く別の車両の写真を提出するにとどまった。その一方で、事故原因の究明もそこそこに「ドライバーの操縦
ミスによる事故」との発表を行い、早々に事故の幕引きをはかって
いる。メーカーのテストコースという密室でおこった事故というこ
とも手伝って、証拠となるような写真も敷地の外から望遠レンズで
撮られた事故車の炎上する写真1枚だけが存在するのみである。(
黒く焼け焦げた車両の残骸から黒煙が上がっている写真で車種の特
定すらできない)そもそも福澤のテストしていたのがトヨタ7なの
かという疑問もある。事故車両はクローズドボディー(トヨタ7は
オープン2シーター)だったという目撃証言もある。また、テスト
前夜福澤は家族に「明日は出来れば走りたくない」と漏らしていて
、これは福澤が精神的に不安定だった事をあらわし、操縦ミスを裏
付けるものだという説がある一方、テストするマシンに何か致命的
欠陥があることを福澤が感じていての発言でマシン欠陥説を裏付け
るものであるという説も存在する。
(後編に続く)
次に川合の事故はどうだったか。こちらはサーキットという半ば
公の場での事故なので比較的目撃証言も多く現場写真や事故車両
の写真も残っている。にも拘らず謎なのである。トヨタ側の発表
はまたしても「操縦ミスによる事故」なのである。鈴鹿をご存知
の方はわかると思うが事故現場はデグナーを立ち上がり短い直線
とヘアピンを繋ぐ緩いカーブで操縦ミスでコースアウトするよう
な場所ではない。にもかかわらず川合のトヨタ7は右車輪側80
M左車輪側65Mものブラックマークを残してコースアウトして
いる。これはパニックブレーキングを行ったことを表している。
この場所でそんな急制動をする必要がある事態とはなんだったの
だろう。スロットルが戻らなくなったようだという証言もある。
最後に福澤の遺族が起こした訴訟は1981年トヨタが遺族側に
6100万円を支払うことで和解が成立しているが、福澤の父進
太郎氏が「わたしがあと10歳若かったら、決してトヨタと和解
などしなかった。」と無念を滲ませて親しい人間に語っていたこ
とを申し添えておく。 第三話(終)
第四話「子供の喧嘩に親が出る?ゴリ押しトヨタの本領発揮」
(1)
1970年の日本グランプリが中止になり各メーカーは来るべき 排気ガス規制に対応するため
ファクトリーチームの活動を停止 した。翌1971年から日本グランプリはF2レースとして
復 活を果し、全日本F2選手権シリーズが日本のトップカテゴリー となる。だが、ビッグマ
シンの対決に魅せられたファンは何とな くフラストレーションが溜まっていく。そんなファン
の期待に応え るように旧富士スピードウエイ単独開催の富士GCシリーズが 誕生する。後にス
タイルを変えていくが、当初のGCシリーズは GTカーからグループ7のビッグマシンが混走
するそれまでの日 本グランプリを再現したようなレーススタイルが人気を集め、メー カーファ
クトリーマシンが出場しないながらも、もうひとつの日本 のトップカテゴリーとなっていた。
さて、その富士GCシリーズのサポートレースとして行われて いたツーリングカーレースは、
ややもすると単調な展開になる メインのGCレースを食うほどの盛り上がりを見せていた。S
T クラスでは初期の王者スカイラインGTRに挑むマツダロータリ ー勢、新王者サバンナR
X−7登場後により孤軍奮闘で挑む フェアレディーZ、TSクラスのB110サニー同士の壮
絶なデッドヒートなど内容の濃いバトルが展開されていた。そんな中 MTクラスのトヨタ勢は
苦戦を強いられていた。カローラは主力が1400に移行しており1200クラスでは図体の
でかさで 絶対不利になっており、かわってそれまでの空冷800ccから1200ccOHV
の3Kにエンジンが変更されたパブリカでお 茶を濁していた。ところが、この3Kというエン
ジン、実用車エ ンジンとしては問題ないのだが、レース用にチューンするに は素性が悪い。
高回転型ではないのだ。B110サニーに搭 載されたA12エンジンは名機の名に恥じず同じ
OHVながら スポーツキットを組み込むだけで10000回転近い実用回転を可能にし,15
0馬力近いパワーを絞り出していた。そういった事情からMTクラスは、B110 サニーのワ
ンメー クレースにパブリカが半ばおみそのように付き従う状態になっていた
(2)
そして1973年最終戦トヨタワークスは突如2台のワークスマシ
を送り込んできた。パブリカの派生車種として発売間もないKP4
7スターレットをベースにしたそのマシンはそれまで数台プライベ
ート参加していたスターレットとは全く別物のまさに怪物だった。
いちばんの驚きはそのボンネットに収まったエンジンだった。3K
−Rと名付けられたそれは、1300cc16バルブDOHCヘッ
ドを持ち、なんと190馬力を叩き出すという。明らかなワンオフ
のスペシャルエンジン。A12エンジンが150馬力前後だからこ
れはべらぼうな数字で、市販車エンジンのチューニングの範疇を超
えていた。基本的に量産エンジンをチューンするのがMTのレギュ
レーションのはず。少なくとも基本ブロックは共通でなければなら
ない。またはこの3K−Rを搭載したモデルが市販されている必要
があるはずである。
ところがトヨタはウルトラC級のゴリ押しで、このエンジンは開発
中の3K用スポーツキットを組み込んだもので、その中には16バ
ルブDOHCヘッドも含まれており、近々市販予定である。基本ブ
ロックは3Kの物であると言い張り、これがなぜか通ってしまった
のだ。どんな政治力が働いたか、金が動いたかは藪の中であるが、
認める方も認める方である。このスペシャルDOHCスターレット
は全部で5台製作され、その開発費は当時の金額で数億円にものぼ
ったという。ただひとつの救いは、非力に泣かされてきた3Kエン
ジンユーザーが近い将来自分もDOHCヘッドを手に入れて、煮え
湯を飲まされてきたA12サニーに一矢報いる希望が持てたという
ことだろう。
このレース久木留博之、舘信秀ドライブによる2台のスターレット
は三位の高橋健二に20秒以上の大差をつけ、最後は2台並んでゴ
ールを切るパフォーマンスでの1−2フィニッシュで圧勝をアピー
ルた。
(3)
翌1974年3K−Rキットがいつ市販されるかというトヨタユー
ザーの期待をよそにトヨタは1年間沈黙を守りMTレースは再びサ
ニー勢の独壇場となる。翌1975年に5台のスターレットはTO
M‘Sをはじめトヨタの覚えめでたいチューナーに払い下げられM
Tシリーズに復帰する。松本恵一のドライブでその年の第2戦以降
4連勝し松本はシリーズチャンピオンに輝く。翌76年も第一戦こ
そ名手都平健二の意地のドライビングで僅差(同タイム鼻の差)の
勝利をあげるが、その後4戦はスターレットが圧勝している。77
年も4戦全勝、78年も5戦全勝と世界に5台しかないスペシャル
マシンにMTシリーズは蹂躙される。この期に及んでも3K用DO
HCキットも3K−R搭載車も発売されず、トヨタユーザーの間にも、
もしやという疑念が生じていた。
無敵を誇ったスターレットにも翳りが見え始める。79年、80年
共に4戦中1勝、そして、ついに81年には1勝もあげることができず
、かわって台頭してきたシビックにサニーのライバルの座を奪われ
、ついに82年末にはホモロゲーションの切れたB110サニーと
運命を共にする様に表舞台から姿を消すことになる。もっとも73
年デビュー以来新造されることなく、同じ車体とエンジンで8年の
長きに渡ってレースを戦っていれば、いかなモンスターと言えど、
くたびれ戦闘能力は低下する。加えてサニー勢もただ手を拱いてい
た訳ではなく、成熟を重ね、この頃には最高180馬力に迫るまで
に進化していたのだから、当然の帰結ではあったわけだ。
結局、3K用DOHCキットは発売されることはなく、3KーR搭
載車が市販されることもなかったことから、このスターレットはサ
ニー駆逐の為だけに5台だけ作られたスペシャルマシーンであり、
トヨタが金と政治力によるゴリ押しで3K−Rを主催者に公認させ
たことが改めて明らかになると共に、淡い夢を抱いた3Kユーザー
のプライベーターはトヨタに裏切られたことを思い知らされたので
ある。 第四話(終)
*A12エンジンに関する補足説明*
MTシリーズのレギュレーションでは1300ccまでボアアップが認められて
いるのですが、A12は初代サニー1000搭載のA10のボアアップ版のため
シリンダーブロックの厚みに余裕がなくて1300ccまでボアアップできなか
ったんです。そんな中で高度なチューニングを施して150馬力ちょっとを絞り
出していたんです。市販車でも1400ccのサニーエクセレントはA型ではな
くSOHCのL14を積んでいたのもそういう事情からです。77年登場のB3
10サニーになってA12は新設計のA12Aになって1400ccもL型から
A12Aのボアアップ版のA14に変更になっています。レースの世界でもA1
2Aになってから1300ccまでボアアップが可能になり最終的に最高180
馬力まで進化できたわけです。もちろんチタンコンロッドやカーボンプッシュロ
ッド、機械式インジェクションなどの当時としてはハイテク武装のおかげでもあ
るわけですが・・・。ちなみに83年以降のB310サニーではインジェクショ
ン装備車はキャブレター車より50Kgのハンデを背負うレギュレーション改定
により全車キャブレター仕様を選択するという珍現象もおきています。
90年ル・マンでのトヨタの大恥晒しの行動。
この年のルマン、日本車は総勢13台、日本企業のスポンサードを受けるプライベートポルシェも10台参加。
(ミズノ・ヨースト、ケンウッド・クレマー、伊太利屋・RLR2台、マルカツ・デイビー、富士ゴルフ・デイビー、オムロン・シュパン、
武富士・シュパン、日石トラスト、アルファ東名)
まさにバブル絶頂期を表わしていたと言えよう。
予選開始と共に、日産の「本気度」とトヨタの「消極姿勢」が明らかになる。
予選初日、トップタイムをマークしたのはNPTI日産R90CKのブラバム。トヨタは積極的なアタックは行わなかった。WSPC鈴鹿やJSPC、
それに前年の積極的タイムアタックを思い起こせば、トヨタこそポールの本命と考えるファンも多かったはずだが。
予選2日め、日産はNMEのブランデルが前日を6秒も上回る3分27秒02で日本車初のポールを獲得する。
トヨタ勢は#36ミノルタが3分37秒13で10番手、以下#37タカQが3分38秒72が14番手、#38デンソーが3分39秒76で16番手。
プライベートポルシェにも先を越され中盤に埋もれた。
確かに耐久レースで予選グリッドはあまり意味を持たない。しかしポールを獲得した日産とトヨタ、どちらがより注目され、どちらがチーム内の士気が高まったかは言うまでもないだろう。
6月16日、ペースカー日産フェアレディ300ZXに先導されフォーメーションスタート、
午後4時(日本時間午後11時)決勝がスタートした。
まず飛び出したのはベイリーの#24YHP日産。これをF1パイロットララウリのレプゾルブルンポルシェが追う。
これを#23カルソニックの長谷見が追う。序盤のトップグループには#36ミノルタも加わり国際映像にも写された。
1回目のピットストップ直前に長谷見のカルソニック日産が首位に立つ。これが日本人初のルマンのLAPリーダーである。
1回目のルーティーンピットワークを終えた後、トップグループを形成したのは4台のジャガー、3台の日産、それにブルンポルシェの計8台。
トヨタはこの時点で既に遅れ、国際映像に写されることもなくなった。首位を快走し、大写しにされる日産と対照的に…。
トップグループに付いていけないトヨタ勢が唯一国際映像に写される場面は、日産に周回遅れにされる時だけだった。
そのトヨタが国際映像に大写しにされる場面がスタート4時間過ぎに起きる。首位を走る#24YHP日産がダンロップコーナーで周回遅れの亜久里ドライブのタカQトヨタをかわそうとした時に接触、
タカQトヨタは大クラッシュし亜久里は脳震盪を起こし病院へ運ばれた。YHP日産は前部を大破しながらなんとか1周しピットイン。カウル交換後再スタートするも首位から陥落した。
レースアクシデントなのかどうなのかわ分からないが、(国際映像に大写しになる)大クラッシュし、日産の首位を陥落させたトヨタは世界に大恥を晒したと言えよう。
いずれにしろ首位争いでもないのに馬鹿な接触だった。
その後#38サードもトラブルで大きく遅れたのちリタイヤ、トヨタは「完走狙いで完走できない」と言う最悪事態も想定しなければならなくなった。
唯一首位グループにいたNPTI#83も、午前9時前、燃料タンクからのガソリン漏れでリタイヤ。日産の90年ルマン制覇はこの時点で消えた。
#23カルソニックも優勝争いからは脱落したとは言え、依然表彰台は狙える位置にいた。カルソニックの前を走っていたのは日本からエントリーの東名スポーツメンテのアルファポルシェ。
コース上を走っている限り日産のほうがはるかに速い。追い付くのは時間の問題と思われたが、スタート前からアキレス腱と思われたミッションがついに音を上げ交換しなければならなくなった。
この時ニスモは上に追い付くのをあきらめるのみならず、その後をひたすら地味に地道に亀さん走行を続けてきた#36ミノルタに追い付かれる危機に瀕したのである。
テレビ朝日の中継でもピット裏で悲嘆にくれる星野のインタビューは写された。
この時現地の取材陣は「これでずっとサラリーマンレース続けてきたトヨタが逆転したら許せない」と言う声が出ていた。取材陣もワークスとは思えない地味なレースを続けたトヨタより、
攻めて攻めたあげくトラブルに遭遇した日産のほうにシンパシーを感じたのだろう。
しかしニスモはここでも「攻めた」。ゴールまでピット待機と言う消極的作戦を取らず、わずか12分でミッション交換作業を終え、最終ドライバー利男をコースに送り出した。
(もっともこの「ドラマ」をテレビ朝日の中継は一切伝えず、筆者も気づいたらコース上をカルソニック日産が走ってる映像を見付けた。この映像を見て胸を撫で下ろした全国のニスモサポーターは多かったことだろう。
この「ドラマ」を筆者自身知ったのはその後発売された雑誌によってである。テレビ朝日の中継下手は当時からであった)
利男はミノルタの前の6位でコースに復帰し、2位を走行中のブルンが残り15分でリタイヤと言う悲劇に遭い、1ポジション繰り上げ。
カルソニック日産は日本車、日本人史上過去最高の5位でレースを終えた。続くミノルタトヨタは6位である。
2006年2月28日 週刊新社会より
トヨタは牢屋へ入るか
『週刊金曜日』で連載している「トヨタの正体」の資料として、何年ぶりかで青木慧著『福沢幸雄事件』(汐文社)を読んだ。
1969(昭和44)年2月12日、レーサーの福沢幸雄がトヨタのテストコースを走っていて事故死した事件を追ったこの本は、
事故から10年後の1979年に出され、絶版となっている。
25歳で亡くなった幸雄の父、福沢進太郎は福沢諭吉の孫で、偶然にも、私の大学時代の担任だった。
幸雄の母はギリシア人のオペラ歌手だが、10年後にも怒りは消えず、著者の青木にこう言ったという。
幸雄さん死にました。トヨタ、事故のクルマ隠しました。なぜ証拠を隠したのですか。日本は法律もない野蛮な国ですかっ。
そして、また裁判がああでもないこうでもない。もう10年かかりました。
この裁判でトヨタつかまりますか。トヨタは牢屋へ入れられますか。なにっ、はいらない?冗談じゃない。
幸雄さん死にました。トヨタどんどん大きな会社になります。なぜです。私たちお金なんか一つもいらないっ。
トヨタ、必ずつかまえてやります。必ず」
それから30年近い月日が流れ、トヨタはつかまるどころか、ますます大きくなり、日本一の会社となった。
会長の奥田碩は”財界総理”といわれる日本経団連の会長である。
「札束と真実との交換」をあくまでも拒絶した進太郎は、当時、こう憤激している。
「幸雄は、死ぬ前に2000GTで危ない目にあったことも私たちにさえ隠していた。トヨタの”企業秘密”は親にも話さなかった。
(中略)トヨタも、そんな幸雄を一番高く買っていた。
ところが亡くなったとたんに、彼が不品行だったとか態度が悪かったなどとでたらめをいって、
なんとか幸雄のミスのせいにしようとする。
彼らが利益になるから幸雄を大事にし最大限に利用してきたのに、死んだとたんに手の平をかえして死者に鞭打つようなうそまでつく。
自分の責任を全部、幸雄になすりつけちゃう」
本田技研は、今から、45年以上前の
1962年にF1参戦を発表、
1964年7月からワークス参戦。
翌年の1965年第10戦メキシコGPでリッチー・ギンサーが念願の初優勝を果たす。
第二期目でも、再び1983年にエンジンサプライヤーとして参戦し
翌年のアメリカGPで優勝している。
第三期でも、2000年にBARへワークス体制でエンジン供給を開始
2006年はB・A・Rの株式を100%取得し、38年ぶりに純ホンダワークスチームとして
その年第13戦ハンガリーGPに優勝している。
既にホンダエンジンは、延べ72勝している。
歴史あるグッドイヤータイヤが、F1に参戦して初優勝したのは
1965年 既に二輪では無敵だったホンダと共にF-1レースへ初参戦。
ホンダF1と共にメキシコGPで初優勝だった事である。
トヨタ(笑)エンジンは現在参戦7年目で0勝のまま。史上最弱107連敗。
【北京五輪スポンサー企業】
コカ・コーラ Atos Origin GE
ジョンソン・エンド・ジョンソン コダック lenovo
Manulife マクドナルド OMEGA
Panasonic SAMSUNG VISA
バドワイザー MIZUNO DESCENTE
アシックス 味の素 コナミ
Kubota 読売新聞 ウイルコ
野村ホールディングス 佐川急便 Nationa
ExcelHuman 丸大食品 KIRIN
TOYOTA DOCOMO YAHOO!JAPAN
JAL ANA LOTTE
intelligensce 日清食品 トーヨーライス
AIU はるやま エステティックTBC
http://www.joc.or.jp/aboutjoc/sponsor/
★☆★☆ 「世界一の糞企業」決定戦、トヨタが決勝進出! ☆★☆★
世界最大の自動車メーカーであるトヨタが、カリフォルニア州などで燃費基準を引き上げる
法制化に反対しているとして、米国の環境団体と企業監視機関から非難されている。
「トヨタは今年の不名誉殿堂企業の穴馬だ」と、ボストンを本拠とする消費者権利擁護
NGO「国際企業責任(CAI)」のKelle Louaillier代表はいう。
不名誉殿堂とはCAIが毎年行っているキャンペーンで、米国の環境法や労働基準を守らない
不名誉な企業をネット上での消費者の投票により決定する。
トヨタは、燃費の悪い大型車の販売停止を求める連邦エネルギー法案の廃案を目指し、
ロビイストを利用した画策に乗り出した昨年夏から、環境団体の非難を受け始めた。
地球温暖化や排気ガスの危険性に配慮する環境に良心的な企業というイメージを作り上げようと
努力しているトヨタだが、環境活動家はイメージと実際の行動は著しく異なるとみている。
トヨタが会員となっている米国自動車工業会と国際自動車工業会は、カリフォルニア州の新法を
停止させようと訴訟を起こしている。環境に配慮してトヨタを愛用してきた顧客は驚き、裏切られたと
感じている。ライバルの日産などは新しい基準を支持している。
米国で販売される燃費の良いハイブリッド車の78%はトヨタの車だが、
トヨタはピックアップトラックなどの高燃費車の販売も多い。
不名誉殿堂にはトヨタの他に、米穀物メジャーのADM、住宅ローンのCountywide、玩具メーカーのマテル、
食品のネスレ、民間警備会社のブラックウォーター、スーパーマーケットチェーンのウォルマート、
ファーストフードのウェンディーズが候補となっている。
投票は7月4日に締め切られる。昨年は石油会社のエクソンモービル、石油関連企業のハリバートン、
ウォルマートが殿堂入りした。CAIが今年の本命とするADMは、インドネシアでの泥炭地開発により
温暖化ガスを増やしたとされている。
http://www.news.janjan.jp/world/0804/0804054304/1.php
最近はホンダ車に狙いを絞り、徹底的にホンダのパクリ商品を作りつづけてきた。
それでもホンダが持ちこたえてきたのは長年、F1やレースで培ってきたブランドイメージ
で、若者層とヨーロッパ人に絶大な支持があったからだろう。
トヨタはホンダに対抗すべく'02年からF1に参戦・「カイゼン(トヨタ式経営)でレースに勝て
るなら苦労はしない」と小馬鹿にされる成績しか収められなかった。
それが今期('05)トヨタは開幕から連続で2位をゲット。
一方のホンダは昨年('04)の活躍が嘘のような低迷、しかもレギュレーション違反で3戦出
場停止に追い込まれている。
いったい、何があったのか?F1に詳しいジャーナリストが、やはり「トヨタの陰謀」と吐き捨てる。
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「今年('05)から大幅に変わったレギュレーションは、明らかにトヨタ有利、ホンダ不利になるよ
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うに仕組まれていた。F1の上部組織であるFIAに強い影響力を持つトヨタがごり押ししたと言う
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のは、F1界の常識。
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例のホンダの出場停止にせよ、ホンダの違反は、違反ともいえないレベルで、「トヨタがFIAに
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働きかけ、全線出場停止になるよう圧力をかけた」と噂になっているほど。
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http://up2.viploader.net/pic/src/viploader370799.jpg
ライセンスを一度も更新してないというレギュレーション違反をしながら、おとがめなし。
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これだけでもFIAが、いかにトヨタの言いなりか分かるでしょう。
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だいたい自動車メーカーの”無免許”なんてシャレにもならない。トヨタこそ出場停止に
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すべきですよ」
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今シーズン('05)のトヨタ躍進はルノーから莫大な契約金で引き抜いたガスコインTDが
「ルノーの機密情報を持ち出し、得意のパクりをしたお陰。このトヨタスパイ事件は世界
中に大きく報じられています。(F1ジャーナリスト)ともいう。
ーーーーーーーーーーー富士ごりおし 略 ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「結局、トヨタはF1のブランドイメージが欲しいだけなんですよ。ホンダが若者たちや、ヨ
ーロッパ人に愛されているのは、F1で活躍したからではなく、レースを愛してきたからで
しょう。モタスポは貴族が生んだ文化です。金儲けを目的に参戦したトヨタは、文化を買
おうとする成金根性と、ヨーロッパでは軽蔑の対象になっている。」(F1ジャーナリスト)
事実、開幕戦から連続で2位を獲得しながらファンはそっぽを向いた。モタスポを愛する
人間には、トヨタのあざとい根性が、透けて見えるからであろう。
( ´,_ゝ`)プ
ある自動車ジャーナリストがはっきりと「金と権力に物を言わせてエゲツないこと
をしたからトヨタは世界一になった」と断言する。
その最大の犠牲者がホンダ。関係者は、みな口をそろえていう。
「トヨタは本気で潰す気みたいだ」と。
日米自動車30年戦争は、トヨタの完全勝利に終わり、ゴーンの日産とは、ハイ
ブリット技術の供与で密月にある今、トヨタに歯向かう唯一の存在がホンダなの
である。「トヨタは経営の第一方針に『売れた車を作る』と、他社の人気車種をパクる
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と宣言するような恥知らずな会社。
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開発費が莫大にかかる自動車は、生産台数で値段が決まる。
つまり、たくさん作って売れば、一台当たりの開発費コストはゼロに近づくわけで、
実質、トヨタ車は、韓国や中国より安いんです。
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そんなトヨタに狙い打ちされたメーカーや車種は、まさに天災と言うしかない。
トヨタレーシング(笑)
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1位 レースって欠陥リコールの数を競うの? ・・・9.0% 238票 63.1
2位 成績よりもコスト削減重視 ・・・8.9% 235票 62.7
3位 F1の部品さえ、下請けに半年ごとの値下げ要求 ・・・8.6% 228票 61.9
4位 盗用多(笑) ・・・8.1% 215票 60.4
5位 いいもの獲りが,この成績w ・・・7.8% 208票 59.6
6位 トヲタ(笑) ・・・7.7% 204票 59.1
7位 創価犯罪者カルト企業はスパイ ・・・6.9% 182票 56.5
8位 F1界のオレンジレンジ ・・・6.6% 175票 55.7
9位 トヨタって機織屋でしょ?レース生地でも織るの? ・・・6.0% 160票 53.9
10位 マスコミ支配 ・・・6.0% 158票 53.7
11位 設けをこの様な無駄遣いじゃなく派遣・下請けにあげて欲しいw ・・・5.8% 155票 53.4
12位 宗教法人 ・・・5.8% 153票 53.1
13位 洗脳主義 ・・・5.7% 152票 53.0
14位 真面目に頑張ってる ・・・2.7% 72票 43.7
15位 「設け」じゃなくて「儲け」だろ?低学歴バカ! ・・・1.6% 43票 40.3
16位 F1で遊ぶ暇あったら、税金払え!クソ会社め! ・・・0.9% 25票 38.2
17位 イメージ戦略 ・・・0.9% 23票 37.9
18位 しかも最下位(笑) ・・・0.6% 17票 37.2
19位 粘着厨多すぎw ・・・0.1% 3票 35.6
19位 ト ヨ タ オ タ が キ モ イ ・・・0.1% 3票 35.6
21位 亡くなったのは現行型なのにその車が燃えた後直ぐに旧型のリコールを届けたのはなぜ?
出すんなら現行型だろうが ・・・0.1% 2票 35.5
トヨタスタッフがエンジントラブルを恐れて練習走行時から、一周も全開走行を行わせなかったとか、
決勝で日産・マツダ・トムスもリタイヤしたため、「十数時間ピットに車を停めておき、
最後の10分間だけ走らせろ。そうすれば日本車唯一の完走車になる。」
との非常識なオーダーをトヨタが童夢に出したのが1986年の事。
このオーダーを受けて、童夢はドライバーに全開走行を指示(笑)、リタイヤしたという。
林みのる曰く「トヨタに言われるままにピットに停めておき、
最後だけ走るなんて事はルマン24時間レースへの冒涜であり許されることではない。」
この結果、翌年からトヨタはトヨタ・チーム・トムスとしてワークス参戦することになり、
この年限りで童夢の第1期ルマン参戦は終わることになる。
トヨタGT-ONE(通称TS020)がGT1規定に沿って出されたのは1998年。
規定に従い1台のロードバージョンは製作はされたが、実際に市販はされていない。
当時のGT1クラスはポルシェ911GT1やメルセデスCLK-LM等の化物マシンが闊歩していたが、
これらはあくまで市販車のボディデザインを継承しているのに対して、GT-Oneは明らかにCカーそのもの。
一足先にデビューした日産のR390も似た部分があるが、そのR390と比較しても
さらに、明らかにGT1レギュレーションのみに特化したモデルであった。
また、運転席の後部スペースをトランクスペースとして申請、レース用燃料タンクを配置し、
特異なスタイルを実現したことでも物議を醸した。
当然ながらCカーにしか見えないトヨタに他のエントラントから非難が殺到。GT1クラスが、
翌1999年度よりGTPクラスへと改定される契機となった。なお1999年はGTPクラスとして出場している。
霜降り牛肉っぽいカラーリングが98年、マルボロのパクリ風なのが99年のカラーリングである。
…さて、これだけ悪行を重ねてきた盗用多のモータスポーツ活動を
手放しで応援できるほど、ヨタヲタファンは良心を忘れているのかね?
まともな人間なら、こんなチームにシンパシーを寄せたりしないがな。
このスレの伸び方が、日本のモータースポーツファンの良心を示す
重要な指針になるだろうね。
皆の良心に従い、盗用多に批判的な意見で埋まる事を心から祈ってるよ。